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「何故、世の中ではこうも理不尽な事件や事故が起きているのか?」まともな知能
と良心がある人なら誰でも考えたことがあることだと思います。私も日々考えてお
ります。話し出せばきりがありませんが、結論だけ言わせて頂きますと、やはり、
宇宙法則が不完全だからではないかと思います。
皆様のご意見をお待ちしております。

A 回答 (24件中1~10件)

宇宙の法則を造ったのは人間です。


人間の欲望が理不尽な事件や事故を造っているのです。
人間の欲望→人間の悪→病気事故災害などの苦しみ。
これを繰り返しているのです。

人間の世界を住みやすい平和な世界にすることは不可能です。
地獄を住みやすくしようというのと同じです。
だいじなことは、死後、再び人間の世界には生まれないことです。
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宇宙というより、動物という存在が自己矛盾を多く持った生物だと思います。

自力で栄養が作れる植物に対し、他の生物の犠牲無しには個体を維持できないという動物は大きな欠陥を持った生物だと思います。
以下は偶々見つけた、小学生のホームページですが、そういった感じのことを描いているお話だと思いました。

参考URL:http://www.wakuwaku.ne.jp/jun/story/erth.html
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宇宙法則が完全か不完全か?そんなもの私にはわかりません。

もっとも何をもって宇宙法則とするかも私には判りません。

しかし人間の理不尽な事件や事故はその宇宙法則が不完全であるからという理論は成り立たないと思います。
理由は宇宙にとって「そんなことはどうでもいい」ほど些細なことだからです。人間が殺しあったって、はては滅亡したって宇宙は痛くもかゆくもないからです。人間が核戦争を起こして人間が滅亡しても地球はそのまま残るでしょう。仮に地球が壊れても宇宙全体からすれば何の影響もないでしょう。
古くなった人工衛星のガラクタも人間には問題でも宇宙には何の興味もないでしょう。

なら宇宙は人間に対して責任を持っていないか?と言うとそれは否だと思います。私たち人間は自由にさせてもらってるのだと思います。だから繁栄しようが滅亡しようがそれは人間の勝手です。宇宙をも破壊するような力を手に入れたときは・・・とは多分無理ではないかと思いますし。

ですから理不尽な事件や事故は人間の手で解決しなければいけないと思います。
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No.5の補足に対する回答です。



>犯罪は必要ないが犯罪者は必要というのは矛盾していると思いますが。
全然矛盾してません。「脱常識の社会学」は読んでいただけたんでしょうか?
つまり「犯罪処罰の社会的目的は、犯罪者に対して実質的な効果をもたらすことではなく、公共の利益のために儀礼を執り行うことにある」って事です。
で、「あらゆる社会がそれぞれに特有の犯罪の型を作り出す」わけです。
例えば、清教徒たちは魔女の犯罪を、資本主義社会は財産に関連する犯罪を、社会主義社会では政治的犯罪を・・・。
魔女なんて、現代の日本人から見れば、犯罪でもなんでもないけど、当時の清教徒から見れば、犯罪そのものであって、それは清教徒の社会が「魔女」という処罰される対象を必要としたために、みずから作り出したって事です。

>それは、いけにえの思想、強迫観念と同じレベルの話だと思います。
ほとんど同じレベルって事です。

>こちらも矛盾しているようです。法律が厳しくなる→犯罪がゼロに近くなる→
>犯罪者を生む、と言われているんですよね。
処罰の対象が必要なので、今までは「犯罪」とされていなかった行為を、新たに「犯罪」と定義し、処罰の対象にするんです。

>利己的遺伝子の話は知っておりますが、あれは単なる仮説にすぎませんし、
科学ってのは、全部仮説だと思います。(科学技術じゃなく科学)
ちなみに、「脱常識の社会学」で述べている事も仮説だし、あなたの言っている「宇宙の法則」って言うのも、仮にそう言うものがあると仮定して言ってるんですよねえ?

