あなたの「必」の書き順を教えてください

【教育】 橋下知事 「君が代不起立の教員、絶対に辞めさせる」「国歌・国旗を否定するなら公務員辞めろ。府民への挑戦だ」…大阪

・大阪府の橋下徹知事が代表を務める「大阪維新の会」府議団は16日、5月議会に提案を
 予定している府立学校での国歌斉唱時に教職員に起立を義務づける条例案について、対象を
 「府下の公立学校」に拡大する方針を決めた。罰則規定はないが、府教委は政令指定都市の
 大阪、堺両市を除く市町村の小中高校教員に対しては任命権、懲戒処分権を持つ。

 一方、橋下知事は報道陣の取材に対し「政令市も含めて(条例の)対象にすべき。府議が
 議論して決めたルールに府内の教員は従うべきだ」と強調。「起立しない教員は意地でも
 辞めさせる。ルールを考える」と、政令市も含め違反すれば処分する考えを示した。

 府教委は平成14年以降、府立学校に対し「教育公務員としての責務を自覚し、国歌斉唱に
 あたっては起立する」と文書で指示しており、今年3月には卒業式での国歌斉唱時に起立
 しなかった守口市の中学校教諭を戒告処分にした。ただ、政令市の教員については地方教育
 行政法で政令市に任命・処分権があるため、府教委は「条例の適用対象となり得るかどうか、
 これから検討する」としている。

 また、橋下知事は今春府立高校での入学式で国歌斉唱時に起立しなかった教員が38人いたとし、
 「国旗、国歌を否定するなら公務員をやめればいい。もう(個人を)特定している。やらないなら
 府民への挑戦と捉えてやめてもらう。公務員だからといって守られるわけがない」と述べた。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110517/lc …

国民や国のために働く公務員が国歌や国旗を否定するのっておかしくないのかな?
大体にして歌や旗を否定するって子どもじみた駄々っ子みたいなマネ大人として恥ずかしくないのかな?
公務員じゃなくても国歌や国旗否定するヤツらは日本から出て行けばいんじゃね!?

A 回答 (22件中1~10件)

「第十五条2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。



 だからこそ、日本国において国歌を君が代。国旗が日章旗とされている以上、これを尊重せねばならない。

「第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 」

 国民の手で辞めさせれば良い。

 自身が公務員という立場において国旗・国歌を蔑ろにした場合、それは公務員たる奉仕者による国家そのものへの冒涜。個人という立場を主張される方もいるが、公務員(教員)という職種においては通用しない。確かに思想そのものは憲法において自由とされてはいるが、ここで言う「国旗・国家の否定」とは教育現場たる公務員という立場において成り立つ。よって、彼らの行いは何ら非難されるべき行為であり、日本国民においては断じて許されざる行為であるに他ならない。
    • good
    • 0

回答者の中に勘違いをしている人がいます。


君が代を無理矢理歌えなどとはだれも言っておりません。歌わなくて結構です。君が代は日本人として歌いたくなるものであって強制されるものではありません。

でも起立はしてください。最低限のマナーです。生徒たちに模範となる行動を率先してするのが教師ですからかならず起立してください。

公立高校の先生で晴れの卒業式の君が代斉唱で起立しないなんてイカレた教師は橋下さんに首を切られる前に辞めてください。よろしくお願いします。

そして貴方がた左翼が愛して止まない北朝鮮に移住してください。あそこは天国です。君が代を歌わなくて済みます。
ただ、北朝鮮の国歌がありますからその際に坐っていると強制収容所に送られますからそこで反省してください。

