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夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか


 ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4

 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。

 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。

 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。

 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。
 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~

   しんとした間――

 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。
 惣ど: や 鶴・・・
 運ず: おお・・・

 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。
  (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る)

 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・
 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・

      間――

 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは
  ありがたいこってねえけ。
   (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の
   うちに離さない)

 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ
   ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・

 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら
   ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす)

      惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。

      微かに流れてくるわらべ唄――

      ――幕――
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 答えとして:
  1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。

  2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。

  3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。

  4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。

  5. いやいや じつはこうだ。・・・
   5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。
   5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・


 * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。
 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。

 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。

A 回答 (60件中11~20件)

(1)始めに



伝説や民話の類に惹かれるのは、そこにフィクションとしか思えないような現実離れした奇想天外な要素が盛り込まれているからなのでしょう。
物語として人に媚びるフィクションという要素があってこそ、伝説や民話が成り立っていると言ってもいいと思います。
伝説や民話からフィクションという、化けの皮のような要素を少しづつ取り去ってゆくと、やがてそこには何も残らない場合と、何かが残る場合とがあるように思われます。
何かが残る場合に於いては、見方によってさらに分けてゆく事が可能のようにも思います。
それは、ごく何でもない陳腐な出来事であるかもしれませんし、或いは反対に、思いもよらない事実であったり、また、驚くに値する真実であったりするかもしれません。
後者の場合に於いて、そのような重い事実があったとするならば、事実をフィクションによって隠さねばならなかった理由や必然性があったと見るべきなのかもしれません。
そのような過程を経て成立した伝説や民話も少なからずあったのではないでしょうか。
また、そうした伝説や民話に秘められた事実の中には、時代を超えた人間的な普遍性といったものが含まれている可能性すらあるかもしれません。
以上の見方を踏まえつつ、虚実入り乱れた伝説や民話の世界に入っていきたいと思います。



(2) 二つの伝説

鶴の恩返しの民話とよく似ていると思われる伝説を二つ取り上げてみたいと思います。
一つは前に紹介した、茨城県竜ケ崎市の女化稲荷神社に伝わる狐女房譚といわれる伝説です。
http://www.ushikukankou.com/onabakeinari.htm
http://ibatabi.dayuh.net/ryuugasaki/meka.html
http://www.ushikunuma.com/onabake/onabake1.htm
http://www.rekitabi.sakura.ne.jp/

もう一つは、大阪府和泉市の葛葉稲荷神社に伝わる、通称「葛の葉物語」ともいわれる伝説です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E3%81%AE% …
http://www.ican.zaq.ne.jp/sinodanomori/kuzunoham …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E5%A4%AA% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D% …

どちらも大筋では狐の恩返しという点に於いては非常によく似ているものです。
この二つの伝説を比較しながら、まずは共通点といったものを探ってゆきたいと思います。
関係すると思われる、史実によって明らかな事柄や年代は大よそ以下の通りです。

女化稲荷神社に関して
栗林義長の祖父生まれる(狐女房譚)年代不詳
伏見稲荷神社より勧請にて創建 1505年
栗林義長生まれる 1527年(1529年?)
 〃  戦乱の中にあって関東の孔明と言われるほどの活躍をする・室町時代の末期
 〃  稲荷社の御宮、拝殿を建立
 〃  没 1590年 63才(1587年 58才?)

葛葉稲荷神社(信太森葛葉稲荷神社)に関して
奈良時代に創建 708年
安倍清明生まれる 921年(葛の葉狐の伝説)
 〃  陰陽師として名高い活躍をする・平安時代の中期
 〃  没 1005年 84才?

この二つの伝説の年代的な差は約500年以上もあり、地理的にも関東と関西という遠く離れた場所に於いて成立した伝説であったという事になります。
この事も大切なキーワードになると思われます。
狐の恩返しにより生まれたとされる子供やその孫が、共に歴史に残る人物になったという物語から、共通する事柄を多少の推測を交えながら掬い取って見てゆく事にします。

(続く)
  
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この回答へのお礼

 へたのすけさん こんばんは。たしかに大掛かりですね。たいへんな――ご回答・ご論文をありがとうございます――構想を練らないことには なかなか説明がむつかしいようにも思われる主題になりますね。はっきりとは書かない(言わない)かたちでの伝承のようですから。

 まづはわたしがこの話を――特に木下順二の作品にかんして―― そういった被差別民の物語であるとは見て取ることが出来なかったのは何故か。これについて弁明します。

 異類婚姻譚にかんして その異類を《よそ者》と捉えた場合
 ☆☆(No.44お礼欄) 《よそ者》には異族ないし外国人から違う村の者やあるいは同じ村の中のたとえば被差別民という場合などを含むかと思われますが
 ☆ とさえ書いているのに 作品《夕鶴》については 被差別民という解釈をなぜ当てはめなかったか?

 ☆☆(No.40お礼欄) ~~~~~~~
 〔異類婚姻譚は〕 何らかの因縁があって仲の良くない村どうしのあいだで 交流や恋愛がふと起きてしまったというような事件とその後の経過を言おうとしていましょうか?
 もしそう解釈するなら 初めは出身の村を隠していたが ついに見つかってしまった。そのあとは それでも仲良くつづけてやっていく場合もあれば ただちに元の村へ帰らざるをを得なかった場合とがあるのでしょうね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ という基本線でのみ解釈していたのはなぜか?

 理由のひとつ目として:文学作品は――民話伝承がそうであり得たとしても 小説や戯曲は――判じ物ではない。つまり つうの悩みや苦労について 読者や観客に分かるように書くのがふつうだと思われる。

 2. つうは おカネとは何であるかを知らないという設定である。あるいは それでも羽根を抜いて布を織るとき最後に飛べるだけの羽根は残すというはからいをおこなっている。このような人物像は 読者をして全体として描きがたいという思いを持たせる。つまり 文学として破綻している感がある。

 3. いくつかある鶴の恩返しもしくは鶴女房という民話には 正体が明かされたあとも二人仲良く暮らし続ける場合を伝えるものもある。その幸福な結末については もし被差別民の話であれば そうとう込み入った説明が必要だと思われるのにそれがないとなれば その物語として見てみようとは思わなかった。

 4. 木下によれば つうは《純粋日本語をしゃべる》という人間類型であると言う。これは 被差別民のあり方もしくは人となりには あまりふさわしくないと思われる。たぶん《しゃべる》のではなく 純粋日本語が分かる・理解できるという設定になるのではないか。そうでないとおかしい。
 
 5. 言いかえると――(2)のおカネを知らないということとも関わるが―― そういうよそ者の類型としてのつうであるなら 立ち場(身分)の上から 社会生活に苦労がつきものであることが分かっている。お金の苦労も分かる。なおかつ 純粋日本語も分かるというような人物像ではありえたとしても ただただ独りだけ純粋日本語をしゃべるというような人となりに描かれては 何とも捉えようがない。

