
スピリチュアルでは魂が汚れているから
欲などの汚れを浄化するために世に生まれて
くるような事を読んだ記憶がありますが、
今までの職場などで、他人を鏡のように見て、
他人の評価を異常なほど気にする人や、
人の輪の中にいる自分に酔いしれて、自己
満足したり、愛されたい、褒められたい、
認められたい、という欲の臭いがプンプン
する人達が大勢居ました。
出来るだけ避けたり逃げたりして来ましたが、
避けると余計に寄ってきて嫌がらせをしたり、
怒りをぶつけてきたりされた経験が数多くあり、
時々そんな嫌な思いがフラッシュバックして
物を叩いたりとかしてしまう事もありますし、
学生の頃から、それによって人生を曲げられて
しまった部分もあります。
心理学を学びカウンセラーの資格を取りましたが
特効薬のようなものはありませんでした。
前置きが長くて申し訳なかったですが、一つ目の
質問は、スピリチュアルは私は専門外ですが、
江原啓之さんの本で類魂と言って、魂は幾つかの
グループに分かれていて、この世には様々な魂種
が混ざって生まれてくると聞きましたが、
先に言った種類の人たちは魂種が違うと考えて
良いのでしょうか?
二つ目の質問は、それらの人を上手に避ける方法、
おまじないやお祈りなど、なんでも良いので、
あれば是非教えて頂きたいと思います。
宜しくお願い致します。
オンリー純子&オンリー純助
A 回答 (8件)
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No.8
- 回答日時:
私も同じような悩みを抱えているので、辛いお気持ちよくわかります。
私の場合は、嫌だなと感じる人から好意を持たれたり、
一度きつく当たられた人と再び接するのがとても心の重荷でした。
存在自体が不快なのですよね、自分にとって。
「生理的に嫌だ」とかよく言いますけれど、
利己的な感情ではないかと考えられる面もあるから、
周囲の人に相談もできないし、本当に辛いですよね。
私も何度も逃げたり、そっけなく対応したり、
はたまた緊張しながら対応したりしていました。
時には怒りの心、恐怖心もありました。
でも、やはり、何か学ぶところがあって出会っているのだろうと思って、
ホオポノポノの言葉を唱えたりしていましたが、
これといった変化はありませんでした。
どなたかが回答されていたのですが、私の場合、
その人の幸せを願うようになったら、ふっと心が楽になりました。
五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」もおすすめです。
嫌なことには「ありがとう」、良いことには「感謝します」
それに付け加えて、その人が幸せでありますように。
周囲の嫌な人のために、自分の心を汚すのは本当にもったいないので
私は上記を実践しつづけています。
実際に、疎遠になるとか、すっかり仲良くなれたという経験もあります。
そして、一度そうなると不思議と前のようには戻らないので、
「ありがとう」の言霊なのかなあと思っています。
質問者さまも自分にあった方法と出会って、
毎日が自由に楽しく過ごされますようにお祈りしております。
No.7
- 回答日時:
あなたが嫌悪している人たちは、要するに未熟で幼い魂だということです。
しかし人を見下す前に、まずは自分の心を見つめてみませんか?
あなたは、「大切な人は宝物で、それ以外は道端に転がってる石ころ(やゴミ)」と言います。自分に都合の良い人は大事で、そうじゃない人はどうでもいい。
厳しいようですが、それは単なる利己主義というものです。
江原さんの本を多少お読みになったのなら、「波長の法則」というのはご存知でしょう?
