【解消】質問投稿時のカテゴリ選択の不具合について

東電の問題、大臣辞任など様々な問題が持ち上がり、
更にはフランスの原発施設まで爆発いたしました。

哲学的に解決の方向をどう考えられますか?

A 回答 (12件中1~10件)

 はじめまして、ひどっち と申します。



 まず、我々の大先輩方達の教訓も交えて、愚見を述べてみたいと思います。

・第二次世界大戦の背景
ドイツ、イタリア(共に、第一次対戦の敗戦国)、日本などいわゆる“持たざる国家”にとっては石油の備蓄と産出地の獲得が死活問題でした。このため上記国々は海外に資源の確保と維持を求めたわけです。例えば、ドイツはルーマニアを、そして日本はベトナム、インドネシアに求めたわけです。大東亜戦争の大儀、つまり、亜細亜諸国の開放もありましたが、実際問題としまして、石油欲しさもありました(石油のための戦争といっても言い過ぎではないと考えております)。

・イラク戦争の背景
 この戦争の本当の思惑は分かってはおりません。表向きには、「イラクの大量殺戮兵器の保有」といったものでしたが、実際は、親米政権の樹立といったものが一番の理由だったかと思われます。では、石油は?と問われますと、いろんな思惑のうちの一つであったろうと考えられます(当時のCNNでは、ひっきりなしにこの戦争の是非をめぐっての報道番組が作られておりましたが、そのとき日本のメディアでは、“タマちゃんブーム”でしたが・・・。平和ボケと言ってしまえばそれまでですが)。
 以上から、石油への一方的な依存により、戦争を引き起こす可能性が極めて高いわけでございます。

 また、これも既にご回答者様が述べられておられますが、原発の推進は、オイルショックにありました。そして、徐々に(約20年ぐらいかけて)原発を作り続けてきたわけでございます。
 従いまして、石油への依存度が高まりすぎますと、思わぬ事態に巻き込まれる可能性がある、ということでございます。即、原発を停止させても、石油だけでやっていけるという人たちもいますが、極めて危険な考え方かと思われます。
 もちろん、戦争になっても、もしくは巻き込まれることがあっても止む無しという覚悟があれば別ではございますが・・・
 従いまして、少なくとも、即原発停止は暴論と考えております。


・ウラン資源について
 しかし、ウランも限りある資源でございます。このままでいけば、おおよそ2025-2030年頃には、急騰するであろうとされています(下記参考をご参照くださいませ)。つまり、原発の旨味が減じてしまうことになります。このため、一方では、新たな技術開発を進めていくべきとも考えております。原発もそうでしたが、うまく軌道に乗るには、やはり20年ぐらいは見積もっておくべきと考えられるからでございます。

参考:(公平を期するため、震災前のものを挙げております)
http://www.gci-klug.jp/fxnews/detail.php?id=74342 
http://www.jaea.go.jp/03/senryaku/seminar/s10-5. … p.38


 ご参考になれば、幸いでございます。
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この回答へのお礼

時系列で報道出来ない部分をわかりやすく説明いただいて、ありがとうございます。

なるほど。歴史はあるのに、わかりませんでした。

自分の頭の悪さに辟易いたします。

なるほど。平和ボケです。

お礼日時:2011/09/15 05:59

原発100基体制を考えるべきである。



余った電気はアメリカに売ればよい(反原発の言葉 新しい技術で送電)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地球上で個体数が激減している動物がほとんどなのに、人間はこの60年間で20億人も増えて70億人である。

