お寺や神社で行われる祈祷や祈願について質問です。

神様や仏様に叶えてもらいにくい願い事は多くあります。
「宝くじで一等があたりますように」
などと努力せずに大きな結果を求める願い事はほとんど叶えてもらえません。


神様や仏様に叶えてもらいやすい願い事はあるのでしょうか。

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A 回答 (9件)

5才ぐらいの子供とじゃんけんをしたときに、その子に「願い事をしてからじゃんけんをしよう、勝てたら願い事が叶うかもしれないよ」と言ってじゃんけんをしました。

その子は目をつぶって願い事をしてから、じゃんけんをしました。そしたら、その子が勝ったので、私はどんな願い事をしたか聞いてみました。曰く「このじゃんけんに勝ちますように」だったそうです。これ本当の話しです。神様って粋ですね。

願い事を叶えてくれるくらいの神様ですから、神様にこちらから自分に何が起こったら自分が幸せになれるかを一々教えてあげなくては解らないような神様である筈がありません。じゃなかったら神様に矛盾してしまいます。人間って言うのは浅はかなもんで、自分の望みが叶ったからといって幸せになれるわけではなく、それどころかそのお陰で不幸になってしまう人も幾らでも居ります。だから神様に祈るときの方法は決まって居ります。無念無想で頭を空っぽにして、ただ頭を下げる、これです。しかし、人間て弱いもんで、それじゃあ不安だと言う方もいると思います。その時には、「私にとって一番良いと神様が決めたことを起こして下さい」と祈りましょう。その望みの叶う確率は限りなく1に近いですよ。
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創価学会の者です。



残念ながら、叶うことはないでしょう。

人間の生命は永遠です。過去世・現在世・未来世と、生死を繰り返しながら三世にわたって永遠に続きます。その永遠の生命の中で行なった善悪にわたる行為が、現在生きている生に、結果となって現出しているわけです。「宝くじで一等があたった」というのは偶然に思えますけど、実は前世に気前よく人にお金を恵んであげるなど、他の人に並々ならぬ貢献をしたという行為が福徳となって現れているのです。宝くじに限らず、株でも事業でも大当たりして、金持ちになる(中には20、30代の若さで)のは、そういうものを縁として、前世の善行が結果となって現れているのです。したがって、前世にそういう行為をしなかった人は、神であろうが仏であろうが、ましてや得体の知れない教祖様であろうが、祈願したところで「宝くじが当たる」などといった願いは、叶うものではありません。原因がなくては結果は生じないからです。

しかし、そのように過去世における善行のない人でも、金持ちになれることはあります。それは、この宇宙を動かしている根源の大法の力を、自分に引き出すことによります。それを「南無妙法蓮華経」といいます。この「南無妙法蓮華経」は、三世十方の諸仏・諸菩薩を成仏させたほどの大法だからです。「南無妙法蓮華経」と唱えながら、真面目に信心の実践に取り組む。そうすれば、その大力によって、あたかも前世に、人にお金をうんと恵んであげたと同じような原因を自身に築くことができます。したがって、金持ちになれるという結果を引き出すことができるのです。

ただ、思い違いをしてほしくないのは、「南無妙法蓮華経」の信心は努力を前提とした信心であり、努力もせず、ただ拝み祈りさえすれば“天からお金が降ってくる”などという軽薄な「おすがり信仰」ではないということです。金持ちになりたければ、信心しているからこそ、人の何倍も努力する。そして一生懸命信心の実践する。そこに策と祈りが絶妙に合致し、最大の結果を引き出すことができるのです。

さらに言いたいのは、祈りが叶う、すなわち功徳ということですが、この功徳には、祈ればすぐに思い通りの結果が現れる「顕益」と、祈ってもなかなか叶わないように思えるが、日時が経過した時に、考えてみたらいつの間にか幸せになっていたという「冥益」とがあります。ひとはどうしても「顕益」のほうを臨みがちですが、真の功徳は「冥益」なのです。

