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質問です。

稲盛和夫著作の「生き方」のとある文章が目に止まりました。

「大宇宙からみれば、ひとりの人間の命などほんとうにちっぽけなものかもしれません。しかし、どれほど小さなものであろうと、われわれはみんな必然性があってこの宇宙に存在している。どのように小さな、とるに足らない生命といえども、また、無生物であろうとも、宇宙が『価値がある』と認めているからこそ、存在しているのです」 「生き方」p104~105から引用

と書かれていました。
この文面から察するに、我々人間の存在も、太陽系が正確な周回軌道を形成できたのも、運命も、無機質も、命も、全て宇宙の意思によってしかも必然的に決められているということでしょうか?

また、宇宙の意思=神 ですか?

A 回答 (16件中1~10件)

はいそうですよ


宇宙の意志=神 とは書いていません
神様はいろいろありまして
宗教ではおおむね太陽の事を指します
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ビッグパーン以前の世界は、非物資の世界で、物質は何もなく、時間も空間もない、いわば精神の世界でした


そこに、一人? の存在!! 意識のみの存在⇒宇宙の創造者が存在していました

彼? は、幸福に満たされ・ただ満足していましたが、やがて一つの感情が生まれました

彼は、幸福感以外に、強い好奇心を持っていました

やがて彼は、その自分の好奇心を、抑えることができなくなり、どうすればいいのか思考しました

彼の周りには、ただ何もありませんでした!!
好奇心を満足させる為に、探求するものがなにもなかったのです

彼は、ひたすら考え続け・・・やがて、一つの事を考え出しました
それは、自分自身を探求する事でした!!

彼は、自分がすべての面において、満たされている事を理解していましたが、その満たされた過程を経験として、理解したいと熱望しました

その為には、どうしたらいいのか?
ある時、突然に理解しました!!

彼は、非物資のエネルギー体である、自分自身を分割して、その分割した自分自身に、本体である自分自身を観察させようとしました

しかし、分割したとはいえ、同じ自分自身の為、同じ記憶があり、やはり完全な観察は出来ませんでした

そこで、次に考えたのが、分身の記憶を消す事でした・・・記憶を消した分身に、自分の一部分の要素を経験させ、その経験のデーターを共有する!!

そうすれば、沢山の分身を創り出せば、自分のすべてを経験する事ができ、自分の好奇心を満足させる事が出来る!!

そう思い至った創造主は、沢山の分身と、分身が経験するための空間を創造しました

空間を創造する時に、同時に空間を移動する為の時間が創造されました

そして、自分の分身が、様々な経験をする為に、様々な物質、様々な生命体を創造しました

そして、経験をする為に創造された、時間が存在する空間で、分身達は、自分の望む経験をする為の物質や生命体に宿り、自分の素晴らしさを体験する経験をする為の旅を始めました!!

創造主と、経験の共有をしながら・・・!!

以上が、私がある本をもとに理解した事です!!
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▲ 〔何であれそれについて〕宇宙が『価値がある』と認めている


☆ というのは 《宇宙》を擬人化して表現したということです。

表現の自由としてみとめられています。

哲学としてどれほどの意味があるかは また別問題です。

▲ 大宇宙からみれば、ひとりの人間の命などほんとうにちっぽけ
なものかもしれません。しかし、・・・
☆ 《その命がほんとうにちっぽけなもの》であるところの《ひと
りの人間》なる書き手は すでに初めにその人間に《価値がある》
と自分で認めています。

(文脈を捨ててこの引用のくだりについて言えば そういうことに
なります。哲学としてではなく 表現のアヤを競う文学として語っ
ています)。

つまりこれだけでは 宇宙に意志があるかどうかや宇宙が神である
かどうかは 何とも言えません。そういう問題を考えているのでは
なくそれを論証しようともしていません。

哲学カテとして回答しました。
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ひずみのない方向へ流れるということはあるんでしょうね。


そこに意志を感じる精神という存在が生まれ。
その精神がもがいた先で神を意識する。
少なくともそういう流れが時間軸に沿って刻まれてきている
というのもひずみのない流れなんだと思います。
そしてこれから先ももがきを含めて
ひずみのない方向へと進んでいくんだろうと思います。
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>宇宙に意思はあるのか


