「何故、世の中ではこうも理不尽な事件や事故が起きているのか?」まともな知能
と良心がある人なら誰でも考えたことがあることだと思います。私も日々考えてお
ります。話し出せばきりがありませんが、結論だけ言わせて頂きますと、やはり、
宇宙法則が不完全だからではないかと思います。
皆様のご意見をお待ちしております。

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A 回答 (24件中1~10件)

宇宙の法則を造ったのは人間です。


人間の欲望が理不尽な事件や事故を造っているのです。
人間の欲望→人間の悪→病気事故災害などの苦しみ。
これを繰り返しているのです。

人間の世界を住みやすい平和な世界にすることは不可能です。
地獄を住みやすくしようというのと同じです。
だいじなことは、死後、再び人間の世界には生まれないことです。
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宇宙というより、動物という存在が自己矛盾を多く持った生物だと思います。

自力で栄養が作れる植物に対し、他の生物の犠牲無しには個体を維持できないという動物は大きな欠陥を持った生物だと思います。
以下は偶々見つけた、小学生のホームページですが、そういった感じのことを描いているお話だと思いました。

参考URL:http://www.wakuwaku.ne.jp/jun/story/erth.html
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宇宙法則が完全か不完全か?そんなもの私にはわかりません。

もっとも何をもって宇宙法則とするかも私には判りません。

しかし人間の理不尽な事件や事故はその宇宙法則が不完全であるからという理論は成り立たないと思います。
理由は宇宙にとって「そんなことはどうでもいい」ほど些細なことだからです。人間が殺しあったって、はては滅亡したって宇宙は痛くもかゆくもないからです。人間が核戦争を起こして人間が滅亡しても地球はそのまま残るでしょう。仮に地球が壊れても宇宙全体からすれば何の影響もないでしょう。
古くなった人工衛星のガラクタも人間には問題でも宇宙には何の興味もないでしょう。

なら宇宙は人間に対して責任を持っていないか?と言うとそれは否だと思います。私たち人間は自由にさせてもらってるのだと思います。だから繁栄しようが滅亡しようがそれは人間の勝手です。宇宙をも破壊するような力を手に入れたときは・・・とは多分無理ではないかと思いますし。

ですから理不尽な事件や事故は人間の手で解決しなければいけないと思います。
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No.5の補足に対する回答です。



>犯罪は必要ないが犯罪者は必要というのは矛盾していると思いますが。
全然矛盾してません。「脱常識の社会学」は読んでいただけたんでしょうか?
つまり「犯罪処罰の社会的目的は、犯罪者に対して実質的な効果をもたらすことではなく、公共の利益のために儀礼を執り行うことにある」って事です。
で、「あらゆる社会がそれぞれに特有の犯罪の型を作り出す」わけです。
例えば、清教徒たちは魔女の犯罪を、資本主義社会は財産に関連する犯罪を、社会主義社会では政治的犯罪を・・・。
魔女なんて、現代の日本人から見れば、犯罪でもなんでもないけど、当時の清教徒から見れば、犯罪そのものであって、それは清教徒の社会が「魔女」という処罰される対象を必要としたために、みずから作り出したって事です。

>それは、いけにえの思想、強迫観念と同じレベルの話だと思います。
ほとんど同じレベルって事です。

>こちらも矛盾しているようです。法律が厳しくなる→犯罪がゼロに近くなる→
>犯罪者を生む、と言われているんですよね。
処罰の対象が必要なので、今までは「犯罪」とされていなかった行為を、新たに「犯罪」と定義し、処罰の対象にするんです。

>利己的遺伝子の話は知っておりますが、あれは単なる仮説にすぎませんし、
科学ってのは、全部仮説だと思います。(科学技術じゃなく科学)
ちなみに、「脱常識の社会学」で述べている事も仮説だし、あなたの言っている「宇宙の法則」って言うのも、仮にそう言うものがあると仮定して言ってるんですよねえ?

