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あえて質問させて下さい。

運動部、それも強豪校と呼ばれている学校での部活動に置いて、「体罰」とはどういった意味を持つのでしょう?

自分も若い頃は、バリバリの体育会系でした。
小、中、高と、同じ部活を続けていて、その中で、監督やコーチに殴られ、蹴られてきました。
口の中が切れて血が出た事もあります。

中には竹刀で叩く先生もいたり、過酷な練習の中で過呼吸になって救急車で運ばれた仲間もおりました。

だからこそ、そうならないように、部活外でも自主練習をしたり早朝ランニングをしたりしながら克服しようとしました。
一応、インターハイ常連校でした。

教師が生徒を叩く。
そこに愛があろうが無かろうが、それは間違いなく「体罰」と呼ぶのだと思います。

今回はそれで、自殺した生徒がいるのも事実。

何と言えばいいのか分かりませんが、なんだかモヤモヤします。

皆さんは、今回の事件をどう見ているのでしょうか?
教えてください。

A 回答 (25件中11~20件)

スポーツ歴は中高と空手、大学ではJライト級のプロボクサーで8回戦まで経験していますが、運動部には一度も所属してません。


血の気の多い私は、暴力による目的達成は否定しません。(送検された事は一度も無いですが)
暴力の目的はあくまで、服従させる事・痛い思いさせる事・傷を負わせる事・屈辱を与える・見せしめで、動機は自己顕示と悪意と征服欲で愛情など一欠も有りません。
知り合いや再会の可能性が高い場合は傷が残らない様しますよ。

但し、妻子は基よりペットの犬にだって暴力など振るった事は皆無です。
愛情を持って体罰?たとえ犬相手でも躾けと称して叩くなど変態でしょ。単なる虐待ですよ。そんな躾しか知らない人は犬を飼う資格など無い。

ましてやプロの教育者たるものが、暴力を指導方法にするなど論外。
今回の事件や質問者様や回答者の方達の受けた体罰は明らかに暴行傷害です。
学校教育の場に於いて暴行傷害は如何なる理由が有ろうとNGです。
質問者様は理由が有れば、学校教育の場に於いて、心身ともに未発達で抵抗できない子供に、暴行し傷害を負わせる事が許されると考えているのですね。
上官の命令に対し絶対服従が原則の軍隊みたいです。

坐禅中、肩を叩くことを「警策を与える」 と言い、悟入の手助けとして「活」入れる為で、警策は決してしごきや処罰の類では無く、寝ていたり、姿勢が悪いから使用するものでは有りません。
当然叩く訳ですが、相手を従わせる為に叩くのではなく、傷害を負わせるほど叩くのは論外です。

沢村投手に阿部捕手がポカリ・・・これは体罰では無く「活」を入れたのです。
同様に練習中や試合中に冷静にさせる・自分を取り戻させる・アドレナリンを分泌させる等の目的での「活」を入れるのは有りでしょうが、怪我をする程、何発も、しかも試合の後でなどと指導者として無能を曝け出しているだけ。

親から虐待を受けている子供は、親は悪くない、自分が悪いと言います。
親から保護されないと生きて行けない為、親は自分を愛しており、自分が悪いから罰を受けたと考える事で自己を保っています。
ストックホルム症候群は恐怖と生存本能に基づく自己欺瞞的心理操作により犯人にシンパシーを持ちます。

これと同じで、教師から体罰を日常的に受けていた人たちは、暴力教師を尊敬する事で理不尽な体罰に対し抗議も反抗も出来ない自分を正当化し、時が経っても当時の自分の行動や人格を守る為、無能教師と過ごした時間があたかも有益だった・意味が有った・役立ったなどと自己欺瞞に陥っているのです。
自分の過去を正当化したり美化するのは勝手ですが、血が出たり痣が残るような「暴行傷害」を「体罰」などと称して現代の子供たちを虐める事は許されない行為です。
自己欺瞞が出来ず将来を悲観し、わずか17歳で自らの命を絶った少年を評する言葉は見当たりません。
ただ周りが無知・無見識だった事の不運を残念に思うだけです。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!
お礼が遅れ、大変申し訳ございませんでした。

ご回答の冒頭から、なるほどと思いながら拝見させて頂きましたが、途中からなんとも納得の出来ない部分がございました。
自分が疑問に思った事を、改めて質問させて頂きたいのですが、そもそも、ご回答者様の仰っている「活」と「愛情」の境界線は「具体的」にどこなんでしょうか?

