No.12
- 回答日時:
すみません。
思考が進んでいる中でなくもがなです。例によって単純化志向で、そんなことわかってるわいとか、また逆にかえって混乱させてしまうかもですが。>>宇宙は自分の補完です
私なりに解釈してみますと、大きく2通りの考え方があるように思います。
1)自分があって、宇宙がある。それではじめて世界は全きものとして存在しうる。
確かにこれはひとつの真実だと思います。自分がなければ、そもそも宇宙なんて存在しないんだし、自分とその自分が存在している宇宙という環境、舞台、その2項が世界のすべてだ、ということは可能でしょう。いたってまっとうな考え方だと思います。
2)>>貴方にとっては”宇宙は自分の補完”に過ぎないのではないか?
自分に対置する環境すべてを自身の投影としか見ていない、それが自身の限界なのではないのか という皮肉のようなコメント。ある意味 1)とは正反対の見方ですが、あるいはこういう解釈も可能か、と思って書き出してみました。
ご参考になれば。
こんばんは。ご回答をありがとうございます。
いやあ 全体として言って 分かりません。
○ 補完 / 相補性
☆ この用語についてわたしが分かっていないのかも知れません。ただ問題は そのような概念は 物質について言っているものと思うのです。人間は物質から成り立っていますが 物質そのものあるいは物質のみでもないと考えます。
なのに その物質についての事態を言い表わす《補完》を 《人間と宇宙との関係》に当てはめているのですよね。そこのところが分かりにくいです。
★ 自分とその自分が存在している宇宙という環境、舞台、その2項が世界のすべてだ、ということは可能でしょう。いたってまっとうな考え方だと思います。
☆ つまりそうだとしても この二つの事項が《補完》の関係にあるとは何を言うのか? これが分からないのです。
★ 自分がなければ、そもそも宇宙なんて存在しないんだし、
☆ これは 一面の真実ですが もう一面としては 《自分がなくても 宇宙は存在する〔かも知れない〕》のではないでしょうか。
そこで
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
2)>>貴方にとっては”宇宙は自分の補完”に過ぎないのではないか?
自分に対置する環境すべてを自身の投影としか見ていない、それが自身の限界なのではないのか という皮肉のようなコメント。・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《補完》って そういう意味ですか? 何だか違うような。《自身の投影》は 自分の関係のないものごとに対しても出来るように思うのですが どうでしょう?
ぶっきらぼうですが。
No.11
- 回答日時:
こんばんはー。
>宇宙と自分とは 取り立てて互いに《矛盾》していると見る必要もないと思うのですが?
これは、ブラジェロンさんが、こういう視点に興味がないことを示してますね。ただそれだけじゃないかと。
僕は興味があるし、取り立ててみなくても良いけど、現に違うとも見えるし受け取れる以上、そう見ても構わないですよね?
性格の違いです。
>なぜそのことを特別に取り立てなくてはならないのか。
これも性格、興味対象の違いです。ブラジェロンさんは、社会や国やそういうのに関心を持ってるように見えますが、それ以外のことに関心のある人もいる、ということです。
またそのことを特別に取り立てないなら、科学が発達できないです。
>そもそも《社会をつくり 社会において 社会(共同自治)としてともに生きる》と取り決めたのだから あとでわざわざ《補完》だと言われても 話の筋が違うように思われる。
これも性格の違いです。
例えば、取り決める、もうちょっと抽象的に意志決定することは、個人がするのでしょうか?
それはそうとも言えますが、そうではないとも言えます。
つまり状況が、そういう意志決定をするべき環境条件が整ってたから、主体的に意志決定したように見えて、実は環境によって受動的に意志決定させられた。つまり意志とは環境の産物である、という視点も論理的に正しいです。
こういうと、そんな見方になんの意味があるのか?と言われそうですが、そういう見方に関心のある人間が世の中には居て、そういう人たちが、ブラジェロンさんが多分あまり興味のない文化なり科学なりを作っています。
関心がないのなら、ほおっておけばどうでしょうか?
それができないのであれば、未知のものに対する不安、というまた別の問題になりますし。
>わざわざ《相補性》と言わなければ 宇宙とわたしは 関係しないのですか?
