「何故、世の中ではこうも理不尽な事件や事故が起きているのか?」まともな知能
と良心がある人なら誰でも考えたことがあることだと思います。私も日々考えてお
ります。話し出せばきりがありませんが、結論だけ言わせて頂きますと、やはり、
宇宙法則が不完全だからではないかと思います。
皆様のご意見をお待ちしております。

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A 回答 (24件中1~10件)

宇宙の法則を造ったのは人間です。


人間の欲望が理不尽な事件や事故を造っているのです。
人間の欲望→人間の悪→病気事故災害などの苦しみ。
これを繰り返しているのです。

人間の世界を住みやすい平和な世界にすることは不可能です。
地獄を住みやすくしようというのと同じです。
だいじなことは、死後、再び人間の世界には生まれないことです。
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宇宙というより、動物という存在が自己矛盾を多く持った生物だと思います。

自力で栄養が作れる植物に対し、他の生物の犠牲無しには個体を維持できないという動物は大きな欠陥を持った生物だと思います。
以下は偶々見つけた、小学生のホームページですが、そういった感じのことを描いているお話だと思いました。

参考URL:http://www.wakuwaku.ne.jp/jun/story/erth.html
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宇宙法則が完全か不完全か?そんなもの私にはわかりません。

もっとも何をもって宇宙法則とするかも私には判りません。

しかし人間の理不尽な事件や事故はその宇宙法則が不完全であるからという理論は成り立たないと思います。
理由は宇宙にとって「そんなことはどうでもいい」ほど些細なことだからです。人間が殺しあったって、はては滅亡したって宇宙は痛くもかゆくもないからです。人間が核戦争を起こして人間が滅亡しても地球はそのまま残るでしょう。仮に地球が壊れても宇宙全体からすれば何の影響もないでしょう。
古くなった人工衛星のガラクタも人間には問題でも宇宙には何の興味もないでしょう。

なら宇宙は人間に対して責任を持っていないか?と言うとそれは否だと思います。私たち人間は自由にさせてもらってるのだと思います。だから繁栄しようが滅亡しようがそれは人間の勝手です。宇宙をも破壊するような力を手に入れたときは・・・とは多分無理ではないかと思いますし。

ですから理不尽な事件や事故は人間の手で解決しなければいけないと思います。
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No.5の補足に対する回答です。



>犯罪は必要ないが犯罪者は必要というのは矛盾していると思いますが。
全然矛盾してません。「脱常識の社会学」は読んでいただけたんでしょうか?
つまり「犯罪処罰の社会的目的は、犯罪者に対して実質的な効果をもたらすことではなく、公共の利益のために儀礼を執り行うことにある」って事です。
で、「あらゆる社会がそれぞれに特有の犯罪の型を作り出す」わけです。
例えば、清教徒たちは魔女の犯罪を、資本主義社会は財産に関連する犯罪を、社会主義社会では政治的犯罪を・・・。
魔女なんて、現代の日本人から見れば、犯罪でもなんでもないけど、当時の清教徒から見れば、犯罪そのものであって、それは清教徒の社会が「魔女」という処罰される対象を必要としたために、みずから作り出したって事です。

>それは、いけにえの思想、強迫観念と同じレベルの話だと思います。
ほとんど同じレベルって事です。

>こちらも矛盾しているようです。法律が厳しくなる→犯罪がゼロに近くなる→
>犯罪者を生む、と言われているんですよね。
処罰の対象が必要なので、今までは「犯罪」とされていなかった行為を、新たに「犯罪」と定義し、処罰の対象にするんです。

>利己的遺伝子の話は知っておりますが、あれは単なる仮説にすぎませんし、
科学ってのは、全部仮説だと思います。(科学技術じゃなく科学)
ちなみに、「脱常識の社会学」で述べている事も仮説だし、あなたの言っている「宇宙の法則」って言うのも、仮にそう言うものがあると仮定して言ってるんですよねえ?

