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いざ鎌倉!という名言と共に、諸国の実情調査の途次にある北条時頼が身分を隠し、一夜の宿を借りると・・・貧しい住人:佐野源左衛門が
寒さの中に、大事な鉢の梅の木を燃やし暖を勧める心使い、「もし鎌倉に大事があれば、ちぎれたりともこの具足をとり、錆びたりとも長刀を持ち、痩せたりとも馬に乗って・・・」と忠節の心意気と覚悟を語る物語です。

名執権と言われる時頼をして、市井に斯様な人材あり、心強く甚く感動させた物語は、窮乏にあっても武士の誇りを失わず、お家の大事には何があっても馳せ参じる武士の矜持・誉れの物語ですが・・・

幼い頃に絵本で紙芝居で覚え感動した物語・事柄・教訓は、今も私の心に人生観や倫理観の土台とも成っているように思います。

<質問>
なぜ、「鉢の木物語」を始め「桜井の駅の別れ」「児島高徳」等の日本人の美風、礼節、優しさと勇気を感じ培うようなエピソードを純真で幼い子供に語り伝えないのでしょうか?

軍国主義とか右翼とか古臭いとバッサリ切り捨て、怪獣やSFやラブコミックに偏っていて、(イジメ問題に、こじ付け短絡させるわけではないが)、情操教育・人間性の大事な年代・柔軟な感性に、それでは気質&基盤が歪になるのでは?


<ご参考>
http://cgi2.nhk.or.jp/school/movie/clipbox.cgi?d …

http://j-lyric.net/artist/a00114b/l017d72.html

http://www.geocities.jp/sybrma/191kojimatakanori …

A 回答 (3件)

「巨人の星」の漫画やアニメで、語り継がれていますよ\(^^;)...マァマァ



・川上は一徹と対座していた。明子は震えながら、川上にお茶を出す。「ふふふ。明子。そう固くなるな。昔は同じ釜の飯を食った先輩だ。それでは、川上さん。うちの飛雄馬は合格したのですな」「合格した。見事に」

土下座する川上。「星君。このとおりだ」「川上さん。手を上げてください。テストの合格した上、直々に報告に来ていただき、謝られる筋合いはない」「そのテストだよ。星君。君がすべての情熱を注ぎ育てた飛雄馬君ほどの投手をスカウトせずテストしたりして、さぞ不快だっただろう。しかし、わしの本心は「鉢の木」だった。君もあの話は知っていよう」

「鉢の木」の話を始める一徹。「昔、北条時頼が鎌倉に幕府を開いていたころ、片田舎に住む佐野源左衛門常世という貧しい武士がいた。ある大雪の夜、一人の旅の僧が一夜の宿を求めてきた。しかし貧しい佐野源左衛門は旅の僧に火を焚いてもてなす一本の薪もない。そこで佐野源左衛門は大切のしていた植木鉢の木を斧で打ち割り、これでいろりにくべた。ようやく生色を取り戻した僧に佐野源左衛門は言った」

「かように貧乏しておりましても、いざ戦というときは、やせ馬にまたがり、さびやりひっさげて、一番乗りに駆けつける武士の心構えは忘れておりませぬ」「二年後、ときの鎌倉幕府より戦が起こるから集まれ、と全国の武士に号令がくだった。このとき信念とおりに真っ先に鎌倉に駆けつけた佐野源左衛門を涙で迎えた執権・北条時頼こそ、あの雪の夜の旅の僧であった。北条時頼は姿を変え、ひそかに諸国を視察して回っていたのだ」

そのとおりだ、という川上。「甲子園で花形にホームランされた飛雄馬君が、実は指を負傷していたことを隠し、控え投手の名誉をかばった友情。それは大切にしていた鉢の木を割ってまで見知らぬ旅人をもてなす心と同じく美しい。しかし、他人をかばう美しい心だけで自分の信念を曲げては勝負に生きる男として落第。とてもプロ野球で生きていけん」「よくわかった、川上さん。つまり巨人軍の新人公募テストは鎌倉幕府の集合命令だった。佐野源左衛門が来るか。いや、飛雄馬が来るか」

「飛雄馬君は来た。莫大な他球団の契約金をけり、そのへんの草野球選手に混じり、鉄の根性で全力を。そこまでわが巨人軍に全てをかけてくれた」涙をぬぐって失礼する川上。その話を聞いて感動する飛雄馬と伴。「鉢の木か。お前はもう一人、あの牧場のためにも燃やしてしまったなあ。身代わり退学という」「それより俺は喜びで一杯だ。俺には素晴らしい理解者がいたのだ」

そして飛雄馬は一徹から風呂敷包みを渡される。「川上監督の土産だ。あけてみい」中には背番号16のユニフォームがはいっていた。「う。打撃の神様・川上の栄光を記念し永久に欠番となるはずの16番を」泣きながらユニフォームを着る飛雄馬。

・宮本武蔵が決闘前に社に勝利を祈願しようとして、「いや、頼るのは己の剣のみ」としてやめた話

・ 山中鹿之介が「我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈った話

・ 明子「幸福は肉体の健康によろしい、だが精神力を発達させるのは心の悲しみである(プルースト「見出されし時」より)」

・明子「青春には決して安全な株を買ってはならない(ジャンコクトー)」

・ピッチングに致命的な欠点があると知り、それを聞く飛雄馬に一徹が言った坂本龍馬の言葉
「例えどぶの中で死んでもなお前向きで死んでいたいっ・・・」
坂本竜馬は封健時代の日本に新しい日の出をもたらすため命を懸けた・・・。 その為、かの新撰組はじめ当時の幕府側に命を狙われいつ死ぬか分からなかった。 しかし、竜馬はこう言った。
「いつ死ぬか分からないが、いつも目的のため坂道を登っていく。 死ぬときは、例えどぶの中でも前のめりに死にたい・・・」と。



