最速怪談選手権

お手伝いをするとご褒美をねだる娘(3才)のことで相談です。いつも、夕食の後片付けは進んでしてくれるのですが、「お手伝いしてあげたので,アメちょうだい」とお手伝いが終わった後にアメをくれるのを待っています。お手伝いの見返りにアメをあげるというのが習慣になっているのですが、これでよいのでしょうか?

大半の大人でもお給料がもらえる「期待」があって働いているわけですが、本当は「したい事が仕事」であることが理想ですよね?お手伝いも「して当たり前のこと(人の役に立つのは嬉しいこと)」と見返りを期待せず進んでして欲しいのですが、なかなか難しいです。

皆様のアドバイスをお願いいたします。

A 回答 (12件中1~10件)

はじめまして!



 三人の男の子の母です(中学 小学4 4歳)

なんだろう・・・なんか・・違和感が・・・って感じながら質問と回答されていたものを見ました。

 家族の一員だからお手伝いは当たり前、そして手伝ってくれたから 物ではなく褒める 感謝って書いてるのも多いです。

 そして・・・ハッと気がつきました・・・
お手伝いって書いてあるからだ・・・ってね(笑)
 我が家はお手伝いではなく子供の仕事が存在します。

 お手伝いと家庭内ルール(仕事)が我が家は違います。

お風呂掃除やゴミ捨てなどの子供でも出来る事は子供の仕事として与えてます。
 ありがとうは言いません(笑)
だって それが子供の家庭内の仕事なんですもの。
 私が子供たちの服を洗う 干す ご飯を作る これも仕事 子供がいちいち母さんありがとう!なんて言いません・・・だってやって当たり前の事ですものね。
 そして子供が母になにか褒美でもくれますか?くれません(笑)
母の日位ですね・・いつもありがとうってとって付けたようなカードと花をくれます(笑)


 4歳の息子だけでも家庭内仕事は 洗濯物を畳む 自分の部屋の掃除(私も手伝います) お風呂洗い(私も手伝います) が彼の仕事です。
 仕事だから文句言わずに動きますよ(笑)

ちなみに夕食の後片付けって食べた皿とかを台所に持っていくことですか?
 それってお手伝いではなく 当たり前のことですからね。
自分が食べたお皿を台所に持っていく 当たり前では?
 我が家は各自食べたものはきちんと台所に持ってきます。それが旦那さんでもね。
だって自分が食べたんだよ?皿位片付けるのが当たり前だと思うんですけどね・・・
 娘さんにお手伝いしたから飴頂戴って言われたら
『自分が食べたもののお皿を台所に持ってくるのは当たり前でしょ?』って言って下さい。

 仕事以外で手伝って貰う時は子供たちに 『お願いがあるんだけど・・・○○手伝ってくれる?』ってお願いします。 良いよ~って返事ならば 『ごめんね~ありがとう』って先にお礼 手伝い終了後にもお礼を言います 『助かったわ~ありがとう』って感じでね。
 今は無理って言われたら 素直に私は諦めますよ。ただ・・今は無理って言われた事がないですが・・
たぶん手伝って貰うときに ありがとうって感謝を言われるのがうれしいのかしらね???
 仕事ではありがとうって言わないからね(笑)

 お手伝いではなく 家庭内の仕事って教えては?
○○ちゃんは3歳だから 今日から○○するのは貴方の仕事だよ。ってね・・・
 お手伝いはして当たり前ではないです(笑)
家庭で決められた仕事はして当たり前だけどね。
 お手伝いは母がお願いして頼むものです。
お願い○○手伝ってくれる?って感じでね。
 だから手伝ってもらったらお礼も言いますし褒めます。
今は3歳でお手伝いして貰って褒めてくれるから嬉しくて動くけど・・・
 これが・・中学生とかになると・・褒められても嬉しくないから動きません(笑)
 それに毎回 褒めて感謝して手伝って貰ってますを実践して中学まで持ってきたなら ありがとうも褒めるも馴れちゃってますよ。
 でも 家庭内の貴方の仕事なんだよ!って教えていると自分の仕事だからモクモク動きます(笑)
 我が家は中学生の息子がいるので先の話として書かせて貰いました。
お手伝い喜んでするのは小学低学年位まで。。。
 後は文句言ったりしますよ(笑)

