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正当防衛だと言っても、やり過ぎれば過剰防衛で捕まる。
だったら正当防衛って、どこまでして良いのでしょう?

例えば、青年がバスジャックした。電気街に刃物を振り回す男がいた。
その相手がこれ以上傷害を起こさないよう、不能にした。ところ、当たりどころが悪くて、犯行犯は死亡した。
そんな時には、正当防衛ではなく、過剰防衛とされるのでしょう。
しかしながら実際問題、意図も分からない・これ以上どのような被害を引き起こすか分からない人物を、どのように止めれば良いのでしょうか?
下手に手を出したら、かえって逆上するかもしれない。
そうして逆上させてしまって、望まない犠牲を伴うかもしれない。
だとしたら、確実に止める方が良いのではないでしょうか?

多分、治安維持を勤められる方々は、制圧するまでしなくとも、上手くやれば良いんだ。と言うかもしれません。
しかし、そう簡単なことでもないでしょう。
まさに机上の空論です。
相手を倒す。上手く相手を倒す。上手く自分がやられる。自分がやられる。
おそらく自分がする場合、この4種が考えられますが、難しいのは「上手く」やることですよね。
少なくとも、日本の教育では「上手く」倒したり、やられたりする技術は教えていません。
世の中には、武道やスポーツをしてる人がたくさんいるでしょうが、していない人もたくさんいます。
そんな人にも「上手く」やることを強制するのでしょうか。
だとするなら、2択。相手を倒す。か、自分がやられる。
考えるまでもないですよね。
自己防衛が認められないなら、犯行犯の行動は容認されてしまいますから。

こうした正当防衛に、どうして過剰防衛を定めるのでしょう。
もし過剰防衛に至らない範疇で行動したとして、それでも起きてしまった被害は仕方の無いものなのでしょうか?
何をするか分からないからこそ、徹底的に。かつ確実に止めるべきなのではないでしょうか?
起きてしまったことに対する処罰を与える制度は認めます。
しかし、起こり得るであろうことを罰しないのはどうなのでしょう?

日本は多くの自由を認めていますが、徹底しないことで、若者の心身は腐敗しています。
程度の分からない若者が、人を虐げ、人を殺すこともしています。
中学生がリンチをして人を殺めた。
21歳男性、34歳女性が、自分たちの赤子の関節を逆に曲げるなどの虐待をして殺した。
また、いじめ問題も深刻ですね。
それらは個々の問題なのでしょうが、裏で、徹底しない人間社会を形成する国家にも責任はあると思われます。
悪いことは悪い。良いことは良い。自由を認めた社会とは、それすら否定する。

とまあ、こんな具合です。
正当防衛と過剰防衛について、ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。

A 回答 (2件)

>>例えば、青年がバスジャックした。

電気街に刃物を振り回す男がいた。
その相手がこれ以上傷害を起こさないよう、不能にした。ところ、当たりどころが悪くて、犯行犯は死亡した。
そんな時には、正当防衛ではなく、過剰防衛とされるのでしょう。

いえ、この場合は、相手が刃物を振り回して殺意があったことが解るのでそれを阻止するために防いだにも拘わらず、当たりどころが悪かったのですから、正当防衛になると思います。
ただ、問題なのは阻止する人が本当に阻止するために立ち向かったのかどうかですよね。これは警察なら犯人と立ち向かった人の関係を調べると思いますよ?
初対面で面識がなかったのかどうか、そして周辺の聞き込み、立ち向かった人に殺意があったかどうかのね。
死人に口なし、ですので。

そして、過剰防衛というのは、正当な防衛ではないことです。まぁ弁護士みたいにカッコ良く説明は出来ませんので軽くでいいので参考程度に・・・

犯罪者がナイフを振り回しており、立ち向かった人がナイフを奪うことに成功した。すると、犯人は何も持っていないので逃げると思います。だが、普通なら警察に通報していいものを立ち向かった人は、興奮しておりボコボコに犯人に逆襲をした。
これはナイフで刺される恐怖から奪取した時に起こる人間の安心感、立場逆転法則による心理的なもので、たまにそういった感情を表に出てしまう方がいるのです。すると、それは正当な理由ではなく過剰な防衛になります。

正当防衛と過剰防衛の境界線というのは意外とギリギリなものでなく、目に見える大きな差なんだと思います。
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日本の場合は正当防衛に関してはかなり厳しい処置をとっているのが現状ですね。



>相手がこれ以上傷害を起こさないよう不能にした。ところ、当たりどころが悪くて犯行犯は死亡した。

この場合ですと、被害者をこれ以上増やさないように・・という意識は重要ですが
「本当にあなたがそれをすべきだったのか?」という部分が問われてしまいます。

もしあなたが警察官で、その様な犯人を捕らえる義務があるのであれば
犯人を「不能にした」という事は業務上の正当行為となりますし、
その際に当たり所が悪くて犯人が死亡した場合でも、
予測不可能な事故として、正当性のある業務行為となります。

しかし、その場に出くわした一般人には、
その犯人を捕らえる義務までは無いので、
各自自己防衛として逃げる事、自分の身を守る事、を最優先すべきで、
一般人が被害を拡大させたくない、という「善意」で犯人に立ち向かう事は、
それ自体が「過剰」な感情・判断・行為、となってしまうのです。

その様な過剰な善意によって、運良く犯人を取り押さえられればそれで良いですが、
それによって犯人が死亡してしまったり、
あなたが逆に死亡してしまえば、早い話、「運が悪かった」という事になってしまい、
過剰防衛での取調べ、場合によっては起訴、という結果を招いてしまいます。

つまり、本当にあなたがやらなければならない事か?
という部分が一番重要になって来る問題なので、
「善意」を求めるあまり、自分がでしゃばった行動をしてしまえば
良い結果を招けば褒められ、悪い結果を招けば責任を問われる。
というのが当たり前の答えになってしまいます。

ご存知の通り、日本では裁判でも正当防衛はあまり認められない傾向が強い国なので
その事を理解して、行動を起こす事が最も重要な事となるので
正当防衛に期待をかけるのではなく、あてにならないものとして
自身の行動を制御するのが賢い選択となるだけです。
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