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キリスト教についてですが、なぜ創造主である神は、人間を創る前に恐竜を存在させたのですか?
また、罪のない産まれたばかりの乳幼児がなぜ亡くなってしまうのですか?なぜ飲み水もないような地域で生きていかなければならない人達が存在するのですか?

神様が居るのなら、随分と残酷な世の中です。
クリスチャンは答えを知っているとは思えません。

A 回答 (6件)

人はみな原罪を背負っている(アダムとイブがエデンの園で禁断の実を食べたこと)ので、神様は様々な試練を与えています。


そんな中、神の子、救世主イエスが現世に下りてきて、人々に神の加護を与えながら信仰を説いていきました。信仰を仰いだ人達には「あなたに神の加護を」と言って救っていったんです。
ですから、つらい目にあっている人は、生きていながらにしてだれもが背負っている罪のために苦しんでおり、その苦しみは神への信仰で和らぐという考え方なのではないでしょうか。

それでもなお苦しんでいる人たちは信仰が足りないんだか、善行が足りないんだかしているのでは?

私はクリスチャンではないので、詳しい話は知りませんが…。

神はだれでも救ってくれますが、神が救ってくれるのはいい人でかつ神を信じている人だけです。神の国に入れるのは神の認めた人のみとか言いますし。
だからキリスト教初め宗教家は世界の平和を願って、わかりあえない他宗教の人間他を戦争で殺したりするわけですね。神の敵は悪魔ですから。

聖書一度よんでみては?
結構面白いですよ。世界一の信者数を誇るだけあって、ためになることも多いと思います。
めっちゃ眠くなりますけど。
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この回答へのお礼

いやあ、なるほどです。
回答有り難うございます。

多くの回答を頂戴しましたが、こちらのご意見が一番私を納得させてくれた気がします。

>生きていながらにしてだれもが背負っている罪のために苦しんでおり、その苦しみは神への信仰で和らぐ

そうなんでしょうね、私には神が付いている、っていう安らぎのようなものがあるんでしょう。神の国に入れるという安心感も得られるし、心強いんだと思います。だから聖書に恐竜の説明がなくても、不平等に対しての説明がなくても、クリスチャンになれるんだと思いました。

だから宗教以外に「心のよりどころ」「生き甲斐」「喜び」などを知っている人は生涯宗教には興味を持たないのでしょう。目標に向かってまっしぐらなクリスチャンは居ないと言いますし。

隣人愛など、聖書は情操教育にはよいですが、それ以上踏み込む事に危険を感じます。
踏み込まなかった私は幸せ者です。

お礼日時:2010/07/22 00:00

良い質問ですね。


私も最近気になって、教会で聞いたばかりですのでそこで聞いた話を。

なぜ恐竜が存在したのか
→栄養とするため
土などに栄養を形成するためだそうです

なぜ罪もない人が亡くなったりするのか?
→霊的遺伝による罪のため
だれでも、生まれると必ず生みの親の遺伝子を受け継ぎます。
それはたとえば鼻や目の形としてあらわれますよね。
そういう身体的な遺伝のほかに、霊的に引き継いだものがあります。
それは3代4代などの近いものではなく、何百代も前から引き継がれた「罪」というものです。
これを「原罪」と呼びます。
アダムとエバが未熟な時に性的な罪を犯したり、カインがアベルを殺すといった
初めのころの罪から、ずっと何代も重ねられた罪が原因となります。

飲み水もないような地域でというのは、世界がまだ自分の国を守るので精一杯で
利益のない助け合いが無いため、技術のない国が犠牲になっているのです。

それをなぜ神が助けないのか?という質問が来そうですが
子が罪を犯したのに、親が謝りに行けばすべて治まるのか?ということです。
人間が自分たちの力で罪を清算しない限り、神は手を出すことができないのです。
(水を飲めない人たちが悪いという意味ではありません)