>沢村投手に阿部捕手がポカリ・・・これは体罰では無く「活」を入れたのです。
>同様に練習中や試合中に冷静にさせる・自分を取り戻させる・アドレナリンを分泌させる等の目的での「活」を入れるのは有りでしょう

例えば、今回の自分の質問に対し、「体罰を受けて良かった」と思う回答者様方と「体罰はどんな理由があろうが駄目だ」と言う回答者様方がおります。

あなた様の仰っている「活であれば良い」と言う自論を、「後者の回答者様達が見れば」どう思い、どう判断するのか、それも知りたいです。

自分の場合、自身が受けた体罰、暴行は、どちらかと言えば「活」になりました。

体罰が、良いか悪いかの極論で考えれば、「悪い」とみなされる事ぐらい分かってます。
でも、なぜ全ての人間がその極論に偏る事がないのか?

理由は、そこには「目に見える事実」と「目には見えない気持ち」が混同しているから。

血が出ない、怪我をしない程度であれば、「目に見える事実」として認めるのは難しいですよね。
「ちょっと叩いただけ」「証拠はあるのか」「奮起してもらおうと思っただけ」
あやふやで曖昧な事実は、「都合の良い解釈」をするには実に好都合です。

あなた様は、妻子には暴力を振るった事はないと言いますが、では「活を入れる目的」で、仰られているような行為をした事はあるのでしょうか?

「教師だから」「指導者だから」と言う理由だけで、一人の人間に完璧を求められるほど、我々は完璧な人間、保護者なのでしょうか?

教師であっても、親であっても、子供であっても、人は日々「成長して行く」ものではないでしょうか?

今回の問題は、お互いにその成長を促せなかった、促そうとしなかった事が原因ではないでしょうか。

もちろん、今回このような結果をもたらした指導者を庇うつもりはありませんし、結果を見れば間違っていたと認めざるを得ない事です。
しかし、だからと言って「全ての体罰」をいじめと称したり、それを排除しようと言う今の風潮は、自分にはどうも納得が出来ないのです。

最後に、これだけは質問させて下さい。
あなた様方は、今後どのような教育者を、我が子に対して望んでいるのでしょうか?

体罰を用いる教師は愚か、無能とは言いながら、ではどう教育するのが良いのか?と言う具体的な事が一切書かれておりません。
自分のような馬鹿な生徒もいれば、合理的に考える事の出来る頭の良い生徒もいるでしょう。

>上官の命令に対し絶対服従が原則の軍隊みたいです。

なぜ、「絶対服従しなくてはいけないのか?」を考えて頂きたいのです。

絶対服従しなくてはいけない時もあれば、そうでなくても良い時もあるでしょう。
「未発達、抵抗できない子供」とは、一体いくつの子供を指すのでしょうか?
また、いつになったらそれは完全発達し抵抗できるとみなすのでしょう?

子供を、大人の都合の良いように解釈しているのは、何も体罰を振るう指導者に限った事ではありません。
その子供本人を、本当に見ようとしなければ、たとえ体罰を振るわなくても、それは本当に愚かで無能な指導者だと自分は思いますよ。

長文になり失礼致しました。
ご回答頂き、本当に有難うございました。

お礼日時:2013/01/12 22:22

暴力を使わずに教育をすることができない、という馬鹿教師の証。



愚かで安易な方法に人は依存する。
それは世代を通して伝達する。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます。

誤解をさせてしまったかも知れませんが、自分は、体罰は良いか悪いかなどの極論を言っている訳ではありません。

でも、体罰を全面的に悪とみなし、全て排除しようとする今の風潮は、始めから少しでも失敗する可能性のある事は無くした方が手っ取り早いと言う考えに見えて仕方ありません。

それは実に合理的、実にスマートな事で、確かに愚かな事ではないのかも知れませんが、安易な方法だとは思わないのでしょうか?

生きていれば、愚かな事や馬鹿みたいな事、理不尽な事は、体罰に限らずたくさんあるでしょう?

