【無料配信♪】Renta !全タテコミ作品第1話

母が突然亡くなりました。父は勿論、私と娘は何が起こったのか分からないまま葬式をしました。なぜ、どうして母が…と云う思いで信じられず、でも会社も行かなければならないし、家にいる年老いた父の事が心配なので昼休みには帰って食事の用意をし、夜も急いで帰ってました。がその父も母が亡くなって49日目に亡くなりました。それからの日々は、二人の遺影を前に、何をしても何を見ても悲しいと言う想いを語り、泣いています。急に4人家族が2人になって寂しいです。

若い時から内職をして家計を支え、本当に気のいい母でした。少し口やかましいところはありましたが。私が子供をつれて実家に戻ってからは、ずっと食事など皆の世話をしてくれました。
娘にとっては、祖母であり母親でした。私は小さい時から母が大好きで「一緒に死ぬ歳まで待って」と言ってましたが先に逝ってしまいました。当然です、21歳違いですから順番からは親が先です。

父も自分が先に逝くはずだったと嘆き、「寂しい」とションボリしている日が続いていました。昨年末に手術・退院後は回復に向かって喜んでいましたが、やはり体力は弱っていたのでしょう。母の急死で気が弱り余計に菌を受け付ける体になっていたのです。母の法要の後に入院し5日後に亡くなりました。
続けて二人を送り、私は気が動転し何も興味がなくなりました。
今は、夕暮れ時になると母を思い出し、そして父が亡くなる前に世話になったと書き残した言葉と顔を想い辛く悲しく、気が変になりそうです。
また、自分もいつか天国へ行く日が来る、今度は娘たちが同じ想いをする、させてしまうと思うと、どうしようもなく悲しく、それまでに身辺整理をしなくては…とあせってしまいます。
みんな生まれると、必ず死が待っている事は分かっているのですがなかなか立ち直れなくて、もう一度会いたい、声を聞きたい、話がしたいと云う思いに胸が押しつぶされそうです。

迷惑ばかりかけていたとは思いません。母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。母は元気でした。元気に見えていました。血圧降下剤は飲んでいましたが、それが悪かったかも…と言う人もいます。もっと早く気付いていればこんな事にならなかったのに。もっと手助けをしていれば、もっと早く帰って母との時間を持っていれば…、など色々悔やまれる事ばかりです。
今日は母の4回目の月命日です。もう4ヶ月たちました。まだ4ヶ月なのかも…当初は何がなんだか分からず泣いたり後悔や自責の日々でしたが、今は忙しくしている時や会社にいる時などは忘れる時間があります。
こういう時は両親に対して罪悪感に似たような気になってきます。少しずつ落ち着いてきたので良いのかな?と思ったりもしますが、夕暮れ時や、何もないのに突然悲しくなったり、会って誤りたいと落ち込みます。こんな事を繰り返しながら日々を送り、いつの間にか普段の生活に戻るのかなあとも思います。
もっと若くして親と死別した方々もおられますが、私はもういい歳です。60です。次は自分の事を考えなければならない歳です。娘が嫁ぐと一人になります。その時こんな気弱でどうしていけばいいのでしょうか?
世間では親の歳を聞いて「大往生」と言いますが自分の親なら、大事に思っているからなおさら「大往生」だとは思いません。母は病気で寝込んだ事はないのです。夜中に一人で逝ってしまったのです。
82歳でした。まだまだ一緒に買い物も遊びにも…

私は娘に心配をかけまいと頑張り、仕事と家事で疲れています。これはかえって悪いのかもと思いますが今はまだ「気分転換にどこかへ」という気になれません。

会社のストレスもあり(小さい会社で休むのもままならないです)早く辞めて家の事だけにしたいと思いますが、そうなると収入も減るので大変です。

両親とか大切な人との別れを経験した人はどのようにして、どれくらいの年月でこの辛さがマシになるでしょうか?
私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていてはいけないのでしょうか?

宜しくお願い致します。

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A 回答 (7件)

40代既婚者男です。



>私のようにいい歳をして、いつまでもクヨクヨしていては
>いけないのでしょうか?


そんな事はありませんよ。
年齢なんて関係ありません。最愛の人を失った時の喪失感や
悲しみ、寂しさは、何歳になろうと同じだけ辛いものです。
世間では、高齢者が旅立つと大往生という言葉で片付ける
風潮があるのは確かですが、あなたの仰るように、身内にしたら
そんな言葉で整理できるほど単純ではありませんよね。
あなたも理解しているように、人は生を受けた以上、必ず死を
迎えます。
そして寿命というものがあり、親から先に旅立つのは必然です。
しかし、そんな事は頭で理解できることであり、決して心では
理解などできないのが本音だと思います。
私の両親はまだ健在なので、まだ死別の悲しみを味わったことは
ありません。
ただ、大好きだったお婆ちゃんとの別れは経験しました。
肝臓癌が判明してから、あっという間でした。
本人には知らせていなかったので、遠く離れて暮らしていた僕が
急に何度もお見舞いに行くと、おばあちゃんが自分の病を疑う
かもしれないと思い、泣く泣くお見舞いの回数を減らしました。
今思えば、愚かな気遣いであったと後悔しています。
何であろうと、毎日でも会いに行けばよかった。そしてたくさん
話をすればよかったと悔やみます。

人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。
あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることは
ありません。
でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれ
ません。
それも頭で分かっているのですが、複雑な思いでした。

私はいつも近しい人とのお別れを経験する度に、思う事があります。
それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる
愛なのだということです。
人は死というものがいつも身近にありながら、中々そこを見よう
とはしません。
ですから、そうした愛する人の死を目の当たりにすることで、
そこで改めて、死について見つめることで、それまで気付かなかった
事に気付くのです。
自分がその時を迎えた時、どんな思いで旅立つのだろうか?
思い残すことがあるのだろうか?
残していく大切な家族へどんな思いなのだろうか?
などと、リアルに感じることができます。

私も、41歳となり、結婚して妻も子供もいます。
あなたが言うように、私もいつかその時が来るのです。
妻や息子を残して旅立った後、妻や息子が私の死を悲しみ
苦しみ、毎日を泣いて暮らしていたならば、きっと心配で
心配で、残してきたことを悔やみ、きっと次なる場所へ行けなく
なってしまうと思います。
故人への一番の供養とは、故人に心配させないような生き方を
することだと、ある人から教わりました。
そうすることで、故人は思い残すことなく、次へと向かうこと
ができるのだそうです。
私は、その言葉を頂き、それからは、おばあちゃんに対して、
いつも「ありがとう。僕なら心配ないからね」って伝えるように
なりました。

