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1. うつくしさに心が打たれるのは きみの生まれつきそなわった自然本性においてか?
しかも わが自由意志のあづかり知らぬ隠れた秘密兵器がはたらくのか? 
あるいはむしろおのれの自由のおよぶ範囲にあって感性の起きるとともにはたらく自由意志
によってなのか?

2. われわれがうつくしさに打たれたとき 《わたし》はあるか?

3. 《ある》なら そのワレは おのれの自由になるところの自由意志であるか? それ
とも 意志や意識以前の自然本性そのものであるか?

4. あるいはつまり《あなた(かなた・他者)》があるのか? この他者を《わたし》は
見留めているか? 《わたし》はワレ自身を見留めているか?

5. それとも その一瞬《わたし》は ないか?

6. けれども・ただし 確かにわれらはその瞬間にはとどまれない。ときは ながれる。
うごく。ゆえにわれにかえるのか? ここにもどるのか? 

7. それとも・むしろ その美を感じたとき(瞬間)にこそ われはわれにかえっていた
のか?

          *

◆ 《あくがれ》の理論 
 ――有限なる人間と無限なる真理(美)との接点についての定理をもとめて――

8. あこがれ(憧れ)の語の原義:《わたしの居るべき所から――あたかもたましいがふ
らふらとさまようかのごとく――離れる》こと(大野晋)。

9. あこがれ < あくがれ < あく(場)‐かれ(離れ)

10. アクとは 《思わく》や《老いらく》の末尾に使われている -aku である。
 
11. ちなみにインドネシア語などで aku とは《わたし》のことである。

12. 日本語学で アクは 《( a )場・( b )事》の意とされる。

13. アクは ( a )《ワレが 世界の内にあるそのバ》のことであり
    また ( b )《この世界における経験法則などのコト》である。

14. その《アクを離れる》とは どういうことか?

   ( a )《このうつせみのワレからの離脱》・《脱自》。
       ――《ケ(日常)‐カレ(離れ)》( * )を参照。

   ( b )《有無や善悪や因果法則から自由な場に立つこと》。
       ――《特異点》を参照。

    * ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
     ただし ケガレには

      日常の元気から離れて《ケガレ(穢れ・汚れ)》と呼ばれる場合と 
      日常の習慣から離れる非日常性なる《ハレ(晴れ)》と

     のふたつの場合がある。
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

15. ケガレがもし《善悪の彼岸》を意味しうるハレとして むしろ《聖なるもの》と
呼ばれるとすれば まさにアクガレはその意味で 真理で無限なる神との接点を成す。
《特異点》もおなじくそのようであろうか。(だれかくわしい人 おせーて!)。

16. アクガレの素は 秘密兵器として アートマン(霊我)やブッダター(仏性)とも 
あるいはルーアハ;プシュケー;アニマ;スピリトゥス(=息・息吹き・風:神の霊)とも
呼ばれる。とは考えられる。

17. うつくしさは あくがれの問題か?

A 回答 (5件)

美しさに‘忘我の境地‘的に打たれたとき


その入力情報は
無意識の感性の最も深い部分に働きかけていると思われます。
その無意識の感性というものは種として遺伝的に持っている共通のコアの部分と
個体として後天的に獲得してきた個性としての情報処理回路の複合体としてイメージできると思います。

最も深い感性の複合体にダイレクトに働きかけられたときの中枢の情報処理には
もちろん人間という生き物としてのコアに最も近い部分での感受ではありますが
それでも同時に後天的個性の要素もしっかりと加味されているものと思われます。

つまりその一瞬にも‘わたし‘は関与していると考えていいように思います。
むしろ感性という軸において雑なものを省いたピュアな‘わたし‘がそこにある、
そしてそれと同時に、その‘わたし‘というのは
個人として持っている種としての慣性の深いルーツの部分に
最も近づいた地点に存在する‘わたし‘でもある、
こんな解釈のしかたが妥当なような気がします。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

50. うーむ。よく分かると同時に その分かった内容をもう一度リシャッフルして
みたくなりますね。これは 感じですが。

51. うつくしさに打たれたわたしの部位は 人として生まれつき持ち合わせたコア
の部分とそして後天的におのれがかたちづくって来た個性としての部分との複合体であ
る。というとき・・・

52. というとき・・・生まれつきの受容器官には わたしの意志はかかわっている
のか?

