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夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか


 ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4

 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。

 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。

 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。

 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。
 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~

   しんとした間――

 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。
 惣ど: や 鶴・・・
 運ず: おお・・・

 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。
  (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る)

 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・
 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・

      間――

 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは
  ありがたいこってねえけ。
   (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の
   うちに離さない)

 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ
   ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・

 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら
   ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす)

      惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。

      微かに流れてくるわらべ唄――

      ――幕――
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 答えとして:
  1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。

  2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。

  3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。

  4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。

  5. いやいや じつはこうだ。・・・
   5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。
   5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・


 * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。
 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。

 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。

A 回答 (60件中51~60件)

「ことわり」としての悪だからです。

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この回答へのお礼

 エンテレケイアさん ご回答をありがとうございます。

 ううーん。なんでだろう ピンと来ない。回答を評価するという一票がわたしののほかに投じられていますが わたしにはピンと来ていません。

 ★ 「ことわり」としての悪
 ☆ は何がなのですか?
 ・ 与ひょうたちが つうとの約束を破ってその姿を見たことですか?

 どうしましょう。《ことわり》って 拒むということですか? 道理という意味ではないですよね?

 ★ つうが夫の与ひょうを去ったのは 「ことわり」としての悪だからです。
 ☆ こういうご回答ですよね?

 さらに考え続けます。分かったら補足欄にてお応えすることにします。

お礼日時:2010/11/02 22:20

ぶらじゅろーぬさん。

こんばんわ。
ご返信ありがとうございます。
宙ぶらりん@休止中なのですが、
つい反応ちまいまして
一言回答(丸投げ)になっちまいました。


裁くとか、とりあえず決めるとか、
分けられないものを強引に分けるとか、
嫌いなのですが、つい。都合よく・・・

つうをワルモノにしちまいました。反省。



た・ま・た・ま、助けてもらったとき、
即行で恩返しを「しなくちゃ!」と思うのは
自分の評価を落としたくないから、たぶん。
自己防衛なのか虚栄なのかは分からんです。


勝手に与ひょうに惚れ込んのだは、つう。
あなたに惚れ込んだから嫁にしてくれと、
貧乏な与ひょうに「惚」を「ぶっつけ」て、
美人のフリをして土足侵入したのも、つう。
そうして、みずから奴隷になったのも、つう。
惚れ込んだ与ひょうに
嫌・わ・れ・た・く・な・い・か・ら(?)
何・も・言・わ・ず・に・奴隷を続けたのも、つう。
み・ず・か・ら・奴・隷・に・な・っ・た!
ことを忘れていたのも、つう。
そうして、忘れていたことも忘れていて、
「あんたのせいでこんなに疲れちまったよ!」
と言って隠れたのも、つう。


こんな具合につうをワルモノにしちまいました。
都合よく。


あいだのとりかたが、
た・ま・た・ま、違ったのでしょうか。

「違う」というのは、すべて「誤」なのでしょうか。
「違う」の中に「ちょっとしたズレ」なんかもあって、
もし、「ただのズレ」なら、
少し交通することで(細かく交通し続けることで)、
修正していけるのぢゃないですか。
人間そんなにヤワぢゃないですから。





そういえば熟年離婚が増えていますね。
日本の女性もずいぶんモノを言うようになったようです。





ある日(+その翌日)の例。

妻:アタシ、あんたの友達のAさん嫌いなの。
  (それまでは夫がAさんを連れてきても
   作り笑顔でもてなしていた。)
夫:そう。嫌いなんだ・・・Aくん・・・。
妻:アタシ、Aさん嫌いって言ったのに、
  あんたまた連れてきたわね。
  ムカつく!もう離婚よ、離婚!
夫:?????????????????




妻は「Aさん嫌い!」と言っただけ。
そ・れ・だ・け・言えば!
翌日から夫はAさんを連れてこないだろうと「期待」。

夫は、妻がAくんを嫌っている、
ということは分かったけれど、
しかし夫に「期待」が通じるわけがないので、
翌日も夫はAくんを家に連れてきた。

妻は「Aが嫌いだ」と言っただけであって、
「連れてくるな」とは言わなかった。

妻は「Aが嫌いだ」と言っただけであって、
「Aを連れてくるならわたしに報告してちょうだい、
 悪いけどわたしあの人嫌いだから、
 あの人が来るときは家にいないことにするから。」
とも言わなかった。

