アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

39歳女性です。

私は性質的にウツがあるのか、思春期の頃からずっと、周期的に『陰』の時期があって、そのときに思い切り人に会うのが億劫になります。

人と話すのもイヤだし、人にばったり出会うのも不快。社会生活を営む上で仕方なくやり過ごしていますが、そういうときは早く人の目につかないところへ行って(例えば帰宅)、一人になりたいと思い、実際自宅に入るともう買い物にも行くことができません(行きたくない)。

そういうときは自分に自信がないときで、人と話をしていても自分の相槌がつまらないだろうなとか、相手は無理して自分と仕方なく時間を過ごしているだろうとか、とにかくネガティブな感情しかわいてきません。

人と会うと『ビクッ』とします。会いたくないって気持ちが強いのでそういう反応になってしまうのでしょう。

もちろんそういうときには、自分のことを思い切り卑下した感情しかありません。自分が息をしてこの世に存在していることもおこがましい感じ。

それでいて、自分の実態の無さに腹立たしさも感じてしまって。
ワガママなんでしょうが。

こんな感じで、周期的に人と接触するのがすごく億劫になるという方はみえますか?
どのように対処してみえるか、教えてください。

A 回答 (8件)

私もそういうときありますよ。



たぶん、ストレスだと思うんです。
これ以上はもう無理、って限界のところに来てしまってる時なんじゃないかなと思います。原因がはっきりしていれば解決のしようもあるけど、自分が気付かないうちに溜め込んでしまったストレスは、原因がはっきりしないことが多いから、解決しようがなく、心や頭がもやもやぐるぐるの混乱状態になっていて、なんとなく憂鬱な感じになると思うんですよね。要するに疲れてしまって。

周りからの刺激に過敏になりすぎてしまって、うまく整理できずに混乱して疲れるから、人と会うのもきついんだと思います。・・・とあくまでもこれは私自身の話です。そういうわけで、最近私はそういうときは無理せず、休みの日にゆっくり休養を取って、考え事をやめてみるか、考え事を紙に書き出して整理することにしてます。

人間関係がこじれても別に死ぬわけじゃないし、どうしようもないわけでもないし、と思えば、自分が小さなことを大きく考えすぎてるって気付く時もあります。何か大きなことをしでかそうとしてるわけじゃなくて、ただ平和でおだやかに生きていたいだけだと考えることもあります。たとえば自分が死んだとしたら、と考えた時に、もしも私が死んだら部屋は誰が片付けるだろうとか、誰かを悲しませたり、誰かに迷惑をかけてしまうことになるんじゃないかと考えると、そんな無責任なことはできないと思ったりします。人を思いやるほどの余裕はないけど、自分が生きてることで自分で自分の面倒をみてるだけましだ、と思ったりもします。参考になれば。

最近人生哲学の本を読んだのですが、とても元気になれたので紹介します。『夢をかなえる一番良い方法』って本です。別に夢をかなえようと思ってなくても、なんて言うか、自分とうまくつきあえるようになるヒントが満載だったので私は気に入っています。

wowmakotanさんは完璧主義なんじゃないですか?!
こうあるべきだ、とか。人には弱みを見せたくない、とか。私はどうでもいいことに対して変にこだわってしまうという完璧主義なほうで、そのことで疲れることがあります。誰かの期待に添おうと努力しすぎてみたり、他人の目を気にしすぎてみたり。でも、それは独り善がりになりすぎているのかもってことに気付いたら、ちょっと気が楽になりました。他人の目を気にしている時は、自分の目で物を見ていないときだと思うから、「自分を見失いかけてるよ。"私は一体どうしたいの?"って自分の気持ちを確かめて!」と無意識の自分が教えてくれてるのかもしれません。
参考までに。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569612 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

usapさん、ずいぶんとお礼が遅くなってしまってごめんなさい。ほったらかしにしていたわけではなく、仕事や他のことでいろいろと忙しくしていた間にも、ずっとこのことは考えていました。

usapさんのおっしゃること、usapさん自身のことと言われてはいるけど、私にすごく当てはまるって思いました。私は完ぺき主義・・っていうと言葉がカッコいい響きだけど、ええかっこしいなところが大いにあるんだろうなと思います。人にカッコ悪いところ見せたくないとか、疲れてるところ見せられないとか、何に対して縛られてるかよくわからないけど、そういう気もちがいつもあって、そういう期待を裏切れなくて疲れてしまうんですよね。