橋下バンザイ! 貴方は正しいです。
    • good
    • 1

私は愛国心があると思います。

でも、誰か忘れましたがある文学者が「愛国心とは、ならず者の最後の避難所である」。それに対して「最後」を「最初」といった人もいたかと記憶しています。それもなるほどと共感します。
国旗や国歌は愛国心を教育させる教材ということでしょうか。愛国心を持たない教師は出て行け。そして愛国心を持たない子供は×。愛国心を点数にするのも難しいとは思いますが、これってどこかの国みたいで私はそんな国になってほしくはない。学校に国旗国歌がなくてもこの国が子供たちが住みやすい未来のある国なら自然にこの国を愛するようになると思います。生徒を殴って重傷を負わせた先生より国歌のときに起立しなかった教師が解雇という、世界にこんな国はいくつぐらいあるのでしょうか、ご存知なら教えてください。ちなみに朝鮮人民共和国の今をみると戦前の日本の教育と同じに見えてしまいます。
ps 昔はよかった、卒業式に君が代歌いませんでした。自分たちで卒業式を作ろうとしたりした人たちもいました。どんな歌を歌うか自分たちで決めたりして。そんな卒業式を子供たちに作らせてあげたら自分がいた学校が好きになり、そんな自由がある教育を許容するその国も好きになるのでは。
質問者様には不愉快かと思いますが、もうすぐ60の爺の遺言としてください。お付き合いありがとうございました。
    • good
    • 0

#19です。



念の為、同意を期待した質問だったとすれば、趣旨が異なっていると思いますので、あらかじめお詫びしておきます。
    • good
    • 0

VS 日教組、VS 公務員 とか、戦時中っぽい思想の残骸へのこだわりとか、そういう話にすると見えなくなると思います。



また、国歌や国旗を否定するかどうかということの個人の思想を評価することに流されるのも見えなくなると思います。

歌う・歌わない・立つ・立たないという、基本的な身体の動きを罰則をもって強制することを前例として認めていくことは、後々つけがくるはずです。しかも、別に教員が起立しないとか歌わない、ひいては子供が真似して歌わないとか起立しないということで、直接害があるというわけでもないし、仮に教育現場や国民性に何か問題があるとしても、国歌や国旗がその問題を解決する力にはなるわけではありません。北朝鮮では国旗や国歌に対して尊重以上の態度がとられていますが、それらの教育現場や国民性には問題だらけだということからも明らかです。

国歌や国旗が大切であることは、ほとんどの国民に異論ないはずです。しかし、国歌や国旗を賛美するか、それを強制されることは、「教育」でもないし「教育の一環」でもありません。さらに、愛国心と国歌・国旗を結びつけるとしても、「強制」や「教育」されたものはそもそも「愛国心」ではありません。国歌や国旗への態度はそもそも「自発的な愛着」によって成り立つべきもので、そうした愛着を生じる実質的な根拠が弱い政治力の問題を、公務員やひいては子供の教育のルール違反の問題に変化させてしまうのは、とても危険ですね。

国歌や国旗を軽視していると決めつけることができる態度は「違反」であり、「罰する」ことができるとするのですから、「シンボルに従え」という発想であり、天皇制から政治性を奪った代わりとして国歌や国旗を使うこともできてしまうことになりかねませんね。

そして、起立しない限り公務員になれないということは、国民の公務員になる権利を制限することにもなりますし、公務員になる権利の制約を通じて国歌・国旗への態度の決め方という思想に入り込むことになると思います。

絶対に「義務化」反対ということもありません。「一部の公務員」とか、「一定の対外的な場面」においてあるいはその両方のとき「など」のごく限定された範囲で起立の義務付けくらいはやっても良いと思いますし、やった方が良いとも思います。たとえば、国際的に関心を持たれる場面で、公務員が国歌斉唱時にまばらに起立していないような場合、国として大変恥ずかしいことだと思います。しかし、「教育現場」の「教員」という「学校内」で起立しないと罰する、処分するというのは、かなり異常に感じます。

国歌や国旗は、実質的には、対外的に独立国であることを主張するための道具であり、国内的にやたらと(制度として)統制の道具、精神的な統合の道具と考えなければならないようなものではないです。それから、強制されたものに愛着は湧きません。また、強制されたものであることを知ったときに愛着を失うと思います。しかも、強制されたものは「愛国心」である、「愛着に基づくものである」と評価することさえできなくなります。

