プロが教えるわが家の防犯対策術!

午前中、子供をお昼寝させている時間帯によく、宗教の勧誘(?)みたいなのが来ます。
同じ人ではないようですが、パンフレットのようなものを持って、『近所に住んでいる○○ですが…』みたいな感じでやってきます。手にもっているパンフレットが宗教のやつっぽいので勧誘かな…と思うのですが、なんで宗教の勧誘をしに家までくるのでしょうか?信仰するだけで、お金儲けとかじゃないですよね?なのになんで勧誘が必要なのでしょう?不思議に思ってしまって気になってしまいました。ご存知の方、よければ教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

>宗教の勧誘?訪問するのは何故?



    ↓

その宗教の目的・教えと信者さんの熱意にも寄りますが・・・

<順不同>

◇信者の獲得・拡大の為の布教・集会への動員や機関紙の拡販。

◇一神教で、他の邪教や不幸な人々(勝手な思い込み、決めつけ)の救済。

◇勢力(信者数・イベントでの動員・機関紙の購読者数)拡大が教団としての伸長・活性度のバロメーターであり、寄付とか布施とかの原資に、選挙での集票マシーンにもなる。

◇しかも、信者には新規会員とか信者の獲得が、信仰の深まり&感謝の報恩行為だとされており、新規信者の獲得はイコール救済への導きであり、お手かざしになると、自発的プラス洗脳やノルマに硬軟・利害・プライドで求められている。
そして、信者獲得や熱心な勧誘活動そのものが組織内の地位アップ・発言力拡大の要件でもある。

全部を簡単に批判したり、切り捨てるわけにはいかない、真面目に好意で心から信仰一途にお誘いやご案内に活動されている方も多いので、結論的に指弾・指摘はし難いのだが、良かれと思われても欲得抜きでもお金に関与していなくても、私には「ありがた迷惑」「価値観・人生観・死生観の押し付け」「現世利益は信じられない」ので布教・勧誘は、宗派を問わず丁重にお断りしている。

私にとって、神も仏も自然も全てが信仰の対象であり、自分や家族を見守って下さっている存在だと思います。
宗教は信じるものであって、頼り願いお金で叶えるものではない!

まして、信仰により何かを得ようとか、儲かるとか、求め約束され、治るとかは信じない。
熱心に祈り念じ唱える事で、願いや希望に向っての努力・修練・集中を以って与件を高める事に他ならない。
実現・達成、それは、自助努力と自己責任、希望や期待への弛まぬ努力こそが、原点であり、基本と思います。

あくまでも、見えない遠い目標に対して、弱い心や限られた時間の中で、迷いや悩み、恐れや慢心を持つ自分の心身の弱さや醜さを厳しく見つめ優しく見守って頂いてる事で、自分を律し、平静を保ち、勇気を持って、一生を歩み生き抜く姿の監視者・観衆・審判員・教師であり、最高最大のサポーターだと思います。

勧誘する宗教や信者さんに悪意は無いかもしれないが、その事で基本の自己責任・自助努力が、なおざり&齟齬するなら、その勧誘は宗教は教えは、自分自身には不適なもの、信頼出来ない、麻薬や催眠術のようなもの(幻惑・誘惑・他力本願・無責任・苦しい時の神頼みetc)だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

とてもわかりやすく、知ることができました。

>宗教は信じるものであって、頼り願いお金で叶えるものではない!
私もそう思います。だから尋ねてくることの意味すらよくわかりませんでした(笑)

丁寧なご回答、本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/07/14 11:39

現金、資産を没収するためです。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

>現金、資産を没収するためです。
怖いですね…
気をつけたいと思います。

お礼日時:2011/07/14 11:49

新興宗教の場合は信者を獲得して自分たちの勢力と資金力を拡大したいという野望がありますが、しかし新興宗教ではなくても、例えば仏教やキリスト教のような伝統的な宗教でも「教えを広める」というのはその根源にかかわることです。