自分の中で勝手に想像したものに怯えているって感じることもあります。例えば、好きな人がいるとき、その人はこんな人が好きなんだろうなって・・例えば長谷川京子みたいな美人を想像しては『はぁ~~私じゃかないっこないわぁ』みたいに意気消沈してみたり・・勝手に『働くキャリアママ』みたいなのを想像して、『あ~~私はかなり劣っている』とか。そういうのが多いですね。

体ももういい加減疲れています。ちょっと早い更年期障害かとも思えるくらい、気持ちも浮き沈みが激しく、体も自分で思い通りにいかないことが多くなっていて、そういうことにいらだってしまったり。

だから休みの日には本当にゆーーっくりしたいんですよね。親は『遊びに来い来い』と言ってくれるし、実は仕事が忙しく、元旦だけが休みだったけれど、その日1日実家に行って気を使うなんて思っただけでもううんざりしてしまった。・・・こういうことももちろん親には言えないし、どこにも正直になれる場所がないなぁって思います。

お薦めいただいた本、古本でも出ているようなので、ぜひ購入して読みたいです。読んだら気持ちが変わることもあるかも知れない。

いろいろと意見をありがとうございます。
とても嬉しいです。

お礼日時:2004/01/28 16:03

たびたびこんにちは。



もしかして、ご自分の性格って極端では
ありませんか。

自分もそうなのですが、
白黒はっきりさせたいとか、
0か1かどっちかだとか、
何かにのめりこんだらとことんとか、
自分に対して、潔癖さや、完璧さがあると
やっぱり、たまにおちこんでしまうときが
あって、そのおちこみをうまく受け入れられない
という気持ちになると思います。

自分も、なるべくきちんと生きていきたいと
思うのですが、
いまも、おそらく数人の人たちを苦しめています。
自分の行動のせいで、
周りの人が不快に思ったり、嫌な気持ちになったり
しているとおもいます。

そんな自分をいまは、もうどうでもいいやとさえ
おもうようにしています。
そうしないと、自分が存在していることが
間違っていると思って自分を責めてしまうからです。

あるいみ、人間って自分勝手でいいとおもうし、
ほんとうに苦しいときは、死ぬよりかは
自分をどんどん肯定して、
うそをついてでもいいから、
日々すごしていくしかないとおもっています。

がんばることや、理路整然とすることが
解決につながるわけではないとおもうし
生きている以上、くるしさや、不安定さ
自分のやりきれなさや
どうしようもないつらい過去の記憶っていうのは
消せないと思います。
自分もそうです。過去の義父からの性的虐待とか。
職場でのセクハラとか、人から裏切られたりとか。
人を裏切ったこととか、守れなかった約束だとか。

いろんないやなことがあるけど
あまりこころが伸びやかではないときに、
すこしでもアンテナをはって
まわりの楽しいことをたのしめたらよいと
おもいます。
(自分に対して、奮起するいみで、書いています)

笑顔を意識的につくると、
少しは楽しい気持ちになれますので
ちょっとためしてみてください。

この回答への補足

回答をいただいたみなさまへ。
読ませていただいて、とても参考になっています。
お礼が遅れていて申し訳ありませんが、順次させていただきますので、よろしくお願いします。

補足日時:2004/01/20 10:09
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答をありがとうございます。お礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。みなさんにいただいたご意見は、じっくりと考える材料となりました。

極端な性格については、そうだなぁと思います。がんばりすぎるところもそうだとおもいます。だから疲れてしまうんですよね。

だからと言って、人に対して忠実だとか、人には正しいことをしているとか、そういうこともないんですよね(笑)。かなり自分勝手な潔癖症だと思います。もしかしたら、自分には身勝手に甘く厳しく、他人にはとことん厳しいタイプなのかも知れません。

