
話し上手な人でも、文章はまったくうまく書けないという人が意外に多いように思います。
それはどうしてなのでしょうか。
話し言葉と書き言葉の違いだけの問題ではないように思います。
一方で小説家が必ずしも饒舌とは限りませんよね。
でもこれは本人の性格(控えめなど)によるものがあると思うのですが
饒舌な人で文章作成が苦手な人の理由がいまひとつわかりません。
なぜでしょうか。
もしかしたら、大変に子供っぽい質問かもしれませんが
最近よくそのように思う事があり、質問させていただきました。
宜しくお願いします。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
> 饒舌な人で文章作成が苦手な人の理由がいまひとつわかりません。
> なぜでしょうか。
いくら話し上手な人であっても、文章は文章で書き慣れないと「書き上手」にはなれません。
逆に、書き上手な人であっても、人前で話す度胸や機転を身につけなければ「話し上手」にはなれません。
「聞く・話す」能力と「読む・書く」能力とは別のものであって、
・上手な話し手の要件は、聞き手の雰囲気(空気)を読む直感力とアドリブ能力など
・上手な書き手の要件は、適切な用語や書き方を選択できる応用力と、論理的構成力など
だと思います。
片方が上手だから他方も自動的に上手なはずだ、とは限らないのではないでしょうか。
私たちがどうやってそれを身につけてきたかを考えて見れば判ると思います。
「聞く・話す」ほうは特に意識しなくても日常生活の会話を通じてごく自然に学習してきます。
生まれて6~7年もたてば一通りは使えるようになるし、ほとんどの人は普通に生活していれば「聞く・話す」は一生にわたって毎日のように行い続けます。
一方、読み書きのほうはどうでしょうか。
文字や文法を「学校」という専門の教育機関で組織的系統的に少なくとも9年間は学習を積み重ねないと、一通り使えるようにはなれません。
それに日常生活で「読む」ことはあっても、毎日文章を「書く」と言う人はあまり多くはないと思いますし、ましてや「書き上手」と言われるほど毎日のように文章を書きつつ研鑽を重ねている人は、もともと数が少ないのではないかと思われます。
こんにちは。
ご回答をありがとうございます。
お礼が遅くなりましてすみません。
日常生活での頻度にかかわるということですね。
確かにそうですね、書く頻度は圧倒的に少ないですものね。

No.6
- 回答日時:
揚げ足取りみたいで申し訳ありませんが、----
》一方で小説家が必ずしも饒舌とは限りませんよね。
》饒舌な人で文章作成が苦手な人の理由がいまひとつわかりません。
「話し上手」と「饒舌」は別のものですよ。
それはさておき、
話し上手な人は、「今、話題のポイントがどこにあるかを瞬間的に判断でき、それに合せて会話を構成できる人」だと思います。
本当に話し上手な人は、単に饒舌なだけの人と違い、文章を書かせても上手であることが多いと思います。
こんにちは。
早速のご回答をどうもありがとうございました。
(お礼が遅れて失礼しました。)
ご指摘いただいて辞書を調べましたら、「饒舌」は良い意味ではないことを知りました(お恥ずかしいです!)。
No.5
- 回答日時:
いくつも理由があると考えられますが、これまでの回答にないものをひとつ挙げれば、筆者(話す人)の立場で言えば「書き言葉(文章)」は、書き始めてから発表するまで時間をかけて推敲できるが、「話し言葉」は話し始めがすなわち発表の開始であって、それができないこと、逆に読者(聞く人)の立場で言えば、書き言葉(文章)は何度でも読み返すことができるが、話し言葉では一般にそれが困難なことだと思います。
式典の挨拶などで、文章で読むといい内容なのに、実際に聞いてみると文章を棒読みしているだけでさっぱり内容が伝わってこない例がよくあります。これには二つ理由があって、一つは「読んで理解できる文章でも、耳で聞いてわかりやすいとは限らない(黙読してよくわかる文章と耳で聞いてよくわかる文章とは異なる)」ため、もう一つは「話し言葉では、身振り手振りのほか、話す速度や間の取り方、声の大きさや発音の明瞭さなど、文字で表せる以外の要素の比重が大きい」ためです。「書き上手が話し上手とは限らない」と言えるでしょう。
一方「話し上手」が文章を書いた場合は、これが逆に働きます。耳で聞いてわかりやすい平易な文章をそのまま書き言葉にすると、稚拙で冗長な印象を受けることがあります。また話を聞いているときには理解を助けた「身振り手振り、話す速度や間の取り方、声の大きさや発音の明瞭さなど、文字で表せる以外の要素」の働きは書き言葉(文章)では一切期待できません。
こうしたことから、一般に「話し上手が書き上手とは限らない」のではないかと考えます。
こんにちは。
ご回答ありがとうございました。
(お礼が遅れて、申し訳ありません。)
なるほど、確かにそうですね。
わかりやすい分析をありがとうございました!
No.4
- 回答日時:
おそらく、饒舌な人というのは、世の中の不条理や不合理さに無頓着といいましょうか、余り、そういうことに関心がなくて、自分は、世の中に溶け込んでいるという確信があるのではないでしょうか。
確信があるからこそ、何の疑いや恐れもなく、堂々と胸を張って人前で喋れるのでしょうね。喋っている最中に、石や礫が飛んで来るなどということには思いも寄りません。また、融合性の発揮では、場の雰囲気を察知して、聴き手に合わせた論法を展開して、予め、石が飛んでくるのを回避できます。しかし、不条理を強く感じる人は、世間との一体感とか、融和性を持つことが出来ません。聴き手に合わせて、自身の信念を曲げることなども出来ません。それに、他者に喋っても、相手にそれなりの教養、素養がなければ、常識とか、社会的ルールを振り回されて、徒に反発を招くだけと確信していれば、もう、その思いは、人知れずに書き記すことしか法がありません。深く静かに沈殿する他ないのですね。で、たまたま、それを小説に書き換えて、運よく脚光を浴びる人も稀にはいるわけです。
こんにちは。
早速のご回答をありがとうございました。
お礼が遅くなり失礼しました。
あ~そういう視点もあるのですね、と驚きました。
確かにそうですね!
No.1
- 回答日時:
おそらくですが、文章と言うのは一方的なものです。
自分が「~は~である。なぜなら~だからだ」と自分の意見を淡々と言うことができます。
しかし話すというのは相手がいます。人の顔や雰囲気から考えを汲み取ったり、直接的に反論・意見によって考えを知ることもあるでしょう。
つまり話し上手な人は、相手がいるから上手いのであって、相手がいなければ話し下手な可能性があります。
また、話すと言うと言語だけを用いているようにも思えるでしょう。
ですが実際には、身振り手振りや、感情を込めた言い方、アクセントなどほかの要素も入ってきます。
それが文面ではできないのも原因なのではないでしょうか。
こんにちは。
早速のご回答をありがとうございました。
(お礼が遅れて失礼しました。)
そうですね、その場の雰囲気などで臨機応変にする必要がありますね。
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