プロが教えるわが家の防犯対策術!

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塾で教えている中学生が、
「差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」
と言いました。

私もそう思います。私は別の県から引っ越してきて、今住んでいる県の地域は知りません。あることすら想像しませんでした。
知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?私のように、外部から来た人間は地域を知らないし、この中学生のように10何年間この県で生きてきて、それでも知らないのです。やはり、「差別」教育は必要なのでしょうか?

見てそれと分かるハンデを持った人を差別してはいけない、と教育するのは分かります。しかし、は、ここから地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。

未だに差別意識を持っている人はいるでしょう。しかし、一般的な「差別はいけない」という意識を持った今の子供たちは、その差別意識を持った人に「差別」を言われても、はねのける事ができるのではないでしょうか。

私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?また、「差別」教育は、必要なのでしょうか?

A 回答 (158件中1~10件)

回答ではないのですがよろしいでしょうか。


質問者さんは塾の先生ですね。ご質問の前提である、「差別教育は必要なのか」ですが、その教育をさせようとしているのは、どこの誰でしょうか。文部科学省ですか。それとも塾の経営者でしょうか。
私は戦後の教育を受けた人間ですが、学校教育で問題を教わった記憶がありません。現在大学生になる娘とて同じです。
「差別教育」をさせようとしているのは、質問者さんの塾の方針のような気がするのですが、補足をお願いします。
なお、近年になって学校教育の指針が改訂されているようでしたら、その旨お知らせ下さい。

この回答への補足

補足致します。私の塾ではなく、「学校で」習ってきたのです。学校で習った事を、彼の心の中で消化しきれなかったので、私に聞いてきたのです。塾ではそのような問題まで踏み入れることなく、教科のみ教えています。
また、私も20代の若輩ものですが小中学校の「道徳」の授業で問題は扱ったような気がします。

補足日時:2003/10/14 09:21
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その中学生の疑問は、もっともだと思いますが、実は「知りたくなかった」と思えたこと自体、すでに学習した効果だと思います。



差別があることを知ることがなければ、もしかしたら自分がいつの間にか、たとえば障害者などを差別してしまうかもしれません。また、未だにの差別意識を持った大人などが「はなんとかだから近づいちゃ駄目だ」と誤った知識を埋め込んだら、それを信じるしかなくなってしまうでしょう。

今、その中学生は歴史の真実を知ってしまい、ショックを受けている状態だと思います。しかし、それこそが歴史という学習であり、僕らが歴史を繰り返さないために乗り越えなければならない真実なのだと思います。
歴史という学習は、私も学生時代はよく「何で過去のことなんて勉強するんだ」とか「原爆の被害の写真なんか見せるなんてむごい」とか思ったこともありましたが、歴史ってきっとそう言うことなんだと思うと、逆に歴史がすごく面白くなってきました。

ご参考程度にどうぞ。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます!発想の転換ですね。そう考えればちょっと納得出来ます。
でも、「差別」という一般的な教え方だけではいけないのでしょうか・・・。知る事により否定も出来る、知らなければ否定は出来ない、知ってしまった子は今感情を作りかえる過程の時期にいるんでしょうね。

お礼日時:2003/10/14 09:36

はじめまして。

23歳会社員です。
差別を知ったのは中学生の頃、集会で見せられた映画です。後に大阪に住む大正生まれの祖父から「関西には多い、こことあそこと・・」といった感じで細かく知らされました。他には2歳年上の高知県出身の男の子が当時住んでいた下宿先のマンションの近くにがあると教えてくれました。他には9歳年上の京都在住の男性が「あいつら敵にまわすとほんまにやばいで、ヤクザなみや」と聞きました。全て男性から聞きました。感想をいえば「あんまり聞きたくなかった」です。の人たちはを武器に利権を貪る人もいれば隠しながら生活してる人もいるでしょう。もしかしたら私が出会った人の中にの人がいたかもしれません。しかしそれはわかりません。「」を知識として知っていても必ずしも差別の目で見るとは限らないと思います。私は「差別」意識に対して無関心です。差別する人の気が知れないという意味です。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。関西出身です、私。なのでっていう言葉は身近です。けれど、差別意識とは違います。たまたまそこが過去の歴史の中でそういう地域だった、ということ。今はその歴史なんかとは関係ないと思っています。だって、他の県から越して来た人が知らずにその地域に住みだす、そんなこともあるかもしれないじゃないですか?差別って根深いですね・・・。

お礼日時:2003/10/14 09:44

塾として教える必要性は疑問です。


ただし、いろいろな差別があること、と
正しい情報を知る必用はあると思います。
戦前の日本は一方的情報しかありませんでしたから、
あなたのおじいちゃん当たりの世代は知らないために
戦争になってしまいました。
今のイラクと同じです。