>あの説では、血のつながりも何もない人を命を捨ててまで助けようとする人の行動は説明できませんよね。
「利己的な遺伝子」をちゃんと読みましたか?
「利他的な行動のための遺伝子」に関する説明が4章遺伝子機械(P100あたり)に書いてあります。

念のため言っておきますと、僕は「脱常識の社会学」や「利己的な遺伝子」で述べられている事が「すべて事実だ」と思っているわけではありません。
そこで述べられている事が、それなりの説得力を持って、世の中の出来事を説明していると思っているだけです。
で、あたたの疑問の解決にすこしでも役立てばと思って、紹介したと言うわけです。
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以下、hioxさんの補足に示された疑問に対する完全な回答を提示します。

先に結論を述べ、次に詳細を説明し、最後に結論をまとめます。

hioxさんがどこで躓いているか、私にはよくわかるような気がします。前にも言ったように、私も随分昔に、同じようなことを考えていた時期があるからです。

繰り返しますが、宇宙法則が完全か、不完全か、という問い自体が誤っているのです。「宇宙」と「人間の作ったもの」を峻別すること。これを理解しなければ、それ以上一歩も前に進むことはできません。

>私は、人間よりも宇宙の法則のほうが先にあるのだから先にある方が正しく、後
>に発生したものが判断をくだすのは間違えだ、宇宙法則と人間が作り出したものは
>関係ないとするのには疑問を感じます。何故、先にあるものは無条件に正しいこと
>になってしまうのでしょうか。

全く違います。宇宙の存在そのものが無条件に正しいなどということを私は一度も述べていません(他の回答者にはそういう回答があったのかもしれませんが)。

「正しい」「正しくない」という議論を行うことが可能になる以前に、まず宇宙が先立って存在するのです。

宇宙が先にあるから正しい、のではありません。「正しい」「正しくない」という人間の判断そのものがよって立つ絶対的前提のひとつが宇宙法則なのです。絶対的前提を認めなければ、そもそも「正しい」「正しくない」という議論そのものが不可能であり、無意味なのです。

このポイントさえご理解いただければ、補足に示されたような疑問が氷解します。

以下、詳しく説明しましょう。

>まるで、先輩後輩の関係のようですね。先輩がいく
>ら無茶苦茶でも、先に生まれた人なんだからという理由で、正しいとするのに納得
>がいきますか。

宇宙は「先に生まれた人」ではありません。そもそも、宇宙が生まれる前に何があったと思いますか。宇宙は人間も動物も何もないときから存在していたものです。「先輩」と同列に議論することは不可能です。その理由は、次のようなことです。

>むしろ、先にあるものは後のことを考えて責任をもたなければならないのでは
>ないでしょうか。

先輩に対して「後のことを考えて責任を持て!」と言うのには意味があります。同じ宇宙に住み、人に影響を与える行動をとっているわけですから。

では、宇宙に向かって「後のことを考えて責任を持て!」と言うのでしょうか。そのことにどんな意味があるのでしょうか。

宇宙に「責任」はあるのか。あったとしたら、それはどういう意味があるのか。それを以下に説明します。

>とにかく、ものごとの結果には原因があります。良い結果をもたらすにはその原因
>を替えなければいけません。原因を替えずして、結果は変らないですよね。不完全
>な人間を作り出したのは、完全な宇宙法則なのでしょうか。どうして、完全なもの
>が不完全なものを産み出すのでしょうか。

全ての結果には原因がある。これは正しい。不完全な人間や人間社会には原因がある。原因を変えることで結果を変えようとする。これも正しい。では、人間の行動、価値観、倫理感を正して、今の社会をもっとよくしようとする。これも正しい。

原因を宇宙法則までたどったとする。「この宇宙法則が間違っている!」と結論したとする。そこで、「ではこの宇宙法則を変えよう」と言って変えられるのでしょうか。変えられないものを間違っている!と断じることにどんな意味がありますか。

宇宙が絶対的前提であるというのはそういうことです。

一方、理不尽な法律があったとする。「この法律は間違っている!」ということには意味があります。法律は人間が作ったものであり、変えられないものではないからです。

正しい法律(社会、国家、政治、学校、企業、その他人間の作るもの全て)を作るためには、絶対的に変わらない存在である宇宙を知り、その法則を把握することが必須条件です。

>それから、宇宙と人間が作ったものは無関係ではないと思います。それは、人間と
>いえども無から何かを作り出したわけでなく、人間が作ったもの、起こしたこと
>は、最初から自然の中にそれを引き起こす可能性があったからこそ、起こせたの
>ですから。

