アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

進化の過程で『苦しまずに死ねるような』機能を生物が持つに至った理由は何ですか?

単純に疑問に思いました。ビートたけし著の『たけしの死ぬための生き方』で『食われている生物は最初は苦しそうだが最後には気持ち良さそうな表情になっている』と書かれていました。また、鮭などの魚は卵を産んで受精させた後には幸福ホルモンが出て死んでしまうそうです。人間でも非常に高い所から落下すると地面に激突する前に意識を失う人も多いそうです。

なぜ進化の過程でこれらの機能を持つようにいたったのでしょうか。また、これらの機能は生きていく上で、子孫を残す上では維持すべき程に大事なのでしょうか。また、子孫を残す上で必要なら、どの様に必要なのでしょうか。

変な質問ですがよろしくお願いします。

A 回答 (54件中1~10件)

死が苦痛である、というのがそもそも前提として間違っていませんか?


「生きている」という状態の方が物質全体から見れば異常な状態であるわけで、お勤めを終えてシャバに戻るんだ、と思えば安らかになるのが当然な気もしますが。
だからといって脱獄をお勧めしているわけではありません。念のため。
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この回答へのお礼

仰るとおりかもしれません。仏陀が生を『苦』と表現したように、生物は生きているほうが苦しそうです。
と、すると苦しい死から解放されるのに更に幸福ホルモンが出る必要も感じられませんが……。
このあたりは難しいですね。
ちなみに私はシャバよりもお勤めの方が好きです。討ち死には免れますから。
前提の間違いを教えてくださって誠に有難うございました。

お礼日時:2011/06/05 14:41

推測ですが、それは楽に死ぬための機能ではないのではないですかね。



苦痛とは苦しむためにあるのではなく、肉体の損傷や精神的(神経的)なストレスを自覚させることでそれを避けるためにありますが、それが過剰にあると逆にそのストレスでダメージを受けます。
また、生きていくためにはあえて苦痛を選択する必要がある場面もあるわけで、状況に応じて苦痛を緩和する機能もまた必要かと思います。

死の瞬間は相当な苦痛が発生するでしょうが、そういう状況において、そういう極端な苦痛を和らげる機能が発動するのはごく自然かと思います。

つまり、楽に死ぬためではなく、ストレスによるダメージを緩和するための機構が死の瞬間のストレスに対して機械的に発揮されているだけかと。それにもしかしたら、苦しみを和らげることで冷静さを取り戻し、なんとか起死回生の一手を打つこともできるかもしれません。状況にもよると思いますが。

実際のたうちまわりながら苦しんで鬼のような形相で死ぬ人や動物だっていますし。そういう人はそういう機能が上手く働かなかったのでしょうね。
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この回答へのお礼

推測ですが、それは楽に死ぬための機能ではないのではないですかね。

苦痛とは苦しむためにあるのではなく、肉体の損傷や精神的(神経的)なストレスを自覚させることでそれを避けるためにありますが、それが過剰にあると逆にそのストレスでダメージを受けます。
<推測ですが、それは楽に死ぬための機能ではないのではないですかね。
確かに死ぬための機能ではない、と仮定すると正しそうです。

<苦痛とは苦しむためにあるのではなく、
<肉体の損傷や精神的(神経的)なストレスを自覚させることでそれを避けるためにありますが、
<それが過剰にあると逆にそのストレスでダメージを受けます。
成る程。

<また、生きていくためにはあえて苦痛を選択する必要がある場面もあるわけで、
<状況に応じて苦痛を緩和する機能もまた必要かと思います。
確かに苦痛を緩和して心身への損害を減らす機能は必要ですね。

<死の瞬間は相当な苦痛が発生するでしょうが、そういう状況において、
<そういう極端な苦痛を和らげる機能が発動するのはごく自然かと思います。
仰るとおりです。その様に教えてもらって初めて気付けました。

<つまり、楽に死ぬためではなく、
<ストレスによるダメージを緩和するための機構が
<死の瞬間のストレスに対して機械的に発揮されているだけかと。
成る程。死ぬ為の機能ではなくて、苦痛を和らげる機能が死ぬ時に機械的に働いているだけと。

<それにもしかしたら、苦しみを和らげることで冷静さを取り戻し、
<なんとか起死回生の一手を打つこともできるかもしれません。状況にもよると思いますが。
これも説得力があります。

<実際のたうちまわりながら苦しんで鬼のような形相で死ぬ人や動物だっていますし。
<そういう人はそういう機能が上手く働かなかったのでしょうね。
仰るとおりです。

とても勉強になりました。丁寧に有難うございました。

お礼日時:2011/06/06 06:49

正解はないのかもしれませんが、学会で主流の仮説では、


最後のチャンスにかけるためとなっています。
ライオンに首を噛まれたシマウマが痛がっているだけでは、逃げられないですよね?
ですのでそういう危機的な状況が起こった際は、痛みを緩和し、最後の延命の機会を
狙う、、という延命のための機構です。

「機序が危機がおきたとき」にというものですので、自殺や産卵でも起きてしまいますが
本来的にはそれを狙った機能ではない、、というのが今の通説です。

ただ、神様にでも聞いてみないと実のところはわからないですけどね。
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この回答へのお礼

最後のチャンス、逆転を狙う、ということですね。これは仰るとおりです。痛がるだけでなく、危機の際にも冷静になれるように、と。死ぬ時に出る幸福ホルモンはそれを狙って進化しているわけではない、という考え方が通説というのも興味深いです。有難うございました。

お礼日時:2011/06/06 06:51

彼の本は読んでいませんが、サケの産卵・死についてコメントした場面をテレビを見ました。

分かりませんが、本より先のような気がします。
「幸福ホルモンが出て死ぬ」という内容のVTR後、何を言うかと、視聴者はコメントに注目する、まさに大衆に餌付けの瞬間ですが、(不正確ですが)「死ぬくらい、ものすごいく気持ちいいんだろね」
あああ、でした。この影響を受ける人がたくさんでてくるとも思いました。それからだいぶ経って、このご質問です。それこそ鮭が昔の川に戻るように。
本も出ていたのですね。

No.2さんの回答は、ご自身で考えた結論でしょう。参考になったを押しました。今回に限らず、機械論に徹するのが近代科学の大原則です。機械論の道をふみはずさないことの大切さの再確認でしたね。科学に文学は要りません。自分の利益を第一に考えるような原則の人は、まったく科学者に向きません。機械論ですから。
たけしは大学は機械系じゃなかったかな。今はどっかの名誉教授ですかね。さみしい出世です。

ご質問は、単純に疑問に思って、とのこと、科学知識の要求でもあるのでしょうが、b-w-stepさんお得意の根本批判が必須でしょう。

「苦しまずに死ねる機能」については、回答2のとおりだと思います。科学的文学の中から「死ねる」を分離。抱き合わせをしないこと、あれば分解するのが、近代科学です。三島のような近代文学は抱き合わせする方です。生粋の科学者は、遺伝子というせっかく単純にできている物質に、わざわざ高等な精神を抱き合せるような科学的純文学を、嫌います。科学的に素直じゃないからです。性格が遺伝子的に遺伝するという文学は、水と油どころか、物と文を一体にしてしまうセンスの無さです。科学にも宗教にも劣る、科学宗教です。この科学宗教が知識と肩が書きばかりを誇る現代人の新しい宗教になっていると思いますね。本人無自覚の信者がたくさんいます。私は宗教を信じないという変な信者です。矛盾していますね。非宗教を強調する立場で「科学」を語りながら実は宗教よりも現実離れしている。煮ても焼いても食えない矛盾の塊です。今回の幸福ホルモンもそうです。鮭に幸福は要りません。

あらゆる精神活動において、特に専門家には、素直な矛盾を感じる心が、専門知識の使用よりも大切です。質問者は矛盾を感じて質問をします。それに対して分かっていないな、矛盾していないぞと回答するのは、筋が通っていても、鼻から間違いの、単なる科学的コジツケであることが非常に多いです。真実、矛盾に感じた科学はそのままではやはり矛盾はしているのです。No.2さんがされたように、意図的科学宗教の作為的部分を切って捨てれば、正統な自然科学になります。矛盾は文脈の中にあったということです。この矛盾もまた動物生物学者由来の文脈ですね。科学論理と死生観をコラボさせるのは創作活動です。しかも悪趣味ですよ。そんな面白さの必要性すらなのに。

今回は何よりもまず、雌雄の鮭で、その幸福ホルモンなる物質が、どのくらい出ているのかを、ちゃんと調べたのか、です。相当出るだろうなんて推測からの結論ならば、それを元に議論を始めても、現実の研究になりません。幸福ホルモンがテーマの創作活動です。

死因ですが、幸福ホルモンによる安楽死ではなく、感染症・臓器不全などによる「病死」です。果して、産卵後、実際、どれくらいたって死んでいるかです。すぐ死ぬと決めて込んではいけません。死に様も、現実の枠内で評価しないと、進化"論"同様、創作科学の脚本になります。すぐ死ぬ個体はタイミングに関しては、もっとも合理的に繁殖したという評価は成り立ちますが、それが全てではありませんね。