それを、一人の教師が生徒一人一人に対して教育する事が愛情であると、本当にそう思うのですか?
教師と言う事の前に、一人の人間だと自分は思います。

今のこのような風潮が、合理的で形式的な事にならなければ良いのですが。。。

有難うございました。



>愚かで安易な方法に人は依存する。

お礼日時:2013/01/12 07:55

体罰、つまり暴力はいちばん手っ取り早く相手を支配する方法です。


言い換えれば手を出さないと相手に自分の考えを理解させる力がないということです。
教師、保育士、幼稚園教諭は手を出してはいけないとなっています。
なぜか、手を出さずとも自分の伝えたいことを伝える力を持ってないとなれないものだからです。
いわばプロですね。
保護者や教師、大人全般に児童虐待があったり体罰容認が増えてるのはてっとり早く子供の言動をコントロールし、またそれしか方法を知らない、できないからです。

どんな理由があろうと相手が死を選んだら失敗です、プロとして。
手を出さなければ指導できないというなら今すぐ辞表を出すべき。
指導とは本来道を示し導くという方向を指し示す行為です。
蹴ったり殴ったりして突き落すことではありません。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

非常に興味深い内容です。

つまり、手を出す、体罰と言う暴力を振るう事は「基本的に馬鹿だから」と言う事ですよね。

確かに、自分自身、その通りだと認めざるを得ない部分もあります(汗

>保護者や教師、大人全般に児童虐待があったり体罰容認が増えてるのはてっとり早く子供の言動をコントロールし、またそれしか方法を知らない、できないからです。

自分は二人の子供の親ですが、躾けに体罰を用いています。
子供を指導する保護者としての立場であれば、恐らくプロではありません。

仰られている通り、叩いた方が手っ取り早い、と思う事もありますし、言葉でどんなに冷静に物事を教えようとしてもそれが子供に伝わらない、理解しないような時は、叩いて教えるという事しか出来ません。

親として、自分のしている事が、いつもがいつも正しいと思えるような事は、正直な所ありません。

叩いた事を反省したり、後悔したり、次からは気を付けようと思う事の方が、実際多いのかも知れませんね。
親としての自分は馬鹿で、粗暴で、実に単純。
でも、それでも子供達は、それを理解してくれている部分もあります。
自分はそれが、親だからという理由だけで、子供に対して甘えている事でもあるという自覚もあります。

そんな親として不完全な自分が、どうして教師や指導者に対してだけ完璧を求める事が出来ましょう?

>どんな理由があろうと相手が死を選んだら失敗です、プロとして。

これは、本当に仰る通りだと思います。
ただ、「今回の問題に対してだけ」だとも思います。

全ての体罰が、悪とされ始めから排除されるのであれば、それも体罰と同じように、「一番手っ取り早い方法」ではないでしょうか?

少しでも、悪い可能性があるものであれば、そんなものは始めから一切無い方が、一番楽で合理的です。
ついでに言えば、学校や教師は「勉強だけを教えれば良い」のであれば、通信教育などでも十分ではないでしょうか?

頂いたご回答は、今後の参考にさせて頂きます。
本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/12 01:25

「選ばれた集団に属しているプライド」


といものが大きく関わっているように思います

体罰を含めた厳しい環境の中で実績を出し続けている選ばれたエリート集団からの脱落に対する恐怖があったのではないでしょうか
体罰があればあるほど、厳しければ厳しいほど、普通からかけ離れていればいるほど、その集団に属している(ましてやキャプテンとして率いている)プライドは高かったでしょう

部員達の「自分達は特別である」という意識は、部を強くする原動力になった事でしょう

私自身、竹刀を持った指導者(本当に叩く)の下で耐え抜いて力をつけたことが自信になった経験があります
脱落していった人、もう来なくていいと言われ去って行った人達がいる中で、最後までがんばった事が誇りだったりします

今回の事件は、指導者は決して許されるべきではないですが、なんともモヤモヤしますね…
やりきれない気持ちでいっぱいです
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

今回の問題で、非常にモヤモヤした事は、自殺した生徒がそのチームの「主将だった」と言う事です。
もし、これが補欠や雑用であったのなら、「自分だけが叩かれる」と訴えても、その訴えを理解できた部分もあったと思うのです。

例えば、同じミスをしたとしても、それが補欠と主将とでは、責任や立場や全然違うのが普通ではないでしょうか?
まず、周りの仲間に与える影響が全然違います。

問題は、それをその生徒が理解していたかどうかではないでしょうかね。

それは、大人の世界でも同じですよね。
たとえ自分のミスではなくても、立場上、それを自分が謝らなければいけない事もありますし、自分が責任を取らなければいけない事もあります。

子供に対し、「自分の責任や立場」を教えること。
それは、いつ、どこで、誰が、どういった形で教えるつもりなのでしょう?