実際 息子の友達の母親とかに私の息子が家庭内でする仕事を聞くと そんなにお手伝いするのぉ?うちの子なんて文句ばっかり言ってしてくれるまで時間がかかるよ~またはしてくれないよ~って言います。
 歳が増える程 仕事の数も増やしてます。
現在 中学の息子は 洗濯物を畳む お風呂洗い(三兄弟交代) ゴミ捨て(次男も一緒に) 北海道なので冬は雪捨て 休日の日は自室の掃除 階段掃除 これが現在の中学生の息子の仕事です。部活もやっているので出来る範囲のつもりです。部活で遅くなりお風呂掃除が出来ない時は次男に日にちを代わってもらったりしてます。

 仕事として与えてはどうですか?
手伝って貰うの物と仕事は別に区別しては?
 毎日やる子供の仕事・・
たまにお願いされてするのが手伝いって感じで・・・
 たまにお願いされて手伝って褒められて感謝されるから子供の嬉しいのでは?って思います。
毎回 同じように褒められて感謝されたらちょっと生意気になると 気にもしないようになります。

 
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お手伝いは家族の一員として、当然すべき事、


と思っているので、これまで一切おこづかいや
ご褒美は上げた事がありません。ちなみに
子どもは大学生と特別支援学校を卒業して
施設で働いている子ども、二人です。
特別支援学校を卒業した子どもですが、
知的ハンデがあります。学校時代、夏、冬休みの
時にはいろいろな宿題が出ましたが、中に
必ず「お手伝い」がありました。おかげで
「洗濯」に関しては、一言言うだけで
全てのことができるようになりました。
お手伝いは自立にも繋がります。
手伝ってくれた時には必ず「ありがとう」を
言います。これも当たり前のことですから。

残念ですが、ご褒美を与えるということが
間違った方法で学習されてしまっていると
思います。これからは「言葉」で伝え、
お子さん一人だけではなく、家族みんなが
良い思いをするような「ご褒美」に変えて
いくことをお勧めします。例えば手伝った日に
シールを貼り、たくさんたまったら家族で
出かける、食事に行く、ちょっと高いケーキを
買う、洋服を買う(家族全員分)などなど。

お手伝いは「してあげる」ものではなく、
「家族ならばすべきもの」です。だからこそ
「自らする」ようになるのではないでしょうか。
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お手伝いをしてくれたご褒美として何かをあげる、買ってあげるって言うのはやり方としてどうかな、と思います。


少なくとも『お手伝いして「あげた」から「アメちょうだい」』はまずいですよね。
何で手伝って「あげた」って子供が偉くなってるんでしょう?対価に自分からモノを要求することもおかしいと思いますけど、子供がその言い方もすることをおかしいとは思いませんか?
私なら「あげた」って何?あんたは何様?嫌ならやらなくて宜しい!
自分からモノを要求するなんてみっともないことするな!って叱り飛ばすところですね。

>大半の大人でもお給料がもらえる「期待」があって働いているわけですが、
大人が働いてお給料をもらえるのは「自分が動くことで社会を動かしているから」
自分が行った行動が、周りの社員、会社、あらゆる所に影響してそれなりの責任もあるからその対価として
「お金」がもらえると考えます。

子供は家族の一員ですから家族のためにママのお手伝いをすることは夫が家事を手伝ってくれるのと同義、と
私なら考えます。主人が手伝ってくれたときにお小遣いなんてあげませんよね?
それと一緒なら子供も手伝いをしたら「ありがとう」と感謝の言葉だけで十分だと思いますが。