妻は「Aが嫌いだ」と言っただけであって、
「Aを家に連れてくる回数を減らしてくださらんか。」
とは言わなかった。

妻は「Aが嫌いだ」と言っただけであって、
「Aに会いたいなら居酒屋で会ってちょうだい。」
とも言わなかった。




最後つう告まで何も言わない。
何も言わなかった、
という自分の態度については無責任。


こんなことを考えつつ、
つい、つうを、ワルモノにしてしまいました。



どう思いますか。ぶらじゅろーぬさん。
金ではない沈黙について。
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この回答へのお礼

 いやぁ この質問 あんがい投稿が寄せられますね。ご回答をありがとうございます。夕日信仰に対する批判の内容をしっかりと明らかにできればというのが 初めの魂胆だったのですが。

 ★ ~~~~~~~~~~
 裁くとか、とりあえず決めるとか、
 分けられないものを強引に分けるとか、
 嫌いなのですが、つい。都合よく・・・

 つうをワルモノにしちまいました。反省。
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ いえいえ。少しおぎなって述べます。どうも《さばく》という意味あいもあるように思うのですが それはそれとしてあっても仕方がないと考えています。与ひょうたちの行動は それに値すると思います。
 ただそのことを別れの理由にはして欲しくないなぁという願望も述べました。つまりそれでは むしろ人間一般の弱さに対する批判であって この与ひょうという人間に対する思いや考えを伝えて欲しいと思っているその答えにはなっていないように思われるからです。
 つまり 人類の罪に対する批判もしくは断罪を述べられたというように思ってしまうと思うのです。与ひょうは。(作品ではどうか・つまり木下順二がどう考えているかとは 別にですが)。
 つまり いっそのこと《嫌いになった》とはっきり明らかにしてくれれば それで諦めがつくというものだとわたしは考えるからです。
 変わった考えでしょうか。わたしひとりだけなのかなぁ。取り敢えず そういう反応でした。

 ★ ~~~~~~~~~~~~
 あいだのとりかたが、
 た・ま・た・ま、違ったのでしょうか。

 「違う」というのは、すべて「誤」なのでしょうか。
 「違う」の中に「ちょっとしたズレ」なんかもあって、
 もし、「ただのズレ」なら、
 少し交通することで(細かく交通し続けることで)、
 修正していけるのぢゃないですか。
 人間そんなにヤワぢゃないですから。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ こういうことが基礎になっていますよね。だったらつうは 何も心配することもないと思われますし 約束破りも がめつくあさましくなったことも 同じように修正して行けばいいと思えるのですけれど。ですから
 ★ ~~~~~~~~
 どう思いますか。ぶらじゅろーぬさん。
 金ではない沈黙について。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ という問いについても まったく同じ答えをわたくしは持ちますが そうでないという場合については みなさんからも解説してもらわないと 互いの見解の突き合わせも進まないかと思われて来ます。つまり質問者としては そういう話し合いを積み重ねつつふたりであゆむという見方を持つわけで その見方からみれば 去ったのは おとなげないなぁという感想なのです。
 そう考えてみれば みなさんはかなり複雑な思惟を展開しておられるとも思えて来ました。わたしの場合は いたって単純であると。

 あぁ 恩返しと愛情とは 別に分けてきちんと自覚しているということでなければならないでしょうね。そのような条件はつけるべきでしょうね。

 何だか質問者が回答を用意し始めましたが むろん情報交換だと思います。ただこうなると もっと広くみなさんの考えが いったいどのくらいあるのかと 知りたいと思うようになりましたね。

 * ご見解もしくはその思惟の過程をあまり拾わなかった結果になりましたが よろしくお納めください。取りこぼしがありましたら いつものように 指摘してください。

お礼日時:2010/11/02 22:14

個人的な感想を一言でいえば、恩を返し終わったと感じたので帰ったのだと思います。

最初は助けてもらったのが嬉しかったのでしょうし、つうにとって、その気持ちは与ひょうへの愛情に似て感じられたかもしれません。それで結婚に到ったわけです。ただし約束を破られたことで、愛情は無かったと気がつき、振り返れば、もう自分は十分に返礼をしたと思い、むしろ過剰に返礼をし続ける自分の姿に疑問をもったとみえるのです。
これは次のようにも喩えられるでしょう。つまり援助されたことに恩義を感じて献身的だった女性がいたが、とある幻滅から、愛情と信じていたものがそうではないと思い知り、我に帰るまでという風に。
いうなれば、「もう私は人間社会の基準であるギヴ・アンド・テイクの関係としては十分なことをしたのだし、無尽蔵の返礼という自分が果たそうとする行為は人間社会の基準に照らし合わせると受け入れられず猜疑されるだけだ」とつうは考えたのではないでしょうか。

