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子供時代から一人が楽で人と深く付き合うことが出来ない人間です。
社会に出てからは勉強のためにと人と接する仕事に就いて、
その結果として社交的な仮面やその場しのぎの仮面は被れますが、
実際は自分に無理している部分もあり、一人になるとホッとします。

サークルの集まりにも大勢いる時は行く気が起きなかったり、
それ以前に参加することで満足してそれ以上がありません。
人が大勢でワイワイ騒ぐ場所には疎外感と場違いさを感じます。
その反面、そういった人達に対するコンプレックスもあります。

団体行動はその場のみんなに合わせないといけないと思うと、
とてもストレスで、一対一でも相手の機嫌を常に伺っていないと
落ち着かないので、どちらにせよ人付き合いが苦手です。
相手の満足度を引き出せるような人間でもないと思います。

上手く言えませんが、心から人と接するのが好きな人間ではないです。
人付き合いを「楽しい」と思えるような人間ではないのです。

表向きは恋人がいたり、結婚しているように見られることがあり、
「普通の人間」に見えるのでしょうが、中身はポンコツです。

20代の頃は無理してがむしゃらに人の輪に入って行きましたが、
30代になったら一人でいる方が自分らしいと思っています。

それでも、時折「寂しい」という感情が湧いて出ます。

自分は人付き合いが好きじゃないし、一人が楽な人間なのに、寂しい。
一人が落ち着く、好きというのと寂しさは別物だと感じるようになりました。
「人が好き」と「人恋しい」は別物なんだろうなと思い始めました。

寂しいのに、どうして自分は人と関われないのだろう?
どうして、人に受け入れられないのだろう?受け入れないのだろう?
何で他人から興味を持たれないのだろう?持てないのだろう?
一人が楽で好きなはずなのに、何で自分は寂しいのだろう?

寂しいなら、人と関わるように行動すれば良いはずです。。
でも、それが何かしっくり来ません、黙って誰かが寂しさを埋めてくれるなど
有り得ない話なのに、人と付き合うことに何かひっかかりがあります。

自分がとても矛盾した存在です、一体どうしたいのかが自分でも不明です。
寂しさって一体何なのでしょうか・・・?

A 回答 (11件中1~10件)

No.6&10です。




今まで無理をしてまでやってきて、それでも叶わなかった。
(人付き合いが思うようにいかなかった、好意を持っても叶わなかった)
そのことで、「こんなに自分に無理させても上手くいかない」という
思いで、「それなら素の自分でなんてもっと無理に決まっている」と
思っていることでしょうか・・・思いつくのはそれくらいです。

「自分に無理をさせてまで頑張ったのに望みが得られない」ことで
頑張る気持ちやチャレンジ精神はなくなったように感じます。


では逆に、素直に感情を表現してみてはどうでしょうか?
今まで、「イヤだ」と言いたいところで
「イイよ」と言ってしまっていませんでしたか?
「うれしい!」といいたいところで「いやいや、そんな・・・」
なんてことを言ってきたりしませんでしたか?

上司?友達?家族?あなたの心の安らぎを本当に願って
くれている言葉と、あなたのためではなく自分勝手な期待が
混じっていませんか?

無理をしてまで自分を飾り立てようとしては駄目です。
謙虚に居なさい謙虚に居なさいと言ってきた人は
居ませんでしたか?本当にそれはあなたのためになりましたか?
多分、そうであった時とそうでない時と、
ごちゃ混ぜにしてしまっているのでしょう。

自分に素直になるのがどうしてもイヤなら、
とことん「理想」近づこうとするのもありです。
利用され続けてみることです。

そして「これでよかった!」と納得するのか、
「もうイヤだ!」とあきらめるのか、
そのどちらにも私を含めた他人が答えを決め付ける
ことは出来ません。

要は、あなたがどんな状況に面しても、
心の底から何を想うかで、すべてが決まるってことです。
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No.6です。




でも、人付き合いが好きな人、得意な人は元からそれが「好き」で
だから得意になったり、より好きになったり出来るのだと思います。
では、「好きじゃない」人は延々と寂しいままなのか?