知らないければ良かったという気持ちはわかりますが、
知らなかったから良いという発想はあまり良く無いと思います。

塾で教えることには賛成できませんが、塾の種類がわかりませんので、なんとも言えない部分もあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。言葉足らずですいません。塾で教えているわけではないです。授業前後の休み時間の雑談タイム「来週から修学旅行!」「今日は運動会だった」などの会話のうちの一つでした。
>知らなかったから良いという発想
そうですね、これは良くないですね。極論すれば、人を殺すことは良くないとは知らなかったから、殺人してしまった、といういい訳になっちゃいますし。

お礼日時:2003/10/14 09:49

「今の子どもたちは・・・・差別を言われても、はねのける事ができる」


とのことですが、その少年は「差別をなくそう」という授業を受けたのに、差別意識が出てきてしまっているのではないでしょうか。

中学校の社会科の授業では、差別、在日韓国・朝鮮人差別、アイヌ民族差別、障害者差別などの人権問題について学習します。
今日の社会がかかえる諸問題とそれらの解決について考えさせるとき、差別だけ除くというようなことは賛成しませんが。

その少年に対しては、「どうして差別の目で見てしまうの?」と問いかけながらよい方向に導くことが大切かと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!う、私も書いてて矛盾がある事に気付きました。突っ込まれてしまいましたね・・・。
差別はいけないという教育を受けて、差別的な目をもってしまう、その矛盾も生まれる可能性はあると思うんです。彼は、差別だなんて事は否定する子だと思いますが、それだけに彼の言葉は苦しかったのです。否定したいのに、そんな目で見てしまう自分がいやだ、と。
塾としては教えてはいないですが、人生のほんのちょっとの先輩の人として、どういう対応をしてあげれば良かったのか、と悩みました。

お礼日時:2003/10/14 09:55

ほかの方の意見と 同様になりますが,..



私のすむ地域も,広く言いますと そういう地域のようです.細かくは,知りませんが(差別するための材料をし入れる気はないですので,どこから,,,なんて,知る気もないです。)

私の親年代の人は,そういう話題を語らせると あることないこと、長いです.
そのほとんどが,伝聞の伝聞であったり,はなしのつじつまが合っていない、デマみたいなものであったり もします.最初に聞く情報が,客観的なものであるほど,のちに聞くものがデマかどうか わかりやすくなると思います.

最初に ゆがんだ情報から入るより,
ずっと、いいと思います.

誰しも 何がしかのコンプレックスを持っていて,それを,別の人を見下すことで ごまかしたい,という気持ちは,あるかもしれません.
でも、それをおもてに表すことで,どれほどの人が苦しむのか,は 若い子にほど,しっておいて欲しいです.これは差別に限ったことではないです.

ついそんな目で見てしまう,その気持ちを自分で克服するとか,折り合いをつけるとかって、すごく大事ではないでしょうか?
「差別を知る」ことと,「それを自分がするかどうかを決める」ことは,また別問題です.

例えば 話が大きくなってすみませんが同じことです,
日本人と言うだけで さげすまれた場合どうでしょう?
そういう人がいる,と知っていた場合の方が
ダメージは小さいです.
差別がある事実が,正しいと言ってるわけではありません.
知らなくて いきなり自分が差別されることもありえるんです。

(ちなみにですが、ウチのこは3才で外国にすみ,そういう 差別をするひとがいること、差別を「受けたことを覚えています」が,差別という ことば は しりません。いずれきちんと説明するつもりです.
日本でも,(なにも知らない子の方が残酷だな),という経験もあります.
質問に,見てわかる人を差別してはいけない,とありますが, ちなみに、うちのこは、外から見てわからないハンデがありますが,
バカ,と平気でいわれます.
産まれつきのものだ,なまけてそうなったのではない,のですが。
診断名を先に言ってしまうと逆に 怖がられたり,
差別されることもありますので 言わないこともあります.
理解してくれそうな人には いうこともあります.それで,知らないほうが良かった,,、といわれたことはまだないです.どういう形であれ,差別は存在しています.いやだ,知らないほうがよかったと言う人も,知らないが故にさべつしてしまっている可能性も、あります...)