>あの説では、血のつながりも何もない人を命を捨ててまで助けようとする人の行動は説明できませんよね。
「利己的な遺伝子」をちゃんと読みましたか?
「利他的な行動のための遺伝子」に関する説明が4章遺伝子機械(P100あたり)に書いてあります。

念のため言っておきますと、僕は「脱常識の社会学」や「利己的な遺伝子」で述べられている事が「すべて事実だ」と思っているわけではありません。
そこで述べられている事が、それなりの説得力を持って、世の中の出来事を説明していると思っているだけです。
で、あたたの疑問の解決にすこしでも役立てばと思って、紹介したと言うわけです。
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以下、hioxさんの補足に示された疑問に対する完全な回答を提示します。

先に結論を述べ、次に詳細を説明し、最後に結論をまとめます。

hioxさんがどこで躓いているか、私にはよくわかるような気がします。前にも言ったように、私も随分昔に、同じようなことを考えていた時期があるからです。

繰り返しますが、宇宙法則が完全か、不完全か、という問い自体が誤っているのです。「宇宙」と「人間の作ったもの」を峻別すること。これを理解しなければ、それ以上一歩も前に進むことはできません。

>私は、人間よりも宇宙の法則のほうが先にあるのだから先にある方が正しく、後
>に発生したものが判断をくだすのは間違えだ、宇宙法則と人間が作り出したものは
>関係ないとするのには疑問を感じます。何故、先にあるものは無条件に正しいこと
>になってしまうのでしょうか。

全く違います。宇宙の存在そのものが無条件に正しいなどということを私は一度も述べていません(他の回答者にはそういう回答があったのかもしれませんが)。

「正しい」「正しくない」という議論を行うことが可能になる以前に、まず宇宙が先立って存在するのです。

宇宙が先にあるから正しい、のではありません。「正しい」「正しくない」という人間の判断そのものがよって立つ絶対的前提のひとつが宇宙法則なのです。絶対的前提を認めなければ、そもそも「正しい」「正しくない」という議論そのものが不可能であり、無意味なのです。

このポイントさえご理解いただければ、補足に示されたような疑問が氷解します。

以下、詳しく説明しましょう。

>まるで、先輩後輩の関係のようですね。先輩がいく
>ら無茶苦茶でも、先に生まれた人なんだからという理由で、正しいとするのに納得
>がいきますか。

宇宙は「先に生まれた人」ではありません。そもそも、宇宙が生まれる前に何があったと思いますか。宇宙は人間も動物も何もないときから存在していたものです。「先輩」と同列に議論することは不可能です。その理由は、次のようなことです。

>むしろ、先にあるものは後のことを考えて責任をもたなければならないのでは
>ないでしょうか。

先輩に対して「後のことを考えて責任を持て!」と言うのには意味があります。同じ宇宙に住み、人に影響を与える行動をとっているわけですから。

では、宇宙に向かって「後のことを考えて責任を持て!」と言うのでしょうか。そのことにどんな意味があるのでしょうか。

宇宙に「責任」はあるのか。あったとしたら、それはどういう意味があるのか。それを以下に説明します。

>とにかく、ものごとの結果には原因があります。良い結果をもたらすにはその原因
>を替えなければいけません。原因を替えずして、結果は変らないですよね。不完全
>な人間を作り出したのは、完全な宇宙法則なのでしょうか。どうして、完全なもの
>が不完全なものを産み出すのでしょうか。

全ての結果には原因がある。これは正しい。不完全な人間や人間社会には原因がある。原因を変えることで結果を変えようとする。これも正しい。では、人間の行動、価値観、倫理感を正して、今の社会をもっとよくしようとする。これも正しい。

原因を宇宙法則までたどったとする。「この宇宙法則が間違っている!」と結論したとする。そこで、「ではこの宇宙法則を変えよう」と言って変えられるのでしょうか。変えられないものを間違っている!と断じることにどんな意味がありますか。

宇宙が絶対的前提であるというのはそういうことです。

一方、理不尽な法律があったとする。「この法律は間違っている!」ということには意味があります。法律は人間が作ったものであり、変えられないものではないからです。

正しい法律(社会、国家、政治、学校、企業、その他人間の作るもの全て)を作るためには、絶対的に変わらない存在である宇宙を知り、その法則を把握することが必須条件です。

>それから、宇宙と人間が作ったものは無関係ではないと思います。それは、人間と
>いえども無から何かを作り出したわけでなく、人間が作ったもの、起こしたこと
>は、最初から自然の中にそれを引き起こす可能性があったからこそ、起こせたの
>ですから。

無関係どころか、宇宙の法則を知ることによってこそ人間が意図したものを作り出すことができることは、上述した通りです。

>それに、人間が何も作っていない時から災難はあります。例えば、人間でも動物
>でも自然災害にあうように。

そのとおりです。そして、宇宙法則、自然原則を知ることによって、災難に遭うリスクを回避したり、軽減したりすることが可能になるのです。動物は本能によってしか災難に対応できません。人間は知性をもって宇宙を知ることによって災難に対処することができます。

宇宙を敵に回しても何の意味もありません。絶対的前提としての宇宙を味方につけることです。そのためには、宇宙法則の何たるかを知り、何が不変で、何が可変かを知ることです。

「変えられないものを受け入れる力、そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」と宇多田ヒカルが歌っていますが(Wait & See, Risk)、これの原型は、

Grant me the strength to change that which needs changing, the courage to accept that which cannot be changed, and the wisdom to know the difference.