率直に言って、創価学会員でも全員が全員、金持ちになっているわけではありません。これは人によって宿業の軽重、信心の熱心不熱心ということもありますが、金があるから必ずしも幸福ではないというのが、この社会の現実なのです。金があるがゆえに強欲になって人間性が歪み身の破滅を招いたり、広い屋敷の中で家庭不和の不幸な日々を送っている資産家もいるのです。相対的幸福の限界です。真の幸福は、どこにいても、何をしていても、どんな境遇にあろうとも、生きていること自体に幸福を感じられるという、絶対的幸福です。創価学会が主に目指すのは、これです。もちろん、信心の功徳によって金持ちになった人もいますが、これはあくまでも「副産物」的な功徳といえます。「金持ちになれることはあります」という表現を用いたのはこのためです。生命が浄化されれば、お金などといった物質的なもの以外に価値を求めるようになるからです。もちろん、お金だってないよりはあるほうがよい。学会は禁欲的な教義を振りかざすものではありません。しかし、物質的なものに絶対の価値を置かないということです。

真に功徳を求めたいのなら、お金とか自分の外の不確実性な幸福ではなく、自分の生命、心の変革という功徳を求めるべきでしょう。いくらお金があっても、心が貧しければ、価値的に使うことはできず、かえって不幸の原因とさえなってしまうからです。

私の回答を詭弁と捉えるか否かは、質問者様に委ねます。
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我欲を離れて、理にかなった事ではないでしょうか。


願う前に、この神様ならば、この願いは必ず叶えてくださる、といった確信も必要と思います。
迷った心で、我欲にとらわれた願いは聞き入れてもらえないものと思います。
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まづは自分を知ることから始めないと、かないません。



子曰、君子不重則不威。学則不固。
主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。

子曰く、君子重からざればすなわち威あらず。
学べばすなわち固ならず。
忠信を主とし、己に如かざる者を友とするなかれ。
過ちてはすなわち改むるに憚るなかれ。

落ち着きがないと人に心服されない。
知識を身につければ物の見方に幅がでる。
なによりも自他に対する誠実さを大切にする。
友を選ぶときは必ず自分より優れた人物を選ぶ。
過ちを犯したと気づいたら即座に改める。

自分がこうなれますようにと祈るのです。
そうすれば貴方の望む事はすべて叶うでしょう。
でも宝くじ当選とかじゃあないですよ。もっと大きなことです。
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自分の努力によって可能でありながら、自信がない事。

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まず、その願いが本当に自分の取るべき行動、或いは得るべき御利益なのかを考えます。


次に、自分が信仰を持っているかどうかです。
信仰と言っても神道に宗旨替えする必要はありません。神道は“宗教”や仏教徒は違いますから、神仏を信じ、毎日神仏にも人にも感謝できる心構えがあれば充分です。
仏教では多くの宗派に別れていますが根本は仏陀一つです。

本当の願いとは常日頃から望み続けていて、それを実現するための努力を惜しまない事を言います。昨日今日思いついた事は願いとはいえません。
また例えば「宝くじに当たること」は手段でしかありません。これは願いではないのです。宝くじに幾ら当たったら何をするのか、それが自分にとってどのような「心の益」を与えてくれるのか。それが本当の願いになります。

最終的には神仏は自分の為にならないご利益は与えません。
幾ら素晴しい展望を持っていても、その人が宝くじに当たる事によって怠惰になるなら、願いは叶いません。
また、特に仏教の考えではこの世は修行場ですから、宝くじが当たり人生に課せられた修行が完結できないなら願いは叶いません。

願いを叶える為には長く思い続ける集中力と努力と精神の強さ、が必要になります。
それ無くしてのご利益は、新たな修行か、邪念と思ってください。

願いが叶うと言っても、ドコまでが「叶った」と判断するかによります。
100%願ったとおりでなければダメであるなら、叶う願いはありません。
そこには必ず自分自身でケリをつける必要があるからです。
人は難を乗り越える事によってのみ進歩します。だから難がなければ衰退するだけなんです。
神仏への願いは「大難を小難に小難を無難に」が基本です。
自分でも乗り越えられる山があってこそ、ご利益もありがたく大切に受け取れるでしょう。
それならば、多くの望みが叶うと思いますよ。例え宝くじでも。
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最期の最後まで努力してもう限界だと感じたとき


それでも私が挑んだら邪魔だけしないでください

とかなら~邪神でもないかぎりきいてくれるかも
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自分の信念に違う事をしでかすことの無いように!南妙法蓮華経~。

ペコ・ペコ、パン・パン、ペコ。
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神社では願い事をしてもいいけど