無関係どころか、宇宙の法則を知ることによってこそ人間が意図したものを作り出すことができることは、上述した通りです。

>それに、人間が何も作っていない時から災難はあります。例えば、人間でも動物
>でも自然災害にあうように。

そのとおりです。そして、宇宙法則、自然原則を知ることによって、災難に遭うリスクを回避したり、軽減したりすることが可能になるのです。動物は本能によってしか災難に対応できません。人間は知性をもって宇宙を知ることによって災難に対処することができます。

宇宙を敵に回しても何の意味もありません。絶対的前提としての宇宙を味方につけることです。そのためには、宇宙法則の何たるかを知り、何が不変で、何が可変かを知ることです。

「変えられないものを受け入れる力、そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」と宇多田ヒカルが歌っていますが(Wait & See, Risk)、これの原型は、

Grant me the strength to change that which needs changing, the courage to accept that which cannot be changed, and the wisdom to know the difference.

という古い箴言にあります。変えるべきものを変える力、変えられないものを受け入れる勇気、そして変えられないものと変えるべきものとの違いがわかる知恵。知能と良心がある人間が、理不尽な世の中で生きていくために必要な資質を端的に表しています。

この箴言の持つ意味を、具体的に理解できたとき、理不尽な事件や事故が起きている世の中で、希望をもって毎日を生きていくことができるようになるでしょう。

以上、この問題に対する私の見解の全てを提示しました。思考の前提が間違っていれば、その後の思考結果は全て間違ってしまいます。前提を正すお手伝いをできればと思ってこの回答を書いています。納得がいかなければ質問を重ねる前に上述のポイントを自問自答して熟考してください。必ず出口はあります。

どうか霧が晴れて hioxさんがブレイクスルーを迎えられますように。
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あまりに、回答が多いので他はみないことにします。



まず、宇宙の法則の影響で人間が影響することは無いです。

そして、宇宙の法則は完全です。
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 補足を拝見しました。


 「法則」なるものについての御理解に、私との隔たりがあるようです。さしあたって、ここでは自然科学的な法則ということでいいですね? それで話を進めます。
 法則は、自然観察や自然理解の結果導かれたものであって、自然現象の振る舞いをある程度予測することなどには「活用」できますが、直接人間の生活を左右するものではありません。科学技術による「応用」を経れば役に立つこともありますが。
 それに、もし「変更可能な法則」というものをお考えならば、それ自体が自家撞着しているように思います。私たちは「普遍的に妥当する」、したがって時や所により変化することのない規則を「法則」と呼んでいるはずですから。ですから、未発見の法則もありうるということは、「法則を変えることができないとは言えない」ことの根拠にはなりません。

 それから、宇宙に「目的」を想定することも、「意志」を想定することも、あまり安易に取るべき立場ではないように思います。そのような想定も主張することは可能ですが、あくまでも現実的で科学的な、地に足のついた推論と検証を経た上でないと何の説得力も持ちません。
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>あなたは、半分腐ったものを切り落とさず全部食べますか。



いや、腐ったところは捨てますね。(笑)

でも、それは理不尽だからではなくて、単に嫌だからです(笑)
好みに理屈はあるかもしれませんが、僕には分かりません(笑)
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面白そうなので参加してしまいます(笑)。



宇宙はまるで計算しつくされたかのように膨大な物事を動かしている。一見完全です。しかしもし今の宇宙が試行錯誤の末の状態であったらどうでしょう。つまり最初に一瞬にして今の完全な状態にではなく、実は最初は今ほど安定してはなくそれは凄まじい失敗(不安定な状態というほどの意味で)だらけで段々安定してきたのだという事です。生物、無生物共に物事安定な方向に進みたがるようで勿論人間にも当てはまります。

とすると、今は完全に見えても流れの途中に過ぎずこれから崩れ得るということなのではないでしょうか。つまり完全は存在し得ないということです。

そんな世界に生きている人間が完全なはずがないのは言うまでもないですが、さらに人間は理性を持ってしまった。考えが相対的になってしまうことからは抜け出せません。絶対です。つまりある考えに対し必ずどこかでおかしいぞ、という声が挙がる。考えには必ず範囲と主体が存在するからです。

それでも人間はこの時代までにまあ安定に近づいてきているのかもしれません。ですがやはり完全な安定というのはありえない。つまりその安定から外れているのが世に言う理不尽な事件や事故なのではないでしょうか。さらには理不尽なことの内容自体もまた変わり続けるので必ずどこかで理不尽と一致してしまう考え、事象が存在すると思います。まあ常識をどう置こうと無くなりませんな、理不尽は。

