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「他者に勝つ喜び」の実体とは何か?
我々は、出世競争から、テレビゲームまで、
ありとあらゆる場面で、他者を倒している。
また、それを喜ぶ。(特に男は女を獲得する競争まである)

話を動物の「猿」に投影してみよう。
ボス猿は、たくさんのメスを囲い、弱いオスは
隅で自慰行動しているのが、いい例である。

いったい、この喜びの実体とはどういう物?で、
どう付き合っていくべきなのか?

A 回答 (9件)

 


>その実体とは、根源的な生命的な衝動が、社会行動?に直結しない、
>社会性の乏しい意識への他律的社会行動化である」が正しいのかなと思いました。
>社会とは「助け合うために集まったもの」であり、我々の身体の細胞群も同様ですね。

自分で答えを用意しているなら、質問する事ないんじゃないの?
 
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勝っていると思えるのは今自分が生きているからだとすると、それは自分が死なないで済むということになるのではないでしょうか。

墓掘り人を喜々として仕事にしている人にどうしてそんなにうれしいのですかと聞いたら、墓を掘っている限り自分は死なないからと答えたという話があります。勝ち負けでも負けている限り死なないと思えば負けることもあるいは喜びになるかもしれません。負けるが勝ちなどということわざもあります。ただ負けが死を意味することも多いので勝つことが望まれることが多いのではないでしょうか。オリンピックは参加することに意味があるというのも実際の戦争ではなく模擬戦争だから言えることで、そもそも古代オリンピックの目的が、このことと関係があると思います。
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生存本能。


それ以外にありません。
生物は生き残りの闘いに日夜明け暮れる存在です。
勝たねば負ける。巻けたら死ぬ。死んだら存在が無になる。
勝つことが生き物に課せられた唯一最大の使命だとして間違いはありません。
勝てば喜びがある。これが生き残った生命に与えられるご褒美なのです。
負けたものには死の恐怖と絶望が罰ゲームとして待っています。
性を謳歌し、生を喜ぶために闘い、勝つことを前提に闘う。
世の中に戦争が絶えない根本の理由でもあります。
情けないけれど、これがぶっちゃけた真実です。

>どう付き合っていくべきなのか?
仏様になるしかありません。
中国には負けてやりましょう。
口で勝てる自信がなければ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この質問の回答は「その実体とは、根源的な生命的な衝動が、社会行動?に直結しない、社会性の乏しい意識への他律的社会行動化である」が正しいのかなと思いました。社会とは「助け合うために集まったもの」であり、我々の身体の細胞群も同様ですね。ご回答、参考になりました。ありがとう。

お礼日時:2010/09/30 00:02

実態とは商品を獲得する喜びじゃ。



参議院選挙に勝つ:議員年収と千代田区のオフィスと秘書を獲得。
全米ゴルフに勝つ:賞金○万ドルと来季のシード権を獲得。
国立大学就職試験に勝つ:一生の固定給保障と研究環境を獲得。
恋かたきに勝つ:恋人を獲得。
テレビゲームに勝つ:自己の有能感を獲得。

なにも獲得しない勝利ってものもが有ったら教えてほしいな。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この質問の回答は「その実体とは、根源的な生命的な衝動が、社会行動?に直結しない、社会性の乏しい意識への他律的社会行動化である」が正しいのかなと思いました。社会とは「助け合うために集まったもの」であり、我々の身体の細胞群も同様ですね。ご回答、参考になりました。ありがとう。

お礼日時:2010/09/30 00:03

 今投稿しましたが同じ人への投稿なんですね。


 
 猿さんの場合は存じませんが、やはり種として存続原理に押されているんではないでしょうか?
 人の場合もそういう原理が働いていると思いますね。
 更に人の場合は、認知や確認っていう性能が猿さんより強いですね。
 で、自己という存在の確認や認知をしたい、っていうことになるんでしょう。
 それが、他者を押しのけても自己を持ちたい、ということに繋がると存じます。
 同じ質問をしておられたのですか。やはり拘っているテーマ問題ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この質問の回答は「その実体とは、根源的な生命的な衝動が、社会行動?に直結しない、社会性の乏しい意識への他律的社会行動化である」が正しいのかなと思いました。社会とは「助け合うために集まったもの」であり、我々の身体の細胞群も同様ですね。ご回答、参考になりました。ありがとう。