お寺で願い事は「NG」だそうです

六星占術で有名なカノ細木先生の言うことだから間違いない

お寺ではご先祖様に感謝の念をどうぞ
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Qあなたは神様は いると思いますか。

あなたは
神様がいると思いますか。

いるとしたら
どんな神様ですか。

良い神様
悪い悪魔

私は神様の存在は
半信半疑です。


神様が居れば
罪ない人間が命を落とす事はないですよね。


信仰は別で

神様は存在すると
思いますか


あなたは
神様を信じますか


私は
神様と話がしたいです。

Aベストアンサー

こんにちは。

いるとおもっています。

良い悪いではなくて、
ただそこにいる、という存在
だとおもっています。

罪がない人というのは、
いないとおもっています。
人間である以上、なにか、
あるいは、誰かを一度は傷つけて
いるとおもうからです。


神様がいてもいなくても
その人がきめることだから
いいとおもいますが、
自分はいるのではないかと
おもっています。

神様と話すのは、自分のなかの
もうひとりの自分と話すことに
似ているのではないか、とおもっています。

自分が考えるとき、考えていないのが神様で
自分が素直になるとき、偏屈であるのが神で
自分が答えを見つけるときに、新しい質問を
するのが、かみさまのような気がします。

いじわるで、大らかで、慎重で、思慮深くて
大胆で、勇気のある、気ままな上様は、
こころの分銅みたいなものかな、と
おもっています。

Q神社や寺では「受験合格祈願」「交通安全祈願」「恋愛・良縁祈願」、果ては「宝くじ当選祈願」などをやっているが・・・

「宗教」というカテゴリが見当たらなかったのでここで質問します。

神社や寺が受け付ける祈願はいろいろなものがありますが、「宗教」という一種の聖職、ストイックなもの、道、と俗物的な願望成就とは結びつかないと思うのですが・・・

そこで質問です。
神社や寺ではどんな祈願、成就願いをも受け付けてかまわないのでしょうか? たとえば恋愛祈願と不倫成功祈願は隣りあわせだと思いますが。「宝くじ当選祈願」で儲けた寺、神社を真似ると、本家から
「真似するな」
「不当営業だ、訴えてやる!」
とかいわれるのでしょうか?

神社や寺ではさまざまな神やら仏やらを祭ったりしています。受験の神様やら交通安全の神様を祭っているところは、下世話な言い方をすれば
「大衆迎合して上手いこと商売に成功している」
とも見えるのですが、やっぱりほかの神社や寺からは「うらやましがられる」のでしょうか? それとも受合格祈願、交通安全祈願、恋愛祈願など俗物的な願望成就の参拝者で儲かっている神社、寺は他の神社、寺からは「蔑まれる」のでしょうか?

儲かっている神社、寺の関係者の方、儲からない神社、寺の関係者の方、ご回答をお願いします。

「宗教」というカテゴリが見当たらなかったのでここで質問します。

神社や寺が受け付ける祈願はいろいろなものがありますが、「宗教」という一種の聖職、ストイックなもの、道、と俗物的な願望成就とは結びつかないと思うのですが・・・

そこで質問です。
神社や寺ではどんな祈願、成就願いをも受け付けてかまわないのでしょうか? たとえば恋愛祈願と不倫成功祈願は隣りあわせだと思いますが。「宝くじ当選祈願」で儲けた寺、神社を真似ると、本家から
「真似するな」
「不当営業だ、訴えてやる!」
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Aベストアンサー

宝くじ当選祈願はゆきすぎですね。
宗教だって結局はお金じゃないか・・・という質問者様の声が聞こえてきそうです。
当事者ではありませんが
寺院や神社の維持管理には、やはりお金が必要ですし、営業面が強く見えてしまう傾向もあります。
でも、そちらだけの面から宗教を見てしまう事も危ういのではないでしょうか(ご存じとは思いますが・・・)

ご本尊様の本誓からかけ離れた、営業看板は外すべきだと思います。
本誓から発した方便の中に祈願はあるべきでしょう。
お金も方便の中にある事で大切とは思いますが、行き過ぎるとご本尊様の心を見失いかねないと思います。
はたから見ても宗教はきれいなものであって欲しいですね。
ご質問者様もそう思われますか・・・。

Qキリストはいつ神様になったのですか?

