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 まづ 推測がゆるされるとしたらのお話です。

   ( あ ) 虚数は 現実とどうかかわっているのか?

 この問いから出た考え(推測)ですが その名のとおりに

   ( い ) 虚数とは 《想像をめぐらしたその観念の世界》である。

 と言えるものであるのか? これが質問です。おしえてください。

        *

 さらに推測を交えた世界に入りますが 趣旨説明を述べます。

 まづ ことは ひとの意志行為です。これに注目します。
 たとえば実数であれば 意志のあり方は――その表明にまで到ればなおさらですが―― イエスかノーかあるいはその中間でまだ決められないか この二つないし三つに分かれると思われます。まづほかにはないでしょう。

 ところが 虚数の概念を仮りに導入したら どうなるか?
 たとえば イエスもノーもまだまだ決める段階にはない。いえ その情況は相手からその答えを求められ決断をも迫られている段階ではあるのですが どういうわけか(つまり これが 虚数の世界であるかも知れないのですが) 実数としての意志決定をしぶっている。
 つまりは言いかえると これは 大きく見れば いまの段階としては不確かな実数の世界( a )とそして同じくいま考えあぐねているその想像の雲に乗った小世界( bi )とで構成される複素数( a+bi )としての実態である。ということになりましょうか? いえ どうなのでしょうか?

 いまもし ひとがたとえば人間不信に落ち入っていて もはや実数としての意志決定を成し得なくなっているとしたら どうなるでしょう? 
 いまの仮説のかぎりで その人は 虚数の世界にのみあることになります。すべては 想像をめぐらしつづけている。と言えばまだ恰好がついているかも知れませんが 実際は その想像というのは うたがいに満ちさらにはその猜疑心が敵対心にまで広がっているかも分かりません。

 もし人の生きることが 自己表現であり 自己表現は それとしておのれの文体を成すとしたら おそらくそれは《わたしがわたしであるそのわたしが わたしする》動態であると見ます。
 言いかえると わが自己表現の文体は 《わたしがわたしである》その自己同一性のさらに自乗として限りなくつづく過程である。 
 《わたし》が 数として一であるならば 一の限りなき自乗として・つまりやはり一でありつつ また多少そこから脱線しても元の一に戻りつつ 生きる。

 ところが 現実は 複素数である。かも知れない。虚数の動きが 心に忍び込んで来るのかどうなのか 起きる。おまけに《一》から脱線したときには 元の動態とその軌道が分からなくなる。もはやそこでは あたかもあの悪名高きムラカミハルキ・ワールドつまりモヤモヤ・ワールドのごとく 虚数なる想像一色の世界となる。
 自己表現の動態としてありつつも 実数としての意志決定が・したがって意志表明も できない。できなくなる。代わりに ひょっとするとその想像力をたくましくしてあたかも巨大な繭の中にあそぶかのような時空間をすごすということかも知れない。
 
 もしこの現実としての複素数なるわが文体が その中で実数が消えてゼロになり 虚数のみによって成るかたちを取ったとしたら どうなるか?
 《わたし》の自乗の動態は あたかも マイナス一(いち)( -1 )となる。
 これでは 社会における交通(まじわり)が成らない。成し得ない。
 という憶測としての発見をきょう得ました。

 ご教示ください。


 * おまけもしくは余分:
  悪名高きモヤモヤ・ワールドは 精神分析ワールドでもありますが 日本人のあいだでは やはりむしろブディズム――その悪しき部分――に放射能源はあるのではないか?
 余計でした。つまり《さとり》についてのゴミ解釈が社会の処理能力を超えて無限に造り出されていまいか? 虚数としてかんたんに誰でも言えるのですよ。
 ご教示を願います。

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A 回答 (48件中1~10件)

