古代の日本で日本語はいつから話されていたのでしょうか。縄文人は日本語を話していたのか、別の言語、たとえばアイヌ語を話していたのでしょうか。
弥生人は渡来人という説がありますが、そうするとこの人たちは何語を話していたのでしょうか。卑弥呼は? 実はバルセロナの大学生たちに日本語の歴史について話すことになったのですが、ここのところがどうも分からなくて。

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A 回答 (6件)

日本語は紀元前からありました。


漢字が紀元前から表意文字としてあるのと同じです。
卑弥呼以前の中国の史書を読めば謎は解決すると思います。

日本にも記紀があり実は紀元前から文字を有していたことは明らかなのですが
様々な事情により現代ではそれらの記紀を否定する人が多いですね。
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日本語の歴史について語るには、日本列島の先住民であった縄文人が渡来系(朝鮮半島から来た人々、弥生人)によって北に追いやられ弥生人が話していた(古韓国語)と先行民族の言葉がミックスし日本語のルーツになったといえそうですバルセロナでも以下のことを脳裏にメモリーすれば納得されると想います。



イタリア人のコロンブスが1492年にスペイン女王の庇護で、アメリカ大陸を発見(実際、フロリダ半島の南の島)が、西洋人の見解で、アメリカ先住民と同じ遺伝子をもつ我々モンゴロイド系からすればコーカソイド系が後から南北アメリカに現れた歴史だと分子生物学の遺伝子研究を考古学に応用した結果で認識されています。日本列島で紀元前に1万年以上もの文化を維持してきた先行民族の縄文人が渡来系の弥生人に滅ぼされていく歴史も、南北アメリカの先行民族がコーカソイドによって滅ぼされていく歴史と似ていると想えば分かりやすいです。当然、血のミックスも言葉のミックスも必然的です。

後から日本列島に来た弥生人(渡来人)は朝鮮半島に居られない人々、あるいは追いやられた人々(百済・新羅・高句麗の前の朝鮮半島)と理解すべきで、朝鮮半島で話していた言葉からの脱却が新しい土地、略奪した日本でのアイデンティティの確立にどうしても必要だったはずです。紀元前1,2世紀ころからひんぱんに朝鮮半島から逃れてきた人々と紀元後3世紀ころの弥生時代を経て縄文人(蝦夷:えみし、アイヌも蝦夷)を9世紀初頭ころまでに北へ追いやり日本列島を占領した歴史の中で5,6世紀ころ中国から漢字を輸入(漢字編纂)し大同小異今に連なるという歴史になります。

われわれ現日本人は、渡来系弥生人の末裔か、蝦夷(えみし)の英雄アテルイ(阿弖流為)に代表される縄文人と渡来系弥生人とのミックスか、いずれいせよ、『テルマエ・ロマエ』で言う”同じ平たい顔の民族”には変わりませんけど、話されていた言葉はだいぶ違うようです。
(矛盾的自己同一、西田幾多郎哲学者が歴史哲学に進んだ時に表した言葉の新解釈です)

先行民族の日本人は4方向から日本列島にやって来たことが分かってきています。
大雑把に、九州に侵入した朝鮮半島系、沖縄などの南系、紀伊半島に上陸した南方系、北海道に着いた北方系、です。
南方系と北方系に大きく分かれていることが分子生物学で明かされています。
歯の形状から見るとマンモスをシベリアまで追って氷河期に生き延びるためにドングリ(イベリコ豚を彷彿させます)を食べて南下した歯の裏側がシャベル状のシノドント(日本人70%)の北方系と、歯が臼状のスンダドント系(20~30%)が縄文人、アイヌに多いと言われながら南方系に分かれているそうです。蝦夷が南方系だったことが分かります。追いやられて東北以北民族みたいに言われるようになってしまいました。北方系だった渡来系弥生人が領土拡大のため南から徐々に北上した結果、”ねじれ”てしまったのです。当然、血のミックスと言葉のミックスがあったはずです。(日本人として複雑な思いです。ですので矛盾的自己同一です)

先行民族の日本人のルーツが北方系と南方系でありながら”ねじれ”て定住した結果、縄文人と弥生人の血と言葉のミックスが進み日本が醸し出されたと想います。ミックスがキーワードです。スペインは15世紀のレコンキスタ(キリスト教徒から見た領土奪還)までイスラムの支配下でした、アルハンブラ宮殿などイスラム文化の影響を今も残している国です。バルセロナ近辺では独立運動が今浮上してもいます。イスラムの統治が圧制だったとは想えませんけど、後のスペイン人が南北アメリカで奴隷制度と支配と略奪を繰り返えした歴史と朝鮮半島から渡来し日本列島で縄文人を迫害した歴史、似ていると想えませんか。地球上のどの地域でも植民地化や領土略奪の歴史が血も言葉も多様化させていく、せざるをえない歴史を受け止めることができれば、日本語も同じようにミックスから成り立っていると納得がいくのではないでしょうか。
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まず、漢字というぐらいで、「漢」代に伝わり、漢字の読み方に