人間以外の動物の中にまで、幸福なる概念を期待する無節操は、もはや自然科学ではなく、わくわく動物宗教です。宗教が看板から宗教なら正当です。科学宗教が、違うのです。その信者が科学者の真似事を本職にするのは悪行です。

「ちょおー気持ちよかったー」鮭が幸福を感じることないですよ。鮭に情がありますか。情は常に観測者の中です。あどけなさなんて心理の成立もそれで十分です。

進化論というおとぎ話の中で、物語の辻褄を合せるのは、本質的に簡単です。ただ、創造力の足りない受け売り科学者たちは、この程度の筋書きにも、甘美な感動を覚えるのですね。それで、一般的な宗教であってはいけない学問としての科学を、無自覚のうちに、信仰の対象にしているのです。科学批判を許さないのでは、宗教以下の失態です。宗教ではないと思っているのだから、タチが悪いです。

今回の「安楽死」の絶対条件は、繁殖後であることです。その線引きを細くして、もう一度、考えてみて下さい。進化"論"上、どう価値を見出せるのか。もちろん描く絵は、その線なんか無視して塗り広げてもいいのです。質問にある「単純に思った疑問」は、単純にその線を道路の停止線とした場合ですよね。b-w-stepさんの言葉を借りれば、悪魔の引いた線に、野生が支配されたのです。現実には線すらないのに。
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この回答へのお礼

<機械論に徹するのが近代科学の大原則です。
有難うございます。勉強になりました。ただし機械論が優れているかどうかの厳密な勘案は必要かと。

<たけしは大学は機械系じゃなかったかな。今はどっかの名誉教授ですかね。さみしい出世です。
中央大学工学部だそうです。ただし中退したそうです。最近、特別扱いとして中央大学から学位が与えられたそうですが。

<ご質問は、単純に疑問に思って、とのこと、科学知識の要求でもあるのでしょうが、
<b-w-stepさんお得意の根本批判が必須でしょう。
仰るとおりです。批判というよりは筋を通して納得したいと考えています。

<この科学宗教が知識と肩が書きばかりを誇る現代人の新しい宗教になっていると思いますね。
<本人無自覚の信者がたくさんいます。
仰るとおりです。素晴らしいくだりです。

<今回の幸福ホルモンもそうです。鮭に幸福は要りません。
そもそもこのあたりの私の認識が間違っていた気がします。実際に幸福ホルモンが出るのかどうか。たけしの言葉に踊らされていないかどうか。そのあたりをしっかりと吟味していませんでした。

<特に専門家には、素直な矛盾を感じる心が、専門知識の使用よりも大切です。
これは知りませんでした。

<質問者は矛盾を感じて質問をします。それに対して分かっていないな、
<矛盾していないぞと回答するのは、筋が通っていても、鼻から間違いの、
<単なる科学的コジツケであることが非常に多いです。
本当に優れた理論なら誰もが納得するはずです。

<科学論理と死生観をコラボさせるのは創作活動です。しかも悪趣味ですよ。
<そんな面白さの必要性すらなのに。
仰るとおりでしょう。ただ、面白いだけが学問ではなく、一見、無意味で無駄なものも役に立つときがくると思います。そういう可能性を捨て去るのは私はしたくないと考えています。

<今回は何よりもまず、雌雄の鮭で、その幸福ホルモンなる物質が、どのくらい出ているのかを、
<ちゃんと調べたのか、です。相当出るだろうなんて推測からの結論ならば、
<それを元に議論を始めても、現実の研究になりません。幸福ホルモンがテーマの創作活動です。
科学的な態度が欠如していました。すみませんでした。

<死因ですが、幸福ホルモンによる安楽死ではなく、感染症・臓器不全などによる「病死」です。
<果して、産卵後、実際、どれくらいたって死んでいるかです。すぐ死ぬと決めて込んではいけません。
そこまで考えたことがありませんでした。もっと調べてみます。

<人間以外の動物の中にまで、幸福なる概念を期待する無節操は、もはや自然科学ではなく、
<わくわく動物宗教です。宗教が看板から宗教なら正当です。科学宗教が、違うのです。
<その信者が科学者の真似事を本職にするのは悪行です。
仰るとおりです。素晴らしい回答です。このあたりは。ただ幸福が他の動物に無いのなら、納得いく説明が誰にでも出来るはずだと考えています。本当に素晴らしい理論なら誰でも納得する。私はその前提に立って学んでいます。たとえば動物に幸福が存在しない。それは自然科学ではない。それでは誰もが納得するとは思えないのです。もし幸福が他の動物に存在しないのならその根拠、理由、背景なども丁寧に説明したいのです。そのあたりを固めたいと思って質問しています。

<「ちょおー気持ちよかったー」鮭が幸福を感じることないですよ。鮭に情がありますか。
<情は常に観測者の中です。あどけなさなんて心理の成立もそれで十分です。
それは……証明できるのでしょうか。厳密に証明できるか。一般論や常識で答えを決めてしまっては地動説は生まれませんでした。一般論や常識で物事を決めるのは良くないと考えます。私は犬や猫や蝶あたりには情が存在すると考えています。犬は飼い主が落ち込むと慰めてくれます。猫も優しい人間に擦り寄ってきます。蝶も人間の体に何回も止まることがあります。私が重病で死にそうな時、なぜか家の前の電線に鳩の群れがとまりました。このあたりを勘案するにやはり動物にも幸福などの感情があると考えてしまいます。また、もし鮭に情が無いとしたら、何故進化後の私たちには情があるのでしょうか。情は進化のどこで手に入れたのでしょうか。

<進化論というおとぎ話の中で、物語の辻褄を合せるのは、本質的に簡単です。
<ただ、創造力の足りない受け売り科学者たちは、この程度の筋書きにも、
<甘美な感動を覚えるのですね。それで、一般的な宗教であってはいけない学問としての科学を、
<無自覚のうちに、信仰の対象にしているのです。科学批判を許さないのでは、宗教以下の失態です。
<宗教ではないと思っているのだから、タチが悪いです。
勉強になりました。有難うございました。ただ、私は進化論が御伽噺という考えはあまり知りません。これから調べてみます。

色々と有難うございました。とても勉強になりました。

お礼日時:2011/06/07 18:48

 まずビートたけしの「食われる直前の動物が最後には気持ちよさそうな顔になっている」というのは、彼の主観なので本当に「死ぬ直前に苦痛が消失あるいは減少している」のかどうかは判りません。


 完全に主観なので、別にその動物は気持ちよさそうな顔すらしていなかったのかもしれませんし、「こと切れた」時の顔(全ての筋肉が弛緩するので"惚けたような幸せそうな顔"に見えなくもない)をそう見たのかもしれません。
 なのでひとまず、この件は「動物が苦しまずに死ねる機能を持っている」証拠としては保留したいです。

 鮭の"幸福ホルモン"についてはよく知りません。まあそもそも「幸福ホルモン」などというベタなネーミングはどうかとは思うますが、脳内麻薬の一種のようなものなんでしょうか?
 ま、もし仮に「快感を感じる神経伝達物質」が分泌されるのが事実だとしても、それは産卵や射精に対する"報酬"じゃないですかね?採食にしても繁殖行動にしても、生命の維持や生殖に必要な行動には、必ずそれなりの「報酬」が付随するものでしょう。
 動物は「子孫を残すために生殖行為をしよう」なんて考えているわけではありません。我々人間ですら、目先の生理的快感のために生殖行為をするのがノーマルな状態ですよね。ヒトだけは生殖行為と妊娠の因果関係を知っているので、「子作りをしよう」と意識して生殖行為をする場合がありすまが、そんなの「ヒトが営んでいる生殖行為」の中ではレアケースと言って良いでしょう。普通は「快楽のため」にしていますよね。
 仮にも中枢神経系を持つ生物であれば、生殖行為の報酬として彼らは彼らなりの「生理的快感」は得ていると考えるのが妥当でしょうね。

 なので、「幸福ホルモン」という如何にも怪しげなネーミングはともかくとして、もし仮に鮭が死の間際に「快楽」を感じているとしても、それは「死を迎えるため」ではなく「生殖行為の報酬」ではないのか?という疑いは現時点では否定できません。
 なのでこれも保留。

 飛び降りた際に着地前に意識を失っていることが多いという点については、これは単に「処理不可能かつ過大な恐怖や苦痛を入力されたことに対する中枢神経系のハングアップ」なのでは?という可能性があるのでは。
 コンピューターが過大な処理をする際にはしばしばハングアップする、あれと同様の現象です。脳だって「回路」ですから、解決方法が見つからない、過大な恐怖や苦痛を与えられた場合は、全停止してしまうのが「進化の過程で獲得した機能」というよりはむしろ「そうなるのが当然だろう」という気がします。