う~ん。なんかもっと色々な方向からアプローチしてみたい気もしますが今回はこの辺で失礼します。
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先日回答したmarutakaですが、追加回答をします。


おっしゃる“宇宙法則”とは物理的法則と解釈しますと、例えば天体がそれぞれの軌道を外れず無事に回っていること自体が、完全そのものではないでしょうか?しかし、貴方が言及されているのは、もっと具体的な実生活面でのことであろうと考えます。とすると、そもそも異なる次元の事柄を、同じ視点から捉えようとすること自体が間違っているのではないでしょうか?後者は人間の自由意志の問題であって、宇宙法則とは何ら関係がないと思います。
 
 
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Q【コグニティブ・人工知能を使いこなす知能が人間に必要】コグニティブってどういう意味ですか? 人間側

【コグニティブ・人工知能を使いこなす知能が人間に必要】コグニティブってどういう意味ですか?

人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

コグニティブ時代。

スマホも使いこなせない定年退職組の親世代はもう時代に置いていかれる運命なのでしょうか。

自分も30年後の60代になったときに今の高齢者や老人のように意味も分からず、使い方も分からないスマホを持たされてお金だけ取られていくみたいになってるのでしょうか。

人工知能を使いこなす知能が人間側に必要と言われてちょっと不安になってしまいました。

時代に取り残されている大人って働いている世代でもいっぱいいますよね。。。

時代に着いていけてないのにビジネスを引っ張っていけるわけがない。

Aベストアンサー

>コグニティブってどういう意味ですか?

直訳すれば「認知」です。膨大な情報を取り込んで傾向を分析して、成功事例のノウハウやより正しいと思われる答えを出すために、必要とされる「認知」能力のことを指しています。

>人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

完璧じゃありませんからね。信号制御なら定められた時間間隔で正確に信号を青、黄、赤に切り替え、また夜間には赤点滅とかに切り替えます。そのアルゴリズムは明確で正しく実装できて、また実装される側の仕様上の制限に抵触しないならば、完璧なシステムです。
認知や判断のロジックには何を手本とするかですが、偏りはあります。各国の法制度を理解してその枠の中で最適解を出すことはできそうですが、国際間取引に視野を広げると個別最適解の集合には矛盾が生じます。調停ロジックは組み込めるでしょうが、何を優先して判断するか等は人間が外側から働きかけないと駄目でしょう。メーカはそれもコグニティブでできると言うとは思いますが、「米国のルール=国際ルールとする」とか大雑把で乱暴なロジックを入れてくるか、その場限りで上手くいった事例を最適解で入れてくるぐらいでしょう。

>スマホも使いこなせない定年退職組の親世代はもう時代に置いていかれる運命なのでしょうか。

「頭が良いけど人の気持ちが理解できていない小僧が躓いたときに、道を示してあげる」という仕事でしょうから、別段置いていかれることはないでしょうが、出来の悪いインタフェースに付き合わなければならなかったり、癖のある言語を使わなければならないとしたら、あのUIを最高と信じている「スマホを使いこなせる世代」にしか対応できないかもしれません。

>自分も30年後の60代になったときに今の高齢者や老人のように意味も分からず、使い方も分からないスマホを持たされてお金だけ取られていくみたいになってるのでしょうか。

30代の方でしたか。新しいものへの対応は加齢とともに難しくなるでしょうし、それと誤認させる詐欺的手法にも騙されやすくなるでしょう。
しかしながら、一番大事なことは、下記のような取り組み姿勢ではないでしょうか。
 「正確な判断を下すために、より多くの正しい事例を知ること」
 「正しい事例を知るためには、より多くの事例を入手し分析すること」
 「より多くの事例を入手するためには、自身のアンテナを高くしておくこと」

でも、上記はコグニティブの弱点そのものです。「情報をたくさん集めるためには多くのデータを保存しておくための領域がたくさん必要(ディスクがより売れるのはメーカには◎、ユーザには×)」、「情報が多くなれば分析にはよりコストがかかる(より高性能なCPUが売れるのはメーカには◎、ユーザには×)」、「情報の取捨選択判断こそが難しい。性善説なんて成り立たない(これはメーカもユーザにも難しい)」等々。

