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体罰を肯定するということはそういうことですよね
まあほとんどの人は俺が体罰をするのはいいが俺がされるのは言語道断、それどころか、自分が悪いことをしても子供には体罰をするどころか文句を言うことすら許さんという、自己中心的な正確だと思います
体罰肯定派に、大人の俺も悪いことをして殴られても文句を言わないという肝の座った人はいると思いますか?

A 回答 (14件中1~10件)

偏見に基くストーリがあなたの頭の中でできあがっているようですが、一応答えておきます。



>体罰肯定派に、大人の俺も悪いことをして殴られても文句を言わないという肝の座った人はいると思いますか?

いるよ。というか肯定する人は大部分そうだと思うけどね。
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私は体罰指導肯定派ですし、自分が体罰指導受けても特に文句は言いません。


世の中には暗黙の掟やルールはあるのであり、それを破れば相応の制裁を科せられる可能性は、あるんだ。お前ら、世の中を世間をなめるなよ!という脅しの効果が体罰指導にはあると思うから。

ですから私は指導上の体罰指導は容認してますが、やるなら一貫性もってやってほしいと常々考えています。
反抗しない生徒は遠慮無く一方的に体罰指導できるけど、本気で反抗反撃してくる可能性がある凶暴な部下は恐ろしいから体罰指導できませんとか、マジで勘弁してほしい、と。
こんなことを書いたのは、私の子供時代に似たような体罰教師がいたからです。
私の通っていた長野県岡谷東部中学校の学生時代、
東中連合という不良集団が職員図書室を占拠して暴れており、授業妨害もしょっちゅうで、
卒業式には私服警官に保護者席に入ってもらわなければならないくらい学校が荒れて いました。
この当時、体罰指導が無かったか?といえばもちろんありました。
生徒のアタマをメガホンでぶったたく体罰教師もいました。私も二回くらいメガホンでぶんなぐられましたが。
時効に近いくらい昔の話だから実名出しても問題ないと思うので実名で書きますけど、私が名取秀樹先生というメガホン教師に頭をぶったたかれた二回とも、生徒集会中だったのですが東中連合の使いっパシリ三下みたいな奴に絡まれて頭を叩かれたり小突かれたりしたので、手でそれを払いのけていた。それが、二人して生徒集会中に騒いでいると認識されたらしく、メガホンでぶったたかれました。
私は、頭をぶったたかれた二回ともに非常に不本意な気持ちでその体罰を受け入れましたけど、「昔から連帯責任というか、喧嘩両成敗という言葉もあるし、これはこれで仕方ない」と自分で自分を納得させていました。
自分にも言い分はあるにせよ、頭を小突かれたり叩かれたのを振り払って、結果的に生徒集会の進行を妨害していたのは事実でしたから。

その少し前にも似たような状況下で教師に殴られて『僕は不良から絡まれたから反撃しただけです。何故殴られなければいけないんですか!』と抗議したら『誤解されるようなことをしていたお前が悪い!言い訳すんな!』ともう一発ぶん殴られたこともあったので、とにかく連帯責任だから仕方ないと思ってました。

ところがその後あるとき、全校集会で東中連合の不良グループが椅子を投げつけるなどして大暴れして、体育館内がめちゃくちゃな騒ぎになった
事件があったのですが、周りの教師達はびびってしまって止めに入りませんでした。
件のメガホン教師も傍観していました(笑)