キリスト教ではキリストは神様だそうですが
それでは、キリストはいつ神様になったのでしょうか?
復活した時に神様になったのでしょうか?
それから、キリスト教でも神様は一人だと思うのですが、
キリストが神様だとすると、神様は何人いることになるのでしょうか?

Aベストアンサー

「三位一体」について調べていただければわかりますが、
「神」=「キリスト」=「聖霊」なので、「神になった」というよりも「元々神だった」という方が近いかなと思います。

簡単に言うと、「神」は実体が無いので、実体のある「キリスト」として現世に現れた
(ただ、キリストは「神の子」でもあり、あくまで「人間」なので、この表現では少々説明不足な部分があります)、
そして人間の力でできることに関しては「キリスト」が行い、人間の力では無理なことに関しては
「神」のもうひとつの実体である「聖霊」が行ったことにした、のような感じです。
身近なところで言うと、戦時中の天皇が「現人神」と呼ばれていたことに近い気がします。
ただ、宗派によってはこの「三位一体」説を認めないところもあります。
その場合はキリストは神ではなく、あくまで「神の子」という立場になります。

また、キリスト教は「唯一神」の宗教です。
日本の神道やインドのヒンドゥー教のような「多神教」とは違います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%A5%9E%E6%95%99
「三位一体」を正とした場合も、「神」=「キリスト」となるので、
たとえキリストが神であろうと無かろうとキリスト教の神は一人ということになります。

尚、いろいろな宗派で様々な崇拝対象がありますが、
それらは「天使」や「聖母」として崇拝対象とされているのであって、
「神」として崇められているわけではありません。

尚、起源が同じキリスト教の「神」・ユダヤ教の「ヤーウェ」・イスラム教の「アッラー」は
全て同一の唯一神です(ただしアッラーに関しては別の起源という説もあり)。

「三位一体」について調べていただければわかりますが、
「神」=「キリスト」=「聖霊」なので、「神になった」というよりも「元々神だった」という方が近いかなと思います。

簡単に言うと、「神」は実体が無いので、実体のある「キリスト」として現世に現れた
(ただ、キリストは「神の子」でもあり、あくまで「人間」なので、この表現では少々説明不足な部分があります)、
そして人間の力でできることに関しては「キリスト」が行い、人間の力では無理なことに関しては
「神」のもうひとつの実体である「聖...続きを読む

Q神様、仏様、宇宙の真理様、○○様

敬虔なクリスチャン、清き明き心の天照大神の信者、謙虚な仏教徒、人情ある気のいい人たち

そんないい人たちが沢山の人の心の真実に生きたのに 何故現実は上手く行かないのでしょうか?

これでも日本は上手く行ってる方かもしれませんが、世界には酷い状況が人々を苦しめています。

なぜ悩みは次から次に生まれ出ずるのでしょうか?

折角 世界大戦から立ち直ってきたのに戦争や温暖化や人口爆発に苦しむことになったのでしょうか?

世界の計画性が殆どなかった 資本主義は何処までもお金を求め、成長、開発、消費を促します。

「平和」と言うと何かおかしな運動と思われるし、真理を見出そうにもみんな意見がバラバラです。

我々はどうすれば良いのでしょうか?何もしなくてもいいのでしょうか?思考停止でいいのでしょうか?

貴方はこの世界のどの様なものを評価し、どの様なものを批判するでしょうか?

現代における真実な生き方、在り方というもの、尊敬できる人と言うのはどの様な人でしょうか?

神様、仏様、○○様と言う 貴方が尊敬する人はどんな人ですか?どんなところがいいですか?

病気で長文が読めないので、程よい文で教えて下さい。

敬虔なクリスチャン、清き明き心の天照大神の信者、謙虚な仏教徒、人情ある気のいい人たち

そんないい人たちが沢山の人の心の真実に生きたのに 何故現実は上手く行かないのでしょうか?

これでも日本は上手く行ってる方かもしれませんが、世界には酷い状況が人々を苦しめています。

なぜ悩みは次から次に生まれ出ずるのでしょうか?

折角 世界大戦から立ち直ってきたのに戦争や温暖化や人口爆発に苦しむことになったのでしょうか?