この世へ誕生することをそばで見守ってくれた親へ、今度は
あの世へ向かう時に、そばにいて見守るのが、子供としての責任
だと思っています。
今度はあなたが、子供さんへ教えてあげる番です。
しかしあなたはまだお若いですから、まだ見えない先のことを
考えて悲観的にはならないでください。
そして、また今度会いに行けばいいでは無くて、会いたいと
思えたら、すぐに会いにいくのです。
伝えたい言葉があれば、すぐに伝えるのです。
それが後悔の無い人生というものです。
あなたのお母さんとお父さんがいてくれたから、今のあなたがあります。
そして、子供さん、お孫さんへと命のリレーはどんどん繋がって
いるのです。
私の祖母も祖父と二人で人生をスタートさせてから、今では30人という
家族たちができました。
そして今もなお、増え続けています。
そうした歴史も踏まえて、それぞれのドラマがあります。
辛い事、苦しい事。そして楽しいこと、嬉しかったこと、涙が出る
ほどの幸せな思いを感じてきたのです。
今はとにかくとことん泣いていいと思います。
気が済むまで泣けばいいのです。
そしていつか、涙を拭いて、新しい一歩を踏み出して下さい。
お母様とお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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この回答へのお礼

有難う御座います。
>人は大切な人を失って初めて、いろんな後悔に押し潰されます。

ほんとうに大切に人でした。いつも空気のごとく側にいて心の支えになってくれていました。まさかこんなに突然、なんの前触れもなく逝くとは思ってもみませんでした。

>あの時こうしていたら、あの時もっと・・・・。尽きることはありません。

いくら後悔しても伝えることが出来ないのは分かっていますが、家の中には色々思い出す事がありすぎて、何を見ても、「ああ、これは…」と泣けてきます。

>でも、悔やんだところで、亡くなった人は戻ってきてはくれません。

戻ってきてくれたら、もう一度だけでも会いたい、と何度願ったか知れませが、
脳出血の母は何も言わずに逝ってしまいました。
いっぱい聞くことがあったのに、言うことがあったのにと後悔ばかりです。

>それは、人の死というのは、最後にその人から教えられる愛なのだということ です

母は常日頃から愛情を示してくれていたので良く分かっていましたが、父は気難しく無口なので、心の中がよく分かりませんでした。
最後の日、苦しい中で手を握り締め、顔を見ながらうなずくようにしていたのは
父の愛情でした。世話になったといい、兄に妹(私)を頼むと身振りでいって去ってしまった父。
もっともっと話をすれば良かった、いっぱい話しをしていれば父の気持ちも分かっていただろうに。
いまさら気付いても遅いのでした。
これからは、父と母から受けた一杯の愛情を子供たちに注いで、いつかくる私の最後の日まで、しっかり生きて行こうと思います。

本当にご親切に有難う御座いました。

自分の気持ちの持ち方を人に教わるなんて…と思いますが家の中では娘と私だけ。結婚した娘には家庭があり会社もいってますし、その子も悲しんでいるのに私がメソメソ泣き言はいえません。

最初の頃より涙の量と泣く回数も減っていますので、日にちが経てば随分気が楽になると思います。

有難う御座いました。

お礼日時:2012/06/25 12:14

質問から見る限りでは、パートナーの方はいらっしゃらないようですね?。



ありきたりな回答ではありますけど、やはり人は一人きりで生きるのはつらいものですから、パートナーの方を求めるのがいいと思います。

「誰か」がそばにいることで、自分という「個の世界」が「集の世界」へと繋がるのです。
結婚とかにこだわらず、また、子供さんの反応というものにとらわれ過ぎないように
「私の大事な人は、私の大事な人なんだから」
という「割り切り」があれば、子供さんも必ず認めてくれるはずです。

親子ですから。
親子という繋がりだからこそ、相手に対して「無物の信頼」が出来る。
独立して自立しても、互いを「認められる」ということは、手放しの愛情無くしては無理です。

悲しみの中ではありますが、今少し「信じてみても」良いのではないですか?。
別れは必ず訪れるものですから…死別であれ、自立であれ…互いが「繋がっている」ということを、自分の中で信じないと、離れるものも離れられなくなるものじゃないでしょうか?。

もちろん、こういったことは一朝一夕には出来ません。
そんなに人間簡単じゃないですからね。
でも少しずつ、互いの「物理的距離」を離していくことを、これからはしていくべきだと思います。
あなただけで「守れるものばかり」では無いでしょう?。
そのためにこそ、少しずつ離れていくように、離していくように、自分や子供さんを仕向けないといけないんじゃないでしょうか?。

私の回答が「形になって」現れるときがある「はず」です。
そのときを見逃さないようにしてください。
必ず「展開」はありますからね。
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この回答へのお礼

有難う御座います。

私は色々あって実家に戻り、心ならずも娘たちを片親にしてしまいました。
しかし娘たちは、「お爺ちゃんとお婆ちゃんがいるから、お父さんはいらない。良いお父さんなら欲しいけど」と言いました。良い思い出がなかったのです。

私も結婚して良かったのは、子供だけです。

これからは一人になるでしょうが、近くには兄がいるし娘もいます。
何かしてもらいたいとかは思いませんが、近くにいるというだけで、それだけで
安心しています。

娘たちの幸せが自分の幸せになるのです。
今、大切な人たちが、続いて手の届かない、とてつもない遠くへ片道切符で逝ってしまいました。

いつか私も同じ切符をもらって逝くでしょう。その時まで、父と母の住んだ
思い出深い家で、父の愛した花、母の愛した花の手入れをして暮らして行くつもりです。

私のパートナーは心の中にいます。趣味もいっぱいありますが、今はその気分になれないのです。

身の周りを整理し、自分の生涯をなるべく後悔しないように頑張ります。

有難う御座いました。

お礼日時:2012/06/25 14:54

再回答です。



その「ダメ娘ですよね。」

がネガティブ思考で悪いのだって。

両親を心配させたくないのであれば

「今まではダメ娘だったけど、心を入れ替えてがんばる!!」

のが正解です。
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この回答へのお礼

そうですね。叱咤激励を有難う御座います。

私は心が弱いのです。というか感受性がつよいのですね。
秋の空を見て感じ、雨の音やにおいを感じ、風が木をゆらしても感じるのです。

でもやはりネガティブなのは間違いないです。
楽観的ではなく、取り越し苦労が多いです。

だから夕方、黄昏時の光はなんとも言えず悲しく、真っ暗な夜の方がマシに思えます。

日にちが経てばもっと楽になるだろうと思い、ただ月日が早く経つように毎日を送っています。

遺影に向かって、元気になったよって早く言えるように頑張ります。


有難う御座いました。

お礼日時:2012/06/25 15:05

私も36で母親を亡くしました。


今の私と同じ64歳でした。
父親は私が53歳の時で、ほぼ十年前です。
そして夫は4年前。
クヨクヨしても、泣いても叫んでも、人の生き死にはどうにもなりません。
人間の力の及ばぬところで操作されていますから。


こう言った事はクヨクヨすまいとか、忘れようとか、努力してどうなるものでもありません。
ただただ日にち薬。
時間の経過で忘れられる日を待つしかありません。
私は母の時は十年掛かりましたよ。

実親とそれだけ長い生活が出来たなんて、私からすれば羨ましいです。
娘さんだって父親と早くに別れて暮らしておられるんでしょう?