何故なのかを考えるべきである。畑を開き動物から森を取り上げた。

人間の知恵により、出産での死 幼児の死 病気での死 インフルエンザー予防 検査 薬

に依って40才から85才と寿命を延ばしてきた。

人口を安定させて減らすには戦争しか人間には残されていない。が人間が最終兵器を持ったので

本気で戦争は出来ずに人口は増えてきている。

何故と問えば 人間は過去の経験を悲しみから喜びに変える努力が好きで、技術も危険から

それなりに そして 完全に近い状態まで繰り返して開発を止めることなく、現在にいたり

原発事故も、現在の原発よりも安全で かつシステム管理もよりよいものに変更して、未来に向かう事は

間違うことはない。まだまだ食うものに困らないからゆとりから 反対を唱えているが、電気料金が

高く産業空洞化の影響が感じられたならば、すぐに心は変わる。

変わる心とは、げんぱつ立地市町村は論理的に絶対安全でなく、納得できる安全性で売春の様に体を売っている

娼婦の様に、お金で維持するためであり、原発を停止している市町も、予算が組めない状態が

表面化している

太陽電池でなく、太陽光発電はアメリカの砂漠やスペインで実証されているが、太陽の熱を集めて高温のお湯で

タービンを回す変換率が60 70%で雨雲もなく可能性を秘めているが、台風で1週間雨の日本で

は夢であり、風力発電は政府の助成金で多くの市町村が発電を行い、全てが赤字で困っているほど風が吹かない。

日本海の一部とかであり日本全土では無い。

バイオ 潮流も駄目 地熱発電だけが残されているが、作ったら終わりでなく熱源が移動すれば金はかかる。

そんなことよりも 温暖化対策は20年遅れたために、台風の雨は桁違いに多く森林を壊し、40Mの風速から60Mになり

屋根の上の太陽パネルは壊される。国が災害の復旧復興に資金を出せるのは、後2回ぐらいだろう。

大正の関東大震災で 東京空襲で 国は幾ら出せましたか。

原発のエネルギーに依って加工貿易で資金を作った日本の機械は世界が工場になり、

それなりに空洞化は仕方が無いが、エネルギー節約と高い電気代では成り立たない。

ジャパユキさん 生きるためにですか 楽しむためにですか。

たった1週間食事を抜いてみませんか。原発反対する前に。
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この回答へのお礼

視点を一体どこに合わせたらいいのか、、
人口爆発もありますよね。

恐竜は議論してたら、哲学をしていたら滅びなかったのか?

お礼日時:2011/09/17 22:53

 人類にせよ、日本にせよ、存続ということは前に進むという事であり、後戻りは無論、停滞も許されない。



 人間は、
 知的論理やそのための言語使用に手を出した。
 不自然な、権力とその機構に手を出した。
 科学と技術に手を染めた。
 大いなる存在全体から切り出した自己という意識と存在、そういう個とそういう個の塊のステージに自己を投射した。

 そして原子力と原発。
 これを今、捨てることができない状況のステージに来てしまっている。存続は停滞と後退を許さない。
 しかしこれを継続する事の結果は人間自らと自然界の生命の死滅に繋がる危険を内包、含んでいる。
 昔の映画、猿の惑星が現実になりそうな時期である。どちらの選択もその先が明るくない。

 私、個人は原発廃止を採る党派を支持している。
 私、個人はそして停滞と後退が不可能であり、人類の科学と技術の可能性を期待する考え方を取りたい。
 当面、自粛をしながら、より安全性と管理性の技術開発を期待していきたい。
 人類にはそれが可能だという思考をしていくべきであろう。
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この回答へのお礼

そうですね。理屈や歴史に学べない領域の部分。

そういう事も感じます。

人類が始まって、地球を壊すかもしれない大きな時を迎えたのか。

気が重くなります

お礼日時:2011/09/15 21:08

>そう考えると、、皆の意見は一致しないでしょうね。



視点を変える必要はないかと思います。あくまでリスクとリターンに関する喩えですので、全ての人がリスクをとるかとらないか(喩えだとバイクにのるかのらないか)を考えることが前提です。
何を言いたかったのかと言えば、原発反対派はリスクをいいつのるのではなく、喩えの話であれば「車でも間に合うのではないか」「会社は別の方法で盛り立てられる」という方向の議論が必要なのではないか、ということです。
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この回答へのお礼

