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私は何が面白いのか全く理解できないから歴史の勉強が凄く辛いでした。なので歴史なんて糞で、この世に要らぬ存在だと思ってる。
勿論、好きな人にとっては良いと思うのでそれはそれで我慢。でも、我慢した分の見返りは欲しいところです。
嫌いな教科があるなら、その分、好きな教科が無ければ不公平だと思うし、嫌いな教科を無理強いするなら、その分だけ好きな教科がある人に嫌いな教科を無理強いすべき。

そもそもある意味で全ての教科が歴史
学問の全てが現在進行でなく、過去に発見した概念やらを習うものであり、ぶっちゃけ全部が歴史

歴史やら科目とか、学ぶことに垣根を設けてる事が根本的におかしなことだと感じる。
平安時代、人が何をしてたとか、いきなり教科書で学ばなくなっていいと思う。
どうせ何時の時代も人のやる事は似たりよったりなのだから、現代をまず先に学ぶべき。
人が何に夢中になってるかを学び、そこからルーツを探る方が覚えるの効率的だと思うよ。

99%の人が習ったことの99%が将来役に立たないし忘れるのだから、
学校が求めるテスト問題なんて、詰め込み教育しない限り学者しか答えられない問題。
政府が職業人口の99%を学者で求めるのならまだしも、そうじゃないのだから、やってる事が根本的にズレてる。

重要なのは過去ではなく今、あるいは今よりも未来。
未来の問題を解決すべく、過去のモデルを参考に歴史を掘り下げてく。
過去から先に覚えるのは、私の興味が続いた竪穴式住居までで十分。
それ以上に興味がある人は勝手に覚えれば良い。

要するに社会貢献できない教育は捨てちまえってことです。
という訳ですので、現代の学校教育に風穴を開けるべく、実践的な育方法を誰か閃いてください。
その閃いた内容をココに書いてください。

A 回答 (16件中1~10件)

> 重要なのは過去ではなく今、あるいは今よりも未来。



当たり前。
従い、過去に重要性を求めて歴史を勉強していると考える時点で、未来を語る資質が無いと思う。

また膨大な歴史の中で、その気になれば数日で読める程度の薄っぺらい教科書1~2冊程度を、1年がかりで学ぶ学校教育レベルの歴史などごくわずか。

特に自国の歴史など、多少の知性があれば、興味の有無などに関わらず、7~8割は得点出来る、楽勝科目の一つ。

歴史学などと言うには程遠く、現在を語ったり考察する上で、最低限の知識と言うレベルと思うが・・。


> 社会貢献できない教育は捨てちまえってことです。

社会貢献の素養を授けるのが教育。

社会貢献が出来る教育など、ごく一部。
即ち、職業訓練とか英会話など実利に関連するもので、それは勉強であって、自分でやっても良いコト。
義務教育などの学校教育とは一線を画すもの。

世界で通用する人格は、自国の文化や歴史に精通し、それに誇りを持っている。
それらに正しく誇りを持てば、他国人もそれに誇りを持っていることが判り、他国人の誇り(即ち歴史や文化)を尊重せねばならないことが判る。

一方、誇るべき歴史などを持たない国は、他国の文化を軽視し、平気で歴史を改ざんする。
その結果、歴史を軽視する人格は、世界中で嫌われる。

韓国などがその代表例だが、それは、それこそ歴史(≒事実)が証明している。

現代など、特に学ぶ必要も無い。
自分が経験すれば良いだけだから。
現代への感応力があれば良い。

その感応力を身に付ける上でも、歴史は重要。
現代において、何が特筆されるべき事象なのか?そのレベルはどの程度か?などを知る上で、歴史的な素養やセンスが必要だから。

なぜ日本は韓国と仲が悪いのか?
なぜ韓国は歴史を軽んじるのか?
なぜ韓国は日本を嫌うのか?
竹島問題とは?
なぜ李明博は竹島に上陸したり天皇陛下の悪口を言うのか?
その天皇陛下とは何か?

