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熊さん、八さん、ご隠居、おかみさん・・・など、落語の配役というか、水戸黄門ではないですが
役どころがはっきりしていて、それはそれなりに面白いと思うのです。
わかりやすい。

ただ、どうしても、「与太公」が出てくる落語が嫌いです。
うーん、確かに、与太に最終的に振り回されての、落ちだったりして、「かしこい」ことにはなるのですが、道中が聞き苦しくて、特に「与太しゃべり? 与太表情?」。
前座さんがやることが多いような気もして、聞いていて、「苦しい」

嫌なものを見せ付けられるような気分で、素直に笑う気持ちになれないのです。

それと、シモネタがどうしても・・・。
腰巻と、ふんどし・・・どまりでしょうか?

個人的な許容量が小さいのか、「股間でへびが首をもたげている」とか
文七の「女房の尻が半纏からはみだして見える」とか、・・・・笑えません。

嫌なものをみた・・・という、「心持」がするのです。

昔は、こういう、ボケネタ?色ネタ?エロネタで受けたのでやっているのでしょうが、
どうやったら、地雷として感じなくて済むようになりますか?

A 回答 (2件)

 そりゃぁ昔は今みたいなテレビもないですし娯楽も限られてきます。

情報誌と行っても限られますから。また今みたいに風俗関係とか性の表現も緩かったようですから。普通に笑える時代だったんですよ。

 今の基準からすれば嫌な話かもしれませんが、昔は普通に笑えていた時代があったのですよ。

 バカにされつつも、認められていた時代なんですよ。今はバカにしたらバカにしたままで受け入れない世界に成ってしまったが。
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この回答へのお礼

与太的キャラについては、私の幼少時の時代的教育がかなり深く
影響していると思います。
「人を指差したりしてはいけません」
「ああいう人(知的障害者)を馬鹿(からかって)にしてはいけません。」

などなど。

そうやって、教育指導をされて育ちました。
ただ、子供のころには落語は聴いてませんので、相反することを
オトナたちが笑い飛ばして喜んでいたとは・・・・わかりません。

エロ?に関しては、都都逸のようなもので、かなり危ない感じも
嫌いじゃないです。
ただ、即物的に、「へび」とか言われると、見える方向からは狙ったように
見えるのだろう(蛙方向だけ?)という、ことが私の想像力がすばらしすぎて(笑)なんだか
勝手に自縄自縛になってます。
両人が正面を見ているなら、見えるわけないし。

それも、男の蛙役が、【人】として舞台に座っている「またぐらのへび」だけを問題にして、笑う・・・・。

ちなみに、私は「腐女子」経歴をもつので、ホモ話なら嫌いじゃないですから。
そういう分野だからということでもないのです。

それに、「赤胴鈴之介」でそだってますから、ラジオドラマ的に笑うということも 馬鹿にされつつも、台詞の呼吸を読んで、ということを
体で、耳で覚えているとおもってますが、
【今はバカにしたらバカにしたままで受け入れない世界に成ってしまったが】
な落語家の演技態度に見えるから?、それを嫌悪する様になったからでしょうか?

お礼日時:2011/09/11 10:52

1.与太郎さんの落語



  最後に,与太さんが成功する部分に着目していただいたのは
 すばらしいことです.

  与太さんが聞き苦しい,なにか侮辱されているように聞こえるのは
 噺家さんの技術が下手だからです.
 
  ぜひ,
  5代目柳家小さん「ろくろ首」「かぼちゃ屋」「子ほめ」
  3代目古今亭志ん朝「大工調べ」
  3代目三遊亭金馬「孝行糖」
  8代目桂文楽「牛ほめ」
  当代柳家小三治「金明竹」
  をお聴き下さい.

2.下ネタ
 これも,話者の技量です.
 巧い方のをお聴きになれば
 まったく下品に感じずに笑うことができるはずです.
 『蛙茶番』をお聴きになったのでしょうか.
 先代柳朝師のものは,江戸っ子が受け入れるストレートな
 表現ですが,あるいはお聞き苦しく感じる方もいるでhそうか.
 6代目三遊亭円生のものをお聴きになる機会があれば
 お気持ちもかわるのでは?
  
  あとは1.2ともに「慣れ」です.
  (こいつはへたくそだな,と毎回思うだけです)
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この回答へのお礼

早速にご教授いただき、ありがとうございます。
過去の名人たちのCDとか、まだ生きている人(?!)のDVDなども
持ってないこともないのですが、どうも、見る気がしません。
TVそのものを見なくなって久しく、家で、「画面と音」を聞くこと自体がどうも、
苦手になりつつあります。
CDは以前は音楽なども聴いたのですが、コレもまた、「うるさく」感じるようになり
すごく私自身の感性がわがままになりつつあるのを意識せざるを得ません。

それで、ライブということで、寄席に落語会に足を運びます。
追っかけする「師匠」がいまして、予定が何とかなれば、行く・・・ということですが、
「寄席」ですので、各種とりあわせて・・・で。
おなじ話でも、語る人が違うと、「うまい・・・(のか)?のだろうけど、これ、笑えない。
それ以前に、気分が悪い。」
そう思うことが多くなり、「その他」の落語家さんの話をライブで聴くことが少なからず苦痛に近いものになってきての、悩みでした。
正しい落語鑑賞の「姿勢」とは?・・・でしょうか?

与太的キャラについては、私の幼少時の時代的教育がかなり深く
影響していると思います。
「人を指差したりしてはいけません」
「ああいう人(知的障害者)を馬鹿(からかって)にしてはいけません。」

などなど。

ところが、与太が指差して、「アレは・・・あはは」とやるようなことをするし
与太のことを、「お前は馬鹿だから・・・」と周囲の人は言いながら・・・。
・・・と、話は運ぶ。
なんだか、与太話一切がダメだと教え込まれたことでいっぱいなんです。

落語の入り口が、「志らく」師匠からでしたが、この方の与太の顔つきが
だめになりまして、お芝居までみにいったりしてたんですが、
やめにしました。
いま、追っかけてる師匠は、与太をやりません。
「えー、そうですね、私は、なぜか与太をやりませんね、どうしてでしょう?」と
言われてました。
ある、ファンの方が飲み会の席で、「師匠の与太がきいてみたい」と
リクエストしたときの応えがそうでした。
なんとなく、与太が出ないので、安心できるのですきなのかもしれないと、そのときに思いつきましたが。
一度だけ、追っかけてる師匠の
「金明竹」を聞いたことがありますが、与太がタダの子供っぽい人になっていて
「馬鹿」というより、「この人は丁稚のように、年若いという演出?」として
嫌いじゃなかったことを覚えてます。

「へびが・・」はまさに「蛙茶番」です。
それも、多分、回答者様がお勧めの師匠の名前を継いだかたの
トリを聞いたから・・・です。

げっ!
リアルに想像力がかきたてられて、最後の落ちがトリでこれで、
コレで帰れって・・・なんだよぉ・・・・と。

でも、へたくそ!って、思っちゃってもいいのですね?
笑っている人もいるんだけど。

あと、「慣れです」と極意を教授されましたが、
逆に、最初は面白いと思っていた、「禁酒番屋」が聞くたびに嫌になります。
「しょんべん」落ちがわかっていると、また、アレ・・・かよ・・・って。
花緑師匠の「禁酒番屋」を喜んで聞いていたのですが、
3回目には、「なんか、これ、いやだな」って。

落語が面白くなくなったら、つまらない人生になりそうなので、
多少とも「慣れ」るように、努力してみます。
ありがとうございました。
 

お礼日時:2011/09/11 10:38

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