>あの説では、血のつながりも何もない人を命を捨ててまで助けようとする人の行動は説明できませんよね。
「利己的な遺伝子」をちゃんと読みましたか?
「利他的な行動のための遺伝子」に関する説明が4章遺伝子機械(P100あたり)に書いてあります。

念のため言っておきますと、僕は「脱常識の社会学」や「利己的な遺伝子」で述べられている事が「すべて事実だ」と思っているわけではありません。
そこで述べられている事が、それなりの説得力を持って、世の中の出来事を説明していると思っているだけです。
で、あたたの疑問の解決にすこしでも役立てばと思って、紹介したと言うわけです。
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以下、hioxさんの補足に示された疑問に対する完全な回答を提示します。

先に結論を述べ、次に詳細を説明し、最後に結論をまとめます。

hioxさんがどこで躓いているか、私にはよくわかるような気がします。前にも言ったように、私も随分昔に、同じようなことを考えていた時期があるからです。

繰り返しますが、宇宙法則が完全か、不完全か、という問い自体が誤っているのです。「宇宙」と「人間の作ったもの」を峻別すること。これを理解しなければ、それ以上一歩も前に進むことはできません。

>私は、人間よりも宇宙の法則のほうが先にあるのだから先にある方が正しく、後
>に発生したものが判断をくだすのは間違えだ、宇宙法則と人間が作り出したものは
>関係ないとするのには疑問を感じます。何故、先にあるものは無条件に正しいこと
>になってしまうのでしょうか。

全く違います。宇宙の存在そのものが無条件に正しいなどということを私は一度も述べていません(他の回答者にはそういう回答があったのかもしれませんが)。

「正しい」「正しくない」という議論を行うことが可能になる以前に、まず宇宙が先立って存在するのです。

宇宙が先にあるから正しい、のではありません。「正しい」「正しくない」という人間の判断そのものがよって立つ絶対的前提のひとつが宇宙法則なのです。絶対的前提を認めなければ、そもそも「正しい」「正しくない」という議論そのものが不可能であり、無意味なのです。

このポイントさえご理解いただければ、補足に示されたような疑問が氷解します。

以下、詳しく説明しましょう。

>まるで、先輩後輩の関係のようですね。先輩がいく
>ら無茶苦茶でも、先に生まれた人なんだからという理由で、正しいとするのに納得
>がいきますか。

宇宙は「先に生まれた人」ではありません。そもそも、宇宙が生まれる前に何があったと思いますか。宇宙は人間も動物も何もないときから存在していたものです。「先輩」と同列に議論することは不可能です。その理由は、次のようなことです。

>むしろ、先にあるものは後のことを考えて責任をもたなければならないのでは
>ないでしょうか。

先輩に対して「後のことを考えて責任を持て!」と言うのには意味があります。同じ宇宙に住み、人に影響を与える行動をとっているわけですから。

では、宇宙に向かって「後のことを考えて責任を持て!」と言うのでしょうか。そのことにどんな意味があるのでしょうか。

宇宙に「責任」はあるのか。あったとしたら、それはどういう意味があるのか。それを以下に説明します。

>とにかく、ものごとの結果には原因があります。良い結果をもたらすにはその原因
>を替えなければいけません。原因を替えずして、結果は変らないですよね。不完全
>な人間を作り出したのは、完全な宇宙法則なのでしょうか。どうして、完全なもの
>が不完全なものを産み出すのでしょうか。

全ての結果には原因がある。これは正しい。不完全な人間や人間社会には原因がある。原因を変えることで結果を変えようとする。これも正しい。では、人間の行動、価値観、倫理感を正して、今の社会をもっとよくしようとする。これも正しい。

原因を宇宙法則までたどったとする。「この宇宙法則が間違っている!」と結論したとする。そこで、「ではこの宇宙法則を変えよう」と言って変えられるのでしょうか。変えられないものを間違っている!と断じることにどんな意味がありますか。

宇宙が絶対的前提であるというのはそういうことです。

一方、理不尽な法律があったとする。「この法律は間違っている!」ということには意味があります。法律は人間が作ったものであり、変えられないものではないからです。

正しい法律(社会、国家、政治、学校、企業、その他人間の作るもの全て)を作るためには、絶対的に変わらない存在である宇宙を知り、その法則を把握することが必須条件です。

>それから、宇宙と人間が作ったものは無関係ではないと思います。それは、人間と
>いえども無から何かを作り出したわけでなく、人間が作ったもの、起こしたこと
>は、最初から自然の中にそれを引き起こす可能性があったからこそ、起こせたの
>ですから。

