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私は今、カナダに留学しています。宿題で(個人的なアイデンティティーと書いてはいるのですが)日本人の信念・イデオロギーを書かなければいけません。英語ではなくて全然構わないのでなんと書けば良いか教えてください。

A 回答 (9件)

>なんと書けば良いか教えてください。


信念とかイデオロギーとかアイデンティティーとか言われると非常に困惑してしまう、と正直に書き始められては如何でしょうか。
日本人にとっては一番苦手な部分です。
キリスト教圏の人たちのように唯一絶対なるものの存在というものを日本人は受け入れてきていませんので、アイデンティティという言葉に相当する言葉を持ち合わせていません
まず最初にこのことをことわっておいたほうがよろしいかと思います。

キリスト教圏の教職者の方に向かってアイデンティティが無いというと誤解を受けますので注意して下さい。
欧米の教育では個の自立ということを非常に大切にします。
彼らにとっては、個の自立のためにはアイデンティティという概念は不可欠です。
つまり、アイデンティティあるいは信念が無いということは個が未熟であると受け取られてしまいます。

この辺の誤解を避けるためには、「和」というものを持ち出すのが一番安全かと思います。
アイデンティティに相当する言葉は持ち合わせていないが「和」という概念、言葉をもっているということを書かれてはいかがでしょうか。
「和」も本気で説明しようとすると相当に難しい概念です。
難しくは考えないで「仲良く」ぐらいの感覚で考えてまとめられては如何でしょうか。
「和」を達成するには当然没個性では不可能です。
単なる付和雷同になってしまい、それこそ無思想になってしまいます。

カナダではアメリカの野球は話題になってはいませんでしょうか。
ヤンキースに在籍していた松井選手のことは知られていますでしょうか。
彼が未だにニュヨーカーの間で人気があるのは「和」に徹していたことによります。
彼はホームランなどでヒーローインタビューを受けても必ず「チームが勝ってよかった、それに貢献できてうれしい」という言い方をして「オレのホームランで勝てた」とは絶対に言いませんでした。
ホームランよりも塁に出ることを最優先にしていました。
これも好感をもって受け入れられたようです。
ホームラン競争もできない低レベルの選手、というように位置づけられることはありませんでした。

サッカーでもこの辺のことはよく言われます。
日本人のプレーヤーは次の人がいかにシュートし易くなるかということを考えてパッスをすると言われています。
これに対して他の国の選手は、いかに自分がシュートするか、いかに目立つかを考えてプレーするといわれています。
体力で非力なナデシコジャパンの強さもこの点にあるとされています。

このたびの東北の地震でも、米軍の救援部隊の司令官が撤収に当たってお礼を言われた際に「お礼を言いたいのは我々の方だ、自分が被災者であるのにも関わらず、多くの人が我々の手助けをしてくれた、おかげで我々は任務をまっとうできた」と言っていました。

中国人がよく「個人であれば中国人は龍で日本人は豚だが、集団になると日本人は龍となり中国人は豚になる」と言います。

つまり、所属する集団の利益を最優先に考え、それにいかに貢献できるか、と考えるのが日本人特有のものの考え方のようです。
集団の利益を損なう言動すなわち「和」を蔑ろにする言動を日本人は本能的といっていいほど嫌います。

以上のように、文化というか発想の原点の違いを書かれては如何でしょうか。

これだけ「和」を強調すれば、それで立派にアイデンティティーを表明したことになるかと思います。

信念だのなんだのと、敢えて書こうとすると、年寄りが大好きな何やら儒教めいた右翼思想の塊のようなことになってしまいます。

注)
キリスト教では神と個人は1対1の契約関係にあります。
個々に神と契約した者同士が社会を構成していると考えます。
神との契約を間違いなく履行するためには個が充分に成熟している必要があります。
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座右の銘的なものは個人差もある。