会社は辞めない方が良いです。
どこに居てもストレスは付き物です。
止めて家に居る様になれば、もっとご両親に向き合う時間が増えて、今の質問者様にはプラスにならないと思います。

私にも娘がいます。
夫が亡くなった時、直ぐにでも来るように言ってくれました。
でも娘にはもう新しい生活が始まっていますし、連れ合いが居る以上、やはり甘えては駄目と判断して今一人でいます。
だから質問者様の立場やお気持ちは、とても分かります。


>母も「お前たちと暮らすようになって生活に張りが出来た」と言ってくれていました。父の病院通いにも毎日行きました。

懺悔の気持ちは、お母様のこの言葉で全てクリアーですよ。

世の中には一緒に暮らしたくても、暮らせない親子がいっぱいです。
「私なんてもうとっくの昔に、父親と暮らせていないよ。」
私がお嬢さんなら、きっとそう言うと思います。

貴方もご両親も決して不幸なんかじゃないですよ。
昔は人生50年。
医学の水準も低く、80までも生きる親はあまりいませんでした。
特に女は今でも、自分の親との生活は無理ですよ。
それがこんなに長きに渡って共に暮らせたんですから、質問者様は幸せなほんの少数の人達なんですから。


ごめんなさい。
他の方々の様に優しい言葉が掛けて上げられません。
私も今必死で耐えている最中なので、どうしても辛口になってしまいます。

でもどうか、頑張りましょう!!
残された者に出来ることは、先に死んで行かなければならなかった人達に、安心して貰うことだと思うんです。
残した子供達が気になっては、何時までも成仏できませんもの。
とにかく五年は思い続け耐える時です。
その頃から徐々に忘れている時間が増えて行って、気が付くと考えている時間と比重が入れ替わって行きます。
そして十年くらいすると、涙も出なくなり、殆ど忘れています。
それまではとにかく辛抱です。
それしかないです。

お互いに頑張りましょう!!
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この回答へのお礼

有難う御座います。
娘たちが幼い頃、夫は自分自信の生活が大事、という事で「自分だけ働いて損だ」と言い、両親が怒り話し合いの結果実家へ戻る事になったのです。娘にとって父親の事は悪い印象しかなく「、会いたくない、お爺ちゃんとお婆ちゃんがいるから幸せ」といってました。
今、母の突然の死と、寂しい顔をしたまま逝った父の死はなかなか受け入れられず苦しんでいます。
ほぼ毎日、「日にち薬で月日がたたないと無理やね、この気持ちは」と言いながら食卓に置いてある遺影に話かけています。いたる所にスナップ写真を貼って、見ては沈みこんでいますが、はずした方が良いのかな?とも考えています。

会社にいる時は気が紛れるので、しばらくはまだ勤めるつもりです。

下の娘もいつかは嫁ぐでしょう。
その時までに、しっかりしなくては、と思っています。
感受性が人一倍強いので、何を見ても、何をしても、嬉しい事に感ずるのは良いのですが、悲しい事に出会うとものすごく感じ、尾を引いてしまいます。親の死に会うのは分かっているつもりでしたが、こんなにも後悔と辛さがくるとは…。悲しいとは思っていたのですが。

両親も長く連れ添って来たので色々あったでしょうが、旅行などもよく行って
写真も一杯出てきました。

娘と写真を出しては「こんなところへ行ってたんだ」と見ています。

泣く回数とかは減りましたが、やはり続いて逝ったのがきつく、母の急死で
動転している父がもう少し落ち着いて、普段の生活を取り戻していたら…、
(父もガンなどあるので長くはないと思っていました)
私達の気持ちも少しはマシだったのかも、と思います。

今日で4ヶ月少しです。ことしの秋が恐ろしいとも思います。寂しい季節です。

実家に戻って5人家族でしたが、娘が結婚し4人家族に。ずっと4人でいたのが
突然2人になってしまいました。
母が生前、「ワシはお父ちゃんより先に死ぬかもな」と言っていたのを「止めて」と制した事がありました。

まだしばらくは辛い日々が続くと思いますが、過去や悔いばかりを遺影に話かけても、両親は心配しますよね?

世の中には色々不幸を抱えた方たちがいらっしゃいます。私は両親の許で暮らせて幸せでした。
今も、娘たちは元気で、近くには兄夫婦がいて優しくしてくれます。
だから前を向いてしっかり生きて行きます。

有難う御座いました。

お礼日時:2012/06/25 13:19

死別は本当に悲しいですよね。


産んでくれて育ててくれて、たくさんの年月の思い出。
そして先に親が逝く。
人生ですよね。
これが人生なんですよ。

残された者、という言い方は非常に後ろ向きなのであえてこれからもこの世で生きていく者(あなた)
と言いますが、今後もこの世で生きていくあなたにとってはもう愛する両親がいない世界で
数々の思い出があなたを辛くすることもあると同時に、
誰もが当たり前のように持っていない家族との貴重な思い出を持っていることが強みになることもあるんですよ。

親と不仲、絶縁、幸せな時間を親と過ごすことが出来ずに別れた人、
親を恨んだり疎ましく感じて「早く死んでほしい」と思う人。
さまざまですが、あなたはどうだったでしょうか。
文章を読むと本当に幸せな親子だったのではないですか。
これはあなたの財産ですよ。

私も最愛の肉親を亡くした時、抜け殻のようになりました。
でもこれからもこの世で生きて行かないといけない私は
食べないといけない(働く)。
せっかくの素晴らしい人生を与えてくれた肉親の想いを無駄にしたくないので
思い出して泣くことはあっても、自分を止めないことに重点を置きました。

今は悲しくないわけではありませんが、消化して肉親を成仏できたと思います。
宗教的な話ではなく、いつまでも自分が亡き人を思うがあまり仕事も手つかずで
悲しみに暮れている毎日だと肉親が逝けないんじゃないか、と。
もう逝かせてあげなければ、そのためには私はどうこの気持ちを消化すればいいだろうかと。

「安心して、もう逝ってください。有難う。私は大丈夫です」
と言ってあげたいと思うようになってからは
自分の行動や気持ちの持ち方にも多少変化は出てきましたし
今まで肉親が与えてくれたたくさんの思い出や愛情、色々教えてくれた大事な気持ちを
今後の生活に活かさなくてはどうする、と思うようにもなってきました。