 まあそれは私の想像なのでさておいて。

 「楽に死ぬための機能」というのが仮に存在するとして(それを適当に「快楽死遺伝子」とネーミングしてみた)、それが「進化の過程で集団内に広がっていくか」ということを理屈で考えてみましょうか。

 その動物が「繁殖前」であったならば、「快楽死遺伝子」(このネーミングのセンスもあれですが)を持つ個体が「繁殖的に有利になるか?」と考えると、快楽死遺伝子を持とうが持つまいが、その個体が残す子孫の数はゼロです。つまりこの遺伝子は次世代に伝わることがありません。

 次にそれらの個体が「繁殖後」であったと仮定します。数字はどうでも良いですけど、とりあえず4頭の子供を作ったとしましょう。
 死ぬ間際に快楽死遺伝子を持つ個体は楽に死ねますが、持たない個体は苦しんで死ぬでしょう。
 でも、それぞれの個体が残した子孫数は同じです。共に4頭ですから。

 つまり、この「快楽死遺伝子」は、繁殖的な有利さには関係ない、ということになります。
 繁殖的な有利さに無関係なら、この遺伝子は突然変異によって集団内に出現したとしても、集団内に固定されることはないでしょう。つまりその集団の大半の個体がその遺伝子を持つような状態には、どれだけ世代数を経てもならない、ということです。

 というわけで、「快楽死遺伝子」は進化の過程で獲得した、という推測はどうやら誤りらしい、という結論が妥当なように思えます。つまりそもそも「快楽死遺伝子」なるものは存在しない、と言っても良いですね。

 ま、もし仮に確かに「快楽死遺伝子」が存在するとすれば、例えばそれがほ乳類全般にあるとすれば、あるいは脊椎動物全般にあるとすれば、それぞれの共通祖先(ほ乳類の共通祖先か、あるいはもっと時代を遡って脊椎動物の共通祖先)の個体数がまだ少数だった時期に、偶然突然変異で生じた「快楽死遺伝子」が遺伝的浮動(つまり偶然)によって集団内に定着したので、それから進化した全ての脊椎動物あるいはほ乳類が(陸生脊椎動物とか爬虫類とか、まあ区切りはどこでも良いですが)快楽死遺伝子を持っている、というシナリオでしようか。
 でも、これはあり得ないとはいいませんが、いささか「ご都合主義」のような感じもしますよね。

 ですからまあ、現時点では「快楽死遺伝子など存在しない」という結論を選択した方が妥当である気がします。

 死を前提にしない、「オーバーワークによるハングアップ」が進化的にどうかといえば、「激しい苦痛や恐怖を感じた際はハングアップ(意識を失う)した方が生存的に有利」というのは、どうなのかなぁ・・・?と思います。意識を失うことで助かる場合もありそうに思えますが、意識を保っていた方が助かる場合も同様にあると思うのですが?

 逆に考えることもできそうですよ。

 つまり、遙か昔は「ハングアップする閾値」はもっと低かった。もっと軽い苦痛や恐怖でハングアップしていたのが、閾値を高めた方が生存的に有利であるため、徐々に閾値を高くなるように進化が進み、ついに「これ以上の苦痛は高い確率で死が待っているだけなので、これ以上閾値を高めても進化的に有利でも不利でもなくなってしまった」域まで、閾値が高くなったのが現生の人類やある種のほ乳類である、という「仮説」です。それは見方によっては「快楽死遺伝子」のように見えてしまうわけです。

 今思いついたのですが、なんとなく見込みがありそうな気がします。

 まあ、確認するのは極めて難しそうですけどね。とりあえず現生のいろいろな動物(それこそ魚類からほ乳類に至るまで)の「ハングアップする苦痛の閾値」を測定する実験が必要になりそうですが、「苦痛の量」を定量化するのは絶望的なほど難しそうな気がします。ほ乳類だけならなんとかなるかもしれませんが、爬虫類や魚類になるとほぼ絶望的な気が。
 それにそもそも、そんな動物実験は倫理的にできそうにありませんし、したくもありませんし。
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この回答へのお礼

<「動物が苦しまずに死ねる機能を持っている」証拠としては保留したいです。
ビートたけしの前提自体が間違っている可能性は非常に高そうです。

<もし仮に鮭が死の間際に「快楽」を感じているとしても、それは「死を迎えるため」ではなく
<「生殖行為の報酬」ではないのか?という疑いは現時点では否定できません。
<なのでこれも保留。
成る程。

<飛び降りた際に着地前に意識を失っていることが多いという点については、
<これは単に「処理不可能かつ過大な恐怖や苦痛を入力されたことに対する中枢神経系のハングアップ」<なのでは?という可能性があるのでは。
仰るとおりです。鋭いです。

<つまり、この「快楽死遺伝子」は、繁殖的な有利さには関係ない、ということになります。
仰るとおりです。

<「快楽死遺伝子」は進化の過程で獲得した、という推測はどうやら誤りらしい
仰るとおりです。

<現時点では「快楽死遺伝子など存在しない」という結論を選択した方が妥当である気がします。
仰るとおりです。

<死を前提にしない、「オーバーワークによるハングアップ」が進化的にどうかといえば、「激しい苦痛<や恐怖を感じた際はハングアップ(意識を失う)した方が生存的に有利」というのは、どうなのかな
<ぁ・・・?と思います。意識を失うことで助かる場合もありそうに思えますが、意識を保っていた方が<助かる場合も同様にあると思うのですが?
生存に有利だからハングアップが生まれたのではないでしょう。

また、ウサギあたりはクマに襲われるとハングアップするという話も聞いたことがあります。ただ、ハングアップの閾値が低いならば、簡単に死んでしまって子孫は残らないでしょう。そう考えるならば、ハングアップの閾値は生物では相当高いはずです。

仰るとおり、苦しまずに死ねる機能を持っているという前提自体が間違いでしょう。色々と教えてくださって有難うございました。

お礼日時:2011/06/07 18:56

>「ビートたけしの前提自体が間違っている可能性は非常に高そうです。


彼も、もみくちゃですね(笑)

それとは別に、
いろいろとあるのですが、

動物学の専門家である先生の意見は、

No.4で挙げてある、たけしの発言、

「死ぬくらい、ものすごいく気持ちいいんだろね」が、

正解ということですか(笑)


質問者さんは馬鹿に、快楽遺伝子の否定に、おっしゃるとおりを連発されていますが、

考えずに同意しているのなら、訂正して、分かりませんの方が、サイト的にも、人間的にも正しいですよ。専門知識は要らないでしょう。論理の問題ですよ。辻褄とか、それだけでそう言えるのかとか。そこまでは含まれないとか。


><「快楽死遺伝子」は進化の過程で獲得した、という推測はどうやら誤りらしい
仰るとおりです。

><現時点では「快楽死遺伝子など存在しない」という結論を選択した方が妥当である気がします。
仰るとおりです。……[1]

[1]仰るとおりとおっしゃられていますが、説明できますか?どういうことですか?私はまったく納得できませんが、仰るとおりという人の方は、説明ができるでしょう。

「存在しない」というその論理に誤りが、たくさんあるのですが、
私の回答には納得されにくいようなので(笑)、思案の末、いいと思ってした説明に、簡単な返しで処理済みにされても、かないませんから。説明は丁寧な方と思いますよ。どれだけ解決したい疑問か、という切実さもありますね。

言葉として分かりやすい命題を一つ。

「繁殖の有利さに関係しない遺伝子」は残らないのですか。また賢くさせたかな(笑)

これ、進化論で「一番」大事なところと言ってもいいです。それを無視して、仰るとおりなんでしょ。邪魔な私がいなければそれまでですよね。
邪魔は悪魔よりはいいと思いませんか(笑)
宗教の教義内の非現実的な嘘は、決して悪くはないのですが、宗教好きそうな質問者さんは、嘘でまとまるのがお好きですか?