呉音や漢音、宋音、唐音といったように、中国の各時代の発音が
伝わって、地層のように残っている。
それは、中国への留学や、中国からの渡来人によって伝えられた
もので、朝鮮半島の影響と言えるような独自のものは朝鮮半島
にはなかった。

そうした中国からの影響を受け入れた土台が、大和言葉であり、
漢字の訓読みに見られるような、中国語とは全く異なる言語である。
日本各地にアイヌ語由来の地名が残っているように、それはアイヌ語
ではなく日本の古代語であり、たまたまアイヌ族に残っているために
アイヌ語と呼ばれているのである。
アイヌ語は大和言葉の方言だと言え、一方でポリネシア語の影響が
見られます。
特に、後に強い影響を持つ大陸の中国語にないボキャブラリーは、
たとえば火山の名称に「浅間(アサマ)」や「アズマ」「アソ」といった
似た音が多く、ポリネシア語で「アス」は灰、「マイ」は“~になる”
という接尾辞であり(「来る」といったような動詞はなく、「アフィオ(存在)」
+「マイ」で「在るようになる=来る」を意味する)、「アスマイ」は、灰を
噴出す意味になります(実際、火山といっても「火」はメインじゃない)。

また、ポリネシアの政治体制は、各家庭の家長が集落で集まって
合議し、その代表が地域で集まって合議し、その代表が島全体で
集まって合議し、各島の首長が集まって合議する、という中央なき
合議制によっています。
その代表の事、あるいはその制度自体を「マタイ」と呼びます。
この中央なき政治体制は、古代日本も同じだったようで、中国からの
使者が「中央政府に伺いたい」と言った時に、中央はないという意味
で「全体がマタイ制度だ」と言おうとして、ポリネシア語の強意の
接頭辞「ア」を付して「ア'マタイだ」と言ったのが、「邪馬台(ヤマタイ)」
として記録されたと考えられる。
その証拠に、女王「卑弥呼」は「ヒムカ=日向」であり、東に面した
日向地方の国であり、その没後再び立った女王「イヨ=伊予」と共に、
古くは貴人の名を直接呼ぶ事は不敬であり、地名で呼ぶのが普通
であった事によるものです。
「邪馬台国」への道程とされる長大な記述は、実はそうした国家群が
形成する合議制(幹事持ち回り)の連邦国家の領域の記述だったと
考えるのが自然です。

であれば、属国に卑しい文字を当てる中国が、音に従い「邪馬台」と
表記したのに対して、日本側は意味を表して「ア(大)マタイ(和=合議)」
と表記したのもうなづける(読みは「大和=ヤマト」に変化したが)。
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ametsuchiさんのおっしゃっている内容は,ほぼ間違っていないと思いますので,できるだけそれと重複しない範囲で書きます。



バルセロナの大学生たちということならスペイン語(またはカタロニア語)を話すのだと思いますが,まず「バルセロナではいつからスペイン語を話しているのか」ということを考えてみてください。元々ラテン語だったものが,「いつの間にか」スペイン語やカタロニア語やフランス語・イタリア語などになっていたわけで,明確に「いついつからスペイン語になった」とは言えません。日本語でも同様で,「いつから日本語が話されているか」というのは,少なくとも「日本語」の定義をはっきりさせない限り答えようのない質問です。

弥生文化の到来とともに日本語が大きな影響を受けたのは事実でしょうが,住民がごっそり入れ替わるようなことはなかったようですから,縄文語と現在の日本語が,アイヌ語と現在の日本語ほどには隔たっていないのは確かでしょう(ノルマンコンクエストの結果あれほどフランス語を借用したアングロサクソン人も,基本的には「英語」を話し続けました)。また,語彙的な面に注目すれば,平安期以降に大量の漢語が日本語に取り入れられたことは,ひょっとしたら弥生文化が縄文語を変えた以上に大きく日本語を変貌させたかもしれません。さらに,敬語の体系を含め文法的な側面がやっと現代日本語と直接に本格的につながってくるなと初めて感じられるのは,中世後期,狂言などの日本語を目にしたときです。

こうして見てくると,「日本語はいつから話されていたか」を問うことは「日本語とは何か」を問うこととほとんど同じだと思えてきます。

ロマンス語を話す人たちにとっては,ごく大ざっぱにいって,ラテン語という単一の言語が四方に枝分かれした,その枝の1つが自分たちの言語だという認識(さらにはヨーロッパ語全体がいわばインドヨーロッパ祖語の枝分かれだという認識)があるのではないかと思いますが,それとは逆に,日本語の場合は,1万年前からこの島々に住んでいた縄文人の言語がまずあり,そこに弥生語や漢語や西洋語などが外から影響を与えた結果,現在のような日本語ができあがった,ということを大まかな見通しとして述べるのが,話としてわかりやすいのではないでしょうか?

