自分のセンスや笑いの好みに影響を受けた作品を教えて

学生です。
私の家は代々仏教です。
しかし、私自身は偶像崇拝する事が生理的に無理というか、とても抵抗があります。嫌です。
昔(小学生くらい)から違和感のようなものを感じていました。
中学生のころ神道の存在を知って、これだ!と思いました。
それからは真剣に神道を信仰し始めました。
ちなみに私の兄弟も皆、偶像崇拝を嫌い、神道を信仰しているそうです。

しかし、より信仰心が強めな年代である祖母に、「家は仏教だけど、正直言って神道を信仰している」と打ち明けたら、「家が仏教なんだから、仏教を信仰しなさい!」と、怒鳴られました。

考えたくはないことですが、もし万が一、事故などで自分が死んだとき、仏教式の葬式をやられたりしたら、ほんとにもう嫌ですよ。

学生なのでまだ家には逆らえる立場ではないのはわかりますが、それでも嫌です。
兄弟とは気持ちが分かり合えるのですけれども、根本が解決出来ないと言うかなんというか…。

家に神道を強制させたいわけでは無いのですが、理解してもらいたいのです。
自分が死んだときのためにも。

どうすれば、理解してもらえると思いますか?
それと、偶像崇拝そのものが嫌いというのはおかしいのですか?
アイドルとかそういったものが本当に苦手です。

A 回答 (13件中1~10件)

◎ゆるやかな宗教としての神道


1.お天道さまに二礼二拍手一礼しましょう。気楽に。
2.神社には縄張りがおはしますので、自分の家が属している地元の小さな神社にお参りしましょう。わからない場合は、近くの神社群の宮司の方々におたずね下さい。
3.仏様も八百万の神々のおひと柱です。創価学会など朝鮮系新興仏教ではない限り、仏様にも敬意ははらいましょう。朝鮮系新興仏教の場合、頃合いを見て「全力で」家ごと抜けて下さい。
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No.11です。

先日はわかりにくい表現ですみませんでした。

質問者さんが顔を合わせる方々の属性(人格・信条・信仰・習俗等)に対し
最大限の尊敬の念を示すことはもちろん、その信仰や信条については
それを支えてきた先人たちの努力についても、人として尊敬の念を示して欲しいと思います。
そう私は言いたかったのです。

それを日々続けて習慣づけ、尊敬される人格であり続けることによって、
あらゆる人から質問者さんが逆に一目置かれるようになり、その振舞いを愛でられることで
質問者さんの意思や意向、万が一の際のご遺志も尊重されることになると思うのです。

そのためには、神道の信仰を究めることはもちろん、礼儀作法や立ち振る舞いなど
日本人として尊敬されるような総合的な人間力をも究め、身に付けなければいけないでしょう。
長く、根気の要ることかと存じますが、ただの目的達成のためだけの手段と思わず、
質問者さんの人生を豊かにする糧と捉えて、臨んでほしいと思います。
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No.2,4です。

今朝出勤前にこの質問が立っているのを偶然発見し、取り急ぎ
追加を含め回答しました。

>家に神道を強制させたいわけでは無いのですが、理解してもらいたいのです。
>自分が死んだときのためにも。
>どうすれば、理解してもらえると思いますか?
No.2で、『遺言状』をしたためれば、と回答しました。それも有力な意思伝達方法ですが
更に、ずっと大切なことを忘れていました。

…顔を合わすそれぞれの人の、人格や習俗を尊重し、その信条や信仰について
自分の信条・信仰同様それを守ってきた多くの先人の意思や情熱、執念に思いを馳せた上で
最大限尊重する姿勢を日々守り、続けていくことです。

私は思うのです。日本の神道や仏教、更にはキリスト教やイスラム教を偉大ならしめたのは
信仰対象や教祖様も確かにすばらしいのですが、その後信教を支えてきた多くの先人たちの
思いや情熱の積み重ねであり、それに人々が共感し新たな信者となって、共に一生懸命
支えてきた賜物だと、心からそう思うのです。

No.2で例に挙げていたキリスト教の『民族土着の信仰対象と融合』も、新しい信者となった
民族のアイデンティティを最大限尊重した、宣教師たちの理解と情熱の賜物であり、また
日本で仏教が民衆に定着したのも、空也上人の念仏による魂の救済の傍ら、道路・橋・寺を
造る社会事業で人々の生活を豊かならしめるよう現世でも救済に尽力し「念仏聖」の
先駆となったことがベースとなりその後の鎌倉仏教が定着する礎となったためです。