こういうことを考えつつ下記の推進者が提示する情報を見ると、実に白々しく都合の良い薔薇色の未来を語っていると思いませんか?

http://www.ibm.com/cognitive/jp-ja/outthink/#

ビデオでは白血病の論文、他言語の習熟、法令の施行、過去20年の財務報告等が例として出されています。全ての論文、情報が価値のある内容でしょうか、糞みたいな嘘論文が精査されずに混在している可能性もあります(というか、よくあります)。言語は変遷変化しますが、大筋参照回数や出現回数が多い語を正とするでしょうから、発信情報が多い世代の情報が重み付けされ、特定世代の偏った単語や文法を「正しいもの」と判定することがあります。過去の情報は言語分析アルゴリズムが正しければ書いてある通りに理解するでしょうが、それが間違っていたり、TPOを判断できていなければ全く別の意味に解するかもしれません。

既にお気づきでしょうがコグニティブは、多数決は正しい、誤情報はほとんど無いということを前提にしている感があります。なので「ワトソンなんて機能しない。あれは多変量解析に過ぎない」という情報を意図的に広めてそれが多数派になれば、ワトソンは「ワトソンなんて機能しない。あれは多変量解析に過ぎない」と言い出す訳です。そこで外部から「ワトソンなんて機能しない」、「ワトソンは多変量解析である」という情報を取り込ませないか取り込んでしまったら破棄するよう教えこまないとならない訳です。

>人工知能を使いこなす知能が人間側に必要と言われてちょっと不安になってしまいました。

集合知を傾向分析して最適に近い結論を出しているに過ぎない、単に計算が速いだけのものですから、補正してやるのは人間側の分担です。

>時代に取り残されている大人って働いている世代でもいっぱいいますよね。。。

30代という若手から中堅に達する世代の割りには、自身の情報収集アンテナを高くするという努力をするわけもなく、目の前にいる「時代に取り残されている大人」を自分の何十年後かの姿を自覚できずにディスっているようでは、既に枯れてしまっているのではないですか。

>時代に着いていけてないのにビジネスを引っ張っていけるわけがない。

自戒ですか? それとも自覚したのですか?

>コグニティブってどういう意味ですか?

直訳すれば「認知」です。膨大な情報を取り込んで傾向を分析して、成功事例のノウハウやより正しいと思われる答えを出すために、必要とされる「認知」能力のことを指しています。

>人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

完璧じゃありませんからね。信号制御なら定められた時間間隔で正確に信号を青、黄、赤に切り替え、また夜間には赤点滅とかに切り替えます。そのアルゴリズムは明確で正しく実装できて、また実装される側の仕様上の制限に抵触しな...続きを読む

Q欲望には悪と善の因が。 善の方はしかし?

欲望は 自我の殻の内側に人を閉じ込めさせます。

そこから悪としての争いの因が生まれたりします。 

しかし 同時に 欲望は、それをよく見つめることで  感性を深める道にも通じ それによって感性が深まれば自我は突き破られ  人への善の真心も生まれます。

そのへんの善の方の因果を なぜかあまり聞きません。

解ると思える人がおられましたら、 是非御回答をお願いします。

反論でもいいです。 欲望なんて悪の因しかないというふうな。

それなら議論しましょう。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
批判的な内容も書きましたが、それらは質問者さんを非難するものではありませんから、誤解なきようお願いします。ロジックの目の付け所に感心したというのが回答の動機です。そこで無理に綺麗なパラドックスに仕上げようとされるのは自滅的に思われ、私なりの整復術を試みたくなった次第です。

無意味に評論を加えれば、欲望を精神活動の原理に加えて、肯定できる面を見出されようとされた結果の発明とでも言えますでしょうか。質問者さんの仮説は、面白いですし、大発見につながる分岐点かもしれません。

発想力の賜物ですね。能力を活かして詩や小説を書かれた方が建設的に思います。何事も施行するのは簡単です。有益に機能しなくてもいいのですから。手がけた構造の良し悪しを追跡評価しない専門家は結果無視の自己肯定を続けられるでしょう。
欲望によって人間が自我を突き破って善へと導かれる感動作を、哲学という有害ゴミの袋に入れてしまうのは勿体ないんですよ。あまりにもドラマチックです。俗に言う芸術的才能を感じました。欲望は、人を殻に閉じ込めさせるなんて語り口は詩ならば最上級ですよ。その後、パラドックスが放つ左右のフックで、ノックアウトされます。
くらった私は野暮な整合性を打ち返したまでです。曲がりなりにも新興宗教文学を創作するカテではありませんので、回答者のする隠喩などを質問者側がするのは解決を遠ざける色事になります。