ちょっと具体性に欠ける話になりましたが,日本語の起源・成立について現段階で安心して言えるのは,だいたいこれが精一杯だと思います。「縄文語」「弥生語」の正体については議論百出の状態ですから(これからも結論は出ないでしょう)。
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この回答へのお礼

そっそくのご回答ありがとうございました。やっぱり弥生人は渡来人なのでしょうね。バルセロナで翻訳通訳を専攻している学生たちの日本語の授業を1回つぶして日本語の話をすることになっています。彼らは主専攻がスペイン語かカタルーニャ語、副専攻が英語、フランス語、ドイツ語ほか大学に入るまでに一定のレベルに到達している言語、日本語は大学に入ってから初めて習う第二外国語です。日ごろ彼らに日本語を教えている友人は時々学生に「日本語にはprincipleがないのか。」と責められるそうです。また、漢字学習を嫌がる学生もいて苦労しているようです。そこで、日本語の歴史を持ち出して日本語の中にはいろいろな文化が交じり合っていること、たとえ日本語を話したいだけだとしても漢字の学習は日本語という言語を知るために必要なことなどを分かってもらいたいと考えています。話は出来たら少し日本語で、無理そうだったらスペイン語でしようと思っています。比較としてスペイン語の歴史なども読み始め、はまっています。

お礼日時:2001/04/11 01:37

 日本列島の周辺から,1.マラヨ-ポリネシア系がもとになっいてるかも.


  グァム--チャモロ,台湾--原住民の言語タイヤル語など
  フィリッピン--タガログ、ミンダナオ語 アイヌ語(私見ですが-Ku-アイヌ語  マレ-系とも私の意、 いずれも接着語が多い) 
   台湾やグァムなどにましてハワイやマダガスカルまでいく海洋民族のマラヨ-ポリネシア人達が大きな日本列島を見落として通りすごすことは考えられますでしょうか.
 2.朝鮮半島--百済語--高句麗に追い出されて日本にきたのですから,韓国朝鮮語とは違ったと思っています.理由--百済,新羅を韓国語では「くだら」「しらぎ」とは読まない.これは不思議です.
 3.モンゴル系‐-沿海洲から日本海を経て‐‐ 母音調和.8母音
 4.中国大陸からの民族
 5.なぜ日本語は他の国よりも狭い区域なのに方言が多いのか--1.から4の融合された証拠と思っています. 「マラヨ‐ポリネシア系は母音4から6」韓国朝鮮語は
 いまも日本語より母音多く,喪失していないのに,もし日本語が朝鮮韓国語系であればは平安時代に喪失しているはずはない.もとがマラヨ‐ポリネシア系であるがために区別できなくなりやすかった. もとはマラヨ‐ポリネシア系だと思っています.これは素人の私見です. 
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この回答へのお礼

さっそくのご回答ありがとうございました。私の持っている本の中にはマラヨ-ポリネシア系という説は見当たらなかったので新鮮なご意見です。この次日本へ帰ったらまた本屋で日本語についての本をいろいろ買い込もうと思っています。

お礼日時:2001/04/11 01:45

全くのシロートです。



・定説はないようです。

・音韻規則などで日本語との親戚関係がキチンと証明されているのは琉球語だけのようです。

・朝鮮語やアイヌ語、そして、一時騒がれた、タミル語など、文法的に共通の特徴を持つ言葉は、中国を取り囲むように広く分布しているようです。

・朝鮮語からの借用語がかなりあるようですが、だからといって朝鮮語で万葉集を解読したなどというのはデタラメです。

・弥生人の言葉が殆どそのまま日本語に繋がったか、或いは、縄文人の言葉がかなり残ったかは、はっきりしないようです。しかし、弥生人の男性が少数で縄文人を征服し、縄文人の女を妻とした場合は、女(=母)の言葉が子孫に受け継がれる可能性が高いようです。そうでなく、女連れで、日本列島に弥生人が移民に来たとしたら、弥生人の言葉がそのまま残るでしょう。

・様々な研究から北海道(アイヌ)、東北北部と沖縄、九州南部には、縄文系の血がかなり濃く残っているようです。しかしアイヌ語と日本語との関係は上述のように、音韻規則による厳密な親戚関係が証明されておらず、琉球語(あるいは、琉球方言)には明確な親戚関係がある。これも謎です。
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この回答へのお礼

さっそくのお返事ありがとうございました。2年前に帰国したとき日本語関係の本をまとめ買いして、大野晋の本も新書版で3冊持っていることはいるのですが、大野氏の説だけを元にするのもと思って質問をしてみたのです。相変わらず定説がないことを確認できて助かりました。

お礼日時:2001/04/11 01:10

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Q人類が言葉を持つようになったのはいつごろですか?

