【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

ちょっと、捉えどころがなく、難しい質問に
なっちゃうかもしれませんが、質問します。

自分が生まれてくる確率って、どっかの本には、何十兆分の一
だとか書いてありますが、それは、人間がその(自分と同じ)
遺伝的、生物学的特性をもつ確率ですよね。

でも、本当に自分が生まれてくる確率ってのは、分からないんですか?

ここで仮に自分の両親を、1a、1bとし、
1a、1bがセクロスするという前提で
自分が、今の諸性質をもった自分
として生まれてくる確率………………(1)

自分の諸性質がたとえかわっても、自分が、他の自分と置き換わっても
同じ人間だと考えても
いいと思われる確率………………(2)

≪100%
-(自分が生まれてこなかったとき、今いる現世以外にも世界が存在する確率)≫
………………(3)

他にも解釈があるかもしれませんが、
“自分が生まれてくる確率”の「自分」
がどこまで自分を指すのかが分からないです。

また、自分というものは、生まれるものだという前提で考えれば1(100%)で
もいいと思います。

A 回答 (2件)

数学系の大学院生です。



まさにおっしゃるとおりで,「自分」の定義が曖昧ですね。
DNA鑑定でも冤罪が発生したように,どこまで同質であるかを定義せずに論じてもどうにもならないと思います。
歴史的に見れば,「お前なんかいくらでも替えがきくんだ!」と人命を浪費した時代もあるわけですし。
個人的には,よくある「あなたの両親には,さらにその両親がいて……だから自殺はいけない」という説法には,正直反吐が出ます。

(1)は,遺伝における確率でしかないですね。
血液型を例にとれば,A型の自分が,AB型とAB型の両親から生まれてくる確率を考えているわけです。
そうすると,どこまでが遺伝で決定されるかが分からない限り,求まるはずがありません。
血液型の発見でさえ,さほど古くはないのですから。

自分は現に存在しており,存在を消すことはできない,として確率1であると考えるのが,個人を大事にする見かたからは正しいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/01/08 00:44

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/20857.html

で議論されてるように、たとえ遺伝的性質が全く同じクローン人間でも、いやそれどころか、ありとあらゆる構造が同じである完全コピー人間だって、同一人物ということにはならない。自分の完全コピーは自分ではない。さて、「自分が生まれる」というのは既に起こってしまったことですし、そして二度と起こらないことです。

 一方、確率を論じるためには、「何と何とが同じぐらい起こりやすいか」についての仮定を置く必要があります。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/798168.html

ところが、自分の完全コピーですら自分ではないのだから、「自分が生まれるということと、一体何とが同じぐらい起こりやすいか」なんて問いは成り立たない。だから、その確率を問うことも意味をなさない、ってことでいかがでしょ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

宗教的な、自分が生まれてくる確率、というのが知りたかったです。
運命、というか、人間を超越したもの(神)の存在を認めた上での確率
が、知りたかったです。クローンとかは一切考えていませんでした。

お礼日時:2011/01/08 00:47

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!