無関係どころか、宇宙の法則を知ることによってこそ人間が意図したものを作り出すことができることは、上述した通りです。

>それに、人間が何も作っていない時から災難はあります。例えば、人間でも動物
>でも自然災害にあうように。

そのとおりです。そして、宇宙法則、自然原則を知ることによって、災難に遭うリスクを回避したり、軽減したりすることが可能になるのです。動物は本能によってしか災難に対応できません。人間は知性をもって宇宙を知ることによって災難に対処することができます。

宇宙を敵に回しても何の意味もありません。絶対的前提としての宇宙を味方につけることです。そのためには、宇宙法則の何たるかを知り、何が不変で、何が可変かを知ることです。

「変えられないものを受け入れる力、そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」と宇多田ヒカルが歌っていますが(Wait & See, Risk)、これの原型は、

Grant me the strength to change that which needs changing, the courage to accept that which cannot be changed, and the wisdom to know the difference.

という古い箴言にあります。変えるべきものを変える力、変えられないものを受け入れる勇気、そして変えられないものと変えるべきものとの違いがわかる知恵。知能と良心がある人間が、理不尽な世の中で生きていくために必要な資質を端的に表しています。

この箴言の持つ意味を、具体的に理解できたとき、理不尽な事件や事故が起きている世の中で、希望をもって毎日を生きていくことができるようになるでしょう。

以上、この問題に対する私の見解の全てを提示しました。思考の前提が間違っていれば、その後の思考結果は全て間違ってしまいます。前提を正すお手伝いをできればと思ってこの回答を書いています。納得がいかなければ質問を重ねる前に上述のポイントを自問自答して熟考してください。必ず出口はあります。

どうか霧が晴れて hioxさんがブレイクスルーを迎えられますように。
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あまりに、回答が多いので他はみないことにします。



まず、宇宙の法則の影響で人間が影響することは無いです。

そして、宇宙の法則は完全です。
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 補足を拝見しました。


 「法則」なるものについての御理解に、私との隔たりがあるようです。さしあたって、ここでは自然科学的な法則ということでいいですね? それで話を進めます。
 法則は、自然観察や自然理解の結果導かれたものであって、自然現象の振る舞いをある程度予測することなどには「活用」できますが、直接人間の生活を左右するものではありません。科学技術による「応用」を経れば役に立つこともありますが。
 それに、もし「変更可能な法則」というものをお考えならば、それ自体が自家撞着しているように思います。私たちは「普遍的に妥当する」、したがって時や所により変化することのない規則を「法則」と呼んでいるはずですから。ですから、未発見の法則もありうるということは、「法則を変えることができないとは言えない」ことの根拠にはなりません。

 それから、宇宙に「目的」を想定することも、「意志」を想定することも、あまり安易に取るべき立場ではないように思います。そのような想定も主張することは可能ですが、あくまでも現実的で科学的な、地に足のついた推論と検証を経た上でないと何の説得力も持ちません。
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>あなたは、半分腐ったものを切り落とさず全部食べますか。



いや、腐ったところは捨てますね。(笑)

でも、それは理不尽だからではなくて、単に嫌だからです(笑)
好みに理屈はあるかもしれませんが、僕には分かりません(笑)
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面白そうなので参加してしまいます(笑)。



宇宙はまるで計算しつくされたかのように膨大な物事を動かしている。一見完全です。しかしもし今の宇宙が試行錯誤の末の状態であったらどうでしょう。つまり最初に一瞬にして今の完全な状態にではなく、実は最初は今ほど安定してはなくそれは凄まじい失敗(不安定な状態というほどの意味で)だらけで段々安定してきたのだという事です。生物、無生物共に物事安定な方向に進みたがるようで勿論人間にも当てはまります。

とすると、今は完全に見えても流れの途中に過ぎずこれから崩れ得るということなのではないでしょうか。つまり完全は存在し得ないということです。

そんな世界に生きている人間が完全なはずがないのは言うまでもないですが、さらに人間は理性を持ってしまった。考えが相対的になってしまうことからは抜け出せません。絶対です。つまりある考えに対し必ずどこかでおかしいぞ、という声が挙がる。考えには必ず範囲と主体が存在するからです。