ただ一人だけ不良達を止めようとしたのは、国語の女性教師の笠井みゆき先生でした。
体罰指導なんかとは特に縁も無いような体の細い、気の弱そうな先生で私は直接教わったことはありませんでしたが、本当に偉い先生だったと今でも尊敬しています。もっとも、多勢に無勢で不良達には歯が立たず、ボコボコにされていましたが(笑)。
薄情なようで申し訳ないんですけど、私は笠井みゆき先生が不良集団にボコボコにされていたとき、ゲラゲラ笑ってましたね。あまりにもブザマで滑稽で。
もちろん、半分くらいは多勢に無勢で勝てる見込みもないのに不良集団を止めようとひとりだけ立ち向かっていた笠井みゆき先生のブザマな姿が滑稽だったから笑ったんですけど、半分はメガホン持ったまま傍観していた名取秀樹先生の姿が滑稽だったから、というのもあります。
あんたのメガホンは、俺のアタマをぶったたくのは役に立ってるみたいだけど、不良集団を止めるのには全然役に立ってねえな、と。
テメぇラ体育会系教師どもの体罰指導やら体育会系のリクツは、俺を殴るのには役に立ってるみてぇだけど、東中連合の不良どもを止めるのにはクソの役にも立ってねぇじゃねーか、と。
もちろんこれは極端に酷い教師の事例であって、そうじゃない体罰指導教師もたくさんいるとは思います。

繰り返しますが生徒集会中に体罰教師からメガホンで頭をぶったたかれたこと自体は納得しています。故意にやったことではないにせよ生徒集会の進行を妨げていたのは間違いなかったし、誤解を招くような行動をとったワタシの当時の判断も不適切だったとおもうから。
ただその後、不良集団が大暴れしたときは、これは私のケースとは根本的に違って、明らかに悪意をもって意図的に生徒集会を妨害していたのは誰がみても分かることで誤解のしようもないのに、なんでそれは止めなかったのか?しかも女性の先生がただ一人だけ止めに入ってボコボコにされているのに…
ということです。
あんたの持っているメガホンは、飾りか?と。
おそらくメガホンでぶったたくのは大きい音がするだけで特に痛くはないし、体罰の範疇には入らないだろうし、頭をぶったたく大きな音が体育館内に響けば生徒の耳目を集められる。
「お前ら、騒げばこういう目に遭うぞ!」というミセシメと脅しの意図がメガホン教師にはあったんだろうと思いますが。
誤解の無いように補足しておきますが、私は教育的な懲戒効果が見込める体罰指導は必要だと思うし、原則肯定しています。
また、教育の現場における体罰指導や暴力指導が連帯責任を伴うものである以上、ときに受けた生徒が理不尽に感じるケースがあるであろうことも理解はしているつもりです、一応。
今回名取秀樹先生の実名を出して批判したのは、この教師の暴力指導に覚悟も信念も一貫性も無かったからです。
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>肝の座った



使い方を間違ってますよ!!
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私は体罰指導肯定派です。


私じしん、悪いことをしたのならそれ相応の制裁を受けるのは仕方ないと思って学生時代過ごしてきましたし、自分に非が無くとも、連帯責任で殴られたりすることも、教育の現場ではある程度認めないと現場がまわらないだろう、と考えて許容してきました。
ですから、私は、虐待だ!と批判されるかもしれませんが体罰指導は必要だと思います。世の中には暗黙の掟やルールはあるのであり、それを破れば子供と雖もそれ相応の制裁を科される可能性はあるんだ。お前ら、社会を世の中をなめるなよ!という脅しの効果、言い換えれば教育的な懲戒効果が体罰指導にはあると思うからです。