なるほど。わかりやすい。
固くなっている頭が開いたような。

閉じた考えをはじめていました。

そうか、そこから開いていく事が大事なんですね。

お礼日時:2011/09/15 06:45

 ただ一人,何も所有せず真っ裸で純粋な(人が住むべき)自然環境の中に放り出されたら,それでも人は生きてゆける。

というか,人類は生き延びてきた。
 ところが,そういうわけにはいかないような人工的な環境というのがある。もちろんそこは住むべからずの人為的規定が有ったりする。

 人為的規定がはたして正しいのかどうか,また正しいとしても,それをどこまで人間が守れるのか疑問である。だから人類の社会的な進歩(科学技術力や社会システムなど)に並行して,【個人の質を高めることが大切】である。
 それには,個人知性が顕在的な人類知以上の知性(総合顕在知に加え,暗黙知や徳性などを備えた知性)となることが必要と考えられる。科学技術や社会システムの理解程度の自覚があり,分をわきまえた行動ができるかどうかが確立しなければ,科学技術と社会システムは誤作動をまぬかれないからである。(いわゆるヒューマンエラー)

 人類が脱原発の道を選ぶかどうかによらず個人が正しく生きることができる力をもつことを強調したが,その他に考えなければならないこともある。それは,人類が自滅の道を選択するまでもなく,自然が人類滅亡を必至とする未来を用意しているということだ。太陽系の消滅である。

 したがって,超長期的に,自然との共存の道は人類滅亡の道である。自然を乗り越えなければ生き残れない時代が,必ずやってくる。対自然の道を選ぶなら,超長期的視野の内に,人の欲望が自然に向かい合ってきたこの時代の愚かさも,いずれ持つべき自然に対する力の源泉であるのだろうとも考えられるのである。

 人類が滅亡しないためには,いかなる環境おいても生存する生命であり精神でなければならない。現代科学の示唆するところでは,エネルギー精神としての存在であらねばならない。すなわち宇宙の塵となっても,さらにその塵さえ消滅したとしても,エネルギーとして人類の系譜を保存した精神であらねばならない。
 こう考えるとまた自然に戻り,宇宙の法則に違わない精神を主義とすることになる。これがすすむべき道だと私は考えたのである。

(1)従自然(太古の時代)

(2)反自然(歴史時代)

(3)過渡期(現代)

(4)和自然と和自然への反省の時代交代(近未来・・・といっても超長期)

↓ 惑星系規模の調和の時代

↓ 恒星系規模の調和の時代

↓   生存環境の現実的維持(地球環境保護)と想像的開発(宇宙開発等)のエネルギー配分。

(5)超自然(超未来)
↓ 自然を超えなければ人類存続が実現しないという終末的時代

  ・・・精神即自然主義。これが私の,おそらく今後も変わらないであろうと思える結論だが,現実的解決(社会にどう働きかけるか)は定まっていないし,働きかけるべきなのかどうなのかも分からない。自己満足的解決なのである。


 
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この回答へのお礼

自然の摂理と申しましょうか。
そこに反発するものを進化させても、滅亡に向かうのではないか。

確かに。そういう考えも持っています。

あちこち考えてまとまらない。

質問させていただいて良かったです。

大統領や首相。。難しいだろうなぁ。。

お礼日時:2011/09/15 06:41

#5です。



>飛行機は絶対の安全とは言えない。落ちたからやめる?は安易な事??
本当はどちらが結末なのか。

たしかにそういうことをおっしゃる方もいらっしゃいます。
ロシア政府の高官が、水力発電だって、ダムが決壊したら下流の町村では大被害が出る、といった発言をしたことがあります。

ただ原発被害との大きな違いは何かというと、
『一旦間違いが起こった場合、空間的にも時間的にも収束までに多大の影響を及ぼす。というより収束を確認することが不可能に近い。すなわち収束の手段を持ち得ていない』
ということです。

飛行機は落ちるものです。
乗る人は、そのリスクを承知で乗っています。あるいは乗るべきです。
住宅街などに落ちる場合もあるでしょうが、それを別にすれば、仮に事故が起きても、そのリスクが現実となるだけです。
範囲も限定されます。

機械文明ははっきり言うと人体実験の上に成立しています。
車もそうでしょう。
本来は絶対自事故のおきない自動車なりシステムが開発されなければなりませんし、将来的にはそうなるでしょう。
ただ、人間の好奇心は、そのときまで待ちきれないわけです。

