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A 回答 (16件中1~10件)

人間は死んでも、魂は死にません。



永久に存在します。

つまりあなたの本質なり本体は死なないです。


俗にお化けだとか幽霊だとか、その他虫の知らせとか、

臨死体験とかあるように

ちゃんと意識はそのまま残っています。

「千の風に乗って」の歌のとおりです。


死ねば体が無くなるから、自分は消えてなくなる、

生きていても辛いし死んだらこの苦しみは消えてなくなると思うから

自殺したくなることもあるかもしれませんが、

しかし苦しみは消えないのです。

お化けはだから苦しんでいるわけです。

あなたも気持ち悪い幽霊になりたいですか?

ずっと孤独ですよ。

誰からも相手にされないし、話相手もいないし、

自殺者は何百年も幽霊のように苦しみもがいてしまいます。


ということですから、

そういう自殺願望の人がいたらそう話してあげてください。

何のためにお墓があるか考えてみてください。

なんのためにお盆をしているのでしょうか?

お正月にはなんで神社やお寺に行くのでしょう?


さらには日本全国にあるお祭りはなんのためにやっているんでしょうか?

神仏がいると思っているからやっているのです。

お祭りは神々に対する感謝の現われで本来やるものです。

最近はそういう自覚も無く

遊び感覚でやっている馬鹿な大人も増えてきていますから

そう言ってあげたらいいです。


それから蛇足ですが、

死んだら何故いけないのかについて、もう一つ別な観点から説明すると、

人間は地球に精神的な向上を図るために生まれてきたからだといえます。

例外はありません。

犬や猫でも人間に奉仕する目的で生まれてきています。

牛も豚もそうです。

人間のために家畜として生まれそして自分の体を人間に捧げるという

大変な苦しみを体験します。

その他全生物は奉仕を通じて、精神の向上を図る目的で誕生してきます。

そして精神的に向上することでたとえば猫から犬へ

牛や犬から人間へと昇進していくシステムになっています。


逆に生きる目的を忘れて、それこそ自殺でもしようものなら、

人間から猫に、場合によっては蛇や魚や植物にもさせられます。

誰がそうするかといえば、ざっくりいうと神様がそうします。

信じられないかも知れませんが、

これが宇宙の法律であり真実です。


それから人間が猫に生まれ変わると言うのは

地獄に落ちてしまったのと同義です。

猫の人生?では精神的成長がほとんどありません。

こういう話を聴くことも出来ません。

ただ本能のままに生きるしかないわけです。

だからかなり長期に渡って無学な人生を歩いてしまいます。

それだけに本当の幸せをつかむ時機が遠のいてしまいます。


学校では唯物思想を教えていますが、

それは西洋思想というジャンルの一つでしかなくて、

本当は3次元以外にも宇宙があって、

そこは私たちの目には見えないし、3次元の科学の力でも

当然たどり着けないですが、宇宙と生命活動については

まだまだとてつもなく深い

世界が隠されていると思ってください。


神様もいるし、仏様もいるし、神々もいるし、

そして天国もあるし、極楽もあるし、そして地獄と言われている

刑務所のような宇宙もあります。


人生を軽く見ないことです。

魂は死なないですから、死んでも弱気な心は消えません。

そして霊界で罰を受けなければなりません。

この世に生まれ変わってきてもより不幸な運命が待っています。


自殺を熱望する人がいたらくれぐれもそう言って下さい。

そして神様を信じてくださいと。

心から信じていく努力をしたら、

助けてくれる人を神々が手配してくれるから大丈夫だと。


それから魂は死なないということを忘れないでください。

核爆弾が落ちてきても傷一つ尽きません。

包丁で刺されることも水に溺れることも無いです。

3次元を超えていますから。

これはよく考えると大変なことでもあります。

スーパーマンより百倍凄い話です。


自分は不滅だと思ってください。

もちろん肉体の自分でなく自分の魂の話です。


そして無限の精神的向上を図っていくのが

宇宙に生まれた生物の最大の目的です。

生きると言うことは辛いことが多いです。

むしろ楽しいことよりも苦しいことのほうが遥かに多いでしょう。

そして精神的に高い人ほど苦しむように出来ています。

逆に精神的に幼い魂ほど楽で緩い人生が与えられます。


精神的に弱い魂に厳しい修行をさせると、魂を毒していくために

あまり重荷を背負わせないように設定されています。

これを梵語(古代インド語)でグナと言います。

誰がそうしているかと言えば、神様関係だと思ってください。

何万人と言う神々が人間のために霊界で働いているんです。

本当に苦労しています。


生きるのがとても辛いというのは、心に純粋なものがあるから

そう思うのです。

それだけ精神性が高いと言うことです。

全部が全部では無いけども、人間のレベルが高い人が多いです。

ですからそういう人が身近にいたら、

励ましてあげるといいです。


比較的恵まれた環境でのうのうと暮らしている人たちは

精神的成長も無く人生を終わることが多いんです。


その点厳しい環境にある場合、

しかも日本に生まれてそういう状況である場合、

逆に運がいいんです。

環境が厳しいほど運がいいんですよ。

魂そのものに秘められた純粋な力があるから、

神様は普通よりも厳しく鍛えてくれているわけです。


だから見た目の生活状況を他人と比較しないようにしてください。

何の意味もありません。