No..26です。

お言葉に誘引されて もう少し 考えてみました。

今の場合、ベクトルを複素平面で捉えること(平面的)は問題ないと思います。複素数=ベクトルとみなしていいとおもいます。実数部を主張の自己表現に対応させ 虚数部を反自己表現に対応させます。反自己表現は自己表現の放棄とします。
例えば 『私は金持ちになりたい』は 主張の自己表現ですが 主張になってない『紙は1グラムである』のような文語は反自己表現とします。この実数部(主張の自己表現)+虚数部(反自己表現)が 言葉として出てくる通常の会話であります。実数部の成分ベクトルと虚数部ベクトルで出力会話のベクトルが構成されていると考えます。
 このような会話ベクトルが二つあるとします。二人の会話があった場合です。これら二つのベクトルの始点を揃え 仕事量を考え、交角をみます。直交すれば 仕事量は0であります。一つが実数部のみで片方が虚数部のみ の場合も もちろん 0であります。噛み合わない会話であります。会話のイメージは正にお互い垂直壁に向かって話している感じでしょう。
 自己内部の『主張の自己表現』と『反自己表現』の関係も垂直壁イメージであります。
主張部分を抽出することにより反自己表現部が浮き彫りにされると考えます。自己言及としては十分なフィードバックがされ 主張の自己表現と反自己表現の関係が明確にされると思います。自己言及の後の モヤモヤワールドは 反自己表現です。
ざっと以上のように考えてむました。何度か言いましたように このような数学的表現は あくまで 比喩であります。定性的な感じが伝われば それで十分であろうとおもいます。

以上 参考までに。
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この回答へのお礼

 ということですよね。――おうけい9608さん ご回答をありがとうございます。――こんな簡単・単純な話について 言ってはわるいですが いかに多くの虚数部=反自己表現としての反応が そこかしこに見られることでしょう。 

 そのむかし ばかの壁が流行りました。《ゼロ》で自分の耳をふさいでしまっていると 相手の話がまったく聞きとれなくなる。聞きとろうとしていない。という議論がありました。(その提唱者の思想は きらいですので 名前を出すことさえいやな感じです。専門の学識は 別なのでしょうが)。
 
 この複素数交通論は 自己表現にかんする或る種のバカの壁になるかと思います。虚数部においてです。
 なるほど ベクトルをも交えてたとえ話が出来るということですね。

 ★ ~~~~~~~~
 このような会話ベクトルが二つあるとします。二人の会話があった場合です。
 これら二つのベクトルの始点を揃え 仕事量を考え、交角をみます。
 直交すれば 仕事量は0であります。一つが実数部のみで片方が虚数部のみ の場合も もちろん 0であります。噛み合わない会話であります。
 会話のイメージは正にお互い垂直壁に向かって話している感じでしょう。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ つまり
 ★ これら二つのベクトルの始点を揃え 仕事量を考え、交角をみます。
 ☆ というふうに説明を成すのが それとして正式な話になるのですね。

 考えてみれば 人を腐らせるのに 大道具は要らないということになるようです。つねに垂直壁を自分〔たち〕の口に立てておけば そのターゲットになった人は ほとんど自然に腐って行くとさえ考えられます。干す・干されるといういぢめ現象でしょうか。その意味では 悪魔という言葉を使ってよいとさえ この場合にも 思われます。


 ちょっと余談を添えましょうか。
 またまたやはり考えてみればですが この質問においてもはや虚数部による唯我独尊なる回答に対しては うっちゃっておくことにしたのです。そうしたら そのような質問者(つまり わたしぶらじゅろんぬ)は 病気であるという投稿が 別の質問に寄せられています。
 反自己表現ですよというわたし(ぶらじゅろんぬ)の――回答を打ち捨てておくという扱いをつうじて暗黙の内に伝えようとした――メッセージが その回答者たちのみづからの内面において受け取られるのではなく あたかもわたくしが鏡のようになってその鏡に映った内容として受け取られたようです。
 つまり早い話が 《自分たちの落ち入っていた虚数部のモヤモヤ・ワールドは わたし=ぶらじゅろんぬの心の中にあると見ている》結果をもたらしたようです。


 ★ 何度か言いましたように このような数学的表現は あくまで 比喩であります。定性的な感じが伝われば それで十分であろうとおもいます。
 ☆ であると同時に コミュニケーションにおいて何がしかの道具になるようであります。案外 効果てきめんであるようにも思われます。
 減らず口である上に いぢのわるい魂胆を露呈するお話をしてしまいましたが それもこれも――つまりその悪魔でさえ―― 人びとが虚数部の墓場からよみがえるための手だてに――神 嘉みしたまうならば―なること請け合いであると確信するからこそであります。