少しでも悪い可能性のある事は、少しでも良い可能性のある事でも構わず最初から一切合切排除する。

それが、良い教育、保護者が望んでいる教育なのでしょうかね。

自分には、体罰と同じように、「そうした方が楽だから」としか思えません。

本当にモヤモヤしますね。
ご回答頂き、本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/12 00:51

死者に鞭打つ訳ではありませんが、



何も死ぬことないじゃん!!というのが、感想です。

そんなに辛ければ、部活を辞めればいいこと。

何を言われようと。

「僕は、先生のやり方についていけません」と。

部活は、「絶対に」やらなければならないものでも無いわけですし。

ただ真面目なだけの子 は褒められることではありません。

命と部活の続行の何方が大事か、、、も分からなかった、、、のでしょうか?

昔の軍隊ではないのですから、「抜ければいいじゃん!!」。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

他の回答者様から教えて頂いた事ですが、今回の場合、部活を辞めれば、自動的に学校も辞めなくてはいけなかったようです。
恐らくではありますが、今回自殺した生徒は、スポーツ推薦、スポーツ特待生のような扱いだったのではないかと推測できます。

それでも、「主将を辞める」と言う選択肢はあったかも知れませんね。

実際に、この監督から「キャプテンを辞めろ」と言われたようです。
その代わり「二軍落ちになる」と。

二軍に落ちても、補欠になっても、「自分だけが叩かれる」のであれば、また話は変わった事かも知れませんが、あえて「その立場に留まる」事を選んだのに、なぜその先の答えが自殺だったのか。。。

その子にしか分からない事でありますね。

ご回答頂き、本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/12 00:31

私も質問者さんと同様、殴られて大人になったタイプであり、モヤモヤも同感です。



一つは、「スポーツは強かったが、心は弱かった」と言うことかと思います。
従い、メンタル教育や、サポートが重要ですね。

具体的には、たとえば他の回答者さんも書かれていますが、「選択肢」の豊富さが重要です。
同校の場合、部活を辞めた場合、学校も辞めねばならない様な事態になり得た様ですが、その結果、「部活を辞める」と言う選択肢が選択しにくく、最悪の事態を招いた可能性があるのでは?とも思います。

逆に言えば、本来は選択肢とはなり得ない、選んではいけない道を選択してしまった形です。
・その選択だけはしてはいけない。
・それ以外の選択は豊富にある。
を徹底的に教育すると共に、実際にも、選択肢を提供しサポートせねばなりませんね。

もう一つは、指導者と生徒の間に、信頼感やコンセンサスが形成されていなかったと言うことではないか?と思います。

質問者さんならご理解戴けると思いますが、我々を殴った指導者でも、今は恨みに感じていない様な指導者もいますよね?
恐らく根底には、「好き」とか「信頼」などと言う、ポジティブ感情があるからでしょう。

生徒側にそう言うモノが無い中では、いかに指導者が、教育心や愛情であっても、厳しい指導などは「辛い」「厳しい」などでしか無いと思います。

それと同時に、モチベーションが重要です。
単に指導者が「強くなれ!」では、モチベーションは維持出来ません。

仕事で言いますと、上司から毎日残業を命じられたら、「辛い」でしかありませんし、嫌いな上司のお供で酒席に付き合うなども苦痛です。
しかし、本人が「出世したい!」的な野心があれば、それらを「我慢」し得る強い動機になります。
逆に、野心などが乏しい状態で、「クビにするぞ!」などと言われたら、本人は追い詰められるしかありません。

時には、こういう「動機」を本人と共に振り返り、維持したり、むしろ動機を増大させる様な機会を作らねばなりません。
また、そう言う機会を通じて、信頼感やコンセンサスが増します。

それと学校教育の一環の場合、学校全体や保護者を含め、信頼感やコンセンサスが必要ですね。
極論すれば、指導者が「体罰を加える必要性がある」と判断し、校長や保護者の目の前でも、躊躇せず、それこそ指導者は、自分の職を賭してでも殴る覚悟で、生徒のために殴れるならば、いくらでも殴れば良いと思います。