それでも人間はこの時代までにまあ安定に近づいてきているのかもしれません。ですがやはり完全な安定というのはありえない。つまりその安定から外れているのが世に言う理不尽な事件や事故なのではないでしょうか。さらには理不尽なことの内容自体もまた変わり続けるので必ずどこかで理不尽と一致してしまう考え、事象が存在すると思います。まあ常識をどう置こうと無くなりませんな、理不尽は。

う~ん。なんかもっと色々な方向からアプローチしてみたい気もしますが今回はこの辺で失礼します。
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先日回答したmarutakaですが、追加回答をします。


おっしゃる“宇宙法則”とは物理的法則と解釈しますと、例えば天体がそれぞれの軌道を外れず無事に回っていること自体が、完全そのものではないでしょうか?しかし、貴方が言及されているのは、もっと具体的な実生活面でのことであろうと考えます。とすると、そもそも異なる次元の事柄を、同じ視点から捉えようとすること自体が間違っているのではないでしょうか?後者は人間の自由意志の問題であって、宇宙法則とは何ら関係がないと思います。
 
 
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どなたか、ご教授をお願いいたします。

Aベストアンサー

すでに、全称命題の復習をされたらいかがという、適切と思われるアドバイスが出されていますが、念のために。

「結論」という件を横に置く為に同等な例を出しますが、

命題A)すべての命題は偽である。
をちょっと考えて見ましょう。
命題Aは偽です。自己言及形の命題ですが何の問題もありません。
この命題Aを何らかの手段で証明しようとして、例えば、命題Aを真だとすると、などと考えると、そこでいきなり終ってしまうので、面食らうことはあるでしょう。それだけのことであって、パラドックスでも何でもありません。証明をする必要がないくらい自明な、「偽の命題」であったというだけのことです。元々命題には、「真の命題」と「偽の命題」が在る。

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P)全ての結論は間違っている
は、「結論」と呼び得るものとは何かという厳密な話をする必要もなく、偽です――なぜか――。結論が「偽」であるケース、即ち結論が間違っている場合はあるでしょうが。
したがって、
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――もっと簡単な話としては、
我々が或る命題を「結論」と呼ぶのは、我々が正しい命題というものを持ち得る=在る、と考えていることを基礎としている訳だ。したがって、「全ての結論は間違っている」と誰かが言えば、「そんな、アホなことを」、で終わりでしょう。

すでに、全称命題の復習をされたらいかがという、適切と思われるアドバイスが出されていますが、念のために。

「結論」という件を横に置く為に同等な例を出しますが、

命題A)すべての命題は偽である。
をちょっと考えて見ましょう。
命題Aは偽です。自己言及形の命題ですが何の問題もありません。
この命題Aを何らかの手段で証明しようとして、例えば、命題Aを真だとすると、などと考えると、そこでいきなり終ってしまうので、面食らうことはあるでしょう。それだけのことであって、パラドックスで...続きを読む

Qどこで人工知能と人工知能もどきを分けると考えますか?

人間と同じ思考回路及び記憶回路を持ち合わせていて、かつ、人工物であればそれは人工知能と呼んで差し支えないと思います。

電卓はある入力に対して計算結果を返してくれます。
例えば
入力:1+2=
結果:3
これは計算を処理するだけの能力は持ち合わせています。
過去を振り返ればこれだけでも人工知能で通用する時代もあったことと思います。
電卓を人工知能と呼ぶのは現代でも有効ですか?
また、電卓が人工知能である場合にはソロバンなどはどうでしょうか?
頭の中には電流が流れていますが電気の有無では分けられないですよね?

電卓などは人工知能と認めないというのであれば
何が出来たら人工知能なのでしょうか?

