プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

30代、女性、医師です。

社会的なステータスもある職業で、子供も3人います。主人は、医師ではなく、収入は低いですが、とても優しく、家庭は円満です。

これだけ聞くと、何を悩む事あるの?と思われるでしょうが、実際は、毎日生きるのが辛いです。


今日も余りにも仕事が忙しく、子供の個人面談に行けませんでした。毎日、仕事が終わり、家に帰ると、泣く子も抱けず、ひたすら夕食を作り、風呂に入れて、寝かす日々です。
上司には毎日のように怒られ、患者さんには、気をつかい、時には人の生死に関わる決断を迫られ、迫り、心身が消耗し、何の為に生きているのかを模索しています。

死んだ方が、楽になれるかも?という言葉が一日一回は頭をよぎります。(でも、生きたくても生きられない人を毎日目にしてますので、自ら命を絶つことは無いと思います。)

大学の同級生は検診のみの仕事で、専門で資格を持つ私の倍近い給料を貰っている人もいます。
このまま頑張って定年まであと25年苦しい思いをする位なら、仕事にやりがいは無くても、楽で、子供とのかけがえのない時間を大切に出来る仕事に変わった方が良いのでしょうか。


本当に毎日が辛いです。主人は楽天的な人で相談に乗って貰えません。親には、今まで色々心配をかけているので、今の私の状況を話して、さらに心配をかけたくありません。

文章も支離滅裂で、何の相談かわからないかもしれませんが、お言葉を頂けたら幸いです。

A 回答 (13件中1~10件)

こんばんは



お子さまを大切にすべきです。お子さまの心の安定には、幼少期の母親との関係が非常に重要な要素をしめます。それこそ、お子さまの一生を支配するくらいに。

私は元介護職従事者ですので、自分自身が万全でない状態で、利用者に向き合うことはよくない関係をうみだすことはよく知っています。医者と患者の間も同じことだとお思います。

難しいことではありますが、本来人助けは、自分自身が万全でないと十分なケアは出来ません。それに、今は患者よりもお子さまの方があなたにとっては重要なはずです。

ご主人は楽天的な方で相談してもムダとのことなので、お子さまの心を汲み取ることは難しいでしょう。そうなると、それは、あなたの役割になりますよね?

子育てがある程度目処がついてからでも、仕事はなくならないはずです。医者不足の世の中ですから…
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初めまして。


37歳主婦です。まずお仕事と子育て本当に大変だなと思います。。今までよくがんばりました☆
まずそれに勲章をささげたいです。。><

 内容を読んで伝わってきたのが、お仕事の大変さで、お子さんをとても愛しいまたは出来ていない喪失感みたいなものなのかなと感じました。それって子供への愛情で母親としてとても大切な感情だと思いますよー。。!!間違ってないです安心してください☆
 私は専業主婦で、時間はあるはずなのにそれでも子供に何かきっと足りてない~!と悲しくなったり涙がにじんで来たりという感情が湧き出てくるときがたまにあります。そういう時はこどもが愛しくなるサインだなって思って何か関わる事にしています。そうするとその心も落ち着いてあー大丈夫だーという気持ちに成れます。何でもいいです休みにだらだらして子供と寝転んで過ごすとか、家事をほって置いてどっか子供と出かでるでも。今大事なのはご本人の心の中で家事をやんなくても誰も死にません!大丈夫です子供が好きだって言う気持ちを大事にされてください☆☆☆

 さて、本題になりますが、まずお仕事が医師で大変大切な役目としてすぐにやめろとはいえません。。今まで色んな意味で沢山救われた方がいると思います、でもこの状況が改善されるなら時間的な面や職場を変えるのは是非おすめしたいです!!!減らしてみてください。または休職もいいのではと・・・結婚までちょっと医療に関わった事があるので分かりますが医師のお仕事は過酷ですよね。あっちにパートあっちに夜勤と時間も場所もばらばらでいつ寝たり自分の事するの?と思っていました。。
 そして私も子育てをしているので分かります。完璧は多分誰もいませんが、なるべく悔いのないように子育てしたいと思っています。ご本人も言われている様に何十年後後悔しないように生きたいですよね!!!同感しました。私の場合は性格的に沢山やってあげるのははっきりいって無理だと分かっています。でも愛情の部分を満たしてあげる事はしようって決めています。
ざーっと思った事を書いたので、言いたい事が分かっていてだけるといいですが、一母親として応援しています。
がんばってください☆
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学生です。