私が保護者なら、その指導者に礼を言いますよ。
そんなコンセンサスが無いから、「隠ぺい」せねばならない「違法な体罰」になるのでは?と思います。

私は積極的に体罰を容認する立場ではありませんが、マスコミなどがこぞって「体罰は悪」の様に伝えるのも、気持ち悪いですね。

メンタル教育,サポート,コンセンサスなどの「前提」が整っていれば、「許される体罰」も存在すると思いますし、私自身は、その恩恵を受けた人間の一人です。

それと自殺そのものには・・加害者はいないんですよね。

被害者遺族に対して、何ら悪意は無いですが、自殺を防ぐ責任が誰にあるか?と言えば、本人と、本人に近い順にあると思っています。
たとえ「責任」を問うのが不適切であるとしても、もし防げなかった場合、実際に苦しむのは、本人に最も近しい遺族です。

私が体罰を受けた子供の親であれば、子供の自殺は、自分の命を賭けてでも、絶対に防ぎますし、防げる自信もあります。
私はこういう事件の都度、子供が小さい頃から、「お前たちが自殺するくらいなら、何をやっても構わない。人を殺しても構わないけど、ただ、お前たちがやる必要は無いよ。私が相手を叩き殺してやるからな!」と、何度も言ってます。

こと「自殺」と言う問題に対しては、その事前に「親」が、相手や学校どころか、国でも世界中でも対峙して、解決せねばならない問題かと思っています。

学校や指導者が、親のこの覚悟に見合う覚悟を持って、体罰を行使すると言うのであれば、私は体罰を容認しますが、指摘を受けたら、こそこそ隠ぺいせねばならない様な、卑怯・卑劣な体罰ならば、最初から排除すべきではないでしょうか?

これが正しい教育論。体罰論かどうかなど、全く判りませんが、少なくとも親子間のコンセンサスとしては、我が家では成立していると思っています。

子供が本気で「先生、殺して!」と言えば、さすがにスグに「OK」とは言いませんが・・。
子供の言い分に納得出来るモノがあれば、取り敢えず学校には乗り込み、教師や学校側の言い分を聞いた上で、私自身の手で、子供の選択肢を決めてます。

実際には、話しを聞けば、最終的には子供を諭すことが圧倒的ではありますが、私なりには子供の言葉とは言え、全て真剣に聞いたつもりです。
その中で、私が学校に乗り込むなどは、後にも先にも1度だけのコトでしたが・・。
学校も、モンスターペアレントとはキチンと区別して下さり、問題教師を担任から外してくれる等の処置をしてくれましたよ。
結果的には、子供の主張も認められた格好で、子供に対して親のメンツも確保出来ました。

一言で言えば、学校,指導者,親の「真剣さ」とか「覚悟」の問題かも知れませんね。
特に親が真剣に覚悟すれば、いじめであろうが体罰であろうが、「解決出来ない問題では無い」と思います。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

とても誠実で丁寧、時間をかけて真剣にご回答下さった事がとてもよく伝わり、本当に感謝する限りです。

そうですね、なんと言いますか。
昔から、自分はなぜかいつも「叩かれる役目」の人間でした。
部活動に限らず、学校生活でも家庭内でも、周りから比べれば、かなり叩かれた方だと思います。

それを理不尽だ、不公平だと思った事も、実際あったと思います。

でも、それで自分が腐れば、周りにも悪い影響を及ぼす。
逆に、それで自分が奮起すれば、周りにも良い影響を与える。

幸いな事に、自分は後者を選択し続ける事が出来ました。
自分だけの力でなく、周りから協力してもらったり、導いてもらったりしながら。

自分自身が受けた体罰を、一括りにされて「悪」と否定されてしまう事は、それらも全て否定しなくてはいけなくなるような気がします。

体罰と言う暴力に対し、正しい答えを出す為には、ただ単に「本人の強さ」を求めても仕方の無い事だと思います。

>我々を殴った指導者でも、今は恨みに感じていない様な指導者もいますよね?

