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孔子の教えの中の”男女七歳不同席”という言葉は女性を差別する意味が込められていると聞きました。このほかにも儒教の中で女性差別を助長するような言葉があれば教えてください。

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A 回答 (2件)

こんにちは。



儒教は男性中心で女性蔑視はかなり激しいですよね。
「女は夫を主君とうやまえ。夫は天であるから、夫にさからったら天罰をうける」なんて、あからさまに言っちゃってるし・・・

有名な儒教の教えの中に、女性が必ず守るべき道徳として「三従・七去」という教えがありますが、三従の教えとはご存知かもしれませんが、「幼い内は父に、嫁したら夫に、老いれば子に従え」というものですね。

七去の教えはあまり聞かないですが、「やきもちを焼く女、夫の親に従わない女、産まず女、淫乱・淫倫な女、たちの悪い病気を持つ女、人の物を盗む女、口が立ち親類との仲が悪い女は、夫から離縁を言い渡されても仕方が無い」というものです。

盗んだり淫乱だったりは、男だろうが女だろうが悪いものは悪いだろうし、子供が産めないのも病気を持ってるのもその人のせいじゃなかろうに、どこまで手前勝手な話だ!と、高校時分に始めて読んだときは憤慨しましたが、最近は、そうでも言って無理やりにでも自分たちの立場を固めておかないと危ういと思ったんでしょうね。
実際、当の孔子様も、なかなか娶れず、せっかく迎えた妻にも結婚生活はわずかで逃げ出されちゃったそうですから、「さもありなん。」と思ったりします。

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

確かに女性を蔑視していると思いますが、それは現代の人間からの意見であってその当時の人々は疑いなく受け入れていたのではないでしょうか?儒教恐るべしといったところですね。貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2004/02/27 15:38

三従の道(さんじゅうのみち)


「礼記云婦人者従人者也幼従父兄嫁従夫々死従子」
「家にあっては父兄に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従う」
出典は「儀礼喪服伝」(子夏)

子夏(しか)は紀元前六世紀頃の中国戦国時代の儒者。孔子の弟子です。
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この回答へのお礼

高校のときにはく儒教のこういう教えがあったとは全く知りませんでした。現代の女性差別問題に数千年前の思想を持ち出すには無理があるとは正直思うんですけど、参考にさせていただきました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/02/27 15:44

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Q儒教(中国、韓国、日本)について教えてください

先日、中国には同性愛の風習がなかったか質問させていただきました。
その後図書館へ行きまして、自分でも少~しだけ調べてみました。
中国人は快楽主義的な人種だったようですね?

儒教の教えなのですが、簡単に教えていただけないでしょうか?
東洋史は高校でまじめに?やったのが最後で、大学ではサボっていました。
(サボれる出席確認方法だったのです!)
まじめに勉強しておけばよかったのですけど。

儒教の内容を簡単で結構ですので、教えてください。
それから、中国、韓国、日本の儒教のあり方、それぞれの国の人間は、どのように儒教に
従ってきたのか、あるいは従ってこなかったのか。

韓国人が「儒教の優等生」のようなことを教えていただきました。
中国人が放蕩すぎたため、儒教が生まれたというようなことも…。
日本人は儒教の影響を韓国人ほど受けなかったのでしょうか?

何でも構いません。
お奨めの本などありましたら、ぜひ一読したいので、教えてくださいませ。

Aベストアンサー

>儒教の教え
「仁」と「礼」を人が守るべきものと教えています。仁は一言でいえば「あなたが欲しない事を他人にしてはいけない」という事です。
礼は節度を守り身分ごとに応じた生き方をする事を求めます。(ホントは五常五倫なんだけど、多分その辺は#1さんの参考URLに出てます)

中国での儒教→秦の始皇帝の治世後期では冷遇/迫害されました(焚書坑儒、抵抗の抗でなく、坑=生き埋めです)始皇帝は法家(韓非子など)の影響により厳しい法律で中国全土を支配する事を目指しましたので、法で縛り難い儒教(例えば親が盗みをした事を子が隠すのは儒教的には孝で○だけど法家ではXのように)は都合が悪かったのです。
その後、漢の高祖(農民出身)が中国統一を果たしたのですが、彼の配下の多くは野盗出身や漁師出身など学の無い者が多く宮廷内は行儀が悪かったのです。そこで叔孫通という儒学者によって礼が導入され、その後の宮廷内部は見違えるようになり、高祖本人が「はじめて皇帝って偉いんだな~と実感したよ」と言ったと伝えられています。(史記)
以降儒教は中国皇帝の統治に無くてはならないものになりました。同時に多くの科挙合格を目指す者には儒教は必須科目になったのです。(これは結局清代まで続きます)

