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今の日本語は、文章を主に漢字・ひらがなで、外来語をカタカナで書きますよね。
そして、横書きのときは左から読むことになっています。

でも、昭和の始めあたりまではひらがなではなく、主にカタカナで文章を書いてあることが多いですよね?
また、読み方も右から読むものがありますよね。

これらが現在のような形になったのはいつからなのでしょうか?
また、どうして変わったのでしょうか?

ご存知の方がいらっしゃったら、回答よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

もともと平安時代にカタカナが考案されたのは漢文を読むための補助としてで、そのため非常に簡単な形のものが考案されました。


これは当時の知識人であった僧侶や学者によって用いられたため、知識人が使う仮名文字として認識されました。
ほぼ同時期にひらがなも考案されたのですが、これは仮名として美しさを狙って作られたので、和歌とか文学を書くのに適していました。
その後時代を経て、江戸時代になってもこの傾向は変わらず、公式な文章は漢文とカタカナで書かれることが多く、庶民の読む草紙や瓦版などはひらがなで書かれていました。
江戸時代の寺子屋ではひらがなもカタカナも教えられていました。
しかし、平仮名は見た目は美しいのですが、草書で書いた場合はいろいろな字体があり非常に読みにくいという欠点がありました。
明治時代になった時、政府は国民の読み書き能力を向上させるには字体が複雑なひらがなよりもカタカナの方が有利だと判断し、仮名としてはカタカナを積極的に採用する方針を取りました。教科書、新聞などもカタカナで書かれるものが多くなりました(すべてではありませんが)。
これ以外にカタカナは公式の文書の字という歴史的な考えもあり、法律や政府の公式文書もカタカナになりました。
 
それで戦後なぜひらがなの方が全盛になったかですが、GHQが日本人の識字率の高さにびっくりして、カタカナを全部ひらがなに変えたら、字を覚えるのが大変で勉強が遅れて、また戦争しようなどと思わないだろうと考えたとか考えなかったとか。結果として、日本人は漢字、ひらがな、かたかな、アルファベットを器用に使い分ける世界でもまれな国民になってしまったわけですが。
 
日本語の筆記法は中国語にならっているので本来は縦書き。これは右から左ですね。
どうしても横書きに書く場合は中国にならって右から左に書いていました。
これが戦前まで続いていました。
しかし、戦後はやはりGHQの指導で先進国にならって横書きは左から右に書くように指導されてそうなってしまったのです。
アラビア語のように文字そのものが右から左に書くように出来ている場合は右書きへの変更ができないのですが、漢字や仮名の場合は独立字のためどちらからでも書くことができます。それですんなりと右書きを受け入れたわけです。
 
結果、中国でも戦後はすべて横書き、それも左から右の記述法になりました。
まあ結果としては、数字やアルファベットを混在させるのが楽になりました(アラビア語では非常に大変です)。
 
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
たいへん丁寧ですごくわかりやすかったです。
戦後のひらがなの全盛の理由については、本当だったら
かなり適当すぎて、ちょっと唖然としてしまいました(--;
ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/14 19:03

既に故人ですが、私の祖母はちょっとしたメモをカタカナで書いてました。


「○○サンチニイッテキマス」みたいな。

カタカナは外来語だけでなくキリン(麒麟)、デンプン(澱粉)など
漢字での表記が困難な場合にも使われます。
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この回答へのお礼

私の祖母も同じく、ちょっとしたことはカタカナで書くときがあります。
難しい漢字はあえてカタカナで書くことがありますね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/16 18:01

#4です。


いくつか実例を示します。

1【漢字+平仮名】が普通だった。
明治四十五年の新聞記事です。
「墨斯其(めきしこ)」「香港(ほんこん)」「弗(どる)」に御注目下さい。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentVi …
>十餘年前まで我邦の通貨であつた一圓銀貨を更に鑄造し之を支那の各市塲に流布して墨斯其(めきしこ)銀、香港(ほんこん)弗(どる)、英銀等の如くならしめんとする希望がある、……

明治時代の歴史、地理の教科書です。
http://tanosimi.bunka.main.jp/?eid=978592
>明治二十七年 にほんれきし教科書(下巻)
>會々(たまたま)米國前大統領「グラント」來遊して兩國の間に周旋しこれを和解せしかば琉球の我が版圖たる事益々明白となりぬ
* 読み仮名は私が加えたものです。
http://tanosimi.bunka.main.jp/?eid=978590
明治三十八年 小学地理(二)
>また、旭川より東南に向へる鐵道は、十勝川に沿ひて下り、東南海岸に出でて、釧路、根室に通ぜんとする豫定なり。