北朝鮮で真似できないような笑顔で金正日をたたえている人たちを見て「金正日は国民から本心から支持されている」と評価することはできないことと同じです。

アメリカの国歌が演奏されているとき、われわれのような部外者から見てもかっこいいと思えるのは、自由にやっているという評価があるからです。実際に、歌いたくない人も起立したくない人もいますが、国歌は好かれているはずです。そういう自由な雰囲気だし、また国歌を尊重したくなるようにそれぞれが楽しんでいます。強制されているから楽しんでいるふりをしているというわけでもありません。むしろ、極端に言えば、向こうは気に入らないことがあれば簡単に暴徒化するくらいの人の方が多いくらいです。

アメリカアメリカとあまり言いたくないですが、彼らの場合、国にいろいろな問題があっても、なんだかんだいってアメリカが好きだという場合が多いと思います。

日本の場合、なぜか堅い顔して直立不動でいたがりますので、国歌を好きになる動機を自分たちでつぶしているようなところがあります。そして、日本人の場合残念ながら日本が好きだと言い切れる日本人は少ないと感じます。

このように、国歌や国旗があるから国が好きになるのではなく、国に関心があるから国歌や国旗も尊重されていくわけで、公務員であろうとなかろうと、それを強制するのは基本的には、現代的な国としては馬鹿げた発想だと思います。他の国で強制しているところはあるのかも知れませんが。

国歌や国旗は国に対する思想と切り離して、国民である事実に基づいて、まさにシンボルとして共有されて、それえの思い入れはそれぞれの国民に任されれば良いだけで、右や左とは関係がありません。どちらかに寄せて考える方が、すでに国歌や国旗に対する考え方がゆがんでいる結果でしょう。

大阪の条例案はミスリードだと思いますね。でも、修正すれば何らかの(罰則なしの)義務付けなら共感できます。ただ、罰則はつけるべきでない性質の義務として認識しておくことが重要だと思いますよ。

起立しないなら公務員になるな、歌わないなら国民やめろみたいな種類の発想は出遅れた民族主義の出来そこないみたいなレベルの話で、目も当てられません。

日本の国歌はすばらしいと思いますが、こんな法律や条例で強制するのは、良い気分で歌えないだろうし、素直に聴けなくなりますね。

公務員ではありませんが、個人的にもこんなものを強制されても絶対に従う気にはなりませんね。そして、国歌や国旗に起立していようが歌おうが、そのこと自体を信用できなくなりますね。強制が伴っているのですから。

ご立派な態度が強制されたものなら、その本心は信用できない、ということになるはずです。こうしたやり方は、かえって世界から良い意味でも不思議がられている国民性に傷を傷をつけることになると思いますね。

まあ、国歌の斉唱とか起立といった行為に対する評価を、食用肉の表面をちゃんとトリミングしているかどうかに対する信用と同じレベルに引き下げるようなことを地方自治の人気取りの手段としない方が良いと思います。


こういうほとんどどうでもいい「形」に従わせようというのが「いまの政治のレベル」だということなんでしょう。メッキは完全にはがれましたね。わざわざ「出来ない政治」に「思考停止の道具」を与えて喜んでるようでは、右の人でさえ「こんなはずでは」ということになるでしょうね。 個人的にはどちらかというと「右」のファンですので、言いたくないんですが。- 合掌 -
    • good
    • 0

何故、君が代や日の丸を否定するのか解りません。

二つが戦争に繫がると言う理論だそうですが君が代や日の丸は明治時代に出来たものだし、昭和になって一部の日本人が日の丸、君が代を利用したのも事実ですが、今の時代君が代と日の丸が即軍国家化に結びつける事は有りません。
アメリカ合衆国や中華人民共和国、韓国などでは教室に国旗があります。日本は変な国ですね。教師が国歌や国旗を否定するなんて有り得ない事です。そんな教師は早く追放しましょう。
    • good
    • 1

公務員は国民に奉仕する使用人です。

知事もまた公務員であり、主人である国民に仕える使用人なのです。ただ同じ公務員でも教員とは立場が違う。特別公務員である知事は、下級公務員である教員を監督する権限・職務を主人から託されている立場なのです。

