親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

 こんにちは。毎度お世話になります。

 先ほどオークションで英文で書かれたある紙片を見かけました。よくよく見ると、日本帝国海軍がオーストラリアを表敬訪問した際に上級乗組員に配布されたものだと判明しました。このような表敬訪問の乗務員に対して現地での行動の便宜を図るために、何らかの優遇措置が取られることは通常であったようです。
 ところで問題は、その紙片には年代の記載が全くなく、これがいつの時期のことであったのか判らない点です。その資料はかなり古そうに見えるのですが、果たしていつのものであるのか。紙の状態からは日本で言うなら明治末から大正半ばくらいではないかと推測されます。年代に関らず、相当に珍しいものであることは確かだろうと感じています。
 一応「日本帝国海軍 オーストラリア 表敬訪問」といった辺りで検索してみたのですが、思わしい結果を得られませんでした。このような事柄に詳しい方もおいでだろうと思いますので、質問をします。よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (14件中1~10件)

>シドニーの場合1日有効の券を五日分配布したように思えます。



なるほど^^

>本件の場合には券面の記載事項から判断して、
>停泊中全日有効≒配布数1人1枚ではなかったのだろうか。
>それでも発行数が多いように見えるのはやはり複数枚発行だったのか。
>悩ましいところです。

なかなか奥が深そうですね。

>例えば1915(大正4)年の場合、
>こちらの11~13ページに士官級乗員名簿があります。

いつかどこかで見たような画像でした(笑)

>それと1919(大正8)年も悪疫流行の条から、心情としては除外したくなります。

1919(大正8)年に関しましては、アジ歴側での上陸記録が?で、なおかつ、
当時ニュージーランドではオーストラリア経由の入国拒否態勢なども考慮すると、
インフルエンザにより練習艦隊も艦内待機?などの予断を持っていましたが…

現地新聞によりますと、4月27・28日(予定)の「特別列車」、
----------------------------------------
The Daily News (Perth,WA:1882-1950)
-------- Saturday 26 April 1919 --------
VISITING JAPANESE SQUADRON. MEN FOR THE CITY.
http://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/81839808

士官等の地方旅行など…
----------------------------------------
Western Mail (Perth,WA:1885-1954)
--------- Friday 25 April 1919 ---------
VISITNG JAPANESE SQUADRON.
ENTERTAINMENT OF OFFICERS AND MEN
http://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/37610390

----------------------------------------
The Daily News (Perth,WA:1882-1950)
--------- Monday 28 April 1919 ---------
VISITING JAPANESE SQUADRON TRIPS TO THE COUNTRY.
http://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/81841041

上記のほか、[Trove]の[advanced Search]にて、
http://trove.nla.gov.au/ndp/del/search?adv=y
例えば
The phrase[japanese]
Any of the words[visit]
Without these words[advertising]
Pubication date
from[22 April 1919]to[6 May 1919]
で検索しますと、
類似記事や豪州東部回避記事と一部豪州以外を含め109件ヒットします。
Sort by:[Date(earliest first)]

豪州西部では通常の上陸が可能だったようですね。

>在外寄港地で日本海軍が受けた待遇に付いて調べてまとめると、
>類書がほとんどないユニークな本になる可能性もありそうです。

面白そうですね^^

>実に楽しい質問になりました。

さすがに年特定までには辿り着けませんでしたが、
お陰様で改めて調べ物の楽しみを味わえましたm(_"_)m
少々苦痛(アジ歴の階層に苦戦)もありましたが^^

あと、残念ながら最後の御質問は?です。
これにて、本件の調べ物から離脱させていただきます。

いずれまたどこかで…

(1質問10投稿自己新記録樹立^^)
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残念ながら新ネタではございません。


知った以上沈黙するわけにもいかず、取り急ぎ御報告まで、
とは言え新聞等での裏付けは未了のままで、
「えっ!?裏取りが大事!!」とお叱りを受けそうですが…。

昨夜、新展開を求め[State Records Office of Western Austraria]内を
彷徨う中で下記記録と遭遇。
http://www.sro.wa.gov.au/
Agency No./581
Agency Title/WESTERN AUSTRALIAN GOVERNMENT RAILWAYS & TRAMWAYS
Start Date/1 Jul 1914
End Date/1 Jul 1922
http://aeon.sro.wa.gov.au/Investigator/Details/A …

No.12の投稿で会計年度にふれましたが、結果全くその必要がなく、
私自身辻褄あわせに無理な解釈をしていたようで、
現在、赤面状態で書き込んでいます。
またまた一部無用なカキコミに終始した結果、
質問板を汚してしまい誠に申し訳ありませんm(_"_)m

No.12の[Perth electric Tramway sciety>Perth Tramways]の
「1913(大正2)年7月1日」とは一年の隔たり、
…練習艦隊には影響しませんが、それ以外にフレマントル寄港艦船があれば重要な1年…
どちらかが誤りなのは確かで、組織格付では[S.R.O.]、
[Public Transport Authority]の1914年表記とも辻褄があい合わせ技で、
どうやら「1914(大正3)年7月1日」が正しいようです。

「1914(大正3)年」→「1913(大正2)年7月1日」→「1914(大正3)年7月1日」と一転二転、
お騒がせして誠に申し訳ありません。

(特に今回はやむをえずm(_'_)m、1質問9投稿自己新記録更新中)
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その後、進捗状況は如何でしょうか?私はと言えば、遅々として進みませんが、


「1915(大正4)年<阿蘇・宗谷>、
1916(大正5)年<磐手・吾妻>、
1919(大正8)年<常磐・吾妻>」の範囲で
絞り込む(込めるか否かは?ですが)方向に針路変更の後、
改めて各年の相違点を探るべく国内情報再点検の中、
No.6の投稿で脱漏した情報で気になる点が一つ。

…重箱の隅を突っつく程度の内容か、
はたまた取捨を迷う悩ましい問題か、判断できません。
単なる記述漏れと理解すれば取るに足らない情報ですが、
下記報告に漏れがなく正確となれば、
1915(大正4)年を除外出来る可能性があるかもしれません…

同一報告内で「第四節 フリーマントル…三 雜件…」では
特権の記述あれど乗車券の記述無し、同時に<ARMADALE>の記述も無し、
「第五節 メルボルン…三 雜件…」では乗車券の記述あり、
「第七節 シドニー… 四 雜件…」では上級士官用乗車券の枚数記述もあり。

用語遣い、漢字表記、書き癖等から記述者が違う場合もあるように思われますが、
単に記述漏れなのか、過去実績からは考え辛いですが1915年「フリマントル」では
特権あれど乗車券なしなのか、また<ARMADALE>は範囲外それとも記述漏れ、
何れかは定かではありませんが、少し気になりましたので、
念のため報告させていただきます。

(それ以外に、1916(大正5)年、1919(大正8)年もアジ歴で再点検してみましたが、
現時点では、めぼしい情報が得られません)