こうした人間の特性を全て否定することは不可能です。
しかし、原発ほどの確実に不測の事態が起きて手に余るものを、目先の損得、あるいは単なる好奇心の餌食にしてしまうのは、どんなものでしょうか、というのが私の考え方です。
    
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この回答へのお礼

なるほど。よく勉強されているのですね。
考え方が丁寧ですし、わかりやすい。

事実をきちんと確認された上で、ご自身の意見も
威圧感はない。

見習いたいです。

確かに、なるほどと。
そういう事実を確認した上で、哲学は必要となりますね。

最後のあたりの回答を読み感じました。

回答、ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/15 05:47

喩えを考えてみました。



ある日、締め切りギリギリの書類を届けなければならないとして。間に合わなければ仕事は失敗し、会社は大損害で倒産しかねない。
時間は差し迫っている。車では渋滞があればアウトだ。そしてこの時間はほぼ間違いなく渋滞している。手詰まりだ。
しかし、
バイクならどうだろう。バイクで限界までとばせば間に合うかもしれない。とばすからには、事故れば仕事どころかほとんど死ぬだろう。あいにくの雨でリスクはさらに跳ね上がっているが…
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この回答へのお礼

そう考えると、、皆の意見は一致しないでしょうね。
上司、自分自身、親、兄弟、バイクの販売人、保険会社など。

No.1の方がおっしゃるように、その結末を望むものが一致しない限り。

特に、第3者などになったなら、余計に結末は変わってくるでしょうね。

回答、ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/15 05:39

そうですね。


哲学的にということになるかどうかわかりませんが、まず現状があって、その中で私たちは生きていくしかないわけですが、そのままで果たしてよいのだろうか、という問いかけは常に必要だろうと思います。

人は動物と違って本能的には弱い存在なので勢い道具に頼らざるを得ず、それを生み出す能力も備えています。
ところが、この能力には好奇心という要素が常に伴走しています。お互いにけん引役になっているようにも見えます。
本当に能力があるのであれば、たとえば絶対に事故を起こさない自動車、絶対に落ちない飛行機、あるいは絶対に安全な技術が生み出されなければなりません。

しかし、どんな絶対も、それを操作するのが人間である以上、必ず間違い・誤りは生じます。
原発の場合、問題は津波だけではありません。
想定外の規模の地震や地殻変動、テロなど様々な自体が想定されます。
むろん、どんな技術であれ事故・事件・間違いは生じるでしょう。
大前提は、間違うのが人間であるわけですから、この点に目をつぶらないということではないでしょうか。

この大前提のもと、原発の最大の問題は、一旦間違いが起こった場合、空間的にも時間的にも収束までに多大の影響を及ぼすということです。
というより収束を確認することが不可能に近い、ということでしょう。
校庭の表土を削ったりしてお茶を濁していますが、その表土はどこにどのように処分しているのでしょうか。
水を吹きかけて除染などと言っていますが、海や地下に放射能を移動しているだけではないですかね。
今は福島で騒いでいますが、チェルノブイリ事故が起きたのはわずか25年前です。放射能は広範囲に広がりました。その影響を受けた作物・魚介類などが市場に出ていないという確証は誰も与えることができないはずでしょう。
セシウムが土壌だけに限らず、魚や海草などに長年蓄積され、どの時点で人間にどのように影響を及ぼすのか知ることが現在の人間の能力ではできません。
つまり、完全に制御する能力がないまま原子力を利用しようとするのは、その影響の未知数ということを勘案すれば、よろしくないのではないか、ということです。

事故など不測の事態以外にも、放射性廃棄物をどうするのか、という問題があります。
一時は海中に投棄していた国もあるようで、宇宙に打ち上げるなどという案も散見しますが、当面は地中保管ということになるのでしょう。
原発がある以上、次々と廃棄物は出ます。これを常に安全に、そして完全に保管し続けることが果たして可能でしょうか。まず無理でしょう。
そして、これも一旦外に漏れ出すとそれを制御するまでに広範囲で多大の、しかも深刻な影響を及ぼすことになります。
しかし、現状を急激に変えることもまた色々な面で負荷がかかります。