という古い箴言にあります。変えるべきものを変える力、変えられないものを受け入れる勇気、そして変えられないものと変えるべきものとの違いがわかる知恵。知能と良心がある人間が、理不尽な世の中で生きていくために必要な資質を端的に表しています。

この箴言の持つ意味を、具体的に理解できたとき、理不尽な事件や事故が起きている世の中で、希望をもって毎日を生きていくことができるようになるでしょう。

以上、この問題に対する私の見解の全てを提示しました。思考の前提が間違っていれば、その後の思考結果は全て間違ってしまいます。前提を正すお手伝いをできればと思ってこの回答を書いています。納得がいかなければ質問を重ねる前に上述のポイントを自問自答して熟考してください。必ず出口はあります。

どうか霧が晴れて hioxさんがブレイクスルーを迎えられますように。
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あまりに、回答が多いので他はみないことにします。



まず、宇宙の法則の影響で人間が影響することは無いです。

そして、宇宙の法則は完全です。
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 補足を拝見しました。


 「法則」なるものについての御理解に、私との隔たりがあるようです。さしあたって、ここでは自然科学的な法則ということでいいですね? それで話を進めます。
 法則は、自然観察や自然理解の結果導かれたものであって、自然現象の振る舞いをある程度予測することなどには「活用」できますが、直接人間の生活を左右するものではありません。科学技術による「応用」を経れば役に立つこともありますが。
 それに、もし「変更可能な法則」というものをお考えならば、それ自体が自家撞着しているように思います。私たちは「普遍的に妥当する」、したがって時や所により変化することのない規則を「法則」と呼んでいるはずですから。ですから、未発見の法則もありうるということは、「法則を変えることができないとは言えない」ことの根拠にはなりません。

 それから、宇宙に「目的」を想定することも、「意志」を想定することも、あまり安易に取るべき立場ではないように思います。そのような想定も主張することは可能ですが、あくまでも現実的で科学的な、地に足のついた推論と検証を経た上でないと何の説得力も持ちません。
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>あなたは、半分腐ったものを切り落とさず全部食べますか。



いや、腐ったところは捨てますね。(笑)

でも、それは理不尽だからではなくて、単に嫌だからです(笑)
好みに理屈はあるかもしれませんが、僕には分かりません(笑)
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面白そうなので参加してしまいます(笑)。



宇宙はまるで計算しつくされたかのように膨大な物事を動かしている。一見完全です。しかしもし今の宇宙が試行錯誤の末の状態であったらどうでしょう。つまり最初に一瞬にして今の完全な状態にではなく、実は最初は今ほど安定してはなくそれは凄まじい失敗(不安定な状態というほどの意味で)だらけで段々安定してきたのだという事です。生物、無生物共に物事安定な方向に進みたがるようで勿論人間にも当てはまります。

とすると、今は完全に見えても流れの途中に過ぎずこれから崩れ得るということなのではないでしょうか。つまり完全は存在し得ないということです。

そんな世界に生きている人間が完全なはずがないのは言うまでもないですが、さらに人間は理性を持ってしまった。考えが相対的になってしまうことからは抜け出せません。絶対です。つまりある考えに対し必ずどこかでおかしいぞ、という声が挙がる。考えには必ず範囲と主体が存在するからです。

それでも人間はこの時代までにまあ安定に近づいてきているのかもしれません。ですがやはり完全な安定というのはありえない。つまりその安定から外れているのが世に言う理不尽な事件や事故なのではないでしょうか。さらには理不尽なことの内容自体もまた変わり続けるので必ずどこかで理不尽と一致してしまう考え、事象が存在すると思います。まあ常識をどう置こうと無くなりませんな、理不尽は。

う~ん。なんかもっと色々な方向からアプローチしてみたい気もしますが今回はこの辺で失礼します。
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先日回答したmarutakaですが、追加回答をします。


おっしゃる“宇宙法則”とは物理的法則と解釈しますと、例えば天体がそれぞれの軌道を外れず無事に回っていること自体が、完全そのものではないでしょうか?しかし、貴方が言及されているのは、もっと具体的な実生活面でのことであろうと考えます。とすると、そもそも異なる次元の事柄を、同じ視点から捉えようとすること自体が間違っているのではないでしょうか?後者は人間の自由意志の問題であって、宇宙法則とは何ら関係がないと思います。
 
 
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