そうですね。
大会で優勝出来たから、成功出来たから。
そう言った目に見える結果に限らず、例え負けても、失敗に終わっても、親を始め、その時の指導者達は「自分を信じてくれていた」と言う事を感じた時点で、自分の中で体罰と言う事に大した意味はありませんでした。

自分は、教師や指導者、学校だけが、子供に取って大きな影響を与える特別な存在だとは思っていません。

親に取って子供は宝です。
自分の一部です。
このような問題が起こった時には、大切な子供をこんな目に合わせた相手を責めたくなる気持ちはとても良く分かります。
でも、そこまで大切に思っているからこそ、その想いに見合った行動を、親である自分はしたのだろうか?
そう思うと思います。

あなたのご回答と同じように、そのような後悔など、絶対にしたくはありません。

なぜ、今の親は、学校だけを責めようとするのか?
なぜ、今の親は、体罰だけを排除しようとするのか?

その前にやるべき事も、その前に教えるべき事もたくさんあったはずなのに。

ただ、そう偉そうな事は言っても、難しい事もあります。
今回、この問題で一番モヤモヤした事は、体罰を受けた子供が「そのチームの主将だった」事。
もし、補欠や雑用だったのなら、「自分だけが叩かれる」と訴えても、その訴えを理解できたのかも知れません。
もし、自分が今回自殺した子の両親だったのなら。。。
正直「お前だけが主将なのだから仕方ないだろ」と言っていたかも知れません。

それだけで、子供が「自分の責任、立場」を理解出来たのか。
それが理解出来るように、日々育てているつもりではあるのですが。。。

「平等」「公平」を正義と訴える今の世の中では、子供に自分の責任を自覚させる事は、とても難しい事でもありますね。
危険な可能性、失敗する可能性のあるものは、全て大人が排除する。
いくつになるまで、子供が歩く目の前の道の小石を除いてあげれば良いのでしょうか。

そんな疑問を持ちながら、毎日ニュースを見ている今日この頃です。

とても参考になりました。
長文になり本当に申し訳ございません。
ご回答頂き、本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/12 00:18

教えてあげましょう。



個人的な成功体験なんてものに意味はありません。
そんなものを根拠に物事の是非を判断しようとするのは傲慢ということです。

殴られて育って良かった、のではなくて殴られて育ったからこの程度、と考えてこの失敗をのちの世代の糧にしようとなぜ考えないのでしょうか。

教えてくださいと言いながら意に沿わない意見に反論する、その態度こそ失敗の証拠です。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

いつもは、ご回答を頂いた順にお礼をさせて差し上げているのですが、先にあなた様にお礼を書きたいと思います。

>教えてくださいと言いながら意に沿わない意見に反論する、その態度こそ失敗の証拠です。

大変申し訳ございませんでした。
自分個人としては、反論しているつもりは全くありませんでした。

この質問を立ち上げた際、自分とは逆の意見も間違いなくあるものと思っておりました。
ですので、そういった方達に対しては、余計に自分の持っている疑問を聞いてみたいと言う思いが正直強かったのだと思います。

元々、根が粗暴な人間の為、十分気をつけ配慮しながら書いたつもりだったのですが、結果、不愉快な内容になってしまったのであれば謝ります。
本当に申し訳ございませんでした。

以前も、同じような事で、あなた様からお叱りを受けた事があります。
それからは、自分でも気付かなった点や悪かった点を反省し、今に至っております。
それでも、まだまだ足りていなかったと思います。
次からは、もっと丁寧に誠意を持って、自分の言いたい事が伝わるように努力してみます。

ついでに言えば、自分と致しましては、今回の体罰も、同じような事ではないかと思うのです。
「このお礼の流れであれば、やっぱりそう来たか」と思える事だと思いますが、それでも、全ては同じ事ではないかと、そう思えるのです。

>個人的な成功体験なんてものに意味はありません。

自分は、体罰が良いか悪いかと言っている訳ではなく、人によっては良かったと思える事もあれば、悪かったと思えるようなことを、全て排除してしまうと言う今の風潮がおかしいと思えるのです。

あなたが自分のような経験を持つ人間を「個人的な」と表現するお気持ちは分かりますが、それと同じように「体罰がない」事で成功する事は、「全ての子供達」対して言える事なのでしょうか?

あなたが不愉快に思ったお礼は、No,1様の対するお礼ですよね。
でも、その自分のお礼の内容に、不愉快感は示しても、そこにある疑問に答えてくれないのはどうしてですか?