こんな若者が分かるはずない…と思われると思います。
しかし、読んでみて僕自身あなたに何か言わなければならないと思いました。

(拙い聞き苦しい話ですが)僕もあなたと同じく死にたいとずっと思っていました。何故か、同じです。「なんで、俺生きてんのかな」と考えていたのです。成績も運動も自惚れではなく、結構出来ていました。しかしだからこそ孤独で、周りとも馴染めず希望も持てませんでした。
生きる意味が分からず…苦しんでいました。

しかも、僕は母親を幼い頃亡くしています。父も仕事が忙しく、家事も兄弟の世話も僕の仕事…
周りの友達が、気ままに遊んでいるのに自分は…
成績や、プライドがあの時の自分を支えていました。
本当に自分の境遇を恨み、死にたかった。もう、希望はないと思っていました。今のあなたの切羽詰まった境遇と似ています。
誰も味方がいなかった。

けれど、夢が僕にはあったのです。【獣医師】になること。その小さな希望、ある先生とした約束が憔悴しきった心を慰めてくれたのです。
「動物を救いたい」これは、小さい頃から、動物とは上手くコミュニケーションが取れていたことから思いました。その先生は、僕の事を理解し、励まし、味方でいてくれたのです。気付くと身近には、味方が沢山いたのです。僕自身が拒んでいただけだった…今の僕は友達も多く、明るく過ごしています。

あなたは、医者です。僕のように確かな希望、明るい光を持ってなったのではないでしょうか?
生きる意味?意味が無いものは生きてはいけないのですか?
違います。ほとんどの人間はずっとそれを探して見つけだそうとして、必死に生きているのです。
意味なんてなくていい。大事なのは気持ち、その人自身が考える希望、光を実現することです。(何故なら、最終的にそれが生きる意味を探す最短ルートだから)
もし、お子さんと過ごす時間を増やしたく、仕事を変えたいなら僕は賛成です。(生きる)意味ではなく、あなたの希望をあなた自身の手で、どうか形にしてください。意味にとらわれ、意味ばかり求め、意味に固執する生き方は、それこそ意味がないです。その人がやりたいように、希望を実現し、やりがいを求めて頑張ってください。

僕が変わったように…
あなたも辛くても、変われるはず…
意味じゃない。やりがいを求めてください。
なにより、子供たちがいること自体いきがいでは、ないのですか?
灯台もと暗し。身近な大切なこと見失っていますよ。
僕みたいな学生が意見してすいません。とても、自分に親近感を覚えたので、自分の体験を交えて、話しました。

頑張ってください。
応援しています…
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マザー・テレサの祈りIV



それでも

 人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。
    それでも彼らを愛しなさい
 もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか
 何か隠された動機があるはずだ、と非難します。
    それでもいい行いをしなさい。
 もしあなたが成功すれば、不実な友と、
 ほんとうの敵を得てしまうことでしょう。
    それでも成功しなさい
 あなたがしたいい行いは、明日には忘れられます。
    それでもいい行いをしなさい
 誠実さと親しみやすさはあなたを容易に傷つけます。
    それでも、誠実で親しみやすくありなさい
 あなたが歳月を費やした建物が、一晩で
 壊されてしまうことになるかもしれません。
    それでも建てなさい
 ほんとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら
 彼らに襲われてしまうかもしれません。
    それでも彼らを助けなさい
 持っている一番いいものを分け与えると、
 自分はひどい目にあうかもしれません。
    それでも、一番いいものを分け与えなさい

マザー・テレサが作ったカルカッタの<孤児の家>の壁に書かれた言葉

ルシンダ・ヴァーディ : 編 : 「マザー・テレサ 語る」 : 早川書房

 オキ(カメラマン・沖守弘氏)、あなたの国では、人びとは何不自由 なく生きているように思えるけれども、心の飢えをもっている人はたくさんいるでしょう。
 だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ、それは一切れのパンに飢えているよりももっとひどい貧しさなんじゃないかと、私は思うの。
 オキ、ほんとうにあなたのまわりにはいないといえますか?
 だれも自分を必要としていないのだと思っている人が、もっと親と話したいと思っている子どもが、すんでいる部屋のナンバーでしか存在していない人が……