あなた自身のアイデンティティーならば 自身で我が身を省みるしかない。
日本の伝統の根源的なところに目を向けて自分の考えで整理することです。

・自然への畏敬と感謝・・・神道につながる
・他人への思いやり・・・武士道的に言えば 惻隠の情
・いさぎよさ・・・責任感と身の処し方 他人に迷惑をかけないにもつながる
 -------------------------
新渡戸稲造「武士道」が参考になるでしょう。
日本人の宗教に置き換わる倫理観の根底は何かを起点にした著作
そもそも英文で書かれ後に和訳 さらに各国語に訳された。
世界の指導者に読まれ多くは素晴らしい評価を得ています。
日本の精神を世界に認識せしめた著作の一つ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Nitobe_Inaz%C5%8D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B8%A1% …
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宿題に「個人的なアイデンティティーを書け」と書かれているのですね。

でも、質問者様は周りの雰囲気から【日本人としてのアイデンティティーを書く必要がある」と感じた、ということでしょうか。

どういう学校に通っているか分かりませんが、そういう質問が出る、ということは、周りのクラスメイトも各国からの留学生ばかりなのでしょうか。
彼らは「自分たちのアイデンティティーを持っている」ように感じ、自分には無い、と思っているのでしょうか。

でしたら、その感覚は結構正しいです。

外国の場合、どこの国でもいいですが基本は「国への誇り」があります。外国へ留学してる人にとっては、たとえ自分の国が貧乏でも「だからこそ自分が学んで、よい国に作り変えるのだ」という強烈な自国愛とそして「自分が自国を変える」という強烈なアイデンティティーがあります。

そのような強烈な意識はほとんどの日本人にはないものです。

なぜなら、ひとつには日本が「国境」を有しない国だからです。地面に国境が引いてあれば「隣の国々と自国の違い」を意識せざるをえません。そこに「自国への誇り」がうまれる要素があります。
二つには日本には「国教」がないことです。カナダはキリスト教が目に見えない形で生きている国です。留学生の各国もキリスト教やイスラム教などの文化・歴史・宗教が渾然一体となった「その国のあり方」があり、自国と隣国との違いがそこにも影響していますし、だからこそ自国を誇りにおもうわけです。

このような経験は日本人はほとんどしません。日本国内に生まれ、日本語だけで生活していれば、隣国との摩擦や自国のアイデンティティーを考えることなど、せいぜい韓国との摩擦程度だけでしょう。

では、日本人にはアイデンティティーがないのか、といえばもちろんあります。

外国人にも分かりやすいアイデンティティーは、東日本大震災で世界が驚いた「他人への配慮」「我慢強さ」「打たれ強さ」です。
そして文句も言わず、地道に着実に復興させていく勤勉さです。

たとえては申し訳ないかもしれませんが、韓国の沈没事故の遺族のように日本人は泣き叫び殴ってまで抗議する人は少数派でしょう。
最近知りましたが、東日本の3週間前に起きたニュージーランド地震からの復興は、日本に比べて遅れているようです。ハリケーン被害のあったニューオリンズもなかなか復興していないようです。

日本人は我慢強く災害にあっても運命を受け入れ、嘆かず騒がず、一からやり直す民族であるといえないでしょうか。
まるで宮沢賢治の「雨にも負けず」のようではありませんか。

日本人はたとえば中国人や韓国人のように、外国に移民してコミュニティーを作るというのが少ない民族です。災害が多くても「この国にいるしかない。踏ん張るしかない」と考えているのが基本であると思います。

そういう日本人的な部分と周りの人々の「自国への思い」を比べてみれば、回答は書けると思います。
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>「努力は、必ず報われる」これが日本人の信念です


>最近は「がんばっている子に『がんばれ』と言うな」という主張をしたり、「がんばれ、と言われると腹が立つ」とか言う人が増えてきました。

論理展開が破綻してるぞ、オッサン。
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 「努力は、必ず報われる」



 これが日本人の信念です。


 だから日本人は、「がんばれー」と言います。言い続けてきました。

 多くの場合、これは「努力が足りない!もっと努力しろ」という意味ではありません。

 小旗を振りながら、マラソンランナーに「がんばれー」と言ったからと言って、「あなたはがんばっていない。努力が足りない。サボっているんじゃナイ!」と非難しているわけでは全然ないのです。