神道については、あくまでも私の見解ですが、江戸時代以前から神仏習合で生活の一部と
なっていたことに加え、明治以降、国家を現実的に守る天皇陛下と政府が中心となり
欧米列強の脅威を撥ね退け、徐々に幕末以来の閉塞感を解消し、人々の生活を豊かにし
国際的にも誇れる人格形成を助け、日本人を偉大ならしめたことから、人々に定着した
ものだと思います。
不幸にして、太平洋戦争でアメリカ等欧米中の計略に嵌り、国土を焦土にされ多くの
国民が非戦闘員を含め抵抗虚しく殺戮され、無条件降伏の内に敗北しましたが、
一部マスコミの捏造でゆがめられた日本人像にいきなり変貌したとは到底考えられないことで
実際は、『周囲の人間を守ろうとする人間普遍の意志』の延長線で、
『民族を同じくする日本国民を一生懸命守ろうとした戦病死者たちの思いや情熱、執念』に
思いを馳せた時、神道とはかくも偉大であると、私は思うのです。

今年、祖父が亡くなり菩提寺のお経で仏式の葬儀を行ったこともあり、
「とりあえずは仏教徒」とNo.2,4で発言しましたが、実際の私は日本特有の『神仏習合教』の
信者なんだろうと思います。

本題に戻りますが、やはり質問者さんの信仰や心情について周囲の理解を得るためには
質問者さんご自身も、相手の信仰や心情について、その背景で信仰を支えてきた多くの
先人に思いを馳せ、最大限のリスペクトを示すべきだと思います。
kurikuricyanさんも仰ってましたが、お祖母様の仏教に対する信仰はもちろんのこと
年上・年下、また民族を問わず、顔を会わせる人それぞれの属性に対し、尊重の姿勢を
貫くことが大事だと申し上げます。

ただ、相手が質問者さんの信条や信仰を軽んじたり、潰しに来た場合は別です。
お互い様の心で、全力で排除しましょう。(過激なカルト集団がそれに当たりますね。)
かつて豊臣秀吉が、キリスト教宣教師26人を処刑にした理由も、九州遠征の際
九州の女性が多数、裸同然の状態で宣教師を通じて欧州へ奴隷として売られていた事や
当時世界帝国だったスペイン王国のスパイとして、侵略計画を進めていたことが
裏事情であったからと、私は聞いています。

重ねて申しますが、どうか神道を守ってきた先人の意思や努力に思いを馳せつつ
質問者さんご自身の神道信仰に誇りを持ってください。
質問者さんのご意思や情熱も、神道の身となり心となって、後世に受け継がれると
私は固く信じています。
その上で、相手の信仰に対しても、自分の信仰に沿った姿勢でリスペクトし続けて下さい。
そうすれば、周囲の人たちは質問者さんの強い意思(遺志)に対し、無下に扱うことは
控えることでしょう。それが日本人の無意識の美意識だと、私は信じています。

尚、『遺言状』については、その意思の強さを示すためにも是非とも心のこもった、
可能な限り丁寧かつ綺麗な字体で、手書きで記すことをおすすめします。

質問者さんの意思が、周囲の理解を得られますことを切に祈念しております。
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祖母の年代のしかも信仰心豊かな人間は、やはりどこか勘違いしたまま生きてきてしまったのです。


祖母にとって仏教は信仰というより、ただの行事でしょう。

本当に宗教を信仰している人であれば、他の宗教を信仰する人を否定しませんし。もし、他の宗教を否定するような教えの宗教を信仰しているなら、その宗教自体がおかしい。つまり、祖母はえせ信仰者。

それでも祖母は仏教が大好きで信仰しているつもりなんだから、まずは祖母の好み通りに葬式をしてあげましょう。
これもその人の自由です。

そして、もしかして主様が事故で先に死んじゃった場合。
死んだら何にもわからないですよ。葬式は生き残った人が納得するために行うものです。
死んだ人間は火に焼かれようとその灰を壺に入れられようと、そんなことどうでもいいことなのです。
死んだ後の事に執着するのは歪んだ宗教心だと思います。

ふと思い出しましたが、終活をされてお亡くなりになった金子てつおさん。残される人のためにご自分の式を仕切られましたよね。決してご自分が死んだ後に天国に行きたいから、という理由ではなかったと思います。

主様もそうすればいいですし、まあ、現実的に学生の今、そういう事を言われても…と思われるのが本音でしょうから。未成年のまま死んでしまったら残された親が納得できるような葬式になるでしょうね。つまり仏教の。戒名なんかもつけられて。
でも、そんなこと主様自身にはすでに関係ないことですから。


もしかして主様達が仏教に近寄れないのは、祖母達の影響かもしれませんね。
筋の通らない行事を人に押しつけられるのって、拒否反応を示しますから。
そうだとすれば、主様にとって不幸なことです。