■1915(大正4)年<阿蘇・宗谷>追加情報

◇件名:諸報告 2止(7)
[レファレンスコード]C08020622500[画像数]54
[階層]防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>(10)公文備考等>公文備考>大正>大正4年
>大正4年 公文備考 巻55 艦船15
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C08020622500
<21/54> 第四節 フリーマントルニ於ケル交歓其ノ他…
<34/54> 三 雜件…
<35/54>
當地在泊中ハ政廰ニ於テ左ノ特權ヲ艦隊ニ與ヘタ
(イ)、士官ハ政廰經營ノ汽車、電車及フェリー(渡船)ニハ無賃乘車乘船シ得ルコト
(ロ)、制服着用ノ士官、候補生、准士官、下士卒ハパース及フリーマントル間ノ汽車
   パース市電車及サウスパースフェリーニ無賃タルヘキコト
   フリーマントル市ヨリモ亦同市ノ電車無賃乘車ニ備?ウルト?申出テタリ

<36/54> 第五節 メルボルンニ於ケル交歓其ノ他…
<52/54>
三 雜件…
聨邦政府及州政府ヨリ左ノ申込アリタリ
(イ)司令官及高級士官ニ對シテハヴクトリア政府ハ州内何レヘ旅行セラルヽモ
  汽車ノ無賃乘車券ヲ提供ス
  下級士官及下士卒ニ對シテハ郊外一定ノ區域迄ノ無賃乘車券ヲ提供ス

◇件名:諸報告 2止(8)
[レファレンスコード]C08020622600[画像数]51
[階層]防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>(10)公文備考等>公文備考>大正>大正4年
>大正4年 公文備考 巻55 艦船15
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C08020622600
<8/51> 第七節 シドニーニ於ケル交歓其他…
<19/51> 
四 雜件
政廰ハ上級士官ニ對シ政廰所管ノ銕道無賃乘車券(五枚)ヲ交付セリ
シドニー市ハ艦隊乘員ニ對シ電車ノ無賃乘車ヲ申出テタリ

以上 如何でしょうか?

なお、「W.A.G.R.&T.」設立に関しまして、No.11既投稿のとおり
Public Transport Authority>about Us>Our History>1901 to 1950
では、1914年設立との年表記があり、一方下記URLでは、
「1913年7月1日<Perth Tramways>政府管理下で運転開始」の記載があります。
◇Perth electric Tramway sciety>Perth Tramways
Nationalisation and expansion: 1913 - 1930
http://www.pets.org.au/pets10p.html
これは、会計年度(financial year)に原因があるようです。
現在オーストラリアの会計年度は7月1日から翌年6月30日ですが、
1913年7月の新聞を例にあげれば
----------------------------------------
The Argus (Melbourne,Vic.:1848-1956)
--------- Tuesday 15 July 1913 ---------
STATE STEAMSHIPS.
WESTERN AUSTRALIA'S LOSSES.
PERTH,Mondy.― The revenue and expenditure of the State steamships
for the financial year ended June 30,…
http://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/7288538
当時の会計年度も現在と同様のようですから、
正確な年月日は「1913(大正2)年7月1日」以降とすべきようですね。

>複線区間の末端、即ち近郊線の終点であった。
>更に港湾への短絡線との接続駅でもあり、
>有効範囲を設定をする上で非常に区切りが良いと思います。

正におっしゃるとおりだと思います^^

>次は券番に別のヒントがあるかもしれません。

「0539」が例えば5月3日9時発券ならば、
「1919(大正8)年4月22日-5月5日」が唯一期間内でほぼ決定ですが、
そんな奇想天外は有り得ず、素直に券番と考えるしかないのでしょうね。

増員情報等はあれど、意外にも乗組員総数の情報が何処にあるのか?です。
また既投稿のとおりアジ歴での上陸に関する情報量は
1915(大正4)年>1916(大正5)年>1919(大正8)年の順で
1919(大正8)年に至ってはアジ歴に限れば上陸情報は皆無です(今のところ^^)。
1903(明治36)年、1910(明治43)年などであれば、
近代デジタルライブラリーにも練習艦に関する書籍がありますが…
結構煮詰まってきたのかもしれませんね。

門外漢の私からすれば、
年度ごとの乗員数に極端な差異があるとも考え辛いのですが、
「次は券番に別のヒントがあるかもしれません。」の御言葉には
私などには窺い知れない何らかの鉄道業界の慣行秘話などが有るのでしょうか?

あと、既回答者様の御指摘にもありますように、
正に第一次世界大戦(1914.7.28~1918.11.11)期間とも重なりますから、
練習艦隊以外の艦船の寄港も考慮すべきなのは確かだと思いますが、
現時点では大戦期間中の頃のフリマントル寄港艦船は練習艦隊以外の
帝国海軍の軍艦等は見出せていません。

総点検となると現状では「アジ歴」各艦船記録か
「Trove」新聞記事しか思いつかず「Trove」の方が近道なのでしょうが、
私の場合は一般教養課程時代の外国語科目履修から早〇〇年、
私的にはフランス人女性とは日常の英会話程度で対応したのも今は昔、
仕事上では定型の書面を除き稀に必要に応じて翻訳(英米語など→日本語)外注、
翻訳後の一部を専門用語に修正する程度に過ぎませんので、
今回は四苦八苦(><)

一時、庭を彩った白、紫、薄桃色のサツキも強風とともに散り始め、
目蓋には下記URLもちらつき始める今日此頃ですが、

http://www.sro.wa.gov.au/

http://www.pta.wa.gov.au/

さすがに落札者=所有者の ichien2 様を差し置いて
問い合わせるなんて美味しい手段を奪い取るなどの信義則違反は以ての外^^
或いは御家族など周囲には調査・研究目的でオーストラリア行を名目に
豪遊を目論んでいらっしゃるかもしれない
ichien2 様の邪魔をすることにもなりかねませんから…

なんて一見、綺麗事をいってますが、要は私自身の英作文能力欠如が、
日豪の外交問題に陥るやも知れずの危惧が最大理由だったりします^^

(1質問8投稿自己新記録更新中^^)
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この回答へのお礼

 先ず訂正から。回答10のお礼の末尾で「体裁から見てもこれは兵卒用のものと考えて良いでしょう。」と不用意に記してしまいました。既に自分でも士官用と言い、券面にもはっきりとそう記載されていることを勝手に変えてはいけません。これは全く私の誤りです。