 6. もう理由として述べる体裁から離れますが
 ★ ~~~~~~~~~~~~
 〔民話や伝説を構成する要素の中には 現われているものも隠れているものも含めて・・・〕驚くに値する真実であったりするかもしれません・・・〔そ〕の場合に於いて、そのような重い事実があったとするならば、事実をフィクションによって隠さねばならなかった理由や必然性があったと見るべきなのかもしれません。
 そのような過程を経て成立した伝説や民話も少なからずあったのではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ つまりは そういう要素を見つけ引き出して来るという作業を木下は やったと思っているであろうけれど その成果には あまり大したものもない。つまりは 要素ごとに見るべきものがあったとしても 全体として・一人ひとりの人物像として まとまりに欠けていたのではないか。

 なお これまでの被差別民の主題についての質問です。
 【Q:《およその身分は平民の七分の一に相当》】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6070243.html
 【Q:えた・は 天皇の子どもが その地位に落とされ 制度としても成ったのではないか?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6023047.html
 【Q:民・在日朝鮮韓国人・暴力団についてのもんだい】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5995036.html

お礼日時:2010/11/16 23:47

こんばんは、bragelonneさん。




窓にコツン、コツン音がして…


(睡眠不足気味じゃ)(/_-)゛゛゛ゴシゴシ


(e_e).。oO ちょっと ちょっと ヾ(-_-;)


もー、寝かけてたのに。。。


回答番号:No.47に〔この回答への補足〕ついてた…


 そんなあなたへの「いい言葉」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 石を投げれば
 届くような距離に

 この世の天国と地獄が
 並存している。
 (人間の証明、森村誠一)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


口は災いのもと (-_-;)uuu… 


「勉強しに帰った」なんて言ったばかりに…


(@_@)パッチリ-☆ 寝てません






石ですか?


いしにもいろいろあるようで、いし集めしてました。


どこで?


賽の河原で?


オニときて石集めときて、ひとつ、ふたつ、みっつ…と


石を積んで、あともうちょっと、ってとこで(((ガラガラガッシャン―☆)))


「―――――この世の天国と地獄が並存している。」


|(><)|キャッ―☆ > オニッー!


『おもしろ科学教室』ー色々な石を集めてオリジナル標本箱を作ろうー
http://www.manabi.pref.gunma.jp/bunrui/gakupro/0 …



【在線中国語講座】
日本語の「思う」もしくは「考える」にあたる中国語を見てみましょう。
http://www.zaich.com/gaoji/g01-01.html



おもいおもいに鶴におもいめぐらせホヘー。


【QNo.4991449リカちゃんについて】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4991449.html


『昭和文学論考: マチとムラと』 著者: 小田切進
http://books.google.co.jp/books?id=fBP5d5cpV-UC& …


【誰か昭和を想わざる】
http://www.geocities.jp/showahistory/history01/0 …

この回答への補足

 ちょっとつめたかったかなぁ。
 つめたいのではなく うるおいがなかった。

 リカちゃん人形のかれに ちちおや役だろうと言われたことがあったので 反省。
 ただ こちらで芯はゆらいでいなかったから 安心していた。

 まぁ いしあたまをつらぬこう。

補足日時:2010/11/16 18:49
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この回答へのお礼

 りとるきすさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~
  そんなあなたへの「いい言葉」
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  石を投げれば
  届くような距離に

  この世の天国と地獄が
  並存している。
  (人間の証明、森村誠一)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ こりゃあ被験者のわたしへのものなんだけど。・・・この《いい言葉》を受け取る前にすでに なみだがちょちょぎれたあと尺取り虫から不思議の国の千夜一夜から名前のない夜空にまで風にふきとばされてしまって。・・・


 ★ 【在線中国語講座】
 ☆  on the internet / on the web ということかいな。《在線》とは。その昔はテレビ・ラヂオで欠かさずやっていたけれど。北京中央電視台のアナウンサーが毎年 講師としてやって来ていたし。ふるきよき時代。

 ★ おもいおもいに鶴におもいめぐらせホヘー。

 ★ 【誰か昭和を想わざる】
 ▼ 岡本かの子『鶴は病みき』
 ☆ 偶然の一致。《鶴》。

 ★ 『昭和文学論考: マチとムラと』 著者: 小田切進
 ☆ これはよう読まなんだ。

 ☆ 女にとって母親は 《拘束》なのかなぁ。んなわけあるのかなぁ。



 《つうの真実》とは?

お礼日時:2010/11/16 13:49

ぶらじゅろーぬさん。

何度も失敬。
今度は本当に一言だけの追記です。



与ひょうはつうにこころを売りました。
たぶんとても買いやすく売りました。

だけどつうは買いませんでした。


買えません、
なぜならそれは買えないからです、


としか、つうは言えませんでした。たぶん。
この設定だと。



それではポツッ。
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この回答へのお礼

 前回(No.48)へのお応えを読んでおられないと思いますが この今回のご回答内容についてお応えしてまいります。

 ▼ (木下順二:夕鶴) ~~~~~~~
 惣ど:な 分かったな? どうでも織らんちゅうたら 出て行ってしまうぞちゅうておどかしてやるだぞ。
 与ひょう:えへへ。あの布 美しい布だろうが? つうが織ったんだで。
 惣ど: だでよ。美しい布だけに 今度は前の二枚分も三枚分もの金で売ってやるだ。分かったな? 前の二枚分も三枚分もの金で売ってやるだぞ。そういうて女房に話してみろ。
 与ひょう:うん。前の二枚分も三枚分もの金で売ってやるだな?
 惣ど:そうよ。だですぐと織らせるだ。のう運ず。
 運ず:そ そうだ。今晩すぐと織らせるだ。
 与ひょう:うふん。んでも つうはもう織らんちゅうたで。
 惣ど:ばかが。高いこと売ってうんと儲けりゃ 女房も喜ぶに決まっとるが。
 運ず:そ そうだ。女房も喜ぶに決まっとるだ。
 与ひょう:うん・・・
 惣ど:その上におめえ 都見物までさしてやるだぞ。のう運ず 都は立派なもんだのう? 
 運ず:うん そうだ。立派なもんだ。
 与ひょう:都は立派なもんだろのう。
 惣ど:そうともよ。ええか? 大金儲けをした上に都見物だぞ。都では今いうたように 仰山面白いもんを見せてやるで。うん? それとも都へなんぞ行きとうはないか?
 与ひょう:そらァ そらァ行きたいでよ。おら。
 運ず:金もほしかろが?
 与ひょう:うん 金もほしいでよ。
 惣ど:(家の中のつうに気づいて)さ はいれ。ええな。今すぐと織らせるだぞ。織らんちゅうたら 出て行ってしまうちゅうだぞ。
 与ひょう:――うん・・・
 惣ど:(与ひょうを家の中に押しやりつつ)よしよし わら感心なやっちゃ。さ 運ず 隠れて見とろう。
  (pp.45-47)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ たぶん 惣どや運ずに反対して少しでもつうの肩を持つところは 
 ★ 与ひょうはつうにこころを売りました。 / たぶんとても買いやすく売りました。
 ☆ といった見方と重なる内容があるのでしょうね。
 と思いました。