全て歴史に答えがある。
いちいち、それら事象から掘り下げても別に構わないが・・・ご苦労さま。

片手間程度に授業を受け、最低限の知識を持ってりゃ、掘り返す必要さえ無い。
結果的に社会貢献する時間もタップリ作れる。

お礼や補足はいらないヨ。
気に入らない内容なら、「質問ではない」として通報するので。
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日本の歴史教育と本来の歴史勉強とは違います。

歴史は、人類が辿った道であり、先人の知恵とその時代時代の環境下での対応(失敗、成功その他)が詰まった教本です。

時代が、環境が、技術が違っても、人間が行うことです。過去の歴史を知れば、今、現在の自分の、社会の、民族の、国家の置かれた状況、対応すべき手段が見えてきます。

学校の勉強も必要でしょうが、市販の歴史本をゆっくりと読まれてはどうでしょうか?さすれば、あなたの考え方も違ってくるのではないかと思っております。

私としては、日本人作家としては、司馬遼太郎、井沢元彦、佐藤賢一、塩野七生、半藤一利、田原総一朗、保阪正康、岡崎久彦氏などの本が面白くて有益でした。
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確かに、暗記して詰め込むだけの学習、受験対策の学問ほどつまらんものはない


本来的な学問・学習の意義からかけ離れてるしね

私は理数系の人間なんで、そっちの話になりますが
「九九の暗唱」あれは止めたほうがいいと思う。
(実は私は九九の暗唱ができません)

確かにパッと数字だけを見れば答えが浮かべば便利かもしれない
しかし、そのおかげで理論思考が鍛えられない弊害があると思っている
(特に今は単純計算なら人間よりも正確かつ迅速にこなせる機械がいくらでもある)

例えば7×8=56
九九を暗唱出来る人なら 「しちはごじゅうろく」だ
しかし、7×8とはどう言う意味か?
まずは7の8倍、
つまり7の2倍で14、その倍(4倍)で28、さらに倍で56
あるいは7の十倍から7の倍を引いたもの
つまり70-14の56 

あるいは、九九の九の段の答
9、18、27、36、45、54、63、72、81
十の位が1づつ増え、1の位が1つづ減るという面白い数列になるのはなぜだろう?

このような柔軟かつ理性的な思考方法を教育、あるいは思考訓練を
したほうがよほど実社会で役に立つと思っています
詰め込んだ知識は失われても、鍛えられた思考能力は残ります

ちなみに、中高と数学は学年トップクラスを維持してましたが
数学の教師からは「それでなぜ九九が出来ない?」と呆れられていました
学校教育なんて、そんなもんです
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どうせ書いても反論が返って来るのが心配ですが、そうではないとの希望を持って回答します。



歴史に限らず、学校で習っている勉強は99%以上は、日常生活には無関係です。もちろん知っていれば便利な事柄もありますが、それは小学校までですね。あとは趣味で自分が好きな分野があれば勉強を続ける程度のものです。好きな分野がないなら、全くしない人もいますが、それが原因で死亡することはありません。

文明開化の頃、西洋から大学に学者を招いて、西洋の学問、特に理数技工系の学問が導入されました。その頃の大学生は今の大学生とは比べ物にならない桁外れのエリート集団でした。そのエリートも新しい科学の法則を教わると、それが日常生活にどのように利用できるのか、どう応用すれば金儲けができるかを質問したそうです。

つまり学問に対する姿勢は150年たった今も変わらないようです。「分数は生活に役に立たない」「外国には行かないから英語は不要」と文句を言う、現代の小学中学生と当時の大学生は同じ発想のようです。

学問は教わり習うこと自体が目的なのです。ゆとり教育などきっぱりと捨てて、詰め込み教育を復活させることが、教育界に風穴を開けることになると思います。
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かわいそうな人だね。