自分たちの力でどう罪を清算するのかという質問もでてきそうですね・・・
たとえば、カインとアベルの罪の話をします。
兄カインは、一生懸命育てた羊などの動物を神に捧げますが
弟アベルの育てた野菜しか神は受け取ってくれませんでした。
兄である自分を差し置いて、なぜ弟が選ばれたのか・・・という感情から
弟のアベルを殺してしまうわけです。
この感情に打ち勝つという事が清算方法です。
聖書を読んでいると、何度もこの罪の清算をしようとした場面があります。
自分にも、兄弟がいればそのような場面があるでしょうし
社会人になれば、同僚などとそのような関係になります。
殺しまではいかなくても、悔しい、憎いといった感情を脱ぎ捨て
どうしてそんなにうまくできたのか?と相手に質問し、自分をもっと磨こうと努力するのが
正しい姿というわけです。


長くなってしまいました。
参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

まず、恐竜を栄養のために存在させたのだとしたら、随分と長い期間恐竜が居たことになりますよね、最初から土に栄養を含ませておいたほうが早かったのではと思います。

霊的な遺伝とは聞いたことがあります。しかしながら、あまりに残酷です。
私個人の意見では、家族や友人が亡くなったり、友人の子供が事故死したとしたら、霊的な遺伝だというほうが残酷すぎて、また不公平すぎて受け入れることが不可能なので、全て偶然によるもの、単なるアンラッキーだと解釈させて頂こうかと思います。

クリスチャンになるには、水が豊富な地域から、飲み水に困っている地域まで一生かけて水を運ぶ覚悟がないと、一生罪悪感と戦って生きていくことになりそうです。クリスチャンは罪の清算で忙しそうです。例えば、宝くじが当たっても、貧しい人達にすべて配るような覚悟も必要ですね。

貴重なご意見、有り難うございます。

お礼日時:2010/07/21 22:56

私の好きな歌の一節に、こんな歌詞が有ります。



神様ほんとに居るのなら
この世にゃ苦しみ多すぎる
世界にゃ悲しみ多すぎる
手拍子シャンシャン踊りゃんせ
(踊りゃんせ 作詞、作曲 紅龍)

基督教に限らず、宗教なんて代物は、人間が考え付いた手段に過ぎません。
宗教の場合、教祖とか聖職者と名乗る人物が、自分の思い通りに人を動かしたい、あるいは自分の利益になるように人を使いたい時に、非常に便利な手段として使われます。
こういうことを書くと、熱心な信者(基督教に限りません)が、いや、神は人々を救うために云々と言ってこられる方がいらっしゃいますが、これはその宗教にそう信じ込まされているだけです。
実際、宗教の名のもとに、大量殺人を行い、それを正当化するのは基督教もオウム真理教も差は有りません。
一神教と言うのは、どんな宗教であれ、その「神」とかの言うことが全て正しい、という、信者である人間にとっては思考を停止できる、非常に楽なな存在です。

基督教に限らず、宗教と言うものを一度疑ってみる事をお勧めします。

ちなみに、私は仏教聖典、旧約聖書、新約聖書、コーランを一通り読んでみたことがあります。(笑)
いずれも人生の指針としてはすばらしい書物ですが、これらを「神」と言う存在に結びつけることは、要注意ですね。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます、基本的に同感です。

私は神が存在するのかどうか分かりませんが、どちらでも良いと考えています。
自分は考えない事がベストだという結論に落ち着きそうです。

ただ宗教を信じているから戦争をするのではなく、人間だから戦争をするのだと解釈しています。
どんな宗教も戦争を奨励していないと思いますので(特殊な新興宗教は知りませんが)。

基本的に宗教を疑っていますし、信じている人の心境も理解できませんが、一度信じ込んでしまうともう考えを変えることが難しい事も知っています。私にとって、神の存在を信じられる人は、UFOの存在を信じられる人と同類です。ただ多くの人は、神様は居ないし、UFOも架空のものと、思っています。その割りには無宗教の人も初詣とかに行っちゃうので、よく分かりません。