お礼日時:2010/11/11 23:00

ぶらじゅろーぬさん。

こんばんわ。
宙ぶらりんです。



やだな~ぶらじゅろんぬさん。
気に食わんところだけ少し。




>つうという人物は 与ひょうという人間に助けてもらったというその恩を返すという思いによって 極端な言い方をすれば取り憑かれてしまった。あるいは恩返しということが強迫観念としてあたまに巣食ってしまった。すべては その結果の行動であった。
:いや~そうぢゃないですってば。

わたしは19番でつうを弁護してるんですが、
つまり「関係」が成立する「きっかけ」なんか、
「なんでもあり(by はこぶるさん)」でいいんぢゃね?
と言ってるんですが、言ってるんですが、

「強迫観念?」とか怖いこと言わんといてくださいよ、
人による「錯覚」とか「勘違い」なんかよくあることだし、
原因がどうだから結果がこうなった、
(「なぜ(';')?」→「こうだからぢゃ。<(`^´)>!」)
とか、そういうこと言ってるんぢゃないんです。
(質問のタイトルに「なぜ」と書いてあるのに
 答えを一度も書かなくてすみません。)





わたしはずっと(「関係」開始の動機を問わず)
すでに成立している「関係」を、

【間】という字がついている【人間】が、

どのように眺め、どのように認識していて、
どのようにその中に入りどのように対応するのか、
選択肢はどれぐらいになっているのか、

また【関係】を「やむを得ず」終了させるときは、
どのような行動を取るのか、
それは取らざるを得ない行動なのか、
他に選択肢はなかったのか、

そんなことについてしゃべっていたのですが、
もしかして質問からズレっぱなしでしたか。ずっと。





以下、例によって都合よく拾ってきました。





「美名のウソ」・「窮余のウソ」
(だからこそ気をつけるべし・・・という話ですが。)



.......単なる軽はづみあるいは親切心も
ウソの原因でありえるし、
実際に「善い目的」でさえ、
ウソによってめざすことがありうる。
としても、
その目的を追求するこの仕方は、
単なる形式によって、
その人格に対する人間の犯罪であり、
その人間を
自分自身の眼から見て
軽蔑すべきものにする卑劣な仕方である。
(「人倫の形而上学」)

..........ぶれいぐ............


・わたしは【犯罪】だとは思いません。
 以前も話しましたが【悪意】は感じません。
 騙されてしまうのも【誤】だとは思いません。
 卑劣だから何?あ~あかんの?卑劣って。
 分かったよ、で、これからどうすんの?
 おいらを軽蔑すんの?やだな~。
 そんなら軽蔑されないようにするよ、
 だけどそのためにはどうしたらいいんすか?
 そんなことを考えていただけです。
 宙ぶらりんに。

............................................



人間に対する愛は、たしかに可能であるが、
命令されえない。
なぜなら、
命令のままに誰かを愛するということは、
人間の能力のうちにはないからである。
.................うんぬん。
(「実践理性批判」)



・これは、もう、うなづくしかないですね。
ところでつうは与ひょうを「愛した」のでしょうか。
一度でも「愛した」のでしょうか。
与ひょうがつうに贈る「愛」を、
「受け取る!」ことを、
「能動的!・積極的!」に、したのでしょうか。




例によって、言いっ放しです。
文句ばっか言ってすみません。




あ、そうそう、つうは、
「>もっと早くに切り上げて
 余白をつくってしまえばよかった。・・・」
とか与ひょうに文句言ってるんでしょうか。
壊れかけの茶碗を自ら割るみたく(?)。



いぢわるしてすみません。
いや、安寧のミサイルですってば。
そこんとこよろしく。(やざわえいきち?)



あ、そうそう、つうは、
神(もどき)として描かれたのでしょうか。
ルツを去ったときみたいな。



とりあえず思ったこといろいろ書きました。
ちっともまとまっていませんが。
いつもいつも言いたい放題ですが、
聞いてくださってありがとうございます。



ちょっとだけ、と言いつつ長くなっちまいました。
それではへたのすけさんの話を楽しみにしつつ、
ポツッ。
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この回答へのお礼

 いやいやいや 精神分析ないしハコブルさんの立ち場はこうですよ。
 ◆ (回答No.18) ~~~~~~
  >( bragelonne )そもそも恩返しがただひとつの目的であって それなのにそのことを男女の愛および愛情という事態と一体として捉えてしまったというとき たしかにそれゆえにこそ物語のような長い期間における錯覚による振る舞いが起きたのだと見られる節があるように思われるからです。
 :( hakobulu さん)これ以外にない、と私は思っているのですが。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~

 にゅうとらるさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ですから にゅうとらるさんが提出しておられる説は わたしがNo.44お礼欄で強引に文学作品としての破綻説(3-1.)に押し込んでしまった場合に含まれていて たとえば《初めに恩返しと愛情とがごちゃまぜになっていた》という見方です。ということは その場面ごとに文学的な読み方が出来るけれども 全体としてしっかりとした(またはふつうの)人物像であるとは必ずしも受けとめ難いという場合です。

