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曰く、「悪法も、法なり。」


「悪法」って、例えば、徳川綱吉の「生類憐れみの令」とかを連想しますが、

・・・「成立した時代には至極最もだったものでも、時代が下るに連れて、不適となる」というものも、あるのです。


つまり、法律ってのも、ぶっちゃけ「ISO規格」のように「フィードバック」される(べき)ものであるわけ。

さて、それでは、現代の法にまさしくUP TO DATE!なモノは、なんでしょうか。

A 回答 (7件)

>さて、それでは、現代の法にまさしくUP TO DATE!なモノは、なんでしょうか。



これは難しい難題ですよ。個人で言えば幾らでもでてきますし。それを統合して「こうしましょうああしましょう」と決めるのは至極難しいことです。ただ人間の基本に置いては現代の法律はあまり問題はでてこないでしょう。一部の法律が問題がでてきたりするわけで、その辺を修正するというのが一番であるし、個人的には「生類憐れみの令」というのはいいと思いますよ、人間も他の生物も同じ生き物だということを教えてくれた良い法律だったと僕は思いますね。なんで悪と捉えるやからがいるのか今一わかりません。「厳しすぎてやりすぎじゃない」というのは分かるのですが「悪法」という感覚を持つ人はきっと野生本能を人間の本能に置き換える事が出来てない人なのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「個人で言えば幾らでもでてくる」
>「人間の基本においては現代の法律はあまり問題はでてこない」

おおまかに言えば、「現状で良い」ということですね。


>「「生類憐れみの令」というのはいいと思いますよ、(以下略)」

そうですね。現代でもペットの問題というのは、未解決の部分があるようです。

お礼日時:2012/09/04 22:58

NO,5です。


お礼というより、補足妖精のような内容でしたので、少し書き足します。

アップツウデート という舶来の言葉はよく知りませんが、一国の法律が現状にあわなくなってきたとき、世に満ちる違反者をどんどんしょっぴいいて世間を法律の精神に引き戻すか、それとも法律の方を緩くして「犯罪者」を犯罪者でなくするかという判断をどうするかといえば、やはりその法律を作った時の精神を思い起こしてどちらがまっとうかをあらためて考え直し、決めねければならないということでしょうね。何から何まで現状に合わせるというのは無茶です。
特に憲法についてはそれが言えます。一時の酔狂や他国とのごたごたのすえにこちらの都合だけで決めるべきではないということを言いたかったのですが、もちろんそのひとつに9条問題があります。日本が、あるいはアメリカがどうしてあの時9条を思いついて入れ込んでしまったかについていまいちどしっかり考えてみる必要があるということです。単に外国の押し付けだからという偏狭なナショナリズムだけでこれを毛嫌いしてはならないということがあります。現在では国同士が侵略し合うのは国際的に禁止されていますから、竹島にせよ現状(韓国が侵略してきた)で国際法違反として訴えることもできるわけですね。もちろんそれが認められるかどうかは別ですが、少なくとも重砲主義や核装備が過去のものになっていることは疑いないと私は思っています。
ご質問の「悪法」は9条を想定しておられるのだろうと勘ぐってっていましたが、違っていたのでしょうか。
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この回答へのお礼

komaas88様、ありがとうございます。


私が、浅学ながらも哲学ということを学んでみようとしたとき、「理論物理学」と実証のような関係があるのではないか、と思われたことがありました。

一方で、「法律は、社会の最後尾から、ついて行く」という表現もありますね。


Ano.2で、psytex様より「必要悪」という表現も頂きました。

9条をご指摘されたご回答者様も複数居られますが、「刑法が必要悪だ」というようなことなら、私でも判り易いですが、憲法が「(必要)悪」というのは、どうなんでしょう。

お礼日時:2012/09/01 15:31

>つまり、法律ってのも、ぶっちゃけ「ISO規格」のように「フィードバック」される(べき)ものであるわけ。



常識的なおはなしです。

人間が人間のためにつくったものですから、適宜見直して不都合が内容にアジャストしたりするのは当然です。

>それでは、現代の法にまさしくUP TO DATE!なモノは、なんでしょうか。

いろいろあると思います。

ただ、善悪判断は立場によって異なることがありますし、誤解を招きかねません。個人的な好悪もないまぜにしてそういったことをぐちゃぐちゃいって、一旦決まったものに文句をつけるのはよくないと思います。上記と一緒にしてはいけません。

たとえば法律の法律である憲法のことです。
もちろん上記の考え方に基づいて見直す必要が皆無であるとはいいませんが、軽々にそれを言うものではないと思います。
憲法は国の規範ですから権威あるものでなければなりません。どこかのくにのようにころころ変えるものではないのです。大国の憲法であれば世界中に影響が及びますし。
一刻一国の都合だけで考えるものではないと思います。
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この回答へのお礼

komaas88様、ご回答ありがとうございます。


>「法律の法律である憲法」

「憲法、「基本法」という表現も?」・・・「それ」に反するような(内容の)法律は、認められない。
「違憲状態」ってのは、罪が重いですね。


>「一刻一国の都合だけで考えるものではない」

んー。本問に期待したご回答がようやく来た、という感じかな。
しかし、「個別具体的」性に欠けていますね。

お礼日時:2012/09/01 02:38

さて、それでは、現代の法にまさしくUP TO DATE!なモノは、なんでしょうか。



○放送法。NHK、金まで取られて中国様、韓国様では公共放送とは言えないですね。
○税金、ガソリン税、揮発税、重量税、消費税、二重三重課税は憲法違反。
○厚生年金、何に使われているのやら。
○憲法
衆参両議院、二つもいらないね。議員も半分で十分だね。
憲法9条、これは「生類憐れみの令」そのものですね。