ONを抑えたと自惚れて帰ってきた飛雄馬に、一徹が言った言葉
「赤城の山も今宵かぎり・・・。あの国定忠治じゃよ」
真剣勝負にかけては俺こそ天下無敵と自惚れていた・・・。 そこで、江戸へ出て当時、日本一の剣豪といわれた千葉周作の道場へ道場破りに乗り込んだ。 忠治は真剣での勝負を主張し、止む無く周作も真剣をとって対決した。 睨むこと数秒・・・、
周作「勝負あった」(ここで周作が後ろへ向きを変えて帰ってしまう。)
忠治「卑怯者!忠治も勝負を見たわい!この長ドスが道場剣術の名人面をぶった斬る様を!」
居並ぶ門弟たちは冷ややかに狂う忠治を眺めていた。 しかし、いつまでも忠治が帰らぬので、遂にこう諭した・・・
門弟「忠治。その方の喧嘩剣法は確かに先手だけはとり千葉先生にかすり傷くらいは負わせただろう。 しかし、次の一瞬、先生の剣はその方を真っ二つにしたであろう。 我々にはその血煙がまざまざと見え申した」
忠治は青ざめ、こそこそ千葉道場を退散したという・・・。


幼い頃に漫画やアニメ覚え感動した物語・事柄・教訓は、今も私の心に人生観や倫理観の土台とも成っているように思います。\(^^;)...マァマァ
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

>幼い頃に漫画やアニメ覚え感動した物語・事柄・教訓は、今も私の心に人生観や倫理観の土台とも成っているように思います。

形式・媒体は違っても、題材・教訓・エピソードとして取り上げられ、幼い子供たちの心に残る成らば一安心です。

でも、作品・表現・室量や頻度について徐々に減少希薄になるのは時代の変化、ライフスタイルの変化の中で止むを得ないのかも・・・
sんぱいするのは、それが、世代の継承おいうかバトンタッチを経る都度、幼い子供が、やがて親と成り、その子供がと考えると、徐々に作品・題材・エピソードの取り上げは、減少希薄化しながらシュリンクし、やがて、忘れられ消えて行くのかも?

お礼日時:2012/08/10 20:37

 こんばんは。



 元々殆どフィクションですから教える側も慎重なのでしょう。
忠臣蔵は本当にあったことではありません。当事者が語ったものならノンフィクションとなりますが原作は部外者です。目撃者の証言があっても全体像は知らないでしょう。
佐野某の話もどうやら伝説です。(当たり前か)
曽我兄弟の仇討ちというのはノンフィクションかもしれませんが、それは出来事だけでしょう。お話は脚色で彩られています。
山中鹿之助にしても全部が全部本当のことではありません。

となれば教える側は慎重になって当たり前です。
私がそうであるように私の親がそうであるように、フィクションをフィクションと言って教えたとしても生徒はノンフィクションのように感じていることは少なくないのです。

他にも美徳などを育むエピソードはあるでしょう。
よって敢えてフィクションによって育むのを避けているだけ、だと私は理解しています。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

>元々殆どフィクションですから教える側も慎重なのでしょう。

確かに、誇張や我田引水的な部分があると思いますが、誤った意図や目的で歪曲利用されるのは、一つの方向に集中したりor異なる物を差別排斥するのは厳に戒め有ってはならないが・・・

他方、我が国古来からの美徳や美風、人間性の修養に有益な人物・エピソードを素材とした童話や偉人伝、冒険物語etcが埋没しアニメやSFに偏重しても良くないのでは、どの国や地方にも誇れる人物・エピソードはあると思うが、それらの素材が埋没して忘却されているのは貴重な知的&文化財産を葬る事ではないだろうか・・・

私の杞憂で有れば良いのだが、貴重な次世代&後世の担い手である子供達の情操教育や価値観やパーソナリティの芽生え&形成にスルー、欠落していては、何か真の優しさや強さの奥深さを見聞せず表面的な面白さに偏る何か安きに面白さに阿ね歪な感じがしてならないのです。

お礼日時:2012/08/14 06:18

あのー小学校の時に習いましたよ、そのような人物像を



質問者さんは、それをもう忘れているんですね(^_^;

自分で忘れてて、世間が悪いってのは無しですよ。
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この回答へのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。

>あのー小学校の時に習いましたよ、そのような人物像を。

形式・媒体は違っても、題材・教訓・エピソードとして取り上げられ、伝わって、幼い子供たちの心に魂に残る成らば一安心です。
私も三つ子の魂ではありませんが60年近く前の記憶でも断片的かもしれないが、たくさん「勧進帳・曽我兄弟・山中鹿之助・忠臣蔵etc」覚えています。
そして、それらが曲がりなりにも人間形成&人格形成に心と魂の滋養や糧にと成っているのだと有難く思っております。

でも、作品・表現・室量や頻度について徐々に減少希薄になるのは時代の変化、ライフスタイルの変化の中で止むを得ないのかも・・・

心配するのは、それが、世代の継承&バトンタッチを経る都度、読み聞かせ語ってもらう機会の少なく成った幼い子供が、やがて親と成り、その親から生まれた子供がと考えると、現在のテレビやゲームや雑誌でも、徐々に作品・題材・エピソードの取り上げは、減少希薄化しながらシュリンクし、やがて、忘れられ消えて行くのかも?

お礼日時:2012/08/10 20:51

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