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朝鮮民族の精神的支柱は?

主として江戸時代、明治時代、李朝朝鮮に焦点を合わせます。
江戸時代の支配階級には武士道というものがあったそうです。明治時代にもこの気風が残っていて、指導者層の中には良質の人間が混じっていたように思います。また、この流れが庶民の間にも、そこはかとなく漂っていて痩せ我慢にもせよ、金銭や物質の利得よりは気高さに名誉を置く気風があったようにも思います。

日本と同様に、朝鮮にも儒教を規範とする他に両班には支配階級としての精神的支柱があったのだと推測します。朝鮮では何を精神的支柱としていましたか。それはどんな思想でしたか。

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB% …

江戸時代の支配階級には武士道というものがあったそうです

あったということを、幕末から明治にかけて再構築した。江戸時代にはそんなものはない。
武士という階級が自身を持てなくなった幕末という時代になって作られた概念とも言えます。

葉隠にしても、本来の主家である龍造寺家を乗っ取った鍋島家であるがゆえの、「死ぬことと見つけたり」です。普通の大名家では発想しなかった考えです。


朝鮮では
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E9%83%8E
というような考えもあります。
日本の武士道が、武士が武士で無くなったからできたように、こっちも、武士道に合わせて作ったものです。

この回答への補足

>>江戸時代には、そんなものはない。<<
武士道についてtanuki4uさんがこういう考えのもち主であることはよく判りました。私もそう思うという訳ではありません。

さて、本論です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E9%83%8E
ご紹介の此処には、
・「李朝時代には、花郎は男のシャーマン、シャーマンの夫、芸人、舞童、遊女などを指すようになった。李朝時代、彼らはいずれも社会の最下層に位置づけられていた。」

・「李朝時代には花郎が史家の注目を浴びることは無く、言及された場合でも焦点は歌舞にあてられ、軍事的要素は欠落していた」

・「尚武精神が評価されるようになったのは、朝鮮が日本の支配を受けた結果である。極端な武蔑視が支配的だった李朝時代には考えられないことである。」
これらの記述がみられます。

ところで質問文は、李朝朝鮮に焦点を合わせ両班の支配階級としての精神的支柱を問うています。この質問文と李朝時代の花郎の話は、どう読んでも結びつかず質疑が噛み合っていません。
質問文の再読を願います。

補足日時:2010/08/30 23:02
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この回答へのお礼

本日は9月23日です。これ以上待っても回答は寄せられないものと判断して締め切ります。朝鮮民族には神的支柱があったのか、なかったのか不明なままに終わるのは残念ですが、仕方ありません。

「江戸時代には、そんなものはない」と今回も歯切れよく一刀両断し、そしてまた今回も見事に質問を外した回答を寄せてくれました。
今回もまた回答が1件だけなので、自動的にベストアンサーになりました。的外れな回答でベストアンサーになるのはtanuki4uさんとしても困惑しますでしょうが、締め切る上での手続きですから已むを得ません。
どうぞ私が皮肉で選んだと思わないで下さいませ。

お礼日時:2010/09/23 06:52

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