それに、この悲しみに耐えたのだから、今後人生で大概の辛いことがあっても
私は大丈夫だ、という強みにもなり、
肉親の死によっても私は肉親から最後にとてつもない強さを授かったと
今でも感謝しています。

死と向き合うことは、同時に今後の自分と向き合うことです。
悲しみに暮れている期間も当然ありますし、それを無理やりどうこうしろとは思いませんが
考え方ひとつで自分が動けないままなのか、それともそれを強さにして動くのか
それを決めるのは自分しかいないのですから、
恐れずに向き合って、糧にしないといけないんです。

自分の中で区切りをつけて、愛する人を安心して逝かせてあげる日を
あなたが作ってください。
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この回答へのお礼

有難う御座います。

両親には、心配をかけどおしで、若い時心の病気を苦に悲観して死にかけた時がありました。その時母が抱きしめてくれました。兄は私をたたいて叱りました。
「お前が死んだら、お母ちゃんは一生悲しむんやぞ」と。

そうなのです。私の大好きな母を一生悲しみのどん底に置く訳にはいきませんでした。再々おこる発作を「自分で」と言い聞かして克服しました。
今でもまだ恐いです。

自分の気持ちの持ち方は自分しかできないのです。どんな薬も効きません。
兄に感謝しました。あの言葉で「お母ちゃんを悲しませられない」という一心で克服できたのでした。

その母親が夜寝たまま目覚めなかったのです。
こんなに大切な人と、こんなに急に…と思うとしばらくは何がなんだか分からなくて、食事もせず眠ることもせず、ただぼーっと母の傍にいました。頭の中はクルクル回っていましたが。

私は普段は何もしていない時がない、何かしていないと気が済まない性分なので、ぼーっと座っているだけの時間を持ったのは、この時だけでした。

それからは、葬儀など終わり、会社にも出て、家にいる父の食事等しながら
「又、落ち着いたらどこかへ出かけようね」と言っていた矢先の事でした。

父は母の四十九日に入院をし、5日後に亡くなってしまいました。
母を追って七週間後の旅立ちでした。

あまりにも急だったので親戚の人もびっくりしていました。

5人家族が4人に、そして今は二人です。勤めているので犬も飼えません。

小動物は沢山いるので、その世話だけでも大変です。

本当に親との死別はあるものだと実感、その辛さを痛感しました。

私は祖父母との縁が薄く、死別の経験はありますが覚えていないくらいの年でした。

娘たちにとって父母は、お爺ちゃんお婆ちゃんですが、親代わりだったのでとても大事な人たちだったのです。

二人きりになった今、娘は「自分が結婚して外へ出て大丈夫か?」と心配していますが、近くには結婚しているお姉ちゃんがいるし、裏には兄夫婦がいて優しくしてくれるので大丈夫だよ、と言いました。

父は兄に妹を頼むと言ってくれ、兄も両親の突然の死にショックを受けています。

両親は愛情に満ちた人たちで、私も頼りないけれど、男手がないのでテレビの配線をしたり、木の剪定や草引きなど出来るだけ家の事をするようにしていました。下手くそに剪定をしても怒らずに「切ってくれたんか」と喜んでくれました。

懐かしいです。一緒に花が咲いたのを見たり、金魚の子を見たりしていたのに。

これからくる寂しい季節の秋に、こんなに気弱では乗り越えられるのか心配です。
それに娘が嫁ぎ、遠くに行ったときの事、又わたしが最後を迎える時などのことを考えると、とても苦しくなります。
でも、娘の結婚は嬉しい事だし、自分の最後はいつなのかわからない。

先の事で思い悩んでも仕方がないので、「今を生きる」という映画の題名のように、しっかりと生きて娘たちが安心できるように頑張ります。

沢山の方のご意見は非常に有りがたく身にしみております。

まだまだ泣いたり悔やみ事を言ったりしながらの日は続くでしょうが、
悲しい思いをしているのは自分だけではない、と、これからくるかも知れない
明るい話題を想像してがんばります。

本当に有難うございました。

お礼日時:2012/06/25 14:31

冷静に考えましょう。



お母さんは幸せな死に方ですよ。

何も苦しまず、病院なんかで薬や管で囲まれた死に方より、自宅で死ねることは幸せなことです。

文面を読んでいると、ほとんどが自分の感情の話ですよね。

何故両親の冥福を祈らないの?

何故安らかに眠らしてあげないのでしょうか?

貴方の言っている後悔や自責の念は、自分の慰めであり、両親にとっては心配事なのです。

大切なのは過去ではなく未来です。

盆や正月にお墓参りをする。

毎日仏壇に手を合わせる。

これでも十分に冥福を祈ることが出来ます。

過去になにをしなかったなどと嘆くよりか、これからなにをするかが大切です。

本当に両親を大事と思うなら、そこを頑張りましょう。

大切な人との別れは、大変辛いものです。

泣くのもよいと思います。

しかし、ひとしきり泣けば前を向いて歩き出しましょう。

貴方が幸せになることが、ご両親の幸せとなります。
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この回答へのお礼

有難うございます。
ほんとうに母は楽に逝くことができました。
入院もせず、元気だったのですが、(頑張りやだったので少しくらい具合が悪くても言わない人でした。)
過去を振り返ってばかりいても仕方がないのです。良い思い出を語り合えるよう日々、気持ちを切り替えるように頑張ります。

母の写真は笑っています。嬉しそうに笑っている遺影です。
写真の通り明るい人でした。

父はもう母の所に着いたでしょう。二人で天国から、私を心配そうに見ているかもしれませんね。

いつまでも心配をかけていては本当にダメ娘になります。

お礼日時:2012/06/23 16:40

独り言を長々と書いてもなんにもなりませんし、日々、泣いて過ごされていると言うことは、亡くなられた方が成仏できずにおられ、質問者自身に取りついておられることが要因の一つでしょう。


何年経過したとしても、現状のままと言うこともありえます。
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この回答へのお礼

本当にそうですね、泣いて後悔ばかりしていても仕方のない事です。

こんなことでは、両親も成仏できませんね。
でも、取りついてでも、もう一度だけ会いたいとの願いは消えません。

夢にも出てきてくれません。

何年も今の気持ちのままではないと思います、苦しいので早く気持ちの切り替えをしたいと思っています。

有難う御座いました。

お礼日時:2012/06/25 15:13

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「予測できる死」と「突然死」では同じ死でも悲しみの度合は違うと思いますか?

親の突然死の悲しみをやわらげるいい方法はありますでしょうか?