 ただ、であるとするとこの500番代の発行数がひどく多いような気がします。注記には「停泊中有効」とあるので、士官1名当たり1枚が配布されたと考えるのが妥当でしょう。
 もちろんこれは訪問が何隻の艦隊であったのかにもよります。現在問題となっている3回においてはすべて各2艦での編成となっています。練習の目的は士官候補の練成にあるということです。すべての回に明記されてはいませんが、おそらく毎回その目的で行われていたと捉えて良いでしょう。州政府は候補生も士官と認めて、本件のような優等乗車票を配布したと想像します。
 そのうえで、1回当たりの寄航で500枚もの発券はかなり多いのではないか。こう感じる次第です。ここでまた私の知識の欠如で困っているのですが、それでは通常の戦艦の乗員数や構成はどのようなものだったのか、ということになります。これはのちほど続けます。
 ところが最新のdayoneさんの調査の中に極めて興味深い記録が出てきました。1915(大正4)年の記録中、シドニーに於ける上級士官用乗車券の枚数記述。おおっ、これは、と思ったのですが。残念ながらこの数字は各士官への割り当て枚数で、発行総数というわけではありません。推測が続きますが、シドニーの場合1日有効の券を五日分配布したように思えます。この方式はアメリカ艦隊用の乗車票でも実施されています(その結果どうか判りませんが、年に数回はアメリカのオークションにそれが出てきます)。
 本件の場合には券面の記載事項から判断して、停泊中全日有効≒配布数1人1枚ではなかったのだろうか。それでも発行数が多いように見えるのはやはり複数枚発行だったのか。悩ましいところです。
 ここで、乗務員数の記録が無いとは到底考えられませんから、原資料に戻ります。例えば1915(大正4)年の場合、こちらの11~13ページに士官級乗員名簿があります。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C080206219 …
両艦で計83名。候補生は18ページ以降に名簿があり、総員117名と記されています。この総計が丁度200人。
 各次の規模はほぼ同じ程度であったろうと私も推測しています。実施年次に間が開いた場合、人員を増やした可能性もあります(ただ今これ以後の年次の記録を未参照のままです)。500枚というと、総体の予備を含めて、一人に2枚を割り当てたとするとまずまずの推計になります。ですがこれは勘定合わせのこじつけの域を超えません。なんとも判断が付きかねる状況です。

 1915(大正4)年の場合フェリーにも乗船可という部分が気になります。それと1919(大正8)年も悪疫流行の条から、心情としては除外したくなります。この際の悪疫はスペイン風邪に先立つ、十年ほど流行が継続したインフルエンザのようです。
 これ以上はやはり直接現地にレファレンスを依頼するしか手立てがないかもしれません。
 そう言えば第1次世界大戦ではオーストラリアはガリポリの戦いで大敗を喫したな、などと相当以前に観た映画「誓い」を思い出したりもしていました。

 度々綿密に調べたうえでのお答えをいただきましたが、差し当たりやれるのはこの辺りまでかと感じます。最終的な解決は私に委ねられています。幸いお礼欄には余裕も有ります。いずれ答が見つかったところで改めて記載する日が来ると良いと思います。
 それにしても日本だけを対象にこのような切符を出していたわけではなかろうに、ebayで類似のものを見たことがありません。やはりあまり多くはない、むしろほとんど無いものなのだろうか、などという俗な妄想が膨らんだりします (^^; 在外寄港地で日本海軍が受けた待遇に付いて調べてまとめると、類書がほとんどないユニークな本になる可能性もありそうです。
 一方的に調べていただく形になってしまいましたが、実に楽しい質問になりました。重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございます。

 最後に。そう言えば「アミノウチ」さんのIDはご存知でしょうか。彼もまた記憶に残る回答者の一人でした。ここで姿を見かけなくなったのち、或るSNSのOKコミュニティに参加しているのを発見しました。私はあの方の専門を示している自己紹介文がどの分野のものであるのかを未だに見出していません。このために声をかけることもしないでいます。
 このようなこともあります。またいずれどこかでお目にかかる機会もあろうかと思います。

お礼日時:2012/05/14 16:50

豪州上陸後の経過報告(1質問7投稿自己新記録更新中^^)



上陸早々つまずきました、
[No.9&10]の「1903(明治36)年説」は自らの勇み足であえなく却下、
もっと ichien2 様のコメントを噛みしめるべきでした(><)
自らも気付く機会はあったはずの「W.A.G.&T.」…
素直に読めば
「Western Australian Government Railways and Tramways」
1890 Western Australian Government Railways established
1914 Western Australian Government Railways and Tramways established
1922 Western Australian Government Railways, Tramways and Electricity Supply
established
これ即ち1914~1922の範囲内、よって練習艦の寄港年に当て嵌めれば
1915(大正4)年、1916(大正5)年、1919(大正8)年の何れか…
http://www.pta.wa.gov.au/AboutUs/OurHistory/tabi …

再び「<Armadale>駅名表記」の謎が復活しますが、取り敢えず現時点では、
「1915(大正4)年、1916(大正5)年、1919(大正8)年」の範囲で
絞り込む(込めるか否かは?ですが)方向に針路変更してみます。

あと直接は関係ありませんが、
<TROVE>の新聞記事で「1915(大正4)年6月、メルボルン、阿蘇・宗谷」
に関するものがあります。どうやらメルボルンでは、
士官が州内全域、一般乗組員(水兵)が近郊域の様子ですね。
-----------------------------------------
The McIvor Times and Rodney Advertiser
---------- Thursday 17 June 1915 ----------

Consequent upon the services which the Japanese navy has rendered
the Allies since the present war began,
the officers have been treated most royally,
and have been granted free passes over the railways of the State,
and the men have been granted passes over the suburban railways.

http://trove.nla.gov.au/ndp/del/article/74749861 … ticket japanese navy&searchLimits=l-availability=y

こういう事の繰り返しになるかもしれませんが、
宜しくお願い致しますm(_"_)m
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諸事情から再びの登場を御容赦下さいm(_"_)m



NO.9の投稿分の

上記各図(最後の分を除く)で注目したのは、
<FREMANTLE><PERTH><ARMADALE>の三角形の各辺(路線)についてです。
「◇1897(明治30年)」の地図には<FREMANTLE><PERTH>間(左辺)と
<PERTH><ARMADALE>間(右辺)の2辺(路線)は既に存在しますが、
<FREMANTLE><ARMADALE>間(底辺)の1辺は存在しません。
それが「◇1907(明治40年)/WAGR」地図では、
<FREMANTLE><ARMADALE>間の1辺も含めた三角形が形成されています。

調べてみると<FREMANTLE><ARMADALE>間の路線は、1907(明治40)年が開通時期のようです。
ここで寄港年の1903(明治36)年と1910(明治43)年とでは明らかな相違点が見つかりました。

※ただし上記「◇1902-1903(明治35年-明治36年)」地図情報と 
「<FREMANTLE><ARMADALE>間の路線は、1907(明治40)年が完成」とが矛盾する
弱点を抱えている状況ではありますが、その反証として
◆Andy's home page では、
http://website.lineone.net/~asmay/wagr_map.htm
上部全体図では分かり辛いですが、下部拡大図で見ると
<FREMANTLE>を起点として南下する路線がライトグリーン(1896-1905間完成)、
途中東進する路線がダークグリーン(1906-1915間完成)で<ARMADALE>方面に至ります。
また、別の文字情報によれば<FREMANTLE><FORRESTDALE>間は1905年開通、
<FORRESTDALE><ARMADALE>間は1907年開通により、
<Fremantle Armadale railway lines>1907年完成~1963年廃線の情報もあり、
現時点では調べ切れていません。

さて、お話を最初に戻しますと、
「<Armadale>が或る路線(=South Western rly.)の終点駅だったと仮定すれば、
州営か民営かを問わず他の二つの表記と同様に路線名等で表記すれば事足りるようにも
思えますし、券面にはその程度の余地はありそうです。…」。
これに「<FREMANTLE><ARMADALE>間の路線は、1907(明治40)年が完成」を加えると、
1903(明治36)年時点では路線(=South Western rly.)途中駅に過ぎない
<ARMADALE>は駅名表記にならざる得ないとしても、
1910(明治43)年になると「<FREMANTLE><ARMADALE>間の路線名」を券面に
…例えば<Fremantle Armadale lines>などと…表記することも可能になります。

以上から 極私的見解を述べれば、
これまでの限られた情報の範囲内に過ぎませんが、
御質問の乗車券は「1903(明治36)年4月22日~30日」に使用され得た
可能性が高いように思いますが、如何でしょうか?