自分自身に「差別することは おかしい」,という気持ちがあれば,
自分が差別を受けた時に 立てなおしやすいです
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僕も小さい時に在日韓国並びに朝鮮の方々がいらっしゃる話を聞いたり、問題が有ると知ってショックでした。



僕の住んでいた田舎は田舎でも多少町中でしたからそう言った差別が無かったので、実際に目にした事が無く、両親にそんな人達が居るのか?と聞いた所、多少差別的な見解が帰ってきて、自分の肉親にそんな心が有るのかと驚きました。

その後、自分なりに「差別とは?」などを考えるうちに、結局、差別は経験に基づく恨みで有ると思いました。その恨みを断ち切るには、正確な歴史を把握しつつ、その誤解を生じた原因をその人になすりつけるのでなく、時代背景として受け入れ、同じ過ちを繰り返さないようにしなければならないと思いました。

学校教育において、差別を取り上げるのは、実は少々不安が有ります。それは教育者個々の見解が安定していないからです。しかし、「臭い物に蓋」で、その事実から目を背けてばかりではいけないと思います。

僕も差別については、正直、正確な知識を持ち合わせていません。しかし、子どもが「知らなければ良かった。知ったらどうしてもそんな目で見てしまう。」と言ったならば、かなり怒るでしょう。「お前は自分の友達を『あいつとは付き合うな。』と、他人から言われたら付き合いを止めるのか?」と。(今は自分で情報を選別し考え行動する力が必要とされています。)

先にも述べたように、差別は断ち切らねば延々と続きます。実際に差別に直接手を貸していない我々の時代だからこそ下らない差別を無くせるのです。「僕らも努力する。でも、それにはとてつもない時間が掛かる。君たちが大人になっても未だそんな下らないものが残っていたら、断ち切って欲しいから、同じ時代を生きる君たちも知っておかねばならないのだ。」と言ってあげて下さい。(実際、僕らの子供の頃よりもかなり改善されてきています。)

ご参考になればと思います。
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差別とは、差を付けて分ける。


悪い言葉に取られがちであるが、差別しなければならないこともある、また。自然に差がつくものもある。
戦後間々無い頃に、そうゆうが在りましたが今の世の中では在りませんので、安心して暮らせると思います。これも福岡の議員さんで在った松本英一さんの運動の成果だと思います。いまは、息子さんの龍さんが継いで運動をやられていると思います。そう由人達のおかげです。これからも頑張って下さい。何時も有り難うございます。
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 こんにちは。


教育は必要です。
「知らなければ差別はしない」ということは、以前からある「寝た子を起こすな」という有名な議論です。
URLを紹介しますので読んでみてください。

を教育に取り入れれば差別が起こるというのは、臆病者の考え方です。我々はその先にある「差別を乗り越えた世界」を目指す必要があると考えます。勇気を持って差別を教えるべきです。差別に立ち向かう勇気を教育がやらなくて誰がやるのでしょうか?

もう一つ考えるべきは、子どもが差別を知らなかった場合のことです。将来何らかの理由で差別の事を知った子どもはどんな行動に出るでしょうか?
後になって知るほうが怖いとは思いませんか?
差別が広がると思いませんか?

これは日本だけの問題ではありません。
インドでは差別が広がらないようにガンジーやマザーテレサの事を教えませんか?
南アフリカではアパルトヘイトが広がらないようにネルソンマンデラのことを語りませんか?
「自由の国」を標榜するアメリカは公民権運動の指導者ルーサーキング牧師のことを教育に取り入れませんか?

インドも南アもアメリカも実はまだ差別があります。
でも差別と闘った人のことは忘れることはありません。

差別は将来「真の平等」を勝ち取るために語らなければならない問題です。我々は臆病者として差別を語ることをやめていいのでしょうか?

答えは簡単です。語るのです。
「新の病」同を勝ち取るために。

参考URL:http://www.apionet.or.jp/~seimi/1621.htm
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そういう差別があるということが知ることが必要だと思います


そのうち人を傷つける事になります
お子さんが、大人になる頃には起こらないと信じていますけど

父の会社の話ですが一応会社の役員クラスです
そこにこの不景気のため多くの役員が東京からやってきたそうです
支店は大阪、その人達は東京の人です
その年、少人数ながら新人を入れたそうですが
その中の一人の親から支店長宛に手紙がきて
その内容が「のうちの子をとってくれてありがとうございます・・・」
との内容だったのですがそれを支店長が「できたお父さんだ、立派な手紙だ」
という理由で、回覧で回してしまったからさあ大変
うちの親父が気づいたときは、既に遅く役員はおろか
社員にまわってしまい大騒ぎ
その子は会社を辞めてしまい。支店長はその後、更迭
と言うことになったそうです。

知らないですむ問題でもなし、問題を軽視したことが原因
課長等途中で止まらなかった事も問題ですが
問題を知らない事(認識不足)が原因であり、知ってる人間もいるということ

東京は、に関してはあまり教育がされていないと言うことを
聞いたことあるし、問題については地域差があると考えた方が
いいかと思います

私達の年代では、特に私なんかは「あっそ」のレベルです(^^
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