日本での儒教は貴族や僧侶のように漢字の読める一部の知識人のものでした。戦国時代末期、前田利家が大名になった後に儒者の講義を聞き感銘を受け、他の大名に「こんな面白くて為になる本があるんだって初めて知った」と論語を勧めています(それぐらいマイナーだったのです)
徳川政権になり儒教は武士階級を中心に広がります。礼は上下の身分を越えることを嫌いますから、下克上を望まない政権側としては儒教が広まった方が都合が良いのです。(儒教と言っても朱子学ですが)
しかし日本国内にほとんど孔子廟が無い事からも儒教が民間にまでは浸透しなかった事が分かります。(中国には沢山あって文化大革命の時に多くが破壊の標的とされました)

>日本人は儒教の影響
儒教には文を重んじ武を軽んじる傾向があります。日本では武士階級が鎌倉時代以降歴史を牽引していますが、彼らの基は「武」そのものです。と、なれば相性は悪いでしょうね。日本は何でも自国流に改造して受け入れます(文字だってそうです)。よって、色々な影響は受けたでしょうがオリジナルとはかなり異なった受け入れ方をしているのでしょう。忠臣蔵だって中国のオリジナル儒教では発生しにくいですよ(でも日本人って忠臣蔵大好きですよね)

>お奨めの本
論語と史記をいきなり読んでもアレですんで、中国の故事成語集などから入るのがベターかと。で出典が論語のモノを見つけていくと全体像が見えるかも知れません。

P.S.論語には女性蔑視の考えも散見されますがお怒りになりませんように。
折角ご興味をもたれたのなら宦官制度から中国・韓国・日本を眺めると新たな発見があるかもしれませんよ。

>儒教の教え
「仁」と「礼」を人が守るべきものと教えています。仁は一言でいえば「あなたが欲しない事を他人にしてはいけない」という事です。
礼は節度を守り身分ごとに応じた生き方をする事を求めます。(ホントは五常五倫なんだけど、多分その辺は#1さんの参考URLに出てます)

中国での儒教→秦の始皇帝の治世後期では冷遇/迫害されました(焚書坑儒、抵抗の抗でなく、坑=生き埋めです)始皇帝は法家(韓非子など)の影響により厳しい法律で中国全土を支配する事を目指しましたので、法で縛り難い儒教(...続きを読む

Q昔から日本では女性差別は無かったのではないですか?

昔の日本は女性差別が酷かったという人が居ますが、戦争にでるのは男、家を守るのが女という役割分担があっただけで、明確な女性差別は無かったのではないでしょうか。
(戦争に行くのは必ずしも男性と決められていたわけでもなく、中には女性の兵士も居たようです)
また、女性は女性らしく男を立てろと厳しく躾けられたという話を持ちだして、これをもって女性は差別されていたという人も居ますが、このように躾けていたのは母親とかお姑さんといった女性であり、父親が息子を男らしく厳しく育てたのと似たようなものだったのではなかったのでしょうか。

Aベストアンサー

No4です。


質問の回答自体は、No4で終了なのですが、その後、19世紀のヨーロッパで女性差別が最悪だったものがどのように、女性に権利が与えられてきたのかの説明をした方が理解が深まると思いましたので、追記します。



19世紀のヨーロッパは、女性差別が最悪な時期でしたが、第一次世界大戦以降、女性の権利が認められるようになります。具体的には婦人参政権です。

理由は、第一次世界大戦は、これまでの戦争と違い、女性も軍需工場に働くなどをし、社会的義務を担うようになりました。「男性と同じ義務を負っているのだから、女性も男性と同じ権利を与えよう」という理由で婦人参政権が与えられました。

フランスは、その時期には婦人参政権は与えられませんでした。理由は「権利が増えると、義務も増えるので嫌だ」とご婦人自ら、婦人参政権を拒否しました。日本では、既に日本人女性はフランスの貴婦人と違い、軍需工場で働くなどの社会的義務を負っていたので権利を与えるべきでしたが、義務と権利の関係を理解していなかったようで、権利を主張する女性も、権利を与えないといけないという政治家もいませんでした。