質問者の方が提示したシェーマに沿えば、1、2、4を統合して、さらに解釈を加えたということになりますね。ややリアリズムな解釈ですが。
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この回答へのお礼

 投げられ‐賽は‐たさん ご回答をありがとうございます。

 ★ ややリアリズムな解釈ですが。
 ☆ とわたしも思います。そこで復唱もせずに尋ねてみますが
 ○ つうに与ひょうに対する愛あるいは愛情はあったのですか? いちど起こったのですか? 起こったけれどそれは まったくの勘違いだったということでしょうか?

 ☆ そうだったとして でもどうでしょう 与ひょうにはつうに対する愛情が生まれて来ているのではないですか? それは
 ★ 人間社会の基準であるギヴ・アンド・テイクの関係
 ☆ にもとづくかぎりでの愛情 だったんでしょうか?


 わたしは 嫌いになって去った(答えの4)のだとしたら それでよい。それがいちばんすっきりするというふうにも思うんですけれど そうではなくまったく何もなくて 恩返し――をしている途中では 愛情があると錯覚していたそのいわば仕事――をし終えたなら 別に嫌いでもなく ただただもう去るのだと。いうことでしょうか?
 はっきりし過ぎていて 何だかしっくりとは またまた腑に落ちない感じも出て来ます。

 あぁ たぶんそういう受け取りになると思うんです。つまり物語として そうであっては おもしろくなくなるようなのです。
 でも文学論ではなく哲学の主題ですから そうなるのでしょうか。

 ううーん。でもひとつのご見解でしょうね。寝かしておいて また何か考えが思い浮かぶかも知れません。
 際立った誤解がなければ ひとまづこれでお礼といたしたいと存じます。ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/02 21:47

いいえ大人げなくはないと思います。

女心じゃないでしょうか
つまりそういう問題ではなく
人に助けられた鳥が恩人の女房になって恩返しする話形は鶴のほかに、こうのとり
鴨・山鳥などを主役とする古代からの、鳥の霊異に対する信仰のあとをひくものと考えられる。
話の結末で子孫を残す伝承もある。一般には非別の結末が多い。
木下順二の「夕鶴」は佐渡島の「鶴女房」を原話としている。
岩手県に伝わる再話による鶴女房の別れの言葉は哀切きわまりない。

「ととさまし、悲しいことだが、こんな姿を見られたうえは、ここに留まっていることは出来ませぬ
実は私はあなた様に助けていただいた鶴でがんしたが、ご恩報じにとおもって、今の今まで
人の姿に化身して、あなた様に仕え申してきました。この織りかけの布は私と思うて
大切にしてくだされ」若い美しい姉様であった鶴女房は男が禁を破ったばかりに、
二度と元の姿に戻れなくなった。だから別れを告げた。悲しい恋物語。
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この回答へのお礼

 スィーエックスイーさん ご回答をありがとうございます。

 ★ 悲しい恋物語。
 ☆ ですか。それも与ひょうに嫌気が差したというのでも必ずしもなく 自分自身のあり方として
 ★ 二度と元の姿に戻れなくなった。だから別れを告げた。
 ☆ のですね。
 ★ 男が禁を破ったばかりに
 ☆ であるけれども そのことを咎めるというのでもなくと取ってよろしいのでしょうか?

 ううーん。変わっていますね。
 いくつかの答えを寄せてもらった恰好になって来ました。その中でも 特殊なように思います。

 まづ
 ★( a ) 人に助けられた鳥が恩人の女房になって恩返しする話形
 ★( b ) 古代からの、鳥の霊異に対する信仰のあとをひくもの
 ★( c ) 話の結末で子孫を残す伝承もある。一般には悲別の結末が多い。
 ☆ ハッピーエンドのものもあるのですね。

 ということは こういうことでしょうか? つまり
 ○ 鶴の姿を見てはいけない。→見ると人の姿に化身することはできなくなる。→そういう掟である。おそらく鳥の霊異とそれに対する人の信仰ゆえに そういうものとなっている。
 ☆ こういうことでしょうか? ゆえに与ひょうとのあいだの恋や愛情という問題ではなくなっている。
 伝承の話として決まっているのだと。


