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 接続助詞の「て」は、なぜ助動詞ではないのか。


 昨日の午後、突風が吹い『て』、看板が倒れた。

というようなときの『て』は連用形接続の接続助詞ですよね。


 どうして、過去の助動詞「た」の活用形(連用形?)として扱わないのでしょうか。

A 回答 (2件)

同様の質問が昨日あり、そのベストアンサーの回答の中の指摘にあるように、文法の不合理さには共感するところが大いにあります。


文法は後付けの理屈なので、結局どのように分類すればいちばん合理性が高いかになると思います。助動詞「た」の連用形にしても矛盾が出そうです。

今回、質問の「昨日の午後、突風が吹い『て』、看板が倒れた。」にある「て」の場合は、確かに前後関係のある接続用法なので助動詞「た」の過去、完了との用法とよく似た使い方です。
助動詞「た」の活用形「たろ、○、た、た、たら、○」には連用形がないので、他の形と比べ不自然な感じを乗り越え、助動詞「だ」の連用形「で」と同じように連用形に「て」をいれてもいいのかもしれません。

しかし「て」には多くの用法があって、たとえば、授与動詞、「てあげる」、「てもらう」、「てください」では完了の一つの用法とできなくもありませんが、過去や完了というのは少し苦しいところもあります。
さらに、「てくる、ている、てみる、ていい、てほしい」などの用法になると現在や未来の用法も多く、助動詞「た」の本来の用法とは乖離します。
雨が降ってくる
雨が降っている
できるか考えてみる
してもいい
してほしい

その点で「て」は助詞にせざるを得なかったのだろうと推測しています。助詞とすれば助詞の用法を増やすだけで矛盾をいかようにも逃げられます。
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この回答へのお礼

 お礼が遅くなりました。(やっと落ち着いてお礼を書く時間が持てました。)申し訳ありません。

> 文法は後付けの理屈なので、結局どのように分類すればいちばん合理性が高いかになると思います。

 同感です。自然科学の法則でも同様のことが言えますね。ニュートン力学よりも相対論の方が合理性の高い説明ができる。特殊相対論より一般相対論の方が広い範囲について説明できる(という理解でいいのでしょうか?)。大統一理論が完成されれば、さらに広い範囲について同じ法則を当てはめることができる。

 ただし、言語が自然科学と違うのは、言語は客観的な法則性が内包されているものではなく、また、通時的にも共時的にも、統一された存在のしかたを持たないという点でしょうね。
 したがって、絶対的に合理性のあるものを求めることのできる自然科学と異なり、相対的に合理的であるものを「文法的に正しい」とせざるを得ない。

 現代語の助動詞「た」を単純に過去の助動詞としてしかとらえない風潮には、以前から、はがゆい思いをしてきました(これは余談かな)。学校文法でいえば「た」の用法には、完了も、存続も、確認もあります。したがって、質問の例文には、過去であることを明確にしようと「昨日の午後」という語句を付けておきました。(それでも過去の時点での完了と考える余地は残されているかもしれませんが。)

 回答者のお考えは(もし曲解しているならご指摘ください)、お示しの「雨が降っている」という例をお借りして示すなら、「て」は
  昨日、雨が降っ『て』いた。
  今、雨が降っ『て』いる。
  明日も、雨がふっ『て』いるだろう。
という使い方がいずれも可能であり(いわゆる「非文」ではない)、これらには共通した働きを見いだすことができるが、それは「接続」の働きであるとすれば三つを包括してとらえることができるが、「過去を表す」とすると、三つをまとめてとらえることができなくなる、ということでしょうか。

 同様に、
  昨日の午後、突風が吹い『て』、看板が倒れた。
  今、突風が吹い『て』、看板が倒れた。
  (このままの天候では)明日、突風が吹い『て』、看板が倒れるだろう。
についても同じことが言えるわけですね。

 No.1の方の語源からのアプローチと合わせれば、「て」が「た」の活用形でないことに疑問を感じる方々に納得してもらえるでしょうか。

お礼日時:2010/08/09 14:06

「風が吹いています」の「て」は「吹く」の活用語尾ではありません。


「吹く」の活用は「吹かない」「吹きます」・・・五段活用。
「て」を活用させようとしても一向に変化しません。
どう見ても助詞ですね。
文は現在のことを言っています。過去の助動詞「た」とは無関係です。活用語の連用形につく接続助詞です。
この「て」と、ご質問の「て」は同じでしょう。

おおせの過去の助動詞「た」は、昔の「たり」です。
「たり」の連用形は「たり」です。
これを「て」と活用しようにもできません。
「たりて」とすると、この「て」は接続助詞になります。

やっぱり接続助詞が正解のように思います。
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この回答へのお礼

 お礼が遅くなり申し訳ありません。

 完了・存続の「たり」が元になった接続助詞には「行ったり来たりする」というような場合の「たり」がありますが、もちろんこれは形の上から助動詞の「たり」からできたことは納得できますね。

 そして「て」の場合は、おっしゃるように助動詞「たり」の活用形にはそんな形はありませんから、「たり」を祖先とする助動詞「た」の活用形と考えるのは無理がありますね。

 説得力のある回答をありがとうございました。

お礼日時:2010/08/09 13:16

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