53. ・・・わたしの生きる特には精神の軌跡としてつちかった個性としての受容器
官には わたしの意志行為がかかわっているのが自明のように見える。けれどもそれは
生まれつきそなわった自然本性をこそ活かそうとした意志行為であって 自然本性とし
てのウツハである要素がほとんどである。のかも知れない。

54. クリスマスツリーのようにカザリをつけたと言うよりは 樅の木本体をそのま
ま活かそうとした精神の巡礼の歴史であるかも知れない。そのようにして 美を受容す
るウツハをおのがものとして築き上げたか?

55. ただし  もしたとえそうであったとしても:
★ つまりその一瞬にも‘わたし‘は関与していると考えていいように思います。
☆ ということは じゅうぶんあり得ると やはり思われます。わたしの関与が否定さ
れる根拠は これも見つけがたい。

56. ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
むしろ感性という軸において雑なものを省いたピュアな‘わたし‘がそこにある、
そしてそれと同時に、その‘わたし‘というのは
個人として持っている種としての慣性の深いルーツの部分に
最も近づいた地点に存在する‘わたし‘でもある、
こんな解釈のしかたが妥当なような気がします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 一点だけ チャチャを入れますが 樅の木たるわたしは 雑なカザリをすでに――
世の中のシガラミの中に浸かって――そこここにぶら下げている だけれども 美とい
うニュートリノはやって来ている。という事情や情況の中でということですよね。あり
がとうございました。

お礼日時:2016/01/07 20:44

美しさに憧れるのは、刷り込みの結果です。

生得的本能ではありません。幼少期に好きだった女子の写真を大人になって見たら、なんてブスを好きだったんだって後悔しましたよ。大人の僕はそれだけ、美しさの価値観を刷り込まれたんです。ベストアンサーでしょうな(´Д` )
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この回答へのお礼

ぢゃあ 刷り込まれる前の美的感覚のほうが 自分に固有のものであったかも
知れないのでは?

つまり 後天的にわるくなった。審美眼が劣化した。かも知れない。

生得的な感覚のほうが よいのかもと。

でも 刷り込まれたって いったい誰になんでしょうね。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/11 00:24

ブラジュロンヌさんが、非思考の庭を"想像・想定"するように。


そして、その拠点に"ヒラメキ"を置くように。

私も、今回のこれらの回答?を"想像・想定"してみました。
その根拠に"自身の良心"を置きます。

良心=感情
それは"ヒラメキ"に通ずる。
解、するのは理体。

心、は鏡。
外界(がいかい)を自身の鏡に映し、その映像を我々は認識する。
外界そのものを認識するのではなく、写した鏡を認識している訳で外界そのものを直に見ているのではない。