 しかも しかもです。なぜそう決まっているのかと言うと
 ★ いいえ大人げなくはないと思います。女心じゃないでしょうか
 ☆ なのでしょうか? 回答No.2&6の kentkun さんは
 ◆(No.6) 「鶴と人間は愛せない」という決まりごと
 ☆ と言っていますが 同じ趣旨でしょうか? その趣旨のさらに内容説明として じつは
 ○ 姿を見られたなら そこですべてはおしまいとなる。なぜなら 見られるかどうかは 女心の問題なのだ。
 ☆ というようなご見解でしょうか。

 いやぁ いろんな見方があるものだと思っております。ただしわたしは kentkun さんにも申したとおり 掟があるなら破ればいいぢゃないか。ハッピーエンド版もあるのなら 女心にしても 考えが変わることもあるのではないか。
 と思ったりしますが もうこれ以上はしつこ過ぎることになるかも知れません。
 でも 必要に応じてさらにご見解を明らかにすることはしてくださるようお願いいたしておきたいと思います。ありがとうございました。


 * 《女心》のところを 《乙女心》という言葉で説明されたときには あぁそういうものかなぁと思ったことがあります。今回《女心》と言われて あれっ それは変わることもあるのではないかと考えてしまいました。(どうなっているんでしょう?)

お礼日時:2010/11/02 21:32

#2です。




言葉足らずでした(^_^;

5-3

鶴の姿を見られたからには、人間と暮らすわけにはいかない

つまり、鶴が人間に化けて一緒に住もうとしたけど
本当は鶴ということがバレてしまった。

人間と鶴とは一緒に暮らせない、という当たり前の答えがなかったけど、それだと思う。

つうは与ひょうへの愛を、人間に姿を変えて表現してきたが
そこには「鶴と人間は愛せない」という決まり事があったのでその方法を取った。

しかし与ひょうはそんなことも知らず、つうとの約束を破り、
本当はつうが鶴だったことを友人にまで露呈してしまった。

そこでつうは「鶴と人間は愛せない」という常識にとらわれて去っていった。
チャンチャン(^_^;
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この回答へのお礼

 ケントクンさん ご回答・ご説明をありがとうございます。

 そうですね。ひととおり納得しましたと言いたいところですが まだ腑に落ちないところがあります。

 正直にしつこく尋ねてまいります。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 ・・・そこには「鶴と人間は愛せない」という決まり事があったのでその方法を取った。

 しかし与ひょうはそんなことも知らず、つうとの約束を破り、
 本当はつうが鶴だったことを友人にまで露呈してしまった。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ つまりつうは そんな決まりごとなど何ぞものかはと勇んで嫁に来たわけですね。
 ★ しかし与ひょうはそんなことも知らず、つうとの約束を破り、
 ☆ この《約束》は 《見るな》のそれでしょうか? それとも やがてその《決まりごと》のことをつうから聞いた与ひょうであったのに そのこと・つまりつうの正体を誰かに言ってしまったということでしょうか? それら両方でしょうか?

 ★ 本当はつうが鶴だったことを友人にまで露呈してしまった。
 ☆ これだけでしたら・つまり友人たちだけの範囲でしたら 何も問題はないのとちがいますか? 惣ども運ずも たとえつうが鶴であったとしても与ひょうと同じようにあたたかく受け容れてくれるのとちがいますか?
 ほかの・問題が生じる人たちにばらしてしまったのでしょうか?

 でもたとえそうだったとしても そんな――「鶴と人間は愛せない」といった――決まりごとは 破ればよいのとちがいますか? だってもうすでにふたりは愛してしまっているのですから。
 
 すっぽんのようにしつこいでしょう わたしは?
 腑に落ちないことをまなんでも哲学にならないですよね? だから とことん知りたいです。ごめんなさいね。巻き込んぢゃって。

お礼日時:2010/11/02 16:53

#4様、



太宰治のカチカチ山の「惚れたが悪いか」を思い出してしまいました。まっ、惚れるも惚けるも同じ字ですので、仕方がないんですかね。うちじゃ二人で惚けてます。

この回答への補足

 資料です。

 ▼ (ヰキぺ:カチカチ山) ~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%A1% …

 § あらすじ

 昔ある所に畑を耕して生活している老夫婦がいた。

 老夫婦の畑には毎日、性悪なタヌキがやってきて不作を望むような囃子歌を歌う上に、せっかくまいた種や芋をほじくり返して食べてしまう。業を煮やした老人は罠でタヌキを捕まえると、老婆に狸汁にするように言って畑仕事に向かった。
 タヌキは「もう悪さはしない、家事を手伝う」と言って老婆を騙し、縄を解かせて自由になるとそのまま老婆を杵で撲殺し、その上で老婆の肉を鍋に入れて煮込み、「婆汁」を作る。そしてタヌキは老婆に化けると、帰ってきた老人にタヌキ汁と称して婆汁を食べさせ、それを見届けると嘲り笑って山に帰った。