これは全てのケースに当てはまるわけではありません。
好きたまらなくて深く入り込んでいくからこそ、
嫌いな面も見えてきてしまうんです。
好き一辺倒だといっている人間も、いずれは
直面する問題ですし、今は盲目になって見えていないだけです。

逆に、嫌いから入ることが不可能かといえばそんなことはありませんし、
アウトロー的思考かといえば、僕はそうは思いません。
最初は苦手だった、でも飛び込んでみれば案外そうでもないし、
気が付かなかった魅力を見出したなんてことのほうが
多いと思っています。


嫌いなものを必死にトライしてみてそれでも駄目だと思った
なら、それはあなたらしさなのかもしれません。
でも、本気で突っ込んでいって駄目だ,あきらめようと
思っているなら、すでに未練からは離れられているはずです。

さびしいという感情がわきあがってあなたがこんなところに
やってくるのは、あなたがやっぱり人と関わりたい、
その先にきっと、いいことがあるはずだと思っている
証拠ですし、その根源は必ず「存在」します。それを探して
乗り越えるしかないということなんです。


ちなみに、僕もあなたとまったく同じ感情を持つことがあります。
友達が輪を作って楽しそうにおしゃべりしている、
その光景を眼にするだけで、胸が締め付けられるんです。


でもその原因は完全に見切っています。
「お前は駄目な奴だ」と、大切な人に言われ続けたからでした。

でも完全に見切っているからこそ、そんなちっぽけな
恐れに惑わされることなく、人とは誠実に
関わっていけるという確信も手に入れることが出来る
ということを、お伝えしておきます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かにベストを尽くしたのなら悔いはないのが本当かもしれません。
そして、「寂しさ」を消す手段や自分の幸せがそこにあると感じるから
執着している部分もおっしゃられるようにあります。

原因・・・何でしょうか。
今まで無理をしてまでやってきて、それでも叶わなかった。
(人付き合いが思うようにいかなかった、好意を持っても叶わなかった)
そのことで、「こんなに自分に無理させても上手くいかない」という
思いで、「それなら素の自分でなんてもっと無理に決まっている」と
思っていることでしょうか・・・思いつくのはそれくらいです。

「自分に無理をさせてまで頑張ったのに望みが得られない」ことで
頑張る気持ちやチャレンジ精神はなくなったように感じます。

お礼日時:2012/10/10 01:16

 似たような集団関係の苦手さは自分もあるので、知っているカウンセラーの先生に話を聞いてもらって気づいたことがありました。



 >寂しいのにどうして自分は人と関われないのだろう?<

 逆のような気がします。寂しいから人と関われない。寂しいと人に関わってもらいたいので、必死に気に入られようとしたり、気を使いすぎたりします。それが疲れてしまう。人と関われる人は、相手に嫌われて去られても大して気にしない、それほど寂しくならないと、カウンセラーの先生はおっしゃいました。

 その違いは何ですか?と聞いたら、たぶん根底に「自分は別に何もしなくても好かれている」と思えるかどうか?ということでした。

 赤ちゃんでも子犬でも何もしなくても好かれたりしますね。存在がかわいらしい。自分もそうだと思えて成長するとそれほど人目を気にする必要もない。目からうろこでした。あとはどうすればそう思えるかですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>たぶん根底に「自分は別に何もしなくても好かれている」と思えるかどうか?