義務と権利の関係を理解していない点では、今でも同じですね。


その後、西洋思想は女性の権利を認める思想になり、それに迫られる形で日本にもその思想がまた入ってきます。つまり日本の男女差別の思想は、西洋思想によって最悪な状態になり、西洋思想によって女性の権利(誤った意味で「女性の権利」を吸収してしまったが)の思想が入ってきました。

No4です。


質問の回答自体は、No4で終了なのですが、その後、19世紀のヨーロッパで女性差別が最悪だったものがどのように、女性に権利が与えられてきたのかの説明をした方が理解が深まると思いましたので、追記します。



19世紀のヨーロッパは、女性差別が最悪な時期でしたが、第一次世界大戦以降、女性の権利が認められるようになります。具体的には婦人参政権です。

理由は、第一次世界大戦は、これまでの戦争と違い、女性も軍需工場に働くなどをし、社会的義務を担うようになりました。「男性と同じ義務...続きを読む

Q儒教について教えて下さい

仕事の関係で中国や韓国に出張が多く、現地に友人もいるのですが、いわゆる儒教の教えや習慣は韓国の方が色濃く残っているようです。

礼儀作法や年長者への接し方など、日本では消滅してしまった美しい文化だと思います。

ただ疑問に感じるのは、若年層や下層階級に対する「教え」や「戒め」が多くあるのですが、その一方、年長者など人の上に立つ人たちへの「教え」や「戒め」はあるのでしょうか?  

イジ悪くみると、年寄りはやりたい放題、若者はひたする頭をさげるのみ、といった感じを受けるときがあるのですが・・・ すみません。

Aベストアンサー

>ただ疑問に感じるのは、若年層や下層階級に対する「教
>え」や「戒め」が多くあるのですが、その一方、年長者
>など人の上に立つ人たちへの「教え」や「戒め」はある
>のでしょうか?  

鋭い観察眼ですね。
ご指摘のとおり、儒教は目下の人(家庭では子供、組織では
臣下)が、目上の人に対する礼儀を説く内容が大半を占めて
います。

特に親への孝行が主眼となるのですが、この前提として、
親は無条件に子供を愛するという前提条件が付随するもの
と思われます。
これは一部想像が混じりますが、儒教の創始者である孔子
は、複雑な家庭環境ではるものの(孔子は妾の子供です)
おそらく親の愛情をたっぷり受けて育ったため、親の愛情
に対する疑問というものを、まったく感じていなかったの
ではないかと考えています。

もっとも君子(人の上にたつ立場の人)はかくあるべし、
という内容も多いので、必ずしも目下の人の道徳だけを
説いているわけではないようです。

さらに、少し時代があとですが、孟子の書物を読むと、主君
はかくあるべし、という非常に痛烈な指摘もあったりします
ので、一部分だけを捉えるのではなく、全体をきちんと学ぶ
必要があるのではないかと考えています。

>ただ疑問に感じるのは、若年層や下層階級に対する「教
>え」や「戒め」が多くあるのですが、その一方、年長者
>など人の上に立つ人たちへの「教え」や「戒め」はある
>のでしょうか?  

鋭い観察眼ですね。
ご指摘のとおり、儒教は目下の人(家庭では子供、組織では
臣下)が、目上の人に対する礼儀を説く内容が大半を占めて
います。

特に親への孝行が主眼となるのですが、この前提として、
親は無条件に子供を愛するという前提条件が付随するもの
と思われます。
これは一部想像が混じり...続きを読む

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
という文章の「これを」と「修正します。」の間に「これから」という単語を入れたときに,その場所にカーソルを合わせて「これから」と打つと,
「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Q女性の地位(江戸から明治維新)についての質問です。

江戸時代から明治時代にかけて、明治維新の中で女性の地位の変化があったと思いますが、実際、女性の地位は明治維新により向上したのでしょうか?それともさらに低くなったのでしょうか??