 飢えている人がいます。
 でもそれは、パンがないためではありません。
 愛、思いやりへの飢え、だれかの「自分」でありたいという思いがみたされない飢えなのです。
 裸の人もいます。服がないということではありません。
 見ず知らずということだけで、やさしい心づかいをしめしてもらえないという意味で裸なのです。
 でも、それらの人びとに話すことはできるだけ少なくしましょう。
 説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。
 ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい、そのほうがもっと雄弁なのですから。


 日本には、神に飢えた人がたくさんいます。
 生活に祈りを持つようにしてください。
 祈れば、心が澄み、心が澄めば、神が見えてきます。
 神が見えれば神の愛が働いて、ことばでなく行動で愛をあらわしたくなります。
 祈りは、愛を深くし、愛が奉仕を生みます。
 日本の人も祈って下さい。
 生活に祈りを持てば、貧しい人びとを知るようになります。
 貧しい人を知れば、彼らを愛するようになり、助け、愛と平和の喜びをあたえます。


 家庭に、神の愛をもたらせば、平和と喜びがみち、それは隣人にも及びます。
 家庭が、共に祈れば共にあり、共になれば愛し合います。
 愛があれば分かち合います。
 隣人を訪ね、その愛は自己犠牲にまで高まります。
 そして、愛はまた愛を生みます。


「けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。
 この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。」
「カルカッタやその他の土地に比べれば、貧しさの度合いは違います。
 また、日本には貧しい人は少ないでしょう。」
「でも、一人でもいたら、その人はなぜ倒れ、なぜ救われず、その人に日本人は手をさしのべないのでしょうか。
 その人が飲んだくれだから!
 でも、彼もわたしたちも兄弟です。
 本人はきっと孤独でしょう。
 みなから無視されての……。
 やけ酒かもしれません。」
「私は、短い間しか日本に滞在しないので手を貸してあげるのは、せんえつだと思い、何もしませんでしたが、もし、女の人が路上に倒れていたらその場で、語りかけたり、助けていたと思います。
 豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。
 だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。
 物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。
 心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。
 日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」
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(マザー・テレサの「主よ、私は信じ切っていました」より)




(since 1997.09.21)



主よ、私は思いこんでいました。
私の心が愛に漲っていると。

でも心に手を当ててみて、

本音に気づかされました。

私が愛していたのは、他人ではなく、

他人の中の自分を愛していた事実に。

主よ、私が自分自身から解放されますように。





主よ、私は思いこんでいました。

私は与えるべきことは何でも与えていたと。

でも、胸に手を当ててみて、

真実がわかったのです。

私の方こそ与えられていたのだと。

主よ、私が自分自身から解放されますように。





主よ、私は信じ切っていました。

自分が貧しい者であることを。

でも、胸に手を当ててみて、

本音に気づかされました。

実は思い上がりと妬みとの心に、

私がふくれあがっていたことを。

主よ、私が自分自身から解放されますように。





(マザー・テレサの「主よ、私をお使い下さい」より)
(since 1997.09.21)



主よ、今日一日、
貧しい人や病んでいる人を助けるために、
私の手をお望みでしたら、
今日、私のこの手をお使い下さい。


主よ、今日一日、
友を欲しがる人々を訪れるために、
私の足をお望みでしたら、
今日、私のこの足をお貸しいたします。


主よ、今日一日、
優しい言葉に飢えている人々と語り合うため、
私の声をお望みでしたら、
今日、私のこの声をお使い下さい。


主よ、今日一日、
人は人であるという理由だけで、
どんな人でも愛するために、
私の心をお望みでしたら、
今日、私の心をお貸しいたします。
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こんばんは。



meiyo2000さん、辛辣な意見です…読みたくなければスルーして下さい。

meiyo2000さんは、今日これまで『誰の意思決定でご自身の人生を歩んできた』のですか?

『女医(職業)、結婚、夫婦(妻)、家庭(母親)、子供…』それら全てを、

『誰かにさせられている』のでしょうか…?