 おうけい9608さんを巻き込んでしまったようですが 質問者としましては ひととおりの問い求めが出来たかと大いによろこんでおります。
 むろんご批判のある方は これからでもさらにご投稿を寄せていただきたいと考えます。
 ひととおりのまとめを得まして――たいへんありがとうございました―― いま少し開いていて様子を見つつ閉じることにします。

お礼日時:2011/05/28 00:35

「虚数・複素数」は2乗化されませんと、「実数」になってくれないからこそ、


相対無ではなく、絶対無なのではないでしょうか。

そう考えますと、モヤモヤの状況は寧ろNULLに似ているのでは…。

この回答への補足

 いくらでも相手の見解をうたがってよいですが たまには自分の見解についてもうたがってみるのもよいでしょう。
 そうすれば さらによりよい思索が得られるでしょう。

補足日時:2011/06/02 13:18
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この回答へのお礼

 《自乗すれば -1 になる数》という規定が 経験思考をつうじて言葉(もしくは シルシ)として明らかになっています。

 言っておきますが 虚数は《無》ではなく《絶対無》でもありません。

お礼日時:2011/06/02 13:16

虚数のイマジナリーナンバーは絶対無の境涯と関わっていませんでしょうか。



つまり、存否の判断さえをも想像させてくれない段階…。
http://www5.atwiki.jp/hmiku/m/pages/12059.html?g …
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この回答へのお礼

 残念ながら 的が外れていると思います。

 虚数 i は 自乗すると -1 ですから はっきりと特定され得ます。 -1 という存在があることにかかわっているはずです。

お礼日時:2011/06/02 05:31

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

ヒドッチでございます。

> ☆ このとき仮りに90°回転させることを i で表わし 180°の回転は 90°の自乗だと捉えると――つまり i の自乗として i^2 = -1 として捉えるかたちにすると――さらに分かりやすいです。

 わかりやすく、解説していただきまして、どうもありがとうございました。この文章をお読みの方々にも役立つかと存じます。

> ~~~~
 そこで、「i」という記号をつけて、i × i=(-1)と定義しますと、「i」を掛けるということは、その真中の90°回すことと同じこととなります。//////// そこで、 数直線上( X 軸上)で、90°で交わるもう一つの数直線を Y 軸としたのだと考えられます。
 ~~~~~~ 
上に触れられていた《90°の回転》は 謂わば X 軸上の一点から想像のつばさを広げたかのように上空を飛んでいるというイメージなのです 

 実数と虚数という次元の異なるものどうしであるため、仰られますようなイメージに繋がろうかと思われます。

> ★ //////// そこで、 数直線上( X 軸上)で、90°で交わるもう一つの数直線を Y 軸としたのだと考えられます。
 ☆ というふうに X 軸と同じ平面の上にこの直交する Y 軸を持って来たのかが分かりづらいです。

 おそらく、少なくとも当初はデカルト座標を用いて便宜的に考え出されたものかと思われます。
 ただ、虚数におきましても(複素数で、a=0とした場合です)、以下のような直線上にあらわすことも可能かと考えられます。

-2.5 i < 0 <  i < 3 i < √10 i
 ↓   ↓  ↓   ↓ ↓
-------------------------------------------- >

> 言いかえると 初めのイメージに従うならば この Y 軸は X 軸とそれを含む平面に対して上の方に離れて行き ふわふわと飛びながら 架空の Y 軸と言えば Y 軸を  X 軸のある平面に降ろしているというかたちになります。でもその Y 軸は まぼろしです。人の想像裡においてしかない。
 実際の、応用(流体力学等)には平面上でもなんら問題なく、重宝されているようでござます。ですが、社会論としては、かような表現を用いましてもよろしいかと存じます。つまり、Y 軸は存在するものの、論理では単純に語り得ぬもの、想像力、もしくは直感的なものの比喩表現としまして用いることは、問題ないものと考えております。

> もう少し開いていましょうか。

 かしこまりました。

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
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この回答へのお礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~
 実際の、応用(流体力学等)には平面上でもなんら問題なく、重宝されているようでございます。
 ですが、社会論としては、かような表現を用いましてもよろしいかと存じます。つまり、Y 軸は存在するものの、論理では単純に語り得ぬもの、想像力、もしくは直感的なものの比喩表現としまして用いることは、問題ないものと考えております。
 ~~~~~~~~~
 ☆ (1) 数論における概念を勝手に拝借して良いとこ取りのかたちで 社会論をかたちづくる。こういう行き方もありうるであろう。と捉えていただいたこと。