 
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この回答へのお礼

mmky様、ご回答ありがとうございます。
・・・私の可能な限りで応答させて頂きます。


>「放送法・・・中国様、韓国様では公共放送とは言えない」

私の知る限り、アメリカ(メジャーリーグ?)様、イギリス(BBC?)様、また、中韓以外のアジアとかも。「だから、それらも止めろ」と仰るわけではありませんでしょう?

>「二重三重課税は憲法違反」

いわゆる「経済的な自由」への規制は、例えば「精神の自由」などへと較べたら、容易に為し得る

>「厚生年金」

知りません。


>「憲法」

・・・のうち、「統治機構」について、ご不満ですか。


>「憲法9条、これは「生類憐れみの令」そのものですね。」

・・・太平洋戦争の惨禍ということを連想いたします。

お礼日時:2012/09/01 01:30

最初に連想したのは徳政令ですが、現代の法では雇用機会均等法ですね。

男女差別などの差別をなくすという理念はよいが、女性が社会に進出することで、失業率は増加するし、家庭は崩壊する。家庭崩壊と言うのは、家事・育児・教育・介護が商業主義的になるということ。利益をうまない家事・育児・教育・介護は見捨てられる。福祉の手は行き届かず、かといって家事・育児・教育・介護に男性労働者のニーズはあまりない。結局女性が雇用労働として他者の面倒をみることが多い。身内の世話するのと変わりないことをして身内の世話ができにくい状況になる。組織的に面倒をみるので労働集約性は高まるが、能率が高まることは仕事が減ることであるから失業を生む。
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この回答へのお礼

atomonados様、ご回答ありがとうございます。

>「最初に連想したのは徳政令」

なるほど。


>「現代の法では雇用機会均等法・・・」

そうですかね。育児・教育・介護、特に介護などは「有料化」によってその価値が見直されたとか、「専門性」が問われることによって質が向上するとか。
「有能な女性が活躍することで、結果、生活保護とならざるを得ない無能な男性も出てくる」という構図は、そう悪くないものと思います。

お礼日時:2012/09/01 01:02

悪法でも無法よりはマシ、というのが一般的です。


そもそも善悪は相対的なものである以上、ある社会セクトに
とって都合良い法も、他セクトには悪法であり得る以上、
法そのものが必要悪=「より悪さの小さい悪法が良い法」
なのです。

究極的には、法(ムチ)やお金(アメ)による他律的社会行動
(イヤイヤ働く)ではなく、自己の社会生命性の自覚化(助け
合いとしての社会)により、自律的に社会行動をとる=生存
自体による意志の充足=最大充足こそが理想なのです。
(「必要悪」を必要でなくする)
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この回答へのお礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。


歴史的に、大きな流れとしては、
(19世紀)「自由主義」と、(20世紀)それへの反省・修正、ということがあったと思います。

お礼日時:2012/09/01 00:50

憲法。


特にその中の9条が悪法の最たるものです。
だから、日本は無視して、軍隊を置きました。
ついでに、憲法総てを無視すれば、と思っています。

法の支配、という言葉があります。
国王といえども、神と法の下にある、という
ことです。

この法の支配、という考え方は、極めてキリスト教的
な考え方です。
いわく、法とは聖書です。
聖書は絶対ですから、いくらオカシイと思っても
逆らうことは許されません。
だから、悪法も法なり、ということになるのです。

しかし、よく考えて下さい。
法ってのは、そもそも人間が造りだしたものです。
つまり、人間の役に立つために存在するものです。
それなのに、人間が無条件に法に従え、てのは
本末転倒です。
法の為に人間が存在するのでは無いはずです。

だから悪法も法なり、というのは間違いです。
悪法なら、そんなものは守る必要はありません。

ただ、悪法の判断を誰が、どうやってやるか
という問題は残ります。
又、悪法など従う必要はない、ということを余りに
強調すると、中国のような人治主義に陥って
しまいます。
かといって、明らかに悪い法律に従うのも
問題です。

そこら辺りは、上手くやる必要がありますが、
一般論としては悪法は悪いのだから従う
必要は無いと思います。

この回答への補足

hekiyu様、ご回答ありがとうございます。

判り易いご解説?を、どうもありがとうございます。


ですが、本問は、「法を、「如何に、どういう理由でUP TO DATEするのか」ということについて、具体例を挙げて頂くこと」を、目的としています。


「憲法全てを無視すれば」と仰って、しかし、「法など一切不要だ」というのとも違うのですね。

補足日時:2012/09/01 00:36
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