って言うか、ご褒美ってたまにもらえるから嬉しいのであって毎回貰えたらありがたみもなくなると思いますけど。
だからお子さんもそんな言い方になっちゃうんじゃないですか?
せめて、ランダムに「いつも頑張ってるからありがとう。今日は特別ね」って飴をあげるとか、その方が「今日はもらえた」「今日はもらえなかった、いつもらえるかな」って子供なりにドキドキしながら過ごせませんか?
いつもアメだったのが、今回は予想に反してチョコレートだった!とか、ただ機械的にご褒美をあげるよりは
親も子供もそういうゲーム性があったほうが楽しいと思いますけどね。
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習慣になるほど続いている


見返りに「アメ」を与えてたのが
そもそもの間違いだと思いますよ。

言い換えれば、「アメ」の見返りがないと
お手伝いしない子、出来ない子にしてしまっているんですよ。
子どもが最初からそうだった訳ではなく
そう学習させたのは親ですね。

お手伝いと大人の仕事はまったく別モノだと思いますよ。
大人の仕事は資産家でない限り、多くの人が給料という労働の対価を貰わないと
生活できません。
たとえ、それが行きたくなく日であっても、やりたくない仕事であっても
やらなきゃ生活できないでしょ。
でも、お手伝いは別にやりたくなければ、やらなくてもいいですよね。
質問者さんはそこを同列に考えているから、子どもの手伝いに対価としての
アメを与える発想になるのかな?

子どもはお母さんの優しい言葉、もっていき方、ほめ方、
言葉だけで、お手伝いできる子に育てられますよ。
何かお手伝いしたら、たくさんハグして褒めちぎって下さいね。
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>お手伝いの見返りにアメをあげるというのが習慣になっている



...というのがそもそも間違っています。

お嬢さんは「お手伝いをするとアメがもらえるからうれしい」というように
見返りを期待してお手伝いをしています。そういう習慣になっているからです。

>「して当たり前のこと(人の役に立つのは嬉しいこと)」と見返りを期待せず進んでして欲しい

...というなら、お母さんがそれを示さなくてはいけないと思います。

「ハイ、ごほうび」とアメをあげるのではなく
「ありがとう!お手伝いしてもらってママ助かっちゃった」
「上手にできてママとってもうれしいわ!またお願いね」
と大げさなくらいにほめてほめてほめまくってギュ~っと抱きしめて、喜びを表現しましょう。
「お手伝いをするとアメがもらえるからうれしい」が
「お手伝いをするとママがこんなに喜んでくれてワタシもうれしい」に変わります。

「人の役に立つのは嬉しいこと」とはそういうことですよね。
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まだ三歳ですよね?


「お手伝いしたら飴がもらえた♪またやろう」って思うのは子供なら当たり前だと思いますし、それくらいでしつけが悪いとは思いません。
家族の一員として役割を持たせるにはまだ幼すぎるし、難しいんではないでしょうか。
みなさん、かなり厳しいしつけを経てこられた方なんですね。

たとえば、おじいちゃんおばあちゃんの家に行ってお手伝いをしてお駄賃をもらう、っていうことがこれから出てくると思います。
私も近所の子が何かを手伝ってくれたら、きっと飴の一つもあげると思います。

「人の役に立つのはうれしいこと」は自分が何かをしてもらってうれしかった、ということが理解できないと難しいように思います。まだ三歳ですから、お世話してもらわないと生活ができない年齢です。きっとお母さんも、まずは自分のことが自分でできるように、と普段は思っていられるのではないでしょうか。

うちは四歳の娘がいますが、時々一緒に台所に立ちます。飴などのご褒美はないのですが、つまみ食いができます。これが娘にはうれしいようで、嫌いな食べ物を克服したこともあります。

食事の前に飴は、食習慣的によくないかもしれませんが、ご褒美にシールがもらえるとかはあってもいいと思います。
家族の一員として役割を持たせるためのお手伝いは、もう少し大きくならないと意味を理解してやることはないのではないでしょうか。
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もうちょっと 大きくなれば お手伝い(してあげるもの)ではなく 彼女の仕事として 役割の位置づけにするという方法もとれますが まあ それは ちょっと三歳では 厳しすぎるかなあと思います


