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クリスマスにケーキは食べません!
もうすぐクリスマス。日本でも最近はカップルで過ごすより、
グループで過ごす方が人気のようですが、いわゆるカップルが盛り上がるというのは日本だけ。
アメリカやヨーロッパではクリスマスは家族で祝うイベントであり、
カップルで過ごすと聞くと「かわいそう」とまで思われる可能性が。

ほかにも私たち日本人が知らない、クリスマスの過ごし方(アメリカ)をいくつかご紹介。

■祝うのは24日ではなく、25日である
いつからか日本人はクリスマスイブである24日をお祝いすることになったのでしょう?
お祝いをするのは25日で、もちろん子供たちにプレゼントが渡されるのも25日です。
25日の朝、ツリーの下に置かれたクリスマスプレゼントを家族で開け、豪華なランチ、
もしくはディナーもその後に行われます。

■クリスマスにチキンは食べない
日本に住むアメリカ人が驚くことのひとつが、クリスマスイブのケンタッキー・フライド
チキンの前の行列。クリスマスにファースト・フードのケンタッキーでチキンを買っている
姿は不憫にさえ思う人もいるようです。アメリカでは感謝祭のターキーほど決まりきった
メニューはないものの、ローストしたチキンを日常的に食べているのでクリスマスにチキン
を食べることは典型ではありません。丸太のような大きなハムか、グース(雁)、
プライムリブ、または、あまりいつも食べないローストポークを食べるのです。

http://kirei.biglobe.ne.jp/news/detail/201012231 …


どうして日本はクリスマスとかおかしなことになってしまったんでしょうか?
そもそも宗教的な行事ならクリスチャン以外はスルーすべきなのではないですか?
仏教ならお盆を神道ならお正月をお祝いするのが日本の多くの人達の本当の姿では?
この記事を読んでかわいそうというかおかしいと思ったのですがどうなんでしょうか?
本当に信仰していたら勝手に創価学会とか幸福の科学とかオウムとかアレフとか、
異教徒が自分の宗教の祝い事に入り込んで来たら嫌だと想像したのですがどうでしょうか?

メリー・クルシミマス♪

「クリスマスをカップルで過ごすのは日本だけ」の質問画像

A 回答 (21件中1~10件)

お月見だって元はといえば外国の行事です


お盆だって元は修行僧の苦行でした
日本は文化の終着駅です
内外の文化が渾然一体になって日本独特の雑多行事ができあがっているのです
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17年カトリック教国で暮らしましたが、帰国して最初は貴方の仰るように変だなと思っていました。


でも最近ではまあこれはこれで仕方ないと思うようになりました。
外国だってそうなんです。自分たちの方式で日本の文化を受け入れます。
日本のものと称して外国でやっているものにはずいぶんいい加減なものがあります。
同じことです。
日本はそもそもキリスト教が定着していないのにクリスマスのなんとなくロマンチックなものだけを取り入れた。その結果、
1.クリスマスは恋人とデートをする日になった。
2.ケーキを食べる日になった。
3.七面鳥は日本人に馴染まない。それで七面鳥の代わりにケンタッキーを食べることになった。

一つだけ意見が違う点があります。私が住んだ国では家族がお祝いするのは24日の夜です。25日は家族が一緒に睦まじく過ごす日です。国によって若干違うことはあるかもしれませんが・・・
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仏教徒やキリスト教徒がヒンドゥー寺院で精神修行するツアーに参加していますよね。


外国人(=非日本人)クリスチャンが日本の神社仏閣で「ここはこういうご利益があります」と聞いてそこで祈ったりご利益のある儀式をしたりお守りを買ったりする人も結構います。

「日本の宗教」ではなく「日本の文化」とみなしているからこそ、神道の信者でない外国人が(いゃ、一部の日本人も)神輿を喜んで担いだりするのです。
特に一神教徒が神輿を担ぐなんて、よく考えれば背教(他宗教・多神教を受け入れたから)に値するのに。

それと同じことなんだと思います。

だからクリスマスを楽しむ日本人を多目にみてやれ、という意味ではありません。
「おかしいのは日本人だけというわけではない」と言いたいのです。

カップルでクリスマスを過ごすのは日本だけでなく、米国映画でも結構「ムードのあるいい話」のように描かれているので、もし一般の米国人が「カップルで過ごすなんてかわいそう」と言うなら、米国映画は逆にそれを打破せんとかなり努力しているのですね。