何がかわいそうかといえば、歴史を学校教育を通してしか学んでいないから。

もっと、小説をマンガをアニメや番組を多くみなよ。
まあ、ラノベやSFなんかもいいけど、1割くらいは歴史物をみてごらん。
愚作もそれなりにあるけど、面白い作品も本当に多いから。

歴史をちょっとでも面白いと感じれば、そこから掘り下げるんだ。
まずは関連する時代の様子から、次は人物。そして、さらに関連する事柄へと。

そうやって知識を深めていくと、あら不思議。
今まで無味感想だった歴史の教科書(特に世界史)なんかが、本当に面白くなってくるから。

最初は、マンガでいいよ。
アルバイトしてお小遣いを溜めて、あとはお金の許す範囲でマンガ喫茶に通う。
蔵書量の多いマンガ喫茶なら、歴史物の傑作はまあ数十本は発掘できる。
あとは読み漁れ。

私の本職はIT屋で、別に歴史の知識が今の収入に直結してはいないけど、歴史を今ほど知らなかったなら私の半分以上は、人間的な価値の低い薄っぺらな人間になっていただろうね。
歳をとれば取るほど、教養ってものの価値が、身に沁みてわかってきます。

あと、質問者氏が、政治家とか起業家など社会的な勝者になりたいのであれば、語学と歴史、できれば哲学の教養は必須だよ。
それらが無ければ、今の民主党の議員たちのように、たとえ一時は成功できても長続きせず、数年で敗者の仲間入りになるでしょう。

この回答への補足

例えば私ならば日本の将来のリスクファクターは教えたい。

例えば10年前であれば雑誌にヒトゲノムの解析が成功したとの記事がサイエンス雑誌問わず、あらゆる雑誌で紹介され、バイオテクノロジー分野に夢と希望を抱けるものでした。それ故にバイオテクノロジー分野に専攻する学生が増えるのは容易に予想できる事でありますが、研究員の人材が増える量と企業や大学が研究員を求める人材の量が一致する訳でも無い。
将来的に起こりえる競争リスクは社会的に義務レベルで教えておけば、今頃、東大卒ニートなブログの様な人の不満は防げたかもしれない。

例えば10年前であれば雑誌にてアウトソージング記事が紹介されたり、中国の人材を安く使うビジネスモデルが紹介され、将来日本の格差が広がる事が専門家により分析されていた。
そこから推測すれば正規社員のパイは減るのが判るし、正社員で仕事をするのが常識だった世の中の刷り込み教育を否定できていた。否定できていれば、現代の様に正社員に執着して就活してボロボロになる人は減らせる。

先日、就活を挫折に自殺した人のTwitterを見つけたのですが、現代であれば、そういう自殺した人間のTwitterを検証してどういう心理状態だったか分析したら楽しいものだと思います。。
何が原因でそうなったか、自分なら同じ立場ならどうなるか、社会的な問題性はどの程度あるのか、どの様なその人が関わったのか、どういう言葉に影響を受けたのか等、生徒と共に考察してくと知的好奇心もくすぐれるし、色んな立場の人間を考察する過程で結果、人の気持ちを想像する力を養える。
人の気持ちが判るのであれば道徳性も養える。そしたら未来にて犯罪は減るだろうし、警察の必要性も減るし国費も削減できる。

補足日時:2012/11/18 14:10
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>重要なのは過去ではなく今、あるいは今よりも未来。


>要するに社会貢献できない教育は捨てちまえってことです。

活字になっている歴史は必ずしも真実ばかりではないと思います。
それは勝者や優位に立ったものや国に伝える権利が自然に生じたからだと思っています。
その国やグループ、民族などのの現在の立場と比べていくと面白く感じます。
特に戦争の歴史、武器、宗教、政治などは青少年の論文で自由題材であるなら選ばない事が無難であると思われる題材です。
でもそれは、書くと論議を呼びそうな事が隠されているからかもしれません。例えば研究だって栄誉ある章を受けた人が最初かと言えば実はほかの研究者から掠め取った発見も多々あります。日本もよく盗まれていますよね。
立派な宝石を光らせている王冠も戦争の歴史を知ればほかの国から略奪した石だとわかります。
白血病が多いのだってどこの国がどういう政略結婚をした結果だとか。