またクローン人間は人工知能であると考えますか?
xinmanはある意味究極の人工知能であると考えてます。

質問の要点は
「どこで人工知能と人工知能もどきを分けると考えますか?」
です。

みなさんの考え方をお聞かせください。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

人工知能の定義については、哲学者の間でも定説はありません。確かに人間の知能の一部を代替する機械、という意味なら電卓は人工知能ですが、それをAIだという人は誰もいないでしょう。電卓には計算以上のことはできないからです。

算盤は自動的に何かをする事はありません。人間が一つ一つの手順を与えて始めて演算ができます。こういうデバイスを通常、我々は「道具」と呼びます。道具は人間の知能活動を支援してくれる装置ですが、これもAIとは呼びません。なぜなら人間が関与しなくなった途端、それはたちまち動きを止めてしまうからです。自律的ではないのですね。

AIとは、人工的に作られた知能、ということです。この人工、という意味は「生物的行為」は含まれていません。従ってクローン人間は人工知能とは言えません。「子作り」を「ロボット製造」と呼ばないのと同じ理由です。

では何がAIかというと、古くはチューリング・テスト、というものが唱えられました。これは心理学の行動主義に基づいた考えで、外側からみて人間らしい反応を返すようであれば知能があるとみなす、という概念です。

しかしこれに対してドレフュスら伝統的哲学者は痛烈な反論を浴びせます。その一つが「中国語翻訳問題」というもので、全く中国語が分からない人に辞書と翻訳手順書だけを与えて翻訳させ、その翻訳文が意味が通っているとします。その場合、その翻訳者は中国語を理解したといえるでしょうか?

チューリングテストによれば、それは「理解」とされますが、我々は通常そのような行為を「理解」とは呼びません。それは「機械的」「鵜呑み」といわれ、知能とは異なるものとされています。この辞書と翻訳手順というのは、知識とルールという人工知能の基本概念の事を比喩したものですが、中国語問題はそのようなやり方では知能は模倣できない、ということを示したものです。

しかし、この事はある重大な帰結を示唆していました。それは「外側から知能を理解することはできない」という事です。技術が進み、人間の神経網を細部まで模倣するデバイスができたとしましょう。しかし、そのデバイスが人間と同じ知能や感情を持っているとは、誰も分からないし、知ることもできないのです。なぜなら、誰もそのデバイスの「心」を感じ取ることはできないからです。(我々が他人の心を知ることができないのと同じ)

コウモリの比喩はその辺の事情を言い表しています。コウモリAとコウモリBは同じ脳神経を持っていますが、Aが青と感じる神経に、Bは赤と接続しています。しかしBは赤と感じる神経は青という出力回路に接続しています。つまり、同じ「青」という入力を与えても、AもBも「青」と答えるのです(Bは赤、と感じるのに)。外側から見れば両方とも青という意味を理解しているように見えますが、実際はその内部で異なる理解のされかたがされているのです。

この事を突き詰めて考えていくと、デカルトのコギトにぶつかります。自分の思考だけを頼りに思索を進めていくと決して他人の脳は理解できない、つまり近代哲学はある点で飛躍を行わないと脳科学に踏み込んでいけないのです。そこで脳科学者たちは「同じ神経構造なら同じ知能を持つ」という仮定をおいて研究を行っています。それが正しいかどうかは科学の範囲内の話ではないので、あくまで仮説ですが。

元に戻ってチューリングテストだけでは不十分だと悟った哲学者たちは、次に指向性、という概念を持ち出します。これは現象学絡みで出てきた言葉ですが、知能の本質はあるものに対する執着である、という考えです。物質は物質に執着しません。氷山は船に執着しません。我々が氷山について考えたり、思ったり、船にぶつかったりすると興奮したりするのです。言い換えれば、そのような執着を人工的に作り出すことができればその装置には知能があるとみなす、という事です。

その他にも認知言語学からのアプローチもあり、さまざまな主張が飛び交ってますが、知能という概念は近代哲学の根本に直結する難しさもあって、論争のための論争状態が続いています。従って、ご質問の回答にたいしては「明快に分けられる基準はない」ということでしょう。生物と非生物の境界みたいなものですね。

ただ、工学的、実用的基準からいえばチューリングテストで十分でしょう。機械は使えればいいのであって、それが何を思おうと、ユーザには無関係なことですから。

人工知能の定義については、哲学者の間でも定説はありません。確かに人間の知能の一部を代替する機械、という意味なら電卓は人工知能ですが、それをAIだという人は誰もいないでしょう。電卓には計算以上のことはできないからです。

算盤は自動的に何かをする事はありません。人間が一つ一つの手順を与えて始めて演算ができます。こういうデバイスを通常、我々は「道具」と呼びます。道具は人間の知能活動を支援してくれる装置ですが、これもAIとは呼びません。なぜなら人間が関与しなくなった途端、それは...続きを読む

Q【コグニティブ・人工知能を使いこなす知能が人間に必要】コグニティブってどういう意味ですか? 人間側

【コグニティブ・人工知能を使いこなす知能が人間に必要】コグニティブってどういう意味ですか?