人類が言葉を持つようになったのはいつごろですか?
鳥や動物も,鳴き声などで言葉らしいものを持つとされていますが,
もう少しレベルの高い合図の域を越えた言葉(会話など)を持つようなったのはいつごろとされているのでしょうか。

Aベストアンサー

言葉とは辞書には、「人の音声のまとまりで、その社会に
認められた意味を持っているもの。  感情や思想が音声
によって表現されたもの。   言語。」
とありますが、ここでは少し原始的な意味で言語で表現
します。
人類の言語能力の発達については、化石の研究からかなり
解ってきました。

馬場悠男著 「ホモサピエンスはどこから来たか」河出書房
によると
イスラエルで見つかった約6万年前のネアンデルタール人の
舌の骨で現代人と全く変わらず、言語発声能力ありと判断
された。(ケバラ舌骨)
ネアンデルタール人は約20~3万年前に生息したあと絶滅
したが、現代人の祖先のクロマニョン人もほぼ同じ時代に生き
同様と推定される。
その前の後期原人(約100~30万年前)は化石の咽頭の
スペースから本当の意味の言語はしゃべれなかったと解る。

発声と言語の違い。  動物でも発声で合図や指令は出来る。
これが進歩し、簡単な単語を発声してもそれだけでは言語
とは言えない。  単語と単語をつないで簡単な文法が
でき、語彙もある程度ふえないと言語とは言えない。
単語発声能力を得ても、言語能力に達するには、脳の発達と
学習が不可避である。
脳では化石からその大きさがわかり、以上を勘案し原人では
言語能力はなかったと判断される。

クロマニョン人は3~5万年時代は、装飾品を作り、葬儀も
行っていたので、好き、嫌い、嬉しい、悲しいといった
感情表現を、態度や行動で示していたと思われる原人と違い
音声で表現したと思われ、これが言語能力である。

ただその時代は長く、いつ頃の年代に言語能力を得たかは
不明で特定は難しい。  脳力だけでなく、学習が必要。

私は大移動が始まった10万年前代に初期言語能力を得たと
思います。  個人意見で定説はありません。

人類の情報伝達。
「初めに言葉ありき」 由来は違いますが真理でしょう。
言葉、文字、マスコミ(印刷、ネット)と進みましたがこの
先どうなるか。  個人の脳から直接他人の脳へ情報伝達。
これは逆行ですね。
最近脳の小さい小人族の化石が見つかり、彼らが言語能力を
持っていたとすると、経験、学習を積むことで可能になった
との考えも出来ます。

言葉とは辞書には、「人の音声のまとまりで、その社会に
認められた意味を持っているもの。  感情や思想が音声
によって表現されたもの。   言語。」
とありますが、ここでは少し原始的な意味で言語で表現
します。
人類の言語能力の発達については、化石の研究からかなり
解ってきました。

馬場悠男著 「ホモサピエンスはどこから来たか」河出書房
によると
イスラエルで見つかった約6万年前のネアンデルタール人の
舌の骨で現代人と全く変わらず、言語発声能力ありと判断
された。(ケバラ舌骨)
ネアン...続きを読む

Q人類はいつから言葉を使っているか

初歩的な質問で恐縮ですが……

人類はいつごろから言葉(文字ではなく、口頭)でコミュニケーションをするようになったのでしょうか?

Aベストアンサー

 
  これは、初歩的な質問などではないのです。たいへん難しい問題です。
 
  まず、「人類」とは何でしょうか? ホモ・サピエンスのことでしょうか? すると、ホモ・サピエンスのなかに、いわゆるネアンデルタール人も含まれます。ネンデルタール人は会話言語、知識伝達言語、思考言語を持っていたことは間違いないだろうとされています。ネンデルタール人は、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(HSN)といい、ホモ・サピエンス種の亜種です。化石的に一番古いのは、40万年乃至50万年前で、アウストラロピテクスと時代が重なっていて、漸進的に展開しました。これは古いネアンデルタール人ですが、新しいネアンデルタール人は、15万年ほど前から、数万年前まで存続していました。
 
  古いネアンデルタール人が言語を持っていたかどうか分かりませんが、ネアンデルタール人よりも二段階古い、化石人類である、ホモ・ハビリス(300万年から160万年前ほど)が、その大脳の内部痕跡形状から、二つの言語領野をかなり発達させていたことから、原始言語を持っていたらしいことが推定されています。ホモ・ハビリスは、ホモ・エレクトゥスよりも古い化石人類です。
 
  ホモ・エレクトゥスは、180万年前から40万年前ほどに位置しますが、言語をおそらく持っていたはずです。ホモ・エレクトゥスは、古い言い方では、ジャワ原人、北京原人、ハイデルベルク原人などです。
 
  ホモ・ハビリスは確か、知識伝達言語を持たなかったことが、ある化石個体の死因と、その死亡状態から推定されていたと思います(もう少し古い原人類だったのかも知れません)。すると、ホモ・エレクトゥス、確実には、新しいタイプのネアンデルタール人だとすると、40万年から20万年ぐらいということになります。
 
  二番目に、「言語」とは何かという問題があります。鳥や群集性哺乳動物のシグナル言語は言語なのか、高等霊長類の社会的言語は、言語なのか。エックルスの紹介では、ポパーは、ビューラーの三段階の言語に、もう一つ「議論言語」というものを加えて、四段階の言語を提唱しましたが、この四段階が全部揃った場合が、言語を持つと云うのか、または三段階で言語を持つと云うのか。最初の二段階は、鳥類や哺乳類や高等霊長類は備えているのです。
 