 非難するほどそのランナーの事を知っているわけではないし、非難したから溜飲が下がるというほど深い関係性もありません。一生懸命・がんばって走っているのを見て、むしろ「がんばっているねぇ」と感動して、「良い結果」を期待し、また期待させるために発する言葉です。

 「がんばっているあなたのいきつく先に、良い結果が待っているよ」「よい結果が待っていますように」という激励、声援、祈りなのです。

 キリスト教風に言うと、「神の祝福」を祈る言葉であり、映画風に言えば「フォースがともにあらんことを・・・ 」ということです。

 これを無視もしくは知らないで、最近は「がんばっている子に『がんばれ』と言うな」という主張をしたり、「がんばれ、と言われると腹が立つ」とか言う人が増えてきました。

 一般的な人(つまり他人)にとって、その子ががんばりを続けようと止めようと、どうでもいいことなのです、ホントは。がんばりを認めたが故に、「良い結果が待っているからがんばり続けなさい」と言うのです。

 「がんばれと言うな」とは、「勝手にしろ」「努力なんて止めろ」と言えということでしょうか、その子に対して無関心でいろということでしょうか、これまでの努力を嘲笑しろということでしょうか。

 「がんばれと言うな」とは、他人がその子のタメにしてくれた祈り、神仏の祝福を拒むことであり、「良い結果が来るのを拒む」言葉、行為なんです。

 悲しむべし。
 
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改めて自分自身を見つめなおして、信念とは? 難しいですね。



まず浮かぶことは。
(1) 内と外を明確に分けます。「あれ」と「これ」
これが、別の人が回答しておられるように「家」を大事にすることの理由になるかもしれません。

次いで、
(2)「仁義礼智信」を大事にすること。
おそらく、宗教の根本まで行くとこれに近くなると思います。
日本人の秩序ある対応、おもてなし、忍耐強い、などがあります。

(3)最後に、「天皇」の存在。
 (天皇は国民「大御宝おおみたから」の中心としておわします。国民の上に存在するのではなく。)
により、無意識の安心感からくる「自由な心と行動を大事すること」
そして、「自由な心と活動」は無遠慮には行わない。他人との軋轢を生むことをよく知っているから。

時として、それが「奥ゆかしさ」と「底知れぬ恐怖心」を他民族に与えているのだと思います。
そう、何をするか分らない日本人。「あれも、これも、いうことを聞いてくれたのに、なんでこんな事でキレるのか」です。

回答になっているかどうかわかりませんが、参考になれば幸いです。
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 強いて言うのならば、『家』を大事にすることでしょうか。


 日本人は『血』についてはある程度は拘りますが、何よりも重要視するのは『家』です。
 『家』とはつながりであり、絆です。郷に入れば郷に従え、つまりその『家』の決まりごとに従えという団体意識です。
 東日本大震災でも、日本人は『家』という集合体を守るために一致団結しました。江戸時代では『家』を守るために切腹もします。日本を守るために第二次世界大戦では自殺前提である特攻作戦も志願で敢行しました。これは外国にはあまり見られない傾向と言えます。
 ですので、海外では日本は外国人に対して差別的と言われますが、正確には日本に『自国のルール』を持ち込む人間に対して排外的なのです。
 
 ですので、日本人は移民に対して強い拒否感を抱いています。たとえば、身近でいえば中国人は移民してもその国でチャイナタウンを作ります。韓国人は移民しても自分たちだけのコミュニティーをつくりだし、あくまで韓国が祖国としています。
 彼らが大切としているのは中国人韓国人である『血』であって、その国の人間であるという『家』ではないのです。

 日本人が引っ越しや部署移動、転職をしたときにはあいさつ回りにいきます。これはその集合体の『家』を大切にしているからといえます。

 これで答えのヒントになれば僥倖です。
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>>◇日本人の信念はなんですか?



人、それぞれでしょうね。
個人個人によって、異なるのではないでしょうか?
また、「俺には、そんなものはない」「ただ、生きているだけだ」という人もいるでしょう。
僕自身には、「座右の銘」はありますが、これ、信念とは異なるように思いますね。
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>日本人の信念・イデオロギー


そんなものありません。カナダ人にはあるんですか?どこの全体主義国家でしょうか。
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