閑話休題ですけども、

ハングアップ、ハングアップ、と何だか分からないカタカナを連呼していますが、そんな話をアップしないで欲しいですね。

もともと、そういう話じゃないですよ。質問者さん、頼みますよ。質問者さんからして、質問をすり替えてしまっていませんか。

意識を失う話に質問を変更するならば、既出の回答者さん方に失礼ですよ。私もそのつもりで回答したのですが、いつのまにやら。


結局、
意識を失わないようにする仕組みを説明してくれた、他の回答者も同意見ですが、
No.2さんの回答はどうなるのですか。そのお礼の時点ではNo.3までの回答だけだったのですがね。既出回答は参考になると思うのですが、読んで、本当に、考えましたか。おっしゃるとおり[1]なら、No.2その他が違うという事になると思いますが。そういう理解で宜しいですか。

酔わされやすい性格なのですかね。しっかりして下さい。

余談ですが、たけしは明治で、東京芸大の大学院教授だそうですよ。質問者さんは理系なのですかね。なんか、回答の仕方も考えないといけない気がします。

理系じゃないから間違えても仕方ないという間違いじゃないですよ。学歴の話ではなく、本題の論理について。
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この回答へのお礼

<動物学の専門家である先生の意見は、
動物学の専門家とは私のことですか? 私が専門家を名乗るのはおこがましいでしょう。あなたの方が私よりも上回っているはずです。

<質問者さんは馬鹿に、快楽遺伝子の否定に、おっしゃるとおりを連発されていますが、
<考えずに同意しているのなら、訂正して、分かりませんの方が、サイト的にも、
<人間的にも正しいですよ。専門知識は要らないでしょう。論理の問題ですよ。
<辻褄とか、それだけでそう言えるのかとか。そこまでは含まれないとか。
仰るとおりというのをしっかりと考えないで連発していたのは私の間違いでした。私の間違いを指摘してくださって有難うございました。分かりませんと書くとあなた方にとって負担になるかと思って遠慮していたのです。

<仰るとおりとおっしゃられていますが、説明できますか?どういうことですか?
<私はまったく納得できませんが、仰るとおりという人の方は、説明ができるでしょう。
『仰るとおり』という文句は仕組みを説明できる状態で使うものであるというのは考えたことがありませんでした。わざわざ理由まであげて間違っていることを説明してくださって有難うございます。

<私の回答には納得されにくいようなので(笑)
このあたりは私も手落ちがあったはずです。そういう不平等な態度は改めないといけませんね。

<思案の末、いいと思ってした説明に、簡単な返しで処理済みにされても、かないませんから。
<説明は丁寧な方と思いますよ。どれだけ解決したい疑問か、という切実さもありますね。
思案してもらったのに簡単な返しをすること。それが良くないことでもあると教えてくださって有難うございます。

言葉として分かりやすい命題を一つ。

<「繁殖の有利さに関係しない遺伝子」は残らないのですか。また賢くさせたかな(笑)
これは分かりません。また調べてみます。

<これ、進化論で「一番」大事なところと言ってもいいです。それを無視して、仰るとおりなんでしょ。<邪魔な私がいなければそれまでですよね。
邪魔ではありません。むしろ私に対して貴重な意見を書いてくださる大切な方と思っています。

<邪魔は悪魔よりはいいと思いませんか(笑)
<宗教の教義内の非現実的な嘘は、決して悪くはないのですが、宗教好きそうな質問者さんは、
<嘘でまとまるのがお好きですか?
確かに私は宗教好きですが、嘘でまとめていた過去の自分を見直したいとは思っています。ただ、あまり分かりませんを連呼するとあなたに負担がかかるのでは、と遠慮していたのです。

<もともと、そういう話じゃないですよ。質問者さん、頼みますよ。質問者さんからして、
<質問をすり替えてしまっていませんか。
そうかもしれませんね。

<意識を失う話に質問を変更するならば、既出の回答者さん方に失礼ですよ。
<私もそのつもりで回答したのですが、いつのまにやら。
叱ってくださってありがとうございます。

<意識を失わないようにする仕組みを説明してくれた、他の回答者も同意見ですが、
<No.2さんの回答はどうなるのですか。そのお礼の時点ではNo.3までの回答だけだったのですがね。既<出回答は参考になると思うのですが、読んで、本当に、考えましたか。おっしゃるとおり[1]なら、<No.2その他が違うという事になると思いますが。そういう理解で宜しいですか。

<酔わされやすい性格なのですかね。しっかりして下さい。
いえ、実は今は猛勉強中で頭が朦朧としているのです。それでお礼や回答に集中出来ていない面があります。すみません。

<余談ですが、たけしは明治で、東京芸大の大学院教授だそうですよ。質問者さんは理系なのですかね。<なんか、回答の仕方も考えないといけない気がします。
私は理系でも文系でも無いと思います。むしろその様な先入観をなくして学んでいくべきと思っています。

<理系じゃないから間違えても仕方ないという間違いじゃないですよ。
<学歴の話ではなく、本題の論理について。
理系でも文系でも間違えばあれば改めるのが正しいのです。もう一度他の回答も読み直してきます。

今回も普通なら書きづらい厳しい意見をあえて書いてくださって本当に有難うございました。その叱咤激励を非常に嬉しく思います。

お礼日時:2011/06/09 11:44

ちょっと時間が経ってしまっていますけど…。



たけしの本は読んでないし、質問者さんの補足もちょっと多すぎて全部は読んでないです。

で、まず「幸福ホルモン」という名前が、いかにもイメージだけのいーかげんなコトバ、
と思ってしまいますが、それは「オピオイド」という物質のことでしょう。
知ってか知らずか、そういう物質の存在だけは言い当てた、ということかな?
オピオイドはウィキとかで調べられるから、詳しくは書きません。
(エンドルフィン・ダイノルフィンなどの名前でも載ってます。
が、誤解や勝手な解釈も多いので、ご注意ください)
ランナーズハイや多くの臨死体験の原因物質(真犯人?)です。
体内で生産される「内因性モルヒネ様物質」と言って、
主に痛みをブロックすること、意識をトリップさせることをやります。
簡単には分泌されませんので、脳の管理下で本当の「イザというとき」だけです。


質問者さんの「なぜ?」に対し、「どうして、オピオイドというものが存在するのか」
ということには、答えられます。


ライオンに捕食されるシマウマなどを見ると、棒立ちになって忘我状態、
つまり防御反射もしなければ、噛まれて暴れたりもしない。
―――なんで?  と思います。
地球という閉鎖環境の中で、互いに食物連鎖を回さなければ、
地球生命は途絶えてしまう。
生物が高等になればなるほど、被食には苦しみが伴いますよね。
シマウマの場合、群れを守るための犠牲を自らが判断するわけです。
だから、逃げている群れから、一頭だけがスピードダウンして捕まりますよね。

覚悟していたって、痛いものは痛い。
そういうときに脳がオピオイドを出すのだと思います。
トリップしてしまって、痛みも感じない。暴れれば苦しみが長引くけど、一番辛くない死に方。

がん患者には、最後まで痛みに苦しむ人と、最後に穏やかになる人がいて、
その違いをターミナル医療の現場の知人に聞いたら、
「不安が強い人は、最後まで痛むようだ」と言っていました。
恐らくオピオイドは、避けられない痛み「出産」にも関わると思いますが、
がんと戦おうとする人は、襲われて抗って暴れるシマウマと同様、戦おうとします。
ハイになるよりも苦しむ方を選んでしまうわけです。
「戦おう」とする以上、痛みを感じていなければモチベーションが続かない。
諦めて受け容れた人、戦うのをやめて共存を選んだ人が苦しまないのは、
その時点でオピオイドが出てくるからだと思います。

人間は死ぬことが劇的で、悲しくて、絶望で、もう全てオシマイ、と思うけど、
虫が、植物が、動物が常に死んでいることを見れば、
生物界で死ぬことというのは、当たり前のこと、誰かに食べ物を提供する義務です。
高等動物が「苦しみ」を知ることによって、
摂理を受け容れるための方策が必要になった、だからオピオイド。


心や意識、または感情を持つような高等生物は、「苦しみ」を知ってしまった、
だからオピオイドが必要になった。ということです。
臨死体験のレポートなどを読むと、「なんだ、オピオイドじゃんか」と思える話が圧倒的で、
被食・病気・ケガなど原則的に死ぬのは苦しみが伴うのが基本なので、そこを救うもの。
ランナーズハイはあまり実際の報告がありませんが、
軍隊の行軍とか、限界を超えてしまったときに、死に片足突っ込んだからなるのでしょうね。
こういう意味では、子孫にも機能として残していく必要があります。


こういう「救い」を差し伸べてくれた神様という存在の「人となり」が偲ばれるじゃないですか。

この回答への補足

補足欄ですみません。

今、手元のハリソン内科学でオピオイドについて調べました。医学大事典ではあまり詳しく載っていませんでした。

人間は骨折程度の身体的苦痛でも内因性オピオイドであるエンケファリン、エンドルフィンを放出するそうです。よって死ぬ時のような苦しみで放出される内因性オピオイドは身体的苦痛を緩和する機構の作動の結果と考えられます。また、身体的苦痛を和らげることによってストレスも減らし、生物の子孫をより残しやすくすると思われます。身体的苦痛を和らげるという機構は神様が与えてくれた慈悲ではなく、子孫を残す為に必要な機構だったという気がしてきました。

ただ、私も親族を看取ったときにあなたと同じことを感じました。最期まで戦おうとする人は意外と苦しみます。逆に死を受け入れた人は管が繋がっていたり、呼吸器をつけていたり、スパゲッティ症候群になっていたりしてさえ全く苦しまずに穏やかです。苦しむどころかむしろ最期には感謝の言葉を言って、幸せな顔をして死んでいくのを私は知っています。身体的には相当に苦しいはずなのに……。これは生きるという執念が無くなった、という文句だけでは説明がつきません。生きる執着が無くなっても生物は身体的苦痛をそれほど減らせるわけではないからです。たとえば自殺者でも死ぬときはいたいはずです。