違うでしょう、少なからず自分で選んだ道のはずですよ。

『自分自身を過大評価』していた訳です。

それが『破綻寸前』なのが現実でしょう。

meiyo2000さんはまず、『志を持って万全の体制で人様の役に立ちたい』と、

医師になった筈です。

この書き込みを『担当する患者さんに見せる事』ができますか?

そんな『心身消耗した主治医の世話にはなりたくない』のが

患者さんの本音ではないですか?

・・・『毎日が辛い』のは至極当然です。

『抱えきれないほどの荷物』をご自身で抱え込んだのですからね。

ここは、『信頼できるご主人と今後の家庭生活を優先に生活設計』を

やり直してください。

医師の家庭のご子息は『グレル、道を外す傾向が高い事』はご存知ですよね。

それは、単に医師が忙しいからではありません。

気を使う仕事の為に、『他に気が回らなくなるから』なのです。

仮に医師の仕事(ステータス職)が続けたいなら、失うものがある事を覚悟してください。

それが、『過労死と言う名のモノ』も含まれる事を肝に銘じてください。

そうなった時、残された夫は元より『子供たちに対して母親の責任を全う出来なかった事実』は

心情的に子供たちは母親を理解し許せたとしても、『愛情不足の事実』は消えません。

『人生七転び八起き』です、しかし『医者の不養生』では本末転倒です。

家族会議、親族会議でしっかりと将来のビジョンを設定し直して下さいね。

それでは、ご自愛と共に、家族も同等に愛してくださいね。
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コミュニケーションは言わなければ伝わりません。


言葉でお茶を濁されるようなら手紙に書いて残しましょう。

給料についても、そういう人が中にはいるというだけで、
それが客観的に見て仕事内容に見合った額かどうかは
本人にすらわかりません。

まずは辛いという現実から目を背けるのではなく、
何故辛いのだと思うのかにスポットライトを浴びせ、
辛いと思わなくなるためには具体的にどういった行動に
出れば良いかを考えてください。

行動しなければ現実は変わりません。
闇雲に行動する前に、じっくりと考えてください。
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とりあえず、仕事はやめる方向でお願いします。



私は他人ですので人の仕事に口を出す権利はありません。
しかし、あなたが医師であり、命を扱うとなれば話は別です。
あなたの状態では人の命を扱うべきではありません。

まあ、実際は医師のメンタルは厳しい場合も多いと思いますが、
建前上このように言われたらこう返すしかありませんし、本音でもあります。

怒られるのも、周りが楽に稼いでいると見えるかも知れませんが、
嫌ならそちらに変えればいいのです。
変えられないなら、それはあなたが選んだからでしょう。

医者の不養生って感じですね。
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その問いかけをなさったということは、あなたの中でくすぶっていた主体性がついに発動したからではないでしょうか?