ただし、やるなら一貫性もってやってほしいと常々考えていますけどね。
反抗しない生徒は遠慮無く一方的に体罰指導できるけど、本気で反抗反撃してくる可能性がある凶暴な不良少年は恐ろしいから体罰指導できませんとか、マジで勘弁してほしい、と。
反抗しない生徒は遠慮無く一方的に体罰指導できるけど、本気で反抗反撃してくる可能性がある凶暴な不良少年は恐ろしいから暴れても体罰指導できません、なんていう教師の体罰指導には、そもそも教育的な懲戒効果なんて期待できないでしょう?そんなセンセー、尊敬出来ますかねwwww?
こんなことを書いたのは、私の子供時代に似たような体罰教師がいたからです。私の通っていた長野県岡谷東部中学校の学生時代、東中連合という不良集団が職員図書室を占拠して暴れており、授業妨害もしょっちゅうで、卒業式には私服警官に保護者席に入ってもらわなければならないくらい学校が荒れて いました。この当時、体罰指導が無かったか?といえばもちろんありました。生徒のアタマをメガホンでぶったたく体罰教師もいました。私も二回くらいメガホンでぶんなぐられましたが。時効に近いくらい昔の話だから実名出しても問題ないと思うので実名で書きますけど、私が名取秀樹先生というメガホン教師に頭をぶったたかれた二回とも、生徒集会中だったのですが東中連合の使いっパシリ三下みたいな奴に絡まれて頭を叩かれたり小突かれたりしたので、手でそれを払いのけていた。それが、二人して生徒集会中に騒いでいると認識されたらしく、メガホンでぶったたかれました。
私は、頭をぶったたかれた二回ともに非常に不本意な気持ちでその体罰を受け入れましたけど、「昔から連帯責任というか、喧嘩両成敗という言葉もあるし、これはこれで仕方ない」と自分で自分を納得させていました。自分にも言い分はあるにせよ、頭を小突かれたり叩かれたのを振り払って、結果的に生徒集会の進行を妨害していたのは事実でしたから。その少し前にも似たような状況で教師に殴られて、『僕は不良にからまれたから反撃しただけです。どうして僕まで殴られなければならないんですか!』と抗議したら『誤解招くようなことをしたお前が悪い!弁解すんな!』ともう一発ぶん殴られたこともあったから、とにかく連帯責任だから仕方ないと思ってました。


ところがその後あるとき、全校集会で東中連合の不良グループが椅子を投げつけるなどして大暴れして、体育館内がめちゃくちゃな騒ぎになった事件があったのですが、周りの教師達はびびってしまって止めに入りませんでした。件のメガホン教師も傍観していました(笑)

ただ一人だけ不良達を止めようとしたのは、国語の女性教師の笠井みゆき先生でした。体罰指導なんかとは特に縁も無いような体の細い、気の弱そうな先生で私は直接教わったことはありませんでしたが、本当に偉い先生だったと今でも尊敬しています。もっとも、多勢に無勢で不良達には歯が立たず、ボコボコにされていましたが(笑)。

薄情なようで申し訳ないんですけど、私は笠井みゆき先生が不良集団にボコボコにされていたとき、ゲラゲラ笑ってましたね。あまりにもブザマで滑稽で。もちろん、半分くらいは多勢に無勢で勝てる見込みもないのに不良集団を止めようとひとりだけ立ち向かっていた笠井みゆき先生のブザマな姿が滑稽だったから笑ったんですけど、半分はメガホン持ったまま傍観していた名取秀樹先生の姿が滑稽だったから、というのもあります。あんたのメガホンは、俺のアタマをぶったたくのは役に立ってるみたいだけど、不良集団を止めるのには全然役に立ってねえな、と。テメぇラ体育会系教師どもの体罰指導やら体育会系のリクツは、俺を殴るのには役に立ってるみてぇだけど、東中連合の不良どもを止めるのにはクソの役にも立ってねぇじゃねーか、と。

もちろんこれは極端に酷い教師の事例であって、そうじゃない体罰指導教師もたくさんいるとは思います。繰り返しますが生徒集会中に体罰教師からメガホンで頭をぶったたかれたこと自体は納得しています。故意にやったことではないにせよ生徒集会の進行を妨げていたのは間違いなかったし、誤解を招くような行動をとったワタシの当時の判断も不適切だったとおもうから。ただその後、不良集団が大暴れしたときは、これは私のケースとは根本的に違って、明らかに悪意をもって意図的に生徒集会を妨害していたのは誰がみても分かることで誤解のしようもないのに、なんでそれは止めなかったのか?しかも女性の教師がただ一人だけ止めに入ってボコボコにされていたのに…。