お手伝いしたら ありがとう って ほめる ほめられることでやる気を促すことはできませんか?
ほめられなくてもやるのは当然といえばそれまでですけど 物品でなく ひとによろこんでもらうのは いいこと っていう意識を植え付ければ すすんでやってくれるとおもうのですが どうでしょうか?
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私は3歳の双子がいますがお手伝いにご褒美を与えたことがないので


もちろんそいいうことは言いませんが
子供ってママが喜んでくれることが嬉しいと感じてくれる年齢って今じゃないでしょうかね。

ママさぁちょっと疲れているんだけど、アメもないけどお手伝いしてくれる?
と言ってもやってはくれないですか?
やってくれた後に わー助かった!ありがとうママ嬉しいよご褒美なくてもしてくれるんだねと
毎回言ってはどうですか3回に1度でもいいから減らしてはどうですか?

ご褒美って嬉しいですけど、私は飴もらえるからお手伝いをしようとするのが我が子だとすると
可愛くないというか手伝ってもらわなくて結構です!って思ってしまいます^^

うちの子供達はちょっとおバカなんで^^
とってもいらない携帯をわざわざとってきてくれてはいママどうぞ!みたいな・・・
毎日毎日二人でそうやって必要のないことをしてくれ褒めて欲しいオーラ出しまくりです^^
洗濯物を畳んでも ただすごいね!と褒めてもらいたいのがわかります。

おやつじゃなくてもこのくらいの年齢ってそうなんじゃないでしょうか。

まぁ男の子より女の子の方が少し精神年齢が上ですからね・・・うちの子とは比べ物にならないでしょうけど・・。

やはり親がしてきたことをそのまま覚えてきたのでしょうからお子様には罪はないですが、
お手伝いには見返りはないということは教えてあげた方がいいと思いますよ。

ご褒美って本当に人が困った時にお礼で何かいただくってことはありますから
たまにはあってもいいですけどね、
毎回もらえるものじゃないんですから、
1週間毎日御利口にお手伝いできたら1週間も頑張ってねって与えるとか
少し期間を延ばしてはどうですか?
それまでにきちんとお手伝いはご褒美はないんだよって教えてあげないとダメですけど。
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子供のいない独身者ですが‥



何かをしたら代償を求める‥他の回答者様の言われる通り、躾の不味さが出て来たのだと思います。

今から効果が有るかどうかは解りませんが、何かをさせる時、《お手伝い》ではなく《お勉強》とか《練習》に置き換えてみたらどうでしょうか?

例えば‥
洗濯物を畳む時は《綺麗に畳むお勉強》とか‥
言葉を変えて、人を手伝うのではなく、《自分自身が必要な事を、上手く出来る様になる為に練習しているんだ》と思わせる様な言い方に変えてみるのです。

子供の教育には全く縁の無い私が、生意気な事を言ってしまいましたが、ちょっと気になったので投稿させて頂きました。
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過去に、お手伝いをしたご褒美に物品を与えてたシツケの悪さが習慣になっただけです。


悩む事はないです。
親や周囲のシツケが悪かっただけですから、物品のご褒美ではなく「言葉のご褒美」に変えてください。
お手伝いをしてくれたら「ありがとう」の一言で良いのです。
人間は、水族館のイルカなどより「言葉のコミュニケーション」が優れてることを誇りに思ってください。
水族館のイルカは、芸をすれば「ご褒美の餌」がもらえるから、調教師の言いなりなので哀れです。
「ありがとう」と言う感謝の言葉が嬉しく思うようにシツケるのが親の努めです。
そのようにシツケた子供は、人様に手伝ってもらった時には素直にありがとうと言える子供に育ちます。
子供のシツケに、大人の勤労の対価は関係ありません。
子供の頃から、勤労の対価を求めないシツケを受けた人達がボランティアなどを率先して行ってるのです。
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