人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

コグニティブ時代。

スマホも使いこなせない定年退職組の親世代はもう時代に置いていかれる運命なのでしょうか。

自分も30年後の60代になったときに今の高齢者や老人のように意味も分からず、使い方も分からないスマホを持たされてお金だけ取られていくみたいになってるのでしょうか。

人工知能を使いこなす知能が人間側に必要と言われてちょっと不安になってしまいました。

時代に取り残されている大人って働いている世代でもいっぱいいますよね。。。

時代に着いていけてないのにビジネスを引っ張っていけるわけがない。

Aベストアンサー

>コグニティブってどういう意味ですか?

直訳すれば「認知」です。膨大な情報を取り込んで傾向を分析して、成功事例のノウハウやより正しいと思われる答えを出すために、必要とされる「認知」能力のことを指しています。

>人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

完璧じゃありませんからね。信号制御なら定められた時間間隔で正確に信号を青、黄、赤に切り替え、また夜間には赤点滅とかに切り替えます。そのアルゴリズムは明確で正しく実装できて、また実装される側の仕様上の制限に抵触しないならば、完璧なシステムです。
認知や判断のロジックには何を手本とするかですが、偏りはあります。各国の法制度を理解してその枠の中で最適解を出すことはできそうですが、国際間取引に視野を広げると個別最適解の集合には矛盾が生じます。調停ロジックは組み込めるでしょうが、何を優先して判断するか等は人間が外側から働きかけないと駄目でしょう。メーカはそれもコグニティブでできると言うとは思いますが、「米国のルール=国際ルールとする」とか大雑把で乱暴なロジックを入れてくるか、その場限りで上手くいった事例を最適解で入れてくるぐらいでしょう。

>スマホも使いこなせない定年退職組の親世代はもう時代に置いていかれる運命なのでしょうか。

「頭が良いけど人の気持ちが理解できていない小僧が躓いたときに、道を示してあげる」という仕事でしょうから、別段置いていかれることはないでしょうが、出来の悪いインタフェースに付き合わなければならなかったり、癖のある言語を使わなければならないとしたら、あのUIを最高と信じている「スマホを使いこなせる世代」にしか対応できないかもしれません。

>自分も30年後の60代になったときに今の高齢者や老人のように意味も分からず、使い方も分からないスマホを持たされてお金だけ取られていくみたいになってるのでしょうか。

30代の方でしたか。新しいものへの対応は加齢とともに難しくなるでしょうし、それと誤認させる詐欺的手法にも騙されやすくなるでしょう。
しかしながら、一番大事なことは、下記のような取り組み姿勢ではないでしょうか。
 「正確な判断を下すために、より多くの正しい事例を知ること」
 「正しい事例を知るためには、より多くの事例を入手し分析すること」
 「より多くの事例を入手するためには、自身のアンテナを高くしておくこと」

でも、上記はコグニティブの弱点そのものです。「情報をたくさん集めるためには多くのデータを保存しておくための領域がたくさん必要(ディスクがより売れるのはメーカには◎、ユーザには×)」、「情報が多くなれば分析にはよりコストがかかる(より高性能なCPUが売れるのはメーカには◎、ユーザには×)」、「情報の取捨選択判断こそが難しい。性善説なんて成り立たない(これはメーカもユーザにも難しい)」等々。

こういうことを考えつつ下記の推進者が提示する情報を見ると、実に白々しく都合の良い薔薇色の未来を語っていると思いませんか?