類は友を呼ぶ。人をゴミや石ころなどと見下して悪い想念を放っていると、その低い波長がまた更に低い人たちや出来事を呼んでしまいます。
あなたがその人たちと出会ったのも偶然ではありません。あなたがしょっちゅうそういう人たちと出会うのは、自分の欠点や間違いに気づきなさいよというメッセージなのです。
あなたに絡んできた存在価値が無いと思われる人間。しかし、「ああいう人たちが居たおかげで自分は成長することができた」「あの人が自分を成長させてくれた」と感謝できるようになる日がきっと来ます。
蓮の花は、泥の中で養分をたくさん吸収して綺麗な花に育っていくそうです。
何の価値も無さそうな汚い泥だったけど、その泥のおかげで綺麗な美しい花になれたわけです。
「あなたとその人たちは魂種が違う」と言って欲しいかもしれませんが、みんな互いに影響し合って向上しようとしている同じ仲間、同胞、類魂です。
No.6
- 回答日時:
専門家ではありませんので、参考意見として頂けましたら幸いです。
私は「魂の学び」のために人生があるのだと思っております。
今まで色々な書籍を読んだり自分の経験上、そのように考えるようになりました。
従って、人生で無駄なものは一つも無いと考えます。
「無駄」と考えた瞬間に「無駄」になるのではないでしょうか?
人生は学びの場ですので、当然嫌な出来事や嫌な人との接触があります。
これは、どんな人でも経験するはずだと思います。
大切なのは、「嫌な事にどのように対応するか」、「そこから何を学ぶか」ではないでしょうか?
私は以前、病にかかり2年ほど休職しました。
正直、死にたいと思ったこともあります。
しかし、今になってみますと、病になってみて初めて健康の有り難さに気が付きました。
本当に私を心配してくれる人が誰なのか分かりました。
(上辺だけの「友人」は困ったときに知らぬ振りでした・・・)
人間関係にてお悩みなのはお察し申し上げますが、私の経験上、嫌なことから一時的に
「逃げた」としても、必ず「課題」は再び訪れると思います。
人生最悪の「逃げ」は自殺だと思いますが、自殺とて「課題」から逃げられないと
個人的に思います。
つまり、来世にて同じ「課題」、もしくは更に重い「課題」が待ち受けている気がします。
一度の人生の中でも同じことが言えると思います。
さて、私の考えだけお伝えしても解決策にはなりませんね。
今からでも実行可能な方法をお伝えします。
それは嫌な人の「幸せを祈る」ということです。
この「幸せを祈る」という思い、行動がミソなのです。
「〇〇さんが幸せになりますように。〇〇さんがとても優しい人になりますように。」
などの思いを持ち続けると、不思議なことに、嫌な人は自然と遠ざかります。
実際に私自身が経験しておりますので、効果はあると思います。
この方法のメリットは更にございまして、他人の幸せを祈っているにも関わらず、
自分自身にも幸せのお裾分けがあるということです。
嫌な人の幸せを祈るなんて、感情的に難しいかもしれませんが、少なくとも
そのような心を持てたら、魂の学びに繋がるとは思いませんか?
お悩みが早く解決されることをお祈り申し上げます。
No.5
- 回答日時:
>出来るだけ避けたり逃げたりして来ましたが
弱いなぁと言うのが正直な感想。
霞み食って生きて行ける訳でもなし、人の世に生きる以上は、様々な人と接し、見聞きするのは避けられない訳で、正視できないのは、己の心が揺さぶられ、逃避観念に駆られるからでしょうね
ある意味、苦界とも言える現世に生を受けて生きている意味は、心の鍛錬かな?とも思いますが、そこから逃げては何の意味も無いような気がします
動じない強さを身につけるのが、生のひとつの意味かなと思いますので
>江原啓之さんの本で類魂と言って、魂は幾つかのグループに分かれていて、
>この世には様々な魂種が混ざって生まれてくると聞きましたが、
確かにタイプがあるのは事実のようです
この道の師匠たちは、様々な表現を使いますが、みな共通してタイプの違いが存在すると述べています
数年前から劇的にスピリチュアルの感度が上がりまして、場のエネルギーなどを更に強く感じるようになりました。
多少その手のものが感じられると自負しています
確かに自分に波長が合うタイプのものとそうでないものがあります
ある方の方言を借りれば、私は大日如来系=天照系=太陽系の分け御霊だそうです。