Aベストアンサー

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃないかなと思います。それでも貴方が現在おいくつか分からないですが、少なくとも20代、30代で両親を亡くすというのは普通じゃないことですし、「予測できる死」と「突然死」という死の基準よりも、死という現実を受け入れる年齢が、「早いのか」、「遅いのか」ということ。

親が死ぬと言うことは誰でも経験することではありますが、実際若い身空で親の死を経てフラットになった時、何にもない自分に喪失感が出てくる気持ちは非常によく分かります。

結論からいいますと22歳の私はその踏ん切りつまり親の死を乗り越えたと、自分で思えたのは26の頃でした。質問者さんと同じく22ぐらいの時にはわかったような口を聞く大人に「はやく結婚すれば?」と言われました。結果、26で結婚しました。そのとき初めて肩の荷が降りる思いでした。

19の頃は絶望感ばかりがあり22の時にその加速度が増しました。大学もやめ、バイトをしながら親の貯金を食いつぶし、親が残した有り難くないコトを整理して俺が何をしたっていうんだよ!って毎日思ってました。23、4のとき就職をきっかけに地元を離れ違う土地へ行き、それこそ色んな年相応のことを経験してに両親のことに対して前向きな諦めをつけた瞬間に彼女が出来て、すぐに結婚~という流れになりました。ただし結婚して全てのことが払拭されたわけでもなく10年経っても未だ悩みはつきません。
だけど、自分の経験したことは確実に同世代にはない経験でしたし、自分の友人らにもし突然のことがおきても冷静に対応できるだけの能力は備わったと思っています。

できれば10年前の絶望感ばかりだった自分に今、まともに生きていることを教えてあげたい。

質問者様へも私自身、早く結婚しろとはいいませんが、今すべきこと、10年後のよりカッコいい自分を想像してみてはいかがでしょうか?そのために今自分がなにをすべきなのかが見えてくると思います。
それが答えです。

申し訳ないけど、悲しみをやわらげるいい方法は無いです。

私も19の時と22の時に両親を突然死で無くしました。どちらも60に満たなくて、突然死という割には若年齢でしたが、その後、若いからと人の足元みたような態度や発言をする大人と喧嘩したり、それこそクスリも飲みましたが結局何も変わらなかったし、自殺未遂も、彼女やその他のことでそれを相殺すればしようすればするほど、精神的に浮き沈みが激しかったし随分苦しみました。

「予測できる死」と「突然死」の悲しみの値について安直には計れないんじゃ...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q死んだ親を思い出して寂しく思う時はどうしたらいい?

数ケ月前、母を亡くしました。父はすでに亡くなってるので私(男です)は天涯孤独になりました。

もともと母と私は別居してましたが、母は体調を崩すことがあったので、母のことが心配になり母と二人で同居してました。

母とは喧嘩することもよくありましたが、母と私は仲は良かったです。

しかし、ある人に「いい歳を男が母と仲が良いだなんて甘えてる」と言われたことがありショックを感じました。
甘えてると思いますか?

あと世間の人は死んだ親を思い出して寂しさを感じたとき、どうやってその寂しさを紛らわしてるのでしょうか?

(結婚したら?という人もいますが、当面は結婚する気にもなれないのです。)

Aベストアンサー

こんにちは。
色々皆さんが回答されてるので僕はひとつだけ。
気を紛らわすのはいいですが、やはり強くなるのが一番かと。
あなたの周りの友達や同僚、後輩や部下、上司でもかまいません。
あなた体験談を聞かせてあげてみてはどうですか?まだ、親が生きているうちにやるべき事、後悔しないようにした方がいいこと。
聞いたほうは煙たがるかもしれませんが、なかにはそれを聞いて人生がかわる人もいるかもしれない。
決して恥ずかしいことではないですよ。
みんな頭ではわかっていても親孝行とかなかなか出来ずに後悔してしまいます。それを背中を押してあげるようになれば、あなたはきっと強くなっていくし、そんなあなたを見てる両親はきっと誇りに感じてると思いますよ。
あなたは優しい人です、みんなにもその優しさを…
長くてごめんなさい!

Q親が突然他界してなかなか立ち直れません。

親が突然他界してなかなか立ち直れません。

高齢の母が今年の夏突然他界しました。
母と息子(私)の二人暮らしでした。
以前私は別のところで一人で住んでいましたが、
母が風邪をこじらせ何日も寝込むことがあって以来、
一人暮らしをしている母が心配になってきて同居してました。

父はかなり前に他界してます。父の場合は長年病気で入退院を繰り返して
いたので父が他界したときは心の準備ができていたので
自分でも驚くほど早く立ち直りました。

しかし母の場合、突然倒れて死亡したので心の準備ができておらず
私は時々悲しみで押しつぶされそうになるのです。

母は高齢のわりには元気でしたが、この夏の猛暑の影響もあったようで
突然他界しました。
倒れる前日までは「普通のお婆さん」という感じで
普通に生活していました。

私はできるだけ楽しげに生活して普段はなにげなく仕事したりしてますが
誰もいない家に帰ると
「口では表現できないような喪失感」に襲われ、
これがいったいいつまで続くのだろうかと悩んでいます。

「父も母もいなくなって一人ぼっちになってしまった」
という寂しい気持ちにおしつぶされそうになり
なにをやろうとしても集中できないのです。

いつかこういう日(両親ともに亡くなる日)がくる・・・
と自分で自覚してたつもりですが
自覚が足りなかったのか、気持ちが乱れます。

また母の突然の死後
私の体調も不安定で
不眠や胃腸の不調に悩まされ、クリニックに通ったりもしてますが
「口では表現できないような喪失感」までは治せません。

ただ、自分が幸せだと思えることもあります。
それは今、母に心から「ありがとう」と思えること。
そして私が母を最後まで看取ったことです。

仮に親が元気でも
親子関係が険悪な状態が長期化してたりすると
それは不幸せだと私は思うのです。

また母の死後知ったことですが、
母は周辺の人から評判が良かったことを知りました。
周辺の人からは「心が優しい親切なお母さん」、「真面目で誠実な人」
「年齢を感じさせない若々しいお婆さん」など・・・。

家の中では
母は歳をとってからは
よく私に愚痴を言ったりもして私はウンザリすることもよくありました。
でも今ではそれさえ大切な思い出です。

そのように言われていた母を亡くしたことに
いっそう心が悲しくなるのです。

早く立ち直りたいと思えば思うほど、
何故か自信がなくなってしまい自分が情けなくなるのです。

親や家族を亡くして悲しい思いをしたとき、
人はどうやってその悲しみをのりこえるのでしょうか?