24日に祝うのは本当です。というか、そういう教会も存在します。
昔は夕方から次の日がカウントされた(始まる)ので、24日の夜がクリスマスの夜となるのです。
だからクリスマスのミサはグレゴリオ暦(現在一般化しているカレンダー)の24日の夜なのです。
参考に
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA% …

それに、クリスマスの食べ物はそれぞれの国で違います。
ローマ法王や各国の教会のトップ(?)が「これを信者は食べなさい」と言ったわけではなく、それぞれの国事情・文化事情で違うのです。
だから日本人(クリスチャンでも非クリスチャンでも)がクリスマスにチキンを食べたからといって「おかしい」と言われる筋合いはありません。日本はそれが「一般的」(らしい)なのですから。

私はクリスマスを祝いません。
でも、頭ごなしに「日本はおかしい」と言われると、「そう全部否定するのは違うのでは?」と思ってしまいます。
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以前、アメリカ滞在中に、CNNが東京のイブの様子をレポートしていました。



Kurisumasu party in Tokyo

つまり、Christmasと日本のクリスマスは、異なるものとの認識です。

オランダに住んでいたこともありますが、やはりクリスマスとは様子が違っています。

日本では、聖夜でなく性夜である場合もあり、異なるものと割り切って考えたほうがよさそうです。
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ウィキペディアに載ってるのが参考になるかも。


「クリスマス」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA% …

まあ、今はクリスマスに限らず、正月とか何でも「消費しまくり期間」になってるよね。
愉しみ方が、企業が発信したお仕着せの娯楽ばかりになってると思う。

今、中国で裕福になった人たちが海外の高額商品を夢中になって買ってるというけど、
日本も過去にそうであって(特にバブルの頃)、それが定着してしまったのでは。

元祖と変質してしまうことはよくあるから、変質自体は別に良いけど、
商業主義の食い物になっちゃってる状態は、多少なりとも是正が必要だと思います。

この回答への補足

ローマ教皇による商業主義への懸念

現任ローマ教皇・ベネディクト16世は、
12月8日の「無原罪の聖マリアの祭日」とクリスマスの間の「聖なる降誕祭を準備する期間」について以下のようなコメントを発している。

現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なこと。……
……降誕祭の精神は、「精神の集中」と「落ち着き」と「喜び」であり、この喜びとは、内面的なもので、外面的なものではない。

– 教皇ベネディクト十六世の2005年12月11日の「お告げの祈り」のことば(カトリック中央協議会)

補足日時:2010/12/24 21:36
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>国際人としてはわけがわからずともなんとなく受け入れて、


馬鹿騒ぎすればいい余計なことは考えるなということでしょうか。

これですよね。あなたもご自分を国際人と認められたのではないのですか?
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昭和30~40年代、クレイジーキャッツなんかが全盛のころ、キャバレーなどが客寄せでクリスマスを利用したんですな。


サンタの赤いとんがり帽子と高い鼻のついたメガネなんかしてサラリーマンが家庭にクリスマスを持ち込んだ、という話を読んだ記憶があります。
バレンタインも販促だし、ホワイトデーもしかり。

でも日本は神道、とはいっても天皇万歳\(^O^)/の途中で作り替えた国家神道ではなく、自然神道なので八百万の神なんですから、クリスマスも大丈夫なんです。きっと。

メリークリスマス!
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バブルの頃に「クリスマスは恋人と豪華なホテルで過ごす」的な商業的仕掛けがあって、それがそのまま定着した。



昨日の昼(日テレのDON!)に、外人に「日本のここが変」を聞いていて「日本のクリスマスは恋人と過ごすらしいけど、アメリカではありえない。それは、クリスマスは家族で過ごすもので、恋人と一緒だと怒られる」なんだって。
じゃ、なぜ日本では「クリスマスは恋人と過ごす」になったのか…の答えが冒頭だった。
ちなみに「クリスマスにケンタを食べるのはありえない」とかもあったよ。
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>どうして日本はクリスマスとかおかしなことになってしまったんでしょうか?