 (2) そのとき 
 ★ 〔* 虚数としての〕Y 軸は存在するものの、論理では単純に語り得ぬもの、想像力、もしくは直感的なものの比喩表現としまして用いること
 ☆ になる。と捉えていただいたこと。

 (3) この虚数のイメージとは別に ガウス平面がそれとして成り立ち 
 ★ 実際の、応用(流体力学等)には平面上でもなんら問題なく、重宝されているようでございます。
 ☆ という側面が現実にあるということ。
 この認識については
 ★ おそらく、少なくとも当初はデカルト座標を用いて便宜的に考え出されたものかと思われます。
 ☆ ということであること。

 (4) すなわち
 ★ ただ、虚数におきましても(複素数で、a=0とした場合です)、以下のような直線上にあらわすことも可能かと考えられます。(* 図を省略しました)。
 ☆ というふうに 虚数部だけの世界として そこに大きさの違いがあることは 分かるわけですから この図のような位置取りになるようだなぁと分かります。

 (5) そしてそこから 実数の X 軸と虚数の Y 軸とが同じ平面で表わされるようになるのは 《便宜的に考えだされたものかと思われ》 その結果としては《応用が効くということで 重宝がられている》 このように分かりました。
 
 ☆☆  〔* なぜ〕X 軸と同じ平面の上にこの直交する Y 軸を持って来たのかが分かりづらいです。
 ☆ 便宜的 なのですね。

 (6) あらためて 虚数のイメージとしてですが:
 ★ ~~~~~
  ☆☆ 上に触れられていた《90°の回転》は 謂わば X 軸上の一点から想像のつばさを広げたかのように上空を飛んでいるというイメージなのです。 

  ★ 実数と虚数という次元の異なるものどうしであるため、仰られますようなイメージに繋がろうかと思われます。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ いいんですかね。

 (7) 最初のところですが:
 ★ ・・・わかりやすく、解説していただきまして、どうもありがとうございました。この文章をお読みの方々にも役立つかと存じます。
 ☆ いえいえ イメージが湧かないと捉えどころがなくて 進めないのですから 苦肉の策です。類推だけです。90°から180°への移行が 自乗のかたちになるのかなと。

 ありがとうございました。さらにもう少し開いています。

お礼日時:2011/06/02 00:49
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この回答へのお礼

 年金等の設計は それほどむつかしくないと勝手に思うのですけれど 入り組んでいるのでしょうか。

お礼日時:2011/06/01 05:49
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ●年金情報
 ●通貨バスケット制

 ☆ しょうじき いま勉強したくない気持ちです。

お礼日時:2011/06/01 05:47

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

ヒドッチでございます。

> まちがい:岩井克彦
ただしい:岩井克人

 わざわざ、ご連絡までいただきまして、どうもありがとうございました。

> ☆ 《あやまつなら われあり》の命題が現実性をうしなうかに思われます。《だまされたなら(あざむかれたなら) われあり》というふうに想像力をはたらかせることが出来ないかも知れません。

 おそらく、そうなってしまいかと推測されます。極端な話ではございますが、例えば、オレオレ詐欺みたいなものに簡単に騙されてしまうものかと。

> 《わたし》の文体としての動態は その境地として一であり その一の限りなき自乗であり したがって一の連乗積なる一であると。
 ★ つまりここでは、ひとの行動原理、さらには社会哲学を扱った問題と勝手ながら解釈させていただきました。
 ☆ ありがとうございます。寸分たがわず おっしゃるとおりです。