イエスは確かに存在したのだと思いますが、明らかに人間(宣教師)だったのだろうと思います。
2010年前にイスラエルにしか存在しなかったのなら、当時他の地域に住んでいた人はその存在を知る由もなく、不公平極まりないですしね。

お礼日時:2010/07/21 23:05

こんにちは、



私はアメリカ南部にすむクリスチャンです。

あなたの質問はとても素直なものですしね。誠実な気持ちでお答えしたいと思います。

旧約聖書の神様が人間(アブラハム)と約束をしたことは、”お前の子孫はたくさんの国を建て、空の星よりも数多く栄えるであろう”ということです。大きな家に住めるとか必ず幸せになれるとかいうことではありません。

その後イエスキリストがやってきて、もうひとつの約束をします。それはキリスト教の教えを実践する者は必ずイエスが迎えにやってきて神の国に連れて行ってくれる、というものです。

ここで私たちは新しい体を得て永遠の命を授けられ、神とイエスとともに神の望む人間らしい暮しができるのです。神の国に行って、そこで初めて幸福になれるのです。

ですから、現在の社会が不公平でなおかつ不幸に満ち溢れているのはこれは仕方のないことです。回答者さんのおっしゃっていた通り私たちはアダムとイブの犯した罪をはじめとして繰り返し罪を犯し続けているからです。それはクリスチャンも同じことです。ただ罪を悔い何とかキリストのような生涯を送ろうと努力するだけです。

神は完全ですがこの世界は不完全であるということです。

さて、進化論のことですが、大学教育を受けた私のこの件に対しての認識は、旧約聖書の創造の物語は多分に喩えあるいは見立てであろうと考えます。長い長い創造の話を判りやすくコンパクトにまとめたため7日間に集約されてしまったのでしょう。恐竜の存在もその中に含まれます。でも聖書に恐竜の歴史が含まれていないのは神にとって重要でないから。

なぜなら神は恐竜と契約を結ばなかったからです。。。。

この回答への補足

あ、すいません、私の質問は「なぜ神は人間の前に恐竜を創造したのか」って事です。神にとって重要であったかそうでなかったかではなく。というのも、天地万物を創造したのは神ですよね?少なくともクリスチャンはそう信じているはずです。

補足日時:2010/07/21 23:37
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

なるほど、というのが感想です。神の国にいってはじめて幸福になれる、これを聞けばクリスチャンの気持ちが少し分かる気がします。ただ不公平を仕方のないこととは割り切れません、神の存在を知ることすら出来ない、アフリカの原住民や南米の密林に住んでいる人達は置き去りであり不公平の象徴です。

なので、食べ物に困らず、治安も良い国に生れた人と、不衛生や餓死、犯罪が多発している国に生れた人との不平等は、単にラッキーかアンラッキーか、という解釈が一番納得出来ます。なので、私はキリスト教を信じません。

恐竜は聖書では説明できないようですね。これからその説明を掲載すべきと思います。

さらにいうと、聖書は神が直接書いたものではなく、あくまで人間が書いたものです。よって、クリスチャンは神を信じているようで、聖書を書いた人間を信じている事になります。さらに言えば、どの福音書を聖書に盛り込むのか選び、編集したのも人間です。

お礼日時:2010/07/21 23:15

そこには、なにも意図などありません。

なるようになっているだけです。
生命は神から与えられた能力に従って、子孫を産み続ける為により有利なように変化し、維持して行っているのです。

理由というのは何でしょう。
なぜ飲み水もないような地域に人が住んでいるのか、別に神がソコに住まわせたのではなく、人がソコに住んでいるのです。だからソコに住んでいる人に理由を聞けば善い事です。