  四段階の言語とは、四段階の言語機能に対応するもので:1)表出機能、2)信号機能、3)陳述機能、4)議論機能、です。知識伝達言語とわたしが勝手に呼んだものは、陳述機能に属します。信号機能の言語では、後天的獲得知識の文化的伝達は困難だからです。特に抽象知識のそれはそうです。先のホモ・ハビリスが知識伝達言語を持たなかったというのは、知識伝達文化があれば、当然伝わっていた、非常に一般的な毒性食物を食べて死亡した個体化石の発見と、その死亡時の状態が化石から復元されたからです。
 
  なお、以上に述べているのは、1980年代の知見を元に、1980年代末に著された人類進化に関する参考書に基づいています。ホモ・ハビリスの化石事実は、別のもっと新しい資料に依拠しています。
 
  ホモ・エレクトゥスは保留するとして、大脳容積や、大脳の二つの言語領野の発達、また高度な伝達知識文化・技術を持っていたことから、言語を持っていたことは間違いのない、新しいタイプのネアンデルタール人としても、15万年から10万年ほど前のことになります。
 
  とりあえず「何時頃から」ということで、以上を回答にします。もっと古い原人にまで遡ると云う説は新しく出ているかも知れませんが、ネアンデルタール人が言語を持っていたということは、何が見つかってもまず動かないと思います。
 
  参考:ジョン・C・エックルス『脳の進化』1989・東京大学出版会
 

 
  これは、初歩的な質問などではないのです。たいへん難しい問題です。
 
  まず、「人類」とは何でしょうか? ホモ・サピエンスのことでしょうか? すると、ホモ・サピエンスのなかに、いわゆるネアンデルタール人も含まれます。ネンデルタール人は会話言語、知識伝達言語、思考言語を持っていたことは間違いないだろうとされています。ネンデルタール人は、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(HSN)といい、ホモ・サピエンス種の亜種です。化石的に一番古いのは、40万年乃至50万年...続きを読む

Q現在の日本人が話す日本語は一体何年くらい前の日本人とコミュニケーション

現在の日本人が話す日本語は一体何年くらい前の日本人とコミュニケーションが取れるのでしょうか?例えば、平安時代にタイムスリップしても果たして通じ合えるものでしょうかね?現在人の話す言葉には昔と比べて圧倒的に単語量が多いから通じ合える範囲は限られるのでしょうけど、

Aベストアンサー

言わんとしておられることはわかっているつもりですが、そもそも何をもって「コミュニケーション」とするかを考えると、明確な答えは出ないと思うんですよね。

例えば、私は接客業は通訳業も経験していて、明治生まれの祖父母とも同居していたので、正しい日本語を話していると自負していたのですが、10年あまり前に、首都圏の町内の会議でちょっとした意見を言ったら、老人会の方々に通じなかったのです。どうやら、たまたま「ピーカン」という単語を使うなどして、自分の日常について早口でまくしたてたのがいけなかったようです。町内会長さんが“通訳”をしてくださって、ことなきを得ました。

それに皆さんも、アナウンサーが話す言葉なら全国的に理解できるでしょうけれど、どこかの田舎に観光にでも行くと、声をかけてくれたお婆さんや、電車で見かけた不良高校生が話す言葉を一言も理解できない、なんてことがザラにあります。それだけ“内輪でしか理解できない言葉”を彼らは話しているのです。日常的にそれで済んでいるからです。

一方で私は言葉の通じない外国へ行くのが好きです。スペイン語の知識は皆無に等しいのですが、英語も日本語も通じないスペインやベトナムで、世間話から盗難届から苦情まで、コミュニケーションを難なくとってきました。奇をてらったことを言わなければいいのです。例えば初対面の人に会ったら、だいたい話すことは決まっています。「どこから来たのか」「家族は何人か」「ふるさとは広いか」などなど。それをベースに、知っている英単語「レッド」に似ているスペイン語の「ロッソ」を活用するなどして、会話ができます。逆に、とあるテレビ番組でこんな場面を観ました。一夫多妻制を続ける遊牧民の主婦たちの中へ入っていった日本の現代女性が「私は独身で、毎日働いています」と、通訳を介して笑顔で言ったのですが、何度説明しても相手は真意を理解してくれずに「かわいそう」と言って泣くのです。

前置きが長くなりました。江戸時代以前の書物は、話し言葉とは別物でしたから、私たちが古文の授業で朗読させられているものよりは、わかりやすい言葉をしゃべっていた可能性があります。また、方言がより濃厚に残っていたはずですから、その地方の方言に関する知識があるかどうかでも変わってきます。それから、その時々の政権の中心地が言葉に影響を与えていたでしょうから、江戸時代なら東京の言葉が参考になりますが、平安時代なら京都の言葉の知識があったほうが通じやすいでしょう。そしてこうした知識をベースに、あまり奇をてらったことを言わなければ、食べ物や着物くらいは買えると思いますよ(当時の通貨があればね)。

ちなみに私は言語学の専門家に、平安時代に使っていたと思われるイントネーションで古文を朗読してもらったことがありますが、それは昭和天皇の演説にそっくりでした。

言わんとしておられることはわかっているつもりですが、そもそも何をもって「コミュニケーション」とするかを考えると、明確な答えは出ないと思うんですよね。

例えば、私は接客業は通訳業も経験していて、明治生まれの祖父母とも同居していたので、正しい日本語を話していると自負していたのですが、10年あまり前に、首都圏の町内の会議でちょっとした意見を言ったら、老人会の方々に通じなかったのです。どうやら、たまたま「ピーカン」という単語を使うなどして、自分の日常について早口でまくしたてたのが...続きを読む