精神的にも疲れていますが、その前に肉体的に疲れているかも知れませんね。マッサージなどで体をほぐしてもらいたいって思うんですが、いちいち出かけてマッサージ師さんに会うことが億劫になっちゃったりするんですよ(笑)。顔見知りになるとまた気を使っちゃったりしますしね。

笑顔も、無理やり作ると本当に顔が引きつったみたいになりますね。でもそれを乗り越えて気持ちをひっぱる前向きさが必要だなぁと思います。

いろいろとアドバイスありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2004/01/28 16:56

NO.3です。

お礼どうもありがとうございました。
私も前は「周りの不真面目な人たちの方がずっと人生を楽しめていいな。ちぇ。」と思っていました。でも、それは無いものねだりだと思い直しました。

 ある意味完ぺき主義のなせる考えです。「自分の人生で自分の無駄だと思える時間が許せない」という。自分はバラなのに刺があるのが許せない。隣のタンポポはずるい。茎はすらっとしていなければ。って感じです。今自分をバラに例えましたがわざとです。一般的に見てタンポポとバラとどちらを価値あるものとみなしますか。バラですね。他の視点で見れば、自分はうらやましがられる立場かもしれないのです。「仕事ができる」とか「おしゃれだ」とか。なのにさらに自分の刺を許せないか。それぐらいあってもいいではありませんか。

そしてその時間は本当は無駄ではなくて、自分の体内時計がバランスをとっているだけだと思っています。振り子の反動です。だから生理みたいなもの、精神の調子を整えているのです。うっとうしいけど。
気分はがんがん下がるし、ネガティブになりやすいのは判りますが、意識したり振り払おうとしたりして輪をかけないようにしましょう。長引いてしまうから。

また自分の心の引出しをすべてひっくり返して自分を苛めるのもやめておきましょう。失恋と自分の価値は別のものです。失恋するとつい一緒くたにしてしまいますが。
たまたまヒマワリごのみな人だっただけです。バラの価値は変わりません。

だから私はごろごろします。「え。休日2日間ずっと寝てたの?もったいないなあ」と言われようが、誰にも会いたくなくて、何もする気が起きなかったんだからそれでいいんです。たまには自分でも無駄だなあと思います。でも、それをしないとオーバーヒートしますから、しょうがないと。

最後に(gooで私のほかの回答でもたまに薦めていますが)去年私が読んでこれはすごい!と思った本を紹介します。
浅見帆帆子さんのベストセラー「あなたは絶対!運がいい」「わかった!運がよくなるコツ」です。
タイトルはすごいですが、24歳ぐらいの女性の書いたとっても変わった人生論です。考え方が明るくなりますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答をありがとうございます。お礼が遅くなってしまってごめんなさい。言い訳をするわけではないですが、回答をいただいてから今日まで、他のことに忙しくしており、その間もこの件について、いただいたご意見を参考にいろいろと考えていました。

バラを例にしたお話、わかりやすかったです。あえて自分をバラ・・という風にはちょっとこっはずかしくて言えないですが、例えでならよくわかります。私もそういうところがあるのかも知れません。他人から見れば、こんな私にも恵まれたところがあるかも知れない。でもそういうことは自分は当たり前のことで、気が付かないんですよね。だからそうじゃないところにばかり気がいくし、自分の刺にすら腹が立ったりする。

でも、自分のよいところって、他人から教えてもらうってことも多いと思います。だからやっぱり自分ひとりで悶々としていても答えの出ないこともあるんでしょうね。

私もこの頃は本当に何もせずにただひたすら寝る・・など、そういうことありますね。精力的に動くときと、疲れて気絶したように寝るときの差が激しいんですよ。でもやっぱり体力的にはだんだんと衰えているんだなぁと感じます。それを補おうといろいろ努力するがゆえに、自分の年を感じるときにギャップを強く感じて落ち込むってこともありますしね。

失恋のことに関しては、なかなかそんな風にさっぱりといかない今日この頃ですね。表面的には本当に立ち直りが早いんですが、実際は根強く傷ついているんですよね。どうもそんなことが原因でいつまでも元気になれません。それだけ好きだったのかも知れないですし。

