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なぜ仏教なのか?

なにかと仏教に縁のある私ですが正直(仏教用語だそうで)、嫌いなんですよ。というのもキリスト教は批判されるし、そういって寛容だの笑いたくなるし…。かといって宗教にはまった人って扱いはされるし、宗教だの宗教ではないとか玉虫色にはぐらかしてばかりで、ムカつくことばかりなんです。瞑想も効果はないし。
仏教の良さがわかりません。なんだって仏教なんですか?

A 回答 (17件中1~10件)

 No.14。



 ★ 現実に介在する力を持っているのか?
 ☆ わたしが 人間として 持っていたら すでにうまく介在しているはずだ。
 まったく持っていないとすれば こんなうまいことをのうのうと言い続けるはずがない。
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この回答へのお礼

むむむ…
事実は小説より奇なりはほんまもんやな

お礼日時:2010/04/07 05:41

NO.13です。


>隣でなにかあったのかな。ありもしない疑いがかけられているの?

いや、中々鋭い、というか、何言うか・・・。

実はこの考え方、クリスチャンの息子として生まれた私の知人の苦悩を
解消するために多方面から調べてくみ上げた私の理論なのです。

私自身、基本的に無信道なので、とくに仏教に対する思い入れがど
う、とかいうことは一切ないのですが、クリスチャンの息子だという
だけで、カルト的だと見られてしまう、知人の苦悩にいても立っても
いられなくなった、というのが実情です。

仏教は本来学問の一宗派として誕生したものであり、バラモン教に対
するアンチテーゼでしかなかったはずです。

実際、イスラム教の侵略とキリスト教の支配を受け、インドでは仏教
は廃れてしまいましたし、中国でも弾圧を受け、ユダヤ教ラビ一族の
末裔が考えた共産主義により、事実上中国でも仏教を面と向かって信
仰することは難しい状況にあります。

韓国ではなぜか国民の3割近くがキリスト教を信仰しており、仏教と
は2割程度しかいません。

なぜか、日本(他、タイ・ベトナム・スリランカ・カンボジア)での
み、仏教は広く受け入れられ国民の間に広く浸透して言ったのです。

日本は、「アレンジ大国」です。仏教もまた、日本の土着の宗教であ
る神道に基づく風習と習合され、日本人に受け入れられやすい形へと
変化したのだと思うのです。

日本に現在ある仏教は、「和風仏教」だと思います。
っていうより、仏教がキリスト教に批判されるのが意味分からないん
ですけど。であれば、その仏教はきっと、「似非和風仏教」ではない
ですか。
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仏教は、この世でもあの世でも、自分も他者も、共通して貫く真なる幸福のあり方を説いて下さっているから、良い教えだと思います。


そのキーワードに「利自即利他」という言葉が挙げられると思います。
努力精進して自分を高めて行き、そこにおいてつちかったものを、他者の幸福のために用い尽くして行くことにより、自身も幸福になり同時に他者も幸福になり、他者が幸福になることがまた自分の幸福と感じられる、というあり方であり、職業等でもそれは当てはまることです。
このような精神態度で生きて行くことにより、この世でも幸福、あの世でも幸福、自分も他者も共に幸福、この世の社会もあの世の社会も幸福、という真なる幸福が現出する、というものです。
一方、こうした仏説に反する利己主義的あり方は、自分だけがこの世だけにおいて、一時的に幸福になっているかの如く錯覚するものであり、本質的には渇望苦であることが多いのではないでしょうか。
また、仏教に限らずキリスト教等の主要な宗教において、反省懺悔改心が説かれていますが、過去において過ちがあったとしても、再度仏性神性を輝かせることは可能であることを説いて頂いています。
このように本物の宗教こそは真に良いものだと言えると思います。
(ちなみに、上記は幸福の科学の書籍等を通じて学んだものです。)
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この回答へのお礼

まぁ仏教もいろいろ苦労してますよ…

お礼日時:2010/04/07 05:46

 No.12。



 ★ なんで・・・壁をドシンドシンされるの?
 ☆ 組織宗教は 個人の信仰にとって自殺行為だと言うひとに対して
 ★ 本願寺の企画ならわかりやすいけど本願寺かどうかも実際は明言がないし…
 ☆ と言って そしてそれ以外は何も言わずに 答えとしたから。
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この回答へのお礼

現実に介在する力を持っているのか?

