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奴隷 人種差別
そういった歴史などから来る差別が
歴史的に続いている地域は、
どういう地域、文化、家族間などで差別が受け継がれているんでしょうか?
できる事ならば個人単位の話で教えて下さいますと幸いです。

また、どういう情報を見ればその現実的なものが見えてくるか?
というご回答も頂ければ助かります。

また、差別意識に飲み込まれる人と
それをおおむね克服してしまえる人には
どういう差が見受けられるものでしょうか?
親の価値観を受け入れた結果か、
はたまた親を反面に克服した結果なのか。
ご回答頂けますと幸いです。

A 回答 (6件)

 地域・文化・家族というレベルでの社会的差別はありますが、その根源にある個人の『差別する心』の在り方は、個人の劣等感や優越感と密接に関連しています。



 人間の成長は、子供の頃の「他人の真似をして育つ」時期と、「自分自身の価値観」を確立する思春期に大きく変わります。

 子供の頃は、他人の真似をして育つので、無意識に自分自身に対するの評価を、「他人」と比較によって行う傾向が強くなります。

 それに対して、第二反抗期を含む思春期には、人間として十分な社会経験や、周りの大人の配慮がのもとで、他人との比較ではない「自己完結する自分自身に対する絶対評価」を身につけていきます。

 人間が自己に対して行う評価は、「他人との比較」と「自己完結した絶対評価」の両方を加味した評価となりますが、「自己完結した絶対評価」の確立が十分でないと、他人との比較でしか自己の評価が出来なくなり、『自分よりレベルの低い人がいなければ、自己をプラス評価出来ない』という心の在り方の人間が出来上がります。

 このような心の在り方になってしまうと、無意識に「他人に対するマイナス評価を、自分個人の中のものではなく、隣人と共有することに努力を払う」行動を取ったり、「家族・出身地・国籍など、本人にはどうにもならない点にマイナス評価を求め、それを重視する」行動を取ったりします。

 それに対して、自分に対する絶対評価が確立している人間は、自分自身の行動自体に、自分自身が合格点を出している限り、その行動に対して他人が行う誹謗・中傷には、あまり傷つきません。
 自分の行動などに対して、評価を与えるのは、自分の中にある絶対的な価値観であって、他人からの評価ではないのです。
(ただし、自分の行動が社会的に認められ、それを通して自分の中の絶対的価値観が社会的に認められたと感じられるときは、深い満足感を感じるようです。)

 逆もしかりで、他人を誹謗・中傷することも少なく、他人に対しても、その個人その人の『人間としての絶対評価』はしても、その評価は自分自身以外の人に同意を求める性質のものではないということを、自覚しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても参考になりました。

差別感情の全てとは言いませんが、
環境的に原因が見当たらない場合の差別は
その自己評価が大きなウェイトになるのでしょうね。
その基準が家族との相対評価だったりもしかねない と。

とても大切な事を再認識させて頂きました。

そして
>(ただし、自分の行動が社会的に認められ、それを
>通して自分の中の絶対的価値観が社会的に認められた
>と感じられるときは、深い満足感を感じるようです。)
確かに有りますね。
しかしこれは逆に言えば、
歪んだ「自己完結した絶対評価」を構築した人には
歪んだ深い満足感を感じる とも言えそうなのですよね。

これも差別感情の一端を担っているのかと考えさせられました。

深いご助言、感謝致します。

お礼日時:2011/01/08 13:25

例えば、韓国で日本の芸能人の活躍は不可能なくらいの状況であるにもかかわらず、


日本では韓国の芸能人が活躍できています。
国を挙げての反日教育により差別が発生しています。

ようするに、教育の違いが差別を生むのでしょう。
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この回答へのお礼

偏った教育で一定割合の人の自己評価が歪むからでしょうかね。
そういうものがそれが社会に根付き、
自国民は優秀で他の国民は劣等と認識する人は
日本人のみならず様々な国籍の人を差別する そんな様相すら。

しかし最近の韓国人は個人単位では反日感情はかなり薄れ
社会の文化や歴史認識だけが色濃く反日として残っているとか。
国内の親日派を許さない言論の自由すら怪しいお国ですし。