職業独自の問題だけでなく、今の周辺環境とあなたとの関係性が、今までは全て受け身にならざるを得なかったような気がします。
現場の仕事に追われ、上司の厳しい指摘に追われ、患者さんへの気遣いに追われ、時間に追われ、治療の判断に追われ、・・・あなたの人生は、かわいそうなぐらい後手に回されてきたために、いつの間にか、自分という主体性をどこかへ置き去りにしてきてしまったのではないでしょうか。
主体の位置に立てるかどうかは死活問題でありましょう。
たとえば、今ここに人と水の関係があるとします。
川を流れる水・・・その水に対して人間が主体性を失う(=対象の位置に立つ)なら、水に流され、溺れ、そして死んでしまうこととなるでしょう。
それに対して、水を知り、流れを知り、水に対して人間が主体の位置に立つなら、水に流されるのではなく、川の水の流れを利用して楽しく泳ぐということができることでしょう。
水というものは同じでも、それに対する人間側の立つ位置によって、天地の差を生ずるのではないかと思います。水が主体で溺れてしまうか、人が主体で泳ぎ楽しむか・・・ですね。
さて、私は仕事は何でもいいと思っています。どんな仕事でも、つまるところ同じ空の下で生きる誰かのささやかな幸せに貢献することが仕事の本質だと思うからです。悪事でない限り、間接直接の違いはあれどどんな仕事でもそうなのだと思います。
ですから、その本質を知れば、少しでも人様のために生きようとすれば、人が一本の苗木を植えている間に、自分は三本植えようとします。給料なんか関係ないわけですね!!
人の幸せに生きることが結局自分の幸せになる、ただそれだけです。
だからこそ、素直に喜べる方向として主体性を発揮できるのだと思います。
それがもし主体性を失ってしまったなら、「同じ給料もらってるのに、どうして人の三倍も働かなくてはならないんだよ~バカらしい」とこんな感じになってしまうでしょう。
○○させられているという発想には主体性はありません。
自分から○○をしたい・・・これが主体性というものです。そうすることが素直に嬉しいからです。
とはいえ、諸般の事情や責任の範囲が大きくなったり、尚且つ現場の仕事の総量が増えたりすれば、心がついていけないこともあります。主体性というのが吹っ飛んで、完全に時間に追われるような感じの・・・
そんな時、自問自答します。「お前は時間が主体なのか、それともお前が時間の主体なのか」と。
時間に追われる仕事では、水に溺れる状態と一緒です。
時間を手中に治めなければならないのです。時間の後から行くのではなく、時間の前に立たねばならないのです。
時間になんか負けないぞと決意し、実践するとがらっと変わります。
今まで四人でしかやれなかった仕事が一人でできるようになってしまうのです。
しかもきつく感じていたはずが、気持ちよさに転換してしまいます。
あなたの場合は、直接人の命を与る仕事です。
ある意味羨ましい仕事です。給料云々ではなく、直接に人間の幸せに貢献できるからです。
責任やプレッシャーは他の仕事の追随を許さないものだと思います。
それだけに一層の主体性が求められるのだと思います。
あなたの問いかけは、あなたの危機を感知したあなたの良心が、あなた自身の根底にあったが抑圧されてきた主体性を発露させようとして作用したのだと思います。
あなたは素晴らしい職業についているのです。
水と人の関係と同じです。
あなたが今の環境の中で後手に回らず、主体に立てるかどうかの正念場なのです。
あなたの仕事に限らず、どんな仕事でも似たようなことはあるのです。
職を変えても必ず通過する試練といってもいいかもしれません。
自分の動機が・・・心の本質が・・・本当はどこにあるのか・・・そこに気づいた時、既に主体の位置に立っているのです。
お金や社会的なステータスの為に働く・・・これだけでは動機は弱く、本当の主体性には成り得ないことと思います。
自分の正直な心と今こそ向き合って下さい。
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社会的なステータスもある職業ですか… ざっと読ませて頂きましたが、誠に失礼ながら、如何にも世間知らずな女医さんらしいご質問ですね。



仕事が忙しく、上司には毎日のように怒られ、患者さんに気を遣って、その結果、心身が消耗して何のために生きているのか分からなくなり、家庭は円満なのに毎日生きるのが辛くなった。一体何を仰りたいのでしょう? 社会に出て仕事をして給料を得るということは、そういうことなのです。みんな質問者様と同様に辛い思いをしながら汗水流して働いているのです。

恐らく質問者様は、医者になりたくてなられたのですよね? つまり、自分のやりたかった仕事に就いている。にもかかわらず、不平不満ばかりに目が行ってしまう。質問者様の目の前にいるのは誰ですか? 病気や怪我で苦しんでいる患者さんではないのですか? 医師であるのに、その患者さんのことを見ているとは到底思えません。

多くの人は自分のやりたかった仕事になんて就いていません。そんな仕事なのに、上司や先輩に怒られ、お客さんに怒られても、目の前のことを一生懸命にやりとげているのです。そして、最終的にお客さんの喜ぶ顔を見れば、それまでの辛かったことなど一度に吹っ飛んでしまうのです。それが仕事の魅力であり、やりがいではないでしょうか。質問者様は、何をやりがいに仕事をされておられるのですか? 患者さんの喜ぶ顔ではないのですか?

人は生まれてくれば、どんな人でも「使命」と「役目」を持って生まれてきます。質問者様には、医師という役目を果たすために、病んだ人を救うという使命があるのです。何も難しいことではありません。この使命と役目を果たすということが、何のために生きているのかの答えです。

世の中には、質問者様を必要としている人がいるのです。そのことを決して忘れないでください。
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