Aベストアンサー

 基本的に江戸時代は武士では朱子学が主流的な倫理ですから、男尊女卑的な傾向が強いと考えるべきでしょう。
 しかし、公家・庶民の倫理感では朱子学が支配的とは言えず、女性の地位が低かったという論証の証拠はありません。
 これは封建社会における一般的傾向ですが、支配階級では独特の倫理感から男尊女卑が見られますが、庶民は性差を確認することができません。 それは、封建主義は女性労働力への依存度が以前として高いことにあり、同時に生産力として頭数(人口)が重要な経済因子として考えられることが指摘できます。つまり、女性は子供を産む存在であり、育てる存在である限りは、生産力の逓増のためには、女性を無視することができないという部分があります。
 世界史的に指摘すれば、近世の政治革命であるフランス革命では、制限的ながらも女性人権が確認されますし、男性上位の制度にしても、女性が顕著に劣位とされたとは言えないでしょう。
 
 さて、質問の回答ですが、残念ながら女性の相対的地位は下がったというべきでしょう。
 それは、明治維新が既存の朱子学的倫理による支配を目指したことからも明白でしょう。
 教育勅語は朱子学的見地が強く、男尊女卑的見地が多々見られます。そして、家長制度の普及によって女性の地位は下がります。
同時に皇権でも、明治22年皇位を男系男子に限定し、女性皇族の即位を否定した旧皇室典範が制定されるなど明治維新は男尊女卑を加速化させる傾向にあります。
 ただし、革命期を除けば世界的に近代通史は男尊女卑の傾向にあります。
 男女同権という倫理感が支配的になったのは、第二次世界大戦後の話と言えます。

 ちなみに、歴史で食べている人間として言うならば、女性の影響力は非常に大きいことは言うまでもありません。
 その根本は女性だけが子供を残せるという特異性につきます。女性が多産である家は家名を残し、繁栄させる重要な要件です。
 むしろ、女性権力が局所的に強い歴史ほど、影響力が強いと言えるでしょう。
 ハプスブルグなどは女性なしには到底語れない歴史です。ナポレオンも女性なしには語れませんし、伊藤博文も同じことです。

 ちなみに、庶民と武士・公家と分けて考えることをお薦めします。

 基本的に江戸時代は武士では朱子学が主流的な倫理ですから、男尊女卑的な傾向が強いと考えるべきでしょう。
 しかし、公家・庶民の倫理感では朱子学が支配的とは言えず、女性の地位が低かったという論証の証拠はありません。
 これは封建社会における一般的傾向ですが、支配階級では独特の倫理感から男尊女卑が見られますが、庶民は性差を確認することができません。 それは、封建主義は女性労働力への依存度が以前として高いことにあり、同時に生産力として頭数(人口)が重要な経済因子として考えられる...続きを読む

Q一夫多妻や一妻多夫が日本で認められてない理由ってなんですか?

一夫多妻や一妻多夫が日本で認められてない理由ってなんですか?


歴史的にみると昔は一夫多妻の制度はありましたが、今は普通にそのようなことを望む人はいないからですか?

Aベストアンサー

まずは一夫多妻の合理性を述べましょう。

一夫多妻は原始的な女性に対する福祉制度なのです。
女性に対する差別や従属的なものをまず初めに浮かべる方が多いのですがそうではありません。寧ろ逆なのです。
それが文化だから!と頭ごなししに言われても納得が行かない人はおおはず。それなりの現実性と合理性があります。

・一夫多妻を行う理由の一つとして「戦争」があります。
原始から、部族間の戦争で男達が死にました。
さらに狩での事故や獣に殺される危険もあります。

・二つ目は寿命が短かったこと
昔の平均年齢は二十歳を超えていません。多く生まれ多く死んでいくわけです。そして何時、病気にかかり夫が死んでもおかしくは無いわけです。
そんな世界では一生を共に添い遂げる可能性など寧ろ低いのです。


一人残された女性はどうなるでしょうか?差別や現金収入を得にくい環境で晒されながら子供を育て、働いていく人もいるかもしれませんが、飢え死にしたりする者も多かったのです。

一夫多妻制では、一人の有力な男に性関係と家事という労働と引き換えに養ってもらうことができます。

さらに女性にとって家事を分担できるため非常に楽です。
とても家事の巧い女性がいた時、第一夫人からの推薦で第ニ夫人、第三夫人を招き入れることもあるようです。



本題に入りましょうか。

日本のように明日の飯に困ることもなく、病原菌にあふれてもいない国で、
砂漠国家のように驚異的自然に囲まれており炎天下に放り出されれば間違いなく死ぬという事もない国
明日、獣に襲われたり、隣町との抗争に巻き込まれて死ぬ可能性のないよう文明が進んできた国々