http://www.ibm.com/cognitive/jp-ja/outthink/#

ビデオでは白血病の論文、他言語の習熟、法令の施行、過去20年の財務報告等が例として出されています。全ての論文、情報が価値のある内容でしょうか、糞みたいな嘘論文が精査されずに混在している可能性もあります(というか、よくあります)。言語は変遷変化しますが、大筋参照回数や出現回数が多い語を正とするでしょうから、発信情報が多い世代の情報が重み付けされ、特定世代の偏った単語や文法を「正しいもの」と判定することがあります。過去の情報は言語分析アルゴリズムが正しければ書いてある通りに理解するでしょうが、それが間違っていたり、TPOを判断できていなければ全く別の意味に解するかもしれません。

既にお気づきでしょうがコグニティブは、多数決は正しい、誤情報はほとんど無いということを前提にしている感があります。なので「ワトソンなんて機能しない。あれは多変量解析に過ぎない」という情報を意図的に広めてそれが多数派になれば、ワトソンは「ワトソンなんて機能しない。あれは多変量解析に過ぎない」と言い出す訳です。そこで外部から「ワトソンなんて機能しない」、「ワトソンは多変量解析である」という情報を取り込ませないか取り込んでしまったら破棄するよう教えこまないとならない訳です。

>人工知能を使いこなす知能が人間側に必要と言われてちょっと不安になってしまいました。

集合知を傾向分析して最適に近い結論を出しているに過ぎない、単に計算が速いだけのものですから、補正してやるのは人間側の分担です。

>時代に取り残されている大人って働いている世代でもいっぱいいますよね。。。

30代という若手から中堅に達する世代の割りには、自身の情報収集アンテナを高くするという努力をするわけもなく、目の前にいる「時代に取り残されている大人」を自分の何十年後かの姿を自覚できずにディスっているようでは、既に枯れてしまっているのではないですか。

>時代に着いていけてないのにビジネスを引っ張っていけるわけがない。

自戒ですか? それとも自覚したのですか?

>コグニティブってどういう意味ですか?

直訳すれば「認知」です。膨大な情報を取り込んで傾向を分析して、成功事例のノウハウやより正しいと思われる答えを出すために、必要とされる「認知」能力のことを指しています。

>人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

完璧じゃありませんからね。信号制御なら定められた時間間隔で正確に信号を青、黄、赤に切り替え、また夜間には赤点滅とかに切り替えます。そのアルゴリズムは明確で正しく実装できて、また実装される側の仕様上の制限に抵触しな...続きを読む

Q【人間の人生最大の幸せを高僧が考え抜いて出した結論が「睡眠」だった】 寝ることが人間にとって最大の幸

【人間の人生最大の幸せを高僧が考え抜いて出した結論が「睡眠」だった】


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これって人間は生きていて1番幸せは寝てるときって哲学的だと思いませんか?

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Aベストアンサー

今まで考えたこともなかったですが そう言われるとそうかもしれないと思いました。
例えば痛みのある時 病気で苦しい時 悩みがある時 興奮してる時…そう言う時って眠れないですよね?

眠れるっていう事は 気絶するのでなければ 少なくともそういう状態から一瞬でも逃れ、 敵のいない ある程度安心した場で満たされている状態であるとも言えます。

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生まれ出ずる前と、死してどこかに還るという考えからすれば 眠るというのはそれに近い状態であるから幸せなのだという事なのでしょうか?
哲学的というか、宗教的な感じもしますが 納得できる話に思えます
お答えになってなくてすみません。

Qどうして世界ははこうも上手く行かないのか?

世の中うまく言ってると思いますか?

国政的に 経済的に 仕事の面で 心の問題として

上手く行ってるのでしょうか?

商業競争で人手不足 保育 看護 介護で人手不足

世の中なんで上手く行かないのでしょうか?

不条理な事も多い

Aベストアンサー

「世の中・・・・国政的に 経済的に 仕事の面で 心の問題として上手く行ってるのでしょうか?」
⇒うまくいっているとは云えないでしょうね。

「商業競争で人手不足 保育 看護 介護で人手不足 世の中なんで上手く行かないのでしょうか?」
⇒逆に云えば、そもそもうまくいくはずがないのでしょう。

つまり、うまくいくような教育(家庭教育、学校教育、社会教育)もないですし、実際の社会でもうまくやろうよ、と考えている人は少ないと思います。

日本は戦後民主社会に向けてきましたが、実態は受験でも、企業でも、激しい競争の中にあります。
そんな中で、”自分だけうまくやろう”という国民がほとんどでしょうね。


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