生命が生まれ、死んでいくその繰り返しです。
短い人生で終えればそれだけのこと、長く生きるならまたそれだけのこと。
人はこの世の存在のなかで唯一、単に現象を受け入れるだけではなく、学ぶ事ができるのです。
なぜ生まれてすぐに死んで行く事が残酷なのですか?
生まれもしない、死にもしない無期質な世界が善い世界なのでしょうか?
死がもっと身近に多く存在した時代と、人が私意の為に簡単に人を害し、肉体を傷つけている現在とどちらが残酷なのでしょう。
残酷という言葉は実に抽象的で自己的な感情でしかありません。
日本は世界でも有数の水の綺麗な国だといわれているのに、何故日本人は未だにその水を汚し続けているのですか?それは残酷ではないのですか?
私意の享楽の為に外来の動植物を輸入し、在来種を絶滅させているのと、虎の住んでいる地域で住んでいるのとではどちらが残酷なのでしょう。

残酷な世の中は、神が創っている訳ではありません。神を信じなかったり、神の意思を素直に汲み取らず、自分の都合の善い神像に作り変えてしまっている人間が残酷な世の中にしているだけです。
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この回答へのお礼

ごめんなさい、頂いた回答を読むのも辛いコメントでした。
おそらくお子さんがいらっしゃらない方のご意見だと推測されます。まともに育った人間が、どれだけ子供を愛しているのかを想像出来れば、到底その意見は出てこないはずです。「うちの子、3歳で死んじゃったけど、100歳まで生きたからって幸せだったとは限らないしな」と、思える親は居ません。

この世でクリスチャンが一番残酷、というご感想です。殺人を犯してしまっても「だって人間は生まれながらにして罪人なんだもん」ってのと同じです。「祈れば神様は許してくれるよ」ってのも出てきそうです。

確かに残酷な世の中は人間が(も)創りだしていますね。
ただ、クリスチャンは、キリストの存在を知りえない地域(原住民など)に生まれて生涯を終える人達への気遣いがないのが残念です。これだけは人間が創り出したのではなく、神が創った不平等ですので。

一度クリスチャンになってしまうと、全ての出来事をキリストに結び付けて説明しようするので、なかなか無宗教の人は理解出来ない世界になってしまいます。

無から有が生れ、石と石が衝突し、星ができ、地球ができ、そして偶然の繰り返しで生命が誕生し、進化して人間になった。だから、全てはラッキーか、アンラッキーか、何歳まで生きられるかは全て運次第。この理解のほうが人に優しく出来るんだと、改めて思い知らされました。

お礼日時:2010/07/21 23:33

>人間を創る前に恐竜を存在させたのですか?



※造ってませんよ。
キリスト教では地球自体が数千年とかせいぜい数万年程度しか経っていないことになってます。
では地層から出る恐竜の化石は?
神はその様なものを(人間を惑わすためなのか道楽なのか知りませんが)その場所に置いただけです。

アメリカなどでは今でも進化論を信じずに人間は神が創造したと教育すべきだと主張する集団(政治家含む)がいます。
流石に政教分離ですから大っぴらに神が創造したとは云えませんから「設計者」と言い換えています。
インテリジェントデザインで検索すればいろいろと見つかると思います。

※キリスト教と言っても宗派によってかなり違い、カトリックは進化論を否定はしていないようです。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。

なるほど、数億年前に地球が誕生したのではなく、数万年なのですね聖書では。

天地万物を創造した神を信じてるクリスチャンなら、なぜ恐竜を創ったのかを、どう説明してくれるのか楽しみだったのですが、イマイチ納得させてもらえる回答というか解釈がないようです。

何しろ聖書は人間が書いた書物ですからね、記載漏れがあっても仕方ないです。

2010年前は、恐竜の存在が知られていなかったので、福音書を書いた弟子たちがイエスに聞けなかった、っていうコメントでも頂戴できれば良かったです。

お礼日時:2010/07/21 23:46

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