心を刃金のように鍛えるために今苦労していると思ってください。


鉄は熱いうちに叩けということわざがあります。

叩けば叩くほど刀は純化されて鋭いものになっていきます。

魂は絶対に死にません。

そして神様も存在します。

信じれば信じるほど神様は神々を、そして助けてくれる人を

派遣してくれますから

信じて疑うべからずです。

もちろん魂は不滅で神様もいますから、

悪いことは出来なくなっていきます。

とても道徳的で倫理的な人間になっていくでしょう。


神様神様と言ってしまったので、

あわてて変な宗教団体に入るとマズいですから、

こう考えたらいいと思います。

4,5歳ぐらいまではサンタクロースはいると信じていたと思います。

そういう感じでいいので、

どこどこの神様でなく、自分の心の中に神様がいるんだと

思って生きていくことです。

ちょっとメルヘンチックですが・・・・

そして本当に困ったときは心から神様を呼んで下さい。

本当に必死になって助けを求めて下さい。

そしたら奇蹟が起きたりします。

心の中に本当の神様がいるからです。

あの世では宗教団体なんて無いですからそれで通用します。


もちろんあなたがクリスチャンだったら

キリストを一生懸命呼んで見て下さい。

もし仏教徒というか何とか宗であったら、そこの本尊を

一生懸命唱えてみたらいいです。

同じことになります。


本当の本当の絶対本当の神様は

基本的にあなたの心の中にいます。

自殺は神様が最も嫌う神への冒涜行為でもあります。

自分には神様や仏様や不動明王や神々の王と言われている帝釈天や

軍神と言われている毘沙門天がついているんだと信じて

勇気を持って進んでください。


幸運を祈ります。

参考URL:http://mind21.ti-da.net/

この回答への補足

ありがとうございます。

補足日時:2012/11/01 19:53
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
少し前を向く勇気がわいてきました。

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/01 20:05

一般的に言ってひとを殺すのは悪いことだといわれています。

ひとを含み生き物は皆自分は死にたくないと思っています。また人間は一人で生きていることはあまりないので、その人の周囲もその人を死なせたくないと切に思っています。こういう状況の中で、それをあえて強行するのは不条理です。悪いこと、無慈悲なことだというわけです。
自殺も同様です。自殺は自分で自分を殺すことですから、死にたくない自分を自分で殺すことは不条理です。上記に準じて悪いことなのです。さて

上記のことが当てはまらない場合があるでしょうか。自分は心底から死にたい、と思い、周囲も自分が死ねばよいと思っている場合です。これが真なら自殺は合理的だといえます。しかし、ひとが自分は死にたいと思うのはほとんどが錯覚か間違いなのです。これは突き詰めていけば判ります。多くの場合、人生に絶望したとか、借金で追い詰められたとか、病気が治らないとかですが、ほとんどが解決策が見つかるものです。それをしっかり考えずに死にたい思いが先行するのは、ほとんどの場合気持ちが尋常ではない(死の恐怖が麻痺している)人が多いのです。それ自身心の病気だと思っていいでしょう。
また、どんな場合でも同時に周囲が自分に死なせたくないと切に思っているのが普通です。これは社会人としての人間の重要なポイントです。これだけで普通の常識ある人間は死ぬべきではないと考えるものです。
常識ある人間は死んではいけないのです。

この回答への補足

しっかり心に刻みます。

補足日時:2012/11/01 20:29
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/01 18:57

死んではいけないというよりも


世間の事柄の全ては死ぬほどの価値は無い
逆に、必死こいて生きるほどの価値も無い。

こういうと無気力な人間をイメージしてしまいますが
不動心を持つ者が高い実績をたたきだす。

この回答への補足

わかりました。

補足日時:2012/11/01 20:32
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/01 18:58

あなたの声なき声にこれほど多くの人が聞き耳を立てています。


なのに○○なんて。。。。
もったいないと思いませんか?
あなたは、けっしてひとりじゃありませんよ。
こんなに多くの仲間がいるんですから。
こんなにもあなたの相談にのってくれる人がいるんですから。
また、質問をしてください。
わたしは、あなたの質問をいつまでも待っています。

この回答への補足

ありがとうございます。

とても励みになります。少し生きる気力がもどってきていることを感じています…
本当に感謝です……

ありがとうございます。

補足日時:2012/11/01 20:49
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/01 18:59

今のあなたがあなたにとって気に入らないのなら、


気に入らないものをつくった「あなたとみんな」を
気に入らなくないものにしていただきたいです。
世の中が歪むものをのこしていかないでほしいのです。

あなたにとってあなたの周りが気に入らないのなら、
あなたの気に入る環境を作ってほしいです。
理想を持ち、話し合い、わかりあうことが大事だと思います。
悪を放置しないでほしいですが、絶縁するのも大事だと思います。
あなたが活きる場所はあなたが作るものだと思います。