 こちらこそ、ご質問者様の意向に沿うことができ、光栄に存じます。

> どうして 虚数部が 実数部と同じ平面に表わされ得るのか。これです。
 まったく純粋に数論としてです。

 実際は、(ガウス等により)平面に現されることにより、視覚化ができるようになったため、“複素数”というものが認められた、というのが近いと思われます。
 それ以前はと申しますと、非常に抵抗があったようでございます。発案者されるガウスですら、用いるのには慎重であったとされています。

 イメージ的には、以下のようになろうかと考えられます。

 例えば、"a"に(-1)を掛けると(-a)となります。つまり、乗ずることにより、数直線上(X軸上)の0より右にある数値"a"を、 数直線上(X軸上)の0より左の(-a)に移動させることになると言う訳でございます。
 さらに申しますと、マイナス(-1)を掛けることは、 数直線上(X軸上) の0を中心として180°回転させることを意味します。
 一方、180°は、2回続けて90°回転させるのと同じことになろうかと考えられます。つまり、これらの回転作業を考慮に入れ、最初に図視化したのがガウスという訳でございます。
 そこで、「i」という記号をつけて、i × i=(-1)と定義しますと、「i」を掛けるということは、その真中の90°回すことと同じこととなります。そこで、 数直線上(X軸上)で、90°で交わるもう一つの数直線をY軸としたのだと考えられます。 
 それでは、45°はと申しますと、これも同じa + biで表すことで可能となります。
 さらに申しますと、回転させることを表現するのにガウス平面は利便性に富むということでございます。主に、電磁気学等では、非常に重宝するのだそうです。つまり、これら利便性も手伝いまして、用いられているようでございます。

 ご参考になれば、幸いでございます。
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この回答へのお礼

 ひどっちさん ご回答をありがとうございます。こんばんは。

 ★ ひとの行動原理、さらには社会哲学を扱った問題
 ☆ あるいは交通論ないしコミュニケーション論としましては むしろ単純なかたちで あてはまるようだと確認しえていると思います。