 そこに老夫婦と仲の良かったウサギがやって来る。老人から事の顛末を聞いたウサギはタヌキ成敗に出かける。
 まずウサギは親しげにタヌキに近づき、金儲けを口実に柴刈りに誘う。その帰り道、ウサギはタヌキの後ろを歩き、タヌキの背負った薪に火打ち石で火を付ける。火打ち道具の打ち合わさる「かちかち」という音を不思議に思ったタヌキがウサギに尋ねると、「ここはかちかち山だから、かちかち鳥が鳴いている」と答えられる。結果、タヌキは背中に大火傷を負うこととなったが、ウサギを疑うことは無かった。

 後日、何食わぬ顔でウサギはタヌキの見舞いにやってくると、良く効く薬だと称して芥子(もしくはタデの汁)をタヌキに渡した。これを塗ったタヌキは更なる痛みに散々苦しむこととなったが、やはりウサギを疑うことは無かった。

 タヌキの火傷が治ると、最後にウサギはタヌキの食い意地を利用して漁に誘い出した。まず湖畔に木の船と一回り大きな泥の船を用意し、「たくさん魚が乗せられる」と嘯いて、タヌキに泥の船を選ばさせ、自身は木の船に乗った。沖へ出てしばらく立つと泥の船は溶けて沈んでしまい、タヌキは溺れてウサギに助けを求めた。しかし、ウサギは逆に艪でタヌキを沈めて溺死させ老婆の仇を討った。

§ 太宰治版かちかち山

 太宰治の『お伽草紙』ではかちかち山を新解釈で書き直し、美少女と男の宿命物語としている。

 まず、ウサギを陰湿で残酷なものとして扱い、十代後半の潔癖で純真(ゆえに冷酷)な美少女に置き換えている。対するタヌキは、そのウサギに恋をしているが故に、どんな目にあってもウサギに従い続ける愚鈍大食な中年男として書かれている。

 少女は敵討ちという名目で生理的嫌悪を感じているタヌキを虐待し、男はウサギの歓心を買いたいばかりに嫌われてもただ従い続ける。
 「惚れたが悪いか」と言い残して溺死して水底に沈む男を見送る美少女が、汗を拭いながら美しい風景に微笑を浮かべて終わる、と言う少女の純粋さゆえの悪意と恋する男の惨めさを描いた作品となっている。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ わたくしの注目することがらを抜き出しておきます。

 ( a ) ウサギを≫陰湿で残酷≪なものとして扱い、
 ( b ) 十代後半の≫潔癖で純真(ゆえに冷酷)≪な美少女に置き換えている。
 ( c ) 少女は≫敵討ちという名目≪で生理的嫌悪を感じているタヌキを虐待し
 ( d ) ≫男は――その死のときの最期まで――ただ従い続ける≪

補足日時:2010/11/02 17:04
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。
 ぺさま いやちがった ヨンさま いやちがった #4様との対話は離れることになりますが――うまく通じれば 応えてくれるのではないでしょうか―― もし補足欄の資料にしたがって けっきょく《つう》をワルモノと見立てた場合には どういう答えにみちびかれるか。この思考実験をしてみます。

 ◆ (つうがしたたかな人間――いや 鶴――だったという場合のワ゛ージョン)~~~~~~~~

 罠から助けてもらった日の夜 つうは両親に言いました。
  ――おとうさん おかあさん。わたしをあの与ひょうさんのところに嫁に
   やってください。わたしはあの人を愛しているのです。

 二人の親が口を開くか開かないかのうちに じつはつうには双子のいもうとがいたのですが そのゆうという名の妹が勇みこんで言うには
  ――おねえちゃん だめ。人間にだまされてはだめよ。いくらやさしいと
   言っても 人間というのは心はきたなくあさましいものなのよ。おね
   えちゃんは いつもお人よし――お鶴よし――なのだから。