『無駄な苦しみを省く』という機能は生物にはある気もします。上述の骨折時の身体的苦痛は省かねばいけない苦痛です。その時の内因性オピオイドは生きるために必要です。このとき、生物は生きたいと望んでいます。普通、内因性オピオイドは生きたいと望む際に出現します。つまり生きるための内因性オピオイドです。

しかし自分の死を受け入れた時にも内因性オピオイドは出現します。この受容した上での内因性オピオイドは死を目前にしたとき以外は出現しないはずです。と、いうよりも自分の破滅を前提にした時の内因性オピオイドは生物が子孫を繁栄させる上では必要ありません。『全てを受け入れた』時に無駄な苦しみが無くなること。これは生物には確実にあります。ただ単に生きるためではなく、楽に死ぬことが出来るような機能はあるのではないでしょうか。

親類の死を思い出しました。そして、その死で得られたものを今回の質問で使わなかったことに気付きました。

ただ、私の論理も完璧ではありません。何度も回答してくださっているお二人方にも更に教えて頂けると幸いに思います。裸の王様にならずにすむようにも。

繰り返しますが、本当に有難うございました。

補足日時:2011/06/09 21:05
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この回答へのお礼

<ちょっと時間が経ってしまっていますけど…。
それでも書いてくださって有難うございます。

オピオイド、脳内モルヒネというのは存在は知っていましたが、幸福ホルモンとは結びついていませんでした。幸福ホルモンはオピオイドだったというのは初めて知りました。

しかも簡単には分泌されないというのも知りませんでした。恐らく、死ぬとき位にしか分泌されないのでしょう。分泌される時には既に死が目前にある、と。出産ですら分泌されないのは驚きです。

苦しみを知ったからオピオイドが必要である。と、ありますが、本来なら不必要な気もします。純粋に子孫を残すためならば。そう考えると

<こういう「救い」を差し伸べてくれた神様という存在の「人となり」が偲ばれるじゃないですか。
そういうこととは知りませんでした。本当に有難うございました。一応、手元の医学大事典を見て確認しておきます。神様の人となりは確かに偲ばれますね。

お礼日時:2011/06/09 19:07

進化論は暴力についての理論とも言えます。

これを肯定する人は競争に理解がなければなりません。
進化も暴力も前後関係が大切ですよね。たとえば両生類みたいのから人間へであって、逆に進化したのではないというのが進化の前後関係ですね。
暴力については、たとえばちかんがちかんしてからちかんをひっぱたくのが悪いですかね。
私はNo.4の回答者です。内容の前後関係で是非を判断されるべきです。
機械論については機械論が正しいということではなくて、近代的な自然科学は機械論でまとめるものなのです。機械論的に解釈されないとカテ違いということになります。質問者さんの意見は分かるのですよ、しかしここで科学宗教という非機械論を展開するのはしたくてもするべきではないのです。できてもしない人は多いのですよ。たくさんあるのですよ。質問者さんに意見したいことも、逆に教えてもらいたいことも。別カテに質問でもされて下さい。もし見つけたら参加しますので。ここでは自然科学が基軸なのです。逆に非自然科学カテなら、自然科学者が機械論や原子論を押し通せるものでもないのですね。すみわけではなく、単に看板と内容の整合性です。

質問者さんは相当な勉強家だと思っています。以前、回答者の立場で、医学書の出版社に問い合わせまでなさいませんでしたか。その質問と回答者を忘れてしまったのですが、たぶんあなたのような気がするのです。間違っていたらすいません。その時、こんな人がいるのだと感動したので、覚えています。私はb-w-stepさんよりも、生物学・医学について、早い時期から長い時間、考えてきたかも知れませんが、学術書を買うなど、学問に金を使うという点では、あなたの方が、数十倍、優れています。私はそういう人を本当に尊敬しています。社交辞令ではありません。動物学者および心理学者の一般書は買わない方がいいです。あなたはこれまでどおり、学術書を買って下さい。じゅうじゅうお分かりかとは思いますがその直感的判断は、ずばり正しいです。私はケチなので、頭使って安く済まそうという愚か者なのです。あなたの蔵書は1万ドルぐらいになる?その数字だけでも朦朧とします。
私は金儲けではない勉強家を尊敬します。宗教が盛んな時代の聖人とはそういう人たちだったでしょう。ケチなはずの私がただで回答するのはそういう人が正しい方向で邁進されることに自分も協力したいと思うからです。私は非功利的な自学を否定しません。大賛成です。私は死ぬまで支持しますよ。しかし、こうも言いたい。
勉強は本に限らない。どんな本で勉強すべきかそこまで研究されてるのは立派ですが、短い人生、本を離れるのも正しい道では。活字に疲弊したら脳神経に逆効果では。活字の本質は記録媒体。逆を言えば、置いておいてもいい物。あなたの場合は購入されるのだから、その有利さが使えますね。ケチな私は、本を買わずに、常にエキスを搾り取ろうとしてきた。本はあった方がいい。あるんだから安心してもいい。脳に必要なのは活字よりも、栄養。脳の善働には健康体。鮭ではなく鶏の卵を丼に割り、半分量の水でよく溶いて、電子レンジで90秒。家畜が自分の子孫を作ろうとした細胞が、出来損ないの茶碗蒸しになります。これが意外に美しくて愛らしい。丼内へ情は脳内の物質。丼内に情はない。鶏の中にも情はない。情は観念です。観念があるものにしかない。丼内の黄色い有機物を箸でさけば水分があふれ出る。無数の断片が生まれ、回転。そしてお好きな調味料で食べます。重力に抗ってすくわれ、粘膜の蠕動にさらわれる。きれいに消化後、色が変わって便になる。見ます。臭います。いい加減なところで流します。単純ですね。してみて下さい。社交辞令の調べますで脳をパンクさせるよりも、2、3分の作業ですから。消化の時間経過も専門書どおりか気にしてね。この平凡な過程を大切に観察すれば、お持ちの蔵書よりも得るものがあります!必要な日常活動への科学的観察の実践。脳も疲れずに、栄養補給にもなる。賢い。気付かされることだらけ。誰も強制しない。著者の文脈に拘束されもしない。私はあなたに無理やり酒や薬を飲ませる気にはなりません。どの本も脳内麻薬を誘発する薬物です。ほどほどに。心配になるような文面ですよ。観念は宗教ぐらいにされては。宗教もそうかもしれませんが、自然科学は知識じゃないと思いますよ。いくらでも現物の対象があるのだから。活字離れのススメですかね(笑)実験室外の現実は複雑で楽しいですよ。それを素直に受け入れれたらそれが正しいのです。生きている人間の周りに、せっかく現実が広がっているのだから、野生的に、観念的な解釈を排除した方が正確だと思います。事実だけです。神や性格や欲情は観念です。原子で優しさを構成できませんよ。出来ない方がいいんじゃないでしょうかね。






(No.5)
>「 次にそれらの個体が「繁殖後」であったと仮定します。数字はどうでも良いですけど、とりあえず4頭の子供を作ったとしましょう。
 死ぬ間際に快楽死遺伝子を持つ個体は楽に死ねますが、持たない個体は苦しんで死ぬでしょう。
 でも、それぞれの個体が残した子孫数は同じです。共に4頭ですから。
>つまり、この「快楽死遺伝子」は、繁殖的な有利さには関係ない、ということになります。
 繁殖的な有利さに無関係なら、この遺伝子は突然変異によって集団内に出現したとしても、集団内に固定されることはないでしょう。つまりその集団の大半の個体がその遺伝子を持つような状態には、どれだけ世代数を経てもならない、ということです。
>というわけで、「快楽死遺伝子」は進化の過程で獲得した、という推測はどうやら誤りらしい、という結論が妥当なように思えます。つまりそもそも「快楽死遺伝子」なるものは存在しない、と言っても良いですね。」

これに対して引用好きの質問者さんのお礼が何故か、例外的に、結論の文だけ引用。引用すべき時、引用していない。


上記の説明が詭弁であるという論理的説明。
問題文。aX=bYと言うのは妥当か。
回答。
X=4n, Y=4nとおく。
X=Y
両辺をF倍する。
FX=FY=4Fn
ゆえに
X=Y
つまりaX=bYと言うのが妥当である。
つまりX=0 である。
以上、証明終わり。完璧!