ということです。あんたの持っているメガホンは、飾りか?と。おそらくメガホンでぶったたくのは大きい音がするだけで特に痛くはないし、体罰の範疇には入らないだろうし、頭をぶったたく大きな音が体育館内に響けば生徒の耳目を集められる。「お前ら、騒げばこういう目に遭うぞ!」というミセシメと脅しの意図がメガホン教師にはあったんだろうと思いますが。誤解の無いように補足しておきますが、最初に書いたように私は教育的な懲戒効果が見込める体罰指導は必要だと思うし、原則肯定しています。また、教育の現場における体罰指導や暴力指導が連帯責任を伴うものである以上、ときに受けた生徒が理不尽に感じるケースがあるであろうことも理解はしているつもりです、一応。
今回名取秀樹先生の実名を出して批判したのは、この教師の暴力指導には覚悟も信念も一貫性も無かったからです。
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悪い事の程度がどのくらいなのかによって、判断が分かれると思っています。




ただ、私の体験上、自分が悪いにしても、暴力や暴言といったものは、今になっても心にショックとして残っています。できるだけ言葉で伝える努力は大切、だと思いますし。


私自身、小学校時代に体罰という名の暴力(だと思っていますが)を受けても、それが先生が行ったことなので、その後に「ごめんなさい」と謝っていました。


小学生時代に、清掃の時間に、雑巾がけが遅かった生徒を、目の前で一本背負いで体育館の床にたたきつけた男性教師を目撃しましたし。それを「男らしい」と言って称賛する親たちがいて、男性教師の勢いがついたことがあって。恐らく、親自身が子供を叱れないという人たちが称賛していたみたいですが。


44歳の現在になると、体罰をしなくても言葉で言うことは聞いたけどと思うことはあります。


小学5年生の時に隣の生徒と授業中におしゃべりしていて担任の女性教師に「うるさい!」と怒られ、右のほほをビンタされたことがありました。後日、シップを貼って登校した日に卒業アルバムの写真撮影があり、その女教師に「目立つから」という理由ではがされました。原因も対処もその教師が勝手にやったことが心に残りましたけど。卒業アルバムには、右ほほが紫色に腫れている私が残っています。



小学六年生の時に卒業式の予行練習のため、体育館に入場行進する練習をする際、体育館の入り口の足元に縦に2本の線が引かれていて、6年1組の名簿が1番だった私は、学年の先頭で男女2列で入場することになりました。


担任の女教師に「内側の線の上を歩きなさい」と言われましたが、左側の縦線はグラウンドと校舎がある側、右側の縦線は体育館の外が道路だったので、内側だと思って左側の線の上を歩いたら、6年3組の男性教師が「間違っただろ?」と言いつつ、私の隣りの女子をビンタしました。


私は、女子が歩くはずだった左側の線の上を自分が歩いたせいで、女子がはみ出たと気付かずに、2回目も同様に歩いたところ、男性教師が「お前だったのか?」と近づいてきて、私のほほをいきなり往復ビンタしました。


突然のことでびっくりしながらも、下からその男性教師をたまたまにらんでしまったところ、「なんだ、その目は?」ともう一往復ビンタをくらいました。


頭がふらふらしていたところ、私の担任の女教師が「やっぱり、バカばっかりだ」と捨て台詞を言いました。その後の練習を一通りすまして、じんじんとする両ほっぺが赤くなりながらも「泣くものか」と思いつつ、その後の授業を受けました。


その日の帰宅後、自宅で「こっち側を歩けと言われれば歩いたのに」と言いながら、祖母の鏡台の前で涙を流しました。


持病のあった私は、他のクラスの担任の男性教師が、体育を見学しているときに「いつかやってやる」というような赤ら顔に鋭い目線で私をじっとにらんできたことが何度もあったので、以前から怖い存在でしたけど。



私が小学校を卒業した翌年、その男性教師は別の学校へ移動となりましたが。その男性教師のクラスに私の友人がいましたが、「毎日叩かれている」と当時から聴いていたので、親の誰かが校長などに伝えたのだと思います。


まず、言葉で伝えることを試みて、その後にいろいろと試みてもどうすることもできないほど生徒の酷い行動が続くのであれば、その時に対応を判断する、というのが良いと思っています。
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ほとんどの人は俺が体罰をするのはいいが俺がされるのは言語道断、それどころか、自分が悪いことをしても子供には体罰をするどころか文句を言うことすら許さんという、自己中心的な性格だと思います



→親の体罰で障害者になった子供を障害者雇用を通して労働させて親本人は何も働かずに子供が労働で稼いだ賃金を生活費にしてギャンブル三昧。
そんな残酷な家族が多い実態を見てきました。
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あのね、例えば日本会議や体罰の会は、子供の人権を縮小して親の所有物のように考えるんで、そういうコトにはならないんじゃない?