 ぢゃあと言うので 親もしぶしぶ承知したこととしては 妹のゆうが姉のつうの代わりに そのつうに成り澄まして 与ひょうがいかに人間的でやさしいか あるいはきたなくあさましいか ためしてみるということになりました。おねえちゃんの恩返しもそのとき同じく盛り込みますと 妹のゆうは言うのでした。
  
 ▼ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。

 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 と話がすすんで 空のかなたの父母の家に戻ったつうは いえ ゆうは 言いました。
  ――それ見たことですか。ねっ? 分かったでしょう? おねえちゃん。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ☆ すなわちこの解釈にしたがえば 
 ○ 答え6. もともと 分かれる運命にあるのだ。ひとは決して分かり合えぬものなのだ。それはただひとが或る種の仕方で 呆けるという状態に成りきった場合にのみ別れずに済むということなんだよ。
 ☆ となりましょうか?
 

お礼日時:2010/11/02 17:32

お久しぶりです。

お邪魔させて頂きます。

そうなんです、何も「いなくなる」までしなくたってーー
と子ども心にもおとな心にも思いました(思います)。

でも、夫といざこざして、仲直りして、また怒鳴りつけて、泣いて、
なんてやっていると、、、
「もうだめ」と言う一瞬がいつか来るのかも、とも思います。

と言う訳で、
2+1となります。
>おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。
で、やっと本心?を取り戻した時は、つうにとっての限界点でもあった。
与ひょうの思いはつうにはわかっている、心を取り戻した事もわかっている。
でも、もう疲れきってしまった。

と言うのが現実かな、と。

やっぱり、「女は追わせてしあわせになる」なんでしょうか。。。^^
尽くし過ぎだ!と子ども心にも思いましたもん。

きっと、つうなりに「去ることを小さく幾度か繰り返した」つもりはあったのだと思われます。
でもそれが「去る事」だとは与ひょうには伝わっていなかった。
懸命に何度も伝えているのに伝わらない時の虚無と疲労。
生きる力を削ぎ取られていくような感覚があります。

つうを蝕んだのは、まさにそれだったのではないか?と私には思われてなりません。

昨夜夫に泣き喚いた妻です。
なんで伝わらないんだろーなー。。。。
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この回答へのお礼

 いやぁ わたしはこのご回答についてお応えする適任者では――あっと ユッキンさん こんにちは ご回答をありがとうございます―― ないかも知れませんねぇ。
 それもこれも――つい最近わかったことですが――心理学の素養がわたしにはないということです。その意味は 一般論でならとことんあたまを絞って考え進もうという心づもりでいますが 特定の場で特定の対話としては 心の襞にも分け入ってその――たとえ心理じたいは表面の心の動きだとしても それだけではないかたちにおいて――しっかりとその個別の人間(あるいは人間性)を知らなくてはいけない。ということのようだからです。

 でも一般論としてもきちんと答えてもらっていますので その点質問者としてもしっかりと受け取って応答していまいります。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 2+1となります。
 >2.おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。

 で、やっと本心?を取り戻した時は、つうにとっての限界点でもあった。
 与ひょうの思いはつうにはわかっている、心を取り戻した事もわかっている。
 でも、もう疲れきってしまった。

 と言うのが現実かな、と。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ もしここが眼目であるとしたら じつは――かなり時間をかけてひととおりの結論を得たのですがその――No.3のニュウトラルさんのご回答と期せずしてでしょうか同じ主題の取り方(またその主題との取り組み方)であるように思いました。
 ☆☆(No.3お礼欄) ~~~~~~~~~~
  ううーん。ひょっとしてこういうことでしょうか?
  ☆☆ 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。
  ☆ という事態を与ひょうも やっとさとった。だからこのさとりが自分にはスタートである。きみつまりつうには ひとつのゴールになってしまうかも知れないとしてもと。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ すなわち
 ★ 〔与ひょうが〕やっと本心?を取り戻した時は、つうにとっての限界点でもあった。
 ◆(回答No.3・ニュウトラルさん) ~~~
  ♪ 「わたしにはスタートだったの、
  あなたにはゴールでも。」
 (「何も言えなくて・・・夏」by J-WALK )

 ↑ と歌っているのは与ひょう、たぶん。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ そして少しの違いは
 ◆(回答No.3・ニュウトラルさん) 去るのが≫最初の主張≪で最後通告?
 ☆ なのだというところを ユッキンさんは 
 ★ きっと、つうなりに「去ることを小さく幾度か繰り返した」つもりはあったのだと思われます。 / でもそれが「去る事」だとは与ひょうには伝わっていなかった。
 ☆ という回答No.1の RTO さんのごとく《倦怠期》に起こる≫さざ波≪のことに触れておられます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 懸命に何度も伝えているのに伝わらない時の虚無と疲労。
 生きる力を削ぎ取られていくような感覚があります。