世の中でもそうですね。、負けた国やマイノリティの意見、現在金のない国、落ちぶれた国、たたかれた国、病気や貧困の国、そういった人々の意見が活字になるにはお金がいります。でもそのお金は集まるのでしょうか。無いですね。

様々な観点から常に現在の状態と比べるととても面白いです。まったく見えない(見せない)恐ろしい国もあります。
何か恐ろしく後ろ盾のあるようなイメージをもたらしているグループもいます。特にお金にまつわる人間の戦いの歴史。
資源を奪い合う歴史。宗教を利用したお金集め。
人の動きにはそれぞれに原因があって結果があります。
目的があります。理由が存在します。
私はそういう意味では歴史は好きです。
その時代に生きていないのですから、見ると聞くとでは大違いなんてざらだと思います。

だから活字になった過去を学ぶ事は様々な意味で大事だと思いますし、
時々書きかえられる内容も解釈も、世界(マネー)勢力地図と照らし合わせても面白く感じると思いますが。

この回答への補足

私だったら例えば屁理屈学の様なジャンルも教えたい。
 人生をコントロールするのが素晴らしいという思想が、世の中のあちこちでありますが、実際には人生のコントロールはできないというのを教えてみたい。
 誰かえらい人が言ってたのですが、物事を選択するというのは、他の選択肢を全て切り捨てた結果らしいのです。
 例えば憲法には勤労の義務がありますが、義務である以上、、人は人生で進路を必ず選ばなければならない状況にあるともいえ、、この時点で既に自分の人生をコントロールしてはいないという論理が成り立ちます。
 また人によって解釈は異なると思いますが、社会があらゆる人々で成り立ってる以上、あらゆる人間の心理を探求していかなければ社会がどういうものかも判らないとも言える。
 義務教育段階では心理学は学ばないでしょうが、それを知らないという事はひとえに社会について知らないという事になる。
 言い換えるなら、現状のにおいて子供たちは、訳が判らないのに選ばされ、訳の分からない社会に、訳が分からないという実態にすら気づかされないまま、選んだ気になって努力してます。
 無謀なのではなかろうかと思いますし、人生で失敗して当たり前とも解釈できるけれど、世の中的には失敗したら自己責任として評価、冷たくされる傾向もあります。
 しかしながら、社会を知らずして社会に人が飛び出すのが、そもそもの社会性なのでありますので、社会的に物事を自己責任として評価する行為自体も必然的に間違えて当然という事に繋がる。
 ネガティブな言葉を素直に捉えてはいけないという意味で、メンタル強化な教育に出来たらいいなと思いますが、悪い意味で ”人の言葉を疑ってかかる癖を身につける”とも解釈できるので課題も残されてます。

補足日時:2012/11/18 14:53
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質問者さんがこの先の人生の残りが少ない方であれば、意見を少し理解できます。


小生中学二年のとき、歴史を学ぶにあたって先生が、その意義について説明しましたが、「意味なし、過去のことだから」と言って先生を怒らせた記憶が蘇えりました。当に質問者さんの質問と同じようなことです。

しかし23歳で山岡壮八の「徳川家康」という本(17巻だったかな?)を上司に強制され、仕方なく読み始めました。
最初の一巻は約1ヶ月、次の二巻は10日、以降残り15巻は二ヶ月で読み切りました。小説ですが、内容が面白く、入社して間もなくであったので、有給休暇が1週間ほどしかなかったのですが、すべて読書に時間を注ぎました。

興味ついでに、江戸時代、戦国時代、室町、平安等々関連する小説(主に吉川英二)を読み漁り、大体の小説風の日本の歴史が理解できつつあるとき、出張先の遺跡や神社仏閣の史跡を小説の内容と対比して考えるようになりました。
たまたま、こういう時に司馬遼太郎書の幕末ものに出会ってから、近代日本、強いては現代についても興味が出てきて、今では歴史が好きになりました。