親を亡くすとこんなにも気持ちが乱れ
自分がもろくなるものなのでしょうか。

親が突然他界してなかなか立ち直れません。

高齢の母が今年の夏突然他界しました。
母と息子(私)の二人暮らしでした。
以前私は別のところで一人で住んでいましたが、
母が風邪をこじらせ何日も寝込むことがあって以来、
一人暮らしをしている母が心配になってきて同居してました。

父はかなり前に他界してます。父の場合は長年病気で入退院を繰り返して
いたので父が他界したときは心の準備ができていたので
自分でも驚くほど早く立ち直りました。

しかし母の場合、突然倒れて死亡したので心の準備ができて...続きを読む

Aベストアンサー

無理に悲しみから逃れる事を考えなくて良いと思います。
突然死は誰にも解らぬ事で在り、誰もが受け入れるのに時間が掛かる事です。
時間が解決してくれるのは、理解してるのですから、喪失感・・・良いじゃないですか!
貴女以外、誰も居ない部屋で一人で想い出に浸り、泪しても誰が何を言えるでしょうか?誰が早く立ち直れと言えるでしょうか?誰も言えません!
お母様との想い出に心ゆくまで浸り、悲しみに浸り、喪失感に浸れば良いでは在りませんか。
今の在るが儘が最高の時ですよ、在るが儘の姿が美しい涙であり、心なのですから、もっともっとお母様との想い出話を目に見えない糸電話で会話して下さい。

私の場合は親が突然死では無かったのですが、私が外国で仕事をしていたので、看取る事も無く、葬式すら出る事無く、日本に帰国後、墓参りをした時に親不孝者と悔やみ、嘆いた事を今でも想い出して悲しくなる時が在りますが、不思議に親の残した言葉が、心の中から蘇って来ては懐かしむ事がしばしば今でも在ります。
ただ、辛かったのは、遺品として父親が愛用していた、コーンパイプと万年筆を見た瞬間は男泣きしながら、物凄い喪失感に襲われました。
そして、今でも遺品を見ながら父親と会話をしています。
貴女とは違いますが、無理に忘れる事も無いし、喪失感でも良いじゃないですか!姿が無くても、見えなくても心の会話を一生しましょう。
心がもろく成っても、目に見えない糸電話で母親が支えてくれてるので心配ありません。
永遠の心の糸電話を楽しんで下さい。

無理に悲しみから逃れる事を考えなくて良いと思います。
突然死は誰にも解らぬ事で在り、誰もが受け入れるのに時間が掛かる事です。
時間が解決してくれるのは、理解してるのですから、喪失感・・・良いじゃないですか!
貴女以外、誰も居ない部屋で一人で想い出に浸り、泪しても誰が何を言えるでしょうか?誰が早く立ち直れと言えるでしょうか?誰も言えません!
お母様との想い出に心ゆくまで浸り、悲しみに浸り、喪失感に浸れば良いでは在りませんか。
今の在るが儘が最高の時ですよ、在るが儘の姿が美しい涙で...続きを読む

Q母が亡くなって3ヶ月…。まだ泣いてしまいます。

30代女性です。
2年間、病と闘った母が3ヶ月前に亡くなりました。
告別式を迎えるまでの4日間…ふいに溢れる涙を自分でもどうしようもなく、本当に泣き続けました。

告別式を終えても、本当はもっと泣き続けていたかったし、母の思い出に浸っていたかったけど、「毎日」は容赦なくやって来て日常生活に引き戻され…。

もう3ヶ月も経つのに、一人の時間に、またふいに涙が溢れてしまいます。

同じような経験をされた方がいらっしゃいましたら、ただお話しをかき聞かせて頂ければ…と思っています。

Aベストアンサー

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分を
責めてしまいます。

写真のなかの笑った父を見ると、会いたくてたまらなくなります。

今でもとても淋しいです。


亡くなって半年頃、うつのお薬も飲みました。(2週間くらい。)

特別なことではなく、こういうのもアリなのだと思います。

遺品整理でまた泣けて、父の手帳を見てまた泣けて。


でもそうやっているうちに、少しずつ、涙の量が減っていきました。

今でも思い出すといろんな気持ちが溢れてきます。

ただ、自分の悲しさと少し距離の取り方が学べた気がします。

母のときとはまた違うので、亡くなるたびに、また一からですね。


いつまでも泣いていると亡くなった人が悲しむといったことを聞きますが、
そうでもない気もします。

子どものとき、こけて痛くて泣いていたときのように、天国から、
あーあ、泣いてるね、と、笑って慰めてくれているような気がするのです。

kataomaさん、声が聞けなくて、触れなくて、とても寂しいですが、
きっとそばにいてくださっていると思います。

本当に鵜悲しいですよね、大切で、大好きだったのですから。
だからkataomaさんはとても正常なのだと思います。
(すみません、変な言い方ですが。)

どうぞ安心して悲しんでくださいね。
それが人の通る道なのだと思います。
そしてきっとその分、お気持ちに優しさが増えていくのだと思います。

お気持ちを逆なでしてしまったら申し訳ありません。

お辛いですが、悲しいお気持ちをしっかりとお受け止めになれるといいですね。

そうしながら、お気持ちはまた、少しずつ元気に向かわれていると思います。

悲しくて泣かないではいられないほどのお母様との思い出を、これからも
きっと大切にしていかれるのでしょう。

応援しています。

お辛いですね・・・お察しいたします。

わたしは、随分前に、5年間闘病した母を亡くし、4年前には1年の入院のすえ、
父が亡くなりました。

母のときも長い間、道行く人に母の面影を重ね、枕を涙で濡らす毎日でした。

記憶に新しい父の死のときには、母のとき以上に毎日泣いていました。


最近もいろいろ考えると泣けてきますし、夢も見ます。

闘病のさいの可哀そうな姿を思い出すと、後悔もしますし、罪悪感も感じます。

もっとああすればなどと、際限なくハードルを高くして、できなかった自分...続きを読む

Q母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。

 母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。

 母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、
 私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、
 40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、
 常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、
 そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、
 まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、
 いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、
 きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。

 頭ではいろいろ考えるのですが…。 

 飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。

 長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません
 今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。

 それでも...続きを読む

Aベストアンサー

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
なので天国で~,といった感傷はありません。
でも,「生きていたらどう言うだろうか」というシミュレーションはします。
祖父はとくに
「死亡通知は出さない。形式ばかりのお悔やみをもらっても意味がない。知人から連絡があったときに,こういう事情で亡くなりましたが故人の意思によりご連絡しませんでした,と返信せよ」
と,若い世代でもなかなかできない思い切ったことを遺言しました。
「死者は生者を惑わすべからず」が信念でした。

また,私自身は非婚男性で,おそらくこのままだと思いますが,「先祖代々」といったつながりは重視していません。
よく言われる「たくさんの人が先祖にいてあなたがいる」というのも信用していません。

霊感商法が問題になったときに,祖父の言った言葉が強烈な記憶になっています。
「先祖が苦しんでいるから供養がどうのなんていうが,子孫を苦しめるようなことをするはずがない」
私はさらに拡張して,子孫を苦しめるような祖先はいなくても結構だ,と言っております。

でも,これだけ極端に過激な考えを持ってる私でも,純粋に今でも「かっこいいなあ」と思います。
現代の若い世代でもこんなこと言えるのは何人いるんだ?と,身内贔屓ながら思ってしまいます。