言い得て妙なお答えですね。
そんな自信一体どうやったら出てくるのか不思議で仕方ありません。

何もしなかったら道端の石ころ以下の存在にしか思われないから、
自分から動いてみても何も変わらない・・・ああ、本当に石ころだ。
改めてそう思って何もしないと何も変わらない。(当たり前)

確かにどうしたらそう思えるのか、全く想像がつきません。

お礼日時:2012/10/08 23:20

No.3です。



いますよ、私にはたった一人ですが、20年来の親友です。
20年間、同じ話をし続けています(笑)
お互い、歳を重ねて変わっていくからこそ、
20年間同じ話題で盛り上がれるのでしょうね。

心を閉ざせば気も楽なのですが、本当に、それまでです。
怖がらずに、さらけ出してみてください。
あなたが引いてしまえば、相手も引きます。
本音を語れば衝突しますが、相手に本気が伝わります。

あなたはこうして本音を語れる方なのですから、
現実世界でも、ぜひそう為さってくださいね(^_^)

ではでは。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうなのうですか、20年とはすごいですね。

自分が心を閉ざしたらダメだと思い、自分から働きかけても
何だか雑な反応や対応というか、そういう経験しかなくて、
「もう他人なんて信じたら傷つけられるだけ」と思っている自分はいます。

何だか損した気分と心が傷つけられた気持ちでどうしようもなくなります。
こっちが攻めても相手が引く場合はどうしたらよいのでしょうね。

お礼日時:2012/10/08 23:17

No.4です。


ちょっと言葉が足りなかったように思えたので
追加させてください。

>習い事や、勉強会、専門学校?みたいな、一人で何かを身に着ける
 教室みたいなのに言ってみるのはどうですか?

と言いましたが、何人か人の集まる教室に行くと良いのでは?と言いたかったのです。
やること、学ぶことはあくまでも個人プレーで、でも、そこにいる間は
数名の人(目的も同じ)の中にいるのが良いかなぁってね。
そういった意味では、講師の先生とマンツーマンでは出会うきっかけは
難しいかもですね。
ギター、良いじゃないですか。
バンドとか言うとまた、入りずらいけど、合奏みたいなのって良いですよ。
クラッシックギターだと多数で合奏とかありますよね。
違う話ですが、吹奏楽とかも集まって演奏を練習して、帰るみたいな感じです。
アンサンブルとか講師の先生に紹介してもらえるかもですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私の方こそ誤解させるような書き方をしていたと思います。

ギターはあくまで現在やっていることで、おっしゃられたいことが
人とつながれるような大勢でやる趣味を見つけなさいということだと
いうことは分かっていましたが、あくまで一人趣味なので
発展のさせようがないということをいいたかっただけなのです。

何人かが集まる教室、以前も行ったことがあるのですが、馴染めませんでした。
また、頑張る機会を作ってみてもいいのかもしれません。

お礼日時:2012/10/08 19:06

つまるところ、何処にいても寂しいってことですよね。



人の輪の中にいれば寂しさは幾分和らぐでしょうけど、
それでも、どこかで冷静な自分がいることは
ごくありふれた現象です。

問題なのは、それに対して「自分はおかしいんじゃないか」
という評価をくだしてしまっていることにあります。
もっというと、その評価グセはどこかに原因があるし、
そこをしっかりと理解すればいいんです。
無理をして人の輪の中に飛び込もうとする必要もないし、
それをやらない自分を責める必要はありません。

あなたが当たり前だと思っていること、
実はあなたに過剰な自己否定感や孤独感を
与えていませんか?

話を聞いていると人間関係に大きな問題を抱えて
いるようには見えませんので、逆に原因の特定に
手間取るかもしれませんが、自分がそういう性格に
なった過去を見つけると良いと思います。


ただし、ひとつ断っておかねばなりませんが、
一人のほうが落ち着く性格というのは、根本的には
変化しません。自分に対する理解が深まることで
過剰な恐れを抑制され、今と比べて朗らかになることには
つながりますが、ノリノリがデフォルトのキャラにはなりません。
やはりどこか冷静な自分はいると思います。

もうそこは割り切ってください。性格です。
一長一短ですから。落ち着いてると良い事多いですよ。
悩む時間とエネルギーは、別のところに使いましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

