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浄土真宗で、「おかみそり」を受けますが、故人だけでなく、遺族数名も葬儀の中で「おかみそり」を受けました。おかみそりを遺族が受けなければならない理由を教えて下さい。

A 回答 (3件)

回答になるかどうか・・・一応URLを貼り付けておきます。



私も「浄土真宗」ですが「おかみそり」とは初めて聞きました。ちょっと興味があったので、ホームページ等を調べてみたところ、このURLにぶつかったというわけです。

参考URL:http://www.gokuraku-net.org/teraisan/butuji/kata …
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この回答へのお礼

早速の回答、ありがとうございます。やはり地域柄でしょうか。葬儀で故人に対しおかみそりの儀があり、その後に、導師が遺族席に行き、半紙を4つ切りにしたものを渡されて、頭と半紙をかみそりでなぞるようなことが行われます。だからって、遺族が法名を受けるわけではないので、おかみそりを受けたとは言えないような気もします。うーん、だったらあの行為はなんなのか・・・。やっぱりよくわかりません。

お礼日時:2010/09/24 00:58

問:おかみそりを遺族が受けなければならない理由を教えて下さい。



答:遺族が、おかみそり(帰敬式)を受けなければならない理由はありません。

  浄土真宗では、阿弥陀如来に帰依し、親鸞聖人のみ教えを聴き、仏教徒としての自覚を持って生きて行こうとする人に「仏弟子」として法名を授けます。
  この儀式が帰敬式(おかみそり)です。お坊さんになる「得度式」とは別です。
  したがって、おかみそりを受けるのは、上記の自覚を持ち、おかみそりを望む、生きている人でなければ意味がないのです。

  帰敬式は、主に本山で、ご門主(ご門主が不在等の場合は、予め決められている代行の僧侶)が行います。

  ただ、生前に帰敬式受けることなく亡くなった方については、葬儀の際、導師のご住職がご門主になり代わって「おかみそり」を行うのです。
  生存者に、ご門主(代行)以外の僧侶が、おかみそりを行うことはありません。できないのです。

  浄土真宗には、本願寺派(西本願寺)、大谷派(東本願寺)など10派があり、それぞれに本山があります。
  そのほか、10派のどこにも属さない単立の寺院があります。
  そのような単立の寺院ならば、その寺院のご住職が「おかみそり」をとり行うことはあり得ます。

  しかし、「おかみそり」の意義を知らない人に形式だけの儀式をするということは、普通ならば考えられません。宗祖親鸞聖人のみ教えに沿うことではないのです。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。
宗派は本願寺派でした。きっとおかみそりを受けられたのは
故人だけだったのでしょう。
遺族席に行って半紙を持たせ、かみそりをあてたのは
何か別の意味があるように思えてきました。
法名は故人だけがいただいたので。(当然といえばとうぜんでしょうが)

引き続き、その意味を探ってみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/25 20:03

単に家の宗旨が真宗大谷派というだけの者です。



おかみそり=帰敬式は、少なくとも真宗大谷派では、「受けなければならない」ものではありません。

もちろん真宗内の他の派、地域、あるいは、ある特定のお寺さんでどうか…は、体験からは語れませんが、99.99%、普通に考えて、真宗○○派のどこでも、おかみそり=帰敬式は「受けなければならない」ものではないと思います。(絶対か?と言われると、確かに、全ての直接経験はありませんが…)。

真宗の場合、他力なので、門徒が普通にしゃべった場合「お寺にお参りさせて頂けた」のように、文の主語が自分ではなかったりと申しますか、受動態、受身形、感謝な、言い回しになり、そういう文法、言い回しが耳慣れていないと、もしかすると??かも知れません。

これは他のご宗旨であれば「ご縁があって…」が近いかもしれません。偶然(が必然となって)と言うのが近いかも。今ここに生きていられること自体が奇跡だなぁ、感謝、みたいな。

が、主語-述語を、真宗以外の日常会話的に、戻すと、帰敬式を受けたいなと、自分が思った場合、たとえば、真宗大谷派の場合であれば、京都にあるご本山の東本願寺に自分で行って、申込書に記入して、懇志1万円を納め、無料のお茶など飲んで、しばらく待ってから、案内されて、受けます。

つまり、普通の主語-述語で記述すると、

何か、家に電話がかかってきて勧誘されるですとか、そういうことは一切ないですし、何の強制もないです。

あくまで思い立って、自分で行って受けるものです。

京都にあるご本山の東本願寺から見たら、さすがに全国の門徒さんを、把握しているわけもないから申込書は自分で書くことになりますね。

そうすると、結果的には、法名を毛筆で書いた半紙が頂けるという特典(?)が付いてくる(?)というように、まあ、形としてはなりますが(法名の代金として一万円支払って購入した…というわけでは宗教としてはありません。あくまで帰敬式の懇志1万円です。)…

では、完全に自分の自由意志100%で、帰敬式を受けたり、法名を頂いたりしていなかったりした場合、何か不都合があるのか???というと、世俗の生活(?)と申しますか、信仰とか宗教とかを考えなかった場合、自分の信心、心の問題の外には、現実的には、なーーーーんも、ありません。

受けたい人が受ける。

受けたからといって、それ以上でもそれ以下でもないです。

受けなかったからといって、現実的には困りません。

本当の宗教とはそういうものだと思います。

たとえば、命終までに、少なくとも一回は心の底から南無阿弥陀仏と称えないと極楽には行けませんよというような、カルト宗教みたいなことはそもそもないわけで、むしろ、急に、心臓麻痺になったら極楽に行けなくなるんだったら困るじゃん、そういう人は救われないということはあり得ない、というのが伝統的な、真宗のお寺です。

(誰でも真宗を勝手に名乗ることはできると思いますから、真宗を名乗るカルトなら、あなたはこのままでは地獄行きですので、一億円私に払わないといけないです…とかあるのかも知れませんが、京都の本願寺とかではそういうことはあり得ません)。

法名の名刺を持っていたら、京都の東本願寺のお参りは無料とか、そういう俗世間的な特典はありません。そもそも、元々、無料ですし。お賽銭箱はありますが、まあ、誰も入れてないでしょう(^0^;)。別途、完全任意でたとえば報恩講に自ら行きたくてわざわざお参りすれば、報恩講志と書いた金封に3千円とか包むことは「たしなみ」としてはもちろんあり得ます。

が、命終までに、帰敬式を受けていない人が、非常に多いのが、帰敬式がまるっきり、まったく強制ではない証拠です。

なので、お葬式に、すでにお亡くなりになられている方が帰敬式を受けられるわけです。

本来は、生きている間に自分で受けにいくものだから、死んでいたら駄目、という、そういう強制が一切ないからこそ、すでにお亡くなりでも受けられるのです。

ここから推定しますに、お葬式を真宗のお寺さんに、真宗式でやってください、では、これこれこうします、それでお願いします…と、なかったら、多分、お葬式で、お亡くなりになられた方のおかみそりも強制ではなく、葬儀社で何か別のプランでお葬式をして、お墓に…というのはアリなのではないかと思います。

私見ですがご参考まで…
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