採点は、
零点です。p.s.他にも間違いがあります。

考察。
「どうでもよくない一番大事」→「どうでも良い」
「自分が論理を知らない」→「相手が論理的説明をしない」
「自分から干渉」→「干渉された」

他についても説明しましょうか。

ただ、たけし、つまり芸能人やTVは影響力がありますね。理科教育がとかマスコミが嘆いてみても、本人が支離滅裂ですからね。教えている場合ではありませんね。共に勉強しましょう。活字離れです。現実を物質的に認めて、最小限の知識で拡張させずに分析です。現実(物質)より知識(観念)を取ったら自然科学としてはダメですね。DNA遺伝子は塩基配列です。
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この回答へのお礼

自然科学はあくまでも機械論を前提にするというのは勉強になりました。科学宗教は非機械論ということも勉強になりました。自然科学は情などを入れずに、単純に数学的に機械的に考えると、いうことですね。有難うございます。

<質問者さんは相当な勉強家だと思っています。以前、回答者の立場で、
<医学書の出版社に問い合わせまでなさいませんでしたか。
<その質問と回答者を忘れてしまったのですが、たぶんあなたのような気がするのです。
私です。よく昔の回答まで覚えていましたね……。SIADHの機構のルービン病理学の表記が違っていた旨を医学書院へ問い合わせました。SIADHは医学的に見れば非常にマニアックな病態ですので間違っていたのでしょう。他にも私は医学大事典、看護大事典、ハリソン内科学、カプラン臨床精神医学、ギャノング生理学、標準生理学、ルービン病理学、カッツング薬理学、オックスフォード現代英英辞典、ロングマン現代英英辞典を筆頭とする多くの他の本の間違いも訂正していることを付け加えておきます。自慢で本当に申し訳ないのですが。ただ、謙虚さを忘れずに学習を続けていく次第です。嫌な思いをした方がいたら誠にすみませんでした。

<私はb-w-stepさんよりも、生物学・医学について、早い時期から長い時間、
<考えてきたかも知れませんが、学術書を買うなど、学問に金を使うという点では、あなたの方が、
<数十倍、優れています。私はそういう人を本当に尊敬しています。社交辞令ではありません。
褒めていただいて本当に嬉しく思います。有難うございます。あなたこそこのような場で相手をしっかりと褒められるというのは素晴らしい人間だと思います。

<動物学者および心理学者の一般書は買わない方がいいです。
一般書は信頼性に欠けるので買わない主義です。特に医学系は名前を売りたいが為に怪しい本も多いです。今の酵素の効果の強調も非常に怪しいと思っています。人体は様々な事柄の集大成です。酵素だけに着目しても木を見て森を見ずです。フッ素を使っても虫歯は防げないとカッツング薬理学に書いてありました。フコイダンに癌を防ぐ作用があるというのは医学大事典ですら全く載っていません。牛乳を飲みすぎればコレステロールが上がると看護大事典に書いてあります。医学では怪しい事柄が非常に多いからこそ少しでも信頼のおける本で学びたいと思います。特にハリソン内科学など医学部生が使う本ならまず信頼できます。東大や京大や自治医大の教授も執筆しているのですから。

<あなたの蔵書は1万ドルぐらいになる?その数字だけでも朦朧とします。
ブックオフなどの古本屋を上手に利用しているのでお金はそれほど使っていません。原価で6000円位の本を105円で買ったことも何度もあります。10050円の本を105円で買ったこともあります。確かに原価で全て買ったら1万ドル位はいくかもしれません。実際はその5分の1から10分の1位しか投資していませんが。本当に古本屋は有難いです。食べるものを節約、服は買わず、テレビは見ず、外食せず、酒は飲まず、煙草も吸わず、といった日々を過ごしております。

<私は金儲けではない勉強家を尊敬します。
有難うございます。逆に私は素直に尊敬するという言葉を使えるあなたを尊敬します。

<勉強は本に限らない。
そうですね。本以外からも学ぶべき部分が沢山あること。最近は見落としていました。書を捨て街へ出ろという名言を思い出しました。本以外からの学習も積極的に取り入れて生きていきます。

回答NO.5では快楽遺伝子を持った個体とその子供の数しか見ていないと言えます。純粋に子供だけを残す観点ではなく、その子供を育てられたか否か。そこまで考察しなければ快楽遺伝子が広まるかどうかは分かりません。どのような遺伝子を持っていても純粋に子供を残すだけならいくらでも出来ます。その後、何体を生殖可能な状態まで育てたか。子供だけでなく孫世代の数はどれ程の数になったか。その考察が足りません。よって回答NO.5は考察としては不十分ではないでしょうか。

自然科学は知識よりも現実を見ること。つまり本よりも現実を見ることが大事というのはとても勉強になりました。学びとは活字だけではない。この学びの原点に気付かせてくださって有難うございました。

お礼日時:2011/06/10 17:00

 No.5のJagar39です。

ここも最後にします。

 No.5での説明は自分でもまずかったな、と思ったのですが、そこは「快楽死遺伝子」を持つ個体も持たない個体も4頭の子を持つ、と仮定したところです。
 本来、この「この遺伝子を持っても持たなくてもこの数は同じ」というところを論証しなくてはならないのですが、「結論」を仮定条件にして結論を導くのを循環論法って言ったりします。

 というわけでここのところを修正しますが、「快楽死遺伝子」を死の間際にしか働かない遺伝子と仮定した場合、それは「産子数」には影響を及ぼさないでしょ?ということです。
 で、もちろんこの後の質問者さんが気にした「その子供を育てられたか否か」にも影響はしませんよね。
 産子数に影響を及ぼさない遺伝子は、その対立遺伝子(ここでは快楽死遺伝子を持たない個体の遺伝子)を押しのけて集団内で頻度を増やすことは出来ません。

>上記の説明が詭弁であるという論理的説明。
>問題文。aX=bYと言うのは妥当か

 これ、理解できました?私はさっぱりです。数式を使えば論理的だと思っているのようですが、数式の変数それぞれが何を意味するのか、最終的に零点というのは式のどこがどう間違っていたか、を論述しないと「論理的証明」とは言えません。
 XとYが対立遺伝子、4nが産子数のことか?というあたりまでは朧気に理解できるのですが、aとbって何?Fは何?もしかしてFって世代数?個体数?X=0というのはどういう意味?さっぱりです。ここを説明しないと論理的に何かを説明したことにはならんのですがね。

 ある遺伝子が集団内に定着する、すなわちここで言うと「集団内のどの個体も快楽死遺伝子を持っている」という状態になるためには、元は1個体かせいぜい数個体で突然変異によって生じた遺伝子であるわけですから、「快楽死遺伝子が集団内で頻度を高めていく過程」が絶対的に必要です。集団全ての個体で同じ遺伝子が突然変異によって生じる確率は事実上ゼロですから、論理的必然性としてそうなります。

 集団内で頻度を高めていくためには、「その遺伝子を持つ個体の産子数が持たない個体の産子数より多い」ことが絶対条件になります。産子以外に他個体に遺伝子を伝える手段があるなら話は別ですが、有性生殖でしか遺伝子を他個体に伝える手段がない動物(ヒトはもちろん、ここで話題にしているような動物では全てがそうですが)では、それもまた絶対条件になります。

 従って、ある遺伝子が対立遺伝子(ここでは快楽死遺伝子を持たない個体の相同遺伝子)を押しのけて集団内で頻度を増やし、定着するためには、「対立遺伝子を持つ個体と比較して産子数を増やすことができる作用を持つ」ことが、やはりまた絶対条件になるわけです。
 その「ある遺伝子が産子数の多さによって頻度を増して集団内に定着する現象」を「自然選択」と呼んでいるわけです。

 それをざくっと簡単に言い換えると、「繁殖に有利な遺伝子のみが選択される」ということになります。
 ここの「繁殖に有利」というのは、どんなに間接的であっても、産子数を増やすことができる作用を持つ、という意味です。むろん、「その産子が繁殖可能年齢まで成長可能」という意味も含みます。

 かなり遠回しな例を1つ挙げます。
 ヒトで「繁殖活動終了後(女性の閉経等)も長く生存する遺伝子」が有利か否か?ということを考察してみます。
 普通に考えれば、これは繁殖活動が終了してから働く遺伝子なので、産子数には影響を及ぼすことが出来ません。ですからこの遺伝子を持っていようがいまいが産子数は変わらず、有利でも不利でもありません。従って集団内に定着することができません。
 しかし、ヒトのような緊密な家族を築き、しかも経験が「知恵」として他個体に効率的に伝達できる手段を持っている動物の場合は、繁殖活動終了後の個体によって「生き残るための知恵」を子供に伝達することが可能になり、その子らの生存率は高くなるでしょう。つまり、ヒトの場合はこの遺伝子は「繁殖的に有利」なのです。

 家族を基盤とした社会を形成する動物は他にも多くいますが、「知恵を伝達する手段」を持たなければ、その「老人」を養うにも食料が必要ですから、その集団は老人が以内集団と同じ食料収集能力では子孫の生存率がむしろ落ちます。この場合は「不利」な遺伝子として淘汰されることになるでしょう。
 また、社会や環境がシンプルであれば(とにかくあのシマウマを倒せば生き延びられる!というような)、長く生きたアドバンテージが現役の親より少なくなりますから、「老人にも食料が必要」というディスアドバンテージと天秤にかけた場合にやはり「不利」になってしまいます。