たとえ<Fremantle Armadale railway lines>が1907(明治40)年に開通しても、
1910(明治43)年以降も従来の書式に則り先例どおり<ARMADALE>駅名表記を
頑なに守り続けたとか、その路線には乗車不可などの特別な事情があった
などの可能性までを否定することは出来ませんが、
そうなるとこの観点からの年度特定はお手上げです。

真実の行方は別としましても、
非常に興味深い調べ物を継続出来たことに感謝申し上げますm(_"_)m

と、綺麗にまとめたいのですが、私の見解の拠り所でありますところの、
「<FREMANTLE><ARMADALE>間の路線は、1907(明治40)年が完成」の裏付作業が中途半端な為、
また何時時点の何処の区間が<suburban lines>なのかすら未調査未認識のままで、
吹けば飛ぶような見解ですから、調べ物を続行したいとは思いますが、
なかなか時間がとれません(><)

あと、既に御存知かもしれませんが、
[National Library of Australia-Trove-]では、
http://trove.nla.gov.au/
[Maps]に限らず[Digitised newspapers and more]も凄まじく
アジ歴に似て確かに「Trove(宝庫)」ですが何しろ情報量が多過ぎます^^

(私の記憶が正しければ、1質問6投稿は自己新記録です^^)
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この回答へのお礼

 返事をお待たせしました。度々ご回答ありがとうございます。

 いや、これら鉄道地図には驚きました。やっぱり在るところにはあるものですね。この辺を知らないと探すだけでも大変な労力を必要とします。もう助けていただく一方になっています。
 1897年版と1902-1903年版との大きな相違はフレマントルからアーマデールへの路線が開業したことです。ついで1907年版ではフレマントル‐(パース)-ミッドランド・ジャンクション並びにパース‐アーマデール間の複線化が完了。
 この辺の変化が「近郊線」の呼称に関っているのではないでしょうか。フレマントル‐アーマデール線は単線のようですが、外洋船はフレマントル発着ですから、短絡線として重要だったかと思われます。
 何故南西方面に向かう路線の有効範囲をアーマデールで区切ったのか。複線区間の末端、即ち近郊線の終点であった。更に港湾への短絡線との接続駅でもあり、有効範囲を設定をする上で非常に区切りが良いと思います。
 参考ですが、日本の鉄道庁がアメリカ艦隊に発行した乗車票の有効範囲は以下のようでした。横浜(現在の桜木町辺りに在った初代横浜駅)から新橋間。見つけられなくなっているのですが横浜開港資料館のサイトにも同じ券があります。こちらにはより詳しい解説があり、そこに明記されています。券面には富士山の写真があるものの、実際にはそれほどの遠距離には使用できないものだったようです(尚、兵卒用には3等1往復乗車票が配布されたといいます。吉原まで出向いた兵士が暴れて大騒ぎになった、という事件も起きたとか。笑)。
 これから考えると州政府から配布された乗車票の有効範囲もこの程度で妥当ではないかと思われます。

 そこで券面の「W.A.G.&T.」の意味になります。これに付いては回答11に全く異存の余地が無い「Western Australian Government Railways and Tramways」を提示していただきました。こうなれば自ずとTramwaysが州営化されたのちのものであることが明白であると思います。この表記が用いられ始めたのは回答11で1914年に間違いが無いとあります。
 更に推測を進めると、であるならばTramwaysの州営化後、1914年以降のものである可能性が高い。回答6にある
> 1915(大正4)年、1916(大正5)年、1919(大正8)年
のいずれかではないか、となってきます。まさしくdayoneさんが回答11で私に先行して推測しているとおりです。

 回答11の末尾に当時の新聞記事を採録していただいています。この乗車票が必ずその年度のものというわけではありません。ですが体裁から見てもこれは兵卒用のものと考えて良いでしょう。であるとすると、次は券番に別のヒントがあるかもしれません。
 先に私が述べた「この体裁の券を多量に印刷して取り置き→多年度に亘って都度発行」というのは現実的ではありませんね。大したものではないので、その都度印刷すれば済むことです。
 一先ず今夜はここまでとして、これに付いてはまたのちほど続けます。

お礼日時:2012/05/13 00:30

実物画像を拝見しました^^



意外にも有効区間の範囲が狭いことに驚きました。
<W.A.G.R.>は<West Australian government railways>の略として、
<&T.>部分は<tramways>の略と考えてよろしいのでしょうか。
気になったのは<Suburban Lines><Perth Tramways>に対し、
<Armadale>は駅名表記のみ…

御存知のとおり、私は主に帝国海軍情報の収集(担当^^)に没頭していたため、
豪州各港位置は意識せざるえませんでしたが、鉄道情報の収集を疎かにしていたので、
内陸の地名・駅名など位置関係お構いなしに文字情報を流し読む程度でした。

ここにきて、私は自らの先入観の誤りに気付きました(><)

自由乗車券なるものは西豪州全域乗り放題と勝手に思い込んでいました。
既投稿の「制服着用者ハ西濠洲内汽車ニ自由通行ヲ許可セラレ」などのフレーズと、
アルバニーなどの遠方なども含め思いのほか彼方此方に足を運んでいる事などから
「自由乗車券」も同等と思い込んでいまいたが、改めて既投稿各文面を見ると
全域とまでは何処にも書いていませんでした(><)

当初は漠然と有効区間=西豪州全域と思い込んでいたため、
寄港年の範囲内で各駅の開設年さえ判明すれば、
何年度以降の使用までは分かるとしても、
廃線区間や何らかの特殊事情でもない限り年度特定となると
困難では?程度に考えていましたので、
「自由乗車券」の画像を拝見して愕然としたのが正直なところです。
第一印象では事態はより深刻のように思えました。
それが、文頭の「意外にも有効区間の範囲が狭いことに驚きました。」
になるわけです。

上記の前置きは不要とのお叱りを受けそうですが、
疑問解消のプロセスの中で、私にとりましては一大転換を迫られたワケです^^

さて、ここからが本題です。

現時点では幾つかの裏付け未了のため仮説程度にとどまり
残念ながら疑問解消までには至りませんが、
私もおぼろげながらではありますが、少し違った観点から一つの見解が浮かんでいます。
ichien2 様と同じく勿論キーワードは券面の<Armadale>で
それをどのように捉えるかって事に尽きるように思います。

「<Suburban Lines><Perth Tramways>に対し<Armadale>は駅名表記のみ」なのは何故か?
当時<Fremantle><Perth>間は<suburban lines>の範囲内で<Armadale>は範囲外だとしても、
<Armadale>が或る路線の終点駅だったと仮定すれば、
州営か民営かを問わず他の二つの表記と同様に路線名等で表記すれば事足りるようにも
思えますし、券面にはその程度の余地はありそうです。
そこから導き出されるのは、
<Armadale>は当時の或る路線の途中の中間駅であろうことと、
当該路線の<Armadale>以遠(以南)は自由乗車の範囲外であることを表記するに際し
券面枠を考慮すると、路線名だけならまだしも、路線名とともに
当該路線は<Armadale>迄有効又は以遠(以南)無効などを明示するには長文過ぎるので、
単純に<Armadale>の駅名表記に止めたのではないかと考えています。