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Qそもそも日本はいつ始まった。

NYの学生です。日本について発表をすることになりました。日本っていつから始まったんでしょう?私自身の持っている断片的な知識では、「三浦半島に人が初めて住み始めた。最も古いヒトの足跡は約2万5千年前である」「619年施行の”飛鳥浄御原令”から、この国土は日本と呼ばれるようになった」っていうのがあるんですが、「一番初めの、そもそもの日本と言うのはこのように始まりました」と正しく言うにはどのように言えばいいでしょうか。どうぞ教えてください。

Aベストアンサー

 日本ができる、というのは、会社ができる、というのは性格が異なりますので、けっきょくそんな「起源点」はどこの国の歴史にも存在しません。要するに好きなところを区切って使うしかないのです。

(1)日本という島ができた
 500万年前くらい。

(2)この国土に人が住み始めた
 1万3000年前から1万2000年前くらい。

(3)確実な年号をもって文献に日本らしい国の様子が初出する
 239年(卑弥呼が魏に遣いせしむ)。

(4)大和朝廷によってはじめて日本に広域政権ができる
 4世紀後期ごろ。

(5)日本という国号の初出
 645年(日本書紀所収の詔勅)。

(6)明治維新(王政復古の大号令)
 1867年。現在まで継続する政権が誕生した。

(7)明治憲法の制定
 1890年。(6)をさらに法制的につきつめればこちらを重視する見方もありうる。

(8)終戦の日
 1945年。8月15日を境に革命が起り主権のありかが天皇から国民に移行したという学説が憲法学においては現在では有力なので(8月15日革命説)、これを採用することもできる。

(9)現行憲法の制定
 1947年。

そのほか政治的に大きな出来事(大化の改新、飛鳥遷都、奈良遷都、平安遷都、鎌倉幕府の成立、室町幕府の成立、江戸幕府の成立)のたいていは「ここで日本がはじまった」というふうにこじつけられます。ぜんぶ正しくて、ぜんぶ間違い。

 日本ができる、というのは、会社ができる、というのは性格が異なりますので、けっきょくそんな「起源点」はどこの国の歴史にも存在しません。要するに好きなところを区切って使うしかないのです。

(1)日本という島ができた
 500万年前くらい。

(2)この国土に人が住み始めた
 1万3000年前から1万2000年前くらい。

(3)確実な年号をもって文献に日本らしい国の様子が初出する
 239年(卑弥呼が魏に遣いせしむ)。

(4)大和朝廷によってはじめて日本に広域政権ができる
 4世紀後期ごろ。

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Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

Aベストアンサー

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれ...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q現代人が江戸時代以前の人と会話しても通じますか

 仮に,ごく普通の現代人がタイムスリップして,昔の人と会い,普通に会話しても通じるものなのでしょうか?
 江戸時代末期の人となら,何とか普通に会話できそうな気がするのですが,それより前の人は難しいのかなあ・・・と個人的には思っています(大正初期生まれの祖父母の話なんか聞いていると,明治時代や幕末期の人の口語は何となくイメージが湧きます。)。
 戦国時代,鎌倉時代,平安時代,奈良時代,古墳時代・・・とさかのぼるにつれ,会話は困難にいっそう困難になるとは思いますが,実際のところは,どうなんでしょうか?

Aベストアンサー

 日本語の最大の変化は平安期と鎌倉期のちょうど境目あたりで起っています。文法、発音、語彙がかなり変化しています。たとえば「花」を、平安時代前期にはファナ(パナ)と発音していました。「男」はウォトコです。二度目の、これよりややちいさい変化は江戸時代に入る直前、戦国末期くらいにおこりました(たとえば動詞の活用などかなり現代語に近くなってきます)。これ以降はほとんど現代語とおなじです。
 ですから、常識的にいって、江戸時代いっぱいまではたいがいの人が通じる。勘のいい人なら鎌倉時代ごろまではなんとか会話が成りたつのではないかと思います。それ以前となるとやはり専門知識が必要だろうと思いますが……。
 ちなみに言いますと、歌舞伎の台詞は多くの場合、文筆家が苦心惨憺して書いた美文であり、当時の話し言葉とはかならずしも一致しません。歌舞伎において古い江戸時代の話し言葉を残しているのは、たとえば黙阿弥をはじめとする世話物などでしょう。近松や南北、黙阿弥の世話の台詞は現代でもじゅうぶんに理解できると思いますが(役者の口跡がひじょうに悪い、というのは別にして)。

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q日本語と韓国語の類似性の起源は

韓国語を何気なく聞いていると日本語と思うほど抑揚が似ていると感じることがあります。このような日本語と韓国語の類似性はどこからきているのでしょうか。言語学的に何か共通点があるのでしょうか。又、どちらの言語が古いのでしょうか。日本語が韓国語に影響をおよぼしたということはあるのでしょうか。韓国語の中に日本語からきているものはあるのでしょうか。韓国語についてはほとんど知らない素人です。

