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 今日見た夢について、診断をお願いしたいです。

 私は今日夢のなかで、家族といっしょにいました。父親が兄のことを誤解して、兄を叱りつけます。私はそれを誤解だというのですが、それを父は無視します。
 場面が変わって就職活動の企業の説明会にいます。体育館のような場所で、たくさんの人がパイプ椅子に座っています。私は企業のおじさんに(どうやら面識があるらしい)話しかけられ、「この企業はどう?」と聞かれます。私はまだ完全に将来のビジョンが定まっていないらしく、「楽しそうですね」と本音でかえす。
 さらに場面がかわって、私は能をやるアニメキャラクターになっています。舞台にたち、舞おうとするのですが、舞おうとすると、知り合いたちがお年玉のようなお金の包みを持ってきてかわるがわる私に渡します。
 舞ってすらいないのに、お金をもらったことにショックを受けて「どうして私の踊りを見てくれないの?」と怒ります。舞いたいのに邪魔をされた気分にもなりました。

 もし、この夢にはこういう意味があるんだよ!と分かる方は、ぜひ教えてほしいです(>_<)

A 回答 (2件)

こんにちは。


この夢には質問者さんの「抑圧された願望による不満」がはっきりと表れています。恐らく、心理学の教材として使えるくらい興味深いものです。但し、このようなものは多かれ少なかれ普通の人間に幾らでも共通する心理であり、別にそれほど特別なものではありません。心理学の教材として使えるというのはそういう意味です。
一つ目の夢と三つ目の夢には共通点があります。三つ目は、これは明らかに周りから認めてもらいたいという質問者さんの強い願望が「不満」となって表れたものです。では、一つ目の夢はお兄さんの不満ではなく、これは質問者さんご自身のものです。夢といいますのは全てがそのひとの気持ちによって作られるものです。従いましてこの場合、質問者さんの深層心理はお父さんが間違っているのを望んでいるということになります。これは、質問者さんがご自身の不満を正当化させるためです。

このように、一つ目と三つ目は共に質問者さんの「心の不満」から作られています。では、二つ目に繋がりがあるとしますならば、「お父さん」と「企業面接」の共通点は「社会的規範による束縛」です。ならば、夢の中で質問者さんは何れに対しても反目し、それから逃げようとしています。
ですが、質問者さんにもちゃんと言い分があります。ところが、自分は何でもきちんとできると思っているのにも拘わらず、周りはそれを一向に認めてくれません。夢がこのような終わり方をするのは、ここではその問題の解決策がまだ見出されていないということです。それは、どうせ理解してもらえるわけがない、周りが悪いのだから仕方がない、恐らく質問者さんが半場あきらめてしまっているのが原因ではないかと思われます。

果たして過去の出来事であるならば諦めるのも致し方ないです。ですが、今現在にそれは解決策にはなりません。
どうしてそんなことが分るのかといいますと、このような状況に曝されますと、通常はそこから逃げ出すなり解決するなりの選択に迫られます。ところが、この夢にはそのような焦りや意欲は何処にも見当たりません。焦りが発生しないのは、心理学ではこれを「代理昇華」と言いますが、恐らくそれは質問者さんのお気持ちが直接の解決を避け、しばしば小説や空想の世界へ逃げ込もうとするからではないかと思います。夢の中でお父さんがお兄さんに理不尽な暴力を振るったのは、これは質問者さんが代理昇華によって精神的な適応を行うために作られた架空の設定です。加えて申し上げますならば、「周りが自分の邪魔をしている」、これが、質問者さんが夢の中で出した結論です。