そんな分かり切った事を今更とお嘆きのお顔が浮かびそうですが^^

一大転換後の検索は、一旦文字情報から離れ西豪州を鳥瞰すべく
フリマントル開港頃から明治43年頃の範囲で地図情報収集から始めてみました。
設定課題は「寄港年の「明治36年」と「明治43年」との相違点は何か?」です。

◆National Library of Australia-Trove->maps
http://trove.nla.gov.au/map?q=

◇1897(明治30年)/フリマントル開港年 
※WAGR作成分ではありませんが、
地図右下角レファレンスに線路表記が州営・民営区別有、
<ARMADALE>駅の属する<South Western rly>は州営線路表記。
[Railway map of Western Australia, 1897]
/prepared and published under the authority of Hon. F.H. Piesse,
Commissioner for Railways, Western Australia, July 1897
Creator:Western Australian Government Railways Commission
http://www.nla.gov.au/apps/cdview?pi=nla.map-rm1 …
http://trove.nla.gov.au/work/20349564

◇1902-1903(明治35年-明治36年) 
※WAGR作成分ではなく、線路表記が州営・民営区別無、
地図上では作成年の記載がないものの、「National Library of Australia」では
「1902-1903」年作成扱い、現状では私の下記見解を否定しかねないのがこの地図。
他に1903年~1906年の間の地図があればよろしいのですが、
現時点ではめぼしいものが見つかりません(><)
[Map of Western Australia,[1902-1903]Dept.
of Lands & Surveys, Western Australia]
Creator:Western Australia. Dept. of Lands and Surveys
http://www.nla.gov.au/apps/cdview?pi=nla.map-db8 …
http://trove.nla.gov.au/work/17547246

◇1907(明治40年)
※WAGR作成分、左下角レファレンスに州営(複線・単線)、民営区別有。
[Railway map of Western Australia, 1907]
/prepared and published under the Authority of Wm. J. George, Commissioner of Railways
Creator:Western Australian Government Railways Commission
http://www.nla.gov.au/apps/cdview?pi=nla.map-vn2 …
http://trove.nla.gov.au/work/13927813

◇1907(明治40年)
※<Midland Railway Company of Western Australia>作成分、
2箇所の<tramway>表記により参考添付。
[The West Australian Midland land grant railway company limited]
Creator:Midland Railway Company of Western Australia
http://www.nla.gov.au/apps/cdview?pi=nla.map-vn9 …
http://trove.nla.gov.au/work/21886821

諸事情から一旦失礼致しますm(_"_)m

(私の記憶が正しければ、1質問5投稿は自己タイ記録です^^)
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すでに下記URLなど御確認済みの場合は、笑って許して下さい^^



例えば
『濠洲の通信及交通事業/通信調査会/昭和17.4』
・「第四章 濠洲に於ける交通事業の沿革
第一節 鐵道 五 西オーストラリア州」<57~58/95>(98~100頁)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1068534/57
・「第五章 濠洲に於ける交通事業の現況
第一節 鐵道事業 二 聯邦鐵道 (3)濠洲横斷鐵道」<76~/95>(136~頁)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1068534/76

などで当時(1903年頃)の漠然とした全体像なら掴めますが、
<Suburban Line><Armadale>などの個別具体的な事となると皆目分かりません。

時代変遷のわかる鉄道路線図があれば、一目瞭然なのでしょが、
残念ながら上手くヒットしませんでした。

正確度の問題から普段は Wikipedia を参考URLとして
貼附することは少ないのですが、
Wikipedia The Free Encyclopedia> Armadale railway line
項目の記述を抜粋すれば、
http://en.wikipedia.org/wiki/Armadale_railway_line

The Armadale Line is a suburban railway line in Perth, Australia.
It runs through Perth's south-eastern suburbs and connects Perth and Armadale.

The Armadale line was opened on 2 May 1889.
An 1891 contract tender described the route of the new line from East Perth to Pinjarra。

The original stations were Perth, Kelmscott and Armadale.
Cannington and Welshpool opened later in 1897 and 1898 respectively.

Armadale 線はパース、オーストラリアの郊外鉄道線。
<Perth>南東郊外を通って<Perth><Armadale>を接続。

Armadale 線1889年5月2日開業、
1891年<East Perth><Pinjarra>間新線。

最初(初期)の駅は<Perth><Kelmscott><Armadale>。
<Cannington><Welshpool>各駅はそれぞれ1897、1898年開設。

以上のことから…もちろんWikipediaの記述が正しければ、ではありますが^^…

仮に一つの乗車券中に有効区間などとして終着駅名の
<Perth>&<Armadale>の記載があるとすれば、別経路でも無い限りは、
その年代は早くとも「1889(明治22)年5月2日」以降、
なお『ブリタニカ』「パース」項目によれば、フリマントル港の開港は1897(明治30)年、
…また濠洲横斷鐵道(Trans-Australian Railway カルグーアリ・オーガスタ港線)は
1917(大正6)年10月17日全線開通…
なので別港(アルバニーなど)経由などで無い限りは1897(明治30)年以降となって、
既投稿の「1903(明治36)年」「1910(明治43)年」を含む6件の練習艦等に繋がり、
概ねの使用年代が最大幅「1903(明治36)年~1919(大正8)年」に落ち着くのか、
はたまた脱漏年度の練習艦か未調査の軍艦が登場するかもってところでしょか^^

なお「実物画像」未読であることと、
ichien2 様のおっしゃる
「ただ券面注記の有効区間に関して確実なことが言えません。…
…(=他に路線が無い)。」の御言葉の意味を誤解しての
私の早合点の場合は御容赦下さいm(_"_)m
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再び、失礼致します。


私自ら安易に一区切り発言をしてしまいましたが、
…下手な言い訳は勝手に省略させていただきます…

実は、明治36年(4月22-30日)時点で既に
「制服着用者ハ西濠洲内汽車ニ自由通行ヲ許可セラレ
又平服ノ者ニ對シテモ又通行券ヲ贈與セラレタリ」の
実績があるようです。

■1903(明治36)年

断片情報を寄せ集めますと「ペルス≒フリーマントルの首府」、
「ペルス≒パース」のようで、
複水器故障による淡水不足等や台風により大幅予定変更、
「ペルス/4月1日着-4月6日発」予定のところ
厳島4月3日午後「ペルス」(単独)到着、松嶋・橋立は他地に、
4月14日午後6時厳島は一旦フレマントルを離れ艦隊と合流、
4月22日厳島午前8時、橋立9時、松嶋10時フレマントル着で、
4月30日発の様子。

