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お伽話等に、鬼や天狗がでてきます。
あれって、昔、日本に漂着した外国人だと思うのですが、何か、そうした研究書物等あるのでしょうか。
たとえば、赤い顔して、毛深くて、縮れ毛で、体格のよかった外国人が山奥に住み着いたのを誰かが目撃したのが「鬼」になったとか、鼻が高い欧米人が樹上生活していたのが「天狗」になったとか。

A 回答 (5件)

赤鬼=白人、青鬼=黒人という様なものを読んだか聞いたかしたのを覚えています。


研究書物はあると思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
図書館等で文献を探してみます。

お礼日時:2004/01/18 17:11

#4です



勿論、鬼や天狗のモデルとして、次のものがあるでしょう
 ・ 漂着した外国人
 ・ 病気におかされた人(特に見た感じで偏見的な差別を受けた人々)
 ・ 差別を受けていた人々(出身家系や犯罪者ということで)
 ・ まつろわぬ民(中央政権に反逆したもの)
 ・ 未確認の動物(絶滅種もいるかもしれない)
 ・ 目に見えない恐怖の総称(流行病・地震・雷・突然死・かまいたち・竜巻・岬の潮流など)
 ・ 猟奇的な殺人者
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この回答へのお礼

鬼、天狗がこんなに奥深いものとは思いませんでした。
私としては、絵本等にでてくる鬼や、天狗の姿を見て、アジア人から見た西欧人もしくは南洋人を連想したのが、この質問を出した理由です。
要は、私の考えと同じような学説がないかということなのです。「鬼」の概念が中国から伝わっていたのだとすれば、中国人が初めて見た西洋人の姿を「鬼」、「天狗」と表現したという説があるのか、ということなのですが・・・・・

お礼日時:2004/01/18 23:06

このような話も聞いた事があります。



★鬼=隠(目に見えない存在)→転じて死霊、疫病など

★鬼の両手の指はなぜ3本で表されたのか
 3本の指は、仏説による三毒(貪憤愚―むさぼり・いかり・おろかさ)を表している。慈しみの心=「仁」の隠れた状態で「隠仁」→「おんにん」→「おに」
 人間は、その3本指の外側に親指・小指がありそれぞれ「慈」・「悲」表している。
 そして、両手を合掌して「仏」となると説かれます。

★天狗は増上慢(ぞうぞうまん)の人間を表現し、仏説による、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)でない異空間に行った主に修行者の死後の姿であるとも説明されているものがあります。仙人も同様で、古くは「山人」と表記されていたようです。
 法華経による十界互具観では、地獄であっても成仏できる機会はあるが、天狗界や仙人界にはそれがなく、一度落ちたら絶対に抜け出すことができないとも言われております。
※十界は六道プラス声聞・縁覚・菩薩・仏を加えたものです。

★天狗は、なぜ鼻が高いのか?
 「自分」の「自」という字源は「鼻」の一部を取ったものだそうです。「わたしは・・・」と自己紹介する際に、自分の顔を指すのは、大抵「鼻」ですものね。
 つまり、自意識過剰を「鼻高々」「鼻っぱし」と言った表現で表します。これに関係があると考えます。

★ただし、天狗のような顔をした、古事記のサルダヒコの話は、天狗とは違い男性器を象徴しているそうで、サルダヒコと天狗は異なる存在ではないかと推察します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私は、以前から姿としての「鬼」の原形は、西洋人か、南方人が漂着して、日本の山奥に住み着いたものだと思っておりまして、そういった説がないか、一度じっくり研究してみたいと思っていました。でも、いわれるとおり、鬼とか天狗にはもっと心理的な意味もありましたね。でも、考えれば考えるほどおもしろいと思っています。

