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こんばんは。
私の質問に興味をお持ち頂きありがとうございます!

かの有名な心理学者マズロー博士は、欲求階層説を提唱し、人間は以下の順で欲求を抱くと論じました。
それは

ひとりぼっちは嫌だ欲求

誉められたい欲求

自己実現欲求 の順です。

ところでこれ、冷静に考えてみると…

無自我を志向する欲求

自我を志向する欲求

そのバランスを整える欲求
って言い換える事できませんか?

集団に溶け込むには自我が強いのはだめ
でも自我を強く感じたい時もある
年をとってくるとそのバランスを取れるようになる…

マズロー博士の理論はこういう事を示唆してはいないでしょうか。
面白い回答お待ちしております!

A 回答 (5件)

フロイトのこの話しも図で示せると簡単なんですけどね。


いつも手書きで説明しているもので。

超自我(道徳や倫理的なもの、理想とするもの理念など)
↓(知識としての示唆)
自我(理性的にふるまうための調整役)
↑(本能からの様々な欲求の突き上げ)
エス(本能)

のように自我があるということです。
サンドイッチになってると思えば、たやすいかもしれません。

エスがやりたいことと、超自我で抑えることに挟まれると自己矛盾として出てくる。
やったほうがいいけど、やりたくない。
やる必要があるけど、やる気が起きない。などなど。

フロイトのこの理論は、人間の瞬間瞬間の内側の働きなのですが
それをうまいこと調整していくと矛盾は無くなります。

その瞬間の積み重ねを、マズローの欲求説と合わせていければ
現実問題としての自己実現も見えてくるんですけどね。


どんな学問でも同じだろうと思いますが、自分で学んで確かめて
使える部分とそうでない部分を振り分けるのがいい方法ではないかと思っています。

私も最初にフロイトをかじって、心理学は駄目だと投げ出した口です。
フロイトにはフロイトのいいところと、マズローにはマズローのいいところがあり
どの心理学者も解明できているのは部分でしかないと言うことです。

整合性を見極め、重ねていって立体的に捉えられるようになれば
彼らの話しも、納得行く部分が多いのではと思います。

そこまで来たら、心理学はとっても面白い学問だと思うのです。
哲学も同時に重ね合わせていけるので、楽しいですよ(^^)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!kantoさんも心理学に共通があるんですね。アドバイスのように、使える部分使えない部分を見極めていきたいと思います。大変参考になりました。

お礼日時:2012/09/13 23:25

まず、あなた自身の人生を上位欲求に至るまで努力してから考えたら?


そうじゃないやつ同士が議論しても、妄想の域でないよ。
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マズローは5段階ですので、詳しくやるならそこからも視た方がいいかと思います。



突っ込み続きで申し訳ないですが
>ひとりぼっちは嫌だ欲求
は、ちょっと違うかなと。

誰かと繋がっていたい・ふれあっていたいが欲求にあるので
結果として、ひとりぼっちは嫌(孤独が辛い)になると思います。

欲求は「こうでありたい」が欲求の形であり、嫌はそこから生まれるものですから
構造的には違うものだというポイントは大切かなと思います。


話しを戻し、私なりに組み立て直しますと
誰かと繋がっていたい(生理的欲求)

(安全で安心な環境の欲求)

(所属したい・愛されたい欲求)

認められたい(承認欲求)

自己実現欲求


これをフロイト風に当てはめてみますと

エス(本能)

超自我(理想とするもの、道徳や倫理などの観念、一般的に理性と呼ばれるもの)

自我(本能と理性を統合して、理性的にふるまえるもの)

フロイトはエスと超自我の間に自我があり、調整役だとしています。
自我はエゴイスティックのことではなく、言葉の定義として
統合させ自己確立に必要な自身の一部と位置づけています。



マズローの提唱する欲求を、エスと超自我のバランスを自我で取りながら
ステップアップしていくと、自己実現まで行くことができる。


わがままな自分

周りとの協調

自分のやりたいことと相手が喜ぶことの調和がとれた実現を求める

と言うような感じで、人間が成長していくことだと思うので
マズローは統制を取りながら自己の欲求を叶えていくと、欲求がステップアップしていくことを
示唆していると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
正直フロイトの話は難しかったですが、参考になる意見をありがとうございました!

お礼日時:2012/09/06 22:51

量子論的には、有限的存在性は観察される事で派生しています。


換言すれば、宇宙は心の中にのみ存在するのです。
であれば、「一人だと自我が不安定になる」という時点で、
自我の成立において他人の評価に依存している=自我の
目覚めの不完全な幼児性を意味しています。

認識の深まりは、分業化&組織化=社会性の発達による
助け合いにおける社会生命的自覚化(愛)による自律的な
社会行動=生きること自体による喜び(最大充足)を可能
にします。
その社会生命的自覚化=環境への自我の敷衍は、「認識
される事による宇宙の発生=自我仮説(記憶=時間的流れ)
との相補分化としての時空仮説(予測=空間的広がり)=全ては
あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完」と
しての自覚化につながり、自己存在の本質(自己の必要として
の環境)に根ざした生による、最大の認識の深まりにおける、
矛盾のない最大限の精神的充足は可能になるのです。
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ちょっと、質問者様の意図からはずれている回答かと思いますが、




多分フロイトのやつで処理したいのかとおもうのですが、


それだったら、無自我じゃなくて、超自我じゃないでしょうか。


無自我だったら、禅の考え方なんじゃないかと思います。


自己認識を単純に自我と考えると、無自我とは、自己認識を自ら超える認識という、よくわからないもんで、ある感覚をあらわすための作業仮説として用いられていますが、ひとりぼっちは嫌だ欲求と結びつけても、やたらややこしくなるだけなような気がします。


すみません、用語の使用についての疑念を提起したかったのですが、
ネガティブな印象を与える回答になってしましました。


どうか気になさらないでください。
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この回答へのお礼

いやいや
参考になる意見をありがとうございます!

フロイトは知っていますが、正直なところ彼の文章には、古代の神話が出てきたりとやや胡散臭いものを感じてしまいます。でもただの食わず嫌いかもしれません。試しに今度読んでみます!
ありがとうございました

お礼日時:2012/09/06 03:47

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