件名:少尉候補生実務練習の為練習艦隊(松嶋 厳嶋 橋立)
編制遠洋航海の件付報告書(其の1)(15)
[階層]防衛省防衛研究所>海軍公文書備考類>(10)公文備考等>公文備考>明治>明治36年
>明治36年 公文備考 巻4 教育2
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C060914506 …
…四月廿四日(金)…
<1/50>15~19行目
右水源地ヨリ一度ペルスニ引還シテ午后七時半ノ急行ニヨリ
カルグーリー金鉱視察ニ赴ク同行者二十七名何レモ政府ヨリ
寝䑓汽車ヲ用意セラレタリ
當地碇泊中制服着用者ハ西濠洲内汽車ニ自由通行ヲ許可セラレ
又平服ノ者ニ對シテモ又通行券ヲ贈與セラレタリ

<2/50>
四月二十五日(土)…
我軍楽隊ノ先導ニヨリテ停車場迄フリマントルヲ進軍シ
其ヨリ特別列車ニテペルスに至リ…
…午后五時半發ノ特別列車ニテ皈艦ス
<3/50>
四月二十六日(日)…
カルグーリー市中見物シ午后三時発ノ汽車ニテ
出發ス見送ルモノ出迎ノ時ニ過グス途次クールガルヂー駅過ノ…
<5/50>

フリーマントル記事
一 築港
…首府タルペルスハ僅カニ?港ニヨリテ交通ヲ保チタルノミ…

件名:少尉候補生実務練習の為練習艦隊(松嶋 厳嶋 橋立)
編制遠洋航海の件付報告書(其の1)(14)
[階層]防衛省防衛研究所>海軍公文書備考類>(10)公文備考等>公文備考>明治>明治36年
>明治36年 公文備考 巻4 教育2
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C060914505 …
<49~50/50>
四月廿二日(水)…
厳島ハ午前八時橋立ハ九時松嶋ハ十時半揚錨シテ水先…横附ス
四月廿三日(木)…

午后一時十五分ペルス市長ブラウン氏…
四月廿四日(金)…
午后二時十五分本職(=司令官)以下四十余名ハ政府ノ案内ニヨリ
特別列車ニテマンダリングウエイル水源地ニ行ク
地方ノ紳士貴女二百余同行シ本職幷艦長等ハ総督ト同車ス

當水源地ハパースヲ距ル東方約三十哩ノダーリング山間ニアリ
ペルスヨリ汽車通行水源長約七哩…

■1910(明治43)年

件名:遠洋航海概況報告(8)
[階層]防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>(10)公文備考等>公文備考>明治>明治43年
>明治43年 公文備考 巻39 艦船22 練習艦隊(阿蘇宗谷2)2
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C060923484 …
<16/61>
〇著名ノ市人口及距離
・「フレマントル」/一八、九四五/「パース」ヨリ十二哩(鉄路)
・「パース」(附近ヲ含ム)/六一、〇〇〇(一九〇八年未調査)
・「クールガーヂー」/二、八二九(附近ヲ含ムレバ二〇、〇〇〇ナリ上向ク)/
「パース」ヨリ三百五十一哩(鉄路)
・「カルグーリー」/六、五五四/「パース」ヨリ三百七十一哩(鉄路)
・「ブルーム」/白色人八〇〇、異色人三、三〇〇(陸上及海上ヲ併セ)/
「ブルーム」ハ「パース」ヨリ鉄路連絡ナシ「フレマントル」ヨリ汽船便ニテ
二週間ヲ要ス(途中寄港スルヲ以テナリ)

〇西濠州政府ハ「パース」「フルマントル」間ノ汽車ハ制服着用ノ我軍人ハ無賃乗車ノ亊ニ
取計ヒタリ又夛数兵員ノ上陸時ニ当リテハ特別汽車ヲ仕立テタリ士官以上ニハ當州鉄道ノ
自由乗車券若干ヲ贈リ来リタリ

以上 取り急ぎ御報告まで

なお「実物写真」URLをクリックして試しにアクセスさせていただきますと、
不慣れなため私のアクセス方法が不適切なのでしょうか?
ID&PWを求められますので、念のため新規登録の上、
改めてアクセスを試みますと「実物写真」URLアドレスが直ぐに
http://box.yahoo.co.jp/promo/
に書換えられる次第でございます。
それとも私の早合点で未公開のままなのでしょうか?

では、またあらためまして…
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この回答へのお礼

 回答を数次に亘っていただいていますので、私もここまでに調べたことを記しておきます。
 先の写真のURLは公開用のものではありませんでした。手数をお掛けしまして、恐縮です。やはり一旦ログアウトして確認をするべきでした。今度は大丈夫なはずです。
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-7 …

 この切符の
> Suburban Lines and Armadale,
から推測すると、アーマデール方面の路線は当時はSuburban Linesに含まれていなかったようです。ですがウィキペディア英語版でPerthの鉄道部門を読むと、現在はSuburban Linesは5路線有り、その中にアーマデール線も含まれています。
 しかも1990年代に建設された2路線を除くと、本件でも重要な路線であるFremantle Lineも含めてすべてが19世紀の内に開業しています。残る1路線はMidland railway lineと言い、その名のように大陸中央方面へ向かっています。これは近郊区間終点で州間路線につながり、のちの回答でも出てくるカルグーリーへ至ります。
 といった具合で、それぞれの記事を読んでも時期を絞る役に立ちそうにありません。しかも金鉱山視察の件から考えると、逆に当初の私の推測を遡って、明治36年の航海まで含める必要がありそうです。この辺は既にdayoneさんも確認済みで、私が一方的におぶさっているようなことになってしまっています。
 なかなかむつかしいですね。ここまでで唯一手掛かりがあるとすると、アーマデール線が近郊線に含まれなかったのはいつ頃までだったのか、が挙げられます。
 尚既にアーマデールはパースの東南15kmほどと記しましたが、実際は30kmと少しです。東京からだと東海道線で横浜を過ぎた辺りになります。今の列車ならば30分とはかかりませんが、歩くには少々気合が必要でしょう。

 更にもう一点。切符には> Suburban Lines and Armadale,に続いて、
> Perth Tramways.とあります。
tramwayの項には、19世紀末には数社の市街電車線が複数存在していたとあります。これらは1914年に西オーストラリア州政府がすべてを統合し、運営するようになったとのこと。
 ただし、州政府が各社に命じて優待乗車を認めさせたのか。或いは既に州政府が運営していたので全く支障無しで優待乗車扱いを設定できたのか。実質は判りません。
 日本の場合このような使節に対する優待乗車の扱いは、官営鉄道、横浜や神戸などの自治体運営の市電及びバス、更に民営鉄道(やバス)、それぞれが乗車証を発行するのが常態であったようです。
 先の1908年の米国艦隊の場合、鉄道庁以外に少なくとももう1社が発行していたことが明らかになっています。横浜港に入港したので、地元である横浜電気鉄道(公営化される以前の横浜の市電の母体)もなんらかの優待券を発行したかと思われます。ですがこれに付いては横浜市電の乗車券を相当に収集整理した方による著書「横浜市電廃止記念 乗車券でつづる70年の歴史」にも記載がありません。東京に於いては、当時市電を運営していた東京鉄道が、これも多色刷りの美麗な優待券を配布しています(一度だけオークションで見たことがあります)。
 パースの場合市電の路線は輻輳する部分もあったと思われます。民営時代だとしてもそれぞれが優待券を作成するのは煩わしいため、州政府に一括して委任したかもしれません。ということでこちらも手掛かりとするにはかなり薄弱なものです。

 最終的な解決方法は、地元博物館に訊ねる、になりそうな気もします。ただ、このような紙片ですから、地元でもきちんとした記録や現物が無い可能性も有ります。逆にすばらしく整っているかもしれません。
 以上次第に心もとないお礼になってきていますが、この点はご容赦ください。一先ずここまでで、また調査を続けることにします。
 度々の手書き文書の調査ならびに読み解いての回答、本当にありがとうございます。

お礼日時:2012/05/06 15:49

こんにちは!!