宗教というのは突き詰めればその目的は「魂の救済」です。生きるってことは、ときに苦しいことですよね。東日本大震災で赤ちゃんと奥さんを亡くした男性がいます。彼に救いを与えることができるとしたら、それはもう宗教しかないんですね。科学じゃ人は救われません。というか、科学はあくまで事実ということだけであって思想ではありませんからね。
ではそういう助けを必要としている人たちに助けを与えるにはどうすればよいか。それは、「教えを広める」ということなんです。私たちの教えを信じれば助かりますよということを世間に知らしめれば、それを聞いた人の中から助かる人が出てくる、というのが基本的な考え方です。

キリスト教なんかそのへんのパワーはかなりすごくて、アフリカの奥地に教会があったりします。そこまでかつて宣教師がやってきて布教したってことですね。イスラム教だって、中東で生まれましたがインドネシアの国教はイスラム教です。

ただ、日本人は本質的に「自分の考えを他人に主張する」というのを持たない民族です。「自分がどう考えているか、はっきりいわないから他人が空気を読んでくれ」というのが私たちの民族の特徴です。
だから、そういう布教活動そのものにあまり好意的ではないんですね。外国では、自己主張が激しい奴のほうが評価されるのが普通です。これは韓国でも中国でもそうで、日本人の特徴ですね。

私は人生に迷っていた頃、教会に通っていた時期がありました。教会の一番後ろの席にはね、信者ではないけれど救いを必要としている人たちが何人も座っているのですよ。私もそんなひとりでしたけれどもね。そんな人たちは、顔を見れば一発で分かります。みな、思いつめた表情をしていますもの。教会に、救いを求めてきているのですね。
でも、そんな「非信者」に対する教会の態度って、本当に冷たいですよ。声もかけない。教会のスタッフの人に挨拶したら迷惑そうな態度をされて、以来私は教会から足が遠のきました。助けを求める人を救ってくれないなら、それは診察しない病院みたいなものですよね。日本の仏教は葬式屋ですが、日本のキリスト教は結婚式屋です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

根底に教えを広める…というのがあるものなんですね。
信じたい人が勝手に祈る…っていう感じかなぁと思っていたので
なるほど。だから尋ねてくるのか!と解り、すっきりしました。
丁寧なご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/14 11:48

> 信仰するだけで、お金儲けとかじゃないですよね?



 いいえ。『お金儲け』と思ってください。信者が一人増えれば教団の収入はプラスに動きます。宗教ではそれを“営業”とは言わず、“布教”と言っているだけです。今この国では税金もかかりません。売っている商品は口先三寸の『心の安寧』とか言う代物です。マルクスによれば『麻薬』だそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

麻薬! 怖いですね…
そういったのには引っ掛からないように気をつけたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/14 11:45

どの宗教かにもよりますが、お金のにおいがしないのであれば、


純粋に布教したいからです。
自分が信じていることを、他人にも分け与えたいからです。
すばらしいと感じる教えを、ぜひ周りの人にも知ってもらいたいのです。

おいしいパスタの店を見つけたときに、「あそこのパスタおいしかったよ。絶対一度食べに行ったほうがいいよ!」と言うのと、程度の差はあれど似たようなものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

純粋に布教したいから…なのですね。
お昼寝時でイライラした対応を取ってしまったので、ちょっと反省です(汗)

お礼日時:2011/07/14 11:41

信者 この人はこんなすばらしい教えを知らないなんてかわいそう過ぎる 私が救わなきゃ


そしてもっとこの教えを広げなきゃ というはた迷惑な押し付けの考え

団体 人が増えれば金が入る もっともっと欲しい なんかあったら信者が暴走した事にすればいいし
知らぬ存ぜぬでとおせばいいや

本当に宗教を良しとした考えがあるなら、布教活動を信者にさせること自体が間違っているのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

お金が入ってきたりもするんですね・・・
教えて頂きありがとうございます。

お礼日時:2011/07/14 11:35

信者を増やすことが宗教団体を大きくするための使命なのです。

それと勧誘される人の幸せでもあると考えているのです。当然、彼らは良いことをしていると信じています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

そういうことで訪問するのですね。。。
ただ、祈ったりするだけだと思っていました。

お礼日時:2011/07/14 11:33

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