故に、鏡の歪み、汚れに因って"真理"を知ることは出来ない。
この鏡の歪み、汚れを修行に由って無くし、正しい真理の世界に証入したのが、釈尊。

人間釈尊は頭脳も明晰で在ったため、後世に残るような"仏典"を著した。

うつくしさは源泉に在り。
アクガレは鏡、かも知れない。

一旦、弓から放たれた矢の行く先は何処(いずこ)?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

42. そうぢゃのお。勝手に論評しますが。

43. 《自性清浄心》って言うぢゃないですか。ブッダターのことです。

44. ★ この鏡の歪み、汚れを修行に由って無くし
☆ ぢゃないと思うんですよね。もともときれいなんですから。

45. 良心は そこから出る。どんなによごれていても はたらくのではないでしょうか。

46. そのハタラキをないがしろにするのも 人間の自由意志。

47. すなおにしたがえば 共感・共鳴・交感・・・なのかなぁ。
★ ~~~~~~~~~~~
うつくしさは源泉に在り。
アクガレは鏡、かも知れない。
~~~~~~~~~~~~~~~

48. そこで弓を張って矢を放つのは むしろ自己表現かも分からない。
こうやって 言葉を用いてむしろおのれ自身を表現する。

49. どうなんぢゃろうのお。

お礼日時:2016/01/06 17:23

哲学は、理のみに非ずと思うようになりました。



私、が在るのは親が在ったから。
そのように私心も親心から。
この心を本質と表現してみました。

人の本質(心)から芽生える心に生じるのが人の"我"。
本体(宇宙)の本質(心)から芽生えるのが、宇宙の現象(理的な)となる。この現象が宇宙の"我"の現れ。

"我"が現れるのは自身でその身を存続させなければならないから。
存続は活動。

独楽も回転して居なければ、立っていられない。

美は宇宙と云う本体へと向かう鏑矢。

宇宙の本体は精神。
精神は観念態。

人の心に観念の有ることで、それと知られる。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

27. はぐくむ(羽含む⇒育む)心のことですか? それが《本質》ですか?

28. ★ 人の本質(心)から芽生える心に生じるのが人の"我"。
☆ 《人の本質(心)から芽生える心》とは?
たとえば 《生まれてそこにいること》なる心から 《よく生きる心》あるいは
逆に《おのれをなほざりにする心》が芽生えるといったことですか?

29. そのように《芽生えた心に生じるのが人の"我"》ですか? 
習い性となると言いますが 日から日へ生きるその態度が形作られて来てそこに
人それぞれの性格や思想としての《わたし》が出来る。ということですか?

30. でも そういう《わたし》のことでいいですか? 違うようにも思えま
す。違わなければ そのように簡単に言えばいいのに。よほど《理的なこと》が
お好きなんですね。

31. 宇宙にどんな《心》があるのですか?

32. 宇宙の現象が どうして《理的な》ものだけを言うのですか?

33. ★ 宇宙の"我"
☆ 分かりません。そういういろんな現象があるというだけのことではないので
すか?

34. ★ "我"が現れるのは自身でその身を存続させなければならないから。
☆ ならば宇宙としては モノの自己運動みたいなことだけではないのですか?

35. 宇宙に 人間とその社会また歴史がふくまれるのなら それとしての性
格や内容のあり方が問われるでしょうけれど わざわざそれを《"我"》と言うの
ですか? 日本の"我" アメリカの"我"というものがあるのですか?

36. ★ 独楽も回転して居なければ、立っていられない。
☆ 地球に突き刺さっていればよい。壁に凭れていればよい。

37. ★ 美は宇宙と云う本体へと向かう鏑矢。
☆ 宇宙という本体を 人間はどうやって認識したり知覚したりするのですか?

38. それを捉えたときには 鏑矢となって向かうのですか?

39. 宇宙の本体を捉えたことは 美の問題なのですか? 美だけの問題なの
ですか?

40. ★ 宇宙の本体は精神。 / 精神は観念態。
☆ ということは どちらかと言うと 《感性》よりは《理》ですよね? でも
★ 哲学は、理のみに非ずと思うようになりました。
☆ に半分さからっていますよね?

41. あるいはその《精神》は 《霊》のことでしょうよ。

お礼日時:2016/01/06 14:54

人の心の本質は宇宙の精神と同質・分身。

宇宙が活動を通して存在している様に、本体から分出された"人間"も個々に活動する事に依って生命を維持している。

個々に活動せざるを得ぬ故に自我が現れるが、その根底には宇宙の精神が。

うつくしさは、その心の根底が受信し"我(われ)"が認識するもの。

宇宙の法則に当てはめられると思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

18. ぢゃあ いっぺんポカスカやってみてさしあげましょうか。

19. 《本質》とは何?

20. 《宇宙の精神》という場合の《精神》は ヘーゲルがヱルト‐ガイストと言うように
一般に《霊》のことを言います。ガイストは ゴーストであり 幽霊のようなものをも言い
ますが。そのことを明らかにしていたほうがよいでしょうというアドバイスです。

21. 《宇宙本体から分出された"人間"》って どうして分かるのですか? それはただ
ただ この世界が出来てからいくらか経って ヒトが生まれたといったことですよね? そ
こに哲学的理論を捉えるのなら きちんと理論づけて欲しい。

22. ★ 個々に活動せざるを得ぬ故に自我が現れる
☆ なぜ?
★ その根底には宇宙の精神が
☆ あるのなら 何故〔おそらく〕《分出された生命》としてのわれなる存在が《自我》と
して現われるのですか?

23. 《自我》って何ですか? 《わたし》というのとどう違うのですか?

24. ★ うつくしさは、その心の根底が受信し"我(われ)"が認識するもの。
☆ 心のうわべでも《うつくしい!》と言うことがあるのでは?

25. この《"我(われ)"》って何ぢゃいな? 《自我》との違いは?

26. ★ 宇宙の法則に当てはめられると思います。
☆ 宇宙の法則って あなた 見たんかいな? 何のこと?

お礼日時:2016/01/06 11:03

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