死後の世界を否定しても,受けた教育や影響,話してくれた体験談や直接見聞きした記憶というものはちゃんと残ります。
長所も短所も個人の記憶として残っています。
自分のDNAは残せなくても,こういう考えをした人がいる,という話は伝えられます。
教育は誰も奪うことのできない財産であり,絶対に消えないものだと信じています。
残っているのは過去の出来事であっても,そこから新たな法則性や価値基準は抜き出せると思います。

視点を,ちょっとだけ亡くなったお母様から外してみませんか。
~してはいけない,~しなくてはいけない,と考えるのはどんな場合にもつらいです。
お母様は,あなたをここまで育てあげたんだから,あなたは何をするにも自分の考えと都合に素直に従っていいと思います。
泣きたいなら泣いていいでしょう。そこで泣けるように育ててくれたんですから。
お母様がどう思うかと意識が集中しすぎるとつらいと思います。
親がどう思うかで動くのは,言い方は悪いですが,ある種子どもの考え方ですよね。「怒られるからしない」と同じような。
でも,一個人として成長すれば,誰が何と言おうと私は嬉しい,何と思われようと私は悲しい,といえるようになります。
それで必要かつ十分です。
いま,質問者さんはどうしても亡くなったお母様に視点を合わせてしまうために,どう思うだろうか・これではいけない,と自分を抑えつけてしまうのではと思います。
自分を信じてあげてください。自分を大事にしてあげてください。
ときに自信がなくなったら,「お母さんが私には合格出してくれたんだから私はこれでいい!」と考えてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。

私は同居の祖父母の死を経験しました。
両親よりも接する時間が長かったので,存在も大きかったです。
年相応で,ある程度予想はできており,質問者さんほどの衝撃ではありませんでした。
しかし,

>母とは大親友以上の仲だったので
という部分,私が祖父に対して持っていたのと似ているようにも思えるので,お答えになるかどうか分かりませんが,ご参考になればと思い書いてみます。
私の場合は,親友というよりも,耐え難い日本の不条理に対する戦友のような感じでした。

私は祖父譲りの徹底的な無信仰です。
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Q家族の死を受け入れるには

家族が残り僅かな命を宣告されて、それを受け入れる事ができずに毎日泣いてばかり。
かなりの高齢、しかも寝たきりなのでそろそろ...とはわかっていたつもりでも、いざ直面するとその時が来るのが辛くてつらくて堪りません。

迎える死を受け入れる、気持ちの整理をつけるはどうしたらできるものでしょうか。

(いただいたご回答の返事は遅れるかもしれませんが何卒よろしくお願いします)

Aベストアンサー

私は両親をガンで看取りました。
だからあなたの辛さが痛いほどわかります。

何年たっても家族の死を受け止める事も出来ないし、ずっと無理だと思う。日常生活では「笑ったり、ご飯食べたり、普通に会話」もできます。でも、どこか心の中にいつも家族の死があります。心の闇というか、家族の死に関しては心が凍ったままです。

家族の死を受け入れるというよりも、余命宣告された家族へ今までの感謝の気持ちを込めて精一杯の笑顔でお見送りするしかありません。家族との一日一日を大切にし、旅立つ人が「この子は私が死んだらどうなるんだろう」とあなたを心配しないように泣き顔は見せない事です。

私の両親も娘の私を気遣い、辛い治療の泣き言は言いませんでした。末期の病気になっても娘を気遣う両親の気丈な姿を見て、愛しくて抱き締めたくて、一人になると泣いてました。私も辛かったけど、泣いてばかりだときっと両親は残された私の行く末を心配するだろうな…と泣いてる姿は見せないようにし、元気なふりして乗り切りました。旅立つ家族としては、自分の肉親が泣いてばかりだと「この子は自分が死んだあと一人で大丈夫だろうか?」ときっと心配したまま亡くなって、心残りになると思います。

私はガンと闘う毅然とした親の姿を見ていると、そんな親がとても誇らしく「自分も負けていられないな」と思うようになりました。その親の強い思いが、今の自分を支えているような気がします。ヘタレな私でしたが「親が子供にできる最後の教育」と思い、がん闘病中の親の姿が目に焼き付いて離れません。未だにその気丈な姿に勇気をもらってます。

私は、亡くなった人はきっと自分の生きざまを天国で見ていてくれる。あの世で再会したら「よく頑張ったね」と誉めてくれることを楽しみにして、毎日をすごしています。気持の整理なんて何年たってもできないけど、時々亡くなった人の気配を感じる時があります。だから「見守ってくれてるんだな…見ててね」と恥じない生き方をしようと思ってます。

受け入れる事はできないけど辛い記憶は時間が癒してくれます。ふと…思い出して涙する時もあるけど、きっとあの世で会えると…私は思うようにして毎日を生きてます。

私は両親をガンで看取りました。
だからあなたの辛さが痛いほどわかります。

何年たっても家族の死を受け止める事も出来ないし、ずっと無理だと思う。日常生活では「笑ったり、ご飯食べたり、普通に会話」もできます。でも、どこか心の中にいつも家族の死があります。心の闇というか、家族の死に関しては心が凍ったままです。

家族の死を受け入れるというよりも、余命宣告された家族へ今までの感謝の気持ちを込めて精一杯の笑顔でお見送りするしかありません。家族との一日一日を大切にし、旅立つ人が「この子は...続きを読む

Q親の死を乗り越えたものの、無気力。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また人付き合いも悪くなりました。

軽い夢遊病のような状況です。一番苦しい時期に悲しみを堪えてふんばらなければならなかったこともあった反動なのか、喜怒哀楽の感情が上手く制御出来ていない感じがし、頭には常にモヤがかかったような状態です。行動にせよ言動にせよ、以前と比べて明らかに”芯が通っていない”と感じます。

はた目から見る分には正常のようですが、このような状態が続くとマズいな、とは感じます。

どうしればようでしょうか?もし似た様な状況を克服した方がいましたら、何か良い方法を教えて下さい。
よろしくお願いします。

尚、多忙のためお礼が遅れてしまうかも知れません。ご了承下さいませ。

親の死を乗り越えたものの、無気力。

32歳男性です。よろしくお願いします。今年の初めに母親を亡くしました。勿論当時は身を切られる辛さでしたが、仕事が多忙だったこともあり、苦しみながらも一番辛い時期は何とか乗り越えることができました。

しかし、初夏に入り仕事も少し落ち着くと、張りつめた糸がプツンと切れた様になり、いわゆる無気力状態になってしまいました。それまでの疲れが出たこともあるのですが、仕事でもつまらないミスを連発するようになり、明らかに自分でも覇気がないと実感でき、また...続きを読む

