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人類はどんな目標を持つべきですか?

A 回答 (9件)

あくまで私見ですが、次の2点に集約されるかと思います。


1、物質文明の進歩
2、精神文明の進歩

(補足)
・文明=豊かさ、である。
・両者は車の両輪の関係でなければならない。
・両者のバランスが崩れると持続可能性は閉ざされる。
・物質文明だけが際限なく発展し続けることはない。
・精神文明は個人の幸福度・豊かさと比例することを意味する。
・両者が両立可能であれば、世界平和と個人の幸福の両立も可能である。
・必要なのは個人、民族、国家等それぞれのレベルにおけるエゴを克服しうる
 自律的かつ普遍的な思想、哲学もしくは宗教である。
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お礼日時:2011/10/22 10:54

物質に本質的な目的性はないが、それゆえエントロピー増大=淘汰として、常に生物の目的を「生きること」に収斂させる。


それは、個人の意識において、「意志の達成=充足の追及」となる(それに反対しても、それも意志の達成として充足追及となる)。
つまり、「人生を通算した精神的充足量の最大化」のみが本質的目的。

それは肉体に付属した感覚器官に基づくものゆえ、短絡的・即物的に思われがちだが、3つの点で、そうではない;

1.「人生を通算した充足量」を構成する関数は、欲求の強さや達成率だけでなく、それを感受する上で「認識の深さ」が大きな要因であり、麻薬的な感覚的快感とは反対の方向性を持つ。(意味的深さ)

2.「人生を通算した充足量」を目指す上においても、「認識の深さ」によって人生全体を見通し、短絡的衝動をコントロールする必要がある。(時間的長さ)

3.分業化や組織化において人が社会性をもつにつれ、自己の生存の成立に、社会全体の活動が必須となり、真に「利己的」であるには、社会全体の自己の肉体と同等の自覚化(他我化=愛)が必要となる。(空間的広がり)

こうした「自己の肉体の外における『人生を通算した充足量の最大化』の要因=社会行動」を自覚的に行なわずに、政治(法規)や経済(お金)、宗教(善悪)、慣習(正義)、など、他律的に行なう時、そこに先入的価値が生じる。
それは自律的社会行動=助け合いとしての労働=生きる事自体による充足から乖離した、お金や地位といった馬車馬の目の前のニンジンによる非自覚的社会行動、法規やモラルといった外的権威による自由意志の抑制といった、「アメとムチ」による他律的生に堕しているのだ。
社会性の発達において、他律的方法論をとったという事は、自発的な意思によって生きていない=「精神的充足量の最大化」という、意識が到るべき真の目的において、人類は衰退しているという事だ(組織的には発達しても)。

これらをまとめると;
1. 我等は、認識する個体である。
2. 我等の生存は、意志の結果であり、幸福の追求としての本質を持つ。
3. 幸福とは、認識に於ける意志と、その達成の認識により成る。
4. その個体的追求は、生存と認識に於いて為される。
5. その環境的対応は、生存は生産として、認識は学習として現れる。
6. より大なる学習は、より大なる社会的生産を可能にする。
7. また、より大なる生存に於いて、より大なる認識は可能になる。
8. これらの過程の認識とその意志化は、最大の生存と最大の認識に於ける、完全な充足を実現する。
9. そして、それらの統一的計量は、認識の深まり及び有効エネルギーの不可分な指向として、反エントロピーとして求められる。

10. 反エントロピーとは、宇宙の起源としての、絶対無=無限不確定性の潜在(有限)たる認識の自我仮説性(時間性~進化)の定性化である。
11. 潜在的認識性に対する相補的環境は、その認識の有限性による相補性の非自覚化により、他律的対象(=時空仮説)化する。
12. その他律的環境への反エントロピーの敷延は、自己矛盾として生じる環境を、その先入たる、仮説的時空性に於ける個体的有限性を、超越する意志化により、補償するものである。
13. 換言すれば、真理の限界は、愛により補完され得る。
14. 先述の要素との対応に於いて、真理とは認識の深化であり、愛とは社会的生産への意志に他ならない。
15. 宇宙の原理的本質は、自我成立の為の相補であり、そこに於ける完全な自覚に基づく完全な意志は、真の環境としての無限性=完全な自由を保証される。
16. この、利己と利他、あるいは唯物と唯心を包含した、完全な“自己”完結的過程には、金や地位といった外的価値、また主義・宗教他いかなる権威も介在し得ない。
17. 我等は、愛によって真理を成し、真理に於いて愛を為し、而して幸福なるべくのみ存在するものである。
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お礼日時:2011/10/22 10:54

