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私達は死ぬとどうなるかと言う人がいますが

当然死ねば私達の意識は消えますね、私はいなくなる訳です。

しかし私達の残した言動の影響は 因果律に乗って何処までも続いて行く事でしょう

もし宇宙が終わるなら宇宙の終わりまで もし終わらないとすれば永遠に全ての言動が

一つ残らず影響して行きます。善因善果 悪因悪果 良いことをすれば良いことが

悪い事をすれば悪い事が永遠に影響して行くでしょう。

全ての思いが無駄にならずに繋がって行くと思います。

私の考えでは宇宙の崩壊の中から永遠への存在が生まれる事でしょう

永遠の存在に至ると思います。永遠に生きるとすれば体を乗り換えるとか

そういう事になるでしょう。アンドロイドの体とかに。

この様に永遠に続いて行く我々の思いや行動に 我々は「永遠」を感じると思うのです。

真央ちゃんのトリプルアクセルや羽生君の陰陽師に永遠を感じるのでは?ないでしょうか

ベートーベンの「運命」に、地球の軌道を回る宇宙ステーションに永遠を感じるのでは

ないでしょうか?

貴方の思いもけして消えません、後後まで影響してゆくでしょう。

みなさんは永遠についてどうお考えになりますか?どうかお聞かせください☆.。.:*・

A 回答 (9件)

「ゆく川の流れは絶えずしてもとの川に戻らず」生も死も一続きの己の有り様。

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様々な物体の運動が同じように永遠に続くわけでは無さそうです。



エントロピー増大の法則によって、全ては乱雑さが拡大する方向に進んでいきます。

である限り、その先には、バタフライの波動も、因果律も関係なく、全ての宇宙全体が均質になり、すなわち宇宙の熱的平衡状態になります。
その状態では、時間も距離も無くなり、単にその状態となると思われます。

ただ、もしかすると、そこから先にエントロピー縮小の世界が待っていて、全ての時間が逆回しに、元に戻っていき、ビッグバンにまで返るのかもしれません。
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>私達の残した言動の影響は 因果律に乗って何処までも続いて行く事でしょう


 解読出来なければ、その言語はそこで終わります。

>永遠についてどうお考えになりますか?
 時間という概念があってこそ「永遠」を設定出来るので、
 人類滅亡や宇宙の消失などにより時間という概念が
 認識出来なくなった段階で終了、喪失すると考えます。
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一仏教徒の意見として聞いてください。


まず「永遠」というのは時間の概念ですが、
概念は仏教で言う「分別」にあたります。
つまり、人間が「言葉によって作り出したもの」です。
龍樹が中論で言っているように、仏そのものを概念化することは
できません。
概念を消し去った時に本当の事が見えるのかもしれませんね。

仏教では宇宙を無始無終といいますが、つきつめれば
時間という概念すら無いのかもしれません。
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永遠が続いていくと母集団が大きくなって


大抵のことは誤差に紛れてしまうんでしょうね。
その中でも残った大きな波紋も
さらに続く永遠の中で…
という具合にどこまでも誤差に紛れていくような気がします。

そしてそれはむしろ
いろいろなことをあんまり気にしすぎないで
気楽に生きていいんですよと
宇宙の存在に付随する時間という概念が
語りかけてくれているようなものなんだと思います。

人間は人事を尽くすことしかできませんから。
たかが人間されど人間として精いっぱい生きて
未知へ託す。
永遠がそれを海のように飲み込んでくれる。
そういうことを安らぎと感じていいんだろうと思っています。
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ハルさんの文章には、正直どことなく「はかなさ」を感じていたのですが、


最近のは力強さを感じます。

「永遠に伝わってゆく波紋」ー「因果応報」につながることだと思います。

我々の言動は、あらゆるものが繋がりをもって存在するのならば、あらゆる
ものに影響を与え、宇宙までもほんの少し動かすことになると思います。そ
してそれが自分に戻ってくる、と。
ですから、悪行をそのままにしておけば、時間とともにどんどん悪くなって
ゆくという恐ろしい想像もできます。

そういう意味であれば、賛同できます。

「永遠」は難しいですね。
終わりが無いということは、始まりも無いということで、今の私には理解で
きません。
何か新しい思考軸が、哲学的発見によって、いくつか作られたときにはじめて
理解できるのかなとも思いますし、う~ん。

いずれにしても、「真理」の解明へ哲学は進んでゆくべきですよね。
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この回答へのお礼

Thank you

全くです。

永遠のことですが 始まりの前には何があったのでしょうか?前などなかったのでしょうか?

全てのエネルギーが止まって動くこともなく時間も止まっていたのでしょうか?

それなら何でビッグバンなど起きたのでしょうか?宇宙人が何か打ち込んだ?

それなら宇宙人たちのエネルギーなり意識なりが在ったのではないか

なぜビッグバンなど起こったか?

では宇宙の終わりってどこまでなったら終わりなのでしょうか?

エネルギーが完全に雲散霧消して消えるのでしょうか?