 という諸条件を考慮すると、確かにヒトでは「繁殖活動終了後も長く生きる」ことは有利である、と考えることが出来ます。

 ですから「繁殖に有利」というのは厳密には「子孫数を増やすことに有利」という意味です。

 それも、本来は「十分大きな集団で、かつ十分長い世代数では」という前置きが必要です。
 「有利な遺伝子」を持っていても、他に致死的遺伝子を持ってしまえばその個体は子孫を残すことが出来ません。そうまでいかなくても他に「不利な遺伝子」を持っていることは十分あり得ます。その場合、子孫数はむしろ少ないかもしれません。
 さらに偶発要素も山ほどあります。突如洪水に流されて死んでしまうかもしれませんし、ケガをして獲物が狩れず飢え死にするかもしれません。
 ですから、「有利な遺伝子が集団に定着できない」あるいは「不利な遺伝子が定着してしまう」ことは数学的にはあり得ます。
 このような「偶然によってある遺伝子の集団内での頻度が大きく変動する現象」を遺伝的浮動といいます。

 ですが、集団が十分大きく世代数も十分長い場合は、どの偶発的要素も双方の遺伝子に総計では等しく働くと想定することができるので、「有利な遺伝子を持つ個体は、持たない個体と比較して十分大きな集団かつ十分長い世代数では、平均の産子数が多い」ということになります。これが「繁殖的に有利」あるいは「生存に有利」と言われる真の意味です。

 ですから、No.5の私の論証が間違っているのは、「論証の目的であるはずの「産子数が同じ」ということを「仮定条件」にして論証をした」ということにあるわけです。
 「死ぬときにしか働かない遺伝子であれば、快楽死遺伝子を持つ個体も持たない個体も、その平均産子数は同じでしょ?」という一言だけで論証は足りていたわけですね。平均産子数が同じであれば、その遺伝子が集団内で定着できないのは論証するまでもないことなので、そこを説明に入れようとして論旨の目的を仮定条件に組み入れてしまったのが間違っていた、という次第です。

 ですから、「快楽死遺伝子が「死ぬときにしか働かない」遺伝子であれば、その遺伝子は自然選択によっては選択されない」ということですから、別の言い方をすれば、「快楽死遺伝子があるとすれば、それは生きているときにも「有利に」働く遺伝子でなければならない」ということになります。
 言い換えれば、「死ぬときにしか働かない生理的作用が進化の過程で得られることはない。従って「そう見える」生理的機能があるならば、それは生きているときにも有利に働くものでなければならない」ということです。
 その可能性をNo.5の後段で述べたわけです。

 議論する双方に同程度の生物学的知識があれば、No.5の前段は上の2段落だけで済んでいた、ということです。
 また、No.5の前段の私の論述を「間違っている」と指摘するには、「論旨の目的である産子数を無条件に仮定してしまうのは循環論法です」と一言言えば済む話だったのです。数式を持ち出す必要はありませんし、その数式も変数の意味を全て説明しないと「論理的説明」になりません。

 最後と書きましたが長くなるので続く。
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この回答へのお礼

No.5のJagar39です。ここも最後にします。

<「快楽死遺伝子」を死の間際にしか働かない遺伝子と仮定した場合、
<それは「産子数」には影響を及ぼさないでしょ?ということです。
産子数にも影響はしません。しかし孫の世代はどうなるか、というところまで考慮する必要があると思いました。

<で、もちろんこの後の質問者さんが気にした「その子供を育てられたか否か」にも
<影響はしませんよね。
<産子数に影響を及ぼさない遺伝子は、その対立遺伝子
<(ここでは快楽死遺伝子を持たない個体の遺伝子)を押しのけて集団内で頻度を増やすことは
<出来ません。
ただ、快楽死遺伝子は子孫を増やす上ではプラスにもマイナスにもならないので運がよければ残るかもしれません。

>上記の説明が詭弁であるという論理的説明。
>問題文。aX=bYと言うのは妥当か
数式を使うとむしろ分かり辛いですね。数式を使って難しくするとむしろ良くない気がします。高等数学を知っている人ならまだしも中学生あたりでは理解が困難ではないでしょうか。

<集団全ての個体で同じ遺伝子が突然変異によって生じる確率は事実上ゼロですから
確かにそうですね。天文学的数字まで考慮すれば0ではありませんが。ただし、事実上では0ですね。

<集団内で頻度を高めていくためには、
<「その遺伝子を持つ個体の産子数が持たない個体の産子数より多い」ことが絶対条件になります。
このあたりは分かりやすい説明ですね。

<ヒトの場合はこの遺伝子は「繁殖的に有利」なのです。
たけしの万物創世記でも放送していた内容ですね。子育てに手間がかかるからこそ閉経後も生きられるのはプラスです。

<という諸条件を考慮すると、確かにヒトでは「繁殖活動終了後も長く生きる」ことは有利である、
<と考えることが出来ます。
マイナス面までしっかりと考えることが大事だと教えてくださって有難うございます。

<ですから「繁殖に有利」というのは厳密には「子孫数を増やすことに有利」という意味です。
なるほど。

<「有利な遺伝子が集団に定着できない」あるいは「不利な遺伝子が定着してしまう」ことは
<数学的にはあり得ます。
運の要素もあるということですね。

<「偶然によってある遺伝子の集団内での頻度が大きく変動する現象」を遺伝的浮動といいます。
分かりやすく教えてくださって有難うございます。

<ですから、No.5の私の論証が間違っているのは、
<「論証の目的であるはずの「産子数が同じ」ということを「仮定条件」にして論証をした」
<ということにあるわけです。
仮定条件がやや不十分だったということですね。

<「死ぬときにしか働かない遺伝子であれば、快楽死遺伝子を持つ個体も持たない個体も、
<その平均産子数は同じでしょ?」という一言だけで論証は足りていたわけですね。
その様に論証するのが大事だということですね。

<また、No.5の前段の私の論述を「間違っている」と指摘するには、
<「論旨の目的である産子数を無条件に仮定してしまうのは循環論法です」と一言言えば
<済む話だったのです。数式を持ち出す必要はありませんし、
<その数式も変数の意味を全て説明しないと「論理的説明」になりません。
循環論法という言葉をこれを機に覚えておきます。

本当に丁寧に教えてくださって有難うございます。とても勉強になっています。

お礼日時:2011/06/12 09:59

 Jagar39です。

続きです。

 質問は「なぜ進化の過程で苦しまずに死ねる機能を手にしたのか」でしたので、No.5ではそのメカニズムそのものは後回しにして「進化の過程でその機能を得る過程」に焦点を絞って回答しました。
 ま、「快楽死遺伝子」というネーミングをした時点で脳内オピオイドのことが頭にあったのは事実ですが、別にそれが「快楽死」のメカニズムだと考えているわけでもありません。
 ですから「ハングアップ」という言葉も、別に特定の生体内現象を指した言葉ではありません。
 オピオイドが多量に分泌された結果、強度の麻酔効果が全身にかかったのなら「ハングアップ」状態になるでしょうし、外傷性ショックで死んでも同じです。まあショックのことが念頭にあれば「安楽死遺伝子」のような言葉を選んでいたかもしれませんが。

 ですから、オピオイドが「死の間際」にしか分泌されないというのであれば、そのメカニズムは進化的に獲得できることはないのですから、「死の間際にしか分泌されない」ことをまず疑うべきでしょう。他の機能があるはずだと。
 オピオイドはストレス軽減物質としての役割があることは判っているのですから、やはりオピオイドの制御系が「快楽死遺伝子」である可能性は高いとは思います。

 ストレス軽減システムと簡単に言っても、その進化的な意義はそれなりの考察が必要だと思います。
 骨折などの痛みにオピオイドが分泌されて痛みを軽減するのは、有利か不利か?と考えれば、その「制御系」が極めて重要だということは理解できると思います。
 オピオイドの分泌量が多すぎて骨折の痛みを感じないほど鎮痛作用が発現されてしまったら、その個体は骨折した足を治癒しないうちに使ってしまってさらに痛めるでしょう。つまり治癒率が低下する→繁殖的に不利、となる可能性があるわけです。
 少なすぎても、激しい痛みが継続するとショックを起こしてしまうリスクがあるので、やはり「治癒するはずの傷でショック死してしまう」可能性が高くなり、不利となります。
 つまりオピオイドをどのような条件下でどの程度分泌するかは「さじ加減」が難しく、それは「進化的に常にさじ加減が微調整されている」ことを意味するでしょうね。

 まあメカニズムの話は詳細に判っていないことも多いのでこの辺で。

 狩られるシマウマの話ですが、集団で逃走していて1頭だけがスピードを落として捕まる、といった現象が生物学的に、あるいは進化論的に「自分を犠牲にして集団を救う」と考えるのは危険です。
 単純な話、「自己犠牲によって集団を救う遺伝子」があったとします。具体的にはオピオイドを持ち出せば、他の個体がアドレナリン全開で逃走しているのに、自分だけ逃走のストレス軽減のためにオピオイドを多量に分泌してしまって足が緩む、というようなことでも良いです。
 その遺伝子は「有利」ですか?
 その遺伝子を持つ個体と持たない個体(つまりどこまでもアドレナリン全開で走り続ける)では、持たない個体の方が「平均産子数」が多いのではないですか?逃げおおせた個体は、その後も子を作ることができるわけですから。