日本史を知ると、近隣国家の歴史も、そして世界史への知識も得ようと思います。何故現在があるのか、未来をいかに創造するか、と考えれば、歴史が必要になってきます。
事件、事故も然り。なぜ起きたか、起こったか。等々が総べて歴史となります。今後どうのように防ぐかなどはこの歴史に学べます。

小生の歴史好きになった経緯と必要性を並べましたが、今では、小生も目が悪くなってきたため、読書する機会が無くなってきており、いまでは人生もっと早くから歴史を勉強しておくべきであったと後悔しております。

誰かが経験したことを基礎に、新しき事を成す。これがまた基礎となり、次なる事ができる。この変容、変貌していくことが、歴史と思います。
Stresemanさんがいうところの「歴史は過去の概念を更新しながら進んでいます」といえます。まさに歴史に学べですね。

批判意見となりますが、「要するに社会貢献できない教育は捨てちまえってことです。」ということは、「歴史を学ばないものは社会貢献ができない者」ということにして結論付けます。
今からでも間に合います。現代(現在)だけを学ぶのであれば、なぜ現代(現在)があるのかも併せて先ず勉強されることを願います。
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別に嫌いで構わないのと違うか。

自分の存在が糞で必要無いと思ってるのなら。

この回答への補足

ありがちですが、教師の役割の一部をIT化して、映像と音声で授業できたら良いと思うんです。

元々、生徒一人で自己学習できない教科は殆ど無いのだから、できる範囲は限りなく教師不在でもできる筈。

これ自体は生徒の教育に何らかの優位性があるとは言えませんが、システムをオートメーションした分の教育のコスト削減の価値は大きい。
国家予算の経費削減分を社会全体で享受するという事を前提とすれば、不確定要素の強い教育論を推進するよりも理性的に推進しやすいとも言える。

補足日時:2012/11/19 16:23
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知識を活かす知恵を磨くには、少なくとも一般人レベルの知識が必要です。


料理人が凄くても材料がないとどうにもならない。

単に勉強を毛嫌いしているだけの厨二病にしか見えませんでしたので、
率直に言います。就職難のご時世、勉強すらできなければ誰も雇わないぞ。

歴史と言うより過去を見直すのはどの分野でも同じ。温故知新の意味を知れ。

>>重要なのは過去ではなく今、あるいは今よりも未来
今までやってきた事を水に流したい民主党のCMと同じ事を言っていますな。
過去・現在・未来、全てが連続しているのだから、過去を知ろうとするのは当然です。

最後に一つ。学校の勉強すら苦痛ならば、それだけ脳が発達していないという事です。
そんな事も記憶できない頭ならば実社会でも役に立たない。
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嫌いなニンジンを食べる訓練をするところが学校です。


貴方の趣旨にそって言うならば、歴史にかぎらず、理科も数学も、さして卒業後の生活に役に立つわけではない。さらにいうなら美術も音楽も、体育だってそう。別にすべての子供がバスケやバレーのルールを知らなくたっていいはずです。
ではなぜ、学校では、そんなどーでもいい教科の勉強を学ばせるのか? 嫌なことでも我慢してつきあうスキルを身につけさせるためです。
いま貴方が何歳か分かりませんが、社会に出れば嫌なことは山ほどあり、仕事も子育ても、実際やってみると大して面白いものではない。しかし生きるためにはやらざるを得ず、頑としてやらないならニートになるしかありません。ニートがマスとしては社会的迷惑であることは理解していますね。
極端な話、退屈な歴史の授業どころか、お経や住民台帳の丸暗記のような授業でもいいと、個人的には思っています。
子供にとって大事なのは、嫌なことを我慢する能力を身につけさせること。 好きなことだけをチヤホヤやらせて社会に出すのでは、ニートになるだけで大人になれず、自立もできません。
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