予感はありましたが、やはり"ichien"様でしたか^^

興味津々の「実物写真」と具体的な路線調査などは、
後の楽しみに取っておいて、
No.5投稿では中途半端であった部分の補足として
前回投稿時点から現在に至る間の下調べ分の
一部修正を含む追加カキコミにより一区切りとさせていただきますm(_"_)m

No.5投稿文中
※誤※
-----------------------------------------
1910(明治43)年、1912(大正元)年~1913(大正2)年、1916(大正5)年、1919(大正8)年の4回など
-----------------------------------------
※正※
1910(明治43)年、1912(大正元)年~1913(大正2)年、1915(大正4)年、1916(大正5)年、
1919(大正8)年の5回

と修正、あとは前回分に引き続き以下のとおりです。

■1915(大正4)年<阿蘇・宗谷>(※前回カキコミ時、フリーマントル寄港年から脱漏)

フリーマントル停泊期間<5月31日着-6月6日発>中、乗車券についての記述はないものの、
6月1日司令官&両艦長のパース移動と、
6月1~4日の4日間に候補生准士官下士卒のパース移動の記述あり。

件名:諸報告 2止(2)
[階層]防衛省防衛研究所>海軍公文書備考類>(10)公文備考等>公文備考>大正>大正4年
>大正4年 公文備考 巻55 艦船15
<49/52>
6月1日「司令官両艦長パースニ西濠洲總督同首相(首相不在ニテ代理者ニ靣會)
パース市長訪問シ陸軍指揮官ヲ訪問ス皈途海軍指揮官ヲフリーマントルニ答訪ス…」
<50/52>
(6月1日)「パース市長「レセプシヨン」及洲首相主催ノ晩餐ニ招待セラル
本日ヨリ四日間州政廰主催ニテパース動物園ニ於テ
候補生准士官下士卒四分ノ一宛ヲ招待シ茶菓ヲ饗セラル」
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C080206220 …

■1916(大正5)年<磐手・吾妻>

フリーマントル停泊期間<5月29日着-6月3日発>中、
下記の練習艦隊司令官発・大臣受信記録はあれど、詳細不明。
「件名:第43期少尉候補生実務練習報告(1)」「件名:同(2)」などでも
予定表等に登場する程度。

件名:各地寄港及歓迎
[階層]防衛省防衛研究所>海軍公文書備考類>(10)公文備考等>公文備考>大正>大正5年
>大正5年 公文備考 巻35 艦船12
<2/53>
(6月3日)「當隊當地在泊中西濠洲總督始メペルトフリーマントル
両市一般官民ノ熱誠ナル歓迎ヲ受ケ彼我ノ交懽親厚ヲ極メタリ…」

※「ペルトフリーマントル両市」のうち「ペルト市」の所在は現時点では?です※

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C080207802 …

■1919(大正8)年<常磐・吾妻>

第一次世界大戦終戦直後で、
出征中の待遇に不満を持った凱旋軍人による暴動がシドニーで2回、
今後全部の出征軍人帰郷に至れば大暴動を惹起するとの風評もあり、
また悪性感冒流行の為、豪州での寄港地は比較的安全なフリーマントル一箇所に変更、
その結果フリーマントル停泊を<4月22日着-5月5日発>に期間延長、石炭不足もありなど、
感冒流行&石炭不足&それに伴う航路変更などの記録が殆どで、
上陸禁止などの記述は見当たらないものの、
パースどころか乗員上陸の記録も皆無の様子。

件名:大正八年
[階層]外務省外交史料館>外務省記録>5門 軍事>1類 国防>3項 教育、演習
>帝国練習艦隊関係雑纂 第五巻
<3/74>
練習艦隊常磐吾妻遠洋航海航路豫定表
フリーマントル/4月22日着-4月27日發(5月5日發に変更)
<34~35/74>
帝国練習艦隊ハ豫定通リ四月廿二日「フリーマントル」ニ入港シタルモ
悪疾流行ノ為「アデレイド」「メルボールン」「シドニー」廻航ヲ止メ…、
…艦隊ハ西濠洲ヨリ「コロンボ」ニ觧纜ノコトニ変更…
<36/74>
フリーマントル/ -5月5日發
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_B070901864 …

件名:実務練習報告(1)
[階層]防衛省防衛研究所>海軍公文書備考類>(10)公文備考等>公文備考>大正>大正8年
>大正8年 公文備考 巻22 艦船5
<31/40>
悪疾流行竝船腹不足ニテ各地石炭缺乏ノ折柄濠洲海軍官憲ノ厚意ニ依リ
「フリーマントル」ニテ契約炭千噸ノ外海軍用英炭千七百噸ノ配給ヲ得タリ
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C080213204 …

以上 まだ脱漏の可能性も残るとは言え、前回分と併せて、
フリーマントル・パース間などの移動(予定を含む)記録は、

(1)〇 1910(明治43)年(フリーマントル停泊期間/5月4日着-11日発)、
(2)〇 1913(大正2)年(同/1月13日着-18日発)、
(3)〇 1915(大正4)年(同/5月31日着-6月6日発)、
(4)? 1916(大正5)年(同/5月29日着-6月3日発)、
(5)? 1919(大正8)年(同/4月22日着-5月5日発)。

以上 新たな展開の為に 取り急ぎカキコミさせていただきました^^

あと、役立つ内容か否かは記憶が定かではありませんが、
何年度かのどこかの報告文章中に鉄道情報もあったかもしれないと思いますので、
「実物写真」と併せて改めて確認してみます。 

では、再び一旦?失礼致しますm(_"_)m
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◆国立国会図書館>近代デジタルライブラリー


http://kindai.ndl.go.jp/
『海軍兵學校沿革[第1冊]第1巻/海軍兵学校編/江田島村(広島県):海軍兵學校』など

◆国立公文書館アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/
[階層]外務省外交史料館>外務省記録>5門 軍事>1類 国防>3項 教育、演習
>帝国練習艦隊関係雑纂 第一巻/明治9~19年 
>同 第二巻/明治20~39年
>同 第三巻/(明治39年12月・明治40年)・明治41・42年
>同 第四巻/明治43年~大正2年
>同 第五巻/分割1(大正3年)~大正9年
>同 第六巻/(大正10年)
>同 第七巻/大正11・12年
>同 第八巻/大正13年
>同 第九巻/(大正14年)

上記の各年ごとの遠洋航海航路豫定表などの情報に基づき
改めてアジア歴史資料センターで「(艦名)〇〇 明治〇〇年」ごとのキーワード検索にて、
可能な範囲で航路・日付・豪州側役職者名ほか事後報告等の下調作業を継続中でしたが、
さすがに御質問の初期情報だけでは何も絞り込めませんので待機していましたところ、
皆様方への御礼各コメントによりまして、新たな有力情報が追加されましたので、
年度特定までには至りませんが、お初にカキコミさせていただきます。