言わなくてももちろん関係してます。
ただ、そこを明示化し、意識化し、論理的に構造をはっきりさせることは意義のあることだと思います。
もっともそういう科学や数学のたぐいの文化は、いつどんなことに役に立つのかわからないし、できた途端すぐに役に立つお手軽レシピじゃないけど、即効性のある物じゃないですが。でもその有効性は、論理学数学はじめ、もう証明済みだと思います。
ブラジェロンさんは、やはりそういう視点なり、他人の性格に興味がないように思われます。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。辞書を調べてみました。
▼ (そうほ-せい 【相補性】)~~~~~~~~~~~
(三省堂「大辞林 第二版」より)
http://jisyo.search.biglobe.ne.jp/cgi-bin/search …
(1)ボーアが量子力学の解釈のために導入した概念。例えば量子力学では、粒子の位置と運動量は、不確定性原理から同時に精密に測定することができず、また物質は粒子性と波動性の二重性をもつなど、古典物理学では解釈できない互いに排他的な概念をもつ。しかし、位置と運動量や粒子と波の概念は互いに補完的で、両者があいまって完全な記述になる。このような性質を相補性という。
(2)一つの細胞内に突然変異を起こした染色体が二対含まれるとき、各突然変異体の個々の作用以上の機能の促進や形質の発現がみられる現象。
(3)核酸塩基のアデニンとチミン(またはウラシル)、グアニンとシトシンの間にみられる特異的対合の関係。遺伝子の複製・転写・翻訳・組み換えなどはすべてこれに基づいて行われる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり こういう内容が どうして《宇宙と自分(つまり人間存在)》とのあいだで見られるというのか それが分からないのです。
人間は 量子そのものではないでしょう。
相補性と言わないほうが 自然本性においてひとは 世界や宇宙と親和性を持つと感じられるのではないですか?
No.8
- 回答日時:
#3【お礼欄】
★ 補完
☆ はウソでしょう。ふさわしい言葉だとは思えません。
上記の意味が分りません。
ウソでしょう。ふさわしい言葉だとは思えません。ってどういう意味なんでしょうか?
何が何故何にふさわしくないのでしょうか?
私は#3で書いたように思っていますが。そのように実感もしていますが。
No.7
- 回答日時:
ごめんなさい2回投稿になって。
それで、宇宙があるというのは、あるいは物理が成立するのは、人がいる、自分が存在する、という天動説的な視点があらかじめあるから、観測対象としての宇宙が成り立ちます。
つまり物理学そのものが、ある意味天動説です。
人は、無意識無条件に、自分が宇宙を世界を観察してるんだ、という理由のない因果律における始点を、自分自身に設定して世界を見ています。
でもその視点&始点である人の存在、人が生きている観察している、と言うことなどの、無意識で無条件な前提が検証批判されると、
物理学や、宇宙があると言うことは、いくつかある事実の内の一側面ではないか? という疑いが生じることになり、
そのあたりから、相補性の概念も発生してます。僕の場合ですが。
No.6
- 回答日時:
追加
心理学での投影現象や、ミラーニューロンの機能も関係ありそう。
天動説と地動説のどちらが正しいか? という話も似てます。
相補性については、http://ja.wikipedia.org/wiki/陰陽
この図が示すような構図と感覚です。
一般的に、科学の論理構造などの2つの事柄をつなぐ因果律は、その解釈として2つの方向性を取ることができます。
ある因果律が、AとBを結ぶとき、その因果律の原因と結果は、A→Bなのか、B→Aなのか、どちらでも正しい、と言う意味だと思います。(つまりどっちも間違いでもある)
http://ja.wikipedia.org/wiki/虚偽の原因の誤謬
http://ja.wikipedia.org/wiki/前後即因果の誤謬
たとえば、ある出来事Aが起きて、つづいてBが起きるからと言って、Aが原因で、Bが結果だ、という因果の順番は確定できない・・・そうです。(いまいち自信がないけど・・)
冷静に考えてそう思います。
宇宙の中に自分がいるのか、自分がいるから宇宙があるのか、それはわからないし、共に正しく間違いじゃないでしょうか?
宇宙=人が認識する時空と物質とすれば、物理学のことにもなりますが。
その意味では、物理学や人の認知が、壮大な勘違いである可能性は決して消えないですし。
もう少しざくっというと、物理は、人間の感覚器官の性質を信頼した上で成り立ってるので、感覚の因果関係が疑われるとき、物理も成り立ちません。
科学の間違いについては、
科学では、仮説を設定して証明する=アブダクション、という論理的方法が採られています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アブダクション
の中ほどの説明
アブダクティヴな推論はそこで提起される原因が疑わしいので、「前後即因果の誤謬 (Post hoc ergo propter hoc)」という時間の前後関係を因果関係と混同した虚偽の論法に似ている。
が、上の前後即因果の誤謬 と相まって、最終的に、人間原理の主張にまで繋がってるように推測されます。
まあ、科学が壮大な仮説であることは前から言われてるところです。
つまり、論理の底が抜けているんです(と思います)。そしてだれも埋められません。(と思います)
だからこそ、このお題のような主張が正当性を持ちます。
(若干疑わしいですが)
常識的に見たら、どちらが主体で、どちらが2次的か? という話でしょか・・
単純に言って、主客顛倒の話? と言えるように思います。同一化とも関係在りそう・・
きり無いので止めます。 参照が全部wikiです・・
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/陰陽
No.5
- 回答日時:
追加
心理学での投影現象や、ミラーニューロンの機能も関係ありそう。
天動説と地動説の話も似てます。
相補性については、http://ja.wikipedia.org/wiki/陰陽
この図が示すような構図と感覚です。
一般的に、科学の論理構造などの2つの事柄をつなぐ因果律は、その解釈として2つの方向性を取ることができます。
ある因果律が、AとBを結ぶとき、その因果律の原因と結果は、A→Bなのか、B→Aなのか、どちらでも正しい、と言う意味だと思います。(つまりどっちも間違いでもある)
http://ja.wikipedia.org/wiki/虚偽の原因の誤謬
http://ja.wikipedia.org/wiki/前後即因果の誤謬
たとえば、ある出来事Aが起きて、つづいてBが起きるからと言って、Aが原因で、Bが結果だ、という因果の順番は確定できない・・・そうです。(いまいち自信がないけど・・)
冷静に考えてそう思います。
宇宙の中に自分がいるのか、自分がいるから宇宙があるのか、それはわからないし、共に正しく間違いじゃないでしょうか?