お礼日時:2010/04/06 06:00

日本に仏教が浸透したのは、日本の神道と非常に関連性が深いと思いま


す。

現在日本で主に信仰されているのは、いわゆる「釈迦」の広めようとし
た仏教とは若干異なっています。

例えば、日本人が「仏教」の神様であると信じている多くの神は、(大
黒天、大日如来、阿修羅、帝釈天、弥勒菩薩・・・etc)実際は仏教の神
ではなく、ヒンドゥーの神です。

元々、これらの神々が登場する宗派である「真言宗」は、11世紀~中
世にかけて、イスラム教国や他民族からの支配を受けたインドが、土
着の宗教である「バラモン教(後のヒンドゥー教)」の存在意義を守
ろうとしていた当事の風潮の中、仏教の中に「ヒンドゥー教的なも
の」を吸収することによって何とか生き残ろうとしていた仏教徒たち
の執念によって生まれた「密教」が変化したもの。

しかも、インドから直接日本に持ち込まれたわけではなく、中国を経
由して日本まで持ち込まれたものです。

この、ヒンドゥー(バラモン)教と日本の神道は、共にアミニズムか
ら派生したもので、非常に受け入れやすかっただと思います。

もちろん、仏教そのものもバラモンの教えの中から派生したものです。

また、仏教とキリスト教には、決定的な類似点があります。これは、
共にその聖典(仏教の仏典、キリスト教の聖書)を編纂したのは開祖
(仏教の釈迦、キリスト教のイエス)ではなく、その弟子たちである、
ということ。さらに初期の聖典が編纂された後、その解釈の仕方に
よって宗派が別れ、例えば、仏教は釈迦の入滅後、100年後に解釈の
違いから、「上座部」と「大衆部」に別れます。

日本で最も信仰されている「浄土真宗」の元となった「大乗仏教」が
生まれたのは紀元後。釈迦の入滅から400年近くも経った後に生まれ
た考え方です。(日中韓で信仰されている仏教はこれにあたります)

密教が生まれたのは更にその600年以上も経過した後。
密教が日本に受け入れられたのは、密教伝来より遥か以前に日本に中
国より伝えられた、「六壬神課(りくじんしんか)」という占術が存
在したから。六壬神課(りくじんしんか)とはその教えに「奇門遁
甲」が含まれているように、「風水」の考え方が元になっています。

風水の考え方は春秋戦国時代の中国でまとめられた「陰陽五行道」の
元になっているのですが、この風水の考え方はギリシャ占星術が導入
される前のインド占星術である「ヴァーストゥ・シャーストラ」が元
に成っています。

現在の仏教は仏教にして仏教にあらず。その教えは、どちらかと言う
と歴史の中で磨き鍛えられた「哲学」や「学問」的な要素が非常に強
いと思います。これは仏教の始まりからしてそうでしたから。

仏教は「宗教」と捉えるより、「学問」として捉えたほうが正しい受
け止め方ができると思いますよ。
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この回答へのお礼

隣でなにかあったのかな。ありもしない疑いがかけられているの?

お礼日時:2010/04/05 15:19

 No.9です。


 参照に挙げた文章を読めなかった・読まなかったというのなら まだ話がわかる。けれども
 ★ 本願寺の企画ならわかりやすいけど本願寺かどうかも実際は明言がないし…
 ☆ と言うのでは 高みの見物から 対話の無視に動いた。
 と受け取り それとして対応します。
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この回答へのお礼

怖い
なんで病院行ってご飯食べて薬飲んだだけの日に壁をドシンドシンされるの?

お礼日時:2010/04/05 15:21

[どう思います?閻魔帳は存在して一切の行為がチェックされているなんてことが


あります…かね?]

回答:ありますよ。
閻魔帳は方便だけど閻魔帳より本当は怖いものですね。生まれて死ぬまでの一切の記録(行為及び考えたことも)が用意されていますね。それをプロジェクターのようなもので大勢の皆さんの前で見せるのですね。人が見てないと思ってした行為・思いほど恥ずかしいものはないですね。それは全ての者に対して行われますね。但し、生きてそのことを知れば、つまり、悟るということ、があればそういうことは除外されることもあるとは思いますね。まあ必要ないからね。
死ねば何もなくなると考えたほうが安心なのはわかりますが、実際は仏教の教え通りなんですよね。だからそういう考えの人にとっては本当に怖いことですね。知らないで犯した罪のほうが知って犯した罪より重いというのは怖い閻魔帳があるからですね。
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この回答へのお礼

思えば通信系統が全て支配された状態での行動は常に何者かの意志が働いているでしょうね…

お礼日時:2010/04/04 06:08

[なぜ仏教なのか?]