 それに同じNo.44お礼欄で
 ☆☆ 3-2. もし人物描写が破たんをしていないとすれば こう考えられます。
 ☆ と規定して始めている《強迫観念》説は もうそこでは誰がわるいとか罪があるとか見る見方は離れています。《必死》だったんですよ。
 そのような分類について 正統派の精神分析から見ればもっと精確な分析をほどこしてそのぶん表現も精確なものにすべきという非難が出るかも知れませんが いづれにしてもその場合には 与ひょうはそのような状態にあるつうを ともかく受けとめ出来るかぎり受け容れていたということではないでしょうか。
 ですからあらためて捉えるなら いまのにゅうとらるさんのご見解は 
 ★ ~~~~~~~~
 ところでつうは与ひょうを「愛した」のでしょうか。
 一度でも「愛した」のでしょうか。
 与ひょうがつうに贈る「愛」を、
 「受け取る!」ことを、
 「能動的!・積極的!」に、したのでしょうか。
 ~~~~~~~~~
 ☆ この見方に収れんしているのではないでしょうか。ということは 精神分析からの見解(3-2.)と文学として部分的な有効説(3-1.)との折衷説であるようにも思われます。

 ★ ~~~~~~~~~~~
 わたしはずっと(「関係」開始の動機を問わず)
 すでに成立している「関係」を、

 【間】という字がついている【人間】が、

 どのように眺め、どのように認識していて、
 どのようにその中に入りどのように対応するのか、
 選択肢はどれぐらいになっているのか、

 また【関係】を「やむを得ず」終了させるときは、
 どのような行動を取るのか、
 それは取らざるを得ない行動なのか、
 他に選択肢はなかったのか、

 そんなことについてしゃべっていたのですが、
 もしかして質問からズレっぱなしでしたか。ずっと。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ ですからこの見方は 
 ☆☆(No.44お礼欄) ~~~~~~
 5. そのほかの感想。
  ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~
  ○ 神隠しまたは神隠れの誘惑に遭ったら どう取り組むか。

  1. 人間どうしの関係として広く 浮き沈みのある時間過程として長く 間合いを取ること。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ☆ の原則によるならば りとるきすさんの
  ● つうは一たん勉強をしに帰る
  ☆ というのが いかにもおもしろいと質問者として思いました。
  ★ つうも宇宙のみなしごだから手をつなぎたかったんだけど、 / 手のつなぎ方がまづかったんぢゃないの?
  ☆ と。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ という感想と同じ趣きですね。(3-1.)は 余りにも極端に文学としての破綻を言っていますので 部分的にでも回復させて捉える説を (3-1-a )《場面によっては文学としての有効を見る説》として立てることにします。

 ■ (No.30 hakobuluさん) ~~~~~
  >( brag.) 要するに 去った時点において つうはまだおとなに成ったとは言えない状態なのですね。そうして与ひょうにしても まだ決して目覚めてはいない。こういうご見解ですね。
 :( hakob. )おっしゃるとおりです。
 ただ、それが悲話を形成する上での彼らの役割だということでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ (3-2.)=軽い強迫観念の説ではこうなるわけです。
 ただし《役割》という見方からもむしろ初めから分析としての人間類型が設定されているのではないかと。

お礼日時:2010/11/11 22:40

こんばんは、bragelonneさん。





名前のない空を見上げて/MISIA




新  聞
http://www.kyoto-up.org/archives/736

この回答への補足

 【あなたの偽善者度チェック】~~~~~~~~~~

 あなたの偽善者度はこんな感じ!

 腹の黒さ  33%
 知的偽善度  22%
 勇気ある行動  100%
 天使の光  100%

 あなたの偽善者度は42%ぐらいで【偽善奥さま級】です。

 世間を揺るがす極悪事件に心をいためても、なんだかんだいって、やっぱり人の不幸話を聞くのは楽しいもの。
 その真相を知りたい!!
 本当のところはどうなの?!
 ここだけの話、実は……。
 そういったゴシップは、知的好奇心をかきたてて、ワクワクした気持ちにさせてくれるでしょう。
 「自分は関係ない」という顔をしながらも、人の不幸な話を聞きたいと思う気持ちも一種の偽善。
 だとすれば、「ねえねえ、知ってる?」と、噂話を広めるのもまた、非道の第一歩なのでは?!

 あなたの偽善度アップアイテム
 エコバッグ


 【ジョハリの窓】 ~~~~~~~~~~~~
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 A:自分と他人に分かっている部分
 B:自分には分かっていないが他人に分かっている部分
 C:自分は分かっているが他人には分かっていない部分
 D:自分にも他人にも分かっていない部分

 どの窓が大きいかが、
 その人の現在と、これからの生き方に、
 ヒントを与えてくれるでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 あなたの一番大きな窓は、 開放された窓( A )ですね。

 あなたは、自分のアピールがそれなりに
 出来る方のようです。
 おそらく、周囲の認識も、あなたと
 それほどズレてはいないことでしょう。

 ただ、それが、いいか悪いかは別問題です。
 まだまだ、知らない自分のこと、
 探求してみましょう。

 そこで、あなたに、こんな 「いい言葉」 はいかがでしょう…

 そんなあなたへの「いい言葉」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 石を投げれば
 届くような距離に

 この世の天国と地獄が
 並存している。
 (人間の証明、森村誠一)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ エコバッグ 持ってないなぁ。

補足日時:2010/11/13 22:29
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★▼〈研究ノート〉 8頁目 法を歴史的な文脈から考える「日本法制史」 高谷知佳・法学研究科准教授(2009.06.16)
 ☆ ちょっと むつかしいです。それは 長い歴史を短くまとめたあらましであることからも しっかりと捉えることがむつかしいと思います。

 ▼(要約) ヱーバーの《呪術からの解放》が近代化なら 前近代は 《呪術の園》のなかに人びとはいたことになる。
 ☆ 大きな主題のようです。そして 法制〔史〕としてはわたしは 上に言いましたように ほとんど分かりません。

 ★ 名前のない空を見上げて/MISIA
 ☆ なぐさめてくれているのだろうか。おまえなんか早く星になれっていうのかなぁ。
 《名前のある空》ってあるのだろうか。
 
 すなおでなくてすみません。

お礼日時:2010/11/11 00:19

こんばんは、bragelonneさん。



●☆ お気持ちはごもっともですが ここはちょっと気の回し過ぎでは?
 まづ都へ行って布を売るのは 運ずらといっしょに行くのだし 運ずのほうが売り買いの仲介を前からしていたということらしい。またこの売りに行くのは一回きりだと思われる。都へ行ったきりになるとは書いてない。《都へ行ったきり帰って来ないんぢゃないか》とのつうの心配は 自分のもとに戻って来ないのではないかというおそれだと思われる。