肝心の鉄道は「1881年3月1日、パース(Perth)-フリマントル(Fremantle)間鉄道開業」
とのことで、
「帝国練習艦隊関係雑纂」各巻によれば、
1881(明治14)年、1887(明治20)年、1891(明治24)年、1894(明治27)年、1900(明治33)年、
1902(明治35)年、1903(明治36)年、1906(明治39)年、1907(明治40)年、1910(明治43)年、
1911(明治44)年~1912(明治45)年、1912(大正元)年~1913(大正2)年、1915(大正4)年、
1916(大正5)年、1919(大正8)年、以降省略…
などの明治・大正期の豪州航海のうち、寄港地にフリーマントル(Fremantle)が含まれるのは、
(情報量が多いので漏れがあるかもしれませんが)
1910(明治43)年、1912(大正元)年~1913(大正2)年、1916(大正5)年、1919(大正8)年の4回など

>明治末から大正初期と言うのには、その切符の紙質に特徴があるためです。
>そのような、厚紙に薄手の紙を張り合わせた切符が使用されていたのは遅くて大正の中期頃まででした。

上記コメントの鑑定眼力は脱帽ものです^^

■1910(明治43)年

国立公文書館アジア歴史資料センター
件名:少尉候補生実務練習成績及実務練習経過一般報告(1)
[階層]防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>(10)公文備考等>公文備考>
明治>明治43年>明治43年 公文備考 巻39艦船22練習艦隊(阿蘇宗谷2)2
<22/55>8・9行目
西濠洲政府ハ「フレマントル」「パース」間ノ汽車ハ制服着用ノ我軍人ニ對シ
自由乘車ヲ許シ又士官以上ニハ當州鉄道自由乘車券ヲ送附シ来レリ
<35/55>
遠洋航海實施航路表
フレマントル/五月四日着-五月十一日發
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C060923475 …

■1912(大正元)年~1913(大正2)年
(※残念ながら、当該年度の鉄道自由乗車券の情報は見つけられませんでした)
件名:各地寄港及情況通知(1)
[階層]防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>(10)公文備考等>公文備考>大正>
大正元年(明治45年)>明治45年~大正1年 公文備考 巻34 艦船8練習艦隊吾妻宗谷一件1
<25/30>
別表第二
視察及見学豫定
フリーマントル
パース及アルバニー/官憲訪問及親善/一泊二日/司令官・参課二・艦長二・上長官士官四
パース/市内見学/一泊二日/上長官士官十
パース/市内見学/日返リ/士官四・候補生一四四
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C080200490 …

件名:練習艦隊吾妻、宗谷一件2(4)
[階層]同前 公文備考 巻35 艦船9練習艦隊吾妻宗谷一件2
<1/63>
大正元年十二月五日横須賀抜錨、香港、シンガポール、フリーマントル、メルボルン、
ホバート、シドニー…
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C080200503 …

件名:航海日誌摘要(1)
[階層]同前 公文備考 巻36 艦船10練習艦隊吾妻宗谷一件3止
<29/53>
遠船中作業予定表
(大正2年)一月十三日フリーマントル着-一月十八日発
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C080200510 …

件名:練習艦隊摺物(2)
[階層]同前
<5/50>
遠洋航海航路豫定表
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C080200516 …

などと、興味を持ったので暇を見つけてはコツコツと調べてはいますが、
この時期野暮用も多く…再投稿可能か否かは定かではありませんが…
一旦失礼致しますm(_"_)m
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この回答へのお礼

 こんにちは。久々に私よりも古くからの参加者に出会ったように思います。私は元々はichienでしたが、PCが故障して買い替えた際に、gooのパスをどうしても思い出せずそのままとなりました。尚、「一円」は歴史に詳しい方ならこれに続く二文字に思い当たられるかと思います。それが私の名前でもあります。dayoneさんとは、回答している分野の一部が私の参加カテゴリと近いので、あるいはどこかで擦れ違っているかもしれません。
 本件もまたお礼が遅くなりまして申し訳ありません、常習ではないかと思われそうですが、今回は回答時点でオークションが進行中でした。その写真のURLをここに開示してしまうのはためらわれ、終了並びに自身の落札が決定するまで待っていただきました。のちほど記します。

 質問の時点では、ある程度のヒントを得られればあとは自分で調べられるだろう、こう思っていた部分もあります。そのため最初からパースという地名を出さずに、単にオーストラリアとしか記しませんでした。
 しかし公文書館のサイトは、私はここの回答にごく僅かな回数を利用したことがあるだけです。国会図書館も目録は年中参照していますが、このような文書の所蔵すら知りませんでした。それだけにこのような驚くべき内容の回答が寄せられるとは想ってもみませんでした。
 もちろん既に回答をいただいている方も相当に詳しい方ばかりです。当初からきちんとした情報があったなら、この程度は調べられた方もおいでになられたかもしれません。ともあれ、調べることは楽しい、だからここでの回答を続けている。全くそのとおりです。ありがとうございます。

 さて、その実物写真はこちらにあります。
https://box.yahoo.co.jp/user/viewer#du%3D2d9883f …
角が擦り切れたり、ところどころがピン穴状になって、下地が見えています。これが貼り合せ紙だと判断する根拠です。多分明治末になるまで厚板紙の安価な製造技術が確立していなかったために、世界的にこのような用紙を使用していたのではないかと考えています(3枚目は無関係の別件ですが、これもなかなか歴史的な内容のある切符です。この時期一般客の団体運輸は禁止されていました)。
 回答に挙げられているこの期間内のフリーマントル寄航4回のうち、1回目の1910年の
> 西濠洲政府ハ「フレマントル」「パース」間ノ汽車ハ制服着用ノ我軍人ニ對シ
> 自由乘車ヲ許シ又士官以上ニハ當州鉄道自由乘車券ヲ送附シ来レリ
は、今度はこちらが脱帽する番です。こんなことまできちんと記録していたのもすごいですし、それを百年後に見つけ出す方もすばらしい。
 ただ券面注記の有効区間に関して確実なことが言えません。ここにあるSuburban Lineというのがフリーマントル方面への路線である可能性は高いと思います。ですが上記条項の「當州鉄道自由乘車券」に付いては良く判りません。例えばその当時鉄道路線が、フリーマントル方面への郊外線、及びパースの東南15kmほどのArmadaleまでしか存在しなかったとすれば、この条項のとおりで、完全に該当すると思われます(=他に路線が無い)。

 ここまでの回答を受けて、今度は私が現地の往時の鉄道事情に付いて調べる番になっています。とは言うものの実はまだ全く手付かずのままです。休み中に調べるということで一先ず区切りを付けることにします。
 本回答の補足蘭において続けさせていただきます。もうしばらくお待ちください。

 尚、このような練習航海では最少でも僚艦1隻以上を伴うことを知りました。
 また、士官を仕官とするなど、細かい誤りがいくつかありますが、これはご容赦ください。

お礼日時:2012/05/04 15:19

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