Aベストアンサー

 発音が似ていることをおっしゃっていらっしゃるのかもしれません。
 似た単語がたくさんあるためです。
1、漢字が元になってる単語の発音は、元が中国語の発音ですので当然似ます。
  例えば、 その「中国」の発音は、 「チュングク」です。似てますね。
  ベトナム語も中国の漢字が元になってる単語が多くあるそうです。ベトナムを旅する番組を見ていて、お店の名前とかで「この発音だったら漢字で○○○じゃない?」と思ったら、ナレーターさんが「これは漢字で○○○だそうです。」と言って、私が思ってた漢字と合っていてビックリ。ということが何回かありました。

2、文法はとってもよく似ています。
  でも発音は、漢字が元になってる単語以外の単語の発音は全然違う系統の言語です。

3、朝鮮半島にはさまざまな国家・民族部族とさまざまな言語があったことはわかっていますが、それらがどのように合わさって今の韓国語になったのか、韓国語の成立は古い資料が無く、ほとんどわかっていません。
  ハングル文字の成立が15世紀半ばで、それ以前は意味だけを漢字で記していたので発音はどうだったのかは、ほんの少しだけしかわかっていません。
  古代のことばについてはなおさらで、韓国には古い資料がないので中国の資料で見ると、『魏志倭人伝』が載っている『魏書』の『東夷伝』の中の『高句麗伝』とか『弁辰伝』『馬韓伝』『辰韓伝』とかに、「隣り合う国のことばは解することが出来るが、さらに先の国のことばとは互いに解することが出来ない」「○国と○国の言語は同じからず」などと書いてあり、国ごとに違う言語があったことだけがわかっています。

4、韓国語の中に日本語からきてるもの、多量にあります。
  現在の韓国語は、「日本語漢語」という日本人が作ったメイドインジャパンのことばをたくさん使っています。
  御存知かとは思いますが、江戸時代以降日本では西洋の本を日本語にするためにたくさんの新しい日本語を作りました。特に幕末から明治に掛けてたくさん造語しました。主に漢字を組み合わせて作った物が多かったのですが、そういう言葉を日本語漢語とか、日本漢語とか言います。
  (御参考の本としては、『明治生まれの日本語』、『翻訳語成立事情』(岩波新書)などがあります。)
  例えば「新聞」ということばも、明治初期に日本人が新しく作りました。李氏朝鮮末期に朝鮮の王様は新しい文物を学ばせるため、たくさんの留学生を日本に派遣しました。
  彼らが朝鮮に帰って、日本人が作った日本式のことばをどんどん広めていきました。例えば、一番最初の留学組として日本に来て、戸山の陸軍学校で学んだソ・ジェピルが、朝鮮で初めての朝鮮人による新聞の発行を始めましたが、その新聞の名前は『独立新聞』(トンニプ シンムン)でした。
  「新聞」は韓国語では、漢字をそのまま韓国式に読んで「シンムン」と言います。
  中国語では「新聞」のことを、「新聞」と言わないそうです。「新聞」と言うと「ニュース」という意味らしいです。意味がちょっと違いますね。
  「恋愛」もこの頃日本人が作ったことばだそうです。
  