ところで主様はなぜ神道を?
主様には、いずれは宗教によりどころを求めるよりも、自身の心を大事にすること、強くすることが人生を豊かにする方法だと気が付いてもらいたいです。
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我が家(嫁ぎ先)は神道です。


3年前、送り出した義父の葬儀も神道で、柩の中には神様(宮司のような装束)で収め
お祀りしています。
そもそも仏教との違いは、死んだら神になるか、仏になるかの違いで
残された者の悲しみに、変わりはありません。

亡くなった義父が大好きでしたので、今は「我が家を守ってくれている神様」の存在です。
あなた様は難しいことを考えすぎているような気がします。
あなたが家庭を持った時に「うちは神道」と決めて 神棚を置きあなたの代から神社で祀っていけばいいことだと思いますよ。
義父の親は仏教でしたが、義父の代から神道でその息子である主人も神道を選びました。
個人の宗教の自由は、憲法でも守られています。が、主張しすぎるとただの盲信となってしまいます。
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宗教的な説明など他の方々がたくさん回答されていますので、私は省かせて頂きますね。



因みに私は中・高・短大と何故か偶然ミッション系の学校にいっておりましたが、クリスチャンではありません。どちらかというと自然信仰に近い感じです。(スミマセン私は神道という言葉があまり好きではないでので)八百万の考え方は好きですしね
まぁ、基本的には自然に人間が手を入れることで、バランスの良い共生状態を作ることが理想ではありますが・・・現代の自然破壊をしつつ生活をしている自身含めて共生できていない現状では矛盾していますけどね^^;

私はすでに34歳ですが、学生の頃から宗教の考え方を学んだり死というものを考える機会が多くありました。
なので、安楽死やら尊厳死やら自然葬などたくさんの書籍も読みました。(下記はおすすめです)
『安楽死と尊厳死 医療の中の生と死』 (講談社現代新書) 保阪 正康 (著)
『生命あるすべてのものに』(講談社現代新書)マザー・テレサ(著)
また、ミッション系の学校だったためマザーテレサは身近な存在の人でしたが、考え方・行動はすばらしいとは思いましたし彼女の著書もいくつか読みました。
「人間生きることも大切ですが、
 死ぬこと、
 それも良く死ぬことは、
 とても大切なのです」
     byマザー・テレサ
私自身は『家族葬』(葬儀)『樹木葬』(埋葬法)が希望です。
両親は「家の庭にでも骨を撒いてくれればいい。お墓なんかいらない」と『散骨』希望をよく言いますが、実際には先祖代々の墓があるので難しいと思いますし、撒く場所や撒き方などで近隣とのトラブルも発生するものなので、よく考えなければならない問題ですよね☆
ですから、葬儀にしても埋葬方法にしても、生きているうちに自分で調べて理解した上で遺言状にしたためるべきだと思います。葬儀も葬儀屋などを予め調べておき、その会社に取り仕切ってもらいたいというのもいいと思います。


法律では15歳から遺言状は適用されます。
・遺言状の紙は丈夫なものであれば何を使っても大丈夫
・司法書士などに相談しなくとも遺言状は書けます。(検索すれば書き方例文などもありますしね)
・遺言として法的効力がある事項は限定されていますが、それ以外のこと(遺品の整理や葬儀・埋葬方法、延命措置など)を書くのは意思表示とては有効です。
http://www.yuigon.biz/kihonn/kakeru.html


宗教の考え方が違って対立するのは解決は難しいとは思います。理解させるのも難しいと思います。でも、同じ考え方の人が近くにいらっしゃるのですから、兄弟と遺言状や内容を話しておき希望を知っていてもらうといいと思いますよ。
もちろん親より先に死ぬのは親不孝ではありますが、人間、何時どこでもらい事故や病気になるとも限りませんから、意思表示はしておくべきだと私は思いますので☆

P.S.私は毎年、自分の誕生日に遺言状を書き直しています^^;公式のものではないので効力は低いですけど、意思表示として。
まず箇条書きに希望を書き出しておくと文章を書く際にまとめやすいですよ♪

長文失礼しましたm(_ _)m
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お若いのに、神道とは偉いですね。



天皇家が神道の頂点でありますから、、。

不謹慎にも、天皇陛下のことを「天ちゃん」なんて揶揄する不届きな

若い人も多いです。

私も、新年の皇居参賀は行きますから、kaku10211さんと出会ってるかもしれませんね。

神道の方なら、当然、一般参賀には、いかれるでしょうから。

ところで、祖母の「仏教をしなさい」ということには、「はい、はい」と

言っておかれたらどうでしょうか?