自分のような人間は、あなたに失敗作と言われても仕方の無い人間なのかも知れません。
でもそれは、体罰を受けたからではなく、自分がそれだけの人間だったからだと思います。

頂いたご回答は、参考にさせて頂きます。
本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/11 19:25

指でデコピンしても殴っても体罰です、受ける側がどうおもうかですね。

自殺も言葉で怒っても自殺する人もいるが殴られても立ち直って頑張る人もいる。今回の事件は一概に先生のせいには出来ないでしょう?一番近くにいる親が何もできなかったのだから。それを親がそれを後悔して嘆き悲しんでいると思うと心が痛みます。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

もし、激しく叱られたり、厳しい「言葉の暴力」を受け、それによって自殺する人が出たのであれば、今度はそれも規制するのでしょうか?

もし、体罰も言葉の暴力も無い世の中になったら、自殺は無くなるのでしょうか?

それであれば、どんなに規制しても禁止にしても良いとは思います。

でも、そうでなかった場合、今度は「何のせい」にするつもりなのでしょう?
「本人」でしょうか?それとも「親」でしょうか?「時代」のせいでしょうか?

今の風潮は、「体罰」だけを切り取って排除し、本来そこにある色んな他の可能性まで排除しようとしているように思います。

可能性を与える側(教師)、それを受ける側(生徒)、そしてそれを見極めフォローする側(保護者)。
全てのバランスがおかしくなっている。
そう思えてなりません。

教育とは、本来どちらかの責任に偏る事があってはならないのだと思います。

本当に難しい問題ですね。
ご回答、本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/11 22:58

体罰は、


暴力をふるうこと自体が問題というよりも、
それの方法について個々の指導者に標準化・均一化できないことにある。
そりゃ確率として行きすぎたり時に事件が起きる。
だから否定的な方向にいくのは致し方ない部分はあるとは思う。

しかし、個人的には、体罰に限らず企業のちょっとしたことから何から何までを神経質に問題にしたがる日本のあり方には行き過ぎ感を感じる。

皆、昔から多少はひっぱたかれて育った。
暴力がいいかどうかはさておき、
少なくとも過保護によわっちく育てられた経験しかない子供はかわいそうに感じる。
弱い大人になるしかない。そいつが将来困るだけだ。

昔はよくて現代がダメになったのは時代が変わったから?
昔は肯定できて今は否定する環境変化なんか何もおきてやいないわ。
平和ぼけしたからとしか解釈できない。

本質論として議論すべきは、
体罰の問題もあるが、
如何に今の子供達がよわっちくなってしまっているかだ。
真実は知らない。特別な理由があったのかも知れない。
ただ、もし単に部活で殴られた程度で自殺したとしたら、対応力と心の弱さにこそむしろ問題意識が生まれるのでは。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

>昔はよくて現代がダメになったのは時代が変わったから?
>昔は肯定できて今は否定する環境変化なんか何もおきてやいないわ。

そう言われてみれば、確かにそうなんですよね?
なんでこんな時代になったんでしょう?
いつから時代はここまで変わったのかな?

そんな疑問が出てきます。

>本質論として議論すべきは、
体罰の問題もあるが、
如何に今の子供達がよわっちくなってしまっているかだ。

そうですね、自分の言いたい事はそこなのかも知れません。

「失敗する可能性もあるのなら、ならば始めからその可能性を無くせばいい。」

失敗に、取り返しのつく事とつかない事がある事も確かですが、生徒と教師だけでなく、周りに関わっている全ての人間が、互いに協力し支え合えたのなら、もしかしたらそれを成功にする事が、少なくとも取り返しのつく事に留めておく事が出来た事なのかも知れません。

「結果が全て」と言って可能性を全て否定してしまう前に、自分達は本当にその結果しか出せなかったのか?を考えようとしなくては、いつまで経っても「何かのせい」にする事しか出来なくなってしまうのではないでしょうか。

非常に参考になりました。
ご回答頂き、本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/11 22:43

体罰と暴行の境目は何でしょうか。

ここが重要です。
銀英伝にも似たような言葉があります。外伝4巻からの引用ですが、
士官学校の校長に就任したばかりのシトレの発言です。

 「特権を与えられるということは、自分の器量をつねに試されることだ。諸君が
下級生の人望をえられるか否か、それは士官となって後、兵士の信頼をえられるか
否かに直結する。私としては、上級生諸君が、厳格さとサディズムとを峻別できる
ものと期待する。」