その意味では、物理学や人の認知が、壮大な勘違いである可能性は決して消えないですし。
科学の間違いについては、
科学では、仮説を設定して証明する=アブダクション、という論理的方法が採られています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アブダクション
の中ほどの説明
アブダクティヴな推論はそこで提起される原因が疑わしいので、「前後即因果の誤謬 (Post hoc ergo propter hoc)」という時間の前後関係を因果関係と混同した虚偽の論法に似ている。
が、上の前後即因果の誤謬 と相まって、最終的に、人間原理の主張にまで繋がってるように推測されます。
まあ、科学が壮大な仮説であることは前から言われてるところです。
つまり、論理の底が抜けているんです(と思います)。そしてだれも埋められません。(と思います)
だからこそ、このお題のような主張が正当性を持ちます。
(若干疑わしいですが)
常識的に見たら、どちらが主体で、どちらが2次的か? という話でしょか・・
単純に言って、主客顛倒の話? と言えるように思います。同一化とも関係在りそう・・
きり無いので止めます。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/陰陽
そうですね。
因果関係について 意外と認識の誤謬が起きる。言いかえると それほど相関関係があるのだけれど 一筋縄で因果関係を特定することはむつかしい。
つまりさように《宇宙と自分は補完である》という意味ですか?
自然環界は措いておいても 社会的な行為関係および交通関係が 互いに影響しあい連関してかつ構造的にも錯綜している。
と言えば済むことではないですか?
補完というのは その存在までもが 相互に依存しているといった意味がありませんか?
あるとしたら なぜそこまで言わなければならないのでしょう?
No.4
- 回答日時:
こんにちはー。
細かい説明は飛ばして、
1.即非の論理や、絶対矛盾自己同一などで言われる概念。
2.物理学と人間原理が、ペアを組んで相補的であることの言い換え。
等が思い浮かびます。
ご回答をありがとうございます。
★ 1.即非の論理や、絶対矛盾自己同一などで言われる概念。
○ 《宇宙は自分の補完です》
☆ 宇宙と自分とは 取り立てて互いに《矛盾》していると見る必要もないと思うのですが?
ですから その違い(隔たり)が 周り回って《同一》であると取り立てて言う必要もないのではないか?
そう言う必要があるとすれば それは どういう場合か?
★ 2.物理学と人間原理が、ペアを組んで相補的であることの言い換え。
☆ 《いくつ・いくら》という目で世界を捉える自然科学 したがって経験法則として理論化されるその認識。この中身について 《人間原理》は 《なぜ》そうなるのか。だからどうなって 《どうする》のか。を考えます。
このふたつの事柄が《ペアを組んで相補的である》というのが 《宇宙と自分とは補完である》という意味ですか?
わたしの感覚では そのために《ペアを組む》ことをしなくても もともと人間は自然環界の中に生きていると思われます。なぜそのことを特別に取り立てなくてはならないのか。
あるいは ではそのときには 社会という側面――人間どうしの行為関係あるいは交通関係という側面――については どうか? 《宇宙》という言葉に含まれているのだろうか? そんな言い方でいいのだろうか?
社会が宇宙に含まれているとして その社会と自分とが補完であるとは どういうことを言うのか?
たとえば分業が――およそ人類の社会にあっては一様に――始まってこのかた 分業ということはそれぞれの部分が互いに社会として協業しているということである。当たり前のことである。
だから どうだと言うのだろう? 《補完》と言ったって そもそも《社会をつくり 社会において 社会(共同自治)としてともに生きる》と取り決めたのだから あとでわざわざ《補完》だと言われても 話の筋が違うように思われる。
というのが わたしの感想です。
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