親やお世話になった者や、食べてきた生き物達に許可を取れば、
あとは個人の自由として、死んでもいいのかもしれません。
でも、やることやるまでは死なないでほしいと思います。
後悔してることがあるならそれについての行動をしてほしいと思います。

この回答への補足

ありがとうございます。
生きる意味。
わかりました。考えることができました。
ときどきわからなくなってしまうことがあるのでそのときにはまた思い出して、考えてみようと思います。
ありがとうございます。

補足日時:2012/11/01 21:03
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。考えることがたくさんありました。

お礼日時:2012/11/01 19:01

殺してはいけない、ってのが人類共通、かつ暗黙の了解です。



あとは人を悲しませてはいけないというもの、多少弱いが、人類共通、かつ暗黙の了解と言ってよいでしょう。

したがって、死ぬことで、他人を悲しませるようなら死なないほうが良いし、逆に、生きていることで人を悲しませるだけなら、死んでもよいのじゃないかな。私見ですけど、、、。

この回答への補足

参考になりました。

ありがとうございます。

補足日時:2012/11/01 21:39
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/01 19:02

人間、いつか死ぬ。

。。100%

生きたくても、、、死にたくなくても、、、


何の為に自分は生きてるのか

何の為に生き抜こうとしているのか

誰の為に生き、どんな役に立てているのかが見えないと生きるのが辛いよね。



みんな自問自答し、考え結論を出す以外ないのでは、、、、。

でないと、、、夢遊病者見たいに、、、ただ何となく生きてる、、、人間になってしまいそうで、、、、、。

そして、生きることに愚痴や不満ばかりを並べ立てるのでは、、、、



自分が、考え、決め、行動できるのに、、、それを放棄して   愚痴を零す、、、、。



悔いなく、充実した人生を生きたいね。

この回答への補足

励みになりました。

補足日時:2012/11/01 21:36
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/01 19:03

死んだら駄目かどうか?は状況によりますね。


自殺で死んだ後、生前割と仲が良かった周りの人がやっぱり死んだか!、やっと死んだか!と笑い話の種にしているのを見ると自分も自殺したらこうなるんだな?と思うと出来ないな。
何をされても文句の一つも言えなくなる訳だし。
寿命で死んだのならそこで終わるけど自殺等の場合は死んだ後何十年も笑い話の種にならなきゃ成らないしね。
それでも良い、今の苦しみから逃げられればそれで良いというならそれも又道だね。
やり直しは絶対に出来ないからどちらにしろ思い込みや勢いではなく冷静になりよく考えてから実行して下さい。
もし、自殺するなら遺族に遺書を書いた後、陸上だと土地の所有者や近所の人達に多大な迷惑が掛かるので無関係な人達に迷惑が掛からないように船で遠海に行き足に重りを付けて深海に沈んで下さい。
深海ならば魚があなたの後始末をしてくれます。

この回答への補足

参考になりました。

補足日時:2012/11/01 21:36
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/01 19:05

生は、死を避けたところに残るものではなく、自分の可能性を尽くした死は、


最善の生であり得るのです。
「死がいけない」のではなく、「ムダな死(=ムダな生も)」が「いけない」のです。
人生の真の目的である「人生を通算した精神的充足量の最大化」において、
死は時間軸的な限界を与えますが、かといって無制限な延長は、その空間
軸的な量(=充足の質)を損ないます。

人類の遺伝子には、最後に回数券のようなくり返し配列が(50回ほど)あり、
一回細胞分裂するごとにくり返しが1つ減って、なくなるとそれ以上細胞
分裂できず、新陳代謝せずに(老化し)自ら死ぬようになっています。
生物は、有性生殖以前の「突然変異による多様化と、その淘汰による選択」
という人まかせで遅い進化に対して、交配する事で、遺伝子の配列をシャッフル
して多様性を生み、また交配のための種内の競争による選択という、すばやい
進化を可能にしたのです。

そこにおいて、世代交代しなければ個体数が増える一方なので、自ら寿命を
制限しているのです。
人は往々にして不死に幻想を抱きますが、人も愛さず、子供もいない、
そんな社会が魅力的には思えません。
逆に愛があれば、自己の肉体の限界を超えて意志(=精神的充足)は広がります。

細胞分裂で増えるゾウリムシ(単細胞生物)は、有性生殖など必要ないよう
ですが、実は時おり、他の細胞とくっついて遺伝子を交換する、「接合」を行います。
もし接合をせずに、細胞分裂だけしていると、百数十回ほど分裂したところで
それ以上分裂できなくなり、死んでしまいます。
接合をすると、また若返って、百数十回分裂できます。
それほど「遺伝子の交配」というのは、進化に有効なのです(=長生きは退化)。
「愛(=性)」は、「死」と一体のものとして生まれたのです。

この回答への補足

参考になりました。
ありがとうございます。

補足日時:2012/11/01 21:37
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/01 19:09

そうですよ。

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この回答へのお礼

そうですよね……
ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/01 19:09

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