ありもしない願望によってご家族や周りに不満を抱いている、そんなことを言われれば質問者さんは否定なさると思います。ですが、現実に何らかの不満が自覚されており、それが夢に表れたのであるならばその方がまだ遥かに自然なんです。では、それを否定するのは質問者さんの理性であり、家族や周りをそんなふうに思ってはいけないという気持ちがその願望を自分の気付かない心の深層に押し込めてしまいます。このため、それが夢になって出てくるわけですが、質問者さんにはお父さんを不満に思っているなどという自覚は全くないわけです。
ですが、このようにして「抑圧された願望」というのは解放されなければなりません。では、具体的に何か不満があるならば相手にそれをぶちまけるという手段もあります。文句があれば質問者さんだってちゃんと言うはずです。ところが、原因が自覚できているならば返って問題はないのですが、もしそうでない、あるいは言っても聞いてもらえないと諦めてしまいますならば、このようなものは深層に深く慢性的である可能性が高く、その願望を阻止しているのが実際にお父さんやご家族であるかどうかさえもきちんと特定することができなくなってしまいます。このため、それは子供の頃からの家庭環境や身の周りの様々なものに対し、事ある度折に触れて波及することになります。

このような場合、ひとつにはそれは、「自意識過剰による精神不安」というのが原因として考えられます。では、果たしてこれが原因であるならば、認めてもらえないというのは質問者さんご自身の単なる思い過ごしということになります。
他人の心の中を覗いて見ることはできません。ですから、自分が認められているかどうかを実際に確認することはできないわけです。ならば、そこで誰も認めてくれないという判断を下しているのは果たして質問者さんご自身ということになります。従いまして、この杞憂を滅して慢性的な心の不安から開放されるためには、そのためには質問者さんご自身が自分を信頼する以外に手段はないわけです。

自信を持てと言いましても、実力が伴わなければ中々そうもゆきません。ですが、この場合に問題となりますのは、質問者さんの中に作られる自意識が質問者さん本来の実力を何かに付け過敏に評価しているのではないかということです。質問者さんは何のために行動を選択しますか。もしそれが相手に認めてもらうことが目的であるならば、これでは仮に結果が正しくとも相手の評価が得られなければ願望は阻止されたことになり、それは不満となります。ではこのような場合、我々の行動とは、他人の評価を求めるのではなく、自分に満足のゆく結果を得るために選択されるべきです。
我々は自意識過剰に陥りますと、しばしばこの目的を取り違えてしまいます。ですが、その評価を自分自身で行うことができるならば、仮に上手くゆかなかったとしましても他人に文句を付ける筋合いはないわけです。果たして、我々はいちいち他人の顔色など伺わず、常に自分に満足のできる結果を目し、それに対してはそれなりのきちんとした自己評価ができさえすればそれで良いのではないでしょうか。これにより、何れ自分が周りから認められているという自覚が生まれさえすれば、質問者さんはその心の不満からすっぱり開放されることになります。

因みに、これは余計なお世話かも知れませんが、我々は家族に対する「不満と愛情」、これからは死ぬまで開放されることはありません。ならば、愛情だけを信じるのではなく、双方に折り合いを付け、ここは気長にやるのが得策ではないかと思います。
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この回答へのお礼

こまかい分析、ありがとうございます! 自意識過剰の問題、なるほどなーと読ませていただきました。不安になりがちな性格はそのせいかもしれません。 ではではありがとうございました!

お礼日時:2011/07/05 22:04

今ある環境に変化を求めています。


生活に充実感を得られていないようです。

恋愛や結婚生活、学校や仕事など日常がマンネリ化していませんか?
毎日の生活に充実感を感じられないでいるようです。
あるいは「こんなはずじゃなかった」と、自分のとった選択に後悔のような気持ちが
あるのかもしれません。
目的や目標を見失っていたり、やりがいを感じれなくなっている場合もある
でしょう。
あなたは日常に変化を求めています。
新鮮に感じられること、刺激的な出来事を期待しているのかもしれません。

今は何事も活発に行える時です。
これまでとは違う何かを取り入れてみるいい機会です。
あなたの行動力が日常に充実感を与えるかもしれません。
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この回答へのお礼

日常に変化を求めている…新しいことを始めたいと最近考えていました。
回答ありがとうございます(^^)すっきりしました!

お礼日時:2011/07/04 08:37

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