さらっと聞き流しちゃいませんか?


ん?ちょっと待った! 待った!!ブロック!!!

ちょいとお聞きしやす、この一回での都から里へ戻るまでの時間はどのくらいになりましょうか?

いえね、わらしべ長者のお話ではないですが、都に出てから里へ戻るまでの道すがらで

ブツとブツを交換を繰り返すって場合もあろうかと

それにですね、むかしむかしのことですと

おら都さいくさって思えども、簡単に村を離れ都へ出て行けたのでしょうかね?

庄屋さんの許しとか何だかんだと手続きごとあったんじゃないのでしょうかね?

むかしむかしは、日本の中であっても外国のようにパスポート(通行手形)必要だったりと

手形なしに里をでれば、当然、検閲のあるところは通れない

人目を避け、ケモノ道を通り道なき道を進むか、海に出て船こぎ出して進むか

なんにしろ険しい道程であることは想像するのは難くない

山には山賊、山姥が棲む、海には海賊、人喰い植物が生えている

つかまれば…

「みぐるみ ぬいで だしやがれ!」

|(><)|キャッー おっかね―☆

旅は危険をも伴っている

生半可な気持ちで出かけて行くとしたら怪我のもと

怪我だけですめばまだいいけれど命までとられた日には

泣くに泣けない

ほだから、相当の覚悟がいるんだべや

それだけに≪つうの心配≫もまたおおきかったことだろうね。

大空の上からなら、足手まといになることもなし見守ることもできる

けれど人の姿のままでは飛べない… 

(|||_|||)。。。うーむ


ならば「ラミパス ラミパス ルルル……」 へ・ん・し・ん |(o¥o)| とうー



で、ふと、おもったんですが

このおはなしの中には桃太郎のおはなしも含まれていたのではないかと

どこに?

桃太郎のおともは…サル・トリ・イヌ

夕鶴のお話では、去っていきますよね鳥が

イヌがまだでてきていない

イヌ…方言で「帰る」

桃太郎のお話はハッピーエンドでしたよね?

だとすれば…与ひょうも帰って来るし、つうも帰ってくる めでたしめでたし って、展開もあり




リトルビッグプラネット クリエイト @ ウィキ
http://www20.atwiki.jp/lbpc/pages/13.html

この回答への補足

 りとるきすさん 考えがぶれてすみません。
 吉本の巫女論は ひとつの主題として一般的な意味合いを持つと思われ あらたな質問に立てることにしました。あしからずご了承ください。むろん お答えをおしえてください。

補足日時:2010/11/11 13:06
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この回答へのお礼

 てくまくまやこん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ▼ (木下順二:夕鶴) ~~~~~~~~~~
 ・・・
 つう:〔・・・〕じゃあ・・・唄がうたってほしい。そうでしょ?
 与ひょう:いんね(要らない)。そらァ つうの唄は好きだ。けんど きょうはいんね。
 つう:あら また違ったの? じゃあ・・・また都のはなしがしてほしい・・・でしょ? ね? ほォら当たった。
 与ひょう:あはは ちっとちごた。けんどちっとは合(お)うとる。あはは。(p.49)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ というように つうはさすが空から都をすでに見ている。ということは 或る程度与ひょうが行く道のりを知っている。ということになる。
 その上で その道のりに応じて 心配をしている。ということになる。
 手形がどうなっているか分からないけれど 運ずがすでに行ったことがあるということも加味して考えなくっちゃ。・・・と思いますけれど どないですかねぇ?

 つぎの文章を解釈もしくは解説してくださいませんか。
 ◆ (吉本隆明:巫女論) ~~~~~~~~~
 わたしのかんがえでは《巫女》は共同幻想を自己の対(つい)なる幻想の対象となしうるものを意味している。いいかえれば村落の共同幻想が巫女にとっては《性》的な対象なのだ。巫女における《性》行為の対象は 共同幻想の凝集された象徴物である。《神》であっても《ひと》であっても 《狐》とか《犬》のような動物であっても また《仏像》であっても ただ共同幻想の象徴という位相をもつかぎりは 巫女にとって《性》的な対象でありうるのだ。

 フロイトは晩年の円熟した時期の講話(『続精神分析入門』)のなかで《女性》を簡潔な言葉で規定してみせた。かれによれは《女性》というのは 

  (α) 乳幼児期における最初の《性》的な拘束が《同性》(母親)であったもの

 をさしている。そのほかの特質は男性にたいしてすべて相対的なものにすぎない。身体的にはもちろん 心性としても男女の差別はすべて相対的だが ただ生誕の最初の拘束対象が《同性》であったことだけが《女性》にとって本質的な意味をもつ というのがフロイトの見解であった。

 この見解は興味ぶかく また暗示的である。フロイトにならっていえば 最初の《性》的な拘束が同性であった心性が 

  (β) その拘束から逃れようとする

 とき ゆきつくのは異性としての男性か 男性でも女性でもない架空の対象だからだ。男性にとって女性への志向はすくなくとも《性》的な拘束からの逃亡ではありえない。母性にたいする回帰という心性はありうるとしても 男性はけっしてじぶんの《男性》を逃れるために女性に向かうことはありえないだろう。

 女性が最初の《性》的な拘束から逃れようとするとき もし男性以外のものを対象として措定するとすれば その志向対象はどのような水準と位相になければならないだろうか?

 このばあい《他者》はまづ対象から排除される。《他者》というのは《性》的な対象としては男性である他の個体か 女性である他の個体のほかにありえない。するとこのような排除のあとでなお残される対象は 自己幻想か 共同幻想であるほかないはずである。

 ここまできてわたしなりに《女性》を定義すればつぎのようになる。

 (γ) あらゆる排除をほどこしたあとで《性》的対象を自己幻想にえらぶか 共同幻想にえらぶものをさして《女性》の本質とよぶ

 と。そしてほんとうは《性》的対象として自己幻想をえらぶ特質と共同幻想をえらぶ特質とは別のことを意味してはいない。なぜならば このふたつは女性にとってじぶんの《生誕》そのものをえらぶか《生誕》の根拠としての母なるじぶん(母胎)をえらぶことにほかならないからである。

 たんに男《巫》にたいして女《巫》というとき この巫女には共同性の権威は存在していない。

 (δ) しかし自己幻想と共同幻想がべつのものになっていない本質的な巫女には共同性にとって宗教的な権威をもっている。

 そして人間〔史〕のある段階ではその権威が普遍的な時代があったとかんがえることができる。
 (『共同幻想論》全著作集11 pp.102-104)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ (α)から(δ)までの一つひとつの命題がよく飲み込めません。よかったらおしえてください。時間など 無理はしないでください。

お礼日時:2010/11/10 21:45

ぶらじゅろーぬさん。

ふたたびこんにちわ。
続き、しゃべります。


ちょっと違う話になりますが、
以前よそで「キティ・ジェノバーズ事件(バイスタンダー・エフェクト)」
の話をしたことがあるのですが、
もしかしたら2010年の都会の交差点なんかでは、
つるが死にかけていても、
たいていの人は素通りするかもしれませんね。

しかし与ひょうがつるを助けるというのは実は当たり前で、
「すれ違う」ついでにただ「助けた」という、それだけであって、