お礼日時:2010/09/30 00:04

同一質問者により、同様の質問がなされています(↓)。


ご参照下さい。

http://okwave.jp/qa/q6184228.html

この回答への補足

「根源的な生命的な衝動」て、一体なんでしょう?
おそらく「助け合う気持ち」だと推測いたします。

例えば、バス乗り場で、迷っている人を見かけたとき、
「どの乗り場か、わかります?大丈夫?」と言ってしまうこと。
車いすで段差にひっかかって動けない人を見かけたとき、
後ろから「大丈夫ですか?」と言って押してあげること。
こうした「直接的」なものの拡大として「間接的」なもの
も該当すると思います。それは「会社で働くこと」が一般的
であるが、そのへんの認識が誰しも困難であり、
「お金のために働く」と豪語する人がほとんど。
なにせ会社は中央集権的な恐怖政治ですから。

補足日時:2010/09/30 00:24
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この回答へのお礼

ご指摘、ありがとうございます。

重要なポイントは「根源的な生命的な衝動が、社会行動?に直結しない、
社会性の乏しい意識への他律的社会行動化」だと思いました。

お礼日時:2010/09/29 23:54

遺伝子にこう刻まれているんです


「より強い遺伝子を残せ!」
そしてこの命令を実行させるには競争で打ち勝ったら快感を感じるような
体にしてやればいいわけですよ

そうすればひたすらオナニーする猿の様に
自ら競争し打ち勝って快感を味わい続けるわけですね

「子孫を残せ」という命令を自律的に実行させるために
SEXに物凄い快感を感じるような体にしたのと同じ理屈ですね

しかし!
人間における「他者に勝つ喜び」の実体とは
他の生物のそれとは少し違うかもしれませんね

人間はなぜ生まれて何の為に生きるのか?
この答えはきっと何の意味もないが答えでしょう
生物的にはもちろん子孫繁栄とか生存本能とか意味はあるんでしょうが
人間的な意味はきっとないでしょう
例えば運命とか宿命とか?
何らかの使命持って生まれたとか?
きっとないでしょう・・・

しかし、人間にはそれが耐えられないんですね
なにか意味があってほしいんです
そうでないと自分の人生の意義に悩んでしまう人間には
無意味な人生を歩むことは不安で堪らないんです

そこで意味がないなら作ればいいという発想になるわけです
誰しも経験があるんではないでしょうか?
誰かに必要とされたい
俺はこの為に生まれてきたのか!と気づけた時の幸福感
(これは中々味わえないかな・・・)

要は思い込みでも勘違いでも後付けでも何でもいいんですよ
存在意義がほしい!

そのために人は競争しているような気がします

ナンバーワンにならなくてもいい元々特別なオンリーワン♪
という曲がありましたが
オンリーワンじゃダメなんです
人にそれを認められ必要とされなくては!
しかしナンバーワンは認めてもらって必要とされます
だからナンバーワンになりたいんですね
これは無意識の行動かもしれません
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この回答へのお礼

なるほど!
ご回答ありがとうございます。

この質問の回答は「その実体とは、根源的な生命的な衝動が、社会行動?に直結しない、社会性の乏しい意識への他律的社会行動化である」が正しいのかなと思いました。社会とは「助け合うために集まったもの」であり、我々の身体の細胞群も同様ですね。ご回答、参考になりました。ありがとう。

お礼日時:2010/09/30 00:05

人間には、2つの大きな欲望があります。


絶対依存と全知全能です。

生まれたばかりの赤ん坊は、何かをして出来なかったと
いう経験がありません。また自分と他者との認識もできません。
つまり、自分が世界であり全知全能であり神なんです。

成長に従って自分の肉体の存在を知り出来ないことがあるのを
知ります。これは、とてもみじめで屈辱的なことなんです。

山の頂上に立ったり、他者に勝ったり、車でスピードを出したり
して、赤ん坊のころの全知全能感を取り戻そうと
しているんです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この質問の回答は「その実体とは、根源的な生命的な衝動が、社会行動?に直結しない、社会性の乏しい意識への他律的社会行動化である」が正しいのかなと思いました。社会とは「助け合うために集まったもの」であり、我々の身体の細胞群も同様ですね。ご回答、参考になりました。ありがとう。

お礼日時:2010/09/30 00:05

それは君が人間になったっていう証さ

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

この質問の回答は「その実体とは、根源的な生命的な衝動が、社会行動?に直結しない、社会性の乏しい意識への他律的社会行動化である」が正しいのかなと思いました。社会とは「助け合うために集まったもの」であり、我々の身体の細胞群も同様ですね。ご回答、参考になりました。ありがとう。

お礼日時:2010/09/30 00:05

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