Aベストアンサー

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんでしょうね。いっしょです。

一人で、好きなだけ、泣き通す時間が必要でした。

で、それは、今だったら、もうすっかり正常なので、ちょっとした、ニュースとか、写真とか、音楽、美術、なにかちゃんとしたものにふれたとき、すぐに来ますけど、(ニュースを見たらすぐ泣けるという意味です)

当時は、まとまった時間、集中出来る環境がないと、なんかとにかくぜんぜんダメでしたね。
「今、そのモードじゃない」という感じでしょうか、切り替え「しちゃならん」と思ってるからか、切り替えスイッチ、入らないんですよね。

わたしの場合は、死んだ家族と、同居の家族のほうが、ある意味、立ち直りが早くて、
わたしのほうがついて行けなかったです。それもものすごくつらかった。時間のたちかたが、ひとりひとり、違うんですよね。本当に違います。もうそれはどうしようもない。

なので、一人暮らしの、一人の部屋で、「もう帰省した」とか「旅行中」とか、友人や彼氏に嘘をついて、ひとりになりきりました。買いだめして。ちょうど、夏休みとか冬休みとかの長い企業だったので。

やっと集中出来て、モードに入ると、もう、あきれるほど、何時間でも、泣けるんですよ。
びっくりです。

それで徐々に治った感じですね。

参考になれば。

お察しします。
わたしも仕事は割とちゃんと、しっかりやったつもりですが(当時のわたしの仕事は量が多いだけで内容は簡単なものだったのですが)、人間関係には波のような周期というか、得意な時期と不得意な時期が来ました。すっかり治ったのは・・・そうですね4年位かな。
もともと女性で喋り好きですし、表面的には何もおかしくなかったと思いますけどね。人間「関係」というより、自分の感情表現ですよね。そのコントロールがおかしくなるの、もう、自分のことのようによくわかります。真面目なかたなんで...続きを読む

Q親の死のショックから立ち直れないんです

今年の夏、同居していた母が亡くなりました。

ガミガミと口うるさい面もありましたが
他人思いの優しい母でした。

父はすでに他界していて私(男性です)は一人暮らしになり
12月になっても「母を失った悲しみ」や「無気力感」に襲われます。

私は仕事の関係で
親と別居して一人暮らししてた時期もあるので
母が亡くなっても(精神的に)大丈夫だろうと思ってましたが
現実には違ってました。

今までに経験したことがないような悲しい気持ちに襲われ
なんにもする気がしなくなる日がいまだにあるのです。

もう他界してから数ヶ月たっているんだし
「いい加減早く立ち直りたい」と思っているのに
立ち直れなくて、「いったいいつまでこの状態が続くのだろう」と
悩みます。

仕事をしているときや、知人と話しているときなどは
気がまぎれ
「もう立ち直ったのかな」と思うこともあるのですが
「しーんとした誰もいない家」に帰るとまた寂しさがこみあげてくるんです。

一人暮らしだからいけないのかなとも思いました。
以前婚活をしたこともあります。
でも
私の周囲には離婚経験者や
結婚してても「家庭内別居」や「家庭内離婚」状態の人も案外多くて
現実にそういう人たちを見てると
もう結婚のことは考える気にもなりません。

親が他界すると
こんなにも悲しみが続くものなのでしょうか。

今年の夏、同居していた母が亡くなりました。

ガミガミと口うるさい面もありましたが
他人思いの優しい母でした。

父はすでに他界していて私(男性です)は一人暮らしになり
12月になっても「母を失った悲しみ」や「無気力感」に襲われます。

私は仕事の関係で
親と別居して一人暮らししてた時期もあるので
母が亡くなっても(精神的に)大丈夫だろうと思ってましたが
現実には違ってました。

今までに経験したことがないような悲しい気持ちに襲われ
なんにもする気がしなくなる日がいまだにあるのです。

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Aベストアンサー

私は母が亡くなってもうじき2年になります。
以前テレビであまり亡人を想いすぎるとあの世に行けない。。。と言っていました。しかし、他の番組では想いたいだけ想えば良いとも言っていました。
私は母を亡くしたあと、かなり引きずっていました。
テレビを観たあと、どちらが良いのか考え結果 母の死に依存するのはやめ、しっかり一生を生きることにしました。そのうえで、引きずる想いもあっていいと、、今でも想えば涙もポロポロでます。悩んだり、落ち込んだりするときは写真にお線香をあげ、相談したり愚痴を言っています。

自分が死ぬまで一生忘れることなんて出来ないですよ。それが大切な人ほど。
私は無理することないと思います。あとは時間が次第に心を癒してくれると思います。

Q突然死んだ母に会いたいと思うことがつらいのです。

おととしの春、母が突然亡くなりました。父もすでになくなっているので私は一人で暮らしています。
口うるさい面もあり、よく喧嘩もしましたが心優しい母でした。

父は死ぬ数年前から病気で入退院を繰り返してたので、心の準備ができていて父の死の悲しみは
すんなり乗り越えることができました。

しかし母はある日突然倒れて亡くなりました。まだ70代だったので、まさか突然死ぬとは思っておらず、母の死から2年たってもショックをいまだにひきずっています。

外で仕事をしてるときは気持ちが落ち着いてるのですが、一人で家にいたりすると、「死んだ母にもう一度会いたい」という思いがこみあげ、悲しみで胸が引き裂かれそうになることがあります。

心にポッカリ穴があいて、その穴を埋められないような感じです。

親が突然死ぬとこんなにも長く悲しみを引きずるものなのでしょうか。

悲しみを今も引きずってる私は心が弱いのでしょうか。

親の死の悲しみから、みなさんはどう立ち直ってるのでしょうか。

Aベストアンサー

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられないものですね。
しかたの無いことだと思います。
それを無理に忘れることは絶対に出来ないことです。

しかし、気を紛らわせることは出来るはずです。
おひとりになるときに思い出されるとのことにヒントがあるんじゃないでしょうか。
出来れば結婚されてご家庭を持つことが一番の解決につながると思います。
それには縁が必要ですので、自分の思うままなりませんね。

他には夢中になれる趣味を持つことです。趣味ができれば、その仲間が作れます。
仲間との馬鹿な話で笑っているときは、少なくとも忘れる時間が持てるはずです。

少しづつですが、時間も解決してくれることでしょう。
皆さん、そうやって乗り越えてきています。
質問者のあなたも、あせらずに解決していってください。

自分も父をガンで患わって亡くしています。
母も、くも膜下出血で倒れたときはどうなるのかと生きた心地ではありませんでした。
今は何もなく過ごしておりますが、あのとき亡くなっていたらと思うと、平常心ではいられません。
母を亡くされたお気持ち、心に刺さるように解ります。
今も引きずっているのは、決してこころが弱いからではないと思います。
自分でもまだ父が生きていたらと思うことが度々です。

人はいずれお別れしなきゃならい事がくることがあると解っていても、いざその時がくると受け入れられな...続きを読む


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