夏目漱石「心」(東京朝日新聞)+尾崎紅葉「金色夜叉」(読売新聞)
http://newspark.jp/newspark/floor/archives2004.h …
(「明治 大正 昭和 新聞小説史展―高木健夫文庫から」の項)

「軍人勅諭」の画像を御覧下さい。
http://walumono.typepad.jp/blog/2008/06/post-b6a …
「教育勅語」はおっしゃるように漢字・片仮名交じりです。下記が原本です。
http://www.nippon-saisei.com/2_kyouiku/image/tyo …

2.横書きは【左→右】だった。
日本語は本来縦書きしかなく、上から下、右から左に書いていました。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Moji/ …
挿図4、挿図5を御覧下さい。
初めはこうしていたのです。

語学や数学などの書物に横書きが取り入れられましたが、そのような場合は、明治時代から「左→右」でした。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/828512/1
幾何學
初歩
教科書
菊池大麓
編纂
明治三十七年
第一版
大日本圖書株式會社

[→]をクリックすれば後のページも見られます。

下記は大正11年の教科書です。
http://bmhouse.shop-pro.jp/?pid=16751747
>裁縫學習帳 尋常科第六學年用

中華街の「門○○」など、これを“右から左への横書き”と言うべきではありません。
http://www.j-area2.com/hama/chinatown/gates/tenc …
看板のほかポスター、広告コピーなど、二段に並んでいてもそれぞれが独立・完結しています。
アラビア語やヘブライ語などのように一段落複数行を右から左へ書くことはなかったのです。
http://item.rakuten.co.jp/kakejiku/w-1885/
欄間額に書かれたもので、「*翠年千樹松」と右から左への横書きのように見えるかも知れません。
しかし左端「*」の所に書家の名が小さい字で縦に書いてありますね。
もし「翠年千樹松」が横書きなら、「翠」の下あたりに書家の名を小さい字で「左←右」と書くはずです。
そうでないということは、大きい字も縦書き(1行1字詰め)で右から左へと書いたものであることを示しています。

七 四 一    × 三 二 一
八 五 二    × 六 五 四
九 六 三    × 九 八 七 ←こうは書きません。

七 五 三 一    ×四 三 二 一
八 六 四 二    ×八 七 六 五 ←こうは書きません。

五 四 三 二 一 ←横書きではありません。

帝 大
國 日
     本 ←3字詰め2行

國 本 大
     帝 日 ←2字詰め3行

國 帝 本 日 大 ←1字詰め5行

譯全
  平
  家
  物
  語
下上

「譯全」、「下上」は横書きではありませんね。
字数が増えれば次のようになりますから。

三一
歎讀
  當
  世
  書
  生
  氣
  質
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この回答へのお礼

詳しい例を沢山ありがとうございます。
最初からカタカナ&漢字ではなかったのですね。
日本語の表記の変遷が分かってすごく面白いです。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/16 18:07

>昭和の始めあたりまではひらがなではなく、主にカタカナで文章を書いてあることが多いですよね?


そのような事実はありません。
片仮名使用は主として法令などの公式文書です。
新聞・雑誌・書籍、ほとんど全て漢字+平仮名です。
>小学校では「あ」「ふ」「む」より「ア」「フ」「ム」のほうが書きやすいので、片仮名を先に教えたのです。
>読み方も右から読むものがありますよね。
一行一字詰めの縦書きです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
カタカナが公式文書というのは、みなさんの回答で
初めて知りました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/14 19:36

>読み方も右から読むものがありますよね…



古来からの日本語は縦書きオンリーで、横書きはありません。
右から読む横書きのように見えるのは、1行 1字の縦書きなのです。
縦書きだから右から左へと移動していくのです。

>これらが現在のような形になったのはいつからなのでしょうか…

「当用漢字表 (現・常用漢字表)」や「現代仮名遣い」など一連の国語表記法が制定された、昭和22~24年が、大きな区切りと考えれば良いでしょう。

文化庁の HP がリニューアル中のようですが。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/kijyun/ind …
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この回答へのお礼

解りやすい回答ありがとうございます。
今度リニューアルしたら文化庁のHPを見てみようとおもいます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/14 18:33

1。

いつ: 下記では、昭和27年(1952)頃からのようです。
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

2。どうして:英語(左から右)の国に占領されたからでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
上記のURLの質問はまさに私の聞きたいことでした。
そういう理由があったのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/14 18:32

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