ですから当然にしてその職務を果たしていただかないならば、知事を辞めていただくほかないのです。そう考えれば、橋下知事の一連の言動はその職務を忠実に果たそうとしたものだと理解できます。

公務員を食わせるために国民が公務員を雇っているのではなく、公共の福祉に役務を提供させるために国民は公務員を雇っているのです。
公務員である教員が国歌斉唱時に起立するのは当然の儀礼だと思う。それがそうでない教員がいるというなら自分の立場を認識していないとしか考えようがない。民間を考えれば分かる。会社に勤める以上は社歌を斉唱する機会に起立するのは当然です。

軍事独裁政権だろうと共和政だろうと立憲君主制だろうと、世界の国という国はどこでもそういうものだと思うのです。かつてアメリカはアメリカ国籍を持った日系人を強制収容所に隔離した歴史があります。それはいかにも人権無視としかいえない乱暴な措置であった。しかし日米間で戦争が起き、日系人のアメリカに対する忠誠心が疑われたという背景は理解できなくもないのです。もちろん私は決してそんな人権無視が許されるとは思わないし、ルーズベルト大統領の措置を正当化しようとも考えません。ここでは国家に対する忠誠心を疑われるということは、それぐらい重いことなのだと具体的事例を挙げているまでのことなのです。

私たちは教員が子供たちを人質に取り、子供たちを出汁に使いながら、国家を否定するなどという暴挙は決して許すべきではないと考える。それが教員をいう使用人を雇う国民の責任であるとも思う。

思想・信条の自由を持ち出して何でも正当化できるわけがない。消防署員が共産主義者の家宅の消火活動に携わりたくないと思想・信条の自由で言い張ればいったいどうなるのでしょうか。そんなことを許せば、無茶苦茶です。本人の思想・信条がなんであろうとも職務を忠実に果たしていただかないと無茶苦茶です。自民党員の医者は民主党員の患者の治療に手抜きをするなんて馬鹿なことが許されるわけはないのです。
    • good
    • 1

同感です。

日教組や左派の人は教師から外すべきです。中国や韓国、朝鮮の人が君が代、日の丸に反感をもたれるのは解りますが、日本人である以上日の丸、君が代を否定する事は許されない事です。日本は民主主義国家ですから君が代や日の丸を批判する事を禁止はされませんが。中国人民共和国や朝鮮民主主義共和国ではもちろんな事、国旗や国歌を否定すれば死刑ですよ。民主国家のアメリカ合衆国やイギリス、フランス共和国だって国家、国旗を自国民が批難することは許されません。初めに言ったように国旗国歌を否定する教師は即刻日本より追放すべきです。
    • good
    • 1

・生徒に「社会のルールを守りましょう」と教えるのが教師。


・入学式や卒業式など、学校の公式行事は基本的に子ども達のためのもの。
 その社会のルールを守れないやつ、子ども達のための行事を妨害するやつに教師である資格は無い。だったら辞めていただきましょう、日本には職業選択の自由があります、って話だと思います。
 なんでこれまでそう公言する首長がいなかったのかが不思議ですね。

 まあ思想信条の自由は認められているので何も国から出て行かんでもいいかとは思いますが、少なくとも公立校の校内にいてほしくはないですね。
    • good
    • 1

そう、ま、公僕ならば最低限は、お上(政府)の意向に従わなくてはね。


それを変えたいのであれば、まず一旦外(公務員以外)に出てもらいたいです。

公務員は、お上の禄を食む身ですから、冷静に考えれば自分が誰に従わなくてはならないのか判る筈なんですけどね。

個人的には、公務員以外の民間人が国歌・国旗に反対しても、何とも思いません。
その人に本当の愛国心さえあれば、形式はどうでも良いと思うから。
又、本当の愛国心あっての「反対」かもしれませんしね。それは本人の主義しだいですから。

ですが、公務員はその限りにあらず。
国の決めたことは守るべし。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報