他人と争わず人の意見には逆らわない(振りをする)のも、生きて行く上での

大事な、処方術です。

相手(祖母)と逆らって溝をつくるのは、宗教の道からも外れています。

「自分は、神道である」という確固たる姿勢はもちながらも、

相手を容認する、、、ということも大事なことです。

常識的にいえば、先にこの世を去るのは、祖母でしょうから

「お婆ちゃん、お婆ちゃんの気持ちは、分かったよ」と相手を受け入れることも大事です。

もちろん、貴女が宗旨替えする必要はありません。

せっかく、素晴らしい神道を学んでおられるのですから

他宗と争わないで大きな心で、祖母のいうことに、聞く耳だけは持ちましょう。

「嫌なものは嫌!!」では、幼い子どもと同じですから。
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日本人が戦後に宗教嫌いになったのは、「第2次大戦のとき、神道が政府と一体となり、日本の人々を縛りつけて戦争に駆り立てた。

」という反省があり、「もう宗教はこりごり」「国家のために命を投げ出すなんてバカバカしい」なんて流れだったと思います。
なのに宗教を毛嫌いせず、しかも、キリスト教などでなく、神道を信仰する若い人が出てくるなんて、「やっと敗戦後70年弱もかかって、その宗教に対する後遺症が消えつつあるのか?」と思ってしまいました。
私は、幸福の科学の信者ですが、読売や産経新聞などに大川総裁の霊言書籍の広告が出ているのをご存知だと思います。いろんな宗教の教祖とか有名人の霊や守護霊の言葉が書籍になっていますが、3年前の民主党政権が誕生後、天照大神の霊言が2巻でていて、それは当会でとても大きな影響を与えています。(「神棚を買ってきて、家に飾ったわよ。」なんて言っている方もいました。)

神道のトップポジションが天皇家ですから、質問者さんは、ほんとの「日本人」ってことでしょうかね?

>>どうすれば、理解してもらえると思いますか?

なかなか難しいと思います。それは神道は教義がありません。経典もありません。儀式はありますが。なので、キリスト教のように「この聖書をよんでみてよ。私の信仰がわかるから。」なんて内容で判ってもらうことができません。
教義・経典が無いってことで、聖徳太子が日本に高度な教えを持つ仏教を輸入して神道と融合させ、日本文明を高度化させてくれました。でも、その過程で蘇我氏と物部氏の間での戦が発生し、最終的に仏教が日本に根付いたけど、聖徳太子の一族は皆殺しになったりしたわけです。(マンガ「日出処の天子」にも描かれてますね。まあ、かなり聖徳太子像は歪んでますけど)

>>それと、偶像崇拝そのものが嫌いというのはおかしいのですか?

神は無形で、光だから「偶像崇拝が嫌い」っていうのは、わかります。でも、多くの人は、お祈りする場合、その対象物が無いとやりにくいんです。
自分自身としては、嫌いだとしても、他の方の気持ち、信仰心を判ってあげることも大切だと思います。
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私自身も神道ですが、親戚身内は創価学会、仏教、キリスト教と入り乱れております。


正月とか集まるのですが、私の考えは、カルトじゃなければ悪いことは教えたりしないのだから、
信じるものそれぞれじゃないか?ということと、何も信仰がない人よりもいい、ということです。
信仰心があれば、人の見ていないところでの行動が違うと思います。

死後のことを心配されてるのでしたら、あなたの信仰するところに死後のことをお願いしておいて、
遺書に書き残しておけばいいでしょう。それ以外取れる方法は無い気がします。
それでも家族が仏式で通したら物理的にはどうになりませんが、あなたの心はある程度軽くなりませんか?

偶像崇拝が嫌い、というのはなんとなくわかります。
信仰心が定めやすいように設定してあるだけで、本来どんな宗教でも神様は見たり手にとったりできない存在です。
不確かだと人の心はうつろいやすいものですから偶像が役に立つわけですよね。
あなたには偶像が必要なのではなく、心の中に神様があるのだと思います。
心が強ければ偶像は不要です。心の弱い人のよりどころですから悪く思わないであげてください。
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No.2です。

追加です。
「とりあえず私は仏教徒」と申しましたが、私は今でも日本が日本たらしめる
民族的な心の精神的よりどころであり、かつ国家としての精神的大柱は「神道」にあると
考えています。
古い家では神棚と仏壇が併設されている家もあります。私の実家や親戚の旧家は
そういう状態です。これも「神仏習合」の名残なんでしょうか。
1100年間、「神仏習合」の二人三脚で、日本民族の心の拠りどころとなり、多くの日本人を
助けてきた両者です。なんとかいがみ合わず、これからも相和して欲しいと願うのは
間違いでしょうか。私はそう思います。(一部過激的カルト集団は除きます)
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