地球上の人口を30億人前後で安定的に維持することを目標にするべきです。



現状から40億人をどうやって減らすのかが当面の課題です。
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お礼日時:2011/10/22 10:53

 こんにちは。



 互いに話し合うということ。

 話し合って 互いに分かり合うところまでたどり着くということ。

 違いや対立する利害について互いに理解し合い さらに互いに話し合って解決していくこと。

 さしづめ こんなところでしょう。


 * 自分の話したことには 説明責任を持つ。それはどういう意味かと尋ねられて答えないということがないように。

 
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お礼日時:2011/10/22 10:53

平凡ですが、こんなところでしょうか。



1)戦争をなくすこと。
2)民族、あるいは人種という観念を抑圧のために使うことをなくすこと(差別しないこと)。
3)安らかに生きることと死ぬ権利が万人に行き渡ること。
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お礼日時:2011/10/22 10:53

そもそも、そんな目標など持つべきでは


ないと思います。

そんな目標が今まで何の役に立ったのか、という
ことを考えて下さい。
害悪ばかりではなかったでしょうか。

戦争を止めて、平和?
戦争を含めた争いがあったから、人類はここまで
やって来られた、という言い方はできませんか。
戦争を繰り返して来た欧州が、欧州の価値観が世界を
席巻しているのは偶然でしょうか。

争いがあったから、切磋琢磨してきた、科学技術が
発達した、倫理や道徳感などが発達してきたのでは
ないですか。

悪が存在しなければ、善も存在しないのです。

そんな大層な目標など立てないで、身近な問題をこつこつ
解決して、試行錯誤を繰り返してやって行くしかないと
思います。

目標を立てる?

人間は、そんなに賢くないのでしょう。
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お礼日時:2011/10/22 10:53

遠い未来の


人類の滅亡を受け入れるか、
抗うかの二択だと考えてみます。

抗う場合には、テクノロジーの進歩に一縷の望みをかけ、全てを踏みしだきながら、現代文明の歯車をさらに加速させなくてはならないでしょう。
地球は人間で溢れ、草木や鳥獣魚類は失われ、
それでもテクノロジーで生み出した糧秣を喰らい生き延びて、恒星間航法を確立して他星系に移住しなくてはなりません。

想像すると、ちょっと疲れますね。

一方、
例えばエピクロス風に、
友人たちとの楽しい語らいが、死に至る道をあたたかく照らしてくれる、
とするならば、
草木や鳥獣魚類に世界を譲り、滅亡を受け入れる道もあるのではないかと思います。

個人的には、
アマガエルには生きてて欲しいなぁ…。
TPPで競争が激しくなって、ネオニコチノイド系農薬をばんばん使ってコスト削減して、
そして虫がいない世界になって、ツバメや雀もいなくなって、アマガエルもいなくなって、
不毛な国土になりそうな予感。

やせがえる
負けるな一茶ここにあり

そんな情緒はとうの昔に忘れ去られたんでしょうかねぇ。
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お礼日時:2011/10/22 10:53

“人類”という大層な生き物は存在しません。



個々の一匹ずつの“人間”という生き物でしかないと思っています。

“人類”と名付けた瞬間から、他の動物と一線を置いた特別な生き物と勝手に思っている気がします。

単なん一匹ずつの生き物として人間の目標は【死】であり【生】だと思います。
全ての生き物が行き着く先、向かうべき場所だと思っております。

年齢、性別、種類、関係なく【死】に向かうからこその【生】だとも思っております。
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お礼日時:2011/10/22 10:52

動物の欲求と人間の欲求は、違います。

脳が発達していない動物は、無我なので、自然に順応した生存欲求だけです。人間は、脳が発達したために自我意識が生まれました。このため理性が知的欲求が発生しました。しかし脳や自我は、自然と対立した存在です。だからこの世界で、脳や自我は、意識を拡大したい、自然を支配したい欲求があります、それが、理性、知的欲求、自然征服、自然破壊になっています。 だからこの世界の構図は、不調和世界の代表である脳と、調和世界の代表の自然、神が出会うために作られた、仮の世界です。仮の世界だから終わりがあり、仕切り直しになります。マヤ暦では、2012年が終わりだそうです。終わると、それぞれ元の世界へ帰ります。脳は、脳の世界へ帰ります。人は、神の子だから神の世界へ帰ります。
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マヤ暦が2012年で終わりとの事を御信じの様ですね。
2013年はもう人類はなくなるのですか。

お礼日時:2011/10/23 17:03

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