従って、西日本が本来一番波長が合うといいますが、だからといって関東では駄目な訳ではない
太陽系等のパワーの充足を欲しても、なかなか気に入るところがないという意味です。
理由はスピリチュアルな本質のタイプの問題で、実際体感・実感してますので時折西日本に旅行して英気を養っています
端的には単なる気分の問題ですけどね、気分が高揚するのは確かです
ただ、スピリチュアルは鵜呑みにしてはいけないと思います
常に疑いの目、検証の目を持って、散々試すコトが必要で、常に柔軟思考であり、わずかな変化・ほころび・論理破綻も見逃さないことが重要だと思いますよ
恐らくタイプの違いは、星に関わりがあると睨んでます
最古の文明がどれも宇宙や外界から、英知と生命がもたらされたと伝承しているからです
最古の文明のひとつ、シュメールの伝承では、人は宇宙からやってきた神々(つまり宇宙人)が、サルを改良して人を造った....最初の人類はサルから帝王切開で生まれたとしていることは興味深い
この回答への補足
いえ、イジメや摩擦、喧嘩などが、辛くてどうしようも
ない訳ではなく、私は極端な人間で、大切な人は宝物で、
それ以外は道端に転がってる石ころにしか感じないので、
要するに石ころやゴミと話をして、摩擦して、喧嘩をして
るような気がして、時間とエネルギーを虚しく消費している
気がします。それだけです。
No.4
- 回答日時:
それでは再質問にお答えします。
>この世でも摩擦がなく静かに生きたいので
すが、そうゆう生き方を選ぶ自由というのを
求める権利は我々にはないのでしょうか?
人間には自由意思があります。この世でどのように生活するかを選ぶ権利があります。何事も自己責任で自由に活動して良いのです。しかし、どんなことをしても、結局苦しみから離れられないならば、それは自分の後ろ盾となる霊界が、いや、無意識の中の隠された本当の自分が、自分を苦しみの方にわざと追いやっているんだということなのです。そのことによる諦念がスピリチュアリズムを学ぶことの意味なのです。どんなにじたばたしても苦しみから離れられないと絶望する時、事の真相を知っていれば絶望せず前向きな気持ちで仕方なしと諦められるのです。そういった精神のタフさこそスピリチュアリズムを学ぶことの意味なのです。
だから、この世でも摩擦がなく静かに生きたいと思うのは自由です。権利があります。だから自由に行動して下さい。むしろそれが学びを呼ぶのです。学びは向上したいと意識的に願う必要のものではありません。向上したいと思わなくても、自然体で生活することが自然に適切な学びを呼ぶのです。むしろ背伸びした動機で生活することは最適で効率的な学びを呼ぶとは思い難いと思います。私でさえ、別に向上ばかり意識して生活している訳ではありません。今日は何かおいしい物でも食べたいな、とか、普通に考えております。でも結果的にそうなるかどうかは(現世の)質問者様が決めるのではないのです。そして、苦しみから離れられないと絶望しそうになった時、事の真相を把握していれば、潤ったままの気持ちで居られるのです。
>昔からですが、静かにしてても周りが絡み
付いて、ノーと言えば言うほどハードな
摩擦が起きていた経験があります。
まずこれは、精神のタフさを向上する訓練なのだろうと思います。もし、心が他人の動きに動じず、びくともしなかったら、リラックスした心で、あなた本来の能力を発揮して対応出来ると思います。ですが、恐怖はあなた本来の能力をことごとく閉ざしてしまいます。恐らくかなめはそこにあり、単純にノーと言えば済む話ではないということなのでしょう。リラックスして、相手の問題や本当に求めているものを見抜く能力を発揮する必要があるでしょう。私もこういった課題は何十年と付き合わされているもので、恐らく多くの人にこういった問題はあると思いますが、人生最大の課題と言ってもいいくらいのものだと思います。もし恐怖がなくなって自由に能力を発揮できるようになったら、とたんに面白く幸せな生活になりますよ。それまでは下手な対応をするよりは、忍耐に忍耐を重ねて恐怖がやわらぐのを待つしかないと思います。大丈夫、年の功で変わってきますよ。
あなたも私もソウルメイトです。共に頑張っていきましょう。
No.3
- 回答日時:
>今まで私が望まないのに絡んできた
>人間は、私から見れば何の存在価値がない
>ように見えましたが、
>無理やり存在価値を見つけないといけないの
>でしょうか?