 ですから、「自己犠牲によって集団を救う機能を持つ」遺伝子は、その集団内で定着することはできません。

 ですがそのような「利他行動」は動物では多く見られていて、それが生物学者たちを悩ましていたのですが、それを説明したのがリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」だったわけです。

 簡単に言うとこの場合、「自分が犠牲になることによって自分の子を救う」場合は、「有利」となり得る、というのが「利己的な遺伝子」の理屈です。
 まず自分が助かって子が食われた場合は、自分はあと2産できるかもしれませんが、子が将来4産するはずであれば2頭の産子の「損」になります。実際は「子」と「孫」の血縁距離も計算に入れなければならないので(子は自分の遺伝子の半分を持っているが孫は1/4しか持たない)、損得勘定はもっと複雑になるのですが。
 自己犠牲によって救うのが子ではなく孫、兄弟、いとこ、それぞれ遺伝的距離(要するに遺伝子の共有割合)によって損得勘定は異なってきますが、それぞれの計算において「自分が犠牲になった方が進化的には有利」となる場合がある、というのが「利己的な遺伝子」の理論です。

 これ、ドーキンスはもちろん原著論文を何本も書いているのですが、難解な数式のオンパレードですので本当の「専門家」意外にはとても理解できません。私もちんぷんかんぷんです。
 ですから、一般書である「利己的な遺伝子」を読むことをお奨めします。数式だと数行で済む論証を言葉で100ページくらいかけて説明してくれてますから。

 その「利己的な遺伝子」の理屈を「自分を犠牲にして群れを救うシマウマ」に適用できるかというと、たぶん無理でしょう。
 というのは、そのシマウマが犠牲になることによって助かるのは「他の子かもしれない」からです。そうなると自分のこれから先産めたであろう産子数が減少し、ライバルを助けることによって産子数を増やしてしまうからです。
 すなわち、「群れ全体に対する自己犠牲遺伝子」は、速やかに淘汰される運命にあります。

 群れ全体が逃走している場合、自己犠牲によって助かるのが自分の遺伝子なのか他個体の遺伝子なのかは判らない、わけですから、賭としての勝率が低い、ということです。勝率が低ければ、「大きな集団で長い世代数」では、この自己犠牲遺伝子を持つ個体は持たない個体より、平均産子数は少ないだろう、という帰結になります。

 まあ極めて素直に見れば、群れから離れてスピードを落とし、結局食われるシマウマは「生存競争に負けて淘汰されている」ということになるでしょうね。この場合は利己的遺伝子の理論を頭に入れても、やはり「淘汰されたのだ」という見方で正しいと思えます。
 その行動(群れから離れて速度を落とす)がオピオイドの分泌が関係していたのだとしても、仲間のシマウマがまだストレスに耐えてアドレナリンを分泌し続けているのに、自分がオピオイドを分泌してしまって逃走のストレスを緩和してしまったということは、その制御系は「不利で淘汰される運命」にあった、ということでしょう。

 シマウマの生存競争は、捕食者とのライオンに対抗する機能の向上、という見方ももちろんできます。ライオンより足が速くなる方向に進化し、それに対抗してライオンも足が速くなり、というライオンとシマウマの軍拡競争、という見方です。「足の速さ」ならライオンではなくチーターを持ってくる方が判りやすいでしょうけど。
 でも、見方を変えて「逃走するシマウマは誰と競争しているのか?」と考えれば、「他のシマウマ」なんですよ。
 他のシマウマより足が速く、他のシマウマより逃走のストレスに耐えてアドレナリンを分泌し続けることができれば、そうでなかった個体に対して「有利」になれるわけです。

 というわけで、No.5で書いたように、「快楽死遺伝子」に見えるものがあるとすれば、それは他の機能(つまりこではストレスを軽減する機能)の閾値が生存競争によって限界まで高まった結果、ということが推測できると思います。
 ということは、逃走から捕獲されて食われるまでの各段階で、ストレスに応じてそれを緩和するための生理的現象は起きてはいるでしょうが、それは「最小限の制御」でしかないでしょう。痛みを全てキャンセルするほどの大幅な介入はしてくれないはずです。だから手術の時には麻酔が必要なのでしょうから。
 死ぬ瞬間にだけ全ての苦痛をキャンセルするほどの大幅介入も、する意義が進化的には見いだせません。

 最後に、人の論旨がおかしいとか矛盾している、基礎知識が足りないことに由来する勘違いをしている、と感じた場合はそう述べれば良いです。
 ですが、単に「間違っている」と連呼するだけのは議論とは言えませんし、「論理的思考が足りない」と言いながらも自らの論理は提示せず、たまに「提示します」と言っても説明なしに誰にも判らない数式を並べて「零点です」と言えば論理的否定ができた、と思っているのも、そもそも「論理的思考とは何か」が根本的に判っていない証拠でしょう。
 まして他質問になりますが、「性格も生物学の対象になっている」という簡単な事実を忘れて(ほんとは知ってるんでしょ?)感情にまかせて「人になつくなどの性質は生物学的性質ではない」などという暴言を吐いてみたり(まさに「人になつく」ことを対象にした研究も存在します)するのは、そもそも「科学議論ができない」人でしょう。
 さらに議論のテーマとは関係ない罵詈雑言を多用するのは、科学以前に人としてどうか、というところですな。
 そんな人とは「議論」ができませんし、するのも時間の無駄なので、質問者さんに対する回答はしたいところですが、「彼」が関与してそれに応じてしまった自分の浅はかさも反省しつつ、この話はこれまでにします。

 これ、誰のことか質問者さんには判ってますよね?念のためですが質問者さんのことではないですよ。
 でも、これほどまでの「空っぽな主張」にいちいち納得してしまう人も、ほんとはあんまり相手にしたくないな・・という気持ちも告白しておきます。
 こんな人は「重力進化論」や「ウイルス進化論」の本を読んでも納得してしまうんだろうなぁ・・・と。
 でも、No.5の私の回答を「納得できない」と表明したことは、この騒動の中で少し成長したんですよね?ピントは少しずれてましたけど。
 たくさんの本を読んで精進してください。
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この回答へのお礼

<ですから「ハングアップ」という言葉も、別に特定の生体内現象を指した言葉ではありません。
ただ、このハングアップという言葉はやや分かりづらかったと思います。一般的な用語ではないと感じました。少なくとも私は意味があまり分からない言葉です。片仮名語ですし……。

<オピオイドが「死の間際」にしか分泌されないというのであれば、
<そのメカニズムは進化的に獲得できることはないのですから、
死の間際にしか使われない性質であれば遺伝的に有利ではない、ということですね。

 オピオイドはストレス軽減物質としての役割があることは判っているのですから、やはりオピオイドの制御系が「快楽死遺伝子」である可能性は高いとは思います。

<ストレス軽減システムと簡単に言っても、その進化的な意義はそれなりの考察が必要だと思います。
このあたりの考察は丁寧でとても分かりやすいです。有難うございます。オピオイドのさじ加減は書かれてみて初めて気付けたことです。ただ、このオピオイドで疑問に思った点が1つあります。それはなぜ『死を受け入れた場合にオピオイドが出やすいか』ということです。村山聖という人の『聖の青春』では村山さんは苦しんで亡くなります。しかし私の親戚は死ぬ間際まで相当痛いはずなのに全く苦しんでいませんでした。これはなぜなのでしょうか?

<これ、ドーキンスはもちろん原著論文を何本も書いているのですが、
<難解な数式のオンパレードですので本当の「専門家」意外にはとても理解できません。
<私もちんぷんかんぷんです。
<ですから、一般書である「利己的な遺伝子」を読むことをお奨めします。
<数式だと数行で済む論証を言葉で100ページくらいかけて説明してくれてますから。
そのために一般書をお勧めしたのですね。

<その「利己的な遺伝子」の理屈を「自分を犠牲にして群れを救うシマウマ」に適用できるかというと、<たぶん無理でしょう。
このあたりの説明が非常に分かりやすかったです。本当に有難うございます。

<これ、誰のことか質問者さんには判ってますよね?念のためですが質問者さんのことではないですよ。
今度は分かりました。

<でも、これほどまでの「空っぽな主張」にいちいち納得してしまう人も、
<ほんとはあんまり相手にしたくないな・・という気持ちも告白しておきます。
それは人として仕方が無いと思います。そう思いつつも色々と教えてくださって有難うございます。空っぽな主張でいちいち納得しないような頭脳になるように努力していきます。

<こんな人は「重力進化論」や「ウイルス進化論」の本を読んでも納得してしまうんだろうなぁ・・・
簡単に騙されないように精進していきます。

<でも、No.5の私の回答を「納得できない」と表明したことは、
<この騒動の中で少し成長したんですよね?ピントは少しずれてましたけど。
あなたたちのお陰です。本当に有難うございました。

<たくさんの本を読んで精進してください。
最後まで色々と励ましてくださって本当に有難うございました。

お礼日時:2011/06/12 10:10
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