そのような国では女性が一人でも生きていけるので男性に無理に付き従うことがなく、自然に権利も大きくなっていき一夫一妻になって行くわけです。

つまり現代日本では一夫多妻は
社会的に必要とされていないし合理性も無い。


一夫一妻の国々では未亡人を「キズモノ」とか「純潔が既に無い」とかそういう扱いになってしまいますね。残念なことに。


ちなみに日本は大昔は自然に恵まれ人口が500万人程度であれば田畑など耕さなくても野山に行き芋や山菜や果実をとって生きていけたわけです。

そのような国々では女が定住地として家を持ち男は蝶のように自由に飛び回っているという母系国家が形成され、子供は女性が養うもの、財産も女性に付くものでした。結婚と言う取り決めは無く。
彼氏、彼女位の恋愛関係ですね。しかし今のように町にデートに行くような関係ではありません。

女性は多くの男性と関係を持ち、男は種を付けに夜這いに来るわけです。
短歌や笛などを吹いて女の家に入ってもよいか確認をとる時に読まれるような句が今でも教科書に載ってますね。あれは短歌集というと堅苦しいですが、口説き文句集といっても過言ではないもので昔の人々はセックスをするために一生懸命短歌を勉強したわけです。

日本では廃れましたが国によっては現代でもそういう文化は残っています。


一夫一妻は現代の貞操観念を強調した宗教感によるものでもあります。
それを気にしすぎて逆に心を痛めてしまうこともありますし、一長一短ですね。
南米のある部族ではセックスは特定の相手を決めるものではなくスポーツ感覚で楽しむものであり。子供は村全体で養うものという考え方があったようですがキリスト教が入りこみ貞操観念が付いてからはなくなってしまったようです


セックスと結婚の形態はその国々の事情にあっているという事です。
脱線が過ぎましたね。そういう事です。

まずは一夫多妻の合理性を述べましょう。

一夫多妻は原始的な女性に対する福祉制度なのです。
女性に対する差別や従属的なものをまず初めに浮かべる方が多いのですがそうではありません。寧ろ逆なのです。
それが文化だから!と頭ごなししに言われても納得が行かない人はおおはず。それなりの現実性と合理性があります。

・一夫多妻を行う理由の一つとして「戦争」があります。
原始から、部族間の戦争で男達が死にました。
さらに狩での事故や獣に殺される危険もあります。

・二つ目は寿命が短かっ...続きを読む

Q中国における女性の地位

宋から清までの間で、中国における女性の地位についてレポートを書かなくてはいけません。どなたか詳しい方いらっしゃいましたら教えていただきたいです。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 10世紀頃から20世紀初期まで、中国では、女性の結婚の条件として何よりも足を重視していました。纏足(てんそく)をしていない女性は結婚しにくかったのです。纏足は発育期の幼女の足の指を裏側へ曲げ、布で固く巻いて足が大きくなるのを防ぎ、しかも、それをさらに小さく見せるという恐ろしい風習です。
 『りょう斉志異』、『金瓶梅』、『肉布団』など、中国の風俗を描いた小説には、纏足が、見ても、嗅(か)いでも、触っても、足音を聞いても良し、精妙な性感と官能を開発したと記されており、あくまでも男性本位のものでした。布をほどき、足を洗い、香紛をかけ、匂いを嗅ぐなど纏足の48手がありました。
 この奇妙な風習は、皇帝専制国家、官僚優越で保たれた中国上流社会の、歪んだ男女関係によってささえられてきました。さすがに18世紀以後、反対論が強まりましたが、閨房(けいぼう)の奥深く根ざしていたため、簡単にはやめさせることができませんでした。清朝が倒れて、宮廷政治が終わってもなお続き、ようやく下火になったのは、20世紀も30年も経った、中華民国20年以後になってからでした。

QTBS系列の新聞社は、どこでしょうか?

・日本テレビ:読売新聞
・フジテレビ:産経新聞
・テレビ朝日:朝日新聞

すると、TBSは、どこの新聞社なのでしょうか?

 よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

TBSは、元来、朝日読売毎日などが共同出資して
作ったので、どこの系列ともいえません。
朝日読売が手を引き、毎日も倒産したとき債務返済のため
TBS株を売ってしまいました。なお毎日新聞新社には
TBSも、すこし付き合いで出資しています

大阪のネット局が、朝日放送から毎日放送に変わった事もあり、
他紙よりは、毎日と親しいですが、
「フジ・サンケイ」グループ
「読売」「日本テレビ」のような関係ではありません(^^♪

Q昔のヨーロッパは男尊女卑社会だったのでしょうか?