世界の計画性が殆どなかった 資本主義は何処までもお金を求め...続きを読む

Aベストアンサー

何故現実はうまくゆかないかといえば、人の上に立つ人間の
心が悪いからだと一応言えるでしょうね。

ちっちゃな会社の課長になっただけで、急に気取り始めるの
が人間ではないですか?エライと思っちゃうのでしょうね。
まして、エリートとか政治家とかになったら、もうどうにも
ならない。
それと、自分が得たものをどうしても離したくない、これも
強烈でしょうね。

「悪政」は大衆が支える。大衆が「慢心、保身」になったら
もう終わりです。

尊敬できる人とは、信念をもって行動しきる人です。
G.Rさんの考えは反対というより、わからんのです。

Q【宗教】「今上天皇」って今は何の神様になっているんですか? 歴代の天皇陛下は亡くなると何かの神に昇進

【宗教】「今上天皇」って今は何の神様になっているんですか?


歴代の天皇陛下は亡くなると何かの神に昇進されるんですか?

昭和天皇は戦争の神様ですか?

今度の平成天皇が亡くなると地震の神様になるのかな?

明治天皇は何の神様だろう?売国奴の神様?文明開化の神様?鎖国を解放した自由の神様かな?

死んだら神様ネーム貰えるって羨ましいなあ。

Aベストアンサー

明治天皇と皇后である昭憲皇太后は日本一初詣の参拝者の多い明治神宮の祭神。。。要するに神様です。

Qお寺は仏様がいる場所なんでしょうか?

 神社には神様が宿るご神体や杜がありますよね。だから神社自体がパワースポットや聖域として扱われています。
 いっぽうお寺には仏様がいるんでしょうか?仏像は有りますが、仏って仏像に宿るものでしたっけ?仏はお寺に常駐していて、他にはいないものなんですか?

 お寺という場所と仏様の関係についてが良くわからないので教えて下さい。

Aベストアンサー

お寺に安置されている仏像と神社のご神体とは少し違います。
仏像には大きく分けて二つの役目というか機能があります。
一つは仏教の教えを具体的に目で見て理解するための補助としての機能です。
口で説明したりお経のように文章で説明する代わりの役割です。

仏像というのは、一定のルールに基づいて作られています。
一番分かり易いのが、手の形です。
印相と呼ばれます。

仏の印相について - ZAQ
www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/inn.htm

逆に言いますと仏像の手の形を見れば、その仏像はどの仏様を表しているのかが分かります。

十一面千手観音像のような沢山頭があったり手がある仏像もありますが、これは、観音様は世の中の全ての事柄や人の心の動きを全部見ています。困っている人や苦しんでいる人を助けるためのあらゆる手段を持っています。ということを表しています。

もう一つの働きはイメージトレーニングの補助です。
小説を読むのとコミックで済ませてしまうのとよく似ています。
文章で書かれた小説は情景や登場人物の姿は、読者がイメージしながら読んで行く必要があります。
コミックは読者は絵を見るだけでいちいちイメージを創らなくても済みます。

念仏という言葉を聞かれたことがあるかと思いますが、念仏というのは実は普段耳にするように声で唱えるものだけではなく、仏様の姿をイメージするやりかたも含まれています。観想念仏と呼ばれます。
これが非常に盛んになったのが平安時代です。
仏様の姿だけではなく、仏様がいる浄土の光景までイメージするようになりました。
ついには、実際にそのイメージどおりの建物を造りました。有名なのが京都宇治の平等院です。
お寺も実はこのミニ版です。
仏像の周りに色々な装飾品が飾られているのはこのためです。
奈良や京都の古いお寺は、創建当初は極彩色の絵で埋め尽くされていて仏像も金色に輝いていました。
現在のイメージとは全く違う景観でした。
鎌倉時代に禅宗が盛んになり、簡素であることを重要視してわびとかさびと呼ばれる美意識というか価値観が生まれました。
この価値観が現在も続いていて、現在のようなお寺のイメージになりました。

密教と呼ばれる宗派では、理論が難しいのでこれを図で表しました。
曼荼羅とよばれる大きな壁かけがこれです。
さらに、これを立体的に仏像を配列したものが京都の東寺に残されています。
立体曼荼羅と呼ばれます。

これらの仏像を始めとする内装品に囲まれた場所で、仏様の世界を疑似体験することで仏教の教えに従うようになる効果があります。
現在のお寺の仏像もその前に座って、姿をみることで仏の教えに導かれると期待されて作られています。