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自称敬虔なクリスチャンの右頬を叩けばわかるよ。


ハイと左頬を差し出す奴がいるかどうかだね。
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体罰肯定の考え方には、少なくとも次の3種類が存在するようです。



(1) 悪いことをしたら子供でも大人でも殴られるのが当たり前、という考え方。ご質問者がおっしゃってるのは、これでしょうが、現実には少数派だと思う。

(2) 子供のとき頻繁に体罰を受けていた人が、大人になって体罰をふるうことが多い。もはや、体に染み付いているのかもしれない。いわゆる体罰の連鎖である。
こういう大人は、大人の自分が殴られたら文句を言うことが多く、(1)のケースはやはり少数派だろう。

(3) 体罰を認める認めないは、ケースバイケースとする考え方。「一応理由のある体罰」とやらと、「理不尽な暴力」とやらを区別するらしい。
しかし、そんな区別は学校教育法では認められず、教師による体罰は禁じられている。一方、親による(軽い)体罰は民法第822条で認められている。これを親権者の懲戒権という。
とは言え、近年では改正児童虐待防止法により、親による体罰も法的には肯定されない方向に向かっている。民法第822条も削除されそうだ。まあ、家庭内のことに全て公権力が介入するわけじゃないけど、表沙汰になったときは法律で裁かれる。

さて、ご質問者のケースは学校でも家庭でもなく職場の話らしい。それは体罰というよりパワハラでは。そんなブラック企業、辞めちまえ……というわけにも行かないのが、社会人の辛いところ。私も人並みに辛い経験はあるので、同情を禁じえません……。
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(反対する理由は不明だが)自分の主張(体罰の否定)を正当化する為に、


一応理由のある体罰 と 理不尽な暴力 を混同させようとしていませんか。



A:>まあほとんどの人は俺が体罰をするのはいいが俺がされるのは言語道断、自分が悪いことをしても子供には体罰をするどころか文句を言うことすら許さんという、自己中心的な正確だと思います


要約:ほとんどの人間は自分の立派な考えを理解できない自己中なクズ。

あなたがそう思うに至った理由はどのようなものでしょうか。
Aのような事例をどれだけご存じなのでしょうか。

むしろ、あなたのお仲間さん達の方に、自分や子供が何をしても体罰どころか文句を言うことすら許さんというクズが多いように思う私は自己中なのでしょうか。


自説を正当化する為に、都合の良い敵を創造するのは、詐欺師や詭弁家の常套手段です。

自分でもそれを信じてしまうのは、思考力が残念な方が良く陥る罠です。
(詐欺師や詭弁家以前のレベル)

質問文(?)ですが、「自分の意見を語りそれへの承認を求めている質問と称した何か」としか思えないのは、私の知能が劣っているからなのでしょうか。



評価:体罰に反対している者にとって体罰肯定派より始末が悪い「無能な味方」。
「体罰肯定の人は、自分が殴られても文句を言」の回答画像5
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この回答へのお礼

>むしろ、あなたのお仲間さん達の方に、自分や子供が何をしても体罰どころか文句を言うことすら許さんというクズが多いように思う私は自己中なのでしょうか。

厳密には私の知り合いは子供がいないか、いたとしてもどういう教育をしているかわからない人たちが多いですが、自分に甘く部下に厳しい典型的なパワハラ上司ばかりです
流石に部下を殴ったりしませんが、部下や後輩が文句を言うのも許しません
部下に容赦ない人は、おそらく子供にも容赦ないでしょう
なのでその部分だけは半分は当たっています
ちなみに私は部下の側です

お礼日時:2020/09/12 13:36

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