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例を挙げるとか、分かりやすく説明してくださればたいへん喜びます

A 回答 (2件)

 かつてわれわれの先人達は、遠くアフリカ大陸からの旅の到達点として日本列島にとどまることになった。


 これまでのいつまでも端を観られない大陸ではなく、そこは海に囲まれその先には何かあるとは思えなかった。一部がアリューシャン列島を超えるために離れたあと、多くはこの地、のちに日本と呼ばれる島にとどまった。
 やがて狩猟から稲作へと生産物を増やしつつ、さらに沿岸伝いの移動で多くの村落を作り上げた。閉鎖的な空間にいる人たちは、やがて似たような行動様式をとりはじめる。北から南の列島で使われるのは、どれだけなまっていても日本語であり。そのため情報の伝達も非常に早かった。(大和朝廷時代でも天皇崩御の知らせは全国5日で伝わったといわれている。)
 しかしノウハウも何もない状態では新たなコトを起こすのは難しい。そのため日本では外部から入り込んでくるものを、まずは受け入れた。多くは朝鮮半島を経て、たくさんの文明化の方法が中国大陸から伝わってきた。漢字、通貨、諸制度。
 ただ野放途に受け入れた訳ではない。今でもそうだが、過激な手段は好まれない。さまざまな宗教や革命理論などはついに日本に定着することもなく、少なくとも物質的には充分に極めたといえる。いわば強固な共同体を作り上げたといえるかもしれない。したがって日本の文化に係るものと言えば、ほとんどが小さい。際立てるのではなく、ただ密やかに満足を得る。一つの例を挙げておこう。あまり顧みられないことではあるが、最近流行の「家庭用パン焼き機」、実は史上初!なぜかというとパンを個人で作るという考え自体が、これまでなかったから。何か日本の様式が世界へ静かに染み渡っているような気がする。
 そして現在。いよいよこれまでの文明の形が、ヒト・モノ・カネすべてにおいて限界を見せ始めた。人においては人口過多による食糧難が現実になり始め、モノにおいては温暖化が、これまでの生産システムに大きな方向転換を迫っている。そしてカネにおいても、ITからバイオへ手が届いたあと、次なる投資先がいまだ見えない。おそらく唯一、宇宙開発に可能性があるが、この分野での投資効果が及ぶのは、だいぶん先になりそうである。
 だからこそ、これまで日本が実行してきた、ゆるやかな共同体の方法論が必要になっていくと考えている。あいあまいさや妥協で摩擦を減らし、大事ではなく小事を積み重ねることで周辺を安定させていくということである。

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6491335.html
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この回答へのお礼

  すみません、ご回答をありがとうございました。
  そうですか、歴史的な原因もありますか。参考になりました。
  ありがとうございます。

お礼日時:2011/03/07 14:20

質問が漠然としていて、こんな答えでよいかどうか判りませんが..。



『和の意識』を、『日本的なる物』と理解して。

明治神宮とか、伊勢神宮とか、なるべく朝の早い時間か夕方に、それも平日のなるべく人の少ないときに訪れ、そこに漂う気を感じ、鳥の声を聴き、空の香りを想い、足元の玉砂利の感触に戯れてみてください。
きっと、『和の意識』に触れることと思います。

参考になりますかしら?
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この回答へのお礼

 そうですね、やっぱり難しいよね、理論っぽくて...
 身をもって感じるんですね。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/07 14:28

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