お礼日時:2004/01/18 17:27

おはようございます。



私が学生の頃、文学の講義にて聞いた話ですが,
鬼とは、疫病等にかかった病気の人のことだと聞いたことがあります。

皮膚病によって体が赤くなった人間を赤鬼として忌み嫌い,
まとめて島に流して、それが鬼ヶ島のモデルとなったと。


また、
病気や先天的に身体に障害のある人等を、悪い霊がついたとしてそれらの人々に大勢で石を投げつける事により,災厄を逃がそうとする「ついなのおに」という人々のうさばらし(?)の行事が平安時代から始まり,それが後の「節分」となったそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私は、以前から姿としての「鬼」の原形は、西洋人か、南方人が漂着して、日本の山奥に住み着いたものだと思っておりまして、そういった説がないか、一度じっくり研究してみたいと思っていました。でも、いわれるとおり、鬼とか天狗にはもっと心理的な意味もありましたね。

お礼日時:2004/01/18 17:28

長くなりますが参考まで・・・



鬼はもともと中国では「死霊」を意味します。日本では「隠れる」という意味の「隠(オン)」という言葉が変化して「オニ」となりました。日本書紀では鬼は恐ろしい形相をし、人間に害をなす怪物とされ、奈良時代では、まだ鬼は死霊と考えられていましたが、次第に人を食う恐ろしい妖怪という話が広まります。餓鬼なんて言われたりもしてました。鎌倉時代になると「今昔物語」などで地獄の赤鬼、青鬼などが登場します。時代を経るにつれて、「オニ」は中国的な鬼や、仏教の羅刹や夜叉と混同されたり、陰陽道と習合されて、牛の角に虎の牙を持ち、虎皮の腰蓑をつけて恐ろしい形相で人の形をした鬼が現れ徐々に今の形に変化していきました。
地獄の獄卒風の赤や青の肌に二本の角、裸に虎皮のふんどし姿で手に金棒という今もよく知られた格好になったのは江戸時代だそうです。
天狗は私たちの思い浮かべる鼻が高くて赤ら顔で手には大きなうちわという格好は中世後期以降で、それまでは鳥のくちばしと翼を持ったいわゆる「カラス天狗」といわれる「鳥類天狗」でした。初めに「天狗」という言葉が出てくるのは「日本書紀」で夜空を流れる流星の事を、得体の知れないアマギツネ「天狗」と言ったという記載があります。平安時代になると「今昔物語集」に空を自由に飛び、僧や人、聖人に化けたり人に憑いたりする妖怪などと描かれていました。(その時は鷹の妖怪とさていたが、これが後に言われる鳥類天狗)天狗はこの時代仏教をおとしめるため人間界に現れた妖怪とされており、世の中の「異常」を「天狗」で説明して僧侶が天狗と戦って勝つことで仏教の存在感をアピールして仏教(天台宗)を広げて行こうとしました。
鎌倉時代の「是害坊絵巻」では、天台宗の僧に戦いを挑んで無残に敗退するのがユーモアたっぷりに描かれている。主人公の中国から来た是害坊もこれを援助した日本の天狗も負けたくせにやたらと自慢し説教を垂れる。「自慢」「鼻高々」ということから、修行が足らないにもかかわらず「自慢」する僧が死後に「天狗」になるのだと言う考えが生まれ、「鼻高天狗」が出現します。
室町時代に制作されたとされる御伽草子「天狗の内裏」では、鞍馬寺で修行していた牛若丸が天狗の国を訪問し、大天狗に歓迎され将来の行動の指針を得て帰ると言うのがあり、この頃から、怨霊が天狗と言う考えが薄くなり、修験道の道場がある山と言うことから山伏の色彩を強く持った天狗ということになって行きます。こうして今ある鼻高で高下駄を履き、山伏姿、うちわを持った天狗像になったのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私は、以前から姿としての「鬼」の原形は、西洋人か、南方人が漂着して、日本の山奥に住み着いたものだと思っておりまして、そういった説がないか、一度じっくり研究してみたいと思っていました。でも、いわれるとおり、鬼とか天狗にはもっと心理的な意味もありましたね。

お礼日時:2004/01/18 17:24

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