そこにはまだ「関係」の「か」の字もないんですよね。
たぶん与ひょうはつるを助けたことなんか、
3秒ぐらいで忘れるんぢゃないかなあ。
つうも「助けてくれてありがと♪」と言って飛んで行ったのなら、
もうそれ自体が「恩返し」になってるんぢゃないの?

つうが、無責任に、不要な「関係」を、一方的に、
作ってるように見えるんですが。
乗っちゃった与ひょうも与ひょうだけど。
・・・こんなことを言い始めると
この話自体が成立しなくなっちまいますね。

「約束は守りましょう」のお説教のほかに、
借りを作ったら返しましょう、すっきりしましょう、
恩は返しましょう、みたいな「けり」の美なんかも
含まれてるんですかねえ・・・民話には。


「会うは別れの始めなり」。
ん~たしかになあ・・・。

『マディソン郡の橋』
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id266 …
↑これは別れて自分の世界に帰って生きる。

『逢びき』
http://www.geocities.jp/yurikoariki/briefencount …
↑これも別れて自分の世界に帰って生きる。

『夕鶴』・・・・・半分「つうの自殺」にも見える。


例によってしゃべりたい放題ですが、
そういえばぶらじゅろーぬさんが提示した選択肢の番号を
わたしは一度も書いてないですね・・・。分からんです。
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この回答へのお礼

 つづいてです。

 ★(回答No.44) ~~~~~~~
 >与ひょうは 布に残ったつうの肌身のあたたかみを抱きしめながら生きていくだろう。(35お礼欄)
 :これは与ひょうがつうの「亡」を受け入れていないってこと?
 といいますか、正確に理解していないってこと?
 といいますか、与ひょうは偶像を拝んで生きていくってこと?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これを《夕日信仰》の内容として――わたくしもサッシの枠組みを割り当てているかたちですが―― 分類しています。別の例を挙げておきます。
 ▼ (遠藤周作:『キリストの誕生』) ~~~
 ガリラヤで育ち エルサレム城外で殺された 痩せた 手脚のほそい男。犬のように無力で 犬のように殺されながら 息を引き取るまでただ愛だけに生きた男。
 彼は生前 現実のなかで無力であり ただ愛だけを話し 愛だけに生き 愛の神の存在を証明しようとしただけである。そして春の陽ざし強いゴルゴタの丘で死んだ。それなのに彼は弱虫たちを信念の徒に変え 人々からキリストと呼ばれるようになった。
 キリストと呼ばれるようになっただけでなく 人間の永遠の同伴者と変っていったのである。・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 与ひょうが《布に残ったつうの肌身のあたたかみを抱きしめながら生きていく》ときその《つう》のイメージは どうでしょう この《人間の永遠の同伴者》としてのキリストの像とほとんど同じであるように思います。
 空海について 《同行二人》と言いますね。四国八十八箇所めぐりのお遍路さんであれば 弘法大師じしんがいっしょに回るということかも知れませんし 一般に仏教徒にはブッダがつねにいっしょについているという話であるかも知れません。
 つうが与ひょうにとって守護霊になるといった話として 取り上げています。遠藤のキリスト像とも通じる話だと思われます。イエスも去って行ったし つうも去って行ったというかたちです。マルクシストとクリスチャンとブディストが ほとんど同じ類型においてその生活態度を持つと見るわたしの勝手な枠はめです。どうでしょう? その見立ては どこまで現実的であるか。
 精神分析は 自我・超自我・エスという三つに《わたし》を分析したその構造を道具として世界を認識して行こうというのですから 《同伴者》も守護霊もいません。ただしもしその分析ツールを世界観の根本として何事にも当てはめるというのであれば そのこと自体が 守護霊のごとくになっているように思われます。神ではないのかと訊けば いやいや無神論だと答えると思います。
 あるいは エスつまり無意識の領域が あたかもそこから何でも出て来るかのような根源として見られていて そこに神が置かれているかに思われます。ただしこの神は ユングでは 善なる神のほかに 悪魔も同等に並び立っているようなのです。三位一体ではなくそこに悪魔という神を加えて 四位一体の神だと言っているようです。

 ★★(No.44) ~~~~~~~~~
 :うん?受け身の姿勢だったのはつうなんぢゃないの?
 与ひょうの顔色を伺いつつ(都合よく)「愛をください・・・」と。
 つまりつうは自己を中心にしてないってことなんですが。
 あ、こういうことですか、与ひょうが「アース」だったとか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 場面ごとの見方になりますが それでも与ひょうはと言えば 最後までまだいったい何が起きているのか あれよあれよと言って見守っているだけではないかとも思いましたが どうでしょう。

 一つひとつにはお応えできませんでしたが こうやって見渡してみるとだいたい分かって来たようにも思えました。どうでしょう。あとは へたのすけさん説を俟ちます。

お礼日時:2010/11/10 15:38

ぶらじゅろーぬさん。

こんにちわ。
宙ぶらりん@引きこもり中です。布団に。
chuさんの風邪がうつったんだろうか。

へえ・・・恩送りか・・・。
所得税とかも、恩送りなのかな?


34番のお礼欄の引用で、なぜぶらじゅろんぬさんが
このように思ったのか、まだ分からんのです。
>《いづれわたしはここを去る。ということは 与ひょうをも去ることになる》という――変なかたちの確信のような――思いになるでしょうか。(35お礼欄)

>《どん底の絶望とやがての再生》を想いこころ癒され元気になる(34お礼欄)
>与ひょうは 布に残ったつうの肌身のあたたかみを抱きしめながら生きていくだろう。(35お礼欄)
:これは与ひょうがつうの「亡」を受け入れていないってこと?
といいますか、正確に理解していないってこと?
といいますか、与ひょうは偶像を拝んで生きていくってこと?
(↑間違いがあれば直してください。)

>エディプス・コンプレックスにしても もはやマザコンとして人びとの心理になじんでいますから。
:いやいや、一部の人だけなんぢゃないかなあ。なじんでいるのは。
>その説明としてたいていは納得してしまうと思います。
:そんなもんですかねえ・・・。
だいたい「こうだからこうなのだよ」みたいな説明なんか、
求める人はそんなにいないと思います。

>よかったってことでしょうか?
:よかったってことですが、
へたのすけさんの話聞いてみたいなあ。

>与ひょうはだいたいにおいて受け身の姿勢でいたと(40お礼欄)
:うん?受け身の姿勢だったのはつうなんぢゃないの?
与ひょうの顔色を伺いつつ(都合よく)「愛をください・・・」と。
つまりつうは自己を中心にしてないってことなんですが。
あ、こういうことですか、与ひょうが「アース」だったとか?
(↑間違いがあれば直してください。)

>つうと与ひょうとの場合には 本心はどうであれ愛情を持つに到っている(40お礼欄)
:そうなんですよねえ。見られた瞬間姿を消した、
ってわけではないんですよねえ。
未練っていうのかな。
「あたし、まだもらってないんだけど?愛を!」みたいな。
(わりと早い時点で「恩返し」から完全に脱線してません?)

>与ひょうのもので何か形見になるものを欲しがってもよかった。(40お礼欄)
:なるほど~。
>すべて自分の側の問題として自分からの行動に終始している。
:以下、よそから引いてきますが、


○ 神隠しまたは神隠れの誘惑に遭ったら どう取り組むか。