以上のように、仏像は仏教思想の視覚化であると同時にイメージトレーニングのための装置でした。
これに、神社のご神体のようになにかが宿っている、と考えるのは後から加えられた考え方です。
仏像を新造したさいに開眼供養とよばれる儀式が行われるのはこのためです。
開眼供養を行うことで、単なる彫刻作品に神格が生まれると考えられています。
奈良の大仏様も暮れの大掃除の際に僧侶が上りますので、儀式をおこなってこの神格に一時どいてもらいます。
お掃除が終わればまた儀式をして神格に戻ってきてもらいます。
この辺の考え方は神社の考え方とよく似ています。

日本では江戸時代までは、神社もお寺もワンセットで考えられていました。
神社もお寺も同じ敷地にあって、僧侶が神官をかねているところも沢山ありました。
これを無理やり政治的な目的で分けたのが明治政府です。
現在の姿は明治以降に出来上がったものです。
現在でも東大寺の大仏殿のすぐ近くに八幡様(手向山八幡宮)があります。

僧形八幡神坐像|秘仏開扉|華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ
www.todaiji.or.jp/contents/function/buddha4.html

お正月の七福神も同じ宝船に仏様(弁天様、毘沙門天)と大黒様が仲良く乗っています。
吉野熊野や出羽三山の修験道のように完全に一体化した考え方もあります。
ということで、ご神体と仏像の区別がよくつかないのも無理がありません。
どっちもに似たようなものと考えられても一向に差し支えはありません。

お寺に安置されている仏像と神社のご神体とは少し違います。
仏像には大きく分けて二つの役目というか機能があります。
一つは仏教の教えを具体的に目で見て理解するための補助としての機能です。
口で説明したりお経のように文章で説明する代わりの役割です。

仏像というのは、一定のルールに基づいて作られています。
一番分かり易いのが、手の形です。
印相と呼ばれます。

仏の印相について - ZAQ
www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/inn.htm

逆に言いますと仏像の手の形を見れば、その仏像はどの仏様を表してい...続きを読む

Q八百万の神様について

カテゴリーが分からないのでアンケートカテにて質問します。

日本では古くから、すべてのものに神様が宿るといわれていますが、

質問1、例えばですが、にんじん一つ一つに違う神様が宿るのでしょうか? またはすべてのにんじんに、にんじんの神様が宿るのでしょうか?

質問2、例えばカレーを作った場合、カレーは「にんじんの神様、ジャガイモの神様、たまねぎの神様、豚肉の神様、スパイスの神様たちの集まり」になるのですか? それとも全員が混ざって「カレーの神様」になるのですか?

分からない場合は、あなたの意見を教えてください。

注意:カレーの王子様の話ではありません

Aベストアンサー

八百万の神と言うのは、全てに神が宿っているという訳ではなく、
神のように丁寧かつ丁重にモノを扱えば、神が宿るという事を示す
言葉で、漫然と神が宿ると言う事は無いのです。
妖怪で「モノ付き」や「化け道具」等も八百万の神と同種と考えても
間違いでは無いと思います。

質問1の回答は
人参と言う神が居ると考える方が正しいのかも知れません、
ですが、単に人参の神と言えども、複数居ても構わないと思います。

質問2の回答
カレーの神は八百万で無くとも、他宗教で存在していますので、
此方はカレー神としたほうが良いのかもしれません。
ですが、日本的に言えば集合神と捉えてもおかしくは無いと思います。

モノを大切に扱い、時の輪廻を超えれば神になり、
時の輪廻に逆らって捨ててしまえば、化け物になり、
と、祖父が教えてくれました。

Qなんで哲学カテで神や仏に対する質問するの?

本当に素朴な疑問です
なんで<宗教学><人類・考古学>等で質問しないので<哲学>なのでしょうか?
何を求めて問うているのでしょうか?