近世以前のヨーロッパはキリスト教の力が強く、多くの人が戒律に従って生活を送ることを強制されていたため、現在のイスラム世界なみの宗教社会だったと聞いたことがあります。

中世、近世は戦争も頻発していたため、どうしても兵士となる男性の力が強く、かなりの男尊女卑だったとも聞いたことがありますが、これは本当でしょうか?

そして男尊女卑が近代まで続いたため、その反動として(主として女性からの)男女平等を叫ぶ声が強まり、それが現在の男女同権社会につながっていたという理解でよろしいでしょうか?

(日本については、江戸時代までは比較的男女平等な社会だったといいます。そして明治時代に男女平等が進む前のヨーロッパの制度を取り入れたため男尊女卑の風潮が生まれたとか。)

Aベストアンサー

はい、その通りです。というより、今でもヨーロッパは実質的には男尊女卑です。平等になるように努力しているのは欧米のほうですが・・

まず、最初に法整備としてヨーロッパが男女同権になったのは、実は1970年のことです。びっくりするでしょう。
もちろんヨーロッパと言っても国に違いがありますが、1970年というのはフランスで婚姻に関する財産権が男女で平等になった年で、これで法的な男女差別は撤廃されたのです。

そもそも、男女差別の根本はなんであるかというと「自分で取捨選択することができるか」ということです。日本が古来からずっと平等だったのは、女性にも財産権と相続権があり、女性でも財産を持っていれば男性に頼ることなく生きられた、ということです。もちろん、商家などは女性が跡継ぎになって婿養子を取ることも可能でした。

ところがヨーロッパはそうではありませんでした。相続は男性に限られ、女性には相続権はほとんどありませんでした。そのため、ドラマ「ダウントンアビー」のような悲劇がしばしば起こりました。このドラマの始まりは、3姉妹しかいない貴族の跡継ぎとして、貴族の長女と結婚する予定だったいとこ(貴族の正式な相続者)が事故で死んでしまい、次の相続権利者は平民のどこの誰とも知らない若者だった、というものです。

つまり、その若者と3姉妹のうちの誰かが結婚しなければ、貴族の館も財産も貴族の娘たちは相続することができなかったです。

現代のヨーロッパはそんなことは無くなりましたが、イスラム教の国ではこれに近い状態であるといえます。また、イスラム教の国だと、女性の職業が限定されていてたり、免許を取ることが禁止されていたり、と「自分の選択で自分で生きる」というのができない、というのが男尊女卑のそもそもの問題点であったといえます。

ちなみに日本は全く違います。

これが宗教による圧力だったか、というとそれは分かりません。ただ、ヨーロッパの法整備の基礎となったローマ法では女性の財産権や相続権を認めていましたので、中世のヨーロッパ社会で封建制が強まっていった経緯と関係があるだろうとは思います。
 特に、封建領主は支配のために領民を搾取しており、女性が結婚するのに税を取る制度がありました。これは人頭税の一種で、名目的には「領主は領民の女性の処女をもらう権利がある。領主の許可なく処女でなくなるのは違法であり、また処女である女性を娶るには領主に税金を納める必要がある」というものでした。

これにより、女性のバージンを管理するようになります。勝手に性交しては税金が取れなくなるからです。ただ色恋を法律で縛っても効果がないため、キリスト教の処女信仰を利用して、修道院などでバージンでいるように管理したと言われています。

この処女管理のあり方が、のちに女性の権利を阻害する方向に動いたのは間違いないです。

逆をいうと日本でこれが起きなかったのは、日本の封建領主が領民の主人ではなく、単に租税徴収権を持っている権力者にすぎなかったからです。日本では人頭税はかけられなかったのです。

さて、近代になるとこの反動が出ます。きっかけは第一世界大戦です。この戦争は大量破壊兵器により男性が大量に犠牲になったため、変わって女性が社会進出しました。鉄工所で大砲の弾をつくり、鉄道を運転し、男性と同じ仕事をこなしたのです。

そのため女性自身に疑問が芽生えます「なんだ、女だからといわれたけど、あたしたちでも男と同様に仕事できるじゃん」ということです。

これに特に戦後は奴隷差別の撤廃や民族差別の撤廃などがあり、男女差別の撤廃も推進された、ということになります。
そしてその平等の考え方は「男性と同等に仕事をする能力があり義務を果たすのだから、男性と同等の権利をくれ」というものです。そして完全に男女平等になったのが1970年、ということです。