こういう状態の時というのは、私にもあるけれども、人間関係に疲れてしまったようにお見受けします。しばらく、お休みする必要があるように思います。そのままにしておくと、人間関係全体に拒絶状態になりかねません。
人というのは、本当は、良い面・悪い面、いろんな面を持った多面体なのですが、一度、相手に悪いとするレッテルを貼ってしまうと良く思えません。その気持を替えることは容易なことではありません。こういう状態は、心の柔軟性を失い心が固くなってしまってしまうのかもしれません。
>スピリチュアルでは魂が汚れているから
>欲などの汚れを浄化するために世に生まれて
>くるような事を読んだ記憶があります
欲が汚れではないはずです。私たちが生きている限りは、欲を持つものですが、多くの人たちの共通の欲求に結びつけたものならよいわけです。私たちは、本来、生き死にしていく中で、一人では非力かもしれませんが、社会や世界の発展や向上の結びついていっているはずです。一人ひとりの価値観や存在を極大化したら、確かに、前世・現世・来世という繋がりを持った見方があるのかもしれませんが、私たち個人は、今、生きていることだけに目を向けていれば十分なような気がします。
私は、自分を向上させるという名目で、あまり自分自身を見つめてしまうと、ますます、泥沼に入ってしまうと思うのです。心理学に詳しければ分かるはずです。欧米人のような個人という概念(エゴ=自我)は、日本人は持っていません。彼らのような考え方をし、その対処法を実行すると、日本人の何分の一かは、人格自体を壊しかねません。
一部の人は、他人が理解しようがしまいが、自分の世界を話し、自分に敵対するものを汚く罵ってけ落とし、味方には笑顔、敵には閻魔顔でも、人は付いてくるものですが、そうした支援してくれる人が多ければ多いほど強気になり、悩まなくなります。しかし、ふつうの人は、自分自身に自信が持てないので、常に、人の目、人の言葉を気にしながら生きるから、嫌なものを見て嫌なものを聞かなくてはなりません。
何か矛盾していますね。でも、自分に賛同しないものはみんな敵だとしてしまう人は、そんなに長く続くものではないだろうと思うのです。
私たち自身も、私たちの社会は何ものにもかに操られているわけでなく、生きている私たちと私たちの文明が持つ記憶が、こうあらしめているのではないでしょうか。
「人間は環境によって変化させられ」、「人間は環境に働きかけてこれを変化させる」こと、これに尽きるような気がします。
この世の私たちの生は、一回きりだと思います。この世で見つけられるないものが、この先も見つかるとは思いません。せっかく心理学を学ばれたということですから、教科書的な知識ではなく、もう少し、深く勉強してみることをお勧めしたいですね。きっと解決するものがあると思います。
No.2
- 回答日時:
「欲」の認識がおかしいです。
穢れた物だけではありません。もし、本当にそうならば、存在する価値はありません。
周囲の人間を見回してみましょう。すぐに分かると思います。
また、嫌なことから目をつぶって避けようとするのは、ただの事なかれ主義であり、
それで嫌なことが無くなるかといえば、答えは「Never」です。尖閣問題が目をつぶる
だけで、解決しますか? 弱みを見せるからつけ込まれるのです。
物事には原因があって、そして結果があります。それを論理的に考えてみませんか?
どんな人間にも何らかの困難はありますし、それから逃れることはできません。
では、どうすればいいのか? 困難を乗り越える強さが必要なのです。
簡単ではありませんが、結局、ここに集約されます。
魂に関しては、俺は死んだ経験がないので何とも言えません。
しかし、困難から避けているだけでは、何の解決にもならない事は明白です。
即ち、貴方の学んだ方法は破綻しています。他の選択肢を考えるべきです。
この回答への補足
実際、今まで私が望まないのに絡んできた
人間は、私から見れば何の存在価値がない
ように見えましたが、
無理やり存在価値を見つけないといけないの
でしょうか?