教えていただいた本は、ぜひ読んでみようと思っています。参考になりました。

ありがとうございます。

お礼日時:2004/01/28 16:50

 わたしは常に、知人に会うと


 「ビクッ」として、その場から逃げたくなります。
 何か、めんどくさいと言うか何とゆうか。。。

 昔は、家に電話がかかってきても
 「ビクッ」としてましたよ。

 「うつ」とかではなく
 そうゆう性格だと思っています。

 まあ、別に仕事は楽しくしてるし
 人間関係も問題はないので
 そんなに気にしてはいませんけど。

 世間一般に、「うつ」と言う言葉をよく使いますが
 だれにでも気分のいい時と悪い時はあります
 それを一言で「うつ」と表現するのはどうかと
 わたしは思っています。

 あまりご自分を責めないでください
 何をやっても空回りする時はあります
 でも、またきっといい時がきますよ。

 余談ですが、
 感受性の強い方とか真面目な方は 
 その手の病気になりやすいと思います
 でもそれはある意味、すごくいい特質だと
 思いませんか?

 そうゆう部分も含めて
 自分をすきになれるといいですよね。

 全然参考にならなかったら
 ごめんなさいね。

 ではでは。。。 
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答をありがとうございます。お礼が遅くなってしまって本当に申し訳ありませんでした。回答いただいてから、このことについては、ずっと考えていました。みなさんのご意見はとても参考になりました。

私はあれ以来、まだ人と会うのが億劫です。でも偶然立て続けに仕事やら遊びやらのことで、人から電話がかかってきた1日があって、そのときはやけに刺激的でハイな気持ちになったところをみると、人と本当は活発なやり取りをしたい気持ちが強いのかなと思います。

感受性が強いといえばそうなんでしょうか。
でも、小説が書けるほど敏感でもない(笑)。
何だかそういう自分を『しょーがないなぁ』って思っちゃうんですよ、昔から。
自分を一体何様だと思っているんでしょうねぇ(笑)。小さい頃から、自分はきっと何かになれるって強く思っていたんですよ。今言うとすごく恥ずかしいけど。それでこのありさまなので、自分で自分が情けなくて、それで世間に顔向けができないって思っているんでしょうね。

親の期待になんか添えなかった娘ってジレンマもあって、親ともあまり会いたくないんですよね。うちの両親は中学しか出てなくて、それが異常に両親のコンプレックスだったのです。それでも商売をがんばって、一軒家を買って、近所にひけをとるまいと、私たち子どもにピアノだの何だのと習わせてくれました。今でも実家に帰ると、『ご近所さんの子どもたちはここは本当にみんな優秀で・・』という言葉が母の口から漏れます。母は何の気なしに言っているのかも知れないけど、実際、学歴が劣等感なのは母親で、その母に育てられた私も、かなり傍の目を気にする性質になっています。子育てはこわいですよ。

そんな私も今子どもを育てていて、正直やばいなぁって思うことありますね。

調子が悪いことを全てうつのせいにするつもりはないですが、もしも考えていても答えの出ないことで、実際気持ちの落ち込みがあるなら、そういう場合もあるかと思います。それがわからなかったり、そういうところに原因を持っていくことを恐れて悶々とするのは時間がもったいないかなと思います。

悪いときはあるし、そういうときに何も努力せずに回りのせいにばかりするのもいけないとは思います。
でも本当に何だかわけのわからない疲労感に襲われる今日この頃です。

お話ありがとうございました。

お礼日時:2004/01/28 16:31

こんにちは。


かなり回答からはズレてしまいますが、
私には、ちょうど今から一年前ぐらいに知り合った大事な人がいます。
その人が生きていることが自分にとっては一番大事です。
なので、せめて自分が生きている間は、この世からいなくなってほしくないです。
その人は・・・、
他人をほめるこころをもっている人。
周りの人の過ちを責めることや不平不満を言うことが価値のないものだと知っている人。
ごく普通の一日の中でたくさんの話題や物事を読み取って、そこから幸福感や満足感を見出せる人。
自分の内面と向き合う勇気をもっている人。
本当の安心感や安定感はこころにあると知っている人。
少ないことが多いことであると知っている人。
まだ死んでいない・生きていると実感できている人。
と、ほかにもたくさんありますが、長くなるのでこのへんにします。