真空中にもエネルギーが在るのでは?

それなら宇宙も終わらないのでは?

もし宇宙が崩壊するばかりだとしたら なぜビッグバンの時点でエントロピーは小さかったのか?

あれは超巨大なブラックホールの集積だたのでは?特異点は同じようなものだったのか?

人間は、宇宙が崩壊しながらも何か永久機関とかエントロピーの減少法とかを編み出すのでは?

秩序を作るようにコントロールできればそれも可能なのでは?人間は創造が出来るのです。

どうもたいへんありがとうございます。

お礼日時:2015/12/28 14:37

>仏教的な考えの気がしますねえ。



さすがよく分かってらっしゃる。

>存在の永遠 未来への存在 未来の存在 永遠への存在 永遠の存在
その様なものがあると思っています。

たしかにあるような気がしますね。古代インドでは、宇宙ですら生まれ変わると説かれていたそうですし、形は違えども、輪廻転生もある意味では永遠を説いています。

ハルさんの思い描くような素晴らしいものとしての永遠が生まれると良いですね。宇宙は可能性の宝庫だと思います。ハルさんの言うような永遠が生じてもおかしくはないでしょう。
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この回答へのお礼

助かりました

どうも大変ありがとうございます。誰かが質問していましたが

お釈迦様は色即是空の思想とともに永久久遠の思想も説いていたのでしょうか?

もしそれをやっておけば もの凄い大きな価値が生まれたことでしょう。

キリスト教にないもの、仏教にないものを補い合いたいですねえ

ありがたいことです どうもどうも^^

お礼日時:2015/12/28 14:26

波紋が永遠に続く、てのは間違いです。



そんなのは頭の中だけの遊びです。

現実には、波紋の媒体である液体、気体には
摩擦がありますから、一定の距離を経れば
消滅します。

鏡を平行に設置すれば、無限の自分が映し出される
ように思いますが、反射率が百%でない以上
無限ではありません。
何人の自分が写るか、なんてのは高校レベルの数学で解けます。

概念と現実を混同するから、そういう考えに至るのです。

バタフライ効果など、現実には発生しないのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

波紋と書いたのが悪かったですねえ これは比喩表現です

よく言いますよね 波紋が広がる って。

影響が及んでその影響が因果律に乗って何処までも広がっていく事を言いたかったのです。

勿論形や波もなくなってしまうかもしれませんが 宇宙が終わらない限り

私は宇宙は終わらないと思っているのですが 永遠に影響して行くという意味です。

もし肯定出来なかったらすみません。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/12/27 15:04

こんな事を言えばハルさんは喜ばないかも知らないが。


永遠と言うのは確かに魅力もある。あまりにも永すぎて想像もできないが、無限に広がる地平のように、其処には自由を感じる。永遠だから、その間を自由と感じられ、それはここで言う自由の根拠とも言える。
しかし(永遠に欲した)探しものが見つかれば、その時は永遠の時間は必要無くなるのではないか?

あえて言いたい。この人生は限られており、永遠ではない。我らの言動は、波紋のように広がり、他者と影響し合うが、その影響も時とともに薄れ、限りなくゼロに近づき、終いにはゼロになる。
しかしこう考えると別にそれでもいいのである。限りある生に、限りある出会いに、自分は臆する事なく性根を据えて、正しく応じ存立する事ができたと。静かに満足しており、世の喧騒は近くにあるのに彼方に聞こえる。ふらふら生きた事もあったが、遂には有り様を正しく定めて落ち着きを取り戻し、揺れ動く世間にあって動じず、煩悶する事もない。何かを特に世に求めず、かと言って想いを断ったのでもなく。何も響かないが、雨上がりの空のようにスッキリと、そして朗々とした意識で、頼る何かを得るために彷徨う事もなく、人生を余裕持って完遂したのなら、永遠に憧れることも最早ない。

大切な人達を大切にし、しかもそれに囚われない。
嫌いな人達にも怖じけず、正しく向き合ってその虚像を打ち破り、引きずることもない。
新しい出会いを喜び、古い付き合いをさらに深くし、健全な付き合いをなし、関係に恵まれた生活を送る。

まるで不可能かのような事を言いましたが、こういうことも実は可能なのではないでしょうか。永遠は、それを超えてこそ意味があるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとう

仏教的な考えの気がしますねえ。

無常ということ 泡沫の様に下の流れではない 方丈記 鴨長明、諸行無常の声がする 平家物語 

あほなさん 私も随分と考えた末に永遠を語っています。聖書は高校の時から読みましたが

特に永遠を言い出したのは最近になってからです。

「永遠はある」と丹波哲郎が言ってましたが 存在の永遠 未来への存在 未来の存在 永遠への存在 永遠の存在

その様なものがあると思っています。つまりエントロピーは安定し部分的に小さくなる。

永久機関とリサイクルそしてコンピューターやアンドロイドの局地としての永遠が実現するか 否か?

戦争ばかりしていては実現しませんね。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/12/27 15:14

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