そこは本筋からずれています。
「生き方」でしょ?
だから、
・あなたが一見無価値に見えようとも、誰かに必要とされている。ゆえに、無価値ではない。
というのが本筋。
宇宙の意思、というのは、単なる「滑り止め」であって、通常は「誰かに必要」の部分でクリアします。
よって、宇宙に意思はあっても無くても、趣旨に変わりはありません。

稲盛さんを爆撃したいならこうやります。
・私の価値は、無生物と等価にすぎないことについて悩んでいる。(私の価値は無価値、ということに悩んでいるわけではない。)
いいかえれば、
・価値は、あるなしでなく、大小がある。人間(の命)の価値とは、無生物より大なので、やっぱり私には人間としての価値が無い。
この疑問について、稲盛さんの文章(のうち、引用範囲)は全部無効。
下手に反論(人間(の命)の価値とは、無生物より大 に対し反論)するなら、人命軽視、人権無視という方向から再反論するつもり。
こういうルート(=揚げ足)があるゆえに、
>どのように小さな、とるに足らない生命といえども、また、無生物であろうとも...
こんなこと、言いたくない....

宇宙の意思のほうは、本気でそう言っているかもしれないし、比喩で言っているだけかもしれません。
よって、
>宇宙の意思=神 ですか
宇宙の意思=物理法則 としても、引用された範囲では矛盾が起きません。ですから、宇宙の意思=物理法則 という考えもアリとしかいえません。
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人間の意志は頭脳回路を繋ぐ電磁パルスの成果でしかありません。

もし宇宙の全てが電磁波やニュートリノはたまた重力波などで繋がっているのだとしたら、そこになんらかの意思とよべるものが発生したとしても不思議は無いかもしれませんね。
それが神であるかどうかは保証の限りではありませんが・・・
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意志、と言うよりは意のちから“意力”がある、と受け止めたほうが理解につながるのではないでしょうか。



人の心に使うような意味での意志があるとすれば、それは宇宙に方向性のあることを知ることで納得できると思います。

川の流れが大海を目指すように。
幼子が母の胸を求めるように。
人の心はなぜか神を求めます。

宇宙に意志ありとした場合は、このような現れの事ではないでしょうか。

それよりも、宇宙には意力があると見た方が理解しやすいでしょう。
それには宇宙の正体は精神であると先ずは決めて考えるといいと思います。

人の心に意志、理性、感情と言う働きがあるように、宇宙にもこの働きがあるとするのです。
でも実際は宇宙の本体である精神にこの働きがあるからこそ、それが宇宙の分身である人の心にも備わったのだと言えると思うのです。

宇宙の本体である精神の意力に因ってこの宇宙が現れていて、その宇宙で繰り広げられる現象は理性的に変化し、現象としての物質は感覚として認識される、と言う訳です。
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そうした考えを「人間原理」という。


神ではなく量子論の産物です。
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意味が有るとしないと自分の存在も全否定だから。

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我々はなにごとにも理由があると考えています。

「どんなことにも、そうであって、別様ではないことの、十分な理由がある」ということを原理として「充足理由律」とライプニッツは名づけました。
この充足理由律を厳格に適用すると、世界のあらゆる事象の原因を過去にさかのぼって無限に遡及することになるので、人は「一番最初の理由」としての神(または宇宙の意志と呼んでも構わない)を措定するわけです。

一旦神を措定すれば、あらゆることの原因はもとをたどれば神(または宇宙の意志)であることになります。一応ここまでは「論理的」であると言っても良いと思います。問題は神(または宇宙の意志)というものの性格に、私たちの主観や価値観を反映してしまうことにあると思います。

つまり、宇宙が『価値がある』と認めていたとしても、それは私たちの価値観とは無縁のものであるかもしれない。宇宙の意志とは我々の感情とは無関係な「物理法則」に過ぎないという冷厳な事実であると表現したほうが良いのかもしれません。

稲盛さんは宇宙の意志による価値観と私たちの価値観を一致させているわけで、そこには超越的な論理を忍び込ませています。そのことは否定も肯定もできません、信じるか信じないかだけです。つまりそれは宗教であると思います。
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