ですから、外国の女性は「その仕事が自分の手に負えない、と思わること」をすごく嫌がります。重い荷物も持つし、残業もこなすし、きつい仕事もなんでもやります。アメリカ映画ですが、GIジェーンのような「なんか分かんないけど、女性が男性と張り合って、男並み、を証明する映画」ができるのはそういう理由からです。
日本で絶対に作られないでしょう。

さて、じゃあ、法律的に男女平等になったからヨーロッパは男女平等なのか、というと、そうでもありません。これもアメリカの映画の話ですが、男性が主人公の映画に対して女性が主人公の映画は1割程度しかない男尊女卑だそうです。日本だと恐ろしいぐらい女性が主人公の映画がたくさんありますね。

はい、その通りです。というより、今でもヨーロッパは実質的には男尊女卑です。平等になるように努力しているのは欧米のほうですが・・

まず、最初に法整備としてヨーロッパが男女同権になったのは、実は1970年のことです。びっくりするでしょう。
もちろんヨーロッパと言っても国に違いがありますが、1970年というのはフランスで婚姻に関する財産権が男女で平等になった年で、これで法的な男女差別は撤廃されたのです。

そもそも、男女差別の根本はなんであるかというと「自分で取捨選択することができるか」と...続きを読む

Q黒髪、焦げ茶髪のbrunet(ブルネット)って日本人でも使いますか?

私はよく黒髪のことをカタカナ言葉のようにbrunetと読んでいます。

金髪はblondで黒髪はbrunetですよね。東洋人はbrunetですが、東洋人でもbrunetというカタカナ言葉として使えますか?

例えば

「私は(日本人)ブルネットなの。」

といった感じです。

それともbrunetとは欧米人の黒髪だけを指すのでしょうか?

Aベストアンサー

アメリカに35年ほど住んでいる者です。

まず、blonde と言う単語ですが、eが付いたりつかなかったりしますが、ここアメリカではeをつけるのが普通となっています.

そして、そのブロンドの殆んどの地毛はブルネットなんですね. (子供の頃はブロンドでバービーのような毛であっても、十代になると色が変わってきます) でもそのような、染めたブロンドの人の事をなんて言うかというと、ブロンドの色であれば、ブロンド、と言うんですね. Natual blondeとbleached blondeの違い、となるわけですね. (マリリン/モンローは後者になります)

ただ、こちらでは、髪毛の色の名前はたくさんありますので、それによって、「いつも」同じ色の髪の毛の色を言います. dark blonde, light brown, brown, brunet等のように、色が濃くなります.

また、burnetといって、dark brownからbrownish blackまで含めた色合いもまとめていってしまう事があります. (このときは、髪の毛の色は4種となります、 blonde, brunet/brown, red, black)

こちらでは、この地毛と染めた色の事が普通に分かっていますので、運転免許書、ないし、パスポートでも、地毛ではなく、いつもの髪の毛、と言う事で、表記しています.

また、最近では、東洋人も染めますので、brunetと言う言い方で、ダークブラウンに染めていれば、その色の髪の毛をしている、と言うようになってきています. (I'm a brunet but the real hair color is black、と言う具合ですね)

よって、日本では既に髪の毛を染める、と言う事が普通になってきていますので、いつもの自分の髪の毛の色(地毛とは限らず)を言ってもいいと思いますよ. つまり、I'm a brunet. My hair color is brunet. I dye my hair brunet.と言うような感じですね.

また、日本女性の染めているダークブラウンはblack hairとはいえませんね. ですから、brunetのほうが自然なかんじです。

これでいいでしょうか。 分からない点がありましたら、補足質問してください。

アメリカに35年ほど住んでいる者です。

まず、blonde と言う単語ですが、eが付いたりつかなかったりしますが、ここアメリカではeをつけるのが普通となっています.

そして、そのブロンドの殆んどの地毛はブルネットなんですね. (子供の頃はブロンドでバービーのような毛であっても、十代になると色が変わってきます) でもそのような、染めたブロンドの人の事をなんて言うかというと、ブロンドの色であれば、ブロンド、と言うんですね. Natual blondeとbleached blondeの違い、となるわけですね. (マ...続きを読む


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