 そこで イメージによる虚数の把握についてです。
 非常に分かりやすい解説をいただきました。
 ★ 180°は、2回続けて90°回転させるのと同じことになろうかと考えられます。
 ☆ このとき仮りに90°回転させることを i で表わし 180°の回転は 90°の自乗だと捉えると――つまり i の自乗として i^2 = -1 として捉えるかたちにすると――さらに分かりやすいです。
 ですが 残念ながらまだなおしっくりと来ないのは 次の点です。次のご説明の中にわたしにとっては ///// と記しましたように断絶として映る箇所です。
 ★ ~~~~
  ・・・
 そこで、「i」という記号をつけて、i × i=(-1)と定義しますと、「i」を掛けるということは、その真中の90°回すことと同じこととなります。//////// そこで、 数直線上( X 軸上)で、90°で交わるもう一つの数直線を Y 軸としたのだと考えられます。
 ~~~~~~ 
 ☆ 上に触れられていた《90°の回転》は 謂わば X 軸上の一点から想像のつばさを広げたかのように上空を飛んでいるというイメージなのです わたしには。なぜなら マイナスの半分は 理解しがたいからです。マイナス一 つまり -1 = i^2 として初めて 空の上から X 軸の上に着地するのだとやはりイメージされます。
 繰り返しますと 虚数 i だけのぶんでは・つまりその90°のぶんについては 謂わば空を翔けている状態だと思われるのです。それなのに   
 ★ //////// そこで、 数直線上( X 軸上)で、90°で交わるもう一つの数直線を Y 軸としたのだと考えられます。
 ☆ というふうに X 軸と同じ平面の上にこの直交する Y 軸を持って来たのかが分かりづらいです。
 言いかえると 初めのイメージに従うならば この Y 軸は X 軸とそれを含む平面に対して上の方に離れて行き ふわふわと飛びながら 架空の Y 軸と言えば Y 軸を  X 軸のある平面に降ろしているというかたちになります。でもその Y 軸は まぼろしです。人の想像裡においてしかない。

 ただし お聞きすれば その同じ平面上に Y 軸を置いても計算上などの面において差し支えがないということなのですね?
 ★ それでは、45°はと申しますと、これも同じa + biで表すことで可能となります。
 さらに申しますと、回転させることを表現するのにガウス平面は利便性に富むということでございます。主に、電磁気学等では、非常に重宝するのだそうです。つまり、これら利便性も手伝いまして、用いられているようでございます。
 ☆ でしたら 仮りに同一平面上でイメージするということで 不都合がないから 使っているということになるのかも分かりません。

 というふうにわたしが考えるには ここまでです。


 もう少し開いていましょうか。

お礼日時:2011/05/31 22:30

2025年の基軸通貨は「元、ドル、ユーロ」 世銀報告書 2011.5.17 22:26



http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110517/fnc … 



何で?

わけわからんし

22省・4直轄市・5自治区・2特別行政区、あわせて33行政区画 

ひとつひとつがトテツモナクデカイ

膨れに、膨れ上がりすぎて、ある意味破裂寸前。

中で紛争勃発した日には、たちまち、金融凍結、金融取引停止状態に陥る。

中国国籍を有した外国で暮らす外国人登録者はたちまち無国籍扱い<これどうする?

世界中に散らばっている、中国国籍を有する外国人の数かなりの人数ちゃうか?

いつまでたっても人民元が上がらん背景の一つにこういう危なっかしい面があるからちゃうの?

ほな、中国国籍を有した外国で暮らす外国人登録者はどないするかっていえば

万が一に備えて、元を基軸通貨であるドルに替て持つんやろな。

なんやようわからんわ

円を見限る人の気がしれん


基軸通貨と円の国際化
http://itl.irkb.jp/ipe/InternationalizationOfYen …
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この回答へのお礼

 カレシか誰かとの話から出た話題かなぁ。りとるきすねえさん ご回答をありがとうございます。

 わたくしも きちんとまなびつづけて来ていませんので 大きなことは言えませんが たとえば一人当たりの所得が いま中国は日本の十分の一。もしこれが 日本と同じようにまで成長したら いまの日本がさらに十個世界に増えることになる。それも ひとつの国の中に。そりゃあ すごいよ。

 しかも
 ★ 世界中に散らばっている、中国国籍を有する外国人の数かなりの人数ちゃうか?
 ☆ でも国境を超える・あるいは自由な行き来とする手立てはあるのとちがいますか?


 基軸通貨は 形式的な側面もあるのぢゃないかな。アメリカが経済的にイギリスを追い抜いたあとも 第二次大戦後までポンドが基軸通貨だったとか。
 実質的に国際場裡で通用する通貨は それ相応に力関係で定まっていくのですかね。
 でも 国ごとの所得の水準がつり合いの取れる程度に成ってきたら そのときには 国ごとの通貨でなくても 統一することもできると思うし。
 さらに でも 
 ★ 万が一に備えて、元を基軸通貨であるドルに替て持つんやろな。
