性格いい人が優勝

ある本で見ましたが、青森の新郷村というところは、キリストのお墓があるのだとか。もとは、戸来(ヘライ)村といって、これはヘブライがなまったものだとかいいます。面白いと思って、次に、ネットで調べてみたら、「大嘘」ということが判明しました。分裂気味の、誇大妄想気味の今でいう新興宗教の教祖みたいなタイプの某が、考え出して、後から色々作られたらしいです。私にとっては、こっちのほうが真実味があって、「やっぱりねー」って感じですが、他を見てみると、意外と、信用している人が多い。あれって作り話ですよね。面白い話なんだけどね。

A 回答 (6件)

私の母が青森南部地方の出身で戸来に親戚もいるということで「ニャニャドヤレ」だか「ニャニャドヤラ」とかいう不思議な呪文のような歌を家で時々歌ってます。

それと生まれたての赤ちゃんのおでこに十字架を書く風習もあるそうで・・。確かにクリスチャンはおおいようです。そのへんを誰かが面白おかしく脚色したのでは?母の実家もクリスチャンです。すごーーーーい田舎ですがじいちゃんの葬式はキリスト教式でした。
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竹内文書の真偽については諸説ありますね。


俗に「天津教事件」と言われるようです。

竹内文書の鑑定者は原本も見ずに一部分の写真だけで鑑定しているし、
最初に鑑定者が古代文字を任意の50音に割りつけておいて
50音に当てはまらないのは誤字のせい、と除外している。
その上で「アイウエオ50音で構成されているので偽物です」では
筋が通らないんですが、竹之内文書の原本が焼失しているので謎のままです。

参考URL:http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/5h …
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 戸来村のキリストの墓発見そのものは昭和10年に竹内巨麿(天津教の教祖=当時の新興宗教)一行が竹内家に古来から伝わる文書(竹内文書=偽書といわれています)に基づき訪れ発見しました。

その2年後の昭和12年プロテスタントの伝道師であった山根菊子という人が竹内文書及び現地の調査をし「光りは東方より」という本を発行しましたが、それと同時に発禁処分になったわけです。これが伝説を呼び真実っぽく語られるようになりました。

 年は失念しましたが川守田英二という牧師が「ヘブル詩歌の研究」という日本全国にヘブライ語の痕跡が見いだせるという内容の本を書きこれが拍車をかけたようです。ただ氏の前書きにもあるようにキリスト伝説は無関係と書いてあります。

 確かにイエス・キリストはヘブライ語ではなくアラム語を使っていたというの定説ですから当然といえば当然です。

 私見ですが歴史では日本にキリスト教が入ってきたのは15世紀フランシスコザビエルと教科書では教えられていますが、3世紀には中国にキリスト教会(景教)が存在していましたから、その伝承というのも流れ込んでいたにちがいありません。
 また、江戸時代には東北地方にも多くの隠れキリシタンがいたとも言われています。この辺りの伝承が尾ひれ背びれがついてこのような話になったと思います。
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こんにちは~。



>由緒ある伝説なのか?

由緒はあると思います。なんせ,新郷村にある伝承館にも展示パネルがあるくらいだし(笑)新郷村の公式HPにも載っております。
村の名前の他にも,昔からある家紋がダビデの星と似ていたり,方言がユダヤの言葉と似ているなどがその根拠とされています。
ただ,古文書の竹内文書については,近年その信憑性が問われているのは事実ですが・・・

参考URL:http://www02.so-net.ne.jp/~shingou/
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一応由緒ある伝説…らしいですよ。


(本当の墓かどうかは別として)
古代史関連の学者の間ではマジメに論争されてました。
隣にある墓がキリストの弟の墓と言われているそうです。(何で日本の山奥に十字架の墓があるんだ!?ってカンジなんですけどね)
まあ今となっては、その土地の豪族の墓だとも言われてますし、真相は不明です。

でも、結構古代日本とキリスト教は関連づいたものが多いようです。聖徳太子はキリスト教徒だった…とかね
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・・・で、ご質問はなんでしょう?

この回答への補足

すいません・・・あの話は、由緒ある伝説なのか?ってことです。(事実かどうか、ではなく)。でも、昭和初期くらいにでっち上げられた話である・・という説もあるので、どっちかな・・と。

補足日時:2004/02/05 01:15
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