哲学的な質問では無いですが読んで回答して欲しい人は<哲学>カテの人達なので
<哲学>カテで質問します

Aベストアンサー

存在を知ることも哲学ですから帰結として神が原因なのかあるいは神そのものを知る、こういう働きもある。
今は頭を働かせば賢いとされる時代ですから、唯物論者も神を語れる。
ある事柄を否定したとたんに認めるという離れ業も出来る。
ようは頭がおかしい。
この哲学カテゴリーも低脳おっさんの語らいの場、社交場(サロン)と成っている。

四元素から原始の発見へ、万物は流転する(ヘラクレイトス)のエネルギー保存の法則やデモクリトス・エピクロスの原子論も、ストラトンの気体と真空説など昔は哲学者は科学者でもあった。

Q神社・神宮・護国神社等神様になる基準について

人を神様にしたり、初めから神様をまつったり、川崎では性器を祭っている<神様は誰の?>ところも在ります。1・縁結びの神社の神様って誰ですか・・2・動物や植物を神様にしているところもあるのですか?3・そもそも何でも神様になれるようですが、神様になる基準って何で、誰が決めるのですか?・・・神社・護国神社・神宮三つの違いって何ですか?神様の違いですか?

Aベストアンサー

神道は日本独自の宗教であり、その宗教観や概念は他の宗教とは違うものがあります。
古来、日本には神道の元となった宗教があり、それと朝廷とが結びつき神道になったといえます。
しかし、仏教が日本に伝来し、神道と融合していきました。
平安時代頃から江戸時代までは、神道と仏教は区別がつかない程度まで融和していました。
明治維新になり、天皇の親政となって国家神道が確立し、神道は半ば国教化されました。
その後、敗戦により政教分離がなされ、現在の形態となったのです。

平安時代に定められた朝廷の法律みたいなものに、延喜式と言うものがあり、その中の第九巻に神名帳という章があり、朝廷が祀る全国の神社が記載されています。それを官社と言います。
官社には格付けがあり、「名神社」「大」「小」に分けられています。
その中で、「神宮」と書かれているのは、「大神宮」=伊勢と「鹿島神宮」「香取神宮」だけです。
また、「大社」と書かれている神社はありませんでした。
大社と言えば「杵築大社」=出雲大社のことと言われますが、それはもう少し時代が下がってからです。
なお、延喜式神名帳に記載された神社を「式内社」と呼び、2800社あまりが載っています。

明治新政府になり、神社は国家や府県が管理するようになり、神職は公務員となりました。
その中で、昔の制度に倣い、社格制をとりました。
国家が管理する「官幣社(大・中・小)」「国幣社(大・中・小)」「別格官幣社」と、府県が管理する「県(府)社」「郷社」「村社」と、格付けからはずれた「格外社」です。

また、歴史的に偉大であった天皇を祭神とした新しい神社を創建しました。
明治神宮(明治天皇)・平安神宮(桓武天皇)・橿原神宮(神武天皇)とかです。
それらの名前を見ても分かるとおり、「神宮」とは、天皇を祀る神社あるいは皇室と深いかかわりのある神社と言えます。

しかし、戦争に負け国家と神道は切り離されたため、戦後に各神社は社号をそれぞれが名乗るようになりました。
その結果、福井の気比神宮や奈良の石上(いそのかみ)神宮のように、今まで「神宮」と名乗っていない所も神宮を名乗るようになりました。
また、全てではありませんが、多くの官幣大社・国幣大社が「大社」と号するようになりました。

よって、誰が「神宮」とかを決めているのかと言う質問に対しては、それぞれの神社が歴史的な背景を元に決めていると言うのが答えになります。
とは言え、多くの神社は「神社本庁」という宗教法人に属していますので(属していない神社もある)、神社本庁の許可(承諾)を得て決めていると言えます。

なお、靖国神社・護国神社に関しては、別のところで回答が出ているので省略します。

神道は日本独自の宗教であり、その宗教観や概念は他の宗教とは違うものがあります。
古来、日本には神道の元となった宗教があり、それと朝廷とが結びつき神道になったといえます。
しかし、仏教が日本に伝来し、神道と融合していきました。
平安時代頃から江戸時代までは、神道と仏教は区別がつかない程度まで融和していました。
明治維新になり、天皇の親政となって国家神道が確立し、神道は半ば国教化されました。
その後、敗戦により政教分離がなされ、現在の形態となったのです。

平安時代に定められ...続きを読む

Q神や仏を信じていない人間は、なにを信じて生きているのでしょうか。

神や仏を信じていない人間は、なにを信じて生きているのでしょうか。

Aベストアンサー

周りに頼らない、何者にも縋(すが)らないと言う意識だと思いますので
自分を信じていくしかないと思います。


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