 ☆ というような《万が一》主義者もいることだし どうなりますやら。やらやら。

お礼日時:2011/05/31 07:33

 こんばんは、ヒドッチでございます。



> ところが 現実は 複素数である。かも知れない。

 「現実は、一でありつつ また多少そこから脱線しても元の一に戻り」といった“振り子運動”ではなく、「現実は 複素数である。」といった“矛盾を孕んだもの”、との分析には、なるほど、と思われるところがございました。
 人は誰しもかような矛盾、たとえば、ある種のダブルスタンダード、さらには時により変化しがちな移ろいやすい感情(時として負の感情)を持っているものかと推察されます。と申しますのも、もし「将来、絶対、君は犯罪を犯さない確証はあるか?」と問われますと、「残念ながら、そんな確証などない」、と答ざるを得ないからでございます。
 つまりここでは、ひとの行動原理、さらには社会哲学を扱った問題と勝手ながら解釈させていただきました。

 そこで、虚数を視覚化すべく、勝手ながらガウス平面にて説明させていただきます。

ガウス平面
http://w3e.kanazawa-it.ac.jp/math/category/fukus …
(なお、X軸のことを実軸 (real axis)、 Y軸のことを虚軸 (imaginary axis)とも呼ばれています)

 もし、ここで虚数の部分が完全に消え去り、X軸(実軸)のみとなりますと、おそらく、だまされっぱなしの生き方になろうとも予想されます。
 一方、実数部分が消失し、Y軸(虚軸)のみとなりますと、幻影、もしくは虚偽のみとなりますため、当然のことながら、社会における交通(まじわり)が成らない・成し得ない、と考えられます。
 
 なお、余談ではございますが、「お好きなように、サイトを楽しんでください」に類する「ここは多様な意見・解釈を楽しむ場所、と思って、ご質問されてみては」と、ご質問(OKWave様のサイトを利用する際のマナーについて http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6757119.html )にて、実際愚生は述べさせていただきました。ただ、これはご質問者様の「私の個人的な『杞憂』に過ぎないのでしょうか?」に対する、返答内容でございます。従いまして、「逃げ口実」の意味する言葉ではないことをご理解賜りたく存じます。誤解されることはないかと思われますが、念のため、確認事項として挙げさせていただきました。

 最後まで。お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

この回答への補足

 【Q:自己主張をなじる日本人。その癖はどこから来たのか?】
 No.15補足欄で 書き間違いがありましたので おわびして正します。

 まちがい:岩井克彦
 ただしい:岩井克人

補足日時:2011/05/30 22:44
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この回答へのお礼

 ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 余談のほうからですが:
 ● 「お好きなように、サイトを楽しんでください」
 ★ 「ここは多様な意見・解釈を楽しむ場所、と思って、ご質問されてみては」
 ☆ 後者は そう言う自身も同じように参加するのだし 参加しているという含みがあるということでしょうね。
 前者は 必ずしも意味が定まらないようにも確かに思われます。むろん外延もしくは含みとしてですが。ということは 門戸をまだなお開けておくほうが 理にかなった振る舞いになりましょうか。いちおうそうします。

 ★ 「現実は、一でありつつ また多少そこから脱線しても元の一に戻り」といった“振り子運動”ではなく、「現実は 複素数である。」といった“矛盾を孕んだもの”、との分析には、なるほど、と思われるところがございました。
 ☆ ここらへんを突かれると困るなと 途中で気づきました。人間の存在のあり方が複素数だと言っていながら 《わたし》は数として一だとも言っているからです。
 これは 一応考えてみました。

 ひとつには あまり適用したくない考えですが 複素数の中から虚数部をゼロとした場合に 《わたし》が一になるという見方です。
 おそらくこれでは うすっぺらい見方にしかならないでしょう。そのあとにご指摘があります。
 ★ もし、ここで虚数の部分が完全に消え去り、X 軸(実軸)のみとなりますと、おそらく、だまされっぱなしの生き方になろうとも予想されます。
 ☆ 《あやまつなら われあり》の命題が現実性をうしなうかに思われます。《だまされたなら(あざむかれたなら) われあり》というふうに想像力をはたらかせることが出来ないかも知れません。

 そこで苦肉の策ですが 複素数にたとえられる人間存在の境地を――もしくは人格を――その全体として 数として一だと捉える場合です。複素数の全体が 境地としての一 ――したがって世界ないし宇宙ともあたかも対応しうるかに思われるところの《全体》を意味する一 ――という場合です。
 《わたし》の文体としての動態は その境地として一であり その一の限りなき自乗であり したがって一の連乗積なる一であると。
 ★ つまりここでは、ひとの行動原理、さらには社会哲学を扱った問題と勝手ながら解釈させていただきました。