後の方の説明では魂の向上のために、あの世
がコントロールしているような話もありました
けど、それを断ることは出来ないのですか?
No.1
- 回答日時:
江原スピリチュアリズムを学んでいます。
色々と認識にズレがあって、どう料理していいやら困った感じです。まず類魂の認識から行きましょう。類魂には狭義と広義があります。狭義の類魂とは自分自身の本体のことです。霊界に、悠久の過去から存在する魂の故郷があります。それが類魂、本当の自分とでも言えるものです。類魂は自分の分霊を一滴現世に送ります。それが各々の魂です。類魂には過去生の知識のすべてが存在しており、過去生の一つ一つが独立した人格として現世の人間を守護したり、色々な神のしもべとしての仕事をします。それらはすべて現世の人間と個性が同じという共通性があります。個性の同じ魂の集合体が類魂なのです。ただし現世で切磋琢磨している魂とは違い、清浄な環境で清らかさを保っている霊界のハイレベルな部分です。ひとりの人間につき一つの狭義の類魂があります。
広義の類魂とはすべての魂のことです。人間の魂は皆親類縁者なのです。例えば動物には狭義の類魂は種類につき一つしかありません。犬なら犬全部が一つの類魂なのです。人間だけ狭義と広義という区別があります。それは人間が高等なので個性が細分化したということです。ですが、元々は動物と同じで、人間はみな兄妹、ツインソウルだったのです。それが個性の細分化によって、ツインソウル(双子の魂)とは言えなくなった、その代わり、共に向上する仲間、ソウルメイトという言葉を使用しています。現世で出会う人間はみなソウルメイトです。他人ですが仲間です。同じクラスで学ぶ友達なのです。
なぜ現世に生まれるのかというと、魂の向上のためです。魂には向上したいというサガがあります。魂はすべて神の分霊で、全体が向上に向かっていこうとする性質があります。何百年と霊界でのほほんとしていたら、退屈になり向上したくなるのです。そのためには波乱万丈な現世に生まれるのが最も効率が良いのです。
人間関係は現世における修行の最たる部分です。特に日本のような先進国ではそうです。発展途上国には貧困や犯罪など様々な苦難がありますが、日本の場合は人間関係こそ切磋琢磨のもっとも顕著な部分でしょう。日本に生まれるということは、他人との摩擦によって自らの魂をレベルアップさせていく、という修行を主に選んだということです。
人間関係の苦難には2種類あります。それは、自分の表の映し出しと、裏の映し出しです。表とは、自分と同じ性質の人間を波長の法則によって呼び集めることによって、自分のいやなところを映し出して向上をはかるというものです。人の振り見て我が振り直せ、という修行方法です。裏とは、対処方法に関する向上です。例えば嫌なことにノーと言えない自分が居たとすると、それを克服するためにどんどんハードな事例を呼び集めるのです。自分自身が、あるいは指導霊(つまり類魂)が、神の法則に則って霊界から修行をコントロールするのです。それはソウルメイト同士、お互いの向上のために切磋琢磨するのです。他者はまた別の修行の理由であなたと関わっていて、一つの事例が2人を向上させるという一石二兆なのです。
質問者様の気持ちはよく分かります。私の10年前そのものという感じがします。江原先生の本をよく読んで、自分を、世界をよく分析してみることをお勧めします。
という訳で、ご質問が全体的におかしいのはお分かりになられたかと思います。その上でまだ疑問があるなら、再度ご質問下さい。
この回答への補足
類魂に関しては間違った解釈をしてましたが、
この世でも摩擦がなく静かに生きたいので
すが、そうゆう生き方を選ぶ自由というのを
求める権利は我々にはないのでしょうか?
昔からですが、静かにしてても周りが絡み
付いて、ノーと言えば言うほどハードな
摩擦が起きていた経験があります。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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