大勢で騒ぐのはやはり苦手です、一対一は深く関わると嫌われるリスクが
高まるのでやはり苦手です、結局一人が楽なのだと思います。

コミュニケーション力が高い人間=人として優れている人間

こういう図式が世間の総意だと思うのですが、自分はそうではありません。
一人で物思いにふけったり、本を読んだりしている方が自分にとって
楽で、楽しいことなんです。(人と関わることより)

それでも、寂しさというのは「人と関わるのが好き」とは別のベクトルで
存在しているんだなと最近、そう思ったのです。

「人と関わるのが苦手なのに寂しい」は大きな矛盾に思いますが、
寂しいのに人と関われないのはやはり自分に欠陥があるせいなのか、
色々な場に無理して赴いたり、人間関係の書籍を読み漁ったり、
そうすればするほど、「人付き合いが心から好きではない」自分に
気付いてしまって自己嫌悪します。

「普通の人間なら人付き合いが好きで当たり前」でそこから友情や、
愛情や結婚に結びつくのだと考えると、回答者様の言うように
>あなたが当たり前だと思っていること、
>実はあなたに過剰な自己否定感や孤独感を
>与えていませんか?
これが自己嫌悪や孤独感を増長させているのだと思います。

でも、人付き合いが好きな人、得意な人は元からそれが「好き」で
だから得意になったり、より好きになったり出来るのだと思います。
では、「好きじゃない」人は延々と寂しいままなのか?

やりたくないこと(人付き合い)をしないと、自分の欲しいもの(寂しさや
孤独感を埋める)は満たされないと考えると、何だか苦しくなるばかりで
そこに楽しさや喜びを見いだせないのです。

お礼日時:2012/10/08 19:03

ふむふむ。

。。
内容はよ~く分かったけど、少し違うんじゃないかな?って自分には思えるね。

例えばさ、自分は君と反対に大勢でいるのが好きだし、みんなでワイワイやったりするのが好きな方なんだよね。
でも、だからと言って、いつも楽しくやれる訳じゃないし、つまらん時はつまらんと思うし、疲れる時は疲れる訳よ。
そういう時は、無理して笑おうと思わないし、無理して合わせようとも思わないんだよね。
逆に、そう言う時こそ、大人しい人や普段あまり話さない人と静かに談話に明けくれようかとか思うしさ。
それが、大勢でいる事のデメリットでありメリットであるとも言えるんじゃないかな?

君の質問の内容を見ればどうしても、「大勢の中に入る=大勢に合わせる」と言う風に見えるんだけど?
視野が狭いようで、広すぎるのかも知れないね(笑
みんながみんな、同じ事をしている訳ではないんだよ。
笑っている人もいれば笑っていない人もいるし、馬鹿やってる奴もいれば引いている奴もいる。
君はその中のどれに当てはまる?
ね?別に君は君でいいんだよ(笑
君と言う人間が、また大勢の中の一部を作っている事でもあるんだから。

誰だって、無理したり合わせたりする「よりは」一人でいる方が気楽でいいって思うだろ(笑
それは君だけに限った事では無いんだよ。

だから、今君が自分自身で思っている「一人でいる方が好き」って言う感覚自体、比べる土台が違うような気がするんだよね。

これが、「大勢でいる事に対しても、変に合わせたり無理しないで楽しく過ごせる事は過ごせるんだけど、それよりはやっぱり一人でいる方が好き」って言うのであれば、そうなんだなって納得も出来る事なんだけどね。

そう考えれば、君の矛盾の解決にも繋がるんじゃないかな?

自分は大勢でいる事も楽しいけど、一人で過ごす事も楽しいって思うよ。

別に大勢でいる時だって、話す事が無いのなら黙っていてもいいと思うんだよね。
ただ、その黙り方が、相手に気を使わせたり、苛立たせるような感じじゃなければさ。
どんなに元から大人しい人だって、自分を基準に考えればそれがどんな感じかぐらい分かるだろ?
もっと、大勢の中でも「君らしさ」というものを出して見たらいいんじゃないかなって思うんだけど?
そうすれば、そのままの「素の君」に接してくれる人が現れるかも知れないよ。
「大勢でいる」って事は、そう言う事もあるんだと思うよ。