質問はこれでいいんですね。
では回答は「日本は多神教だから」です。

私もアメリカに住んでいたことがありますので、質問者様のおっしゃることは良く分かります。ただ、アメリカでも若者だけのパーティーなどでは、ケンタッキーフライドチキンを食べてますよ。ついでにピザとビールとコークもありますがね。。

さて、日本人が考える「宗教」とはたいていにおいて、一神教のことです。キリスト教とかイスラム教などですね。そして日本人の多くは自分たちのことを「無宗教」だと思っています。
そして、宗教的行事というものを「正しい」か「おかしい」かと判断するのに、日本人も(自分たちは無宗教だと思っているから)一神教的な価値観で判断してしまいます。
たしかに一神教的な価値観から見れば、日本人のクリスマスはとんでもなくオカシイ行為ですし、キリスト教だけでなくイスラム教などの他の一神教から見ても、眉をひそめさせるような不道徳な行為にうつるはずです。

ところがどっこい、日本人は無宗教ではく、とんでもなく信心深い人々の集まりなため、「聖」なものを感じれば、なんでも受け入れるのです。
そもそも「ほかの宗教(文化)の行事を取り入れてはならない」という規範自体が一神教のものです。
日本人がそのルールにしばられる必要はそもそもありません。
ですからクリスマスだけでなく、最近はハロウィンも取り入れ始めましたし、サイパンのボージョボー人形のような、出自も怪しいチャームだって「効く」と思えば取り入れるわけです。

ではこのような「多神教文化」だと、どこでも同じようにこれらを取り入れるのでしょうか。
これが非常に難しい問題です。まず日本のように国内がかなり均一な民族でありながら多神教、という国家がありません。多神教国家のように見えて、各民族がそれぞれの神をあがめている、という多民族国家のほうが多いからです。
それで、私が知っている限りで日本と同じような行動様式をもっているところはどこか、と探したところ、私が見つけたのは古代ローマでした。
キリスト教を国教とする前、特に紀元前のローマ(共和制、帝国共に)はかなりの多神教国家でありました。また奴隷制もありましたので、(日本とは意味が違いますが)ローマ人はほぼ均一の価値観を有していたといえると思います。
そしてローマは侵攻した土地に神がいて、それが「効く」となるとたちまち取り入れて、神殿をつくりお祭りをつくって、流行させたそうです。
文献には載ってませんが、北の寒い地方のお祭りや、アラブの砂漠地帯の行事なども取り入れたようですので、行事に使う道具(植物とか動物の肉とか)はかなり代用品だったはずです。

要するに日本人がクリスマスを取り入れたのと同じように、本当にその神様を祝っている民族から見たら、真似も真似、しかも似ているようでちょっと違う(つまり本来の意味も取り違えている)恥ずかしい祭りだっだのだと思います。
しかし多宗教の人々は、そんなことは気にしないのです。

日本も昔から神道と仏教の軋轢があり、どちらも神(仏)がいっぱいいるために無駄な争いがあり、それを解消するために本地垂迹説とか神本仏迹説などが編み出されて、共存の道を選んだわけです。

明治以降、日本を含めアジアは欧米のルールに従って生きることを強制されてきました。現在、グローバルスタンダードと呼ばれるもののほとんどが、西洋の価値観を基準にしたものです。

日本は近代化の前の時代も文化的に巨大な大陸(中国)の影響を受けながら換骨奪胎して、上手く距離感をとり、必要なものは吸収し(律令や漢字、仏教など)日本の価値観に会わないものは受け入れませんでした(宦官、去勢、近親結婚の禁止など)

クリスマスも同じです。表面的に西洋文化を受け入れているふりをしながら、換骨奪胎して日本風にアレンジしているのです。
ですから、西洋人と摩擦を起こすことなく交流しながら、同時に古来からの日本の文化を継続できているのです。

日本人のしたたかさがよく現れているのが、昔で言えば漢字であり、現代で言えばクリスマスなのです。
どちらもオリジナルからみれば、ものすごくオカシイのですが、日本人にはOKなのです。

このようなことはそもそも多神教だからできるのです。
最近イスラム教国でもドバイなど経済が発達したところではクリスマスの風習が伝来しているようです。ところが一神教の国ですので、過激な原理主義者が破壊行為をしたり、それより穏やかですがデモ行進したりしているのです。
過激な反応をせず、穏やかにしたたかに受容する日本の文化は、オリジナルを基準にすれば、当然おかしいわけです。
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まあ、あなたにもメリークリスマス!!

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この回答へのお礼

メリーってどんな意味なんでしょうか。
なんだか気になって来ますね。

お礼日時:2010/12/24 17:26

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