  「経済」ということばが、福沢諭吉が決めたことばなのは有名です。元々あった「経済」ということを英語のeconomyの翻訳語として使うことを決めたそうです。「経済」は、韓国語でそのまま韓国式に読んで「キョンジェ」です。
  「民族」ということばも、今の意味で使うようになってから、昔の中国から入って来た「民族」としての意味では全然使わなくなった日本漢語です。「民族」は、「ミンジョク」です。意味は今の日本人が使う「民族」の意味と同じで、古い中国式の意味はもはやありません。
  「哲学」も同じように、元々中国で使って広く漢字文化圏で使っていた意味ではなく、西洋のphilosophyの訳語に決めてからは元々使ってた意味では使わなくなったそうです。「哲学」は、韓国式に読んで「チョルハク」で、意味は今日本で使う「哲学」と全く同じ意味です。
  「民主主義」(ミンジュジュイ)も、「共和国」(コンファグク)、「憲法」(ホンポプ)、「大統領」(デートンニョン)、「国会」(クッケ)、・・・・・も日本人が作った日本式漢語で、韓国朝鮮の人が自国言語に取り入れたものです。
  日本漢語無しに今の韓国語は成り立ちません。日本人が作ったおびただしい数の日本式単語を使っています。
  「日本人が作った単語は使うのをやめましょう」とよくテレビで言っていて、「専門家」先生が選んだ日本漢語のいくつかが攻撃されていますが、日本人が作った単語を本当にやめたら韓国人はさっそくことばを使えなくなってしまいます。
  韓国は共和制の共和国ですが「共和国」の代わりの単語を急遽作らないといけません。「国会」の代わりのことばも急遽作らないと「国会」も開けません。「新聞」の代わりの単語も作らないと、「新聞」も出せません。文化放送(MBC)も社名を変更しないといけません。「放送」も日本漢語なので、放送局自体が放送を出来ません。「野球」(ヤグ)も出来ない。
  たまたま先月印刷しておいた韓国wikiの「日本製 漢字語」という項目がありました(最終変更2011年2月1日(火)00:06)ので、その中で見ると、
  「発明」「放送」「生産」「室内」「中心」「公園」「機関」「物質」「写真」
  「空港」「宿題」「冷戦」「血友病」「自動車」「鉄道」「酸素」「水素」
  「哲学」「教育」
  「文化」「経済」「自然」「社会」「大学」
  「継走」「都合」「民草」「洗面」「食傷」「曖昧」「立場」「前向的」「天井」「惑星」
  「~団」「~力」「~法」「~性」「~的」「~制」「~主義」「~会」などで作る単語
  が日本漢語の例として挙げられています。
  また、日本語の単語の漢字の表記をそのまま韓国語の漢字の発音に置き換えて韓国語として使っている単語の例として、
  「売り上げ」 → 「売上」(メーサン)
  「手続き」 → 「手続」(スソク)
  「小包み」 → 「小包」(ソポ)
  「手入れ」 → 「手入」(スイプ)
  を挙げています。
  こういう系統の韓国語だと、日本語の「品切れ」を漢字の「品切」の部分だけ韓国式に読んで韓国語にした、「プムジョル」という単語もあります。
  李氏朝鮮末期の留学生の後にもたくさんの留学生が日本に来て、日本を通して西洋の学問、文化を取り入れましたので、今更日本人が作った単語は追放しましょうと言ってもなかなか難しいです。
  あまりにもたくさん日本語から単語を取り入れた為におかしなことばもあります。外国のことを「海外」(ヘーウェ)と言います。が、日本なら外国イコール海の外ですが、大陸で、現実はともかく海を渡らなくても外国に行ける国が、外国のことを「海外」と言うのはいつも変だなぁと思ってます。
  また、1945年以降にもたくさんの留学生が日本に来て勉強し韓国へ帰って行きました。1965年の国交正常化の以前でもです。
  そういう人達が日本語から取り入れた日本語もたくさんあります。
  「成人病」(ソンインッピョン)、「大河ドラマ」(テーハドゥラマ)、「熱帯夜」(ヨルテヤ)・・・・など、新しい日本語を進んでどんどん韓国語に取り入れました。

  「部落」(プラク)ということばは日本語だから使うのをやめよう、と一部の人が言って今では放送禁止用語扱いです。「部落」(プラク)は集落、地区を表すことばです。日本では近年、特定の意味を持たせる傾向がありますが、集落・地域の意味としてまだまだ使われています。東北被災地のインタービューでも、何回か普通の人が集落の意味で使っているのを見ました。
  しかし、「部落」(プラク)は元々中国や朝鮮から日本に入って来た単語です。現存する朝鮮の最古の歴史書である『三国史記』には、何度も「部落」ということばが出てきます。意味は集落・地域・地区です。韓国には自分たちの祖先が書いた超有名な歴史書を広げて見たことがある人がいないようです。

  しかし、「成人病」「大河ドラマ」も「新聞」「民主主義」「大統領」「経済」「哲学」・・・・・、これらが日本人が作った、元が日本語だということを知ってる韓国人はほとんどいません。教えられていないためです。
  日本語専攻の人や日本に留学に来た人でも、これらのことばを元が韓国語で自分たちの祖先が日本人に教えてあげたもの、と思ってる人がいます。
  「新聞」「民主主義」「大統領」「恋愛」・・・が元は韓国語?いつ日本人に教えたの? と聞くと、「奈良時代の頃」だそうです。「新聞」や「民主主義」や「大統領」ということばが奈良時代にあったそうです。日本の文化は全て韓国人が教えてあげた、と教育されて育ちますのでこうなります。

 
 韓国語について一般人向けにわかりやすく書かれた本があります。もしよろしければ手にお取りになって見てください。
 大野敏明著 『日本語と韓国語』 文春新書 平成14年
    帯のことば: 海峡をはさんだ二つの国のことばの近さと遠さ
           「準備」「無理」「到着」「約束」「記憶」は韓国語でも「チュンビ」「ムリ」「トーチャク」「ヤクソク」「キオク」だ。・・・・日韓両国の歴史、文化、社会を言語を媒介としながら、楽しく読み解く。

 「結婚」(キョロン)も日本語から取り入れたことばだそうです。「結婚(キョロン)は日本語です!キョロンはやめて、婚姻(ホンイン)という昔からの単語を使いましょう!」とやってたのを思い出しました。

 発音が似ていることをおっしゃっていらっしゃるのかもしれません。
 似た単語がたくさんあるためです。
1、漢字が元になってる単語の発音は、元が中国語の発音ですので当然似ます。
  例えば、 その「中国」の発音は、 「チュングク」です。似てますね。
  ベトナム語も中国の漢字が元になってる単語が多くあるそうです。ベトナムを旅する番組を見ていて、お店の名前とかで「この発音だったら漢字で○○○じゃない?」と思ったら、ナレーターさんが「これは漢字で○○○だそうです。」と言って、私が思ってた...続きを読む


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