もっと君が君らしくいれるように、堂々と人の中に入っていけばいいよ。
頑張ってね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

大勢でいることのメリットって考えたことがなかったかもしれません。
「大勢でいること」=大衆的というか、それが人として当たり前のような
感覚で、そこに慣れなきゃとは思うものの、楽しもうとは思っていなかったような。

大勢でいると「全員とうまくやらないと」と思うんですね。
ちょっと苦手な人がいても、その人ともうまくやらないといけない。
気が合う人と苦手な人が仲良ければ、自分も苦手な人を好きにならないと
いけないと思うと、自分が「どうしたい」かはどこにもないかもしれません。

ただ、自分の場合は一対一も苦手なので大勢に限ったことではないのですが、
普通にしていて無理のない関係ってのにあこがれます。

お礼日時:2012/10/08 18:52

 簡単な言い方かもしれませんが、


あなたを受け入れてくれて、
あなたが受け入れられるような人と
出会っていないのではないでしょうか。
 私は、人付き合いは普通?にしていると思いますが
それでも、サークルやコンパといったワイワイした
ところは嫌いです。
 そうゆうのは、普通の好き嫌いだと思います。
 一人でいるのが好きなのに、一人じゃダメだとサークルみたいな
大勢の中に入るって言うのは極端すぎませんか?
 私も、社会人になって一人暮らしになってからは
いつも一人でいました。
 一人で、本を読んだり、映画を見たり、バイク(わざわざ中免取って)
で走ってみたり・・・
 今は、妻と娘の三人暮らし。
 二人といると何より落ち着きます。
 一人でいると落ち着かず、寂しく思います。
 あせることは無いと思いますよ。
 でも、短い人生、良い恋人や友達と出会うのなら早いほうが良いですよね。
 習い事や、勉強会、専門学校?みたいな、一人で何かを身に着ける
教室みたいなのに言ってみるのはどうですか?
 そこで、誰かに出会えなくても、落ち着いて、こうゆう人だったら
一緒にいたいって思えるきっかけだけでも見つかるかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>あなたを受け入れてくれて、あなたが受け入れられるような人と
出会っていないのではないでしょうか。

そうかもしれませんし、見逃してきたのかもしれません。

やはり、コミュニケーション力がある=人として優れているとみなされる
世の中なので、それが出来ない自分にコンプレックスがあります。

二人でいて落ち着くという状況がやはり未知の世界といいますか・・・

>習い事や、勉強会、専門学校?みたいな、一人で何かを身に着ける
教室みたいなのに言ってみるのはどうですか?
>そこで、誰かに出会えなくても、落ち着いて、こうゆう人だったら
一緒にいたいって思えるきっかけだけでも見つかるかもしれませんよ。

趣味でギターを習いに行っています。
講師の先生と話すのは嫌じゃないですね、新しい技術も付きますし。
ただ、学生時代からやっていたわけでもないので、
この歳でド素人なので中々それで人と出会うきっかけには難しく思います。

お礼日時:2012/10/04 18:27

こんにちは。



男の人生とは、たった一人きりの物語です。
目を閉じて、耳をふさげば、誰も存在しない。

今、目の前で笑ったり、泣いたりしている人物、
それは、あなたという物語のエキストラであって、
実在するかすら問題にならない、ただの背景です。

ですが、親友は別ですよ。
何十年も、ともに笑って、悔しがって、
俺もお前も変わらねぇな、って(笑)

何にでも自分の考えを持っている人物と、
腰を据えて付き合ってみてください。
そういうのが、本当の友達だと思いますし、
大切にする価値のあることだと思います。

寂しさに浸ることも、それはそれで必要です。
でも、今お伝えしたような人物も、同時に必要ですよ。

ゆっくり時間をかけて、見つけてくださいね(^_^)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

何十年も変わらない親友ってどんな存在なんですかね。
正直、想像もつかないです。

学生時代の友人(知人?)でも環境が変わってしまえば
考え方や思考も変わってしまう中で、暫くぶりに
自分から連絡を取ってみても、相手は何だか乗り気じゃない。
言葉では「また今度」というものの、その無関心さを嫌でも
感じてしまうと、「親友」とかそういう言葉は何だかおとぎ話のようです。

変わらないものなんてあるんですかね・・・少し眉唾です。

お礼日時:2012/10/04 18:18

その寂しさって、自分との関係がうまくいっていないからではないですか?