原子力は、ゆるやかに代替エネルギーに切り替えていくしかありません。
代替エネルギーに関する不安定性が一番の問題でしょうが、それは技術力や発電・送電システムの改良などで十分解決できるはずです。
現在は切り替えの推進時期に当たります。
ロケットと同じように多大の当初推進力(税金)が必要とされますが、それは今まで原子力という幻想に酔ってきた現代人が払わなければならないつけのひとつと言えるでしょう。

今回の福島での事後処理は延々といつ果てるともなく続いています。
すべてが税金です。
事故が絶対に起きないという宗教的、盲目的信仰から目を覚ました上で、これらのことを考えれば、原発の経済性などもまた幻想であったことは容易に理解できるでしょう。
自分は原発の近くに住んでいないから関係ない、と言う方はおそらくいないと思うのですが、原発の近くに住んでいたらどうだろうか、という想像力。
そして、この経済性に対する論理的な見直し。
最初にあげた、原子力の制御不可能性に伴なう影響の深刻さ、とともに、これら3点について冷静に考えてみる時期ではないかという気がします。
    
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分がないと感じる行間を埋めていただいている感覚です。

長い期間がかかる。絶対の安全はない。ミスが起きた時は身体や自分達の税金にも影響。
あらゆる困難が待ち受けていますよね。

ですが、下記の方々の意見も含めるなら、
飛行機は絶対の安全とは言えない。落ちたからやめる?は安易な事??
本当はどちらが結末なのか。


本当に難しい問題ですね。

丁寧にありがとうございます。

お礼日時:2011/09/14 17:48

哲学の問題とする以上、日本の国内行政に限定するわけにはいきません。


人類70億人のエネルギー問題として考えるのが哲学のアプローチです。

中国の13億人とインドの12億人にアメリカ人と同じように夏は冷房を入れて快適に過ごしたいという希望があると思うので、これを賄う電力を化石燃料で発電するか、原子力で発電するか、が現実的選択肢です。

現実的選択肢のなかでは、原子力発電を選ぶしかいないでしょう。
化石燃料の発電を選んでも、地球としてそれだけの化石燃料を供給できないと考えます。

アメリカ製の原発や、インド製、中国製の原発だけではなく、日本の原発技術もこの地球的問題の解決に貢献するべきだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。凄くわかりやすいです。

反対意見が目立っていたので、政府以外の賛成派の方は新鮮です。

色々な方面から考えたいので。

ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/14 17:38

原発について



○日本人は忘れやすい国民ですね。
日本が原発を推進した最大の理由は、つい30年ほど前に日本中をパニックに陥れた「油断」だったですね。オイルショックということですが、日本には石油も石炭、天然ガスもないので、それが絶たれると国家としての存続が危ぶまれるということで、原発が推進されたのですね。
当然、原発推進のリスクと、油断のリスクを天秤に掛けたわけですね。天秤の結果で原発推進に到ったわけですから、原発事故のリスクは折込済みのはずなのですね。
今回の事故にせよ、津波の想定が甘かっただけで自動停止などは立派に動作してますから、最小限のリスクであったといって良いと思いますね。
日本は他の国と違ってエネルギー資源がありませんので、いかに原発を安全に使用して国を繁栄させるかは国民に課せられた課題ですね。代替エネルギーが十分にその力を発揮するまでは致し方ないでしょうね。まあ江戸時代に戻りたいと考える方もいるでしょうが、そのような国は他国に侵略されて国土をなくすだけですから、中国やロシアの奴隷でなく日本人でいたいと考えるなら、賢く振舞わないとだめですね。こういう騒ぎを見るに付け、頭を切替、歴史に学ぶべきだと思いますね。
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この回答へのお礼

原発を安全に使っていこうと言うお考えですね。
そうなんですよね、単純に危ない、止めろでは退化になると言う意見もあり、、
それも確かにと。。

歴史に。

回答、ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/14 17:33

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