ご回答ありがとうございました。
韓国は差別問題を見る場合、とても参考になりそうですね。

お礼日時:2011/01/08 13:41

私は皆様とやや異なった観点から申し述べます。

なかなか解消しがたい問題のようです。
 「もっと立派な私でありたい」「もっとガンバラナクッチャ」という人の願望のある種の解決法が差別だと考えます。身近のあの人々の短所や私たちの長所を比較することで「立派な私たち」が容易に確認できるような手続きが差別です。安直な道なのです。はるか遠くの人々や離れた時代の人々と私たちとの間では差別は生じ難いのです。ましてや「昨日の私」よりも「もっと立派な私でありたい」と願うことは困難なのでなかなか取り扱わないのでしょうね。
 「もっと立派な私でありたい」との衝動は人間の行動原理としては根本的なものの一つです。これを押さえつけることは出来かねます。しかしながら差別を創出して立派な私を確認することの安直で近所迷惑なやり方は戴きかねます。「たしかに私たちにはこんな短所があって、努力してもなかなか解決しないのだよ」という話が「立派に」聞こえる表現法を発明してもらえたらとも考えますね。
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この回答へのお礼

とても参考になりました。
確かに人の差別は、自分の価値の確認ですね。
何の努力もせずに自分の価値を高めたい。
自分に何の価値もないと認めるのが怖いから誰かを下にする。
自分が頑張ったからそうでない者は下だと威張る。

誰にでもある一面であり
それに飲み込まれるか飲み込まれないかは・・。

ご回答ありがとうございました。
個人的にとても参考になりました。

お礼日時:2011/01/05 22:49

差別は、歴史的にみると、違い、から発生していますね。



職業、住んでいる地域、人種、戦争捕虜など。
こういう区別があって、それを支配する側が
支配の技術として利用し、制度下した訳です。

インドはカースト制と言い、住んでいる地域、
人種、職業が差別の起点となりました。
これは制度化するとき、宗教と絡めたので
人間の血肉になり、徹底した差別になりました。
最底辺の人たちは、犬や豚と同じで、人間ではない、
触ることさえタブーとされました。彼らは不可触民
と呼ばれ身分間の移動は不可でした。

中国は、国家にとって価値が低いか、高いかで
差別制度が設けられました。これを律令制度に基づく
差別体制といいます。
だから、庶民では農民が最上位で、芸人などは最下位と
されました。
これは、人工的な差別だったので、身分間の移動も
可能で、この制度が日本や朝鮮、ベトナムに広がりました。

朝鮮はこの中国に習った差別制度が採られました。
最底辺は白丁と言われ、その多くが、日本に流入して
現在の在日の核となっています。

日本の差別体制は、インドと中国の双方を取り入れていますが
基本的には、中国の律令体制に基づく差別だと言われています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
その様な流れがあるのですね。

お礼日時:2011/01/05 22:45

自然界の非情なる仕組みですね。


隣接する関係に発生し、優劣を競って殺し合い
優秀な種を残すための一手段が「人種差別」です。
すでに世界は、東よりも西の民族の方が優秀とされています。
そこには心の問題は含まれません。
むしろ強欲で非情な選別意識が優秀な種を残すのに必要な物です。
人間の優しい、正しい心なんて、神様は必要としないのです。
優しく正しい心は、人間の間だけに重要な物なのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/01/05 22:43

>歴史的に差別が続く根源的なものとは?



人間というものが本質的に差別化を必要とするからでしょう。
たとえば電車で隣に座った人が自分と同じブランドのバッグを持っていたら、人間は嫌なもの。
他人が持つバッグは自分より少ーし安物であってほしい。それが差別化であり、人間の本音。

「完全に差別のない平等な社会」 が歴史上実現したことのない理由がそれで、仮にそれが実現すると全員が同じバッグを持つことになるので、全員が等しく不満になる。
差別やいじめとは、その不満を1割の弱者に担わせて残りの9割が幸福になるために考案されたシステムなのでしょう。
少し斜めに見過ぎな気もするが、洋の東西を問わず差別が存在してきた理由を説明するならそれです。
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この回答へのお礼

なるほどですね。
薄々感じてはいましたが、根源はそこなのでしょうね。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/05 22:42

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