制約の多い質問文の方が自由奔放な回答文よりも難しい作文になるのは承知しています。無理や気負いをなさらず、ぜひ論理的にもさっぱりしているまことの素描を求められてください。

お礼ありがとうございます。
批判的な内容も書きましたが、それらは質問者さんを非難するものではありませんから、誤解なきようお願いします。ロジックの目の付け所に感心したというのが回答の動機です。そこで無理に綺麗なパラドックスに仕上げようとされるのは自滅的に思われ、私なりの整復術を試みたくなった次第です。

無意味に評論を加えれば、欲望を精神活動の原理に加えて、肯定できる面を見出されようとされた結果の発明とでも言えますでしょうか。質問者さんの仮説は、面白いですし、大発見につながる分...続きを読む

Q【人間の人生最大の幸せを高僧が考え抜いて出した結論が「睡眠」だった】 寝ることが人間にとって最大の幸

【人間の人生最大の幸せを高僧が考え抜いて出した結論が「睡眠」だった】


寝ることが人間にとって最大の幸福らしい。

これって人間は生きていて1番幸せは寝てるときって哲学的だと思いませんか?

人間の最大の幸福は動いている時ではなく止まって静かに静のときが1番幸せってなんだかなあって唸ってしまう。

Aベストアンサー

今まで考えたこともなかったですが そう言われるとそうかもしれないと思いました。
例えば痛みのある時 病気で苦しい時 悩みがある時 興奮してる時…そう言う時って眠れないですよね?

眠れるっていう事は 気絶するのでなければ 少なくともそういう状態から一瞬でも逃れ、 敵のいない ある程度安心した場で満たされている状態であるとも言えます。

人間の3大欲求 (睡眠欲 食欲 性欲) この中で何が一番奪われると苦痛かといえば睡眠欲だと聞いたことがあります。
拷問で『眠らせない』というのもあるとか…

意識のない『眠る』という行為はある意味『死』にも似ている
生まれ出ずる前と、死してどこかに還るという考えからすれば 眠るというのはそれに近い状態であるから幸せなのだという事なのでしょうか?
哲学的というか、宗教的な感じもしますが 納得できる話に思えます
お答えになってなくてすみません。

Q欲望の充足意欲を規制する物事と?

レポートを作成しているんですが、少し助けてください!欲望の充足意欲を規制する物事とはどういう事なんでしょう?充足意欲という事で、欲望はどうなるという事なんでしょ?教えて下さい。

Aベストアンサー

「欲望の充足意欲を規制する物事とは?」私が思うに「良心」だと思います。

例えが悪いですが「ある女性を犯したいという欲望」があったとします。

女性を犯す為には必要な物であったり情報であったりを知りたいという「充足意欲」があります。

でもそれやったら犯罪だから絶対ダメというのが「規制する物事」であり「良心」だと思います。

Qどうして世界ははこうも上手く行かないのか?

世の中うまく言ってると思いますか?

国政的に 経済的に 仕事の面で 心の問題として

上手く行ってるのでしょうか?

商業競争で人手不足 保育 看護 介護で人手不足

世の中なんで上手く行かないのでしょうか?

不条理な事も多い

Aベストアンサー

「世の中・・・・国政的に 経済的に 仕事の面で 心の問題として上手く行ってるのでしょうか?」
⇒うまくいっているとは云えないでしょうね。

「商業競争で人手不足 保育 看護 介護で人手不足 世の中なんで上手く行かないのでしょうか?」
⇒逆に云えば、そもそもうまくいくはずがないのでしょう。

つまり、うまくいくような教育(家庭教育、学校教育、社会教育)もないですし、実際の社会でもうまくやろうよ、と考えている人は少ないと思います。

日本は戦後民主社会に向けてきましたが、実態は受験でも、企業でも、激しい競争の中にあります。
そんな中で、”自分だけうまくやろう”という国民がほとんどでしょうね。


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