 ・・・
 なんで伝わらないんだろーなー。。。。
 ~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ といううたに対しては 回答No.5のチョトツさんが ひとつのアンサーを出してくれているようです。それに対するわたしの応答は 申し訳ないながら ユッキンさんの主題とは別に 太宰治の小説の趣きを取り上げて 質問者の受け取り証を発行しています。奇想天外の話になっています。

 最初に申しましたように デリケートな主題についてお応えし残しているかに思われます。応えるすべを持っていないのですが そのあたりの風景については承知しているつもりなのです。でもむつかしい。
 という言い訳を申し述べつつ。

お礼日時:2010/11/02 19:06

ぶらじゅろーぬさん。

こんにちわ。
別の話の途中なのですが一言回答です。

去るのが最初の主張で最後通告?

「わたしにはスタートだったの、
 あなたにはゴールでも。」
(「何も言えなくて・・・夏」by J-WALK )

↑と歌っているのは与ひょう、たぶん。

この回答への補足

 ニュウトラルさん ここから先――No.3・4・5――はお応えがむつかしいです。
 少し時間をいただきます。
 あしからずご了承ください。

補足日時:2010/11/02 14:37
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この回答へのお礼

 ニュウトラルさん ご回答をありがとうございます。

 いやあ むつかしい。やっぱり
 ★ 一言回答
 ☆ はむつかしいです。
 
 まづ単純な解釈の仕方があります。
 ★・♪ ~~~~~~~~~
 「わたしにはスタートだったの、
 あなたにはゴールでも。」
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ これは わたくしも女性の側から《結婚がゴールだ》というひとつの見方をしている場合があると聞いていますので その場合を片づけておきたいと思います。
 けっきょくどこにゴールを置くかにかかわらず 結婚にこぎつけたあとも あたらしい家庭としてのスタートが待っていますよね。子どもが生まれたりその成長を見守ったりのスタートもあるでしょうし あるいはふたりの社会的な位置づけをどうして行くかなどなどを考えれば ゴールがただのゴールでないことは分かっていますから そういう意味では スタート・ゴール問題は きわめて単純な問題としてしかわたしには迫って来ないのです。

 ちなみに
 ▼ (「何も言えなくて・・・夏」by J-WALK )~~~
 ♪ 世界中の悩み ひとりで背負ってたあの頃
 ♪ 俺の背中と話す君は 俺よりつらかったのさ
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 男と女 どちらのセリフとして捉えても このあたりもあとまで残りますが いまは
 ★・♪ ~~~~~~~~~
 「わたしにはスタートだったの、
 あなたにはゴールでも。」
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ これが与ひょうのうたう歌だというのですね。そして つうの側は
 ★ 去るのが最初の主張で最後通告?
 ☆ であったという分析ないし見方を提出しておられる。

 ♪ 「どんな悩みでも打ち明けて」そう言ってくれたのに
 ♪ 何も言えなくて・・・夏
 ☆ どうもこのあたりもかかわっているようにも思える節があるようで どこか違っている。自己主張はいっぺんもして来なかった。つうは。そういうことのようですね。

 分かりません。
 ですから
 ○ 最初の主張をするかたちに期せずして成ったというその最後通告は ではなぜ・どこから出て来たのか?
 ☆ 単純に考えたら
 ☆☆ ~~~~~~~~~~~~
 1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。

 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということになるのでしょうか。

 もしこうだとしたら――もしそうだとしたら ですが―― それは与ひょうという人を裁いていることになりませんか? それはやむを得ないことですか? 間違っていないのだと。

 もしこの筋で考えるとすれば そうですねぇ。
 この《不信実で金の亡者》というさばきは仕方ないとして それでもそのさばきと 別れとは切り離して欲しいというように考えるのですが そうは行きませんか?
 おカネに目がくらんだのは かえってそれまで与ひょうが純心だったということの現われではないですか?