自分のことをポンコツなどとおっしゃるところを見ると、自分をダメだと、否定的な目で見てらっしゃる?人間関係の原点は、自分との関係です。自分といい関係を作れずに、他人といい関係を作るというのはなかなかに難しい話。

私事でなんですが、私は子ども時代から明るくて人当たりの良い超社交的なタイプでした。今なら分かるんですが、それはそうしたいからではなく、私の親が「お前自身は二の次で、親の機嫌を最優先しなさい」という気持ちを持っていたからです。当然、口でそんなこと言ったわけではないですが、人間は、言葉以外の部分でコミュニケーションの多くを交わしますので、子どもが親の気持ちを察することなど、朝飯前。

そうやって、「自分より他人や周囲の人間を喜ばせる」ことを自分の存在意義としてかがげた私ができあがりました。私は社交的。。。だのといいつつ、心中では人間づきあいにヘトヘトでした。いつもなんだか、疲れてしまう。でも、こんなものなんだろうと思っていました。何より、社交的でいつづけないと、人間失格になってしまうような気がしていました。

でものちに、大人になってから、いろいろあって、自分の内面と向き合うようになり、自分の中のいろいろなひずみを修復していくことができました。その中で大きな効力があったのが、自己受容です。私は自分を否定しつづけていました。でも明るく社交的な仮面がぺったりはりついていたので、そんな明るい人がどうして私という人間を嫌えるものかと思っていました。自分のことなのに、自分のことってすごく分かりづらいもの。でも、ようやく私は自己否定に気づき、そして自分を受け入れることができるようになりました。良いところも、そうでないところもある自分。他の人間同様に。そして、それでいいんだ。というような感じで。

それ以来、とても幸せな心で毎日生きることができるようになりました。

私は、あなたと同じように一人が楽。私は孤独も大好き。一人でいる時間はものすごく楽しい。そして今は、自分を偽らずに、人ともいい距離感でのつきあいができます。昔は質より量みたいな人づきあいをしていたけど、今は本当に心地良い人たちとの良質な関係だけを楽しんでいます。
だから、かつてはつまんなかった人づきあいに、今は安らぎを感じる。

私がしあわせなのは、たぶん、私が私であることに満足しているからなのだろうと思います。それは、寂しさとは逆の心境なのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自分の事をポンコツと思っていないのが本心ですが、
やはり世間ではコミュニケーションが取れる=優秀という図式がある以上、
コミュ障でパートナーもいない自分は世間的にはポンコツだと感じます。

>私の親が「お前自身は二の次で、親の機嫌を最優先しなさい」という気持ちを持っていたからです。当然、口でそんなこと言ったわけではないですが、人間は、言葉以外の部分でコミュニケーションの多くを交わしますので、子どもが親の気持ちを察することなど、朝飯前。

私もそういう家庭で育ちました。
親の表情で分かってしまうのですね、こういう対応が欲しいと、
こういう対応や態度をしないと親の機嫌を損ねると分かってしまうので。
嫌でも「好きだ」とか「楽しい」とか言ってましたね。

なので、他人に合わせれば報われるという図式を親から学びました。
でも、社会でそれは家族以外の他人には通用しない。
人付き合いが苦手なのに、他人に合わせて上手くいかない・・・
おかけで憎しみや嫉妬の塊になった時もあります(今もその気はあります)

自分の敵は世間(体)なのかな、そう思います。
それを捨てられたら私も回答者さんみたいに自由になれるんですかね。

お礼日時:2012/10/04 18:15

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