また、他方面の引用ですが、「最低の教育者(親含む)は最低の人間である」

体罰そのものを俺は否定しません。ただ、体罰込みで教育を躾を運用できる人間は、
数少ない。希有と言ってもいい。教師が教育業者となるか教育者となるかは、
当人の質による。相手を見据え、最適な教育法が合致すれば、体罰込みでも構わない。
信頼無くして教育は成立しない。経緯に値しない者から偉そうに言われても、従わない
だろう。それと同じ事です。

また、少し前は相撲部屋の「かわいがり」がありました。体育会系に関わらず、
日本の教育業界の荒廃っぷりは目を覆わんばかりです。体罰以外でも、思想が偏執的で
教育者の名に値しない教師も数多い。日教組所属教師でまともな人間はいない。
今後の日本を見据えて、抜本的な教育改革が必要だと痛感させられました。

 今回の事件に関していえば、体罰教師が自己陶酔しているのか、自殺した生徒が
貧弱過ぎるのか、俺は両方だと思います。少なくとも教員側には見る目がなかった。
ただ、昨日の新聞記事だったか、自殺する前日に生徒が親に「30-40発殴られた」と
ありました。じゃあ、なんで子ども一人で学校に行かせんねん! そう思います。
責任の所在を問えば学校側に非があるが、被害者家族に非がなかったとは言えない。
また、体育会系ならばある程度の肉体言語は日常です。これで自殺するようでは、
教師が暴行しなくても他の場面で自殺していたでしょう。

 結局、自殺した生徒の周囲の大人全員に責任があるのです。
クローズアップされているのは、たまたまなのか、政局に使われるからなのかでしょう。
したり顔してコメンテーターが喋ると思うと、蹴飛ばしたくなりますが。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

>相手を見据え、最適な教育法が合致すれば、体罰込みでも構わない。

その通りですね。
他の回答者様にもお礼した事ですが、昔の教師はその見極めが上手かったように思います。

よく「叩いて伸びる子」「褒めて伸びる子」と言う言葉を昔は聞いたものです。
ここでの前者、「叩いて伸びる子」の「叩く」とは、何も体罰を限定したものではないでしょうが、今はそう言った個々の個性や特徴を見極める事の出来る教育者は、少なくなったような気がします。

>信頼無くして教育は成立しない

そうですね。
それでも、それは「両方に成立しなければ意味が無い」事だとも自分は思うのです。

我々の時代でも、全ての教師の見極めが上手かった訳でもなかったのだと思います。
もし、それに「自信があるかどうか?」と聞かれれば、現在二人の子供を育てている自分には、例え我が子であっても「自信がある」と言い切れない部分があります。

日々、子供に教えてもらっている事もあります。子供に気付かされる事もあります。

今の、学校や教師に対してだけ完璧を求める風潮では、今後、教師が生徒を信じると言う事が、一切無くなってしまうような気がしてなりません。
そして、そんな生徒を信用してもいない教師を、信用するような生徒もいなくなるでしょう。

>今回の事件に関していえば、体罰教師が自己陶酔しているのか、自殺した生徒が
貧弱過ぎるのか、俺は両方だと思います。少なくとも教員側には見る目がなかった。

自分もそのように思います。
強豪校、相手がキャプテン、と言う事だけで、今までの経験から、同じように今回も成功すると思ったのでしょう。
いや、少なくともそう信じていたのかも知れません。
でも、結果はこのようになりました。
何をどう言っても、これが事実です。

>自殺する前日に生徒が親に「30-40発殴られた」と
ありました。じゃあ、なんで子ども一人で学校に行かせんねん! そう思います。

そうですね。
自分もそう思いました。
そんなに殴られたのなら、なんで親が気付かなかったんだ?と。

>結局、自殺した生徒の周囲の大人全員に責任があるのです。

それをみなが自覚さえしていれば、少なくとも今のような風潮や報道内容にはなっていない気がします。

「結果が全て」だとは思いますが「全ての結果が同じ」だとは思って欲しくありませんね。

ご回答の冒頭部分も、非常に参考になり考えさせられましたが、長くなってしまうのでこれで切り上げます。
本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/11 21:08

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