 ううーん。ひょっとしてこういうことでしょうか?
 ☆☆ 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。
 ☆ という事態を与ひょうも やっとさとった。だからこのさとりが自分にはスタートである。きみつまりつうには ひとつのゴールになってしまうかも知れないとしてもと。

お礼日時:2010/11/02 18:27

5-3



鶴の姿を見られたからには、人間と暮らすわけにはいかない
という当たり前の答えがなかったけど、それだと思う。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 《見るな》の禁忌という話でしょうか。
 そうしますと 次の要素も含まれましょうか。
 ☆☆ (趣旨説明) ~~~~~~~~
 答えとして:
  1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。

  4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ あるいは《きらいになった》は入らないでしょうか。

 ギリシャ神話で かの竪琴の名手オルフェウスは 妻のエウリュディケを黄泉のくにに探し求めて行き つれて帰る途中に 約束の《後ろを振り返るな》を侵して妻を見たため これを失ってしまった。
 旧約聖書では ソドムから逃げる途中でロトの妻は 《うしろを振り返るな》の指示を破ってしまい 塩の柱に変えられたとか。

 わが記紀神話では イザナキが黄泉のくにに逝った妻のイザナミを迎えに行きますね。
 ▼ (イザナキ・イザナミ) ~~~~~~~~~
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~tukasa/kojikiekotoba …

 イザナミにもう一度会いたいと思ったイザナキは、黄泉の国(死者の国)まで妻を追っていった。そして、閉ざされた黄泉の国の御殿からイザナミが出迎えられたとき、イザナキは「愛しい私の妻よ、私とあなたとで作った国はまだ完成していないのだから、帰ってきておくれ。」といった。

 これに対してイザナミは

   「残念ながらあなたは来るのがおそかった。私は黄泉の国の食物をもう食べてしまいましたから、ここから出ることはできません。だけれども愛しいあなたの来てくれたことはとてもうれしくて畏れ多いことです。ですからなんとかして帰ろうと思いますので、黄泉の国の神と相談してみます。どうか私の姿を見ないようにしてください。」

 と答え、御殿の中へ戻っていった。しかしなかなか帰ってこないので、イザナキは待ちきれなくなった。
 そこで左の角髪(みずら)に刺していた神聖な爪櫛(つまぐし)の端の太い歯を一本折って、火をともしてはいってみると、イザナミの体には蛆(うじ)がたかっていて、頭には大きな雷(いかづち)、胸には火の雷、腹には黒い雷、女陰には裂けた雷、左手には若い雷、右手には土の雷、左足には鳴る雷、右足には伏す雷、あわせて八種類の雷が体から出現していた。

 これを見てイザナキは恐ろしくなって逃げ帰ろうとすると、イザナミは「私に恥をかかせたわね。」といって、すぐにヨモツシコメに命じて追いかけさせた。・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ これでしょうか? つまり
 ★ 鶴の姿を見られたからには、人間と暮らすわけにはいかない
 ☆ というのは 
 ○ イザナミが「私に恥をかかせたわね。」という気持ちを持った
 ☆ ことを言うのでしょうか?

 そうかも知れないのですが どうなんでしょう。
 無理にでも反論を用意しようと思えばですが:
 与ひょうは 鶴の姿でもかまわない 何の問題もないと言ったら どうなりましょうか?
 あるいは 恥をかくことなどは人間をやっていれば誰でもどこでも出遭ってしまうことではないかと言われれば どうなんでしょう?
 そうではなく 何か決定的なことがありましょうか?
 つまりは やはりむしろ
 ○ 4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。
 ☆ に落ち着くのでしょうか。

 そのあたりで腑に落ちるような考えを得たいとは思います。注文の多い質問ですみません。

 * イザナキ・イザナミの話で 死体に蛆がたかっていたというのは それまでは死ぬということがどういうことか分からなかったところ――眠りに就くということではないかと思っていたところ―― 墓の中を掘り返して覗いて見たら そういう姿だとさとったという話だと思います。ひとは歴史的――時間的な――存在だと自覚したという話だと考えます。

お礼日時:2010/11/02 14:14

倦怠期だった に1票

この回答への補足

 お礼欄をおぎないます。

 ○答え:4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。
 ☆ というご回答ということで。

補足日時:2010/11/02 11:14
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この回答へのお礼

 ありがとう。

 ただあまりおもしろくないとも感じます。
 そうだったら その去ることを小さく何度も繰り返すということが 当面の反応であると考えられるからです。
 つまりひとつの定まった結論を求めるなら その小さなさざ波を起こしたそのあとどうなるかが問われるであろうと思われるからです。
 どうでしょう?

お礼日時:2010/11/02 10:54
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