 ☆ ありがとうございます。寸分たがわず おっしゃるとおりです。

 なおその上で 数論の方面でもご教示いただいています。
 ★ ガウス平面・・・(なお、X 軸のことを実軸 (real axis)、 Y 軸のことを虚軸 (imaginary axis)とも呼ばれています)
 ☆ まづここで 上に引用しています《★ もし、ここで虚数の部分が完全に消え去り・・・》のご指摘には 上に触れましたとおり 再考しておかねばならない主題が隠れていたと思いますし その指摘を得てありがたかったところです。次の分析内容は すでにやり取りの過程で得られていたとは思われますが 再度また何度でも確認しておくことのできる現実分析(現実の検証)であると思っております。 
 ★ 一方、実数部分が消失し、Y 軸(虚軸)のみとなりますと、幻影、もしくは虚偽のみとなりますため、当然のことながら、社会における交通(まじわり)が成らない・成し得ない、と考えられます。

 ここでもし何か分からない点があるとしますと――という意味は すでに事実認識としても仮説の検証が出来たと考えるのですが それとは別に どうも理解がすすまない点なのですが―― それは どうして 虚数部が 実数部と同じ平面に表わされ得るのか。これです。
 まったく純粋に数論としてです。
 (いまは 複素数は a + ib というふうに b よりも先に i を書くのですね。昔は bi だったと思います)。

 つまり 虚数を イメージでどういうふうにとらえたらよいか。こういう問いにもなっています。
 そのイメージについて No.28補足欄に推測で書きましたが その点にかかわっていると思います。
 つまりこのイメージに従うならば 実軸の X 軸上の正の一点(1とします)から あたかも想像力の雲に乗ってふわふわと 原点0の上空に来る。そこから原点0に垂線を仮りに引くと その垂線は  X 軸の直線とはその原点0で直角に交差するかの状態にある。これが 虚数 i なのだと。
 しかもこの虚数 i の状態をさらに想像力の雲に乗せて 先ほどの X 軸の一点(1)とは反対側に・つまり負の側に -1の点に着陸させるならば それが -1としての i^2 なのだと。

 ということは 実数の X 軸と同じ平面において 虚数の Y 軸が位置づけられるという点が 何とも分かりづらいとなります。なぜ同じ平面に並べられるのかです。
 ですから θ などという角度が どうして作られると言えるのか。
 すべては 想像裡においてそのように作業をするという想定なのでしょうか?

 
 現実の検証につきましては ほぼかなえられていると考えます。事実との対応ができると 生活感覚だけによってとしても 言えると考えます。
 それとは別個に 虚数が数として どういうイメージで捉えられているのか。これが気になっています。どうでしょう?




 

お礼日時:2011/05/30 22:34

こんばんは、bragelonneさん。



● あなたは ドラえもんのことを知ってますか。


何て???

|(><)| わっちゃ-☆

″″″<(◎◎;)>〝〝〝 あーぁ、わからん (((((クシャクシャクシャ)))))

………φ(.. ) ちんぷんかんぷん ………φ(.. ) ちんぷんかんぷん

数え方からして、意味不明 

I don’t know. ┐(´ー`)┌ ダメだ、こりゃ

目からうろこ!数え方のナゾ【第18回数え方で分かるロボットの身近さ】
http://www.japanknowledge.com/contents/material/ …

ドラえもん何某かは、人なのかものなのか、はたまたそれ以外の何かなのか?
″″″<(◎◎;)>〝〝〝 あーぁ、わからん (((((クシャクシャクシャ)))))

どう ゆの ___???

● ノビタ・ジャイアン・スネオ・ほかにもいましたっけ どういう関係なのでしょう。


何て???

|(><)| わっちゃ-☆

ノビタ・ジャイアン・スネオ…etc …の関係って何よ!?

ってか、数え方″″″<(◎◎;)>〝〝〝 あーぁ、わからん (((((クシャクシャクシャ)))))

痒くなってくる カリカリカリ ………φ(.. ) ちんぷんかんぷん

●何か特別な意味がありましょうか。

はい、瀕死です。く、くっ、くっ…苦しいまぎれに出します。

英語/文法/品詞
http://ja.wikibooks.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%AA%9E/ …

英語の特徴いろいろ
http://www.rist.or.jp/rist/rnews/35/26-32.pdf

14 複素積分:留数定理  II.留数定理:極
http://www.sp.u-tokai.ac.jp/~yasue/ffn/butusu3-1 …
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 知らなかったら それでいいのに。

 こんばんは りとるきすねえさん。

 お茶をどうぞ。


 ★ ~~~~~~
  ●何か特別な意味がありましょうか。
 ↑
 はい、瀕死です。
 ~~~~~~~~
 ☆ この部分は おおげさ ちがいますか。

お礼日時:2011/05/30 21:40
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