で、なのですが…、十分な回答になるかわかりませんが、
私は、人と接するのが億劫になって自分に否定的な見方が出てくるときは、それだけ自分の内面と向き合うために持っているエネルギーを集中しようとする時期だと思っています。
なので、無理をしていろんな人と接する必要はないし、接してくる人を拒んでいいと思います。
人と接しないということは、自分から逃げていないことだとも思っています。
自分から逃げていないから辛くなるってあると思うし、そんなときに他の人がむやみに接したり補おうとすることは、かえって本人の重荷になると思います。
何年か前、私には何回かそういうことがありました。

なので、その大事な人がひとりで頑張っている姿をみると、自分のことを頑張ろうと思っています。

でも、どんな人でも、ひどく自信がなくなって落ち込んだり、死にたくなるほど辛くなったりするときには人を必要とするものだと思います。
そんなときには、遠慮なしに存分に助け合う。
どんな人にも、必ず誰か側に一人はいると思います。
いないと思っても、考える視点を少し増やしたり変えるだけで、みつかるものかもしれません。

私はズボラな方なので、考えれば考えるほど落ち込むような素材が社会にたくさんある人間関係を割り切りや諦めで理解しなければ、こんな風な単純なものかなぁと思っています。

こんな人間関係って、実際に身近にいようがいまいが、複雑でもなく気遣いで疲れることもない一番単純で信頼し合っているすばらしい関係だなぁと思っています。

ではでは。。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答をありがとうございます。お礼が遅くなってしまって本当にごめんなさい。このサイトでもその間に私の投稿をご覧になっていたかも知れませんね。緊急に片つける必要のあることが立て続けにあって、こちらへゆっくりお礼をする時間が無かった分、いろいろと考えながら、ほか事で気を紛らわすことができていたかも、と思います。

とても素敵なお友達を持っていらっしゃるんですね。
羨ましいです。その人を褒めることのできるdomaine-espoirさんも素晴らしいですよ。私は本当に今すごく卑屈な気持ちになっていて、人を褒めるなんてことが全然できません。そういう自分って醜いと自分で思うし、実際傍から見ても私をいいなと感じる人は少ないだろうなって思っています。

いつからこんな気持ちになってしまったんだろうなぁ。。

>考えれば考えるほど落ち込むような素材が社会にたくさんある・・

本当にそうなんですよね。異常にナイーブになってしまうんですよ。テレビを観ても、ファッションチェックとかセレブのナンたらとか、ぼーっと生きていると思い切り置いていかれるような気持ちになっちゃうんですよね。

別投稿で、『年をとるのが怖い』みたいなのをした際も、『そんな気持ちでいるうちはよい年のとり方はできない』とアドバイスいただいて、私も尤もだ・・と思ったけど、実際テレビや雑誌じゃ、いかに若く見えるかって特集が多いし、三十路を過ぎたあたりから、シワがどーだのシミがどーなのって大騒ぎされて・・やっぱり私だけじゃなくて世間じゃそういうことが気になるんじゃないかぁって思う。

もう周りじゃみんなよい風に年を重ねているように感じられて、チマチマ考えてる自分なんて相手にもしてもらえないんだろうな~って思うんですよね。私もう40近いのに、ブランドの一つも知らない。若い頃はそういうものにとらわれない生き方!って胸を張っていたのに、今そういう風に思うことすらできなくて。

お話参考になりました。
いろいろ考えてみます。

お礼日時:2004/01/28 16:19

こんにちは。

私も結構そういうタイプで、学生の頃は真剣に悩んでいました。でも、30も超えてからは気にしていません。
そういうものであると受け入れてしまいましょう。そして何でこうなんだろうとか、こんな時間もったいないとか、さらに落ち込むようなことを考えないことです。
まあ生理みたいなものです。そう考えたほうがうつの抜けるのが早いと思います。
「今日はなにもやってもうまくいかない日」そんな気がしたら、とっととごろごろします。
ポジティブにごろごろするのと、ネガティブにごろごろするのでは同じごろごろをするのでも効果や気の持ちようが違うと誰かの本に書いてありました。
あと、うつでない時期に「うつの時期は充電期、うつが抜けると飛躍の時」とか自己暗示をかけておきます。