そうですね。考えてわかるようなことではないですね。
そこで、印を用意したのですね。全ての宗教の中で、際立った印が仏教にはあるのですね。その印は宗教の中の宗教という意味の印ですね。
大きなお寺の山門には「あ像」と「ん像」が配置されていますね。この印は仏教だけが持つ印ですね。「あ」と「ん」は最初と最後を象徴しているのですね。ギリシャ語で置き換えれば、「アルファ」と「オメガ」、英語で言えば「beginning」と「end」ですね。
つまり、何をいいたいかといえば、宗教をやるなら仏教が1番ですよということです。なぜなら最初であり最後であるからですね。その他の宗教は途中経過、つまり方便でしかないからですね。
簡単すぎて難しかったかな。
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この回答へのお礼

どう思います?閻魔帳は存在して一切の行為がチェックされているなんてことがあります…かね?

お礼日時:2010/04/03 15:03

 親鸞の明らかにした信仰は 非思考として普遍性を持つと考えるからです。


 非思考なる領域を受け容れるという意志行為として 有神論と無神論とが 互いに同等で両様の信仰形態であるという場合の普遍性です。

 普遍性の主題については 次のわたしの投稿を参照してください。
 【Q:そもそも「宗教」ってなに?】その回答No.16
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5650395.html

 親鸞の信仰については 次のわたしの質疑応答を参照してください。
 【Q:親鸞再考】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4508234.html
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この回答へのお礼

本願寺の企画ならわかりやすいけど本願寺かどうかも実際は明言がないし…

お礼日時:2010/04/04 11:00

創価学会系の者です。



なぜ仏教がキリスト教に比べれば勝れた教えなのかというと、仏教は自分自身の生命と直接自分自身で向き合い、自分で自分自身を高めていく教えだからです。「神の思し召し」とか「神の与えた試練」と称して、神など他の何ものかに左右され、諦めや忍従の人生を送らなくてもよいからです。

ただし、仏教といっても色々なものがあります。仏教ならすべて効果つまり功徳があるとは限りません。ではどのような仏教なら功徳があり、真に人々を幸福にできるのでしょうか。「五重の相対」という、宗教批判の原理で検証します。

(1)内外相対 人間の幸・不幸の原因を自分の中に求める仏法(内道)と、神など自分の外に求める仏法以外のすべての教え(外道)を比較して、内道たる仏法が勝ることを示す。

(2)大小相対 仏法を、自分だけ悟りを得られればいいとする小乗教と、自分も他の人も一緒に幸せになっていくとする大乗教とに分け、これらを比較して、大乗教が勝ることを示す。

(3)権実相対 大乗教を、仏の真実の悟りの法を明かした実大乗教(法華経)と、真実を明かすための準備、方便として説かれた権大乗教とに分け、これらを比較して、権大乗教よりも実大乗教が勝ることを示す。

(4)本迹相対 法華経二十八品を前半十四品の迹門と後半十四品の本門に立て分け、両者を比較して、本門の教えが迹門の教えに勝ることを示す。

(5)種脱相対 釈尊(釈迦)の説いた本門と日蓮大聖人が説いた文底独一本門を比較し、日蓮大聖人の文底独一本門が勝ることを示したもの。釈尊の法華経本門を脱益の仏法、日蓮大聖人の文底独一本門を下種益の仏法と言う。

「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(上野殿御返事、大聖人のお言葉)とあるように、末法今時においては、下種益の仏法(仏教)でなければ利益(功徳)はありません。下種益の仏法とは「南無妙法蓮華経」のことです。「南無妙法蓮華経」は、あらゆる仏を成仏させた宇宙根源の法則です。この法則の力を自身のものとすることにより、自身を現実に幸福にしていくことができるのです。

この下種益の仏法(仏教)以外のあらゆる仏教は、「今末法に至ては去年の暦の如し」(観心本尊得意抄・同)で、その効果はないのです。また、瞑想とか滝に打たれるなどの荒行なども、効果がなくて当然です。日蓮大聖人の仏法においては、受持即観心(じゅじそくかんじん)といって、「南無妙法蓮華経」の御本尊を受けて持つこと、それ自体で観心となる、すなわち成仏の悟りを得ることができるのです。

以上、仏教といっても、実践して功徳(効果)があるのは、下種益の仏法(仏教)に限定されるのです。
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この回答へのお礼

なんの御利益もない。病気はひどくなるし…

お礼日時:2010/04/05 15:23

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