 第一章 間(間合い)を広く長く取ること。

 1. 人間どうしの関係として広く 浮き沈みのある時間過程として長く 間合いを取ること。

 2. まづ自分の殻に閉じこもらない。ましてや蛸壺に入るようなことはしない。

 3. 言いかえると 間つまり 相手との関係(交通)において起こっているのだと捉えること。

 4. 問題はそれがあるとしたら むしろ相手のそれであるかも知れない。

 5. 相手や自分のほかにも交通関係がひろがっている。ひょっとしたら 社会じたいの問題であるかも知れない。

・・・ということなのだそうですが、しかも、

>でもそれは《間違い》ではないのでしょうか? 《間抜け》ではなくそのマを埋めているのですが もっともっと間合いをうまく取ろうと思えば取れるのではないか。

・・・ということなのですが、この話でも「間」を埋めてはいますが、
方向がズレてませんか。「間」の取り方の。

>嫁にしてくれと言ってひょいと・・・形見を残すというのも 同じである。(40お礼欄)
:たこつぼの中から与ひょうとやりとり?
金が流れる世間みたく濁っていない「清潔すぎる」たこつぼ?
で、「あたし、清潔なまんま消えるから」と?

つうも宇宙のみなしごだから手をつなぎたかったんだけど、
手のつなぎ方がまづかったんぢゃないの?

書くところがなくなったので途中だけど送信。
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この回答へのお礼

 にゅうとらるさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 あらためて一歩引いてつうの物語もしくは質問をながめてみます。
 それによって一つひとつのお答えにも触れることができればよいがと思います。

 1. 民話としては二つの類型的な話題から成っているようです。
 主題は 恩返しですが 話型として:
 ( a ) 異類婚(人と動物。あるいは人と神々の一人)
 ( b ) 見るなの禁忌とそれを見たという話。
 ☆ 一つの解釈ですが もし
 ( a ) その村にとってよそ者がやって来る
 ☆ と取れば――と言っても 《よそ者》には異族ないし外国人から違う村の者やあるいは同じ村の中のたとえば被差別民という場合などを含むかと思われますが――
 ( b ) 見るな・見たというのは その《よそ者》であることが知られてしまうかどうかを意味しているのではないか。
 ☆ と考えられます。

 2. 木下順二作『夕鶴』は
 ( c ) 本心がどうかを問わず 婚姻した二人に愛情が通うようになったと設定している。
 ☆ あとは
 ( d ) 何はともあれ 最後は二人が別れるという結末を用意している。

 3. そこでどういうことが言えるか?
 3-1. わたしがいちばんビックリしたのは つうが《おカネ》を知らないことでした。これは すっかり忘れていました。このことを特徴として捉えるなら 《よそ者》問題は 次のような内容に変わっていると見られます。
 ( a - 1) この世の欲望に沿って(もしくは まみれて)生きる人びとと決してむさぼらない人びととのあいだにどういうまじわりが繰り広げられるのか
 ☆ という主題になるのではないかと。
 これは どうでしょう? 話にならないのではないですか? そんな文学作品はありえない。つまり 自給自足の生活をする人びとという条件にもとでしかありえない。ように思われます。
 もしそうだとしたら わたしたちは場面ごとに つうはこう考えこう振る舞ったとか 与ひょうはどう考えたとか議論して来ましたが それは おそらくその場面についてのみ通用する思索だったのではないか。全体としてはまとまりがつかない。のではないか。

 3-2. もし人物描写が破たんをしていないとすれば こう考えられます。
 つうという人物は 与ひょうという人間に助けてもらったというその恩を返すという思いによって 極端な言い方をすれば取り憑かれてしまった。あるいは恩返しということが強迫観念としてあたまに巣食ってしまった。すべては その結果の行動であった。と解釈する場合が考えられます。
 そのつうにはっきりしていたのは (あ)恩返しを何らかのかたちにして果たすことと (い)果たせば去るということ であった。あとは 強迫観念の下で大げさにいわば必死の振る舞いをおこなったのであり むしろ覚えてもいないほどだったのではないかと。

 3-3. ほかには:アレアさんとハートマインドさんの解釈は ブラックジョークとして つうは初めっから確信犯であってただただ好きなように与ひょうをだまして好きなように去ったというもののようです。チョトツさんも カチカチ山の太宰治版を言うときには つうを男を手玉に取る魔性の女という設定であるかも知れません。

 3-4. 〔次に述べるように(3-1.)の結果としても現われるものですが〕 純粋なる民話として見る見方がある。

 3-5. これから提出されるへたのすけさんのご見解。つうの真実とは?

 4. (3)のように見た結果として:
 (3-1.)の結果は 作品としての夕鶴の全面否定であり 民話に返すことになります。
 (3-2.)は いわゆる精神分析による分析の対象としてあつかうという話です。初めから終わりまでです。
 しかも質問者としての言い分は むしろ初めにそういう分析の対象として設定しているのではないかといううたがいさえ出されるのではないかというものでした。

 5. そのほかの感想。
 ☆☆ ~~~~~~~~~~
 ○ 神隠しまたは神隠れの誘惑に遭ったら どう取り組むか。

 1. 人間どうしの関係として広く 浮き沈みのある時間過程として長く 間合いを取ること。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ の原則によるならば りとるきすさんの
 ◆ つうは一たん勉強をしに帰る
 ☆ というのが いかにもおもしろいと質問者として思いました。
 ★ つうも宇宙のみなしごだから手をつなぎたかったんだけど、 / 手のつなぎ方がまづかったんぢゃないの?
 ☆ と。そして精神分析版の解釈(3-2.)であれば つうはまだまだ《わたし》の自覚や孤独の自覚が芽生えていない段階ということになるのでしょう。でも家に帰れば我れに還りましょうか?

お礼日時:2010/11/10 14:58

こんばんは、bragelonneさん。




●考えてみると もう永遠に去って行くというとき もしつうが与ひょうを愛していたなら むしろ与ひょうのもので何か形見になるものを欲しがってもよかった。とも考えられる。けれども そういう気配はない。すべて自分の側の問題として自分からの行動に終始している。
 嫁にしてくれと言ってひょいとおとづれるのも 愛情を持つに到るのも或る意味で自分が勝手にそうしている。姿を見るなというのも 見られたから去るというのも 自分からの行動である。そうして形見を残すというのも 同じである。
 しかも恩返しの作業は 身を削るほど無理をしておこなうというかたちを取っている。




うん、恩返し、恩返しというけれど、恩…返しなのかな?

なんかしっくりこないやー。

恩でちょいと引いてみた

恩(いん)は下地の上に乗って、下を押さえることを示す会意文字。印(上から下を押さえる)と同系。

恩は「心+(音符)」因」心の上にのしかかって何かの印象を残すこと。

恵みを与えて、ありがたい印象をこころにしるしたこと。

〔恩送り〕
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E9%80%81% …

恩送り(おんおくり)とは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること。

【QNo.2955970玉と王の違い】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2955970.html


惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは
  ありがたいこってねえけ。



 ★ ~~~~~~~~~~~
 二枚織れたちゅうは―――――――――ありがたいこってねえけ。

 ↑

 くさいです
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ その二枚の謂われは 次のごとくです。


 ▼ (木下順二:夕鶴) ~~~~~~~~~
 与ひょう:あん?・・・おお 布が織れたか? おお おお おお・・・
 つう:・・・(与ひょうの喜ぶさまをじっと見ている)
 与ひょう:ううん こら立派だ。こら美しい。おお 二枚ある。二枚も
   あるでねえけ。
 つう:そう。二枚。だから今までかかったの。

 ・・・(* 与ひょうは都へ売りに行くことを言い そしてつうは 与ひょうが姿を覗いて見たことをなじる)・・・

 与ひょう:何だ? 何で泣くだ?
 つう:あたしはいつまでもいつまでもあんたといっしょにいたかったのよ。
   ・・・その二枚のうち一枚だけは あんた 大切に取っておいてね。
   そのつもりで 心を籠めて織ったんだから。
 与ひょう:ふうん ほんとにこら 立派に織れた。
 つう:(与ひょうの肩をしっかりとつかんで)ね 大切に取っておくのよ。
   大事に大事に持っていてよ。
 ・・・
  (pp.62-63)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~

●その二枚のうち一枚だけは あんた 大切に取っておいてね。



与ひょうは〔都へ売りに行く〕ことを言いったあとにつうが言った言葉ココに注目!

 
何が待ちかまえているかわからぬ旅先で心細くなった時の与ひょうの身を案じ

おもいだしてあなたはひとりじゃないというおもいがこめられてたんじゃないのかな

からごろも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ

●そしてつうは 与ひょうが姿を覗いて見たことをなじる

目で見るものではなく心で感じることを強く願っていたからじゃないかな

田舎者が都に出て行くこと自体相当の覚悟がいることだろうし

ましてやこれまで人を介して物のを渡し売れた代金のいくらかをもらっていただけの

ど素人の百姓が自ら都に行って商いをしようというんだから

よほどの心意気なくば商いもはじまらない

商売、ものをただ売るだけでは商売人とはいえない

商いは真心ー真心プラスアルファを人に届けることができてこそ

つうは百姓から一転商人になろうとする与ひょうに商いの極意を伝授してたとは考えられないかな?
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この回答へのお礼

 お早うございます りとるきすさん。ご回答をありがとうございます。

 なるほど。
 ▼(ヰキぺ:恩送り) ~~~~~~~~~~~~~
 「恩送り」と意味が相当程度に重なる別の表現が古くから日本人にはしっかり定着している。『情けは人の為ならず』というものである。

 『情けは人の為ならず』とは「情け(=親切)は、いずれは巡り巡って(他でもない)自分に良いことが返ってくる(だから、ひとに親切にしておいた方が良い)」という意味の表現である。

 「恩送り」や「情けは人のためならず」といったモラル・常識は、各地の人間社会が古くから持っている良識のひとつ。類似した考え方は、日本以外の国々、様々な国・共同体にも見られる[5]。英語ではA kindness is never lost(親切は決して失われないので実行しよう)と表現している。

 ただし、現代の先進国などでは人々が、こうした良識やモラルを忘れがちになり、極端に利己的で近視眼的になる傾向があることや、それが社会的に見ると様々な害を引き起こしていることはたびたび指摘されている。

 そのような状況の中、近年、英語圏では「恩送り」に相当する概念が、Pay it forward(ペイ・イット・フォーワード)の表現で再認識されるようになった。

  Pay it forward or paying it forward refers to repaying the good deeds one has received by doing good things for other unrelated people.
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 ど素人の百姓が自ら都に行って商いをしようというんだから

 よほどの心意気なくば商いもはじまらない

 商売、ものをただ売るだけでは商売人とはいえない

 商いは真心ー真心プラスアルファを人に届けることができてこそ

 つうは百姓から一転商人になろうとする与ひょうに商いの極意を伝授してたとは考えられないかな?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ お気持ちはごもっともですが ここはちょっと気の回し過ぎでは?
 まづ都へ行って布を売るのは 運ずらといっしょに行くのだし 運ずのほうが売り買いの仲介を前からしていたということらしい。またこの売りに行くのは一回きりだと思われる。都へ行ったきりになるとは書いてない。《都へ行ったきり帰って来ないんぢゃないか》とのつうの心配は 自分のもとに戻って来ないのではないかというおそれだと思われる。
 つまり
 ● その二枚のうち一枚だけは あんた 大切に取っておいてね。
 ☆ というつうの言葉は すでにつうが去るということを決心したゆえのものだと思われます。
 見るなと言っておいたのに見たというのは ひとつの解釈として《わたしはこのあなたの村とは敵同士である村の者なのです。それを隠してあなたのところに来ました。でも分かってしまえば わたしはここにはいられないでしょう》という意味もあると知りましたが どうでしょう?

 ★ ~~~~~~~~~  
 何が待ちかまえているかわからぬ旅先で心細くなった時の与ひょうの身を案じ

 おもいだしてあなたはひとりじゃないというおもいがこめられてたんじゃないのかな
 ~~~~~~~~~~
 ☆ ハコブルさんも去ってアレアさんもピタッと音沙汰無しになって尺取り虫の話を聞かされてああわたしはひとりなんだなと夢に出たので身につまされますね。
 からごろもきつつなれにしつましなければはるばるきぬるひとりたびをしぞおもふ
 ってところでしょうか。
 ★ 玉と王の違い
 ☆ は分かりません。

 へたのすけさんの言うみんなの知らないつうの真実ってなんだろう?

お礼日時:2010/11/10 09:39

了解しました。


メッタ斬りに合った時には援護射撃をお願いします。
史実と推測と体験とを交えてお話します。
一週間ほど時間を下さい。
悲しい物語にはそれらを生みだした悲しい背景があるように思われます。
私の目に焼き付いている事から、それらを解いてみたい気もいたします。
どなたかお気付きの方がいらっしゃれば、必要もなくなるかもしれませんが・・・
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 一週間ほど時間を下さい。
 ☆ えらい大掛かりなようですね。しかたがありません。お待ちします。

 ★ 史実と推測と体験とを交えてお話します。
 ☆ 史実を交えた
 ★ 悲しい物語
 ☆ ですか。フロイトとのかかわりを別として 性関係の方面かなとも思ったりしましたが ともかく何かあるんでしょうね。どうぞゆっくりと構想を練ってください。

お礼日時:2010/11/09 22:03

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