うつになるのは真面目な証拠。あと優秀な人しかならないとか書いている人もいました。とにかくうつで無い時期にいっぱい自己暗示をかけておきましょう。子供だましのようでいて結構効くと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

30も超えてから気にしてない、と言えるなんて羨ましいです。私はもうすぐ40なのに、こんなこと考えるなんて本当に未熟者だとイヤになります。

生理みたいなもの・・というと、やっぱり私は周期的にこんなことをずっとこれからも繰り返して行くんだろうな・・とぼんやり思いますね。14歳くらいからずっとこんな調子ですから。

上手く行かない日は、そういう自分にすごく腹が立つんですよ。おどおどしてたり、もじもじしてたり、つまづいたりする自分にむかつくのです。

『飛躍の時』というのは確かにありました。半年ほど前はものすごく躍動的だったのです。・・でもあまりにエネルギッシュにしすぎて、疲れてしまった。

その発端が、昨年末、以前好きだった人に誕生日メールをしたのに、無視されてしまったのです。わかってはいたものの、実際に無視されると本当に辛くて、それから落ち込んだ拍子に体を壊して、それ以来ずっとウツ状態です。

甘えていると言われそうですが、今は人の目もまともに見られないくらいです。自分の存在をとてつもなく恥ずかしく感じます。

真面目だとは思いますが、周りの不真面目な人たちの方がずっと人生を楽しめていいなと思いますね。

ありがとうございます。

お礼日時:2004/01/17 21:22

自分は気分の落ち込む時は、抗うつ剤をのみます。

気分が楽になります。副作用もないです。人それぞれですが、有効な手段だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

実は数年前に神経科に通っていて、そこでやはり坑うつ剤を処方してもらったのですが、よくなったと実感する前に、一週間程度で体中に発疹が出て、薬を中止せざるを得なくなりました。

検査をしてもその薬が具体的に悪いと断定することはできず、多分その薬の副作用であろう、というくらいしかわからないけど、どうしてもそれ以来薬は怖くなってしまいまいした。

飲むことで少しでも楽になれるのはいいですよね。
薬を否定することはないのですが、少し怖いです。

ありがとうございます。

お礼日時:2004/01/17 21:14

こんにちは。



自分も同じような時期が、周期的に訪れます。

そんなときは、
自分がかつてだれかをいとしいと思ったきもちや
だれかが、自分を必要としてたくさん
愛してくれたときの安らいだ空間や、
音をおもいだすように
しています。

いい意味で、自分の世界の中に
とじこもりつつ、周りの現実をやり過ごしています。

それでもたまに、本当に落ち込むときには
どうやっていなくなるか、具体的に考えたりします。
そうすると少し落ち着けます。
たとえば、いつ家を出てお金はいくら持てば
何日暮らせるとか、あるいは、自分から
自分の存在を消すためにどんな方法があるのか
想像したり、検討したり、死んでいくときの
いまの現実に対する未練がすこしでもかんじられれば
あ、もうちょっとがんばろうと思えるときもあります。

あまり参考にならなくてすみません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
そうですね、やすらぐときもあったのでしょうが、そういうときのこと忘れてしまいますよね。

自分がいなくなることは考えられないのです。
私一人で子供を育てているので、その責任がありますし。
・・それでもとにかく自分がいなくなることを考えてみればいいのでしょうが、
頭ごなしにそれは無理だと思ってしまうところがネガティブで、
遊びがないですよね。
だから切羽詰ってしまうのでしょう。

死ねたら楽だろうなと思う反面、
死にたくなくても死んでしまう人のことを
考えてしまいますね。
それで、どうして自分は命があるのに、
こんな考え方しかできないんだろうって自分を責めてしまいます。
残された子供のことを考えると、やっぱり死ねませんし。

とにかくホントに後ろ向きですよね。
元気なときはすごかったので、その反動で今すごいです。

ありがとうございます。

お礼日時:2004/01/17 21:10

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!